07/24/10:00――サラサ・もっさん
その日、サラサたちは〝正式〟に王城へ案内された。
オリナの邸宅に来たB級騎士二名が、複製が困難な印の入った令状を広げ、丁寧に、その内容を読み上げる。
サラサ、ギィール、フルール、チィマの四名の、王城への招待だ。
戦争を未然に防いでくれた〝旅人〟――それが、彼らの評価である。はっきり言って邪魔で、一体どういう説明をしたんだと問い詰めたかったが、部屋を出て来たオリナに苦笑され、どうせ出て行くのだから気にするなと、そんなことを言われた。
ちなみに、ティレネは完全に呆れていた。言うことはない、とそんな表情である。
とりあえず衆目に晒されながらも、王城へ入り、謁見の間まで案内された。そこで二人の騎士は、退室しようとしたが、その背中に。
「悪意ってのは、案外、紛れているとわかりにくい。けど、少なくとも三人は、案内の最中に向けてきてた。そっち、把握してないなら、気にしておけよ?」
なんてことを、チィマは言う。助言のつもりなのだろう、騎士は頭を下げて退室する。
「さすが、動じませんね、チィマさん」
「そりゃギィールさんだって同じだろ」
「まったくだ……このボクが、豪華な装飾のある謁見の間に対して、ちょっとどうしようか悩んでいるというのに、どういうことだギィール。胃が痛くなりそうだ」
「慣れですよ。旅は一人、ただ一人、故に相手も一人、ただ一人と続く道は、振り返った後ろにこそ在れば、です」
「あー、餓死寸前で干からびてたじーさんが、そんなこと言ってたね。辞世の句って聞いたら、水をくれって答えてたけど」
「あははは、面白いじーさんもいたもんだな!」
「チィマ、どういうわけか大笑いをされるとボクの胃が痛む。なんだろう、気が弱いのかなボクは」
「ないない」
「ありえません」
「ああ……即答が返ってきた。今度は心が痛くなってきたよ……」
「はは、まあ安心しなよ。俺はこれで〝三度目〟だ――気にすることはない」
「三度目なのですか?」
「正式には、初めてだけど――まあ、今回のことだって、非公式に限りなく近いだろう?」
小さく苦笑すれば、足音が聞こえ、自然に黙る。フルールだけは、膝をついて頭を下げておかなくていいのか、なんて〝形式〟のことを考えていた。何しろ、フルールの中にある知識の大半は、書物から得たものばかりだから。
やがて、白と青が混ざった柄のローブを身に着けた、眼鏡をしてひょろっとした男が、横から姿を見せた。
「ああすまない、ごめん、待たせたかな。朝食の後、公務までに読み終えたい本があったんだけど……」
小さく頭を下げるようにして、男はぼさぼさの頭を搔いた。
「まだ読み終えてなくて、つい一緒に持って来てしまった。ははは」
そうして、ようやく。
男は玉座に座って、背筋を伸ばし、――やや考えるような間を置いてから、相好を崩すようにして苦笑する。
「ま、いっか。私のことをチィマは知っているし、他人の目もないから普段の私にしておくよ。けれど、まずは、ありがとう。ヴァンホッペの選択が間違っていたと、私は言わないけれど、上手く落ち着いてくれたと思う。ええと……あ、気を楽にしてくれていいよ」
「その前に、挨拶だろ」
「ああ、そうだ、忘れていた。ごめん、私はつい、そういうところを忘れてしまう。駄目なんだ、気遣いが足りないと昔から怒られた」
「それと、頑固者、だろ」
「うん、それもよく言われた。あ、ごめん、改めて――イウェリア王国、国王のラファウ・イウェリアだ。君たちのことは聞いている。助力、ありがとう」
この王もまた、きちんと、頭を下げた。
「ああそうだ、うん、すまないけれど、少しいいかな。チィマ、ヴァンホッペはどうだった」
「その前に、ちょっと待ってくれラファウさん。そろそろネタばらしだ。つってもまあ――今回の件、最初からラファウさんに〝依頼〟されたことだって話で、オリナさんには解決するまで黙ってたと、そんだけのこと」
「ああ、それはなんとなく察していました」
「どっちでも変わらないじゃん。でもあれ、チィが好き勝手やったんでしょ?」
「まあね。俺への依頼は、どうにかしろっていう曖昧なものだったから」
「チィマ、それはやや語弊があるね。どちらかといえば、私にチィマを動かすよう納得させるために策略を練った結果だと、思うけれど?」
「悪い覚えてない」
「都合が良いなあ……」
「失礼、どういう知り合いなのですか?」
ああそうかと、チィマは考えて。
「そうだねえ」
口を開こうと思ったら、先にラファウが言う。
「本を読んでいたら、チィマが来たのが最初だったかな。これはまた珍しく子供が迷い込んだかなと、私は紅茶を用意して差し出したんだけど、ふと外を見たらもう夜中になっていて、そのことに驚いて――」
「あんたは、まず俺に感謝をした」
「そうそう、ありがとうと言ったんだ。また夜更かしをすれば、明日が辛くなってしまうからと。それからの付き合いだね。基本的にはオリナばば様を経由してのやり取りだけれど、戦争前に一度、そして今回で三度目だ」
「なるほど、そうでしたか」
苦笑を滲ませるギィールを見て、サラサは反応こそしなかったが、たぶん思ったことは同じだろう。
厄介だ。
この人は自然体のまま、国王でいられる。それは、とんでもないことである。
「ともかく、基本的には報告に上げた通りだ。あんたの〝読み〟と俺の〝考え〟は大きく外れちゃいなかった。防御用の魔術品も渡したから、そうそう死ぬことはないだろう」
「解除方法は、私でもわかるか?」
「さあ、なんとも言えないな。ただ〝所有者〟を変えてやれば、一時的な解決にはなる」
「なるほど、わかった。彼にとっては苦渋の決断であったとしても、責任を果たすためのこれからが重要になる。私もできれば手を貸したいものだが――それも、難しいね。困った」
「そこまでは知らん」
「うん、私の問題だからね。さて、大義名分もできた。君たちは我が国を救った旅人だ、望みは――地下への案内で、良かったかな?」
「うん。それが私の目的だから」
「じゃあ行こうか。事後承諾になるけど、うちの人たちは、ちょっとくらい困った方が良い仕事をするからね」
立ち上がったラファウは、こっちだよなんて気楽に言いながら背を向け、歩き出す。無防備過ぎる背中だが、悪さをする気はなかったので、サラサは無視してついて行く。
「君は」
歩きながら、ようやく、フルールが口を開いた。
「――何を〝守り〟たいんだ?」
「ああ……どうやら、フルール、あなたは魔術師の本質をよく捉えているようだね。けれどそれは、過大評価だ。私はね、昔から攻撃と呼ばれるものの一切を、恐れていた。今もそうだよ、とても恐ろしいものだと思っている。それを誰かに押し付けているのも事実だ。だから私は、ただ、死なないよう努力した結果として、守りを主軸とした魔術師に、なってしまった」
なろうと思ったのでもなく、なりたかったわけでもなく、だ。
「でも今はそうだね、私の代わりに攻撃をしてくれる者くらいは、守りたいと思う。この国をと、そう言えたら良かったのだろうけれど、私にはまだまだ、口だけになってしまうからね」
「だからって、守護騎士もつけずに、ふらふら歩くなよ。そんなだから校長さん――リケーゼあたりが、頭を抱えるんだろうに」
「あはは、一定の信頼を君たちに置いていると、解釈してくれると助かるよ。リケーゼには、うん、また頭を抱えてもらおう。一時間後には、駆けつけてくれるだろうから」
廊下に立つ騎士には、軽く片手だけの挨拶をして、いくつか角を曲がれば、扉がある。それを押して開くと、階段があった。
「大丈夫だとは思うけれど、ちょっと暗くなるからね。私が転びそうになったら支えてくれると助かる」
「君は、王としてボクたちに接していない――わけでは、なさそうだね」
「うん? ああ、そうだね、私はいつだって王だよ。そればかりは、どうしても変えられないし、そうありたいと思っている。でも、こんな王でもやっていけるからね。たとえ――」
そう、たとえ。
「――今日限りでヴェドス様がいなくなっても、ね」
さすがにその言葉には、サラサも驚きを隠せなかった。
「え? なんで?」
現実側で呼ばれたこと、五神の一角が崩れたこと、オトガイの消失に加えて世界の変化、そうしたものを総合して、そういう可能性もあるんだろうと――友達の一人として、サラサは考えていたけれど。
「うん。私は、やっぱり王だから」
この人は、王族であることを理由にして、思考の手を伸ばし、その可能性を考えていた。
「地下は王族専用の鍛錬場になっていてね――私も、そこで育った。気配を感じたことも、何度かあるから」
階段を下りた先に、扉はない。空間は一気に開けた。
王城一つが、丸ごと落ちそうなほどの、広い空間だった。土の匂いが強く、けれど天井は高い。思い切り跳躍しても大丈夫なほどで――まず見えたのは、柱だ。天井を支えるためのものだろうか、おおよそ八本。けれどそのうちの二本が、どういうわけか倒れていた。
「広いですね……」
「うん、よく城を支えているなとも思う。さて、私の案内はここまでだけれど――なにかあるかな」
自然と、右手にある倒れた柱に近づいたサラサは、その表面を撫でて、ギィールを招き寄せる。
「これ」
「……刃物傷? 随分と鋭利ですが、しかし、これは一体どんな得物で」
「――俺がやった」
ぎくりと、内心で跳ねた鼓動をぎりぎりのところで表には出さず振り向けば、ちょうどコウノが階段から降りてくるところだった。
「やあ、コウノ兄さん」
「元気にしていたようだな、ラファウ」
「うん、見ての通り。おっと、そうだね、私とコウノ兄さんは遠縁なんだ。子供の頃、遊んでもらったこともあってね。ただそれだけだよ」
「ふうん。――で、コウノさんこれ、何で斬ったの?」
「斬った? 実際には撫でただけだ。ちなみにあっちのはイザミがやってる。あの頃は――たぶんまだ、お前らよりも幼かった」
「へえ、さすが」
チィマは逆側の柱を見て、撫で、僅かに目を細めた。
「ま、こっちはともかく――姉ちゃん」
「あ、うん、そだね」
そうだったと思いなおし、石造りの玉座のような場所の前で、天井へ向かって。
「おーい! もっさん、きたぞー!」
そして、彼は。
「聞こえておる」
呼ぶ前にもう存在していたかのような錯覚は一瞬のこと。視認した直後には、痛烈と思えるような〝威圧〟が、サラサの躰を通り抜けていた。
「おー……もっさん、ちょっと痛いんだけど」
「これでも私は、ぎりぎりまで加減しているのだがな」
振り向けば、フルールの背中をギィールが支えていた。こんな状況でも、ラファウは顔色一つ変えないでいる。
「ん……? そこの老人は誰だ?」
「俺を忘れたかウェドス、そこの柱を斬っただろう」
「――ああ、あの時の小僧か。ふむ、まあ時間の経過を痛感することもないが……」
「っていうか、そんなのはどうでもよくて。あのなーもっさん、ここまでくるの結構大変だったんだけど?」
「なんだ、その不満を私にぶつけても、どうにもならん。未熟の証左だ」
「なにおー」
「そう言うな。私の頼みなんぞ、ほかの連中と比べれば優しかろうに」
「そーだけどさー」
「ん、ああギィール、こうして顔を合わせるのは久しいな。否、現実では初めてになるか。ははは」
「ええ、お久しぶりです」
「うむ。そして――イウェリア王国、現国王ラファウ」
「はい、お初にお目にかかります、ウェドス様」
「その件なのだが……すまんな」
「いいえ、それがヴェドス様のご決断であるのならば」
「うむ。サラサ、私たちにあった制限も、今やないものに等しい」
「だね」
それは、知っている。
「だから、大陸を〝支配〟することも簡単にできる――だよね?」
「ははは、する気があるのならば、容易い。だが私は、荷物を置く選択をしたい」
「……消えるの?」
「寂しそうな顔をするな、サラサ。私が消えるわけではない。ただの――そう、ただのもっさんになって、あちらの〝部屋〟でゆるりとする生活が待っているだけだ」
「そっか、よかった。消えるって言い出したらどうしようって、実は結構迷ってた。でも〝力〟はどうすんの?」
「私に言わせれば、元に戻すだけだ」
足を組んだヴェドスは、ラフな洋服を着ている若い男の風貌だ。彼らにとって外観など、さして気にするものでもないし、服装は自在に変えられる。もっとも、その外観は、あちらでサラサが逢う時と同じものだけれど。
「大地とはどこにでもある。その力を、私は今まで背負っていた。……ま、そうであろうよ。かつてもそうだった、私がビヒモスと呼ばれていた頃だがな。そうだな、せいぜい地震が起きるようになる、くらいなものだろう。この辺りではそう珍しいことでもないが」
「ふうん……でも、なんで私を呼んでまで?」
「それはお前、見送りくらいしてくれてもいいだろう。というか、既にもうやっている最中だ。なかなか減らんが」
「一気にぱーっとやらないでよ? それとも、私が手伝おっか?」
「ほう、なんだサラサ、手伝えるのか?」
「む……なんだよー、私だって成長してるんだぞー。ギィールやサクヤから、トラブルの規模が大きくなってきたってお墨付き!」
「わかってるなら直して下さいお願いしますから!!」
「え、なに言ってるのかよくわからない」
悲痛な叫び声にも、首を傾げて普通に返せば、未だ威圧が強いままだというのに、ギィールは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ははは! 苦労しておるなあ!」
「若いんだから苦労した方がいいじゃん。んー、拡散、解放、そっち系かあ」
鼻歌交じりに、サラサは印を組み始めた。
「つーか、そんなにギィールさんとサクヤさん、苦労してんのか?」
「……酒を片手に一晩じゃ語り尽くせませんが、付き合っていただけますか、チィマさん」
「あー……うん、まあ、ほどほどに、付き合うよ」
六つほどの印を組めば、小さな地鳴りのような音と共に力が周囲へと拡散されていく。
「おっし」
「ほう、細かい制御も上手くなったものだ」
「あんがと。……もっさん、これからも私に力を貸してくれる?」
「――もちろんだ。当たり前すぎて、そんなこと考えてもおらんかったぞ。背負っていたぶんを還したところで、ここに在る私よりも力は強く残ってしまう。まったく困った話だ」
「そりゃもっさんだし」
「理由になっておらんぞ……。ああ、それとサラサの〝部屋〟に、私の部屋への扉をつけておく。これは後でやっておくが、構わんな?」
「うんいいよ。そっかあ、そういう制限もなくなって、自由になるんだ」
「今までも、お主らの動きを追って、随分と楽しませて貰ったがな。ちなみに、これからはどうする?」
「んー、もっさんの用事も終わったし、次に行こうかなって。私の小太刀がまだないんだけどねー、コウノさんに貰ったのは〝壊れ〟そうだし……でも、一応海に出て、次は六番目かな?」
ちらりと、背後に視線をやれば、ギィールが小さく笑う。
「そうですね、一応はそのような予定になっています」
「ずっと父さんたちに止められてるんだけどね」
「あの爺の大陸か……私は詳しく知らんが、まあ、一筋縄ではいくまいよ」
「怖さと楽しさが半半ってところだけど、いつものことだしね」
そうかと、ヴェドスは笑う。
そうやって楽しむからこそ、彼らもまた、サラサという存在を好ましく思っているのだ。
まあ現実としては、なんというか孫のような、そういう感覚なのだが、それをあえて教えてやる必要はないだろう。
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