雨天静香・呼び声に応えて
妖魔が陣地を取り合うことが、あまりにも日常的になり過ぎた時代――。
広い大陸の中、人人は固まって生活をすることが多くなった。人間の天敵である妖魔は、人に害を成す存在として認識されながらも、人の集落そのものに手を出さないことが知れ渡り、ひっそりと生き残り続けて。
やがて、対妖魔戦闘を念頭にして自己研鑽を始めた。
それが呪術であり、それを活用できる武術の発祥である。
だが、人は臆病であり、慎重であるがゆえに、決して、大部隊を率いての妖魔討伐などは行わず、人は人の領域を守り続けた。
そう、基本的には攻めるのではなく、守る。であればこそ、町や集落を守るために武術家が、あるいはその道場が存在するようになった。
良かった点は、もともと小規模の町が連なっていたことだろう。大きくなればなるほど、道場の数は増え、その差異によって派閥が組まれ、人同士で争うことになる。もちろん、そういう場所もあった。あったが、それを収めるのもまた、旅の武術家であるのならば、上手くやっていたのだろう。
――不思議と。
人と妖魔の敵対構造が作られるのは、実に少なく、領地の差こそあれど、本当に上手くやっていた。我関せず、とは言わずとも、お互いの〝領分〟を弁えていたように思う。
妖魔は、妖魔同士で争うことを、好んでいた。
何故?
単純だ、いや、自明の理だ。
高位妖魔に〝対する〟ことができる人間など、存在しなかったからだ。
吹けば飛ぶ、その文字通り、弱い人間など相手にすらしていなかったのである。
無視――していたのだ。
ただ、踏みつぶさない配慮だけして、放置していた。
しかし――。
世界を二分すると言われる妖魔、百の眼を持つ女と、九本の尾を持つ狐は、お互いに暇を潰し合うよう闘争を行いながら、ずっと、ずっと、待っていた。
天敵であればこそ。
――早く、人が成長しないか、と。
まるで新しい玩具ができあがるのを、今か今かと待ちわびる子供のような気持ち。
それを。
彼は、昔から知っていた。
聞こえていたからだ、早うせいと、笑いながら焦がれる声が。
「急かすなよゥ……」
ゆっくりと躰を起こし、頭を搔いて吐息を落とす。
「人の一生なンてモンは、短ェンだから」
撫でつけるよう掌を頭に乗せれば、少し顔を見せるくらいの髪の短さ。その色は黒ばかりではなく、白髪が見える――。
寝床にしている空間から、雨避けの草をどけるようにして外へ出て、近くにある池の水を使って顔を洗う。面倒だったので頭ごと突っ込んで、髪も軽く洗っておく。
「五十二かァ……」
その時間を、この場所で過ごしてきた。
否――違うか。
費やしてきたと、云うべきだ。
人生を費やしたのだ。
武術と、そう呼ばれるものに。
顔を洗った彼は立ち上がるが、とてもではないが人が住めるような場所ではない。近くに集落こそあれど、視界の中には入らず、いかにも妖魔が好みそうな廃屋があり、そもそも生活感がまったく感じられない。
それこそ、足跡一つとして、残されていないのだ。
――だが。
継ぎ目は割れ、穴が空き、そこをツルが埋めるような廃屋に入れば、中の掃除はきちんとされており、汚れは見当たらない。そして同時に、使い込まれていた。
それもそうだろう、彼にとってこの場所だけが、今までずっと〝必要〟だったものだから。
きしり、と床板が軋む。否、軋ませた。考えてみれば五十年もの間、よくここまで残ったものだと思う。丁寧に使ってはいたが、彼はそもそも大工ではない。修繕技術すら曖昧なままなのだ、大きな問題が発生せずに済んだことを喜ぶべきだろう。
だがそれでも、傷はできる。ここで鍛錬を続けてきたのならば必然だ。
――唯一。
一つの傷も許されない、かつてと変わらない大きな一枚板が、入り口付近の壁に吊るされており、彼もまたずっと、そこに記された文字を見てきた。
ずっとだ。
五十二年、ずっとこれを見て己を鍛えてきた。
〝
その文字を、彼は己に刻んだ。
「雨の
彼は。
ここにはもう、先代がいない。
希望は古くからあったと聞いている。だが、そこに至った者はいなかった。
考えてみれば、理想ばかりが高い。全ての得物を扱うことができる武術家、それでいて一つしか使わない武術家を凌駕しようなどと、努力ばかりで埋めることはできないのだと、子供だとてわかる話だ。
そこで、静香が誕生した。
鬼才、そう端的に称された静香は十一歳、教えることはないと先代は去り、そこから未知の領域は己の手で探ってきた。
更に四十年――そろそろ、いいだろうと決意を抱く。
決意と云えば良く聞こえるかもしれないが、実際には時間の問題だ。鍛錬においての成熟具合など、それこそ使ってみなくてはわからない。対人戦闘、対妖魔戦闘、いずれにせよ〝相手〟がいる状況が、今までの静香にはほとんどなかった。
通用するか否か。
己の〝程度〟を知らなくてはならない。
もしも駄目だったら?
その時は、笑いながら言えばいい。
――俺じゃァ駄目だったなァ、と。
「だが、次はいらねェよゥ」
ありがとうなと、最後の言葉を残して廃屋を出た静香は、右の拳を側面に軽く叩きつける。たったそれだけで、道場と呼ばれていた場所はがらがらと崩れた。
後戻りはできない?
仮にそんなことを問う者がいたのならば、静香は笑うだろう。目が前を見ていて、足は前へ進むのだから、後ろに戻るッてのはどういうことだよゥ、なんておどけるかもしれない。
それを、楽観的と呼ぶのも間違いではないのだろう。
そのまま土地を後にして、山道を抜けるのに数分、近場の町が見えてきた。あるのは知っていた町だが、今まで関わりは持っていない。
であるからこそ、楽しみだった。
行商が歩いて来たので道を譲り、手ぶらのままのんびりと町に入れば、活気とも呼べる人の気配に口元が緩む。
そこへ。
「――やあ」
露天商なのだろう、大きな荷車に白色の布をかけた店舗を持った男が、自前の椅子に腰かけながら、日除けの笠を持ち上げるようにして声をかけてきた。
この場合、静香に無視するなんて選択はない。何故ならば、全てが新鮮なのだから。
「おゥ」
「久しぶりだね」
「ん?」
「いや失礼、初めましてかもしれない。空白が多ければ多いほど、時間が長ければ長いほど、記憶は劣化し、やがて崩れ、それすらも砂となって風に舞う。それを消えたと表現するんだろうが、どちらでも同じことか。いやすまない、詮無いことを言ったようだ」
「言ってるこたァよくわかンねェなァ」
「はは、俺もよくわかってない。で、一つどうだ? 安くするよ」
「なにを売って――ああ、
「俺は氷売りだよ、暑くても寒くてもね。しかし、金子がないとこの先は辛いだろう。宿はともかくも、せめてその服はどうにかした方がいいし、食事の〝楽しさ〟は覚えておいて損がない」
「……飯は、美味いのか?」
「さあて、町によってそれぞれ違うし、個人の嗜好もある。だからこその楽しみだ。見えている結果を追い求めるよりはいい」
「ははは、面白ェことを言う野郎だ」
見た目はまだ若いのに、随分と落ち着いている。きっちりとした服装から武術を嗜んでいないことはわかるし、行商だとわからない場で逢ったら、どこぞの学者と勘違いしそうな風貌である。
対して静香はというと、ほつれこそないものの、ややみっともない服装である。
「確かに、ずいぶんと
「呉服屋なら――おっと、先に金子の調達が先か。あははは」
「金を稼ぐなんてェのは、俺にゃ考えもつかないくらい難しいことだよゥ」
「得意なもので、それが金子に繋がれば、それほど良いことはないけれどね」
「
「
「そうかい、俺ァ初めてだ。……あァ、
「ああ、大きな規模でやっているよ。いやこの表現も的確ではないか」
そうだなと、一夜は笠の下で意地悪く微笑む。
「上手く儲けている。といっても、どこの道場だって無償でやっていけるわけじゃない。門下生を集め、月謝を貰い、生計を立てるのが一般的だ」
「そいつァ……どうなんだよゥ?」
「一定の実力がなければ破綻は必然、となれば大きくやっていけるのならば、それが裏打ちになる。けれど出る杭は打たれるものだ。長く道場にいるとは思えない」
「まるで俺が何をしようとしてるのか、わかってるような口調だなァ」
「これでも商人だ、人を見る目はあるよ」
「そういうことでいいか」
いずれにせよ、一度はやってみなくてはならない。
「――どうだろう、俺に一枚噛ませてくれないか」
「ン?」
「俺はこの町の道場へ赴き、朝方に荷卸しを済ませたばかり。お得意様というわけじゃないけれど、よく買ってくれる金払いの良い客だ。しかし、俺も足元を見られるのは好きじゃない」
「つまり、俺を〝使おう〟ッてことか?」
「ありていに言えば、そうだ。一応、旅の武術家が道場に顔を見せる場合は、道場破りに近い扱いになる。その流れで、この町の道場が本当に潰れてしまっても、困る人は多い。仲介の役目にもなるし、説得材料は揃っている。――静香が圧倒する前提だけれど?」
「はは、言うねェ……まァやれるだけは、やるつもりだけどよゥ」
「その結果次第では、俺が報酬を支払うよ。今回限りの話としておくけれど、当面の生活を楽しめるくらいは渡すつもりだ。氷の商売ってのは、それなりの儲けが出るから、期待してくれてもいい」
「へェ、そんなモンか。まァいい、俺としちゃァ道場で相手を見られるだけで充分だからなァ」
「じゃあ行こうか」
「このままでいいのかよゥ」
「実は、――氷は売り切れていてね」
「最初から売りモンなしで、俺に声をかけたのかよゥ、お前ェさん……」
「行商をしている時の楽しみは、客よりもこうして人と逢う時だからね」
立ち上がった一夜は、椅子をしまうと、笠を荷車の取っ手に置いて歩き始めた。その後ろを、数歩の距離を空けて静香がついて行く。
「道場の事前情報はいるか?」
「おゥ、話したッて構いやしねェよゥ」
「すぐに気付くけれど、ここの道場は槍を教えている。どの町にも道場は一つだから、得物の種類もそう多くはないし、そうでない者は旅人だと窺える」
「俺ァ得物を持っちゃいねェが、一夜、お前ェさんはどう見てンだ?」
肩越しに振り向いた顔には、苦笑のような表情。
「静自身が得物ならば、わざわざ何かを持つ必要はないだろう」
「お、わかるのか」
「これでも、本当にいろんな人を見てきたからね。だが、静のような人間は初めてだった。本当はね静、君が戦っているところを見てみたい、そういう気持ちもある。どうなんだろうと思うよ、それも楽しみだ」
「観察眼、か。それとも消去法ッてやつか?」
「どちらも。あるいは、どちらでも」
「……お前ェさんみてェなのを、食えねェヤツと云うンだろうなァ」
「あははは、違いない」
だが、小気味良い。騙し、裏切り、そういう負の感情が見当たらず、そして静花を使うと云ったが、取引や条件などといった申し出とは違う。
対等であり、均等だ。
金子のやり取りと同じである。行動には対価を、そうした思考だろう。
文字の読み書きは幼少期に覚えていたし、十年かそこら前には学者先生があの山を調査に来ており、それなりに親しくしたため、最低限の教養を静香も得ている。そうでなくては話すこともままならない。
武術だけに没頭できる世界など、ありはしないのだ。
そして、あったとしても、そんな世界を理想だとは思わないのが、静香と云う男である。
「お……えらくでけェじゃねェかよゥ」
「繁盛してる証左だ。しばらくはこっちに任せてもらうよ」
「おゥ」
道場の中には門下生だろうか、槍を持って鍛錬をしている人が十数人ほどいた。それだけの人数がいながらも、狭いと感じないのだから、やはり大きい。
錬度は? どうなんだ?
「やあ出雲」
「一夜さん? これはまた、今朝がたに来たばかりではありませんか――」
おそらくは静香と同じくらいの年齢か、あるいは上と云った風貌の男が、座布団の上に正座をして道場の隅にいたが、声をかければ傍にあった座布団を出す。静かに、対面の位置に腰を下ろした一夜を見ながら、静香は腕を組んで鍛錬の様子を見る。
「どのようなご用件でしょう」
「こちらの方は旅の者なんだけれど、直截すると一戦交えたいとのこと。それで俺が仲介として名乗り出たんだよ」
「仲介?」
「正面からでは道場破りだ。彼が違うと言っても、そうは受け取れない。しかしそれは困る」
「はて……一夜さんが困るようなことが、おありか?」
「本当に潰されてしまっては困る。町が成り立たなくなってしまうからね」
「ほう。この御仁はそれほど腕が立つと?」
「俺が見る限りは。だから親善試合としてもらいたい。そのための仲介だ。どうだろう出雲、ここのところ他門試合もないと聞いているよ」
「どれ……そちらの御仁」
「ん? おゥ、雨天静だ」
「藤崎出雲です。熱心に見ておられるようですが、何かございますか」
「お前ェさんもそうだが、えらく綺麗な服を着てるなァ」
「はは、これは手厳しい」
「あァ?」
「服が草臥れるほどの鍛錬はしていないと、そう言ったんじゃなかったのかな」
「そンなこたァ気にしちゃいねェよゥ。ちょいと前に、一夜と服の話をしたモンだから、つい目が行っちまってただけだ。相手をしてくれンのはお前ェさんか? それとも、そっちの指導してるヤツか?」
「ははは、――息子では至らないでしょうが、現実的に私は身を退いておりますからな」
「そいつが言い訳でいいのかよゥ」
「立場と云うのは厄介でしてな、さすがに私はできないと、そんなことを口にするわけにはいかないのですよ」
「そりゃァ残念だなァ」
「――
出雲が声をかければ、鍛錬が中断される。小さく一夜が頷いたので、ここからは俺の番かと静香は道場の中央へ進む――が、その途中に。
「おい、そこの小僧」
「……は、私でありますか?」
「おゥ、良かったらその槍を俺に貸しちゃァくれねェか。壊したりはしねェよゥ」
「鍛錬用でもよろしいのですか」
「槍は槍だ、区別なんか必要ねェよゥ。
「どうぞ」
差し出された槍を受け取って、対峙して。
「さァて若造、どんなモンかねェ」
「父上、合図を」
無駄話は嫌いなのかと、静香は苦笑して合図を待つ。
「では、――始めなさい!」
天を向いていた槍の穂先を突き付けられれば、静香は堪えきれないとばかりに笑みを浮かべた。
そうだ、この感覚だ。
目の前に〝相手〟がいる――これをずっと、まだだと耐えながらも、待ち望んできた。
だが、観客もいる。警戒はしないが、脅かすのも悪い。
槍を肩に乗せたままだったのが気に食わなかったのか、高正からの攻撃がきた。牽制にも似た三連続の突き。思っていたよりも〝速い〟が、
しかし、今まで相手がいなかったからこそ、静香にとっての課題はそこだ。できる限りのことはしてきたが、実戦に勝るものはない。
そしてどうやら。
思っていたよりも静香は、できあがっていたらしい。
さてと構えを取る。
瞬間的に立ち上がろうとした出雲を、一夜が制した。
右手は柄尻に近い位置、左手を前にして左半身、その時点で槍の穂先がぴたりと、高正の喉元で停止する。相手の踏み込みの動きに〝合わせ〟を行った結果である。
だがそれだけで、高正は動きを封じられた。
致命的だ。実戦ならばこの瞬間に〝死〟がある。
これは試合だと、高正は槍の腹を使い、逸らすようにしつつも踏み込みを入れた。
やはり、そこでぴたりと止まる。高正の槍は静香の肩横から後ろに抜けており、しかし、同じ長さであるはずの静香の槍は、喉元を定位置にして動いていないのだ。
何故。
槍の握り位置を見ればわかる。静香は中央付近に握りを変えているだけ。
息を呑んだ高正は、渋面をした後に、力を抜くようにして槍の切っ先を床へ向けた。
「おゥ、こんくれェにしとくかよゥ」
槍を引けば、一歩だけ下がった高正は無言のまま、一礼をした。静香はすぐに背を向け、槍を門下生に返した。
「ありがとよゥ。邪魔したなァ」
もう充分だと外へ向かえば、一夜も察して出てきた。
「もう?」
「あァ、こう言っちゃァなんだが……以上はねェよゥ」
「……はは、だろうね。道場と云うのは基本的にこんなものだ。旅の武芸者は、下もいるけれど、飛び抜けた者もいる。たとえば静のように」
「悪くはねェンだろうよ」
「まったくだ。――ん?」
「失礼! よろしいでしょうか」
「おゥ、槍を貸してくれた小僧か。どうした」
「――どうすれば、貴方のようになれますか⁉」
興奮冷めやらぬ雰囲気に、静香は苦笑しながら応じる。
「俺のようにはなれねェよゥ。お前ェさんには槍がある、俺は見ての通り槍なんぞ持っちゃいねェ」
「しかし……」
「小僧、名は」
「失礼いたしました。私は
「そうか、俺ァ雨天だ。いいか笹、どうしてなどと口にするンじゃねェよゥ。そいつァ、いつだって
「槍から……答えが、返るのですか」
「お前ェさんよゥ、どこを目指す? 道場の主か、家長の立場か? 小せェ小せェ――槍で頂点に至るくれェのことを言ってみろ。〝そこ〟に俺ァいるぜ」
「雨天殿は、では、どこを目指しているのですか?」
「俺ァ雨天だ。雨天とは俺よ、そして〝武術〟とは――雨天よゥ」
言えば笑い、静香と一夜は背を向けるように通りを歩きはじめた。笹はゆっくりと頭を下げ、それ以上問うこともなく、引き下がる。
「静、彼に何を見たんだ?」
「槍との生き方ッてヤツだ。あいつァ、槍を手にしちゃァいるが、槍と共に生きるかもしれねェが、それだけじゃァねェ。確かに槍が得意かもしれねェが、刀を持たせたって〝やる〟ぜ。そういうところが面白ェ」
「へえ……槍に傾倒してはいけないと?」
「槍しかねェ生き方は、そこそこ上がるだろうけど、そいつァ槍なしじゃがらくただ。取り上げちまえば、何も残らねェ、詰まンねェ生き方だろうが」
「なるほどね。槍と生きるが、槍を取られたところで諦めない。それが武術家だと?」
「まァ似たようなモンだ」
「曖昧だな」
「そもそも武術家なんて括りが曖昧だろうがよゥ」
「――、それもそうか」
同じ道を歩いて戻れば、屋台から椅子を引っ張り出して、一夜は腰を落ち着けた。
「ちょっと待ってくれ」
「ン? なんの話だ?」
「はは、忘れたのか、報酬だよ」
「あァ、そんな話もしてたなァ……」
「ところで、静は得物を持たないのか?」
「全部壊しちまったよゥ」
「だったら、静が扱えそうな得物の情報は探しておくよ。どうせ俺は行商人だ、また逢うこともある」
「物好きだなァ、お前ェさんは」
「静が相手なら、そのくらいはしても損はしないよ。ほら、報酬だ」
「いくら入ってンだよゥ」
「使いやすいことも考えて、五両三千文だ」
「重てェなァ……金銭感覚はいまいちだが、それなりの金じゃねェのか」
「一泊でだいたい二百文だ。呉服も良質のものを選択すれば二両で足りないかもしれない」
「ま、今回は受け取っておくかァ。金の工面も考えなくッちゃなァ……」
「面倒だ、と顔に書いてあるね」
「事実そうだろうがよゥ」
「それでも人里に降りたんだ、多少は苦労すべきだね」
俺は熊か何かか、と思ったが、苦笑して頭を搔いた。
静香にとって、ここからが、ようやくの始まりである。
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