空歴425年

02/05/13:00――リンドウ・場所ごとのルール

 どさりと、尻餅をつくように放り出された床は冷たく、軋むような音を立てて閉じられた格子は、がしゃんと硬い音を響かせる。それほど乱暴な扱いではないが、丁寧な行為でないことは明らかで、遠ざかる足音に耳を澄ませることもなく、リンドウ・リエールは肩の力を抜くようにして大きな吐息を足元に落とした。

 冷たいのは床だけではなく、ここの空気もだ。ともすれば吐息そのもが白くなりそうな錯覚を受けるほど、随分と地下にまで潜ってきた。

 両手は後ろ、そして手錠がはまっている。まあなんだ、誰がどう見てもここは牢屋であり、まだ幼い風貌を残すリンドウは捕まって連れられて、ここへきたのだが、郷に入っては郷に従え――つまり、ルールを守れなかった者に対する処罰である以上、これは必罰とも言えるだろう。

 ちゃんと出してくれるんだろうか、なんて不安が胸をよぎる。罰金程度の処分ならば構わないが、さすがに命を取られると困る。非常に困る。そうなればリンドウ自身、全力で対応しなくてはならないし、それはリンドウ自身の望むところではない。

 失敗したなあと、天井を見上げる。それ自体は何のことはないもので、知らなかったから仕方ないと、弁明にはならないけれど諦める理由にはなる。問題はやってしまったことよりも、これからのことだ。

 下調べをきちんとしていれば、避けることができる失敗だった。しかし、その下調べをしている最中の失敗だったのだから、リンドウ自身の警戒が甘かったということ。旅人である以上、その性質から、新しく足を踏み入れる街や村には、最大限の警戒が必要だと理解はしていても、その度合いを上手く制御できないリンドウは、やはり甘かったのだ。

 最初から最大警戒をするか、あまり警戒をしないのか、その中間というのが上手くできない。そして、警戒を隠すこともまた、リンドウにとっては苦手とする部類である。そのあたりは、一年くらい前まで一緒に旅をしていた姉、イザミ・楠木の方が上手かった。

 けれど、一人旅になって――相棒はまだいるけれど――もう一年だ。こんな失敗は珍しいし、だからこそ腑抜けと言われても否定できないけれど、なんというか、参る話だ。

 立ち上がる。躰にフィットしたボディスーツに似た服装は、防寒に優れている代物だ。一見しては薄手に見えるが、それは暑い際の空気の通しや、汗の渇きを誘発する要素があってこそで、逆に外部からの冷気はある程度遮断してくれる。腰付近で上下に別れてはいるものの、身動きのしやすさから、リンドウが好んだ服装だ。

 一つの牢は個人用で、それほど広くはない。隣室への扉はあるが、おそらく部屋というよりもお手洗いなのだろう――と。

 そこで、遅く先客に気付いた。

 ちょうど対面に位置する同じ牢に、両足を投げだした女性がいたのだ。スラックスにシャツという、何の変哲もない恰好でありながら、印象はしなやか。堂堂とした態度にも思えたが、見れば丸い顔が困った表情になっている。しかもこちらを見て。

「コンニチハ」

 おどけたような挨拶、対したリンドウは逡巡をしたのちに、口を開いた。

「どうも」

「やあ、よかった。いや退屈で死にそうだったところだったんだ、君が返事をしてくれて私は嬉しい。本当に困っていたんだ――何しろ、話し相手がいないと、時間の経過が非常に長くってさ」

「確かに、こんな場所じゃ陰鬱にもなるね」

「まったくよ」

「……あなたは旅人かな?」

「はは、いやいや、そんな立派なものじゃないよ。私の場合は、そう、放浪者と言うべきだ――と、思っている」

「放浪者……」

 旅人との違いはなんだろうか。目的のあるなしか、目標のあるなしか――それとも、左右を決めることの是非なのか。ただ、言い換えたのならばそれは、決定的な違いだ。

 そう、リンドウとは違う、ということである。

「どうかした?」

「ああ、いや、なんでも」

「ならいいんだ。急に黙ったからどうしたのかなと思って。それにしても、迂闊だったなあ。もしかして君もかな? 私はどうも、好奇心が旺盛でさ、なんでも魔術師じゃないと立ち入っちゃいけないエリアってのがあったらしくて、知らない内に踏み込んでいて、このざまさ」

「――そうだったんだ。僕は立ち入った矢先で、外套を取り上げられてしまって、すぐここに直行だよ。聞いた話では、マントの所持は特権だとか、なんだとか」

「あはは、お互いに災難だったね。いやしかし、手錠というのは、動きにくくっていけない。跡がつきそうだ」

「しばらく入っていろと言われたから、すぐにでも迎えがくるんじゃないかな。僕は初犯だし……」

「おいおい、私だって初犯よ。え、なに、そんな悪そうな顔してる?」

「僕は知らないから、それだけだよ」

「なんだ、そういうことか。でもなるほどね、マントだったのか。服装に物足りなさはあったんだけど」

 だけど、君は魔術師だねと、彼女は言った。だからリンドウも応える。

「あなたは魔術師ではなさそうだ」

「ははは! やっぱり君は、旅人ね。なんていうか、そういう対応は警戒の表れで、嫌味がない。おっと、私にとっては嫌味にならない、という意味合いだよ」

「はあ、どうも……」

 褒められるようなことではない。何しろ、リンドウはそういう話術は、苦手なのだ。

「けれど、この国に魔術師が訪れるのはそう珍しくない」

「だろうね。なにしろ、大陸最大と謳われる魔術国家だから」

「――魔術国家」

 リンドウの言葉を繰り返すように口にした彼女の表情が、どこか嬉しそうなものに変わった。いや――その嬉しさはやや歪で、皮肉めいていて。

「一体何を以って魔術国家とするのか、甚だ疑問ではあるね」

 反射的に同意しそうになったリンドウは、首を傾げる動作でそれを誤魔化す。いや、誤魔化せたとは思っていないが、こちらが誤魔化しただろうことも、伝わったはず。それはそれで、態度の証明だ。

「あなたは魔術師じゃなかったね?」

「君が魔術師であることと、同じようにね」

「うん。けれどそれが、無知でいられる理由にはならない」

その通りイグザクトリィ。そんなことは常識だろう? 残念ながら、理解を得られる人種は限られているのが現実ね」

「是正したくなる?」

「引っ掻き回して混乱を遠目で見ながら大笑いしたくなる」

 こいつ、性格が悪い。間違いなく悪い。最悪と言っていい部類だった。その言葉が本当ならば、だが。

「冗談ってわけでもないのよ」

「そっちの方が性質は悪いと思う」

「はは、間違いない。なんだかなあ、私は娯楽に飢えているのかもしれないね。他人を見ずとも、己を見れればそれで充分なのに」

「それがわかっていて?」

「わかっていても、その通りに行動できないのが人じゃないかな。何しろ矛盾とは、己の内側に抱くものだから」

「うん……そういう考え方もあるね。矛盾の解法は往往にして自己へと向かうものだ」

 顎に手を当てようと動かすが、後ろ手にはまった手錠がそれを許さない。ああ面倒だと思って、視線を背中側に一度向ける。

「けれどそれを赦すかどうかも、当人の意志であるべきだ」

「然り。意志は諦めを乗り越える至上の輝きだ。それは好奇心であれ、決意であれ、自己との違わぬ約束となる。それ自体が、矛盾であったとしてもね」

「あなたは、解けない問題を前にして、これを解く必要があるのかどうかを考えるタイプかな」

「それは君じゃない?」

「僕はそうだけど」

「だろうね。考えに没頭はするけれど、溺れはしないタイプだ」

「あなたはその考えを表に出さない感じだよ」

「知られたくないことがある時の行動を、図らずも私と君で、二つ証明しているみたいね。出すものと出さないものを選択する君と、そもそも出そうとしない私。それなりに気が合うと思うけど?」

 そうだろうか、と返事をする前に足音が聞こえて、リンドウは壁際まで移動して背中をくっつけた。階段を下りてきた男は、出ろと短い言葉だけを投げかけ、彼女を牢から出すと、こちらを見て。

「――お前は、もう少し待ってろ」

「わかりました」

 言葉数が少なく無愛想かと思いきや、それなりに気が利くらしい。こういう人物には好感が持てる――と。

「じゃ、また逢おう」

 彼女が最後に、そんな言葉を投げた。リンドウはもちろん、返答をせずに、一瞥しておくだけだ。

 ――こういうのは、姉さんの性質だと思ってたけど。

 遭遇、エンカウント。異質な人間と縁が合うだなんてのは、今までにそう多くはなかった。それなりに印象的な出来事だったので思い出そうとすれば、すぐにでも浮かぶが、まずは現在だ。

 牢屋で、似たようなことで入れられて、似たような思考を持っていた。

 正直に言えば、面白い人だ。可能ならば腰を据えて話したいと思う。何よりも魔術師ではない、という言葉が事実であることが余計に疑問だった。

 いや、嘘ではない。あれは事実だ。彼女は魔術師ではなかった――本来、人ならば生きているだけで所持しているはずの、その差異はあれど必ず持っている魔力波動シグナルを、一切感じ取れなかった。隠しているなら、それ自体が魔力を感じるはずで、そもそも隠すのは魔術回路そのものだ。

 また、他者の魔術回路を利用することができるリンドウの性質上、そこを見間違うことはありえない。

 たとえ――魔力封じの手錠をされていようとも、だ。

「……」

 だが、この程度の錠前なら抜けることも容易いことは、彼女にも感付かれた。本当に、一体どういう観察眼を持っているのか、考え込みたくもなる。

 君子危うきに近寄らず――とはいうが、そもそもこの短時間で、リンドウは彼女のことを〝信用〟してしまっている。悪い癖だ。

 けれどでも、彼女は言ったのだ。

 魔術国家――何を以ってしてそう呼ぶのかと、疑問を呈した。

 それだけで充分だ。

 それはリンドウがここへ来るための理由の、一つだったから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る