04/30/04:30――コノミ・廃坑内で待ち受ける者

 廃鉱ということもあって、入り口はそれなりに広く、内部も大きな空洞になっていて、移動が困難な様子はなかった。コノミは最初から、隠れる必要はないと判断して二人に伝え、堂堂と正面から入ることにした。

 シナリオとしてはこうだ。コノミが以前に来て、リリーの宝水を入手した。なかなかに面白い場所だったから、今度は知り合いを連れてここへ来た――大きくは、嘘ではない。そういう前提である。そもそも三人でいる以上、隠密行動には向かないのだから、こういったシナリオを用意した方が良い。

「蒸し暑かったり、息苦しい閉塞感があったり、そういうのを想像してたんだけど、そうでもねえな。環境だけで言えば、良い秘密基地だ」

「呑気だな」

「確かに、自分も昔入った鍾乳洞を思い出します」

 軽く壁に手をつければ、しっとりとした湿気が感じられる。先頭を歩いているのはコノミで、以前に採取した場への案内だ。オボロはついてくるだけだが、カイドウには術式関係の探りを入れさせている。これに関しては、大げさにやっても良いと伝えておいた。

 コノミも魔術師ではあるし、その知識は幅広いけれど、直接伝えは決していないのだが、カイドウの魔術的知識や魔術師としての技量に関しては、かなり信頼しているし、勝てないとも思っている。もちろん、今のところはという前置はあるけれど、任せるに値する人物だと疑っていないのだ。

 秘密にしているわけではない。だが、言えば自分の弱みを晒すことになる。

「確かにこいつは、宝水なんかは結構な量を集められそうだ」

 だが、カイドウ当人は魔術素材の採取に関して乗り気のようで、当の目的は全部任せて、楽しんでやろう、なんて雰囲気が見られる。そうしろと指示したので、まったく問題はないのだが。

「カイドウ、地下は探れるか?」

「ん? そこまでの広範囲は展開してねえけど、いわゆる足元――真下は、まったく感知ができない状態だな。何かしらの術式が敷かれているか、あるいは場所特有のものなのか、その判断はつかない」

「下があるなら、一体どこから降りれるのかって話か……」

 ちなみに、盗聴されている前提での会話である。そうであっても、なくても、警戒は必要だ。

「迷わないようにパンでも落として行くか? ははは」

「鳥に食べられることはねえだろうけどな……オボロはどうだ?」

「一応、通路の記憶と方向感覚は問題ありません。ジャングルを脱出した経験が一度あるので、それなりに使えるかと思っておりますが」

「諒解だ。私の方も、経験があるからな」

 コノミの考えとしては、こうだ。

 以前の場所に案内する、ということを公言しつつも、移動時間で全員が場所の把握と、探りを入れる。そこから地下への通路を発見する流れになるが――その前に、こちらの侵入に気付いた誰かが、姿を見せるか、攻撃を仕掛けて排除を狙ってくる、という状況を引き寄せれば、話が早い。

 可能性としては荒事もあるが、話し合いで解決可能ならば、それはそれで良い流れだ。

 コノミが案内した先は、岩場だ。といっても、平らな岩が多く、削れた部分に水がたまっているものも、いくつかあり、天井から滴る水が音を立てている。ゆうに三メートルはある高さだ、閉塞感はそれほどなく、術式の明かりで充分な光源になっていた。

「――すげえな」

 ぐるりと見渡したオボロは、迷わずに一角の水に直進して手を触れる。こういうところが魔術師だ。

「確かに、この魔力濃度ならリリーの宝水として成立してる。どちらかと言えば濃い部類だが、ほかの器に移すことで多少は薄まるし、過ぎて毒にもなってねえ。おい、ちょっと時間くれ。三本ばかり採取してえ」

「おう」

「……よくわかりますね。自分にはさっぱりです」

「魔術師なんて、こんなもんだ。お前の感覚ではどうだ?」

「神秘的な雰囲気というか、何かがたまっているような空気は感じられます」

「それだけ感じられりゃ充分だな」

 小瓶を取り出したカイドウを横目に、天井を仰ぎながら背後を一度、振り返る。

「どうだオボロ、目はあるか」

「少なくとも自分には感じ取れません」

「私も同じだ、気にするな。ただ……〝耳〟はどっかにある」

「わかりますか?」

「いや、なんとなくだ。天秤は〝最悪〟の方に、ちょっとずつ傾いてる。――撤退するなら今だと、そんな声が頭の中で響いた」

「では?」

 ああと、コノミは笑って肩を竦めた。

「――もちろん、行く。これも〝仕事〟だ」

 採取の途中であったのにも関わらず、カイドウが顔を上げる。オボロも今来た道へと躰ごと向けていた。

「……コノミ」

「釣れたな」

「そのようです」

 それでも、思考は悪い方に転ぶ。だがそれを口にすれば、士気が下がることは目に見えていた。

「探るっつーより、空気が張りつめた。一触即発になるかもだな、こりゃ」

「こっちとしちゃ、まずは会話のスタンスだ。カイドウ、忘れるなよ」

「大丈夫だ、俺は役目を果たすだけ。忘れてねえよ」

「ま、重要な役割はこっちで担うから、いいとは思うけどな」

 行こうぜと、コノミが先頭で歩き出す。周囲にふわふわと球形の明かりが浮かんでおり、数は三つ。最後尾のカイドウの傍のものだけが、コノミが作ったものだ。

「一定の広さがあるんだな。ここ、通路だろ?」

「掘ることよりも、掘ったものを運ぶ通路ってのは、こういう造りになるんだろ」

「実際、採掘の鉄則として、運搬通路の安全はそれなりに確保していきます。最前がもっとも危険かと。崩落の危険性がある場合、通路そのものを迂回させたりもします」

 続く二人の会話を聞き流しながらも、コノミは迷わずに分岐路を進む。マーキングは必要ない、脳内マップで充分であるし、何よりも術式の迷路でも作られれば、マークするのは無駄手間になりやすい。

 湿度は高いが、かなり涼しい。地下に進めば、それはより感じられるだろうが、閉塞感こそあるものの、風が流れており、窒息する必要はなさそうだ。といっても、コノミは地下へ行く昇降機までは既に発見しており、その方向へ歩いているだけである。安全性の確保は二度目――状況もそれなりに把握していた。

 だから、おそらく相手が待ち構えているだろう場も、あらかじめ二人には伝えておいたのだ。

 かくして。

 昇降機へと向かう手前のフロアにて、火花が弾けるようにして光源が消えた。いくつか想定していた対応の一つだったので、コノミたちの間に動揺はない。カイドウなどは、よく想定したもんだと、暗くて見えはしないが呆れ顔だ。

 僅かに緊張が、指先から肩の方にまで上がってくる。それを悟られないよう、コノミが一歩前へ出て、オボロが槍を左手から右手に持ち替えるようにして動く。コノミの目は、暗闇の中で僅かな、煙草の火しか捉えていない。オボロにとってはそもそも、暗くても見えるものは見える。カイドウは――そもそも、戦闘要員ではない。

「悪い――」

 コノミが言う。相手ではなく、二人へ。

「――釣れたのはたぶん、私たちの方だ」

 予想通りに、だけれど、さすがにそこまでは伝えていなかったので、謝罪だ。

「へえ……どうやら、正確に状況を把握できてるみたいね」

 落ち着いた女性の声色だ。ただし、だからこそ逆に、危機感はある。

「ガキが三人、まさか探検ってことはないだろう?」

「仕事だと、そう言ったはずだ。だから、あんたは待ち構えてた」

「調査か? 小娘は、二度目だろう?」

「それも、言ったはずだ」

 そうだったねえ、なんて声が洞窟のような広間に響く。音の広がりから位置を探り、煙草の火が目印になっていて、それは間違いないけれど、おそらくその視認は無駄だ。

「どこの調査隊?」

「あんたは、どこの調査隊がいいんだ?」

「――口のきき方を知らないガキね」

 直後、どさりと何かが倒れる音が聞こえた。

「気にするなオボロ」

「イエス、マァム」

 カイドウが気絶させられただけだ。殺されてはいない。退路が閉ざされた形になるが、明かりを消された手際から、コノミにとっては織り込み済みである。

 そして、ああ、そうだ。

 退路は、カイドウがどうであれ、出逢った瞬間に絶たれていた。その上、二人がかりでもたぶん、敵わない。それも把握できている。いるが、抗わないこととイコールではない。

「どこのガキよ、お前ら。仲間が一人、やられたってのに戸惑いもしないのね」

「少なくとも国家に尻尾を振る犬じゃないことは確かだ」

 すぐに返答はなく、更に一歩だけコノミが前へ出る。

「オボロ、てめえが生き残ることだけを考えろ」

「そのつもりであります」

 それでいい。非常に困難だが、コノミもまた、それを考えつつ――だけれど、さすがにカイドウを放置して逃げるほど、腐ってはいないのだ。

「話をする気はあるか?」

「こっちの台詞よ。主導権もこっちにある」

「どうだかな」

「試してみる?」

 瞬間、コノミは二歩ほど前へ出て上半身を思い切り前へ倒した。そこへ背後から、オボロが二連の突きを繰り出す――が、煙草の火はそれを見越していたように回避し、右足を上げてコノミを叩こうとする。それを避けるのではなく、あえて掴んだコノミは、けれどすぐに離して横に転がった。

 追撃はオボロが、そして相手の追撃はコノミへ。

 ――結果として。

 オボロの槍を掴み、左手ではコノミの胸倉を掴み、場は一時的に停止する。止めていた呼吸を再開したオボロは、それでも倒れたカイドウに意識を向けているらしい。

「――なんだ、それでも仲間を気遣ってるのね」

「あんたと同様に冷静なだけだ」

 そう、あくまでも冷静なままの、いわば挨拶だ。結果としてコノミたちは負けたけれど、挨拶は挨拶。本気ではない――と、しておこう。

「経験はしてるみたいだけど……軍人、あるいは騎士、そういった類じゃないね。こっちの槍は、その残り香もあるみたいだけれど?」

「話をする気はあるか?」

 ははは、と咥え煙草の女性は笑う。

「さっきとは違う状況で、同じセリフがよく言えるね。交渉ごとなら、こっちが有利だと、誰の目が見ても――」

「話をしにきたと、何度言わせるつもりだ」

「調査にきたんじゃないのか」

「調査が入られるとまずいことをしてることを、想定してないとでも?」

 いい加減にしてくれと、コノミは言った。この程度のこと、この女が理解していないなんて思わない。こっちが何かしらのバックアップを受けていたところで、ガキが三人だ。そこから想定される状況の中に、彼女にとって最悪はないだろう。その上、こちらの目的まで見越していて、おかしくはない。

 そうだ。見越していて当然だと、コノミは出逢った直後から確信していて、疑っていない。

「命がけの遊びは趣味じゃない」

 だから、コノミは言う。あくまでも、こんな状況下でも、対等だと意志を込めて。

「話しが先だ、元〝朝霧〟」

「――」

 僅かな驚きに反応してオボロが槍を引き抜くが、コノミが右手で続く動きを制する。

「あんたがいる時点で、状況は既に最悪だ。ことを構えようなんて思う馬鹿はいない。だから遊ぶな。話をする気がないなら、とっくに回れ右をしてる。――どうなんだ、話をする気があるのか?」

「質問が一つだ、小娘」

「コウノ・朝霧」

 それが父親の名前だと言ってやれば、ゆっくりと手がほどかれ、コノミは地面に降りる。

「……オボロ、カイドウの様子を見てやってくれ」

「わかりました」

 光源が元に戻る。周囲に浮遊したのは三つ――さきほど、相手が分解してものを、そのまま〝組み立て〟たのだ。

 見れば、それほど若くはない女性である。特徴的なのは灰色のロングコートだろうか。

「話しの流れとしてはこうだ――」

 まじまじとこちらを見る女性が何かを言う前に、どうせ父親のことだろうと推察したコノミは、それを避けるようにして口を開いた。態度は最初から、徹底して変えない。

「私が素材集めに来た際に、人の出入りを発見した。十人と少し、そういう見立てだ。それを知り合いに持って行けば、ここは随分と前に閉山したと言う。盗賊が根城にしている可能性は低かったが、であれば調査は必要だ。だが、軍や騎士団を派遣するには〝理由〟が足りない。だから私たちがここにいる」

「……ウェパード王国に借りでもあるの?」

「ねえよ、知り合いなだけだ。内容によっては、何もなかったと報告できる。少なくとも――私はそうやって育てられた」

「そう、まあ、そうね。あの馬鹿息子にも、そりゃ子供ができていたっておかしくはないか……名は?」

「コノミ・タマモ。両親の姓はどちらも継いでいない」

「それでも、基礎はできてる」

「基礎だけだ。私は朝霧になれない、そんなことはあんたがよくわかってるはずだ」

 まあそうね、と言った彼女は、くるりと背中を向けたかと思うと、新しい煙草に火を点けた。

「――ついてきな」

 そんな言葉があったので、コノミは振り返ると、座ったままのカイドウがいて、おうと返事をして立ち上がった。目立った後遺症はなさそうだ。

 運搬用の昇降機は大きい。四人が乗っても、随分とスペースがあった。

「初見の時に気付いていただろう、コノミ。どうして言わなかった」

「あんたが気付いていると思ったからと言えば、皮肉になるか?」

「――なるほど、お前は間違いなくコウノの娘だよ」

 軋む音もなく、昇降機は下へと動き始めた。非常にゆっくりとした動きであり、安定している。日頃から使っているのかどうかは、曖昧だ。

「そっちの二人は?」

「カイドウだ。コノミとは従兄妹でね、それだけ」

「自分はオボロ・ロンデナンドであります。元シャヴァ王国軍所属で、カイドウ殿の家に厄介になっております」

「へえ……その若さで、なかなか面白い経歴だ。コノミ、どうして連れてきた?」

「この状況を見越してだ。時間を稼ぐ役、何があっても脱出する役、仕事を引き受けた人間の三人だろう、どう見ても」

「上手くいけば、ガキの遊びで片付けられる、か?」

「最悪の自体に陥っても、ガキが行方不明ってことで捜索隊が編成されないようにするためと、そう言っているのが伝わらないか?」

「配慮が上手くて泣けてくるねえ。お前一人なら、こっちの警戒網をくぐることもできただろうに」

 確かに、表層だったのならば、そうだろう。だが地下に行くとなれば、術式を使ったところで難易度はかなり高い。つまり、現状の判断は正しいと思える――と、そこまで見越した上での皮肉だ。

「ずいぶんと下がるんだな……」

「五層まで直通にしたのよ、面倒だから。手を入れてもう、四年くらいになる」

「四年? すげーな」

「馬鹿、それだけよその連中が間抜けだったって話だ」

「コノミ……本当に口が悪いな、お前は」

「性分だ」

「崩れる心配はないのでありますか?」

「そこらはちゃんと調べて、慎重にやってるよ」

 空気が冷たくなったのを感じた頃、昇降機は停止し、通路にはカンテラのような灯りが点点とあった。街などの夜間街灯として使われる魔術品だ。カイドウに一瞥を投げて、自分たちの光源は消してしまう。

 上層よりも通路の幅は広い。十メートル弱くらいだろうか。けれど横には広がらず、縦になって歩く。それぞれ間隔を空けて、だ。

 おおよそ一キロほど歩いた。背後を振り返ることはしなかったが、距離的な誤差はそれほどないだろう。隠蔽系の術式もなし、その大きな広間は随分と明るくて、視界の調整に一瞬の時間を要した。

 そこに。

「なんだ――こいつは」

 驚き、カイドウが周囲を気にした様子もなく小走りに中へ入ると、その建造物を見上げた。

「まだ骨組みくらいなもんだよ。外装はこれからだ――おう」

「やあ姐さん! なんだ、どうしたよ、そいつら」

「見学だ。丁重にな」

「あいよ!」

「……カイドウ、案内してもらってこい。楽しめ」

「お、おう、行ってくるぜ」

 大きな木のテーブルに腰を下ろした彼女は、さてと言いながらこちらを見る。コノミは黙って視線を合わせていたが、軽くオボロの背中を叩いた。

「適当に話をしてくれ。こっちは考えをまとめたい」

「諒解です」

 コノミは、そう言って煙草に火を点け、大きく吸い込んだかと思えば、紫煙を上へ向けて吐き出した。

「……へえ。まあいい、どうだオボロ、こいつをどう見る」

「船であります。かなりの大きさだとは思いますが……」

「だろうな。なにしろこいつは、海へ行くことを想定してる」

「――、しかし、それは!」

「はは、落ち着け、自殺志願者とは違う。今すぐってわけじゃないからね。大陸を移動したいのなら、別の手段を探した方が早い」

「……でしたら、何故でありますか?」

「ある野郎に出逢った。そいつは、塩を作っていてね。貴重品だ、ここらじゃ基本的に岩塩だろうが、そいつは海から塩を作っていやがった。何故と問えばこうだ。――誰もやらないから、仕事としては丁度良いってね」

 その話を、オボロは、知っている。軍を抜ける際に、聞いた。

「禁忌であります、マァム。そして、自分の知っている塩を作っていた男は化け物で――シャヴァ王国軍、一個小隊が、彼一人の手によって壊滅したと、聞いております」

「なんだ、やっぱり手を出したのか。次に行った時には既に、焼け野原だったけどな」

「それをやったのが誰なのかは、わかりません。少なくともシャヴァではなく、手がかりもなかったようです」

「なるほどね。そこらの話はともかくとして、野郎は面白いことを言っていた。どうして海が危険なのか? そもそも、海を行くためには、どうすればいい? ――簡単だ。海の上でも術式が使えるようになれば、あとは準備の問題だってな」

「それは――……そうかも、しれませんが」

「そう、可能性の話だ。けどな、アドバイサーとして私はここにいるが、まあ私を含めて、ここにいる馬鹿どもは、その時が来たら、真っ先に海へと行きたい連中ばかりなんだよ。そのための船だ。改良を続けながら、それを待ってる」

 ただ、それだけなんだと、彼女は笑った。危険なのは承知の上、今すぐに海に行くのは自殺行為。それらを全て承知の上で、それでもと願う連中ばかりなのだと。

「けれど、自殺志願者が集まったところで、周囲の同意を得られるとは限らない。そうね?」

「イエス、マァム。その通りであります」

「――だから、隠れてやってるってか」

「考えはまとまったのか、コノミ」

 ふんと、鼻で笑ったコノミは煙草を消し、吸い殻はポケットは入れた。

「設計図の写しは何枚ある?」

「なるほどね」

 問いに対しては返答せず、面白そうに彼女は笑う。

「黙らせられるのね?」

「見て見ぬ振りをさせる程度だ。そこが最低ライン、違うか」

「そうね」

「いくらで売る?」

「アフターサーヴィスにも余念がないねえ、二百だ」

「交渉は引き受けた」

 よろしい、と言った彼女が奥へ歩いて行く。コノミは吐息を落としながらも、天井を仰ぐようにして船を見た。

「コノミ殿」

「ん……いわゆる技術提供だ。海は禁忌、つまり造船技術そのものは、どこの国も所持していない。ワイズには、設計図そのものを押し付けて、黙らせる」

「黙りますか?」

「考えてもみろ――介入して、どうする? 技術があっても、海には出れない。介入すれば、ウェパード王国が船を作って外を目指そうっていう、外交問題になりうる。潰すにしたって、それだけの労力を割いてまで、得られるものがどこにある?」

「……なるほど、実害がないのならば、黙認すると、そういうことですか」

「そういうふうに、話をつける。悪いが最短で四日だ、カイドウと一緒にここで過ごしてくれ。話を通して、マルセル鉄鋼街で宿を取ってもいい」

「諒解であります」

「すまんな」

「いえ、コノミ殿の方が強行軍でしょう。自分も船には興味がありますので」

 言い換えれば、彼らは人質だ。もちろんコノミが戻らない、なんてことは、少なくともコノミの意志の中には存在しないが、それでも名目上は、戻る理由を作らざるを得ない。

 戻ってきた彼女の手から、筒状になった洋紙を受け取り、軽く広げて内容を見たコノミは、確かに預かったと言ってそれを懐の中へ。

「質問は二つだ」

「――へえ、なあに?」

「一つ、あんたは海が開かれる時が近いと、そう感じているか?」

「正確には返答できない。けれど、遠くはないと思っている」

「理由は話せないか」

「そうねえ……〝騙り屋〟と言っても、通じないか」

「エンデ」

「――」

「あるいはヌル。すれ違っただけで、まともに会話をしてはいない。それで?」

「……、まあいいか。野郎は何も言わなかったけれどね、遠くない未来に野郎がある行動を起こす。大それたものじゃない、旅の延長だろう。けれど私は、その先に、そういうこともあるんじゃないかと推察をしてる。それだけよ」

「わかった。悪いが最短で四日はかかる、その間はオボロとカイドウの世話を頼んだ。面倒なら、マルセル鉄鋼街にでも行かせてくれ。私はこっちに直通でくるけどな」

「構わないけれど、人質にするつもりはない。――必要ないもの」

「だろうな。だが、同行されると移動速度も遅くなる。カイドウは興味があるみたいだし、悪い道には引っ張り込むなよ」

「甘言を囁く真似はしない。でも、こっちにくるなら断らない。そういうスタンスね。もう一つの質問は?」

「あんたの名前を、聞いていなかった」

 ああと、彼女は笑う。そんなことかと。

「ヒナノ。今はただのヒナノ。もう朝霧ではないからね」


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