06/23/10:00――フルール・旅のはじまり

 フードつきの外套を着て、波止場に到着する前に一度だけ、フルールは今まで住んでいたノザメエリアを振り返った。

 しばらくは帰ってこれない。

 そのことに関しては特にこれといって感じ入るものはなかったが、それでも見ておこうと思ったのだ。その行為に、隣にいたギィール・ラウは小さく苦笑する。

 そう、かつてもギィールはそうして振り返り、見納めをした。そして、何かを感じた時は旅が続き、戻らない状況が常として在り、それに馴染んだ頃、ふいに帰郷の念は浮かぶのだ。

 そういえばと、思い出すかのよう。

 ――どうしているだろうかと、少しの寂しさと共に思い出し、かつてと同じであればなと希望を抱く。

「ん、行こうか」

「ええ」

 だからこそ、見納めも短時間で済む。それを指摘しようと思わないのは、指摘したところで同じだからだ。

 宿場の中に入り、知っている顔に軽く挨拶をして、そのまま波止場に出れば、海の香りが強い。それを好ましく感じながらも、ギィールは迷わない足取りで歩き、その先に一つの船を見つけた。

「そういえば、約束でもしていたのかい?」

「いいえ」

「ふうん……?」

 そして、すぐに。

「よう、ギィール」

「こんにちは、カイドウさん。事情はどこまで?」

「サギがいなくなったこと、くらいだな。サラサは無事か?」

「海の揺り籠で休んでいます」

「そうか。誰がいなくなった?」

「ベルとマーデが」

「そういう流れか、乗れよ」

「はい。こちらはフルール、自分の知り合いで、これから一緒に旅をすることになりそうです」

 そうかと頷いて姿が消えたので、二人は飛び上がるようにして乗船した。すぐにエンジンが稼働を始め、動き出す。

「というか」

「はい?」

「約束もしていない、事情を話してもいない。間違いないね?」

「ええもちろんです」

「だというのに、どうして会話が、こう、成り立つんだい?」

「共通認識もありますが、自分が経験したことを、あの人ならば既に察している、という確信ですよ、フルール」

「察するとは言ったって――」

「そんなに難しいことじゃねえよ」

 ふらりと、戻って来たカイドウは、欠伸をかみ殺す。

「こっちにもサギとの繋がりは、それなりにある。ほかの事情もな。状況の変化には敏感だし、変化に対して〝現在〟だけを見るのは馬鹿のすることだ。何がどう変わったのかを考えるのは間抜けのすること。俺みたいな普通の野郎は、変わったからどうなるのかってのを思考するんだよ。そうすりゃ流れが見えてくる。ところでギィール、どこだ?」

「三番目でサクヤさんとハクナさんと合流する予定です」

「諒解。おう、俺はカイドウ・リエールだ」

「失礼。ボクはフルールだ」

「そうか。今この船には、俺と妻のシュリの二人だが、最初に言っておく。俺らの言うことを守れ。できないなら、尻を蹴って海に落とす。いいな?」

「わかったよ」

「フルール、言っておくけれど冗談ではありませんよ。ちなみにサラサ殿は機嫌が悪くなると海に蹴り飛ばしますから、良かったですね、今はいない」

「ふ、ふうん、そうかい……さすがのボクもちょっと海は怖いな」

 波止場を離れ、次第に大陸が遠くなっていく。カイドウは帆を張って、ぐるりと周囲を見てから、降りてきた。

「凪ぎとは言わないが、そう荒れもしないだろ。酔ったら空でも飛べよ、フルール」

「はは、諒解だ。しかし――なんというか、こうまで見破られると、ボクの術式も精度が甘いと、落ち込みたくもなるよ」

「ん? ああ、実際に見えるからな、そのくらい」


『――やれやれ、世間知らずのお嬢様だねえ、まったく』


 それは、唐突に訪れた、第三者の声。カイドウが振り向けば、船室から一冊の本が、ぱたぱたと空を泳ぐようにして前甲板へ近づいてきていた。

「おや、カイドウさんの魔術書――でしたか」

「まあな。クソ性格が悪いヤツだ」

「ちょっと待ってくれ。落ち着いているところ悪いが、本が飛んでいるぞ! こんなことが日常的なのかい?」

「いえ初めて見ましたし、声を聴いたのも今が初めてです」

「いや普通、本は飛ばないだろ。お前大丈夫か?」

「なんでボクが非常識みたいに語られてるんだ⁉ というか、だったらもうちょっと驚いてくれよ! なんかボクが馬鹿みたいじゃないか!」

『実際にはその通りだろ、お嬢ちゃん。いくら書物で知識を詰め込んだって、年齢相応の〝落ち着き〟なんてのは、経験がなくちゃ得られないものだぜ? ガキが外を走り回るのを見て、元気が良いと思うようになったら、立派な母親さ。おっと、子供がいない場合はどう称するのか聞きたいって顔だ』

「く、なんだこの本は……!」

 まるで挑発するかのよう、本はくるくるとフルールの周囲を飛び回った。

「あー……面倒だ。ギィール、俺は中にいる」

「はい、わかりました。シュリさんにも、よろしくお願いしますとお伝えください」

「はいよ」

 ひらひらと手を振ってギィールは後甲板へ移動しようとするが、その途中でギィールは僅かに腰を落とすよう、頭の位置を下げた。

「――へえ? 守らないんだな?」

「相手を見るようにしています」

「なるほどねえ」

 今度こそ、カイドウの姿は中に消えた。

「……、なんの話をしていたんだ?」

『やれやれ、甘ちゃんだねえ、お嬢様。試したんだよ、居合いが三回だ。その内の二つを、ギィールちゃんが一手で防いで、残り一つがお嬢様の首から上をぽんっ、と飛ばしたってわけさ。この程度を見抜けないようじゃ、お話にならないぜ、お嬢様。聞こえてるか? 対応できなくても、せめて見えるようになれって、俺が助言してるんだぜ?』

「……」

「いえ、無言で本に指を突き付けて自分の方を見ても、何もできませんよ。ただ――そうですね、一つだけ」

『ん、なんだいギィールちゃん』

「今は〝自由〟なのですか?」

『ははは! ま、所持者じゃない本来の〝主君〟がいなくなったんだ、確かにその通りだよ、ギィールちゃん。カイドウちゃんも、俺の存在は必要ないだろうからねえ。どうしたもんかと思っていたら、そこのお嬢様が乗り込んできたってわけさ』

「おい、おい、いいからその、お嬢様というのをやめてくれ。ボクはフルールだ」

フルールか! ははは、まあいいだろう、ギィールちゃんに睨まれたくはないからねえ』

「それはどうも」

「え、なんでギィールが素直に応答してるんだい……あれ、おかしいな。以前ならばボクが主導権を握っていたはずなのに」

『ところでフルールちゃん。――狼と竜混じりは自覚しているようだが、どうして安定しているのかまで、きちんと調べているんだろうな?』

「……本と話しているこの不可思議な状況は棚上げしたとして、原因そのものに関しては曖昧なままだ。奇跡的な配列? あるいは、配合? キリエとはそんな結論が出たけれどね」

『なんだ、キリエちゃんの可愛さはついに頭にまで回っちまって、お花畑か? かといってギィールちゃんにも、さすがに察しはつかないだろうね』

「ええ、そうですね。異種族間交配の場合、必ずどちらかに傾きます。中間に近くなればなるほど、短命が確約されますし、そもそも誕生しない場合も多くあると聞きました。フルールのような例は、稀なのでしょう」

その通りイグザクトリィ! ま、血液遺伝と似たようなものなんだが、お前たちは知らないだろうし、ちょっと説明してやろう。人間との異種族配合、これはどうなる?』

「異種族の血と人間の血なら、ほぼ半分同士を持って子は生まれるね。それは安定の証左だ」

『安定ねえ。じゃあフルールちゃん、更に質問だ。その場合、血が〝強い〟のは、どっちだい?』

「――強い?」

「なるほど……そういう着眼点は持っていませんでした」

『だったら、この問題は後回しだ、自分たちでよく考えるんだな。さて、人間をAとして、異種族をBとしよう。質問だフルールちゃん、異種族が同族間で子供を成した場合、その子はどうなる?』

「Bになる」

『違うねえ、フルールちゃん、それは大きな間違いだ。それとも竜族は、たった一人で子供を作ることができるのかい?』

「……そうか、つまり子供は、BBになるのか」

『そういうことだよ、フルールちゃん』


 しばらく、沈黙が落ちた。


「え? 続きはなしかい?」

『やれやれ、本当に甘ちゃんだねえ。話の流れを読むことすらままならないんじゃ、ここからの旅は大変そうだぜ、ギィールちゃん』

「普段のフルールは、自己の中で結論を見出すため、情報を集めますが、受動的になる状況そのものが少ないので、慣れていないんですよ」

「た――確かに、そうだけれど、うん、なんか癪だな。こらギィール! ボクはどうすればいいのかちょっとわからなくなってるぞ!」

「見ればわかります。浮足立っていると、今は納得しておきましょう。さてフルール、先の話ですが」

「ん、ああ、そうだった」

「フルールが言った通り、異種族の血と人間の血は、半分になります。つまり、半狼族などは先のたとえだと、ABになります――が、この時点でおそらく〝劣化〟が見られるでしょう」

『違うぜ、ギィールちゃん』

「では融和なのでしょう。フルールもそろそろ気づくでしょうけれど、続けますね。では、半狼族と、半竜族の交配があったとして――その場合は?」

「――つまり、人、半狼族、半竜族、竜族、狼族、そして」


 フルールのように、竜族と狼族の交配ができる、可能性がある。


「融和です、フルール」

『つまりだ、どうしてフルールちゃんが生きていられるのかっていうのは、人間の血がきちんと混ざっているからさ。あるいは根幹と言ってもいい――人間を柱にして、二つの種族がくっついた、そういうことだよ。ちょっと考えればわかるようなことを、今まで悩んでご苦労さま。俺に指がついていたら、差して大笑いしていたところだ』

「……なあ、君は性格が悪いって言われることはないか?」

『そんなことを指摘するまでもなく、わかっていることだから、あまり言われないね』

「君は性格が悪いな!」

『フルールちゃんの性格が弱いだけじゃないか?』

「――っ」

「いや、ですから自分を睨まれても、どう反応すべきか困るのですが」

「君の旅は、こんなものだったのかい……?」

「……? 話が通じるのですから、特にこれといって問題は思い当たりませんが……」

「ギィール、君は凄いな!」

「はあ、どうも」

 何が何やら、である。

『やれやれ、こんな甘ちゃんが一緒じゃ足手まといだ。ギィールちゃん、こいつの世話は俺がしてやるよ』

「おや、よろしいのですか?」

『晴れて自由の身だ、そのくらいのことはしてやるさ。何しろ俺は魔術書だ、魔術師の手に渡ることはなんの問題もありゃしない』

「なるほど」

「待て待て待て! 当事者であるボクの意見も聞かず、さも当然のように同行の流れを作っていることに関して異議を唱える! こんなクソ性格の悪い本と一緒に旅だなんて御免だ!」

「では自分が持ち運びましょうか」

「裏切るのかギィール……!」

「いえ、慌てているフルールが可愛らしいもので、つい」

「くっ、いつの間にかサディストに育ってるじゃないか!」

「しかし、言葉の伝達手段は術式ですか?」

『察しが良いねえ、ギィールちゃん。鼓膜を振動させてんのよ、術式で。これが使えるようになったのも、拘束が解けたお陰ってな』

「おい性格のクソ悪い本野郎」

『なんだい、甘ちゃんの犬っころとトカゲの混合種』

「くっそう……いや、まあ良しとしよう、うん」

「負けましたね」

『俺に勝った気分があればよかったんだけどねえ』

「うるさい。で、お前の名前はなんだ? 今後の付き合いがあるなら、もうちょっと呼びやすい方がいい。それに名は事象の固定だ」

存在律レゾンの固着だよ、フルールちゃん。この場合は俺自身ではなく――と、語弊になるが、まあいい。本の名称そのものが該当するわけだが、俺という人格の発生はそもそも、本の完成と同義じゃない』

「存在律、か。サギシロが口にしていたのを覚えているが、ボクにはまだ明確なものとして定義できていないように思うよ。で?」

『そうだなあ……』

 ふわふわと飛ぶ本を、フルールが掴み取る。表紙にはタイトルなど印字されていないし、フルールが力を入れても、本が開くことはない。

『よし、ケイジロウの名を貰おう。スペル的にはキージロウか? 面倒なら、キージでいいぜ、本来の名を忘れなければな』

「キージロウ、ケイジロウ……キージねえ。諒解だ、そう呼ぶことにするよ」

「――あ、シュリさん」

 裏側からこちらに、小太刀を左腰に二本差した女性が歩いてきた。ギィールはすぐに、頭を小さく下げる。

「おかえり、ギィール。そっちのはフルールだっけ」

「そうだ。君がシュリか、よろしく」

「ん。それでギィール、これからどうするつもり?」

「まだ話し合いをしていませんからね、何とも言えません。ただフルールの都合を鑑みれば、三番目で合流したのちに、一番目に行こうかとも考えているのですが」

「そっか。――ギィールが、〝卯衣うい〟を折ったの?」

「あ、――はい、そうです。サラサ殿に頼まれたので」

「どうだった?」

「それほど難しくはありませんでした」

「そか。機能そのものは、じゃあ必要なくなるのかなーって感じだけど、たぶんサラサは直したいって言いだすと思う。創ったのはガーネだから、どうしたもんかなと」


「――、それは」


 その名は。


「ガーネさんは……眠りにつきました」

「うん、だろうなって。サギもいないし、オトガイもアレだし、やっぱりシディとアクアも?」

「はい」

「あんがと、看取ってくれたんだ。――あ、そこのトカゲモドキ」

「ああうん、ボクのことだね、わかるけれど」

「文句言うな。はい釣り竿、貸したげるから食料確保しなさい。流しで釣れるから」

「やったことがないんだけれど――」

「頭使ってやんなさい。この船では私とカイドウがルール。わかった?」

「イエス、マァム!」

 ギィールは小さく笑い、釣り竿を片手に海へと挑むフルールから視線を逸らせば、いつの間にか横まできていたシュリがいて。

「――大きくなったねえ」

 後ろから、後頭部を軽く撫でられた。

「あの、シュリさん」

「あはは、サギに任せたとはいえ、ここんとこ見てたし、なんかねえ。私の小太刀は――うん、まだ届くけど」

「さすがに、シュリさんやカイドウさんに挑めるなどと、思い上がっていませんよ」

「んー、まあ船の上じゃこっちが有利だし。でもそうだね、一番目はまだ行ったことなかったっけ?」

「はい」

「私は賛成かな。あそこは面白いし――鍛治師も、いるなら一番目だと思うし」

「そうですか、参考にします――え?」

 ふいに、ギィールは背後を振り向き、空を見上げて。

「あ……そうか、失礼」

 その感覚を理解して、微笑んだ。

「――ちょっと迷子になってきます。フルールをよろしく」

「はいはい、いってらっしゃい」

 そうして、ギィールは〝そちら側〟へ、足を踏み入れた。


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