08/11/13:50――フルール・シミュレート
午後からは、釣りどころの騒ぎではなかった。
釣れないのによく楽しめるものだ、なんて皮肉交じりに言われるフルールだが、であればこそ、釣れた時の楽しみは人一倍ある。いろいろと言われてはいるが、それでも一日に一度、大きな当たりを引くことがあるのだから、個人的には満足だ。今まではその大物を必ずバラして釣り上げるまでには至らないのだけれど。
まだ訓練が開始された五分ほど。危ないから、という理由で前の船へ移動したフルールは、後甲板でその様子を見ていた。
サラサ、ギィール、チィマの三人に加えて、あろうことかコノミと、カイドウまで参加している。これは大変そうだと思っていたのだが――まさか。
さすがに、予想はできなかった。
まさか、三人を〝使う〟ことで、コノミとカイドウが戦闘を行うだなんてこと、誰が想像できよう。
いや駒のように使っているわけではない。指示も出さないし、二人の攻撃そのものは三人へ向かうこともあれば、直接向けることもある。だが、三人は翻弄されているし、動きそのものが〝一手〟として把握され、状況の変化に利用されている。
動き、意志を持つ障害物――そんな言葉が当てはまる。
「チィもまだまだ、甘いね」
さすがに大規模な戦闘で波が立つので、シュリが帆の傍に陣取って対応しているが、配慮もあるのでそれほど忙しそうではなさそうだった。
「シュリは参加しないんだね?」
「うん、私はめんどい。参加すると訓練にならないよ、すぐ終わらせちゃうから」
「そうなのか? ボクから見ての評価で済まないが、君も随分と腕が立つだろう」
「カイドウとは引き分けてるけどね、昔から。私の鍛錬は、面倒な戦闘をすぐ終わらせたいから、徹底して努力してるの。戦闘は嫌い。面倒。だからそのための努力は怠らない。あ、でも昔よりはマシになったよ? サラサにいろいろ、教えたからね」
「ふうん? まあしかし、面白いものだね。今まではチィマがサラサとギィールを弄んでいたのに、今回は違う。……ま、カイドウとコノミの当たりが、チィマにだけは強いってのが、証明の一つなんだろうけれど」
「大丈夫よ。そのうちにチィマも、サラサとギィールを〝使う〟ようになるから、ちゃんと三竦みになる」
「そうなる……のか?」
「うん。本当なら、そこからサラサとギィールも脱してからが、戦闘の始まりなんだけどね? そこまで行けば、六番目に行くっていうのも、安心して見送れるんだけど」
「それが〝場〟の把握か?」
「ん? いや、行動の把握。状況の流れそのものよりもまず、可能性の総当たりってところかなー。で、行動を把握できるようになると、その無数の可能性のいくつかに、寄せることができる。自分の行動、相手の行動、それらの影響の操作――って言うと、大げさだけど」
「……可能性と言われると、ボクも努力を怠るわけにはいかないな。ん? 来たのか、ハクナ。サクヤはどうした」
「医療系の話、キリエとしてる。……元気だね、みんな」
「その感想はどうかと思うが」
「感想? 教えてくれる人がいるなら恵まれてる」
「――」
「あはは、ハクナはよくわかってる。専門分野で頭一つ飛びぬけてるから、そういう見解を持てるのね。フルールはちゃんとしなさい」
「う、ぬ……そこでボクに振られるのは心外だな」
「え? だって役立たずじゃん。サクヤに思考範囲で負けてるし」
「辛辣だな⁉」
「だってトカゲに遠慮って必要ないでしょ? キリエを相手にちゃんと覚えた」
「あれとボクを一緒にしないでくれ!」
「……え?」
「ちょっと待てハクナ、その心底から疑問だという顔で小首を傾げる態度は!」
「そっくりだから?」
素直は美徳? ――いや、この場合は凶器だ。
フルールは頭を抱えて五分ほど悩んだ。どうすればいい? どうすべきだ? 答えが出れば、今までの苦労はなかった。
切り替えよう。
「こんなことで同様するボクではないとも」
「五分もかかった」
「なにを言っているかさっぱりわからんが――うん、そうだな。おいチィマ! すまない、ちょっと来てくれないか!」
あっさりと、視線をこちらに向けたチィマは、軽く首を傾げつつも、のんびりしたペースで歩きながら、攻撃を回避して近づいてきた。
「どうした?」
「提案が一つある。まず、飲むか否かだ。チィマ、ボクの〝指示〟を聞くつもりはあるか?」
「へえ……試してみるのは面白そうだ。俺は賛成」
「では次は、可能か否かだ。ボクの〝思考〟を可能な限り共有可能な術式を組めるか?」
「状況を」
「ボクは君たちの訓練を見ながら、並行して〝
「言語伝達じゃなく思考共有か、また難しい要求だな、そりゃ。伝達時間、加えて俺たちの反応速度、これだけで――ま、慣れれば二秒ってところだけど」
「成功するとは思っていないが、試してみたいのも確かだ。元より、ボクの術式は〝そういうもの〟だからね」
「前例は?」
「それがな、まったく参考にならん。視線を合わせて〝ん〟と言えば〝ああ〟と頷くような感じだったらしい」
「……信頼?」
「慣れもあるだろうけれどね。できそうかい?」
「ああ、問題があるようなら途中で細工をするよ。戦場が一つなら、とりあえずギィールさんと姉ちゃんとは繋げるはずだ」
「わかった。とりあえずボクに九十秒くれ。それから開始したい」
「じゃ、俺はまた訓練に戻るよ」
九十秒。
術式を行使して瞳を瞑ったフルールは、ここから先、五分のシミュレートを脳内で行う。もちろん一度ではない。一秒行使すれば、単純計算で五回は経験できる。失敗でも成功でもない、無数の可能性を引き寄せて、何がどうなるかの〝情報〟を集めてから、九十秒後に現実を視認し、更にそこから先をシミュレートしつつ、二つの状況を重ね合わせる。
意識が繋がるのを感じた。指先ほどの線でお互いを繋ぎ合わせたような魔力の動きに、魔力消費量と情報の処理能力を計算し、脳が焼き切れなければと、その限界を見定め――三秒先の情報を送る。
つまり、二秒のタイムラグがあったとしても、彼らにとって一秒先の現実を教えてやるのだ。
シミュレートされた結果、全てを教えることは難しい。だが、戦闘において一秒とは、長いものだとフルールは知っている。そして、先に行けば行くほど可能性が増えるのならば――とりあえず今は、一秒先のほぼ確定された未来を、教えてやればいい。
最初は向こうも慣れていなかったようだが、二分もすればその情報を上手く使いだす。だがフルールにとっては、使いだしてしまえば、それだけ先の可能性が増えるわけで、負担も増すのだが――あくまでも、三人分ではなく、戦場という状況そのものとして捉えているので、やっていることは変わらない。
継続して十五分、額に汗が浮かんできたのを自覚できたフルールは、一気に五秒先までの情報を送った――三十秒が過ぎ、ずきりと頭が痛む。それでもと更に四十秒を追加したフルールだが、そこで限界を迎えた。
背中を船室の壁に押し付け、左手で額を押さえながら空を仰ぎ、右手でひらひらとこちらを意識した三人に、気にするなと伝えた。
初めてのことではない。使い方こそ違うが、それによってわかったこともある。
「……はあ、なかなか、厳しいものだ」
シミュレートとは、フルールも含み一個世界を経験することだ。つまり、目を開きながらフルールは現在から三秒先の可能性をそれぞれ経験し、そこで見た情報を現実に投影、つまり通達しているに過ぎない。目を閉じれば現実の視認せずに済むが、それでは駄目なのだ。あくまでもリアルタイムで。
そう、であるのならば、一秒後からの可能性を体験しなくてはならない。その繰り返しだ。まるで〝現実〟と呼ばれるものを、可能性の数だけ重ねていくような感覚――その情報量の多さに、脳への負担が大きくなってしまう。
だが、目を開かずにシミュレートだけに没頭するのならば、それは可能性だけれど、想像に近くなってしまう。こうあるべき未来の一つでしかなく、可能性は一つではないのが現実だからだ。
そして、現実を打開するのはいつだって当事者であり――フルールではない。
「〝投影〟も、術式使ってた」
「ああ、わかったかハクナ。いくらシミュレートしたところで、それはボクのものだ。他者との共有は、厳密には不可能になるからね。その情報を元に、彼らに視認させるためにはその情報を投影しなくてはならない。……いかん、空の色がわからん。灰色だ」
視力が失われないだけマシかと、苦笑が落ちる。二つの術式を同時行使、その代償としては安いものだ。現実かシミュレートか、その境目に落とされるよりは、よっぽど良い。そのうちに視界も戻るだろう。
そう思っていたら、船室から出てきたキリエが、眉根を寄せて近づいてきた。
「目、見えてる?」
「色彩が欠落している」
「ちょっとシュリ! なんだってこう、あんたの周囲の連中は無茶が好きなの⁉ あんたが原因でしょ!」
「え、私じゃなくてサラサだと思うけど」
「親の責任!」
「うるさいトカゲ、海に落とすぞー」
「ぐぬっ……! ああもうっ、いいから座りなさいフルール。自然回復させてもいいけど、快復に時間がかかり過ぎるから。あんたが今見てるのは〝現在〟じゃない」
「ん……? シミュレートはしていないが?」
「そうじゃなくて、認識の誤差。〝視認〟しているつもりだけど、状況から推測して三秒ほど〝先〟を見てるの」
「……うん?」
「循環を意識しても、それ自体の認識がズレてるから客観的に
「さすがは医者だな。考えてみれば、医者らしいキリエというのも、ボクの記憶にはあまりない」
腰を下ろし、軽く目を瞑る。
「なあに、信頼はしているから問題はない――けれどね、いいかい?」
「なに?」
「さっきから頭痛が大きくなっているようなんだが、どうにかできるかい、キリエ。結構辛い……」
「あー、普段より脳内容量を酷使したからでしょうね。それも気を付けないと、ほかの情報を忘れるか、あるいは容量そのものが壊死するからね」
「初めての試みで、安全装置も落ちたんだが……いや、わかった。善処しよう」
「反省してるし初回だから、嫌ってほどクソ不味い調合はやめておく」
なにを言ってるんだこの医者は。サディストか? ――とも思ったが、そう考えてみれば、マゾヒストの医者というのは聞いたことがあまりなかった。
「はいこれ、丸薬だから奥歯で噛んでー」
「んむ……口に押し入れるんだね君は。なんだろう、女の指を味わう趣味はないのだと改めて自覚できたよ」
不味いというほどではないにせよ、苦みが口の中に広がる。あとは唾液と一緒に飲み込むだけだ。
「はい次、これ飲んで。ほら手」
「ん、ああ……全部か?」
「ゆっくり数回にわけてもいいから、全部。それで症状が緩和されるから」
「……正直に言っていいか?」
「え、なに?」
「キリエがいるから多少の無茶をした――なんてことは一切なく、君はこうやって相手をよく見ているのだから、同じ調子で男の一人でも拾ったらどうだ?」
「聞きたくないのきた⁉ コノミにさんざん言われてるからも、もう、へへ平気だもんねこんちくしょう!!」
「平気さが一切伝わってこないけれど、飲み終えたよ。もう目を開いてもいいかな?」
「あ、変化を見たいならどうぞ。これ以上、酷使しないならあとは自然に戻るから」
そうかと、目を開けば先ほど変わらない灰色の世界。やはりフルールの認識自体には齟齬がなく、何がどう変化しているのかはさっぱりだ。
「――ん? いないと思ったら、ハクも上がってたのかよ」
「うん」
「サクヤ?」
声に振り向いて、僅かに驚く。
灰色の世界に、サクヤの姿がおぼろげにしか映っていなかったからだ。
「……? あ、ああ、サクヤだね、うん」
「あ? ……あー、認識の誤差か? お前の術式についてはいくつかの思索を巡らしたが、たぶん〝認識の錠〟あたりが絡んでるんじゃねえか? 目が疲れて俺を認識できてねえなら、たぶんそういうことだろ。なあシュリさん」
「んー、魔術はよくわかんない」
「そっか」
「なあサクヤ、どうしてボクの反応で君はそこまで察することができるんだい?」
「だから言っただろ、お前の術式を考えたことがあるって。可能性の話だ……今、戦闘の中にあいつらが見出そうとしているものと、同じだろ。こっちは時間制限がないから楽なもんだ」
「……それを、多少なりとも教えてやればいいんじゃないか?」
「馬鹿言え。言葉は届いても、俺の手は届かない」
料理人に戦闘を求めるなと、サクヤは苦笑したようだった。
「だからこそ、わかっちまう。フルールの術式じゃ、どうしたってお前自身が〝当事者〟だ。全体を俯瞰するには、傍観者の方が良い。ギィールもサラサも空間を把握しちゃいるが――残念ながら、立体を使ってねえ」
「立体を、使う?」
「罠を仕掛けて獣を狩る時に必要なものは、なんだ?」
「……それは」
多くある。
ありすぎるくらいで――。
「どんな獣なのか、罠を隠す方法、まあいろいろあるわけだ。偽装交じりで死角を作って、意識の隙間を縫って――と、そんな状況を〝作る〟んだぜ? 俺なんかすぐ疑心暗鬼になっちまう。右足を踏み出しただけで、それが罠を作るための一歩なのか、それともただの踏み込みなのか、それを〝意識〟させちまう結果こそが、そもそも罠なのか――まったく冗談じゃねえ」
「罠――か。ボクに言わせれば、一手を届かせるための布石のように思えるけれどね」
「同じことだろ。少なくとも俺から見て、カイドウさんとコノミさんは、一手を届かせようとは思ってねえ」
「そうかい?」
「ああ。届いたら終わるからな。今やってるのは逆だ――ほかの連中の一手を、届かないようにしてるんだよ。なんつーか、封殺に限りなく近い。同じことができなけりゃ、届かないままだろあれ……」
「最後に関してはボクも同感だ。状況をシミュレートして、それが現状では1%にも満たない可能性であることは確認できたからね」
「へえ……? おいフルール、余裕ができたら竜化して参戦してみろよ」
「は? 待て、竜になったからといって、空からブレスを吐くくらいしかできないぞ」
「それでいいんだよ、面白そうだ」
「そのくらいならボクでもわかるぞ。あっちにいる五人揃って、ボクの敵に回るって図式になるんだろう⁉」
「ははは、バレたか。厄介なら、面倒なら、先に片づけるってのは基本だしな」
「サクヤ……君は本当に遠慮がなくなったなあ」
「最近の俺とギィールは、いかにしてトラブルをフルールに押し付けるか、そればっか話し合ってるからな。結構成果も上がってるんだが――ま、これは内緒にしとこう。自覚がないみたいだし」
「おい……!」
「冗談にしとけよ。しっかしなあ……」
「まったく……それで、何か思うところでもあるのかい?」
ようやく、視界に色が戻り出すと、ぼんやりと戦闘を眺めるサクヤの姿もきちんと見えるようになった。
「んー、まあ好き勝手言うんだけどな、俺は。何がどうってのは置いとくとしてだ、特にギィールとサラサは徹底して〝機先〟ってやつを封じられてるだろ」
「そうだね。簡単に言ってしまえば、殴ろうとしたら、もう間合いの外にいたような感じだ。拳にして腕を伸ばしても届かない」
「あるいは、肩を押されて姿勢を崩す、だな。つまり、こいつはそもそも〝罠〟じゃない」
「――どういうことだい?」
「〝囲い〟なんだよ。檻って言ってもいい。罠にかかる前に、獲物が逃げちまったら、どうしようもないから、まずは逃げ道を塞ぐってわけだ。そのことをチィマはよくわかってる」
「……? わかっている? 確かに檻のようなものをボクも認識できたけれど、サラサとギィールだとて気付いているんだろう?」
「それが足枷になってるって言ってんだよ。囲われりゃ、身動きに制限がかかる。こいつはつまるところ、いつものように動けない、だ。で、カイドウさんもコノミさんも、そこを利用してる」
「続けてくれ」
「わかんねえか。実際に聞いたわけじゃないが、俺が見る限り、サラサとギィールは檻の中に放り込まれた獣だ。どうやって檻を破ろうかと試行錯誤して、躰をぶつけながら暴れてる」
「ああ、そうだろうとは思うけれど、自然な行動ではないのかい?」
「自然? それが意識の〝囲い〟だったとしてもか? よく見てみろ、チィマは平然としてる。あのなフルール、制限をかけられたとして、それが嫌だと突っぱねるだけが対応じゃねえだろ。檻の中にいたって、外に出ようなんて思わず――〝それがどうした〟と、中で踊って観客を呼ぶことだってできる」
「……チィマにとっては、囲われた中で、ただできることをしているだけだ、と?」
「だけ、とは言わないけど、そういうことだ。いつか囲いを壊せばいいとは思っているが、壊すことに傾倒していない。身動きの邪魔になるなら――」
「邪魔にならないよう行動すればいい」
「そういうことだ。それを、もどかしいと思った時点で罠にはまってる。あー、一応言っておくが、俺が言ってんのは意識の話な。実際に戦闘なんかしたことねえから、それが正解ってわけでもないだろ」
だが、それにしては随分と説得力のある話だ。
思わず術式を使って意識してみようとも思ったのだけれど、しかし、隣に医者がいることに気付いて、フルールは吐息を落として止めた。
まったく。
自分にもまだまだ、分析能力が足りないらしい。
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