雨天静香・宮の名前

 一人で旅をするようになって半年、いや一年になっただろうか。猫目が傍にいないだけで随分と行動範囲が広がるものだと思ったのが最初であり、すぐにいないことに慣れたのだが、どういうわけか静香を探り当てて再会した時、猫目の隣には少年がいた。

 槍を持っている静香に疑問の一つもなく、開口一番に。

「ちょいと用事が入ったにゃ。この子、預かっといて。宮の、これが雨のにゃ」

「おい猫の、なんだそれは」

 言葉に対しての疑問だったが、どうやら少年のことだと思ったらしく、彼女は。

「お宮の前で拾った子にゃ。あー、名前ないにゃ、つけとくにゃ。頼むにゃー」

 急いでいるのか、それとも言及が面倒だったのか――おそらく後者だ――言うだけ言って、猫目は少年を置いてとっとと姿をくらました。

「ったく、子育ての経験はねェぞ」

「……あんたに育てて欲しいとも思ってない」

「おゥ、そんくらいの気持ちがありゃァ問題ねェ。俺ァここの先にある家に用がある、とりあえずはそっちが優先だ」

「わかった」

 どうしてこんなガキを猫目は拾ったのかと考えてみるが、気にする方が面倒だ。適当に合わせておけば良いだろう。

「猫目は糸だった。雨のは槍か?」

「ん? なんだ、興味があんのかよゥ」

「おれは妖魔と過ごしてきた。それが人の持つ技ならば、興味を持つ」

「……だったら、お前はその手に何を持つ?」

 問いながら、視線を向ければ、宮のは両手を広げて視線を落とした。

「わからん……」

「そりゃ、俺が選んでもいいッてことかよゥ」

「選ぶ?」

「子育てはしたことがねェ――だが、武術なら多少は教えることもできらァな。見よう見真似、糸は軽く遊べるようじゃねェか」

「猫目と遊んでいたからな」

「だから、お前ェは小太刀を握れ」

「――小太刀、か」

「おゥ、小太刀二刀よゥ。町に行った時に買ってやらァな」

「二刀? 何故だ?」

「そのうちわからァ」

 そのうちっていつだと問われるが、無視して足を進めた。いちいち説明してやるのも面倒だったのだ。

「どこへ行くんだ?」

「近くに拝み屋がいるッて話だからなァ」

「なんだそれ」

「行けばわかるだろうがよゥ」

 ――その屋敷は、人里からやや離れた場所に鎮座していた。

 垣根で周囲を覆っており、最低限の手入れはしているようだが自然任せだ。

「なんだ……?」

「へェ、気付くかよ」

「何かあるのか?」

「さァな。少なくとも騙りじゃァねェ、なかなかやる。ちょいと情報集めの気分だったが、悪くはねェ」

 静香には一体何が見えているのか、彼にはわからない。だからこそ、未だに玄関へと足を向けないことも、わからなかった。

「そのうち慣れらァな。いや慣れるほど俺が面倒見なくっちゃいけねェのか……?」

「知らん」

「小生意気なガキだ」

 ようやく、玄関が開いて女性が姿を見せた。一礼をして、ゆっくりとこちらに近づいて来る。

「いらっしゃいませ、お客様」

「へェ――シキか。大事にされてんなァ」

「こちらを」

「おゥ」

 差し出された袋を受け取り、抜き身の槍を入れて口を縛る。女性の案内に従って中に入れば、来客を想定した玄関は広く、そこから中に入れば大きな広間があった。

 庭側は全て開け放たれており、解放感がある。その中央付近の座にて、微笑みを浮かべた男性が待っていた。

「いらっしゃい、お客人。慌てていくつか布陣しましたが、どうかお目こぼしを」

「ことを荒立てたりはしねェよ、拝み屋」

「どうぞ、そちらにお座りください」

「ところで、この小僧をどう見る?」

「――そうですね、私にはやや冷たく見えます」

「おい宮の、お前ェさん冷やっこいッてよ」

「……ん? なにか言ったか、雨の」

「よし、お前ェこれからひやと名乗れ」

「構わないが」

 言われた通り腰を下ろすが、少年――冷は、立ったままだ。

 先ほどとは違う女性がお茶を運んでくるが、書見台しょみだいを前にして男は微笑んだままである。

「ああ――俺ァ雨天しずかだ」

「真名ではないようですね。さすが、弁えていらっしゃる。私は数知かずちと申します」

「ほう、数を知るか。先のは椿、こちらは柳か」

「あなたほどの水気を持つ方を前にして、最低限は。一体どれほどの妖魔かと疑いもしました」

「百の眼の領域はこっから近いか?」

「いえ――そうは聞いておりません」

「ふうん? あァ、ちょいと聞きたいンだが、ここらに〝学者先生〟がいるッて話を聞いたンだけどよゥ、お前ェさん、知ってるか?」

「学者、ですか」

「俺よりも二十は上のはずだから、高齢のはずだ。名前は知らねェが、それなりに名は売れてるンじゃねェのか。若けェ頃はあちこち出歩いてたッて話だ」

「ああ、この近辺では有名な方ですよ。相談役として、よく人が集まっています」

「ありがとよ。なんか俺に質問はあるか?」

「武術家のようですが、術式にも覚えがあるのですね」

「対妖魔戦闘の初歩だろ。お前ェさんみてェに、在り様を〝白色〟にするなんてなァ、面倒だからしねェがな」

 何色にも染まるからこその、白色。平常心を保ち、どちらに揺れることもない。対妖魔への態度としては、ごくごく自然なものだ。

「術比べをしようッてほどじゃねェけどなァ」

「それは私の方から、遠慮させていただきます。しかし――そちらの方は、何か、残滓がありますね」

「……俺か? たぶん猫のだ」

「妖魔に拾われたからなァ、そりゃ多少の影響は受けてるだろ」

「ああ、それで……この屋敷にも、幾人か訪れたことがありますよ。困ったものです。敵意がないだけ、ありがたいですが」

「ここらの地鎮じちんしてンのは、お前ェさんか」

「――気付かれましたか」

「請われてやってンのかい?」

「この屋敷を囲うついで、ですよ。町の方はよほどのことがない限り、この幽霊屋敷などには近寄らないでしょう。そもそも離れていますからね」

「いつの世も、実力者は異端だなァ」

「はは、どうでしょうか。私はあなたほど様変わりしているとは、思えませんけれど」

「言うねェ」

「そんな槍を、平然と担えることだけでも相当なものでしょう」

「ほかのヤツがいねェから、仕方なく俺が持ってやってンだよ。――で? まァたお前ェさん、あれだろ、一夜いちやに俺が来ることを聞いてたンじゃねェのか?」

「……はは。ええ、氷屋の主人とは昔から懇意にしていまして、話のついでに。強い水気を感じたら、迷わず追い返した方が良いと」

「あの野郎なァ……」

「――百の眼殿に、挑みますか」

「挑むだァ? 遊んでやるだけだぜ」

「あなたとは〝合い〟そうですよ」

「……そろそろ、やるかねェ」

 顎を撫でながら、思案するような顔を見せるが、しかし。

「つっても、冷を連れ歩くわけにはいかねェなァ」

「……」

「あんまり時間置いて、俺がくたばっちまっても、詰まらん幕切れだしなァ」

「――あなたが? くたばると?」

「老衰ッてなァ、人の理よ」

「なるほど、確かにそうですが、あなたは人の理で生きるには、やや踏み外されていると私はお見受けします」

「どうだかねェ……」

「この近辺には、あまり武術家はいませんが」

「そりゃお前ェさんがいるなら必要ねェだろうがよゥ」

「過大評価ですよ」

 正当なその評価を、男は苦笑して受け流した。

「まァいい、ちょいと休ませてもらうが――ここらに、腕の良い鍛冶屋はあるかよゥ」

「鍛冶、ですか」

「おゥ――小太刀を二本ほど、こしらえてェからな」


 学者の屋敷は、街の中にあった。

 ご意見番とでも言えばいいのか、住人たちからの評判もすこぶる良く、また旅人も立ち寄ることが多いらしい。

 鍛冶屋に小太刀と飛針とばりを注文した静香とひやはその足で屋敷に向かえば、入り口は待合室となっていた。

「――はい、いらっしゃいまし」

「女中さんかい」

「え、ええ、そうでございます」

「来客中に悪いが、学者先生にこう伝えてくれ。――邪魔をしに来た。残念ながら今日は雨だよゥッてなァ」

「はあ……失礼、では少しお待ちくださいませ」

「おゥ」

 当人確認でも符丁でもない。かつてはそう言って、調査の邪魔をしたものだ。事実、静香が動けば雨を呼ぶこともできる。

 椅子に腰を下ろすまでもなく、すぐに奥から足音が聞こえたかと思えば、杖を片手に持った老人が、ぬっと顔を出し、すぐにそれを笑みへと変えた。

「おお雨の! やはりお主だったか!」

「よゥ、学者先生。なんだァ、随分と老けちまッたなァ。杖なんか持っちまってよゥ」

「言うではないか。お主こそ、子連れか?」

「まさか、冗談じゃねェ。知り合いが遊びに行くッて俺に預けて行きやがったンだ」

「ほう、そちらの小僧には悪いが、雨のにとってはわざわいか」

 聞いて、そいつァ良いと、静香は笑う。

「冷――お前ェの名前が決まったぜ」

「なんだ」

「今日からお前ェは、都鳥かがみ冷禍れいかだ。普段は都鳥冷を名乗れ」

「――わかった」

真名しんめいの扱いにゃ気をつけるンだなァ。で、学者先生よゥ、話す時間はあるのか?」

「おう、構わんとも。上がれ上がれ、今日の来客はお前さんでしまいよ」

 そうかいと、後ろについて行けば、座敷があって。

「――やあ、静」

 そこに。

「お前ェさんが先客かよゥ」

 姫琴ひめこと一夜いちやが、座って待っていた。

「ほれ」

「おっと。……はは、槍はもういいのかい?」

「まァな」

 上座に男が座ったので、一夜の隣に静香は腰を下ろす。冷は少し離れた場所に立ったままだ。そちらの方が落ち着くのだろう。

「――しかし、ようやく重い腰を上げて山を出たのか、雨の。言っておくが、一夜さんからは何も聞いておらん。私があちこちを出歩いていた際に、随分と世話になった知り合いだ」

 そう言われ、はてと、首を傾げて腕を組んだ。

「猫のと二年はあちこち行って、離れて一年くれェだから、まだ三年か。冷を仕込むのに一年――それからだなァ」

「それから、妖魔の領域に向かうのか。いいなあ、雨の。私もそっちまで足を伸ばしてみたかったなあ……」

「あちこち出歩いて、書をしたためて、お前ェさんも好きだなァ、学者先生よゥ」

「もちろん、それが私の人生だ」

「言い切れるところが先生らしい」

「ところで、一夜さんは雨のとは?」

「今ではどういうわけか、得物の保管庫扱いだ」

「槍、刀、薙刀に扇、小太刀。ここ三年でよく集まったもんだなァ」

「俺も最初は面白がって情報を集めもしたけれど、さすがに邪魔になってきたよ雨の」

「商売の邪魔になっちまうかよゥ……俺が持ち運ぶわけにもいかねェンだけどな。しばらくは頼むぜ一夜」

「またそれか……わかった、諦めるよ。しかし宮の、――今は冷か。猫のは?」

「知らん。昔馴染みと遊ぶと言っていた」

「ああ、それは二、三年は戻って来ないな」

「一夜、知ってンのかよゥ」

「海を渡った先にある暗黒大陸だ。あそこには人がいない。王が一人、蛇が一匹、猫がにゃあだ」

 最後の一つがよくわからないが、だいたい意味は通じた。

「人はいねェのかよゥ」

「いないというより、生活ができないんだ。環境が適していないから、渡航しても開発もできず、いや、何もできない。つまり彼らだけの遊び場だ、百の眼がまだ産まれてもない頃からね」

「……そいつァ一番最後だなァ。ああ冷、猫のじゃねェよ、王様とやらだ」

「なんで猫のとやらないんだ?」

「それをやっちまったらお前ェよゥ――百の眼とやり合う楽しみが減っちまうだろうが」

「そんなものか」

「わかってねェなァ……で、学者先生は隠居かよ。ははは、本当に似合わねェなァ」

「残念ながら、私にも年齢には勝てん」

「まったくらしくねェ」

「お主と一緒にせんでもらおう」

 ――だが。

 雨天静香だとて、時間の経過と共に齢を重ねることになる。

 思うのは、時期だ。

 いつならば、良いのか。

 自分にとって、最盛期は、いつなのか――そんなことを考える。

 そして、答えはいつも同じだ。

 やってみなくちゃァ、わからねェだろうがよゥ、なんて、笑いながら言うのだ。


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