03/11/10:20――リンドウ・猫族の集落

 まさか、ほぼ丸一日も意識を失っているとは思わなかった。起きた時はそれこそ、二時間くらいだと思っていたが、妙に疲れたような呆れたようなメイの態度から、その事実を聞かされて驚いたが、それなりに回復はしていて、躰は動いたので森の中に入ってからもう一日ほど休養を取ったら、ほぼ完全に元通り。けれど、その二日間の休みが必要だったことを鑑みれば、かなり危険な橋を渡ったのだと自覚できる。

 そうして、そこから一日以上をかけて森を歩いたのは、病み上がりであることの自覚と、慎重さが成せるものだ。元より急いでいなかったのも一因になるが、さすがに集落自体は隠しているらしく、警戒をすり抜けるのに苦労した。といっても、以前に足を運び、途中で諦めた〝迷いの森〟と比較すれば、随分と楽な行軍だったのは確かだろう。何しろ、この森の中に入ってから、落雷がなく、雷鳴そのものが遠のいているのだから、それだけでも十分に気楽だ。

 実際に、リンドウは楽しんでいた。

 森に幾重にも張られた結界は、到達を阻むものではあるが、決して難攻不落ではなく、また同時に、排除を前提としてはいなかった。

 試験である。そして内容は魔術そのものだが、複雑なパズルになっていた。

 つまり――正解が最初から用意されている。リンドウに求められるのは、それが解けるかどうか。乱暴なことを言ってしまえば、猫族たちはパズルをパスして突っ切ることが可能であり、その仕組み自体は固有波動パターンの解析から、やや特殊な割符の所持。たったそれだけで無効化できる〝結界〟が幾重にも張られているため、アキハと名乗った少年の魔力波動を覚えているリンドウは、それを模倣することで〝鍵〟を作ることも可能で、そうすれば一日もかけずに到着することは可能だった――が。

 しかし。

 こんな面白いパズルを前にして、解かない、なんて選択肢は、そもそも浮かばなかった。おかげで森中を歩き回る結果となったが、個人的には実に満足だ。当初の目的を軽く忘れるくらいに没頭できた。

 だから、集落への到着が遅れてしまった――という言い訳は利かないだろうなあと思いながら、メモを終えた本を閉じ、外套の中へ。視界が開ければ、結構な数の、角錐型の天幕があちこちに建っている場所へ到着だ。入り口はここに一つ、であればこそ衛兵が立っていてもおかしくはない。

「やあ」

「なんだ、小僧。森に迷ったか?」

 小僧か、と思いながらも、それを認める。どう見てもまだ小僧であることに変わりはないし、一人前に扱えと口にするのは子供の証拠。そもそもリンドウは、そういう部分をあまり気にしない。

「いや、迷ってはいないよ。目的はここで間違いない――と、交渉してもいいんだけれど、あまりのんびりもしていられないのかな?」

「……?」

「ああすまない、こっちの事情で、ひどく個人的な楽しみで、駆けつけるのが遅れたことへの言い訳を、さっきまで考えていたから。ところで、アキハは無事に戻っただろうか」

「――お前が、アキハを助けた野郎だったのか?」

「助けては、いない。僕は手を貸しただけだ」

「はは、そうか、ありがとな。アキハから、来るようなら通してくれと、ちゃんと言われてる。たどり着けるのかどうか半信半疑だったがな。アキハも、落ち着いたら迎えに行くと言っていた。時間がかかったんだな」

「道中のパズルが面白くて、二十一個も解いていたら、いつの間にかこんな時間だよ。あとで製作者と話がしたいから、紹介してくれると助かるよ」

「そりゃ、中にはきちんと解いてくるやつらも、少なからずいるが……あんた、物好きだな」

「その言葉には、否定する材料を持たないね。彼女は――ああ、いや、忘れてくれ。これはあなたに確認すべきものじゃなかった」

「……お前さん、名前は?」

「すまない、それも待ってくれ。僕はまだ、アキハにも名乗っていないんだ」

「なるほど? 確かに、繋がりがあった以上、そっちが先か……おっと、ここがどういう場所か、知ってるか?」

「猫族の集落なんだろうと、予想はしてる。なにか不都合があれば、適時対応するよ」

「そうしてくれ。面倒を起こさなきゃ、もっといい――おっと、きたな」

 少年が走ってくる。ほぼ黒色の髪の毛に、四つ耳の少年、アキハは、まっすぐにきて、勢いよく頭を下げた。

「よかった、きてくれた。――ありがとう、手を貸してくれて」

「うん、どういたしまして。彼女は?」

「姉貴は、一命を取り留めたよ。意識もはっきりしていて、後遺症もなさそうだ」

「なら良かった。アキハ、僕の名はリンドウだ。よろしく」

「あ、ああ」

 右手を差し出せば、応じる。

「よろしく、リンドウさん」

「――うん」

 敬称はいらない、と言おうとしてやめた。アキハとしては、手を貸してくれた恩人、という印象が強いだろうからこその敬称なのだろうし、もしかしたら、自分の方が年下だと思っているかもしれない。それは事実かもしれないけれど、心情を察すれば、あえて訂正しなくても良いことだ。

「じゃあアキハ、そうだな、まずはこの集落の責任者のところへ、案内してくれないかな」

「いいよ。こっちだ、リンドウさん」

 やや落ち着きなく、先導に従って歩いていけば、あちこちに猫の姿が見える。そのすべてが猫族と呼ばれる者たちだが、全員が全員、人型になっているわけではない。

「……この集落は、まだできて間がない感じだね」

「よくわかるな。まだ数日ってところだよ」

「天幕の作り方、その設置に関係する痕跡だね。雷避けの結界も、まだ作り立てって感じで――おっと、そうだアキハ」

「なに?」

「君のAAは、森の入り口付近に隠して置いておいた。持ってきても良かったんだけど、さすがに荷物になるからね」

「移動させてくれたんだ、ありがとう。うん、そういえば、そうだった。僕たちはあれを買いに、外へ出ていたんだよ」

「なるほどね」

「あ、ここだよ。長老! アキハです! お客人を連れてきました!」

 その天幕は、ほかのものと変わらない。装飾もなく、造りに変化なく、であればこそ内部の広さそのものも、同一である。長老であることを示す理由がないのか、それとも示したくないのか――あるいは、示さなくても同じだと、捉えているのか。

 中に入れば、おおよそ十畳間ほどの広さがある。入り口付近には手作りの囲炉裏があり、今は火が消されていた。

 中央の奥、視界に入れずとも存在感のある女性が、草木のベッドの上で横になってこちらを見ていた。肘を立てて枕代わりにしている様子は、状況そのものを楽しんでいるようにも感じる。だがそれ以上に、六つある長毛の尾が、生きてきた時間を如実に示していた。

「へえ、君が私の同胞を助けてくれたのか。この集落の長として、感謝するよ」

 ゆっくりと身を起こす彼女は、やや小柄だ。瞳に映る好奇心を見抜きながらも、リンドウは動じない。

 そうだ。

 リンドウはあまり、心を揺らさない。そういうふうに自身を制御することが第一だと、魔術師としての思考が、そうさせている。だとしたら、彼女を助けた時の自分はどうだったのかと、現状から過去とを比較して意識すれば、焦っていた自分が認識できる。

 無茶をした、確かにその通りだ。まったく――ああ、そうだ。

 そういう自分も、たまになら、悪くはないか。

「その感謝が――」

 数秒の間を置き、どうかしたのかとアキハが覗き込む前に、リンドウは口を開き、対峙する。

「――アキハに手を貸したことならば、受け取ろう」

「何故だ?」

「僕は同じ言葉を二度使った。――僕の手が必要かと、口にした。けれど彼女はそれを拒絶したんだ。だから、助けたのが彼女ならば、感謝を受け取るのは筋違いだ、受け取れない」

「ではどうして、その時点で止めなかった」

「僕には僕の意志がある。そして、僕は我儘を通した。結果がどうであれ、過程はただ、それだけなんだ」

「……うん。なるほどね、では私が撤回すべきだな。しかし、君は意志を持って我儘を通した。その理由について、話すつもりはあるか?」

「あるけれど、今は話せない」

「何故だ?」

「当事者は、僕と彼女だ。拒絶した彼女へ、譲歩はしたけれど、我儘を通した僕は、まず先に彼女へ理由を話さなくてはいけない。それを誰が聞こうが構わないけれど、順序を間違えれば、僕は筋を違えたことになる」

「筋を通したいか。私がこの集落の長であっても」

「そうだ。そして、あなたが長である以上、僕という異分子への懸念もあるだろう」

「いや、それはあまりないが」

「なかったとしても、集落全員がそうであるとは限らない。あなたが長であり、決定権を持っていたとしても、反感を飲み込めば燻り、それは火種になりうる。結果としてお家騒動に発展するケースも、いくつか見てきた。その要因に僕がなるというのならば、僕はここで信用を棄てるしかない」

「信用?」

「僕は、まず相手を信用するところから、付き合いを始めるんだ。悪い癖、なんて言われることもあるけれど、付き合いが苦手な僕は、そういう方法しか取れない」

「つまり――このまま出ていく、と?」

「いや、それはしない」

「何故だ?」

 同じ言葉を、三度目に聞かされて、リンドウは母親を思い出して苦笑した。何故でしょうと、思考を誘発させるための問い。彼女は、長は、そのための言葉を口にしている。

「結果的に、アキハに手を貸した僕が、すぐに出て行けば、あなたへの信用問題に発展する場合があるからだ。あなたは僕に感謝をした。そうでなくとも、アキハの感謝を僕は受け取った。少なくとも、そんな相手が〝追い出される〟ような状況を演出すれば、問題の発生に繋がりかねない」

「感謝をした私の失敗だと受け取れなくもないが?」

「それを決めるのは僕じゃない」

 ぱたぱたと、六本の尻尾が揺れる。随分と――楽しそうに、あるいは嬉しそうに。

「――ま、このくらいにしておくか。名を聞こう」

「リンドウ――……リンドウ・リエールだ」

「私はこの集落の長をしている、ファビオ・クーンだ」

 少し待ってくれ、と示すようにリンドウは片手を挙げて続くかもしれない言葉を制した。逆の手が外套の中から本を取り出す。目的のページを開くのに迷いはない。そもそも、昔の記憶を探るわけではないのだ。

 クーンアカデミーの名は、まだ記憶に新しい。

 魔術国家クインティに入ってすぐに、メイが単独行動をしたことは、そう珍しいことではなかった。けれど、一度顔を合わせた時に感じた違和。何よりも店舗への損害が想定されている状況下で、動かなかったマエザキの意図。国にあった雷避けの結界と、ここにある同質の結界の類似点。メイを迎えに行ったかのようなコウノ・朝霧の行動と態度。この場における、まだ移動から間もなく周囲の森と馴染めない新しさ――。

 本に記された圧縮言語レリップにざっと目を通したリンドウは、おおよそ六十秒の思考時間を経て、頷きながら片手で本を閉じた。

「なるほど」

「質問は?」

 その結論を待っていたかのように、言葉がきた。そこから更に時間をかけて、リンドウは口を開く。迷いの時間ではない、いつもと同じ思考の時間だ。

「僕はまだ本調子じゃない。可能ならば数日、ここに滞在させていただきたいんだ。できるかな」

「それも、質問ではないだろう」

「打診だ。それも前向きな、ね」

「それはアキハに手を貸した際に無茶をした、後遺症か?」

「違うよ。手を貸した際に、僕が得た選択の結果だ。ほかに方法があったのにも関わらず、僕は無茶をこの手に掴んだ。そして、本調子ではないと言ったけれど、万全ではないと肯定した覚えはない」

「結果的には、同じだ」

「それは同じ結果だと示すことじゃあないはずだ」

「それもそうか」

「うん。――じゃあアキハ、彼女のところへ案内してもらえるかな。僕は彼女に、言っておかなくてはならないことがある」

「え、あ、ああ……」

「寝床の心配はせんのか?」

「用意してくれるのなら、あとで教えてくれればいいし、なければ森に行くよ。ここにくるまでの〝パズル〟は面白かったから」

「ははは、そうか、そうか」

「うん。――メイ、もういいよ」

 背を向けるのとほぼ同時に、影からひょいと、メイが出現し、出て行こうとするリンドウに振り向いた。

「お主、交渉事は向かんのう」

「これは交渉じゃなくて、ただの〝試験〟だよ」

 それもそうか、と苦笑に似た言葉を聞いて外に出た。陽光はまだ高く、僅かな眠気もあるが、まだ横になるのは早い。いくら昨夜に寝ていないとはいえ、睡眠時間を普段とは違う時間にしてしまうと、あとで戻すのに苦労することは、旅の経験として知っていた。

 やや遅れるように、アキハが出てきた。

「びっくりしたよ」

「うん?」

「メイさんと一緒だっていうのもそうだけど、長老があんなに楽しそうにしているのは、久しぶりだったから」

「……どうだろう。僕は、試験に対する返答をしていただけで、何かをしたわけじゃないよ。楽しんでいたようなら、何よりだけど」

「俺たちに言わせれば、長老を真正面から、きちんと話ができるって時点で、凄いよ。もちろん、できなくはないけど……俺たちだと、大抵の場合は途中で、わからなくなっちゃうから」

 何が正しいのか――ではなく、何を話していたのか、そして何を意図して言っているのかが、わからなくなるのだろう。その感覚については、理解もできる。

 こっちだ、と言って再び案内される天幕は、ほかと何も変わらない。やはり特色は見いだせないし、サイズも同一。集落全体はそう広くはないが、一つの町くらいの規模はあるだろう。天幕は最低でも二十と考えても大荷物だ。しかし――と、そこまで考えて、一時保留した。

「ここだよ」

 先にアキハが入り、そして――。

「――」

 リンドウは、横になった人型の彼女を、初めて見て、息を呑み、僅かに足を止めた。瞳の色も、髪の色も、赤い。そして、それはやはり、美しくて。

 己の選択に間違いはなかったという確信が、同じだけの痛みをもたらす。

 何故なら――。

 リンドウは歩き、おおよそ一メートルの位置で左の膝を地面へつき、右は立てる。一度視線を合わせ、そうして、リンドウは。

「すまなかった」

 頭を下げて、謝罪した。

 何故ならば。

「僕は、あなたの意志を踏みにじった。弁明の余地はない。すまなかった」

 結果が、どうであれ。迂遠な方法をとったとはいえ。

 現実的に、その事実は、変わらないのだ。

「――」

 何かを言おうとしていた彼女の機先を封じる形になったことを、頭を下げたリンドウは気付いていない。しばらく無言が続き、ゆっくりと顔を上げたリンドウは、再び視線を合わせる。

 戸惑いの感情があった。けれど、次第に強い――睨むような視線になって。

「どうして、私を助けた」

 違う、と否定しない。今回はその必要はない。何故ならば、彼女にとっては、それ以外の何物でもないから。

「あなたを見た時に、――綺麗だと思った」

「――」

「その赤色は、僕にはとても眩しく映り、今もなお、その美しさは目の前にある。その事実に僕は安堵している。僕の行動、その理由は、ただ、それだけのことなんだ」

 言って、リンドウはゆっくりと立ち上がり、一歩離れた。

「うん、僕が伝えたかったのは、これだけだ。お大事に。アキハ、案内ありがとう」

 満足などないけれど、今はこれで充分だろう。

 本当はまだ、彼女を見ていたかったけれど――それは、また機会があったら、だ。


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