07/02/13:50――シュリ・海の上の窮地
ほっと一息入れられるほどではないにせよ、全身に入っていた力を一度抜いて、気を改めるくらいの時間は出来たのだなと、私、シュリ・エレア・フォウジィールは深呼吸を一つした。
その直後だ。まるで私の気構えの瞬間を狙ったかのように、視界が真っ白に染まった。反射的に瞼を閉じたものの、閉じていても白色以外が見当たらなかったのだから、それはとてつもない光源から放たれたもので、それが雷光であることに気付くのは、遅く。
「お前ら、耳塞げ」
いやに通る彼女の声が聞こえたので、迷わず言葉通りに両手で耳を覆えば、何もかもが一つに収束してしまう轟音が鳴り響いた。びりびりという音の振動が躰を震わせ、平衡感覚が崩れる。波が一つでも立っていたのならば、私たちは無様にも転び、下手をすれば海に転落さえしていたかもしれない。
轟音に身を震わせていれば、白色が一瞬にして消えた。そこで私は落雷の可能性に気付き、ゆっくりと目を開けば、――何も変わらない場が、今までと同じ状況が、そこにはあった。
落雷の直撃。しかも、雷を体現しているヴェドスが放ったものだ――そこに気付いてすぐ、私は仰ぐようにして彼女を見た。
少女は、相変わらず鳥居の上に立っていて、生きている。
「――オレに向かって落雷だと? 遊んでる場合か、てめーは」
そんな言葉を残し、まばたきもしていないのに、彼女の姿がふわっと消えた。
「
カイドウが、その目で見たからこそ、確信を持ってそう告げる。私は考えもしていなかったし、コノミは当てをつけていた段階なのだろう。
玉藻が笑う、酒の瓶を持った手が、そちらを示す。
――あろうことか。
ヴェドスが腹を空へ向けたかと思うと、背中から思い切り海に叩きつけられていた。盛大な水しぶき、それに伴う放電現象。その〝災害〟に現実味を帯びないまま、影響だけが私たちを素通りする。
空間転移――ということは。
上下左右、あらゆる衝撃が素通りしているということか。けれど、状況の推移を見るという役目の性質上、音だけは除外していない……?
「ったく」
そうして、彼女がまた鳥居の上に出現した。けれど、背筋をぞくりと走る悪寒と共に、彼女の髪の色だけが、紅色に染まっているのだけが違っていて、それがとてつもなく危険なことだとわかったのに、だが、すぐに元の黒色へと戻っていた。
ヴェドスが落ちた地点から、今度は海が白色に染まっていったかと思えば、轟音と共に雷が上空へと立ち上る。きっと、完全に観戦できていたのならば、幻想的な光景とでも思ったことだろう。
「玉藻」
「なんじゃ」
「挨拶してこい」
「――ふむ?」
「ガキどもはオレが守ってやるって言ってんだよ」
「お主を信頼しろとでも?」
「事実、こうして守ってやってんだろーが。自殺志願者なら放っておくが、観客を強要されたとなりゃ、オレだって見殺しにやしねーよ。んで、てめーがこの場から出れば、てめーを守るっていうこの状況を回避すんなら、対価の発生も面倒がなくて済む」
「む、なんじゃ、妾は人間準拠じゃが?」
「それで済んでると思ってんなら、相変わらずてめーの頭は良い天気なんだな」
「言ってくれるわ……コノミ!」
のそりと、玉藻が立ち上がった。
「ちと、挨拶に行ってくるが、構わんか?」
「私に確認を取るのか」
「我が主じゃろ。それに、このままでは妾こそ自殺志願者になりかねんからのう」
どうするのだろうかと思っていると、コノミは戦場から視線を切って吐息を落とし、玉藻を見上げた。
「帰ってくるなら、それでいい」
「うむ。ではちょいと、遊んでくるかのう」
肯定するのは予想できたけど、なんだこの狐、めちゃくちゃ楽しそうじゃないか。え、なんなのこいつら。馬鹿? それとも
「おい、
その言葉は誰に放ったものかはわからないが、たぶん海に向けてのものだろう。ひょいと飛び降りた玉藻は、和装束と八本の尻尾を揺らしながら、海の上をまるで陸のように扱って歩いて行く。
――ややあって、私は違和感に気付いた。
「え……あれ? ちょっ、玉藻のサイズが変わってないんだけど!」
「……だな」
どんどんと距離が空いているのに、サイズが変わっていないのならば、それは、玉藻が大きくなっている、ということに他ならない。
「さてと」
空からの声に振り向けば、煙草に火を点けた少女が、こちらを見下ろしていた。
「〝
「というか、玉藻の知り合いらしいが、あんたは誰だ?」
「ベルだ」
――〝
だが、そう名乗った以上は、本物なのだろう。だろうけれども。
「なんだ牙、信じられないか?」
「牙じゃなくてシュリ。いや、信じるしかないんだろうけど……」
ひょいと、彼女は降りる。私は戦場から目を離して、ベルを見る。かなり小柄だ。船の手すりに乗って、丁度良いくらいだし。
「てめーらごときじゃ、オレがベルであることを証明すらできねーってことだ。だいたい、この程度の〝災害〟だって話にならねーよ。初代ベルとオレがやり合った時の方が酷かった」
「スケールが違い過ぎてよくわかんない」
「はは、素直じゃねーか。……ま、今時の船乗りってのも大概だと思ってたが、それなりに技術がある。いいことだぜ」
「そりゃどーも。……なんだろ、やっぱ変な匂いがする」
「へえ? そりゃ、どんな匂いだ」
「混ざりすぎててよくわかんない感じ」
「わからねー? いいや、それで正解だ。よくわかってんだよ、てめーは」
「……そう?」
正直に言って、褒められた気がまったくしないのだが。
「しかし、玉藻も懐かしい術式を使いやがる。呪術式の中でも、あえて
言外に、つまり私たちは、その解析にすら着手していないんだと言われている気分だ。いや、その通りなんだろうけど。
「――ね。私たちって、見てればいいの?」
「ん? ああ、それでいい。それが役目だって言っただろ」
「そうだけど……それだけでいいのかなって」
「陸地に戻りゃ、否応なく注目されて、何が起きていたのかを問われるはめになる。だとして? その時に嘘を吐いたってしょうがねーだろ。見てきたことを、どうであれ伝えりゃ、それが結果だ。価値がある。伝説はただの現実だと、認めることになる」
なるほど、と納得したが、それ自体は悪くないのだけれど、なんだ、つまりは、それだけのために、私たちは命を賭けなくてはならない現場で観戦を強要されたってことか?
くそう、なんか釈然としない。それ以上を求めるわけでも、ないのだけれど。
「ま、お前らガキには、そのくらいが関の山だ。そっちの、コウノの娘の方がよっぽど度胸がある」
「……、あんたは親父を知ってるのか」
「野郎がまだ、てめーと同じくらいの年の頃に出逢って、それ以降は――ま、一度か二度か、たまにってところだ。野郎よりもオレが気にしたのは、楠木が持ってる刀だけどな」
そうして、玉藻が動きを止めた。周囲に散らばっていた雷が玉藻へ向けて集中するのに、それらはすべて、吸い込まれるようにして一度消え、玉藻の尾や足元から周囲へと拡散している。
私は飛ぶようにしてカイドウの船に乗って、二人の横に並んだ。
「玉藻は金気だ」
「五行か」
短いやり取りしかせず、二人も戦場の推移に意識を向けている。そりゃそうだ、人生の中で二度はないのかもしれないのだし、集中もするだろう。私はそうでもないが、見ていて損はない。
「……本気で楽しんでるぜ、玉藻は」
「わかるの?」
「ああ。私と玉藻は繋がってるからな。そういう強い感情は伝わりやすい。それに、私だってここまで玉藻が力を出すのは、初めて見る。いや……こんな状況でもなければ、出すこともできなかったのかもな」
冷静に見ているようだが、こちらとしては生きた心地がしない。何度も波が結界のはるか上から押し寄せてくるし、精神的に強くあるつもりだが、限度がある。もう嫌だと投げ出したい。
「――興味がねーってツラだな」
「へ? ああうん、私の場合はそうね」
「だろうな。牙を奪ったんなら、そういうことだ」
「……? いや、興味がなくても、見ていて損はないと思ってるけどね?」
「損はないが、――それだけだ」
「ぬう……」
「唸るなよ牙、開き直れと言ってるんだ」
「牙じゃなくて、シュリ」
繰り返して言えば、彼女はふんと、鼻を一つ鳴らした。
「逆に問うけどな、てめーの名前を海の上で言わなかったやつはいるか?」
「海の上で……?」
どうだろう、と私は考えながら、諦めた気分で自分の船に戻ると、操縦室から水のボトルを片手にして顔を出す。なんだろう、改めて俯瞰するけどこれ、現実世界で合ってる? 私、まだ寝てるとかそういうオチじゃないよね。
「海じゃないけど、陸で、センセイだけはエレアって呼ぶかも。あ、私はシュリ・エレア・フォウジィールね」
「次善策だな、野郎のしそうなことだ。都合が良いやり方なんだろ」
「え、知ってんの?」
「オレが知らねーと思ってんなら、大間違いだ。それとも、ただのハッタリだと思うか? べつにそう勘違いされても、オレとしちゃ訂正するつもりもねーよ」
「……あんたの見えてる世界は、見たくない」
「それが正解だ」
「むう……あ、そっか、そうだ。コウノがそうだった。名乗りあったけど、私の名前は呼ばなかった。イザミはそうでもなかったけど。コノミもね」
「オレにとっちゃ、ぎりぎりコウノがこっち側ってところなんだろうな。てめーら揃って、一般人と変わらねーよ」
「え? こいつらはともかく、私は一般人だけど」
「それはない」
「馬鹿言ってんじゃねえっての」
なんだこいつら、こっちの話聞いてんのか。
「高望みをしているつもりはねーが、その程度かと落胆したくなるもんだぜ」
「え、そんなの知ったことじゃない」
「言うねえ、ガキが――っと、面倒だな。おい、戦闘が激化するからちょっと浮かせるからな」
言うか否か、明らかな球体となって私たちはふわりと宙に浮いた。足場は安定しているし、先ほどと何も変化がないのに、けれどしかし、私たちは浮いている。
「すげー……」
「結界そのものはすでに確立してんのに、それを持ち上げることの何が凄いんだ? 馬鹿にされてるように聞こえるぜ、この程度のことなら、そこらの魔術師でもできる」
その言葉は右から左にスルーしたとしても、確かに視界が開けて、そして気づく。龍ばかりに意識を取られていたが、背後を振り返ってみれば、そちらの荒れ具合が酷い。妖魔たちも近寄って来ていないほどの、嵐だ。遠くから、雷を運ぶ雲も見えてきて、やがてそれは陽光を隠す。――雨は、ない。
「おい、目」
「……俺のことか? カイドウだ、カイドウ・リエール」
「へえ? ジェイの息子か?」
「あ、ああ、そうだ」
「なるほどな。んじゃカイドウ、てめーに仕事だ」
「それをやることが、必要ってわけか? なんだよ?」
「対価だな。労働の報酬として、オレがこの場を維持できる。……ま、大したことじゃねーよ。良い目を持ってんだから、てめーは、この戦闘を〝観戦〟してるほかの連中を探れ。人数だけでいいぜ」
「……は? 俺たち以外に――いるのか? ここに?」
「ばーか。観戦方法なんて死ぬほどあるんだよ。実体がここになくたって、どうとでもできる。コノミだってそういう技術くれーは持ってんだろーが」
「まあ……精度は落ちるが、できないことはない」
「そういうことだ。こっちが発見されてもオレが面倒は片づけてやる。気にせずに探れ」
「諒解だ」
「つーか、言われる前にやっとけよ。あらゆる状況下で、第三者の〝目〟なんてのは、常に危険を孕む。基本だろ」
いやいや、基本じゃないし。というか、それを基本にして生きていたら、怖くて生きてらんないから。他人の視線に敏感だとか、そういうレベルを超えてる。
「レベルが低いんだよ」
「えー……」
「こりゃちょっと、底上げのためにオレも表に出る必要がありそうだな……」
え、なにこの人。怖いんだけど。
っていうか――そもそも、なんで私の名前だけ、呼ばないんだ……?
恒例の余談である。
戦闘についての描写がほとんどないのは、つまるところ、私の理解をとっくに超えていたからで、かといって自然災害とは比較にもならない騒ぎだったのは確かだ。私たち三人と狐は、二つの船を動かして四番目へ行ったのだけれど、お互いに口数も少なく、船乗りたちが押しかけてきた時点で、コノミと玉藻の姿は消えていた。
私とカイドウは、七龍の内の二人が海で争ったと、ただその事実だけを突き付け、丸二日も泥のように眠った。それもそうだろう、実際に三十時間くらい戦闘は続いていたのだから。
待ち受けていたのは船の修理である。親父にはさんざん怒鳴られた。その上、何が起きたのか、何を見てきたのかを追及されるし。隣にカイドウがいたら、とっとと押し付けて逃げたのに、あいつはあいつで、正規の店舗をノックして修理していたから、くそう。
「直し、どんくらい?」
「五日」
え? それは早すぎないかと、言う前に。
「――で、新しいお前の船ができあがる。文句は見てから言え」
「ひゃっほう!」
飛び上がった喜んだら、横幅がやや大きい女性が、のそりと奥から出てきて凍った。親父の奥さんこと、つまりかーちゃんである。
「げ、かーちゃん……」
「なんだい、ご挨拶じゃないか、ええシュリ」
「はい! シュリは元気です!」
「まったく……」
やや汚れたつなぎ姿が、珍しい。
「え、かーちゃんなにしてたの。畑仕事?」
「ん? ああ、なんだい、うちのタコスケは何も言ってないのかい。ええ?」
「黙っとけって言ったのはお前だろうが」
「そうだったね。なに、船のことはねシュリ、私の方が専業なのさ」
「……――はい⁉」
「あんたの船は手掛けちゃいないがね、今回は別の話さ。小物はこいつが作って、私が骨を作る」
「だからかーちゃんには頭が上がらねえんだよ……」
「ああ、それで……」
「いいかいシュリ、三日後だ。二日間、私を乗せて海に出て、最終チェックだ。いいね?」
「イエス、マァム! 喜んで!」
と、まあ、最後には嬉しいオチが待っていたのである。カイドウが羨ましがっていたが、そこはそれだ、うん、仕方ない。
ちなみに。
「出世払いだ、忘れるんじゃないよ」
「はあい……」
というのが、本当のオチだったのだけれど。
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