02/10/15:50――コウノ・同僚のアイギス
契約を結ぶ、とは言っても、口約束だ。ベルの出した条件に対し、頷くだけでいい。けれど、それだけでも契約は契約であり、約束は約束。何を言おうとも、コウノはそれを破ることはしない。
あの〝
「んじゃ――とりあえずお前ら、口を開くなよ」
そう言って、テーブルに先ほどコウノが渡したものと同一のツールを置く。
「こいつは、オレの所持品だ」
そう気にするなと言いながら、術式が稼働する。
一瞬にして景色が変わった。おおよそ十畳しかない、言ってしまえばそこは狭い部屋だった。何故ならスペースの半分は二段ベッドで埋められており、更にはデスクが二つとロッカーが二つある。コウノは自分が、イザミと並んで入り口付近に立っている状況を真っ先に把握、そして。
そして、一段目のベッドに腰掛けたベルがいて。
デスクの椅子に座った女性が、目を丸くして状況を認識した。
「――おい、おいおい、ちょっと待てセツ、てめえ、こりゃ一体どういうことだ」
「あー?」
「あたしが仕込んどいた術式を、てめえが勝手に展開したのは、まあいい。そういうこともある。けどな、せいぜいあたしの魔力が残留すんのは百年だ。こっちで把握してるカウンターはとっくに限界突破して、計測不能だぜ。更に言えば、てめえが死ぬとも思っちゃいねえ。いいように使いやがってクソッタレ、質問に答えろ」
「相変わらずじゃねーか、アイ。つーかこの術式を組み込んだの、せいぜいオレが抜けた頃だろ? 状況、わかってんのか?」
「あー……あれだ。お前、以前に日本で逢ったろ」
「湯浅がいた時か?」
「そう、それ。そん時が最後の更新になってるな。つまり、今のあたしは、その頃のあたしと同じだ。ってことは、間違いなくあたしは死んでるよな」
「当たり前だ、馬鹿。二千年以上も生きるのはオレくれーで充分だ」
「はははっ、――馬鹿はてめえだセツ。狂気の沙汰だろ」
「どうにでもなるもんだ」
「で? そっちのガキは誰だ」
「ああ……片方は〝楠木〟つって、武術家の一人。抜刀術をメインにやってるとこだな。そういやアイは武術家、知ってたっけ?」
「戦場で雨天と遭遇したことはあるなあ……さすがに共同戦線だったぞ。敵対してたら、正直、逃げ切れるかどうか怪しいところだ」
「ふうん……ま、似たような部類だ。んで、もう一人が――説明が面倒だな。つまり、てめーが死んだ時に、組み立ての術式と一緒に、てめーを喰って、それを二千年以上もの間、継承してきた人種……〝朝霧〟と、今は名乗ってる」
「朝霧? アサギリファイル関連か?」
「おー、そういや、そんなのもあったな……ま、そういうことだ」
「――冗談だろ」
その苦笑は、自分が死んでいることや、喰われたことに対してではなく、ちらりと一瞥を投げた彼女、アイギス・リュイシカは、呆れたように肩を竦める。
「つまり、あたしが原種で、喰った誰かが継承を始めたってことなんだろ? おいおい、ははは、冗談なら笑える話だが、マジだったら――」
それが事実なのだとしたら。
「――あたしゃ落ち込めばいいのかよ。おいセツ、マジか? そりゃ継承がどうなってんのかとか、細かい話は知らねえが、この程度しか継いでねえのかよ?」
「――」
コウノの拳が、見えない位置で握られた。
「ま、在り方がちょいと、変わっちまってるのもあるけどなー。アイを喰ったのが、朝霧って名前でな。そいつは〝突破〟しちまったが――少なくとも、オレにとっちゃ面倒な相手だったぜ」
「面倒って……セツの基準はよくわかんねえよ」
「だから、少なくとも三手で殺せねー相手は面倒だ」
「んじゃあたしはどうなんだ? 遊んだのは一回限りだが、そん時は三手じゃ終わらなかっただろ」
「てめーは〝厄介〟な相手だ」
「わかりにくいっての。つーか、てめえわかってて連れてきたな?」
「どうだかなー」
「んじゃ答えろよ。こいつら二人、てめえにとってどうなんだ」
「そりゃ……この程度、どこにでもいるってくらいか」
「だろうぜ……ったく、その初代朝霧ってのも、どうなんだかな」
「あー、オレからすりゃ、てめーの方がイレギュラーなんだよ。いくらオレが、こうなっちまう前とはいえ、あそこまで特化してんのもなー」
「うるせーよ」
「ま、朝霧ついでってのもあるが――湯浅の死を、こいつが伝えてきたんだよ」
「――あいつの?」
今度は一瞥ではなく、振り向く形で見られたコウノは、ようやく。
視線を合わせて、理解する。
――届かない。
完成していることに、疑問を抱くことはなかった。朝霧とはこうだと伝えられ、今ならば先代を越えることができるし、三番目を担う以上、そうでなくてはならない。
けれどでも、届かない。
この魔力の残滓、術式の残り香、その中においても、おそらく、組み立ての術式を中心にした戦闘の中では――決して、アイギスには届かないと、わかってしまった。
認めるしかないのだ。
この程度だ、と言われた、今の己を。
「自殺か?」
「――いいや」
問われたのは己だから、コウノは口を開く。
「二人だった。ブリザディアの女と、湯浅の二人。錬度の高い〝軍隊〟を相手に、ほぼ一人で壊滅に持ち込んで、結果としては相打ちだった。最期に、俺に伝えるつもりはなかったんだろうが……あんたに、アイギスにようやく逢えると、そう言って終えた」
「……馬鹿が。あの野郎、結局〝失敗〟しやがって――あれだけは、やっぱどうしようもねえな。間違えたまま、そのまま変わらず終いじゃねえか、クソッタレ。せっかくあたしが育ててやったのに」
「そりゃ、しょうがねーだろ。アイは見抜けてなかったみてーだけどな、あいつは最初から自殺志願者だぜ? しかも、てめーに殺されたがってた」
「本当に、しょうがねえ野郎だなあいつは! あー……!」
がりがりと、プラチナブロンドの髪を散らすようにして頭を掻く。
「――朝霧つったな」
「ああ」
「あかの馬鹿を看取った礼だ、聞いとけ。てめえはもう、ほぼ完成品だ。そいつはあたしの目から見ても、そう間違いじゃねえだろうぜ。けどな、てめえは自分で思ってるよりも、他人を見てねえ」
コウノは僅かに言葉を詰まらせる。
自分が見えてない、と言われたことはあっても――他人がと、そう言われたことは、今までに一度もなかった。
「一足飛びとは言わねーけどな、てめえにゃ守護の経験が足りてねえ。んで、誰かを守ろうとする前に、まずは誰かを育てろ。あたしはさんざん、傭兵時代にそれをやったし――育ててもらって、守ってもらった。そこらへんの意識が薄いんだよ、てめえは。単独で生き残ることに特化していようとも、だからこそ、意識しろ」
「……助言、痛み入る」
「おう。――おいセツ、つーか、こんくれえのこと、てめえが言えよ」
「あー? てめーがオレに面倒を押し付けんな」
「
「昔の話だな」
「そりゃそうかもしれねえけどな……。ま、どのみち今のあたしは記憶の蓄積ができねえし、どうだっていいか。さすがに一回きりだろ?」
「そう何回もツラ合わせたって、嬉しくはねーだろ」
「ははは、まったくだ。でもまあ安心したぞ。てめえが変わらず、化け物でな」
「よく言うぜ。その化け物の相棒だってのは、てめーだろうが」
「あたし程度のやつなんて、そこらにごろごろしてたじゃねえか」
「あの時期はなー……いや、それにしたって、今よりゃよっぽどいたな。だから悪いってわけでもねーけど」
「〝教育者〟がいなくちゃ話にならねえ。だからその教育者を育てる〝教育者〟を作れってか。ま――堂堂巡りだが、正論だよな、こいつは」
「まったくだ。さて――もう行くぜ、アイ」
「おう。だらだらと死者と会話をしてるてめえを、あたしは見たくねえよ」
「だろうぜ」
「せいぜい生きろよ、セツ。あたしは一足先に、こっちで同僚と飲んでるからな」
「ま――首を長くして待ってろ」
本当に、あっさりと。
これっきりの別れを、二人はただ笑いあって――終わらせた。
心中を察することはできない。だが、少なくともイザミには無理な行為だ。
再び景色が戻ると、やはり二人は座っていて、ベルは立っている。そして鼻で一つ笑うと、ポケットから取り出したツールを、コウノへ投げた。
「やる。元は湯浅あかの所持物だが、オレにはこいつがあるんでな」
「……ああ」
受け取ったものは、いつものように分解して保管しておく。
「契約は以上だ。問題ねーな? しばらく居座ってもいいけど、早めに出ていけよ」
「――刹那小夜。一つだけ質問だ」
「なんだ、朝霧」
「お前の知る中で、エッダシッド・クーン以上の〝教育者〟は、いるか?」
「へえ……よく考えてやがる。そうだな、条件付きで鷺城鷺花――くらいなもんだ。あとこれはサーヴィスだが、あの女の愛弟子だったのはサギと、初代朝霧もだ」
「――そう、か」
そうして、彼女はログハウスの中に入っていった。考え込むように視線を下げれば、テーブルには新しい珈琲が用意されている。
「まったく、気が利く女だ」
「うん……」
「――どうした?」
「ちょっとショックが大きくて。なんだろ……本気で怖いと思えたの、初めてかも」
「本気で?」
「なんていうのかなあ、ちょっと説明しにくいけど、ちらっと一瞥された時、心臓止まるかと思ったもん」
「そうか、そりゃよかったな」
とはいえだ、それはコウノも同じこと。こんなのはただの負け惜しみ、憎まれ口だ。
「丁度良い。この大陸にある、アカデミーってところを見に行くか」
「へ? そんなとこ、知ってんの?」
「情報収集した時、耳に挟んだからな。魔術師の楽園――なんて言ってたが、俺に言わせりゃ魔術師の逃げ場だ。どんなもんか様子見を兼ねて、な。もしかしたら、知り合いがそこにいるかもしれない」
「わかった。しばらくは、コウノに任せるよ。育ててくれるんでしょ?」
「任せっきりになるなよ」
「うん。だって、あたしが育つんだもんね」
わかってるならいいと、コウノは珈琲に手を伸ばした。
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