雨天静香・無手の武術
はっきりと内心を
そもそも現在の世界において、武術家とは得物ありきで語られることがほとんどであることは、一時期話をした学者や、ここ一ヶ月ほどの旅で知っていたからだ。そして、それ自体は間違いではないのである。
たとえば槍を持っている相手に、無手で挑むには、間合いの内側に入らなくてはならない。逆に言えば、槍を持つ相手から見れば、間合いだけを
それはともかくとして。
「猫の、妖魔側は今どうなってンだ?」
「うん? 気になるのかにゃ?」
「そりゃァな。そもそも武術なんてェのは、対妖魔戦闘が前提だろうがよゥ」
「それもそうにゃ。んー、あっしも最近は顔を出してにゃいけど、まだ百の眼の小娘と、狐の小娘が台頭してるんじゃにゃいかにゃ」
「二大勢力でお遊びかよゥ」
「あんなのは暇潰しにゃ」
「待ってるンだろ、俺みてェな馬鹿をよゥ」
「……なんでそう思うにゃ?」
「思うも何も、ガキの頃から早く来いッてガキみてェな声を昔ッから聞いてたからなァ」
「聞いてた?」
「誰の声かも知れんけどなァ」
「そんなこともあるんだにゃ」
いいんじゃにゃい、なんて気楽に言いながらも、歩きながらずっと猫目は糸細工を練習している。まだ座布団まで至っていないが、数日ではそんなものだ。あっさり習得されても困る。
「人里にもちったァ情報落ちてンのかよゥ」
「どうかにゃー。あんまし関わらない態度のとこばっかだからにゃあ」
「対妖魔戦闘をする武術家ッてのも、いるんじゃねェのか」
「あー、たまにいるにゃ。まだ生き残ってるのもいるって話がたまにでるけどにゃあ……」
「そういう輩に逢うのも楽しみだ。それで猫の、ちゃんと案内してるンだろうな」
「もうすぐにゃー。ほら見るにゃ、あの石段の上にゃ」
急ぐ旅でもなし、目的地を目指しているのならば構わないがと、森を抜けるようにしてその石段へ。
「随分と
「どうかねェ」
一歩、石段に足を乗せた静香は、小さく見える鳥居に向けて足を進める。
「なかなか、面白い連中が来ていやがるじゃねェか。刀、槍、斧、階段を戦闘の場にしちまうくらいには、腕が立つッてなァ」
であるのならば。
この上で待っている者の腕前も、想像できる。
「嬉しそうに笑うにゃあ……」
「そうか? ははッ、どうだかねェ。――おっと、こっちの存在に気付きやがった。こりゃァいいなァ、おい」
痕跡だけで実力を推測しながら、斜めに切断痕をつけながらも、形を維持した鳥居を、あえて横から迂回するよう抜けて。
綺麗な石畳が敷き詰められた場にて、袴装束の男が待っていた。
「よゥ」
鳥居を見上げる猫目を置き、軽い足取りで静香は近づいた。お互いに無手、距離を空けて立ち止まれば相手の〝若さ〟もわかる。
いや――若いとはいえ。
「三十路ッてところか。俺ァ雨天だ。お前ェさんは?」
「――
「何を求め来た」
「お前ェさんとの腕試しよゥ。どうだ、俺と一勝負してみねェか。言っちゃァ何だが、俺ァそれなりにやる。だが経験が足りてねェ――そこで、お前ェさんよ」
「実力を計りに来たか」
「
「いいだろう。言の葉よりも、その方が早い」
「そうかい」
ならやろうかと、お互いに構えもせずに自然体で一歩ずつ間合いを詰めた。
先手は神鳳だ。右の足が消えたかと思った時には、静香は左腕で防御して受け、そのままふくらはぎへ向かう右足も、受ける。
――たった、それだけの攻防。
弾かれるよう間合いを外したのは、神鳳だった。
「……体重を乗せねェ速度重視の蹴りを二発、簡単な
「よくわかるにゃあ……」
頭の後ろで手を組み、呑気に言う猫目のことは無視しておく。
「どうした、
意地の悪い挑発だ。何しろ今の当身を受けた時、静香は右側の手と足で掴みへ移行するだろう神鳳の機先を、きちんと封じていた上での物言いである。
「なァに、命を取りに来たわけじゃねェから、安心しとけよゥ」
「……」
深呼吸を一度。
「――俺の本分を、そう簡単に決めつけられても、困るのでな」
今度は、神鳳が拳を握って踏み込みがきた。それを、静香は嬉しそうに〝受け〟に回る。
打撃戦だ。
受け、流しを主体にして速さを重視した攻撃を捌き、守り、その中に混じった重い一撃も受ける。
――痛い。
それが久しぶりに感じる、静香にとっての戦闘の実感であり、それすらも嬉しく感じた。
相手がいるのだ。
今までの二人とは違う、武術家の相手が、ここに在る。
躰が温まった時点で、半歩の踏み込みを行えば、やはり神鳳は素早く間合いを取った。
「……、ちと、足りねェな」
自然体に戻った静香は、がりがりと頭を搔く。
「寝技はまだ今度だ、鳳の」
「――なに?」
「〝
「……、いいだろう……」
何故ならば、静香が今まで受けに回っていたのだ。そのくらいの対価は支払ってもいい。
「基本四種だ、受けて覚えろ。まずは――〝
ここにきて初めて、静香は拳を握り、距離を空けたまま腕を突き出した。その動きに連動するかのよう、空気が揺らぎ、それに何を感じ取ったか、躰を硬くするよう身構え、その衝撃を身に受けた。
「――っ」
奥歯を噛みしめ、やや前傾姿勢になるよう飛ばされるのだけは堪えた。一瞬でも反応が遅れていたら、立ち上がるのも困難だったろう。
「障害物の〝向こう側〟に徹す。それから――〝
同じ動きでありながら、今度は空気が強く弾かれるような音が響いた。
「目の前と向こう側、同時に貫く。最後に――〝
一瞬、静香の姿が消えた。
目が霞んだわけではないと理解できたのは、目の前に出現し、既に突き出した拳がこちらの腹部にぴたりと当てられていたのが、間違いなく捉えられたからで。
「堪えろよゥ」
言葉と共に腕が引かれ、遅く、内側で弾けるような力が発生した。
「ぐっ、――!」
奥歯を噛みしめ耐えるが、内臓が捻じれるような衝撃に喉から血が逆流する。ぐるりと世界が回ったような眩暈を、ぎりぎりの領域で堪え、だが。
「がはっ、げほ、――、は、は」
吐血して、両手を膝に乗せるようにして、それでも、倒れるのだけはどうにか防いだ。
「衝撃を指定場所に包み、弾かせる。今までお前ェさんが使ってた暴を含め、これが基本四種と云う」
静香は顎を撫でるように様子を見て、口の端を歪めた。
「俺ァしばらく、近くの町にでも顔を出す。お前ェさん、しばらく見てやっから、覚えろよゥ。そうすりゃァ楽しめる」
「は――、……お前は、何者だ」
「俺ァ雨天よ。そして、雨天とは武術家よ」
一歩、距離を開けて、次の一歩で背中を見せ、ふわりと舞うような回し蹴りを一度。
「――にゃ?」
ぽんと、猫目の首が切断されて飛んだ。
「んにゃあ⁉」
何事かと、慌てた胴体が空中の首を掴み、元の位置に押し付けるようにして戻す。ただの物理攻撃だ、妖魔に対しては効果など、ほとんどない。
「にゃ、にゃ、にゃにするにゃ雨の!」
「見たかよゥ、鳳の。今のが俺の〝刀〟よ」
「――……あれはいいのか」
「あいつァ頑丈だからよゥ」
「冗談じゃにゃいにゃ! あっしだって痛いもんは痛いにゃよ⁉ 喧嘩売ってんのかにゃ!」
「なんだァ――こらえ性がねェなァ。やるか、猫の」
「うぬっ、にゃっ、――次はやるにゃよ⁉」
「おゥ、考えておくかねェ」
根性がないのか、それとも判断が良いのか。いずれにせよ、どちらでもいい。
「四種たァ基本よ。槍でも、刀でも、拳でも扱えて〝当然〟だ。俺ァよ、鳳の。得物がねェからッて、何もできねェ間抜けにゃ武術家を名乗る資格はねェと思ってる。得物たァ得意な物だ。不得手ッてのは、扱えないのとは違ェだろうがよゥ」
神鳳は、袖で口の端を拭い、痛む躰のまま、それでもどうにか直立した。
「指導、痛み入る」
「あっしは痛いにゃ」
「茶茶入れるンじゃねェよ、猫の」
「首切られたんはあっしにゃ! とんだとばっちりだったにゃ!」
熱い吐息を落とし、痛みが引くのを待ちながら、どうにか神鳳は腕を組む。
「妖魔と旅か――物好きだな、雨の」
「お前ェさんに言われたかねェよゥ」
「まったくだにゃ。というか気付いてにゃいのか、鳳の」
「……?」
「お前ェさんよゥ……ちッたァ周りに目ェ向けろ。そんだけ〝加護〟貰っといて、知らねェじゃァ、報われねェよゥ」
どれほどの戦闘の痕跡があろうとも、この場を守る気配は強く、そして、邪気がない。
「瞑想をする時、感覚を中から外へ強く向けてみろ。この様子じゃァ、半月やそこらで成りはしねェか……おゥ、鳳の。一年か、十年かはわからねェが、生きてりゃまたツラを見せる。そン時までにせいぜい、精進しとけよゥ」
「――ああ、そうしよう。俺としては生きている方を望む」
「そう簡単にくたばりはしねェよ」
「雨の」
まだ、呼吸が熱いのを意識しながらも、彼は問う。
「お前は何を目指す?」
「腕試しが当面の目的だ――が、まァそれが済んだら、ついでに、ガキみてェな妖魔を、ちょいと潰してやる。そっから先は、さァて、どうしたもんかなァ」
「――」
それは。
「百の眼と、尾持ち――どちらだ」
「おかしなことを言うンだなァ」
誤魔化しでも、何でもなく、静香は頭を搔いて。
「二人いるンなら、二度楽しめる。そういうことだろうがよゥ」
本気で、そんなことを言うのだ。
「……呆れた。お前は狂っている」
「お前ェさんは違うッてのかよ?」
「――まさか」
神鳳は笑う。
嗤う。
「武術に身を委ねた時点で、俺も狂いよ。お前がやるのならば、邪魔はできそうにないと――落胆したくらいにはな」
「ははッ、違いねェ。じゃァな鳳の、生きろよ」
「ああ」
種まきはこのくらいだ。
さあて、また呑気な旅の始まりだ――が。
「ところで猫の。お前ェ、まだついて来るのかよゥ」
「うっさいにゃ!」
尻を蹴られたが、大した力も入っておらず、静香が階段を転げ落ちる結果にはならなかった。
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