08/15/14:00――カイドウ・魔術師の父親
第三者的な視線でシュリの戦闘を見るのは、実のところ俺、カイドウ・リエールにとっては初めてのことである。ましてやこれは鍛錬だ、自分の立場に置き換えれば見られたくはない部類に入るので、俺は細かい分析をあえてせず、ただの観客としての立ち位置になろうと決め、テーブルに置いた本の表紙を軽く撫でた。
視線だけはそちらに向けたまま、一度屋内に戻って珈琲を持ってきてくれた親父に軽く感謝をしつつ、対面に座るのを見届ける。
「親父は、さっき驚いてなかったな」
「ん? ああ、レーグさんが紋様を変えた時のことかな。あのくらい、旅をしていれば見かけるよ。つまり、その程度のものだ」
「こっちは初見だったけど……五行の理については、なるほどと納得したぜ。結局のところ、世界の捉え方なんだろうな」
「その通り。仏術を含みで、呪術の捉え方というのは面白いよ。突き詰めれば自然と一体化するような、それでいて不自然にもなる。妖魔の在り方を知るには、実に良い分野だ。足で大地を踏み鳴らす、ただそれだけのことで〝鎮める〟ことさえできる」
「……すげえな」
「それより、カイドウ」
「ん……ああ、聞いたよ。俺の術式が
親父に隠し事をしても見透かされるし、そもそも助言を受けに来たのだからと、俺はサギと出逢ったことを一通り話す。もちろん、刀と本を受け取ったこともだ。
「なるほどね。どうだった、彼女は」
「俺にとって〝魔術師〟とは、親父のことだ」
「……嬉しいことだけれど、コウノは?」
「コウノさんはまた、なんつーか、違うんだよ。一極特化? まあともかく――あの人は、本当の意味で魔術師なんだと、感じられたよ」
「うん。そして、その本と刀を受け取った」
「読むか?」
「いいや、僕が受け取るわけにはいかないよ。魔術書に限らず、物品とは、そういうものだ。望む者の手に渡り、その望みが消えた時に、物品もまた、消える」
「縁――か」
「そういうことだよ」
「なるほどな……っと、しかし、シュリがあんだけやってんのに、全部受け流されてやがる。ありゃ一体どういうことだ?」
正直、シュリを真正面から受け止めた俺としては、まったく信じられないのだが。
「領域の話は、わかるかな、カイドウ」
「ん、ああ、ある程度はな」
「突き詰めれば、ああなるんだ。シュリは確かにやり手だけれど、レーグさんの領域で踊らされているだけだ。攻めている、あるいは防いでいるように見えるかもしれないが、僕にしてみれば、攻めさせられていて、防がされているだけ。あらゆる意図が掌の上だ。狙いそのものが、レーグさんに作られている」
「なんて人だ……」
「言いたくはないけれど、僕でも、どうかな、とてもじゃないけれど、やろうとは思わないし、やるべき場も用意しないといけない」
「つっても、親父は戦闘向きってわけでもねえんだろ?」
「はは、実際には、そうでもないけれどね。けれどねカイドウ、どっちつかずで中途半端――そう思っていること自体は、否定しない。しないけど、それが出す〝結果〟まで否定するのは、カイドウの悪いところだよ」
「劣等感だって?」
「過小評価だと言っているんだ。事実、カイドウはその本を読めたんだろう?」
「読めたっつーか、読まされたっつーか……性格が悪いんだよこの本、以前の所持者の影響だとか言ってやがるけどな」
「名は聞いたかな」
「ああ」
「カイドウ、このカップには珈琲が入っているね」
「ん、ああ……」
ため息を一つ、そして俺は戦いから目を逸らして、親父の手元を見た。
「これを正しく見ることは可能かな?」
「……ああ、できる」
「そう、カイドウの目はそれが可能だ。珈琲が入っている。しかし、こうして飲み干してしまえば、中身がなくなるわけだ」
そう言って、飲み干した親父は、空のカップをこちらに見せた。
なくなっている。
当然だ。
「……そうか。ちょっと待ってくれ」
「構わないよ」
なくなってはいるが、俺は今しがた、珈琲の物質構造をこの目できちんと見ていた。であるのならば?
俺の使う術式が
必要なのは意識だ。
現実を置き換える。
この場合は、つい数秒前の〝現実〟を意識してやればいいのだから、そう、空のカップと中身があるカップを、重ね合わせ、中身がある方を上書きしてやる感覚で――。
「うん、その通りだ」
「――、なんとか、できたか」
書き換えれば、そうして、珈琲は復元する。構築したのは俺の魔力だが、珈琲の構造そのものに変化はないので、ほぼ同一のものなのだろう。
だがしかし。
「物質具現って、こういう場合も言っていいのか? えらい魔力を消費しやがるな……」
「それは効率化にまで至っていないからだよ。もちろん、それだけじゃないけれどね」
「先が長そうだ。つーか、親父が求めてる魔術書じゃねえのか、こいつは」
「そうだね。そういえば、話したことは、なかった気がする。そもそも、ジェイとは何なのか――きっとその片鱗は、カイドウも察しているはずだ」
それはまあ、書庫に出入りできていたので、それなりに。
「かつて、ジェイ・アーク・キースレイと呼ばれる魔術師がいた。その人物が記した本が五つある。けれど、僕のようにジェイの名を継ぐのは、そこに至ろうとする意志があってこそで、それ以外は付属物のようなものだ」
「至ろうとする……?」
「ジェイになろうとすること、それ自体を指してのことだよ。魔術書を揃えて、それを使えるようになれば、もちろんそれでいい。けれど逆に、魔術書もなく、それでも至ってしまえば、それはそれでジェイなんだ」
「……よくわかんねえ話だ」
「そんなものだよ。わかりやすく言ってしまえば、カイドウが船乗りだと、そう名乗るのと何ら変わりはないのさ。各地を回っていたのも、経験を積むためであり、魔術の研究のためで、本を探し回っていたわけじゃないんだよ」
「なるほどな。ああいや、本質的にはたぶん、理解できないままだ。ただ俺には真似できねえ生き方だと、そう思ってさ」
「そんなに難しいことじゃないよ。ところで、カイドウはどうして?」
「ん、ああ……いやな、オボロでもいるんなら、一度手合わせをしておきたいと、そう思ってな。なんつーか、今の俺がどうなのかってのも、把握しときたいし――いやわかってるんだが、どうも俺は、劣等感が抜けきれねえ。シュリとは違った意味で戦闘は嫌いだ。未だに、勝てる、なんて思ったこともない」
「そうだね。残念なことに、カイドウは最初から勝ち負けっていう領域を実感したことがないからねえ……」
「なんだよ、親父は違うってか?」
「僕は昔、姉さんに勝てないと思ったから、魔術師になっているし、領域が違えば勝ち負けもないと、そう割り切った。だから僕は姉さんと戦闘をしないし、姉さんもそれをやらない。何故なら、勝ち負けじゃなく、生き死にへと直結する危険性を孕んでいるからだ。ついでに言えば、お互いに苦手意識を持っているからね……」
「じゃ、コウノさんとは、どうなんだ?」
「ははは、時宜を逸したと言うべきかな。対峙しただけで、わかることもある。出逢ったばかりの頃、僕はコウノに知識で劣っていた。つまり、簡単に言ってしまえばコウノに見抜かれ、そして僕は見抜けなかったんだ。今はどうだろう、対等になれたかな、くらいなものさ。事実――それだけで、いい」
「――いいのか?」
「いいんだよ。だからカイドウ、それでいいんだ。深く考える必要はない。他者と比較することもない。勝ち負けではないんだよ――優劣でもないんだ。けれど、それでもと思える相手がいるのならば、それは幸運なことだ。それでも勝ちたい、それでも劣っていたくないと思えるからこそ、カイドウは、今もこうして、いろいろ考えて、試そうとしているんだろう?」
そう――なのだろうか。
俺は、この劣等感は、確かに誰かとの比較で生まれたものだ。比較しなくていい、と言われても、どうしたって俺の傍には親父もいるし、コノミもいたし、シュリもいる。
俺は、特別じゃない。
けれどでも、こいつらとは違うんだと、そう思ったことはなかった。同じ人間だと思っているし、劣っている実感があればこそ、いつかはたどり着いてやろうと思うこともある。
だが――優れたいと願うわけでもなく、勝ちたいと思うわけでもない。
本当に?
そうなのか?
考えろ、カイドウ・リエール。
今の俺にとって、勝ちたいと――違う、そうじゃない。
〝負けたくない〟と。
そう思う相手が、今まさに、目の前にいるんじゃあ、ないのか――?
「自分で自分を認められないのなら、カイドウ、誰かに認めてもらうしかないんだよ。でも、僕の言葉は届かない。どうしたって、僕はカイドウの父親だからね。きっとサギシロ先生や、コウノの言葉も届かないだろう。聞こえても、それは慰めにしか聞こえない」
そう――けれど、俺は。
きっと、シュリ・エレア・フォウジィールに言われれば、疑いもせずに、受け入れる。
なんだこりゃ。
いつの間にか俺は、シュリには負けたくない……というか。
並んで一緒に生きていきたいと、そう思ってんのか。
おいおい、いつからだ? いつしか? ――クソッタレ。
「認めたくねえなあ……」
「あはは、いいじゃないか。そんなものさ」
「親父は気づいてたのかよ」
「以前、シュリとは話をしたからね。ついでに、父親として言ってしまうけれど、カイドウ。今の気持ちはね、シュリも同じく抱いているものだよ」
「……は?」
「似た者同士ってことだ。劣等感がどうであれ、認めてもらいたいのは、彼女も同じだよ。ほかでもない、誰でもない、カイドウにそうしてもらいたい。裏を返せばそれは――ただの一度でも、彼女は、カイドウに勝ったと、思ったことはないってことだ」
「――」
開いた口が閉じない。似た者同士という部分はともかくも、シュリが? あいつが、俺に勝ったと思ってない? なんだそれは……こっちの台詞だろうに。
「カイドウ、どうして本と刀を受け取った?」
「そりゃ……海が荒れた時、あん時と同じ状況が起きたら、また無様を晒したくねえから」
「そう、成長しなくては、また同じ忸怩を噛みしめることになる。それはシュリもきっと同じだろう。けれど――その状況を想定したのならば、隣には彼女がいるだろう?」
「……」
「と、まあ、これ以上は意地が悪いね。やめておくよ」
「そうしてくれ……落ち込みそうだ」
ああ――なんてこった。
隣にあいつがいないことなんて、考えもしなかった。
「……ん? 誰か来るな」
「ああ、遅かったね。レーグさんが紋様を変えた時点で気づいて、全速力――というわけでも、なかったようだ」
戦闘中の二人が大きく間合いを取り、肩で息をしながらも睨みつけるシュリを置き、レーグは扇をひょいと空間に投げて消した。
そして、到着する。
槍を持った袴装束の男。
オボロ・ロンデナンドの到着である。
「――」
迷いが見えた。それは、邪魔をしたのではないかという思考。だから俺は小さく笑って、声を上げた。
「オボロ! 急いでどうした、腹が下ったんならうちの便所を使えよ」
「――、いえ」
小さく吐息、肩の力が抜ける。そうだオボロ、それでいい。気を遣う間柄ではないだろう。
「お久しぶりであります、レーグネン殿」
「おう、槍使い。いたんだなァ」
小太刀を戻したシュリが、ふらふらとこちらに近づいてくるタイミングで、家の中からお袋が顔を見せる。お盆にはお茶が並んでいた。
「はいお待たせ――なあに、二人して呑気に。お茶よー、休憩なさい……ん? 知らない顔が二つある」
「レーグさんだよ」
「ああ、あの人がリンドウの言ってた……そっちは?」
「私はシュリ・エレア・フォウジィール! 船乗り! カイドウの子を産む予定!」
「元気でよろしい。母親のクズハよ。……なに、カイドウ」
「俺が否定する間を作ってくれ……」
どういう挨拶をしてんだ、この女は。しかも俺の隣に座るのかよ。
「あーしんどかった……」
「たまにゃ良いだろ、そんくらい。――よう、オボロ」
「久しぶりであります、カイドウ殿。そちらの女性は初めてでしたか、自分はオボロ・ロンデナンドであります」
「センセイが言ってた槍の人かあ。よろしくねー」
「はい。フォウジィール殿、失礼ながらイリカ・メドラート殿とお逢いしたことがありませんか?」
「イリカ? ……あー、軍人の。元だっけ? うん、ちょっと話したけど」
「メドラート殿は、かつての自分の上官であります。つい先日ほどにお逢いした時、お話を伺いました。随分と評価されておられたので、お逢いできて光栄です」
「……何を話したんだ、お前は」
「んや、べつに。というかよく覚えてない。あー疲れたー、しんどー。お茶はおいしい。センセイは鬼だ。くっそう……」
「お前はまたそうやって――ああ、もういい。それよかオボロ、丁度良い。どうだ? 俺と一戦、交えないか?」
「カイドウ殿と……で、ありますか?」
「なんだ、嫌かよ」
「いえ、驚いたのです。かつてより、直接やり合ったことは、今までにありませんでしたから」
「そりゃ、やる前に結果がわかってるからだろ。けど、俺も心変わりくらいする。わかってるんなら、その結果ってやつを見てみようかってな。試したいこともあるから、それなりに派手になるかもしれねえ」
「――、諒解しました。自分もレーグネン殿に見せるつもりでしたから、構いません」
「んじゃやるか。シュリ」
「はいよ、交代ね」
軽く、お互いの手を打ち合わせる。べつに必要な行動ではないが、その場の流れというやつだ。
しかし――オボロが相手、か。
馴染みの相手とはいえ、お互いに成長していて、初めて逢ってからはもう十年くらいになるのか? まあいい。
昔から、馴染みの相手とやり合うのには抵抗もあるんだが……結果とやらを、見ようじゃないか。
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