06/21/18:40――サラサ・べーさんの領域

 またかと、サラサは次があると言っていた言葉の意味を正しく理解すると共に、それでも初動にあった、どこか海の中に飛び込んだような肌の感覚は経験することができた。やはり父親の言っていたように、二度目ともなれば変化が認識可能になったようだ。

 ――さて、それはともかくとして。

 今度は、古城のようだった。どうして王城と表現しなかったのかと問われれば、地下にあるのか、どこか古びた様子が見てとれたからだ。石造りの大きな玉座も、人には大きすぎるそれも、まるで使われていないことが前提になっているかのようで――いやいや。

 待て。

 それよりも、どういうことなのだろう。

 立っている自分の目の前に、しゃがみこんだ男が一人いる。老人とも表現できそうな風貌であるが、どこか色が混ざり合って奇妙な感じがする瞳の色が実に印象的だ。単色ではないようだが、何色かわからないような混ざり具合。じっとこちらを見る目には、嬉しさと楽しさが浮かんでいて、どういうわけか頭を撫でられていた。

「えっと……」

「どうした、幼子」

「あのう、ちょっと叫んでも、いいかな」

「おお、元気が良いな、それはいい。腹に力を入れて叫んでみろ」

「うん」

 大きく息を吸い込んで、一応念のためと思って天井へ向けて、シャンデリアみたいな装飾品はないんだなと思いつつ、叫んだ。

「助けて、アルさーん!」

「ほう。うん、いいな、いい声だ。いいぞ幼子、やはりそうでなくてはな」

「ありがと……あのう」

「ん? 私か。どうしたものか……私は昔から、名前を持たなくてな。今の呼び方はあるが――いかんせん、ここでそれを使われるのは、うん、あまり好ましくはない」

「そなの? よくわかんないけど」

「この場において、いや、そうでなくともだ、幼子とは〝そういう関係〟でなくても良かろう。そうだな……安直だが、そう、私のことはべーさんと呼べ」

「べーさん」

「簡単で良かろう?」

「うん。でもなんでか、聞いていいかな?」

「雷龍ビィフォードが私の呼び名だからだ」

「おー」

 そうなんだ、と言えば、そうともと笑って、男は立ち上がった。外套に似た黒装束、背丈は父親よりも高い。

 そうして――。

「む……?」

 その場へ、彼が。

 アルフレッド・アルレール・アルギスが到着する。

 いみじくも――いや、それこそが。

 誰かと誰かを繋げることが、あるいは、サラサの役目だったのかもしれない。

 二人が邂逅する。

 数千年の時間を隔てて、主と従僕が、再会を果たした。

「――我が主様!」

「おお! アルと叫んでいたが、貴様のことだったか薬指! ああ、いやいや、もう私の指ではなかったな……ははは、久しいではないか! なんだ幼子、面白い助けを呼んだものだな」

「そなの? アルさん、べーさんの知り合い?」

「あ……ああ、そうだ、古い、古い、知り合いだ」

 どっかりと玉座に腰を下ろした男の前、片方の膝をつくようにしてアルが対峙する。やや顔を上げて男を見るその表情は、今にも落涙しそうなほどの歓喜が詰まっているのだが、サラサにしてみれば、なんだこれ、といった感じだった。

「む? そうだ幼子よ、名は持っているのか? あるのならば教えてくれ、そうして人は縁を持つものだ」

「あ、ごめん、忘れてた。私はサラサ」

「サラサ。――よし、覚えた。久しく忘れていた私の領域を作り出すとは恐れ入ったが、しかし意図的ではないようだな」

「主様」

「アルレール、私はもはや貴様の主ではない。見ろこの手を、きっちり五本揃っている。貴様は私に戻れない。貴様はもう、貴様そのものだ。そして私は、今はもうビィフォードである。せめて貴様は、そう呼べ。べーさんでも構わんぞ」

「……はい、ビィフォード様」

「まあ良かろう」

「私が血を別け与えた者の言によれば、どうやらサラサは〝鍵〟であるようです」

「ほう、鍵か。貴様と私をこうして合わせたように、サラサは今のところ自覚なく、私や貴様と引き合った――と。ふうむ……サラサ」

「はあい」

「ははは、落ち着いているようで何よりだ。すまんな、わからんことも多かろう。ところで確認なのだが、サラサは七番目の大陸ズィーベンにいたのか?」

「うん、もう出るところだったんだけど……また迷子になっちゃった」

「肝が据わっているな、良いことだ。うむ、迷子か。そうかそうか、ははは、面白い子だ。しかし、セツがどうして知っている?」

「以前の邂逅の際に、顔を見せました」

「ふむ。あやつは怖いからなあ、私としては逢いたくはないが……おお、そうだサラサ」

「うん?」

「どうだ、お前は私が怖くはないのか?」

「んー……父さんと母さんの方が怖い」

「ははは! それはそうだ、そうとも! そうでなくてはならん! サラサ、お前良い子だな!」

 実に嬉しそうに言いながら立ち上がった彼は、両手でサラサを抱き上げるようにして、あろうことか、己の玉座にぽんと乗せて座らせた。

「しかしサラサ、現状は理解できているか?」

「うぬう……どうだろ。なんかねー、難しい話はわかんなかったけど、私としてはね? こう、なんかざわっとして、引っ張られた感じ。でも引っ張る感じもあって……」

「うむ。どうだアル」

「はい。おそらくですが、領域そのものに入り込んだサラサが、ビィフォード様を引っ張り上げた、というのがセツの見解です」

「サラサが作り出しているわけではない、と?」

「そのようです」

「なるほどな。負担になっているのならば、次はよせと言いたいところだが、そういうものではないのならば、心配事が一つ減った。だとしたらアル、何故お前がここへ来れる?」

「以前に出逢った領域の〝維持〟は、私一人では困難でした。残滓とでも呼べばいいのでしょう、サラサが去ったあとも、しばらくはそのままセツと話していたのですが、そこから先は〝いつも〟の私に戻ってしまったようです」

「なるほど、これが〝特殊〟であることは、私自身が実感しているとも。何しろここは、我が古城だ。私自身の手で最後に壊した場でもある。心象風景かとも思ったがな」

「しかし――サラサに呼ばれ、それがわかると、私の存在は難なくこの場へたどり着くことができました」

「そうかそうか。なるほどな、いくつかの仮説に符号する部分もあるにはある――む、いかんな、サラサ」

「うん?」

「退屈か?」

「んー、なんか難しいこと話してるなあって」

「すまん、すまん。ちと、現状についての分析をな。サラサは――詰まらんか?」

「今? んっと……よくわかんない。でも、アルさんにとっては、べーさんに逢えて、良かったんだよね?」

「ああ、そうだ」

「うん。それはちょっと嬉しいかなあ。でもなんでこうなったんだーって、ちょっと考える」

「あちらに戻ったあとも、問題はないのか?」

「うん」

「そうか、それは良い。だが――いかんな、どう楽しませたものか。来客を招くとならば、酒に食事というのが習わしだが、いかんせんここには、そんなものもない」

「お酒、好きなの?」

「うむ、好きだとも! 私のような存在は、ああいったものをよく嗜む。だがサラサには少し早いか……ふむ? そういえば、アルと逢った場は七番目ではあるまい。その幼さで旅人――ということはなさそうだが」

「あ、うん。私ねー、船乗りだから。父さんと母さんが、だけど。船で生活してんの」

「船か! そういえば昔、海の上で遊んだ時に、根性のある船乗りがいたな……」

「……あれ? べーさんって、えと、七番目の、龍なんだよね?」

「うむ、そうだとも。実体は凄いぞう、雷そのものだからな! 海に落とした雷が流れる様子は綺麗だったと、今でも覚えている」

「――あ! 思い出した! 父さんと母さんが、嫌な顔して話してた! 海が〝荒れた〟時よりはマシだー、とか言ってたの、それだ!」

「なに?」

「雷と風が一緒になって遊んだ、とか言ってたもん。もー、べーさん無茶だよー。まあ生きてるからいいんだけど」

「無茶か! ははは! すまん、すまん、どうも楽しくなってしまってなあ! なあに、次からは気を付けるし、次があったとしても、根性のある船乗りだ、かつてと同じことはあるまい」

「あー……うん、そんな感じ」

「だろうな、ははは! おっと、いかん、そういえばサラサ、自分で戻れるのか?」

「……んう?」

「場ではなく地点の確保です。――サラサ、自分の〝家〟はわかるだろう? 戻る時は、家を想像して、そこにいる両親の存在を見つけて、一歩を踏み出せ。そうすれば自然と戻ることができる」

「そっかー、ありがと、アルさん」

「いや、構わない。私としても、そういう役目だ。役目というよりも――まあ、面白がってはいる」

「なるほどな。よしサラサ、次は私を呼べ」

「え、べーさん助けてくれる?」

「もちろんだとも!」

「そっかー、わかった。あ、そだ。ここでの会話は、話さない方がいいのかな?」

「ふむ、判断がつかんか」

「うん、まだよくわかってない。二回目だし」

「あまり大っぴらに口にすることは避けるべきだろうが、たとえば両親なんぞには、話しておいた方が良かろう。なに、親というのは、子供の動向が気になるものだからな。口出しするかどうかは、親次第だが」

「うん。父さんはよく考えろって言うし、母さんは失敗してから、残念でしたーって言う」

「良い親だな! ……しかしサラサは丸顔だな」

「むっ」

「いや丸顔は良いものだ。悪くない。躰まで丸っこくならないよう気を付けろ。いやそれは十年後でも充分か! はっはっは!」

「べーさんは元気だなあ……」

「うむ、元気でなくては、何もできん。楽しみを見つけなくては、人生は詰まらんぞ? ははは! 退屈なんぞ五十を過ぎてから感じれば良いものだ!」

「そっかあ……うん、わかった。ほんじゃ、次はべーさん呼ぶね?」

「うむ、心得たとも!」

「じゃあ帰る!」

 ぴょんと、玉座から飛び降りたサラサは、何かを考えるように視線をやや上空へと向けた。

「えっと、おうちだね。それと、父さんと母さん……」

「――サラサ、目を閉じてみるといい。その闇の〝先〟に、目的の場所はある。そちらへ一歩踏み出せ」

「はあい」

 そう返事をして、なんとはなしに一歩を踏み出せば、そこは。

 いつもの、船室だった。

「おおう……」

「――ん? おう、お帰りサラサ」

「父さん、ただいまー。母さんはどったの?」

「外で監視中。腹減っただろ、飯にしとけ」

「はあい。…………あ! あの子、どったの?」

「ああ、乗せた。名前はギィールだ、覚えておけ。後ろ甲板で毛布にくるまって寝てるよ。客じゃないが、あんまし気にするな」

「わかった。もう移動してるんだよね? どこ?」

「予定通り、二番目。じいさんたちにも逢いたいだろ?」

「うん! 久しぶりだよねー」

「一年ぶりくらいだろ、まだ。あっちも楽しみにしているだろうから、いいんだけどな……ギィールに関しては、まだ考え中だ。放り捨てるわけにはいかないが、面倒を見ようとは思っちゃいない」

「ふうん……――あ、母さんお疲れ! ただいま!」

「はい、お帰りサラサ。今回も無事に戻ってきたみたいね。どうだった?」

「んー」

 用意されていた弁当箱にある夕食は、手軽なサンドイッチだ。量はあるが、おそらくいつでも食べられるようなものにした、シュリの気遣いなのだろう。

「今回はねー、古城みたいなとこだった。べーさんがいてね。あ、えっと、べーさんは、なんだっけ……雷の龍? ほら、父さんと母さんが、こんにゃろーって言ってた、龍のひと。ちゃんと文句言っといたよ」

「ビィフォードか……」

「あ、うん、それ! なんかね、アルさんが主様とかなんとか言ってた。古い知り合いだってさ」

「ふうん」

「サラサ、何か新しく気づいた点はあったか?」

「えっとね、迷子になる瞬間の、変な感じは覚えた。あとね、戻る時は、家と父さんと母さんを思い浮かべて、見つけて、ちょっと歩いただけで到着した。次があったら、べーさんを呼べって」

「そうか」

「カイドウ?」

「いんや、まだわかんね。ただ魔術の類だと断定はできないな。しかもサラサに負担がない」

「うん、べーさんにも聞かれた。なんか心配してくれたんだ。でも私、疲れてないし、なんもだし」

「良いことよ」

「うん」

「今のところ考えられるのは誘導因子か、あるいは発動因子そのものか……精査は必要だろうが、そこらも含めて親父頼みだな。まあその前に、サラサ自身の〝理解〟が追いつく可能性もあるが……ん、おいサラサ、アルは主と言っていたのか?」

「そうだったよ。もう違うんだってべーさんが言ってたけど、アルさんはすげー丁寧だったし」

「なに?」

「金色の従属の主……? 雷龍が? 人柱の一種なのか……? だとしたら、ほかの龍に関しても似たような状況が考えられる。空想上の〝神話〟になぞらえた存在は、実在のものが改変された純然たる事実だったってことか――?」

「……?」

「うん、よくわかんないね、サラサ」

「そだね。難しいことは父さんに任せる」

「それでいい」

「よくはねえだろ……」

「ビィフォードは、どんなだった?」

「楽しそうなひとだったよ。っていうか、テンション高くって、楽しそうだった。私も楽しかった」

「そう」

「――サラサ、一つ確認だ。その空間、古城だったか?」

「うん」

「雷の気配はなかったのか?」

「んー……うん、なかった。どっちかっていうと、なんだろう、乾いた空気だったと思う」

「乾く……渇く、か。んで、次はあるってか?」

「断言はされなかったけど、次はべーさん呼んでくれって言ってた。べーさんもいろいろ、考えてて、心当たりがあるようなないような……?」

「そうか。サラサ、お前自身も、考えることを止めるなよ」

「はあい」

 次があれば、そうしようと思う。だが、カイドウにせよシュリにせよ、次があることなど疑っていない。

 間違いなく、サラサはまた、迷子になるのだ。


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