03/12/09:00――リンドウ・気付いてなかった……!

 朝食を軽く終えたリンドウは、宝石を片手に本を開きつつ、そこに組み込まれた二十八個の〝パズル〟を最初から順に解析することにした。自分は魔術師だ、こうしていれば多少は落ち着く。現にもう二時間ほど没頭できている。

 ただし、成果はどうだと問われれば、まだ一番最初のパズルが解けていないのだから、集中し切れていないと指摘されても仕方がないだろう。もっとも、それ以上に難易度が高いのだけれど。

「邪魔するぜー」

 なんて声で、作業は中断。左手を振るようにして消すのと同時に、入り口から中へ入ってくるのは、あの少女。その右手には、首の裏を掴まれたメイがいた。

「やあ」

「おー」

「……呑気に挨拶をしておる場合ではないじゃろ。リンドウ、頼みがある」

「なに?」

 妙に真剣な目で見られたかと思えば。

「――わたしを助けてくれ」

「…………」

「おいリンドウ、真面目に考えだすな。可能不可能じゃねーよ、そもそもオレを断るこいつが悪い」

「諒解だ、そういうことにしておくよ。ちなみに、メイのことは?」

「てめーの〝影〟に痕跡がありゃ、間抜けだって気付く」

「厳しいね」

 だが、それを見抜けるだけの洞察。やはりこの少女は化け物の類だ。

「つっても、それ以上がなかったオレとしちゃ、対人関係の探り方が鈍ったと、多少は落ち込んでんだぜ。――お前、イザミの弟だってな」

「ああ、うん、そうだけど」

「それを見抜けなかったのはオレの落ち度だ。まったく、ここまで縁が合ってんだ、そのくらいの想定はしていて当然なんだけどな」

「相変わらず化け物じゃの、お主。妾との繋がりがあったところで、お主はイザミにしか直接逢っておらんじゃろうが」

「〝うち〟にあいつらがきた。朝霧はオレにクーンを示唆した。その時点でこの流れを追って、メイがいた時点でこの可能性に気付かなけりゃ、ただの馬鹿だ。オレのことだけどな」

「じゃがお主は、直接ここへきたんじゃろうが」

「朝霧がクインティへ向かった時点で、この結末――集落の移動までは、想定の範囲内だ。該当する場所はそう多くねーし、行動そのものを追うのはガキだってできる。物語を〝読む〟なんて、誰だってやるじゃねーか」

「誰もやらんし、お主の言う物語は本じゃなかろ……」

「オレならできて当然だって言ってんだよ。こりゃ笑い話だクソッタレ……リンドウ、ちなみにクインティで誰と逢った」

「姉さんとコウノ、それにキツネビだよ」

「もう一人くらいいるとは思ったが、未熟な狐の後継者か。オレとはまだ遊べねーんだよな、あいつも。――まあいい、もういいぞメイ」

「……妾の扱いが乱雑で敵わん」

「馬鹿言え」

 オレは昔から猫には優しい方だと言って、少女は煙草に火を点けた。朝は気付かなかったが、香草の匂いがする。

「たまには外に出てみるもんだ、そう思えただけはお前らのお蔭だな。そのぶんの会話はできるだろ。リンドウ」

「うん、なんだろう」

「オレがベルだ」

「――」

 一瞬にして、疑問が氷解し、そして一気に謎が押し寄せる。それを表情には出さず、リンドウは一つ頷いた。

「こうしてお目にかかれたことは、それこそ運が良かったと、そう思うべきなんだろうね」

「運が悪かった、の間違いじゃろ……」

「あ、メイ、戻る前にこれ」

 今朝に記録しておいた戦闘状況を、術式の構成そのままに渡せば、ざっと見たメイは記憶してから、頷く。

「うむ、見ておいてやる」

「うん」

「へえ――半自動的な戦闘プログラムか。いつだって最大の難点は、多様化する状況そのものへの取捨選択ってか。そいつはプログラムだろうが人間だろうが変わりはしねーな。朝にやってた運動のやつか……」

「一瞥だけで、よくわかるね」

「知らなかったなら教えてやる。オレは魔術師で、五神の一人。その上、順位付けをするのなら、ベルってのは頂点に立ってなきゃいけねーんだよ。それが誤魔化しであってもな」

 まったく面倒な話だと、彼女は笑った。

「あなたがここにいる、いや、来たことに、僕は直接的な関係があるのかな」

「いや、ねーよ。もちろんメイにもな」

「つまり、あなたの行動における〝条件付け〟には含まれない――それを悔しがるべきか、安堵するべきか、迷うところだ」

「どっちも似たようなもんだ。つーか、イザミと違ってお前は、臆病だな」

「……そうだね。怖がり、とも言えるけど」

「リウラクタに関しては調べてねーのか?」

「無視できる事柄だとは思ってないけれど、意識はしていないよ」

「何故だ?」

「僕はきっとメイが知っている以上のことは探れないし、メイが知らないことは母さんが察してる。だからといって、姉さんのようにその生き方に憧れはしなかった。たぶん、理由はこんなところだと思う」

 だから、メイはリンドウの傍にいて、イザミの傍にはいないのだ。

「思ったよりちゃんと考えてるじゃねーか」

「そうかな」

「考えることは放棄してねーが、もっと直感で動くタイプだと思ってたけどな」

「ああ……それは、当たってる」

 既に影の中に逃げてしまったメイを見るよう、足元に一瞥を投げた。

「場面において、直感的行動が顕著だから、それを抑制するためにも、思考を伸ばしたんだ。今の僕は、それで良かったと感じている」

「ま、合ったんだろーけどな。で? これからお前はどーすんだ。こっちきてもう、だいたい一年くれーだろ」

「知ってるんだね」

「気にかけて貰えただけ、ありがたいと思っとけ」

「うん。そうだね、そろそろ実家に戻ろうかと思ってる」

「へえ?」

「旅をしていて気付いたのは、居を構えること、それ自体がどんどん苦手になっていくってことだ。それに、実家にある魔術書も、そろそろ読めるかもしれないって期待もある。そうじゃなくても、姉さんがここにいるのなら、僕はべつのところへ移りたいから」

「邪魔はしたくねーってか」

「巻き込まれたくないんだよ。クインティのことだって、欲を言えばもう少し、学生ってやつを楽しみたかった」

「それに関しちゃ、どっちもどっちだろうけどな。ちなみに――ジェイの魔術書四冊、把握してるか?」

「一冊だけは、実家にあるよ」

「……いや、ま、こんくれーにしとくか。オレがこっち側に関係するのも、面倒な話だ」

 もう行くぜと、そう言ってから。

「質問は?」

「僕がもう一度だけでも〝騙り屋〟に出逢える可能性はあるかな?」

「――はは」

 答えにくいことを直截しやがると、少女は嬉しそうに笑った。

「探そうとしなけりゃ、あるいはな」

「ありがとう」

 その質問が特にこれといって、重要な意味合いを持っていたわけではない。ただ、コウノ・朝霧が重要視していたから、ふいに思って問うただけだ。返答があるとは思わなかったので、感謝を伝えると、そのまま少女は消えた。やはり魔力の痕跡すらない。

 大きく息を吸って吐けば、全身に入っていた無駄な力が抜ける。

 まったく――圧力を感じない、平凡そうな化け物が、ただそこにいるだけで、これほど疲労するとは思わなかった。

 けれど、でも。

 指針ができた。

 やっぱり、近いうちに実家へ戻ろうと、決意する――と。

「リンドウ?」

「――ああ、クズハ。どうぞ」

 タイミングを計っていたんだろうなあ、なんて思いながら言うと、どういうわけか外では深呼吸をする気配が一つ。そうして顔を見せたクズハに対し、リンドウはやはり無意識に微笑んでいた。

「邪魔……じゃ、なかった?」

「うん、大丈夫だ。来てくれてありがとう。嬉しいよ」

「や……それは、まあ、どうも。あ、これ、簡単な食べ物。お昼にでも食べて」

「ありがとう。いろいろ話を聞きたいから、適当に座ってくれて構わない。あ、そうだな。クズハも僕に、聞きたいことがあるかな」

「それは、あるけど」

「そっちを先にしようか」

「あ、うん。でも、その前に」

 地面の上に敷いてある草の上に座ったクズハは、大きく深呼吸を一つ。それから、何を言うのか迷って、けれど。

「あの」

「うん」

「助けてくれて、あり、……ありがと」

「――」

 とっさに、言葉が出ず、躰が硬直したように停止する。けれど胸の内からわきあがる何かが、感情を揺さぶって、ともすれば涙が出そうになった。

「そう、か……」

 嬉しさも、極まればこうなるのかと、リンドウは感情を噛みしめて。

「僕の行為が、我儘な助力が、あなたの意志を踏みにじっていた現実の中、それでも……ただ一つ、僕が命を救いたいと願った行動が、その意思が――全てではない一欠けらであっても、あなたに今の感謝を口にさせたのならば、これ以上の幸いはない。だから、ありがとうクズハ」

「えっと……感謝、されるとこじゃないと、思うん、だけど?」

「いや――」

 そうではない。ないが、言い方が悪いのだと思って。

「――あなたが生きていて、僕の前にこうしていることに、感謝を。すまない、どうもうまく言葉が出ない。ただ僕は、今、情けないけれど、泣いてしまいそうなほどの嬉しさを、胸の内に抱えている」

 なんて言われても、一体どう答えればいいというのか――クズハは顔に上がる熱を誤魔化そうとそっぽを向き、わたわたと両手を動かした。

「あ、うん、そう。いや、あり……がと? と――ともかくっ、あ、そういえば旅人だったよね?」

「うん、そうだよ」

「どのへん回ってきたの?」

「ここ一年で、随分と回ったよ。同じ場所に最長で半年と決めているけれど、今までの中では長くて一ヶ月……くらいなものだったかな。地図を見ると、だいたい北東方向からだね」

「へえ……」

 まだ熱の残る顔のまま、やや距離を置き、それでもまだ視線を合わせられず、ただ話を合わせる。

「あのへんの生まれなんだ」

「――いや」

 言うべきかどうか、逡巡はした。けれど、隠す必要もないだろうと思って言う。そもそも、認めた通りリンドウは旅人なのだ。それが事実だとしても、それほど影響は与えないし、ここに長く留まるわけでもない。

「僕は二番目の大陸ツヴァイの生まれだよ」

「……――え? でも、だって、海が」

「その通り、海によって隔たりがある。けれど現行の五神が手段を持っているように、不可能じゃないんだ」

「へええ……やっぱり、こことは違う?」

「ここの雷には驚かされたよ。やっぱり環境、それに伴う文明などは大きく違ってくる。争いがあるのは、どこも似たようなものだけれどね」

「なにか理由があって、こっちに?」

「んー、難しいところだね。目的はあるけれど、それが全てじゃない。なんだろう、どこでもよかったってのも近いかな。たまたま、ここだった。――あ、だからといって家を飛び出したわけじゃないよ。そろそろ戻ろうかと思ってるし」

「戻るって、二番目に?」

「そう、実家に。……あ、でも、そうなるとクズハと別れるわけか。最低でも十年くらいは、下手すれば二度とここへ来ないわけだし、逢えなくなる、と。それは嫌だな」

 ふいに、自分の放った言葉に首を傾げ、リンドウはちょっと待ってくれと片手で制してから、立ち上がる。

 嫌だと、今、自分は口にした。

 テーブルに置いてある数本の金属ボトルを二つ手に取り、片方はクズハへ。中にあるのは水で、実家のものとは比べられないけれど、飲料水としては問題ない。

 嫌なら――そう、だったら、どうすれば良いのだろうか。

 そもそも、何が嫌なのか。

 同じ場所に腰を落としたリンドウは、足の傍においてある本の表面を撫で、しばらく思索に耽る。

 そして、気付いた。

「――あ」

 そうかと、頷きが一つあって、クズハを見て。

「嫌なんじゃなくて、僕はクズハが好きなんだ」

「ふぇ!?」

 直後、一気に顔を赤くしたリンドウが立ち上がった――かと思いきや。

「うわ……あああ……!」

 頭を抱えて蹲った。

 羞恥に耐えきれていないようだ。発情期でもないのに、こっちにさんざん恥ずかしい思いをさせたんだから、ざまあみろと思ったクズハだが、自分も当事者だと気付いて俯いてしまう。

 というかこいつ、本気で気付いていなくて、素直に好意を見せていただけなのか。いや、それはそれで――。

「ああもうっ、切り替え! 切り替えしようリンドウ!」

「え、ああ、うん、そう、そうだね。そうしよう!」

 手元に寄せた水を一気に飲んだリンドウは、深呼吸を一度、二度としてから、よしと頷いて腰をおろした。

「ええと……そう、そうだ。話をしよう」

「う、うん」

 ちらちらと見るだけで、まだ視線が合わせられない。けれど話でもしないと、いつまで経ってもそんな感じであるし、何よりお互いに逃げ出しそうで怖かった。

「答えにくかったり、答えたくなかったら、そう応じて欲しい。まずは、そう、そうだ。この集落についてだ」

「なに?」

「うん」

 頷き、軽く瞳を閉じて、浮かんでいた疑問を意識する。

「この集落には、猫族が住んでいる。けれど見回った限り、猫の姿をしている人と、クズハのように人型の者と、いるよね」

「そうね」

「これに関しての、僕の考察を先に言うから。ええと……そう、いくつかのパターンが考えられる。猫にもなれる、人にもなれる。人にはなれない。そういう単純な理由だ。けれど猫族である以上、人型になることは可能だろう。ただし、人型になった場合の負担を度外視すれば――だ」

「うん。混血も多いけど、猫族は、どっちかに寄りやすいから。大抵の場合は、自分が楽な姿でいるって感じ……ただ」

 たぶん、聞きたいんだろうなと思って、クズハは続ける。以前の彼女ならば、そんなことは――弱味に繋がるようなことは、決して口にはしなかっただろうけれど。

「人型になってても、大けがをした時に、私なんかは猫の姿になっちゃう。体面積は減るし、猫の姿の方が代謝が良くなって、治癒力も高まるから。……でも、医師せんせいに診てもらう時は、治療を含め、人型になった方が細かい作業がやりやすいから、そっちになるんだけど」

「こう聞いていいのかどうかわからないけれど、昨日からのクズハは、人型だよね」

「そうね。どうであれ、やっぱりこっちの方が、私にとっては楽だから。さすがに運ばれて一日目は、意識も朦朧としてて、猫の姿だったんだけどね」

「……寿命そのものは、どちらに寄るんだ?」

「そうねえ、私みたいなのは人とそう変わらないくらい。長老みたいに尾が裂けると、すっごく長寿。猫族って言っても、その大半は、人よりもちょっと身体能力の高い四つ耳ってだけよ」

「――そうだ」

 ようやく落ち着きを取り戻したリンドウは頷き、視線を合わせる。クズハもそれほど身構えず、会話を行えるようになってきた。

「猫族とはいえ、人とそう変わらない。市井に交じることも可能だ。ただし四つ耳を隠せば――だけれど。ならば、集落の意味合いとは、避難所に近いのかな」

「ん……この集落なら、それに近い。ほかの集落だと、普通の村みたいな感じになってて……」

「うん?」

「……猫に対して、赤毛ってさ、黄色に近い茶色のことを指すんだよね」

「そうだね。だからこそ、クズハの赤色は綺麗だよ」

「う……うん、ありがと。でも――赤は本当に珍しいから、以前の集落ではさ、排斥されてて。弟とは二つ違いなんだけど、結局、あっちを出て……私たちは、長老に拾われたんだ」

「大勢とは違うだけで、異端扱いされるのは、人間でも同様だ。それに耐えることや、受け流すことも、自分が成長しなくては見えてこない。クズハの判断の良し悪しを、ここで僕が我が物顔で語ることはしないけれど、個人的には、ここで逢えたことを嬉しく思う」

「……うん。その、綺麗だって言われて、えっと、う、嬉しかった」

「そ、そう……」

 ここはお見合い会場かと、影の中からメイに突っ込まれたような気がしたけれど、それはきっと、そう、気のせいだろう。

「え、えっとね、私みたいな人型ベースは、混血が多いんだ。術式で人型になるってこともないし」

「メイは術式を使っているけれど――そういえば、術式は使えるの?」

「それなり、かなあ。ここでは符式がメインで、仏術を使うくらい」

「――え? それは……なに? 仏術?」

「知らない?」

「うん、聞いたことがない。符式ではないの?」

「ううん、符式で合ってる。なんていうかな、符式そのものを、より効果的に使うのが仏術なんだけど」

「それは、符式そのものが何であれ、構わないのかな」

「たぶん……市販の符式にも使えるから」

 符式そのものは、特定の魔術構成を封じる形での紙媒体であり、軍事利用されていることもあるが、それ以外にもある。たとえば格納倉庫ガレージが使えずとも、符式を利用すれば、持ち物の圧縮なども可能だ。火を熾すだけにしたって、符式が一枚あれば簡単にできる。

 そう、簡単だ。魔力を通すだけで発揮する紙――であればこそ、その用途によって、値段も違えば、難易度も違う。この大陸では消耗品として、特に家事で利用する火や、明かり、あるいは鍵などをよく見るし、安価で取引されていたのは、調査済みだ。

「つまり――外部から干渉して、符式の効力を上げる?」

「うん。こう……印を手で組むことで、効果の後押しをする感じ」

「印……? 文字式ルーンとも違うんだ。けれど、世界に刻まれた法則に干渉し、一定の規則そのものを成り立たせているのなら、存在そのものは近しいのかもしれないな。ここでは、どんなものを?」

「えっと……ここに移動する時の荷物とか、買い出しに行った時とか、そういう運搬にはよく使う。難しいのだと、集落の周囲にある迷路とかも、それを使ってるって聞いた」

「形態としては言術とも違うのか……クインティには情報が落ちてなかったのなら、猫族の特有……? いや、特有というより、技術か。符式の運用方法として捉えた方がいいのかな」

「……リンドウって、やっぱりそっち好きなの?」

「うん。好きというより、生き方かな。見せて――ああ、いや、あとにしよう。なんだか没頭しそうだ」

「私はべつにいいけど?」

「僕は嫌だよ。その……まだ、ちゃんと話していたい」

「そ、そう」

「うん。えっと、なにか聞きたいことはある?」

「……そうねえ。あ、じゃあリンドウって、いくつ?」

「年齢のことなら、十六だよ。ちなみに、十三で旅に出て、最初の二年は姉さんと一緒に二人旅だ。それから一年……そうか、僕ももうすぐ、十七になるのか」

「お姉さんがいるんだ?」

「双子だから、年齢差はないけどね。ただ三年経って、僕もそれなりに経験を積んだから、旅をやめるんじゃなくて、実家に戻ろうかと思っていたところ。帰ったら、もう戻ったのかと笑われそうだけど」

「ふうん。……ねえ」

「うん?」

「大人と子供の差って、なんなのかな?」

「そうだね――」

 どうだろうか。

 差はあると、そう思う。けれど。

「僕は、僕なりの見解があるけれど、クズハはどう思ってる?」

「一人でなんでもできて、他人の手を借りないこと――だと、今までは、そう思ってた。大人って、そういうふうに映ってたし、私は赤毛のこともあったから、一人で生きるんだって、そう考えてたの。でも、リンドウを見て、わからなくなった。そりゃ、意地を張ってるんだって自覚してたし――助けてくれなんて、どんな状況でも言いたくなかったから、私はあの時、リンドウの手を拒絶したんだけど」

「うん。でも……そうだね、厳しいようなことを、さもわかったふうに言っているよう聞こえる――いや、わかったふうに言ってしまうけれど、クズハ。その考えは、子供が持つものだよ」

「……うん」

「間違いだとは言わない。それはクズハがいつか決めることで、決めたところで、それは経験として身に付くのなら、失敗であったかもしれないけれど、間違いじゃないと思う。でもね、僕は自分が子供であることに自覚的かと問われれば、それも難しいし、ただ大人じゃないとは思っている」

「リンドウでも、そうなの?」

「そんなものだよ。そして、大人と子供の差はね、あるにはあるんだ。けれど……そうだね、僕は、こう考えている。大人には、なるものじゃない」

「え?」

「成るものじゃないんだよ。それが、他人を見ていて、それを評価するだけなら、成ると言えるかもしれないけど、自分のことなら、それは違うと思う。大人にならないといけない、そういう考え自体が子供の持つことならば――大人とは、そう、その時にふと周囲を見たり、何かを得た時に、きっと、大人になったんだなと、気付くことだと僕は思う。強制されることもなくて、自覚して成長するわけでもなく……状況に流されて、生活していて、ふとそう気付くものじゃないかな」

「……責任とか、じゃ、なくて?」

「そうだね。責任に自覚的か、無自覚か、その量や重さも一因ではあるだろうね。けれど、大人になったからといって、必ずしも子供とは違う、と言い切れない部分もある。だから、まあ、難しい問題ではあると思うよ」

 たとえばと、そう言いながらリンドウは膝の上に本を乗せ、片手で開く。

「ある人の言葉では、こんなものがある。一人前の条件は、誰かを育て、そいつを一人前だと認めてやった時、初めて自分は一人前でいられる――また、同じようにこんな言葉があった。育ての親に、あるいは師に、一人前と認められたのならば、そこからが始まりであり、ようやく誰かを育てることができるのだ」

「誰かを、育てる……」

「ほかには、ええと……ああ、これも近いね。――守られることは弱者の特権ではない。守る者が〝守れる〟実感を得られるための特権だ。ゆえに、守られた者がいつか守る者になることは難しく、守ることを示唆するためには、決して守ってはならない」

「うーん……」

「と、まあ、やっぱり難しいんだよ」

「でも、私から見たら、リンドウって大人に見えるよ?」

「大人びて見える、なら、素直に受け取るよ。けれどそれは、周囲を見るだけの余裕と、自己の確認ができる故の安心が、僕の態度に出ているからだと思う。この二つは旅人にとって、必要なことだったから」

「いろんな経験をして……ってことかあ」

「経験もそうだけど、焦らないことが第一かな。残念ながら、僕はまだ誰かを育てられるほどじゃないし、誰かを護るほどでもない。――未熟なんだ。姉さんのように天才肌でもないから、成長が遅くて、僕は、考えて、考えて……遅くても、一歩を自覚しながら、ゆっくりと踏みしめることしか、できない」

 だが。

「それでも僕は、そうやって足を前へ出せる。右足を出せば、次は左足。時には立ち止まって――クズハ」

「え……?」

「あなたのような人を、見つけることもできた。けれど……僕は、旅人だ。立ち止まっても、止まり続けることはないと思う。いつかまた、足を踏み出す。留まったとしても、ここじゃない。だから――」

 リンドウは。

「――すごく、迷ってるんだ」

 そう言って、仕方なさそうに、微笑んだ。


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