07/10/10:20――サラサ・オリナ邸
イウェリアに入ってから、第三区画にあるアルノの工房へは、全員で行った。そこで男と女とで別れたのだが、アルノは街を出るのなら必ず一度、顔を出して欲しいことを念押しした。もちろん、それ以外でも顔を見せるぶんには構わないそうだが。
その際に、オリナと呼ばれる人はどこにいるのかと問うたのだが、アルノは変な顔をして、地図をくれた。三人はそちらへ向かって移動中である。
第三区画内だが、王城近く。というのも、地図を見る限り王城はほぼ中央に鎮座しており、その周囲に扇状で区画が作られている形だ。先ほどからハクナとフルールは、歩きながら地図と睨めっこをして意見を交換中である。サラサはあまり興味がない。
住宅街なのだろうと思えば、そこには屋敷が六つほど並んでいた。
屋敷である。庭も広く、手入れがされており、屋敷それ自体もそれなりに広い。どうやらその内の一つらしい。
というか。
「でけー……入り口が私の二倍以上あるし。なにこれ」
「サラサ、どうやらここらしい。そのオリナという人物を私は知らないが」
「いや私だって知らないし。でも訪ねろって言われたから」
入り口に手を触れれば、がらんごろんと音を立てながら内側へ開く。入っていいのかなと思っていれば、すぐに屋敷の入り口が開いて、侍女服の女性がこちらに小走りで近づいて――。
「あれ?」
「いらっしゃいま――あ⁉」
「ティレ姉ちゃん!」
「サラサか!」
コノミの娘である、ティレネだった。背丈はやや大きくなったが、侍女服を着ているせいで印象がまるで違う。じっくり見たハクナは、そういえばと思い出したようだった。
「な、なんでいるんだ……?」
「え、だって旅してるし」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
「あー、オリナって人に逢いに来た」
「……そうか、とりあえず入りなよ」
「うん。……え? なんで姉ちゃんが侍女してんの?」
「うるさい、生活費を稼ぐためだ」
「可愛いよ?」
「疑問形で言うなよ! 泣きたくなるじゃないか!」
本心なのになあと、サラサは頭の後ろで手を組む。
「……どうぞ」
エントランスはやはり広く作られており、豪華だ。ちらりとハクナを見れば、既に図面を引きたくてうずうずしている。
「姉ちゃんはここに住んでるの?」
「まあね、住み込みだ。私のことはあとで話すよ、とりあえず家主への挨拶を先にな。こっちだ」
中央に鎮座する大きい階段を上がって、右手にある通路へ。その一室の扉をティレネは叩く。
「オリナ様、お客様がいらっしゃいました」
「うわ、敬語とか使えるんだ、姉ちゃん」
「うるさい」
中からの声に、扉を開いたティレネはしかし、扉に手を当てたまま佇み、頭を下げてサラサたちを中へ招いた。
「ほう、なんじゃ若い子が多いのう。下がって良いぞ、ティレネ」
「はい、失礼します」
きちんと、扉を閉めて退室する作法まで心得ているようで、少し感動したサラサが、さてと本題に入ろうとする前に、ハクナが片手を挙げた。
「ハクナ・コトコ。そこのテーブル貸して」
「ん? 構わんぞ」
「ありがと」
ああ、図面を描くんだと放置。いつものことだ。
「イザミさんから話は聞いてる? 私がサラサだけど」
「うむ、聞いておるとも。おお、挨拶がまだじゃったのう。私はオリナ・イウェリアじゃ」
「残った私は、フルールだ。旅に同行したのはつい最近だから、あまり気にしないで欲しいし、本題にはノータッチ――だが、あなたはどうやら、王族のようだ」
「え、そなの?」
「サラサ、君はこの国の名前を忘れたか?」
「忘れた」
「わははは! 度胸があって良いのう。イザミとは昔馴染じゃ、そのためティレネも傍に置いておる。路銀の集め方も知らんようじゃ、仕方ないよのう」
「それはティレ姉ちゃんが仕方ない」
「しばらくは滞在するのじゃろ、部屋は余っとるから使えば良い。私は政治から退いてもう長いが、それでも身動きが制限されておってのう。ほかの大陸の話を、暇な時にしてくれるだけで、宿代は払わんでいいぞ」
「あー、うん。たぶん男二人は宿取るだろうし、いいんだけど、それは私の質問に答える代金は含まれてる?」
「ほう……慣れておるのう」
「うん。こういうこと、いちいちうるさい男が二人いるから」
「待てサラサ。その二人が悪い、みたいな言い方だが、そのくらいのことは常識だ。君はもう少し考えた方がいい」
「めんどうだからフルールに任せるね」
「この……!」
「――で、聞いていい?」
「聞こう」
書類を書く手を止めたオリナは、眼鏡を外して両手を軽く組む。
「イザミからは何も聞いておらんが?」
「あー、うん、そっか。じゃあ単刀直入に――」
まだ、誰にも話していなかったのだけれど。
「地龍ウェドスに逢える場所、どこ?」
その質問を、口にした。
「この国は結構〝近い〟けど」
「なるほどのう。確かに、あくまでも可能性の話としてじゃ、私は場所に心当たりはあるが、なんのために行く?」
「え? 本人に呼ばれてるからだけど」
「……は?」
「だから、ヴェドスのところに行くことが、今回の依頼。しかも本人から。あんにゃろう、そう時間はかからんとか言ってたけど、人間の尺度をもうちょい覚えろっての……」
「本人……じゃと?」
「あ、証明いる? あー……フルールはまだ知らないか」
「なんのことかさっぱりだ」
「だよね。どうしたもんかなー」
「いや、証明はいらん。いらんが……ふうむ」
どうしたものかと、オリナは首を傾げる。場所を教えることは簡単だが、その方法に関しては難題だ。
「そうじゃのう」
「――あ。オリナ、あれでしょ。ヴェドスの〝玉座〟で訓練の後に昼寝してたでしょ。よだれくらい拭いて行け小娘ーって、笑ってるけど」
「ふぬっ……⁉」
「実はあれ、オリナの親父さんがきちんと謝罪してたんだって」
「良い、もう良い、そのくらいにしてくれ……昔の話じゃ」
「だからあの人たち、時間の尺度が違うんだってば」
「王城の地下じゃよ」
「やっぱ王城かあ……どうすれば行けるかな?」
「――わははは!」
「え? なんか面白いこと言った?」
「いやいや、かつて、イザミがこの国に初めて来たときも、似たようなことを言っておったのを思い出したわ。いかんのう、歳を食うと昔のことばかり思い出す。――が、そうじゃのう、方法はやはり難しい。A級の騎士証でも持てば、あるいは可能かもしれん」
「わかった。面倒だけど、とりあえずそっちの方法を考えてみる」
「明日、お主らの仲間とイザミがやり合うらしいぞ。聞いておるかどうかは知らんが……腕は立つのか?」
「私を含めて二人だけかな、戦闘専門は。フルールは立場が曖昧だし、そっちのハクナは技術屋だから」
「ほう」
「なんか、ほかに方法が思いついたら教えてね? とりあえず、部屋を確認してみるよ。ハクナはここに置いてくから」
「良いのか?」
「うん。っていうか、図面引き出したら動かないから」
「わかった、わかった。ゆっくりしておけ」
「ありがとねー。じゃ、行くよフルール」
「ん、ああいや、良かったらボクと少し話さないか、オリナ。なあに、作業のついでで構わない」
「おお、良いぞ」
「ということだサラサ」
「あー、気は回るんだよね、フルール。素直じゃないけど」
「いいから行け! そういうことは、気付いても知らない振りをしろ!」
なにをヒステリックになってるんだと思いながら部屋を出れば、ティレネが待機していた。すぐにこっちだと、顎で示して歩き出す。
「――二年前くらいに、戻っただろ」
「え? あー、うん」
「お前たちが旅に出てから、ようやくお袋が許してくれてな。そろそろ〝現実〟を知っておけって――そう言われて、ばーさんとこっちに来たんだ」
一度エントランスに出て、反対側まで移動してすぐの部屋を開く。ベッドが二つある客間であり、どうやらここを使っても良いらしい。聞けば、隣の客間も使えるそうだった。
「こっちだ」
逆側に位置する対角線の部屋に案内されて中に入れば、丁寧に掃除はされているものの、テーブルには鞘に入ったナイフの類が置かれており、すぐにティレネの部屋であることはわかった。
「座るか?」
「ん? どっちでも。もしかしてうちの船で?」
「まあね。騎士制度を聞いて、なるほどなって思ったよ。ここはルールがしっかりしてるし、戦闘における〝死者〟ってのは、珍しいんだ。少なくともD級未満ならな」
「じゃ、D以上は?」
「死ぬことも納得済みの戦闘になるんだってさ。――聞いてくれ、サラサ。話しておきたい。自己満足だけどね」
「いいけど……」
侍女服のまま、ティレネは椅子に腰を下ろした。
「私は昔から、お袋に憧れていた。いや、お袋もそうだけど、じーさんにか。どうして戦闘に入れ込むのか――って部分に疑問も抱いてはいたけど、それもいずれわかるんじゃないかってね。なあサラサ、今のお前から見て、お袋やじーさんはどうだ?」
「そうだね。なんていうか……うちの両親もそうだけど〝怖い〟よ」
「そこらへんの感性も違ったんだろうね。こっちに来て、私は一年くらい戦いに明け暮れた。三回くらい壁にぶち当たって、いろいろ考えさせられたな……だからまあ、一年後くらいか、お袋がこっちに顔を見せたんだよ。久しぶりに顔を見て、――それに気づいた」
「それ?」
「サラサの言う、怖いってやつだよ。いや、最初はわからなかった。ただ〝違う〟という想いだけが、痛烈なまでに押し寄せた。――私は違う。お袋とも、じーさんとも、サラサとも、あるいはギィールとも、違っている。一体何が違う? 意志? 道? はは、基礎が違うとか、そういうことも考えた」
「そんなに違う……?」
「違う。違ったんだよ、サラサ。それは――〝代償〟だ」
「うーん」
「代償だよ、サラサ。あるいは責任かもしれないし、意志なのかもしれない。なんだろうな、賭けるものの想い――とでも言えばいいのか。その時に気付いた。私が抱いていたのは、ただの憧れだった」
「べつにそれ、悪くないじゃん」
「悪くはないさ。けど、気付いてしまった。お袋が苦笑しながら、私みたいにはならない方がいい――そう言っていた意味を、理解してしまったんだ。サラサ、代償なんてのは他人から見れば、単なる〝犠牲〟なんだよ」
「でも私、犠牲にしてたものなんかないよ」
「あるよ。だって、――お前の家は海の上じゃないか。私が訓練をしている時間なんてのは、まあそれなりにあったけど、海の上で生活してたサラサなんかは、生活が訓練みたいなもんだ。もちろん〝好き〟って気持ちが強かったんだろうけど? 気を抜かない毎日が、それこそ日常だったはずで、私はそんなこと、訓練中にしか思ったことはない」
「そんなもん?」
「そんなもんだろうと、思うよ。で――こうして」
テーブルの上にある騎士証を、ひらひらと振る。
「二等にまで上がった私は、そんなことを考えて、ふと思ったわけだ。――なんで戦ってるんだ、ってな。そこらがよくわからなくなって、足を止めた。止まっちまった。ああ勘違いするなよ、今もちゃんと訓練はしてる。けど――闘技場の中に入って、戦闘ができなくなった」
「で、ここで侍女?」
「まあな。似合わないか?」
「どーだろ。ちゃんと考えるなあとは思うけど」
「はは、まあそんなもんか」
「うん。私はそゆの、いろいろ考えないし。ギィールあたりなら、ちゃんと答えられるだろうし、助言っていうか、考えも示せるんだろうけど」
「サラサは、どうして戦闘をする?」
「
「逆?」
「理由ができたから戦闘をするの。それ以外はしない。で、鍛錬するのは、理由ができた時のため。ほら、私には憧れとか、目指すものとか、そういうものもあんまないし」
「ないのか」
「あるにはあるけど……腕試しってあるじゃん。ギィールなんかは特に顕著だけど、たとえば闘技場での戦闘で、私にとって勝ち負けって必要ないんだよね」
「だが、勝ち負けを競うものだろう?」
「ここのルールはね。でも私の信念は違う。鍛錬の成果、勝てない理由、至らない失敗、それらをすべて総合した〝結果〟――なんていうのかなあ、自問自答に似てる。これもギィールの信念だけどね、問いは己へまず向ける。勝った理由、負けた理由、そゆの全部そう。――で、どうしたい? その答えはさ、戦闘以外で結構見つかるんだって」
「……」
「でもたぶん、そういうことじゃないんだろうなあ……」
「ん? 違うのか?」
「ちょっと思い出したんだけどね。その〝違う〟ってやつ」
あれも確か、ギィールが言っていたのだ。
「生き方の違い。勝ち負けの定義。姉ちゃん、負けって、なんだろって考えた?」
「まあな」
「うん。たぶんそこだろうって、ギィールは言ってたんだ。私たち、旅人にとっての負けってさ――死ぬ時なんだよね」
「……想像しかできないが、そういうことなのか」
「たぶん。私はほら、感性で生きてるからよく知らない」
「最高の言い訳だなそれは……」
「というか、姉ちゃんらしくないなあ」
「はは、丁度壁にぶつかったところだからね、仕方ない。どうするか考え中ってところ――だけど、まあ、明日の件には関わらないよ」
「え、そなの?」
「あのな……」
やや呆れたように、苦笑して。
「私だって、まだ命は惜しいんだよ」
そんなことを、ティレネは言った。
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