第6話 風竜王ヴェルンハルト

「わたくしの兄、風竜国の先王ヴェルンハルトは、それは素晴らしい方でした――」

 雷竜王エドヴァルトの正妃にして、もと風竜国の人ティルデは、涙を堪えるようにしてまずはそう語り始めた。



 先の風竜王、ヴェルンハルトは、文武に秀でた精悍な王だった。

 かの王家は、歴史的にも古き時代から質実剛健を旨とする。ヴェルンハルトはまさにそれを体現するかのような王だったのだ。

 曲がったことを嫌う質が多少きついところもあったけれども、その実、心根は温かく、目下の者に対する恩愛の情に篤い王で、彼の為人ひととなりをよく知る臣下や民はみな、彼を「風竜神の申し子」と呼び、崇拝せんばかりだったものだった。

 もっとも本人はそういう神の子まがいの扱われ方を喜ぶ性質たちではまるでなく、「やめんか貴様ら、鬱陶しい」と爽やかに苦笑しておられるばかりだった。


 彼の正妃は土竜の国ザイスミッシュの王家から輿入れしてきた人で、名をフランツィスカという。もちろん見目も麗しいひとだったが、何よりその心延こころばえの清らかな方であって、温順で心優しいその人柄を、王はこよなく愛された。

 当然のことながら、当初二人は両王家のよしみを通じるために婚姻をしたわけだったが、それでも幸い、よく気の合う、羨ましいほどに仲睦まじいご夫婦になられたのである。

 それが証拠に、口うるさく勧める臣下は山ほどいたにも関わらず、彼は彼女以外の一人の側妃も側妾も置こうとはなさらなかった。


 さして口数の多いほうでないこの王と王妃は、それでもいつもにこやかに寄り添っておられたものだった。かれらは多くの言葉を費やさずとも意思の疎通ができるのかと思われるほど、ごく静かでありながらも非常に互いを理解しあっておられるご様子だった。

 ティルデは、長兄ヴェルンハルトと同じ母、先王の正妃から生まれた妹だ。兄からは十ばかり年の離れた妹だったのだが、実は二人の間には、側妾から生まれた腹違いの兄である、次兄ゲルハルトがいた。


「もともとゲルハルト兄様は、けっしてお一人であのような大それたことをなさるお方ではなかったのです。幼い頃は、母は違えど、『王家の兄弟たるもの、皆よく助け合い、支え合え』との父の教えもあって、みな本当に仲良く暮らしていましたの」

 ティルデは訥々とレオンに語っている。

「兄も、ゲルハルト兄が側妾の生まれだということにはこだわらず、それは大事にし、可愛がってもいらっしゃいました。それが……」

 彼女はふと暗い目になり、唇を噛んだようだった。

「あなた様に瓜二つだった兄ヴェルンハルトは、それは美しい王でした。覇気もあり、文武に秀で、臣下からの信頼も厚く、やがて王太子であるあなた様が生まれてからは、これでわが国の将来も安泰と、みなが安心したものでしたのに――」


 いつの頃からか、非常に仲の良かったはずの兄弟の間には亀裂が生じた。

 比較的地味な容姿と性格をしていた次兄ゲルハルトは、それでも決して無能なわけではなく、通常であれば彼自身、十分に王として立つ能力はあったかと思う。ただ、その綺羅星のような兄には及ばなかったというだけで。

 普通であればそんなきらめく才をもつ兄にくらい嫉妬心を燻らせていてもおかしくはない状況だったともいえるだろう。しかし、彼はむしろ、自分も心から慕っていた兄王の補佐として存分に持てる力を尽くして仕えようと、昔は心躍らせていたはずだったのだ。


「わたくしもその頃には、こちらの王家に輿入れをしたところで、故国の詳しい内情については非常に疎くなってしまっておりました。勿論、心配はしておりましたし、両兄上には何度もとりなしの手紙も書いたものですわ。けれど、そんなことをするうちにも、兄二人の仲はどんどん冷え切っていったようなのでございます……」


 そこに一体どんな奸臣の甘言と暗躍があったのか。また、そのほかの何らかの要因が存在したのか。それはティルデたちにはもはや知りようのないことだ。

 ともかくも、王弟ゲルハルトは、彼を国王に擁立せんとする臣下らに祭り上げられ、有力な貴族連中を集めて彼自身の派閥を作り、遂に兄王を追い落とし、王位を簒奪するに至ったのだ。

 その時にはすでに、王太子レオンハルトも誕生していた。

 とはいえ当時、僅か一歳の幼児おさなごである。


「フリュスターン王室には、代々、医と魔術の道をつかさどる『医術魔法官』という特別な職がございます。兄上と義姉上はそのころ、亜麻色の髪に灰色の瞳をした、控えめな青年をその職につけて重用していらっしゃいました。名を、エリクといいました」


(そうか、それが……)


 話の流れが見えてきて、レオンは拳を握り締めた。

 恐らくはその男が、いまの自分の父、アネルだと言うのだろう。

 確かに王妃が語るその容貌や物腰は、十分に父を彷彿とさせるものだった。


「当時は、まだ赤子だった王太子殿下も、父君、母君ともどもにお命を儚くなさったと聞いておりました。山中で、それは無残に弑逆された父君と、そのそばで毒をあおってご自害なされた母君のそばに、黒髪をした赤子の亡骸もあったやに聞いております。それをこちらの国で聞いた時、わたくしが、……わたくしが、どれほど――」


 そこでまた声を詰まらせ、ティルデは嗚咽した。

 さらに、山中で変死を遂げた国王のご一家を手に掛けた下手人は、今に至るまで消息不明のままだという。

 敵の陣営は、当時、一応はその罪人らをでっちあげて処刑したらしいのだが、あとになってその者らがその日その場にいたはずがないという、動かぬ証拠が出たらしい。


「ともかくも、エリク……いえ、今はアネルと名乗っているのでしたね。そのあなた様の育ての親となった者が、兄と義姉あねの遺志を継ぎ、敵の毒牙からあなた様をお救いして、クヴェルレーゲンへと逃げおおせたものでしょう。まことに、まことに……、ご無事で、よろしゅうございました……」


 あとはもう涙にまぎれて、ティルデはまともに話すこともできない様子だった。

 ただもうずっと、膝の上で握り締めたレオンの拳を力いっぱいに握り、その上に涙を注いでいるばかりだ。

 レオンは唇を引き結び、どうやら自分の実の叔母であるらしい、雷竜国の妃殿下をじっと見つめていた。


 正直なところ、いきなり与えられた情報のあまりの量と重さに、圧倒されたというのが本音だった。

 今の今まで、医者アネルの息子にして水竜の国の一士官という己が姿しか認識していなかったところへ、「実は王族」だの「風竜の国の王太子」だの、「実の父母は弑逆によってすでに他界」だの言われても。実感が湧かないどころの騒ぎではない。

 レオンは、自分がいま、眉間にどんなに深い皺を立てて厳しい双眸になっているか、人に言われるまでもなく自覚していた。奥歯を噛み締め、両の拳も握り締めて、ただ沈黙したまま虚空を睨む。


 その厳しい横顔をじっと見つめていたらしいエドヴァルトが、不思議なほどに軽い調子でこう言った。

「まあ、急にこんなこと言われたからて、今の君にはどうしようもないわなあ。それに、その育ての親やっちゅう、アネルやっけ? その人の言うことももっともや。『まだ話すことはできん』っちゅうんは、まだ君にとっても、が来てへん、ちゅう意味なんやろし」

 その言葉にひっかかって、レオンはふと目を上げた。

「『その時』……、とは?」

 それを見て雷竜王は、にやりといたずらっぽく口角を引き上げた。

 そして、とん、と人差し指をレオンの胸元に軽くつきたてるようにした。


「なに言うとんの。なんぼ記憶にない言うたかて、君がほんまもんの風竜王なんは間違いないんやで? しかも相手は、あんたの親を無残に殺してその立場を簒奪した大悪党やん。君かって、たまたま助かっただけの話で、下手したら一緒に殺されとったはずなんや。それで黙って引き下がるような男なんかいなあ、君は」

「…………」

 レオンはまた、視線を落として沈黙した。その表情をじっと観察するような目で見つめながら、エドヴァルトは指を引き、やっぱり飄々とした声で言葉を続けた。


「……ま、どないしようがもちろん君の自由やけどね。言うたら、せっかく面倒めんど臭い王族のかせが外れたわけやし。君の人生や、好きに生きるんが一番やろ」

「…………」

「まあ、ワシもこないなことは言うとるけど。『親の仇〜!』とか辛気臭しんきくさいこと言うて、頭ん中まで真っ黒にして、あたら貴重な人生の若い時間、無駄にすんのもどうかと思うほうやしなあ」

 そして明るく、呵々かかと笑う。それは、底意のない笑声だった。

「陛下……」

 ティルデもやっと嗚咽をおさめて、涙に濡れた目でじっとそんな我が夫を見つめる様子だ。

「恨みだけで切り拓けるもんなんぞ、この世にちょみ〜っとしかあらへんやろ。まあそこらへんも合わせて、もうちょっと考えてみたらええんちゃう?」

 雷竜王は親指と人差し指とでほんのわずかの隙間を作り、ちょっとお茶目に片目をつぶって見せた。


 まるで話の重さを感じさせないその言いように、レオンは少し表情を緩ませて相手を見やった。そしてしばし考えてからこう言った。

「ひとつ、お尋ねしても構いませんでしょうか、陛下」

「お。なに?」

「はい。ただいまの風竜国の治世なのですが。実際、どのような状況なのでしょう。現国王陛下は、かの国をうまく治めておいでなのでしょうか」

 エドヴァルトはちょっと目を丸くしたが、にかっと笑ってすぐに答えた。

「ああ、ゲルハルトのあんちゃんな。まあまあどうにかやっとるみたいやね。勿論、君のお父上が治めてはったらもっとうまいこと行ってたんやろうけども。まあ、自分の傘下におさめた貴族連中のこともうまいこと使いながら、そこそこ治めてはるって聞いとるで?」


 気のせいだったのかもしれないが、その話題が出た途端、傍に立ったままだった王妃の侍女の少女の目つきが、一瞬険しくなったように見えた。


 レオンは腕組みをし、顎に片手を当てる姿勢で、やや視線を下げた。

「……そうですか」

「それがどないしたん?」

「ああ、……いえ」

 やがて目を上げ、レオンはいまや自分の叔母とその夫であることの知れた隣国の王族二人を眺めやった。


「フリュスターンが現在ひとまず治まっているのであれば、それで良いかと。ここで自分がただの私怨によって蜂起などしては、また国内に内政の乱れを招くは必至でありましょう。それでだれより困るのは、市井の臣民たちでありましょうし――」

 淡々と静かな声でそう言うレオンを、雷竜王はちょっとびっくりしたような目でしばし見つめたようだった。


「ぶっは……!」

 そして次の瞬間には、噴き出した。

 それは、ひどく心楽しそうな笑いだった。

「ひゃはは、くははは……こ、こら……驚いた」


 レオンが怪訝な顔で目を上げる。

「……あの」

「は、……はは。ああ、いやいや。堪忍、堪忍……」

 ちょっと涙目になりながら、王はまだ笑いながら、半眼になったレオンに向かって、ひらひらと片手を振って見せた。

「いや〜、こら面白おもろい。その年で、真顔でそないなこと言う子、初めて見たわ」

 エドヴァルトはもう、呼吸をするのも苦しそうだ。ちょっと子供のように咳き込みさえしている。

「ワシはまあ、そんな子ぉほど、それこそ下々のみんなのためにも、ちゃんと王座に着いちゃるべきやと思うけんども。ちゅうても、無理強いはできへんしなあ、こればっかしは――」


 ティルデはティルデで、なにか眩しいものでも見るような目で、じっとレオンを見上げていた。

「驚きました……。そんなところまで、本当に兄上にそっくりでいらっしゃるのね……」

 ちょっと呆然としたようにそんな事を言っている。

 彼女の隣にいる少女も、少しぼうっとしたようにこちらを見ているように思うのは気のせいか。


(……なんなんだ。)


 そんな三人を見て、レオンはまた半眼になったが、気を取り直してさらに言った。

「それに、つい、すでに確定したかのように話をさせていただいてしまいましたが。何もまだ、自分がその『王太子殿下』であるとの確証が得られたわけでもありません。先々の判断をするには、さすがに拙速にすぎようかと」

「おお! 言う、言う――」

 エドヴァルトはもう、面白くて仕方がないといった風で、腹を抱えて大笑いである。

 レオンは多少むっとして、眉間に皺を入れた。

 いったい、さっきから何がそんなにおかしいのだろう、この男。


「ほんで? こっからはどないするん、『レオン君』?」

 目の端に涙をにじませながら、まだくつくつと笑いながらも王が水を向けてくる。

「……は。ともかくも、一旦故国に――クヴェルレーゲンに戻らせていただきます。事実関係について、父に確かめる必要もございますし」

「ふむ。ほんで?」

「必要とおっしゃるなら、結果の如何に関わらずご連絡は差し上げようと思いますが。先ほども申しましたとおり、特に風竜の国に対して自分が王位の奪還を図る等々のことは、いまのところ検討の範囲外だと思っていただければ助かります」

「は〜。なるほど……」

 エドヴァルトはぽりぽりと頬など掻きながらにこにこしているだけだった。

「まあ、返事のほうはよろしゅう頼むわ。それと、もしほんまに君が『王太子殿下』やったときには、ワシだけやのうてそっちのお国の義弟殿にも、ちゃあんとお知らせしといてな? これ、頼むわ」

「は……」


 要するに、エドヴァルトの義弟、つまり水竜王ミロスラフにも、この事実を知らせよということか。

「ワシだけがこないな大事なこと知っとって、隠しとったとか思われたら寝覚め悪いさかいにな。ミロちゃんとは末永すえなごう、仲良うしときたいよって。それだけはよろしゅうに」

「……は」

 逡巡はあったけれども、やむなくレオンは首肯した。

 歴史上、何度も婚姻を結んでこれほど強い同盟関係にある両国だ。たしかにこんな大事なことを秘匿されていたと知られるのはまずいに違いなかった。

 いやそれでもとりあえず、「いくらなんでも一国の王を『ミロちゃん』呼ばわりはやめろ」とは思ったけれども。


(……となれば、いずれは姫殿下にも……か)


 あの姫は、こんな事態を知ったら一体どんな顔をされるのだろう。

 当然、驚かれはするのだろうが。


「あ〜。心配いらんのんちゃう? 姪っ子、むしろ喜ぶと思うし」

「…………」

 レオンの心中をあっさり見透かしたかのようなエドヴァルトの台詞に、一瞬レオンは固まった。ぶくくく、と王は苦笑する。

「……いやいや。キミ、分かりやす過ぎるから。可愛ええなあもう。若いってええわあ。こんなカッコようて中身までええ男、そら姪っ子かてめろめろやわなあ――」

「…………」

 レオンは三度みたび、半眼である。


(また何を言い出してるんだ、この男。)


 ともかく、この男のペースに乗せられていても仕方がない。

 姫殿下は、急ぎ帰国の準備をされているはずだ。そろそろ向こうに戻らねば。

 そう気を取り直して、最後にこれだけレオンは言った。


「それでは、この件につきましては、できますれば今は、この場だけのこととしていただけませんでしょうか。先ほど、姫殿下も少しお疑いのご様子でしたが、飽くまでも『他人の空似だった』とのことで、この場は押し通していただければ――」

「まあ、せやね。それはワシも同感やわ。ほな、そうさして貰いまひょ」


 そんなこんなで、ようやくレオンはこの大事な、しかし重いのだか軽いのだかよくわからない話し合いの場から解放されることになったのだった。

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