02/16/10:30――リンドウ・人型の刃物

 ずるりと、抜けた感じがした。

 イザミの脳裏に過ぎったのは、幼少期に行った湖服こふくの行だ。流れ落ちる滝を居合えば、水が流れる圧力に負けて、振り抜きの動作が非常に重くなる。その時に感じた、重いが柔らかいものを斬ったような――それを彷彿とさせる、居合いになった。

 振り抜き、戻し、親指で納刀を途中で止め、次の居合いに繋げる姿勢で、現状八割の速度で行った居合いの成果を噛みしめることもなく、相手を見る。

 ――冷静に。

 対したキツネビは一気に背中が汗ばんで、シャツが張り付くのを感じていた。どうしてコウノが手合せをしろと言ったのか、そんな理由を探ることなど、一手で吹き飛ぶ。それだけの居合いだった。速度も、威力も、こちらの想像の遥か上をいっている。

 結果として受け流した事実は、口の中の苦さが証明するように、悔しさだ。

 キツネビは未だ当代から継いではいないが、徹底して鍛えられてはいる。狐の基本は騙すこと、そして騙しとは、受け流しかき回すことでもあるのだが――こと戦闘において、そのほとんどは自動的に行えるようになってしまっていた。

 自動的、つまりは無意識。

 イザミの居合いに対して、意識の外で、回避した現実を実感したのならば、それが悔しさ以外のなんだろう。それはイザミの速さにも、力にも、ついて行けなかったのだから。

 手の内を、隠している場合ではない。それこそ全力で、イザミを騙さなくては。

「二度目だけど」

 リンドウはその様子を離れて腕を組みながら見て、言う。

「――キツネビはスロースターターなんだね」

「何故かわかるか?」

「キツネビに通じる〝初手〟が、そうだね、世界中を探して五手、あるかないかだから」

「よく考えてるじゃねえか」

「姉さんには、よく没頭し過ぎて声が届かないと怒られる」

「なるほど? だったら今度からは、思考の〝方法〟も一緒に考えておくんだな。そして、正解だ。少なくとも俺には初手であいつを殺せる方法を持たない」

「けれど」

「それは方法がない、と断言しうる要素ではない――ってか。ま、その通りだ。リンドウならどう相手をする?」

「軽い遊びはしたけれど、そうだね。敵に回ったら、まずは〝囲う〟ところから始めるよ」

「なんだ、思ったよりも王道なんだな」

「突飛な手段を思いつくよりも前に、試せることは試しておきたいから」

 それにしても、だ。

「姉さんから、雑味が消えた。コウノの影響かな?」

「どうだかな。確かに一戦交えたが、あいつは手玉に取られたと思ってんだろ。ついでに言えば、楠木……ミヤコ・楠木とジェイにも逢った。残念ながら、俺の前で楠木は抜かなかったが」

「うちに?」

「そっちが本命だったんだが、結局はついでになった」

「そう……いや、よしておこう。考えても詮無い気がしてならない」

「リンドウは〝朝霧〟を知らないんだな」

「僕が知っているのはコウノ、目の前にいる君のことだけだ。たとえそれを知っていたとしても、僕は同じ対応をしたよ」

「目の前にいる情報が鮮度も高い――か」

「……コウノのそれは、経験?」

「思考が似てるのは、経験だ。失敗の一度や二度、それを越せばだれだって理解できる。これでも先代には随分と、殺されかけたからな」

「危機的状況時に発生する成長に関しての見解を聞いてもいいかな」

「有用か無用かって話なら、言うことはねえよ」

「経験した人の言葉を聞きたいんだ」

「見解も何もねえよ、あれは。そもそも、成長しなけりゃ生きてねえ」

「……うん、そうなんだね。やっぱり、そういうものなんだ」

「成長に変わりはねえけどな。――ただし」

「ただし?」

「危機的な状況における成長だけを積み重ねた人間が、生き残っていたとしたら、そいつは――成長の度合いはどうであれ、壊れていると思った方がいい」

 壊れている。

 その言葉は、かつて、耳にした。

「――たとえばそれは、五神のように?」

「へえ……知ってんのか」

「以前、炎神レッドファイアの娘さんと出逢って、縁ができたんだろうね。姉さんと一緒に旅をしていた頃だけど」

「直接訊いたのか? それとも、ぺらぺらと話したのか」

「はは、確かにそういう感じもあったけれど――違うよ。一緒にいた〝騙り屋〟に、対価まで取られて語られた。いや、あれこそ〝だまされた〟と言うべきかもしれない。良い教訓になったよ」

「――リンドウ、そいつは聞き逃せねえな」

「そうかな」

 そうだと、ここにきて初めて、一瞥ではあったものの、コウノはイザミたちから視線を切った。

「現行の騙り屋は誰だ」

「…………それは、騙り屋の重要性について、何かしらの問題を、僕か、あるいはコウノが抱えていると、そう判断してもいいのかな」

「お前は〝騙り屋〟の性質について、どこまで知っている」

「対価に応じて、騙る者だ。対価に上限はなく、騙りに上限はない。けれど言葉に真実は含まれず、ただ現実と事実が混ざっている。聞いて頷くのは聞く側であって、騙って通すのが騙り屋だ――と、本人は言っていた。だまされても、それは聞く側の権利だと、そう付け加えてもいたけれど」

「質問はしたか?」

「コウノは彼のルールを、知っているんだね」

「質問には答えない。仮に返答があった場合、誤魔化し、対価が足りない場合を除いて、それは質問者が知っていることか、少し考えればわかることだ。〝気付いていない〟ことの場合は対価が必要になる。答えられない場合は、誤魔化す。だからって普段から口数が少ないわけじゃない――俺は、そう聞いてる」

「うん、そうだったよ。気付いたのは別れてからだけど……」

「名は」

「……エンデ。あるいは、ヌル。彼はそう名乗っていた」

「最後か零か――」

 それと同じ意味と捉えるには、若干の齟齬がある。そして、その齟齬こそが彼の本質のような気がしたのだ。

「朝霧が継承を前提としているのと違い、そもそも〝騙り屋〟は後継者を作らない」

「え? でも、それは……」

「どういう理屈化は知らないし、その法則性については俺の課題でもあるから仔細は省くが――ほぼ突発的に、あるいは突然変異的に〝騙り屋〟は不定期に発生する。知識の宝庫……かつては、蔑称を含んで、賢者の石とまで言われていた」

「陳腐な言い方になるけど、彼は、なんでも知っているのかな」

「……さあな」

 少なくとも朝霧には、騙り屋にあったら当人が知らないことを探れと、そう伝わっているが、そこまで話そうとは思わなかった。

「いや、いい情報だったリンドウ、助かる。もっとも、こっちとしちゃ十年以内に出逢うつもりだったが……ちなみに、一人旅だったか?」

「そう言っていたよ」

「なら――〝契約〟をしたんだろうな」

「それは魔術的な意味で?」

「……契約ってもんは、履行されることにメリットがあるように思えるが、破棄した時のデメリットも一緒に存在している。だとして、破棄できない契約そのものを履行することは、メリットになるか?」

「二元論じゃ語れない部類だね。破棄できない契約の多くは、先にメリットを受けていた場合がほとんどだ」

「その通り。そして、契約の強制力そのものも、度合いがあってな」

「うん。絶対的、と呼ばれるまでの強制力も存在すると、間近にしたことはないけれど、知っている」

「間近にしたじゃねえか――あいつが、一人旅をしてたってんなら、その騙り屋は間違いなく、契約をしている」

「絶対的な?」

「ああ……一応聞いておくが、あいつは一般人だったな?」

「そうだね。少なくとも僕のような魔術師ではなかったし、姉さんのように武術家でもなかった。もちろん五神や、キツネビみたいなもの、あるいはコウノとも違っていて、それこそ市井に溢れる当たり前な、すれ違っても気にもしないような相手に見えた」

「だからこその契約だろうな。ちなみに、これは予想……ま、八割は当たってるだろうが」

 相手が誰だかは知らないがと、コウノは言う。

「前提条件は多い。その〝契約〟を俺が結ぶことも、あるいは可能だが――騙り屋の多くは、その普遍性から、凡庸とも呼べる在り方から、誰かと契約を結ぶことが多い。俺が知っている契約は――誰かに己の命を預けることだ」

「……それは」

「そうだ。前提条件の中にはおそらく、老衰は除外されているだろうが、まあ複雑な手順が必要になる。端的に言ってしまえば――自分を殺すのはお前だと、契約を結ぶ」

「けれどそれは、逆だ。契約を結んだ相手以外には殺されないことを――いや」

「気付くか」

「それは……本当に契約なのか?」

「契約と、そう呼ばれる中に含まれる」

「誰と、じゃない。それは」

 それは、〝世界〟との契約だ。何故ならば、命を預けた相手が、自分を護っているわけではないのだから。

 君にならば殺されてもいいだろう――そういう契約を結ぶ。この場合は二人の間で、だ。しかし、二人が離れている場合において、闘争に巻き込まれたとしても、相手以外に殺されることはないと契約している以上、絶対的なまでに当事者は死なない。

 なるほど、確かに前提条件は多いのだろう。あるいはその契約の結び方、方法、そういったものをリンドウはすぐに羅列することはできなかった。

 けれど。

 そもそも〝騙り屋〟は口先だけの、知識の宝庫。少し喧嘩の強い相手にでも負けるような人物。それでも――契約で結ばれた、ただ一つの死以外は常に訪れない。

「十年だ、リンドウ。俺はその間に、イザミがあの刀……リウラクタをきちんと扱えるまで、育てる契約を結んだ。ちなみに、相手はイザミじゃねえが、了承は得てる」

「だったら僕が口を出す必要はなさそうだ。姉さんをよろしく」

「よろしくされてもな――と」

「姉さんが気付いた。呪術の封印は言ってなかったね」

「リンドウに対して魔術の封印を言うのと、同じことになっちまう」

「それもそうだ」

 すべてを受け流そうとするキツネビを打倒するには、まず流されないことが第一だ。けれど、いくら強い衝撃であっても、キツネビは流せてしまう。流すとは、躰の動きだ。ごくごく微細な動き――攻撃がそもそも動くものであれば、流されるのは必然。

 であれば、まずはキツネビを固定するか――停止した攻撃をするしかない。

 そして。

 イザミ・楠木の選択は――両方だった。

 居合いのための踏み込み、刀を半分以上抜いてから、ぴたりと停止して納刀。ぱん、と空気が弾けるような音がして、攻撃しようと思っていたキツネビはそれをほぼ無自覚に、半自動的に〝受け流す〟――そこへ。

 半分だけの居合いの衝撃が、一テンポ遅れて発生した。

 イザミを中心にして球形として発生した納刀時の衝撃を受け流すのは、外側ではなく、左右ではなく、前へ踏み込みながら内部へ入るようにして受け流すしかない。そこに居合いが発生していれば、更に受け流しを重ねるしかなく。

 追加の居合いは、二つだった。

 まだ――イザミは、一度に四つの居合いを行う〝志閃〟にまでは至っていない。だが、意図して作られた百分の一の確率で、キツネビの動きが止まる。

 囲われた。

 これ以上受け流せないのではない――受け流しの許容量を超えたわけではない。

 ただ、わかるのだ。

 これらを受け流す最中に訪れた、その百分の一の時間で、キツネビは無防備になる。

「――イザミ」

 その瞬間に居合おうとしていたイザミの刀の柄を、横からコウノが手で押さえた。意識を逸らしていたつもりはないが、その動きはリンドウの認知の外だ。

「キツネビ」

「――は」

 遅く、すべての衝撃を受け流し、百分の一の時間を通り過ぎたキツネビは、硬直していた躰を震わせるようにして、背筋を伸ばした。

「充分だ。――イザミ」

「え、あ、うん、届かなかった」

 あー、と言いながら、イザミは膝をついてしまう。

「くそう……あと一撃だったのに、抜けなかった」

 そう、コウノが止めるまでもなく。

 その瞬間を狙って居合うだけの技術をイザミは持っていなかったのだ。

「くそう、は私の台詞だよ……」

 見ればキツネビも、袖で汗を拭いながら、どっかりと地面に腰を下ろしていた。

「しばらく休んでろ。……まあ、お前らじゃ全力戦闘も、これくらいが限度なんだろうけどな――リンドウ」

「うん」

「試してみたいことがある、手を貸してくれ」

「……? いいけれど、なにを?」

 お互いに向き合えば、自然とコウノの後ろには、キツネビとイザミがいて。

「リンドウ、身動きできねえこいつら二人を、全力で攻撃しろ」

「全力で、は余計だろコウノ!」

「いいけれど」

「リンドウも簡単にそういうこと言うな! ちょっ、イザミ!」

「えー……」

「あんたも嫌そうな顔するなら、コウノに向けなよ!」

「うるせえ。――俺が全力で守ってやっから、文句言うな」

「全幅の信頼をおけるような間柄じゃないだろ!」

 リンドウの一手は、早かった。

 影複具現魔術をワンアクションで行うと、甲冑の鎧武者は両手に紅と蒼の剣を手に持ち――出現したのは、コウノとキツネビの間。そして、振り下ろすのは紅色の剣。

 けれど、振り下ろされる前にコウノが一瞬にして位置を変える。予想していたのならば、この程度は簡単なものだと、言わんばかりに、左手に組み立てたナイフで紅の剣を受け止めた――いや。

 するりと。

 あっさりと。

 コウノのナイフが、紅の剣を切断した。

「――」

 一挙手一投足を見落とさない。切断された現象をリンドウが瞬時に分析しても、ただ、刃物で斬られたのだという事実からは脱却できなかった。

 更に言えば切断したそれを、ナイフを持ったままの左手の拳が叩けば、紙吹雪になって消えてしまう。その時点で〝奇襲〟は失敗だと、距離を取るように指示をして、リンドウは己の呼吸を意識する。

 鎧武者が消える、リンドウの右手に蒼の剣が出現する――コウノが踏み込む。そのタイミングを狙って、鎧武者の右手だけを具現させ、紅の剣を合わせる。

 否だ。

 合わせられたのは、リンドウの方だ。

 横薙ぎの一撃に対し、コウノは、まったく同質の紅の剣を合わせてきた。

「キツネビ!」

「動くなイザミ! 面倒が――」

 増える、と言おうとしたコウノは、自分の言葉に驚いたように目を丸くして、そのまま剣同士をぶつけた。

 衝撃が走る――それは、爆発だった。

 剣同士が重なった点は一度、凝縮するようにして二つの剣を飲み込んで怖し、それを溜めたかのよう、一気に外側に向かって破裂させる。まずは衝撃、ほぼ球形となって広がるその威力は、校舎の外壁をはがすほどであり、それが終わって三秒、遅れて轟音は発生した。

「――悪い」

 砂埃を巻き上げるような衝撃を逸らすため、軽い結界を敷いたリンドウの傍、結界の中、既に移動していたコウノが、左手で首を掴んでいた。

「試したいことは、終わった」

 そのまま、するりと手が抜けたと思った頃には、爆発の衝撃も霧散していた。僅かに腰を上げかけたイザミが肩の力を抜き、キツネビは両手を上げたかと思えば背中から背後に倒れる。

 リンドウは、止めていた呼吸を再開して、どっと溢れた汗を感じていた。

 まったく同一の剣同士のぶつかり合い。これは過去、リンドウが自身の手によって実験し、どうなるかは知っていた。といっても、さすがに二つ創るのには制限がかかり、結局は一つのものを二つに割って、それをぶつける程度のものだったけれど、規模の大小を捉えなければ、同一の現象が引き起こされたと言ってもいい。

 再現した? それとも、複写?

「コウノ、紅波は僕のものだ」

「ああ。だから――構成ごと、一度分解して把握してから、お前の魔力で〝組み立て〟をしただけだ」

「――〝組み立てアセンブリ〟の魔術特性センスだったのか」

「なんだ、わかってなかったのか? てっきり、把握できたと思ってた」

「いいや」

 そうではない。

 確かに、魔術特性そのものを探ったけれど――。

「僕に見えたのは、君が刃物だってことだけだ」

 それは、今もそうだ。

 この、コウノ・朝霧という人物は――リンドウにとって、刃物が人の形をとっているようにしか見えなかった。


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