10/11/18:00――イザミ・ティーアル騎士学校
しばらく控室で待っていたら、背の高い女性が迎えにきた。ラノと名乗った彼女はティーアル騎士学校の教師らしい。聞いたことのある学校の名前だなあ、と思っていると、どうやらオレグが創設し、自ら教師としても席をおいているとのこと。従騎士を持たないが故に、そうした立場にもなれるそうだ。
詳しい手続きは明日から行うそうだが、とりあえずは学校付属の寮へ入るらしく、その案内だと言う。言葉数は多いが、どこか冷たさを孕んだ女性だと思った。
「一つ、よろしいか」
「ん、なに?」
「あなたは強い。それ以上なにを望むというのか、教えて欲しいのよ」
「あー」
どうしたもんかな、と悩んでいると切れ長の瞳で一瞥される。そこにある感情は小さな戸惑いだったが、気付かなければ一瞥というよりも睨まれたと勘違いするかもしれない。
「たぶん、素直にそう言ってくれてるんだとは、思うんだけど」
その言葉は、なんというかイザミにとっては皮肉か厭味として聞こえてしまうのだ。
「見解の相違。――あたしは弱い。だから、まだ未熟で足りないから、こうしてる」
「――」
「上を見れば切りがないとも言うけど、一応さ、目的もあるし。そう言って貰えるのは――嬉しいけれど、ね」
「オレグ氏に、何もさせずに終わらせておいて、その言葉。厭味ね」
「そういう意図はないんだけど……」
「冗談よ」
「あ、そう。けど、オレグさんもまだ先はあるよ? 自分で封じてるだけで」
「そうかしら。どうしてそう思うのか、その見解は聞かせてもらえる?」
「従騎士って、弟子みたいなもんでしょ。直接その理由は聞いてないけど、あたしの見解では、従騎士を取らないからこそ、止まってる。あたしにとってはまだ先の領域だけど、そういう理屈はわかるんだ」
「従騎士がいないからこそ……?」
「鍛錬に割く時間が、とか、そういう意味じゃなく。ラノ――さん?」
「結構」
「ん、ラノさんは教師だから、経験したことないかな? たった一度でも、何かを、教えている学生から教わった――と、そう思ったことは?」
「ああ……なるほど、確かにそれはあります」
「それも成長の一手だから。弟子なら尚更、その影響は強い。あたしはまだ自分のことで手一杯で、教えるなんて烏滸がましいほど未熟だけど、壁に当たった時は、そういう発想をよくするから」
「私には、その必要もないと、そう感じもしますが、あなたの自己見解に対して文句を言う筋合いは――今のところ、ありません。ここです」
「わお、結構な大きさだ」
石造りの大きな二階建て。正面の玄関口から左右にそれぞれ分かれている。聞けば、右手が男子寮、左が女子寮らしい。玄関は共用だが、それなりに広く、面白いのはそれぞれの寮へは渡り廊下を通る部分か。
「私は女子寮の管理もしています。学校は同一敷地内に隣接しているので、外にでる必要はありません。そして、敷地内では――武装を許可しています。ただし、外出時には控えるように」
言って、両手で抱えるようにして持っていたイザミの刀を渡してくれた。
「案外、楽な規則なんだね」
「自己責任を育む一環――とでも言えば恰好はつきますが、騎士証もなしに外を出歩く際、武装する愚かな人間はいません」
「なるほど、正論だ」
「詳しい規定は後回しよ。もう夕刻だから、先に部屋へ案内します。相部屋と決まっているけれど、文句はないわね?」
「ん、嫌だったら外で寝るから大丈夫」
「……旅人、とのことでしたが」
そんな感じだよと、女子寮へ入りながら応える。それは嘘でない。
「得物を持てないのは面倒だって思ったけど、中はそれほど面倒がなさそうで、今のところは良い感じ。あたしを囲って逃げ場を失くそうとか、そういう考えは――これも、今のところは、なさそうだし」
「そういった経験が?」
「あるよー。生贄にされそうになったことも、暗殺されそうになったことも、国一つが敵に回ったことも」
「……なるほど」
たぶん、想像しかできないだろう。けれどイザミだとて、共感して欲しいわけではない。ただの事実確認だ。
「旅の鉄則を一つ上げろと言われたら、なんと答える?」
「うーん……人によって違うんだろうけど、あたしは、孤独でいられることって答える」
「それはなぜ?」
「他人と一緒にいる心地よさを知ることは悪くないけど、孤立して単独で生きられないと、他人がすべて足枷に変わっちゃうから」
「深い言葉ね。――ここよ」
二階の一番奥――といっても、一階を一番奥まで行って、階段で上がって手前へ移動した形なので、移動経路としては最奥だけれど、玄関から見れば一番近い二階の部屋だ。
「中にはもう、同室の相手がいて、相部屋の相手がくると伝わっている。夕食の時間まではまだあるから、詳しいことは聞いておきなさい」
「はあい。案内どうも、ラノさん」
「……最後に一つ。辞めたい時は私へ直通で言いなさい」
「おおう、アフターケアまで万全か。あんがと」
「では」
再び戻っていくラノは振り向かなかったが、階段で降りるまで見送る。もちろん、足音をきちんと聞いて、階下まで移動するまでだ。安全マージンはとっておいて損はない。
ノックを四度、中からの声にイザミは足を踏み入れる。大きなベッドが並んでいるものの、それを三倍の大きさにしても大丈夫なくらい広い部屋だ。壁沿いには本棚と、おそらく勉強用のテーブルが設置されており、中央にある円形テーブルは休憩用なのだろう。その椅子に座っていた動きやすい部屋着の少女は、立ち上がって一礼した。
綺麗な髪だ、というのが最初の感想である。やや青が混じった白に近い、腰まである髪。整った顔立ちもそうだが、動きに気品が見てとれる。こりゃ親の教育だなあ、なんて自分の母親を思い出したイザミは扉を閉めた。
「どーも。相部屋の相手ってのがあたしなんだけど、聞いてる?」
「はい、つい先ほどでしたが、聞きました」
「やり方が強引だなあ……ま、いいけど。とりあえずは、よろしくでいいかな?」
「ええ、そうなるかと。私はリーレです、よろしくお願いします」
「あ、ごめん。名乗りが先だったね。これも癖で……あたしはイザミ」
ひょいと、右手を出すと、やや困ったように握手に応じた。
「ん、どうかした?」
「いえ――その、あ、どうぞお座りください」
「んー……郷に入っては郷に従えか。話しにくいだろうし、座ろう、うん」
座っているのが嫌いなのではない。食事処でもないのに、初見の場所でまず座ろう、なんて考えがイザミにはないのだ。それもこれも、一ヵ所に長く留まることをしない旅の影響か。
「イザミさんは、私のことをご存じないのですか?」
「うん、知らない。あー、あのね? あたしは結構口が悪いっていうか、相手を気遣わないから、もう最初に言っておくけど――正直に、素直に言って、興味があんましない。リーレのことがどうでもいいんじゃなく、なんて言うのかなー、相手が誰であっても、あたしには、あんまし関係ないの。伝わる?」
「……? つまり、相部屋となった相手が私でなくとも、やることはそう変わらないと、そういうことですか?」
「その通り。なんだ、ちゃんと伝わってるじゃん。もちろん、面倒が起きたら、それはそれで、どうにかしなきゃだけどね。立場とか見栄えとかより、あたしはリーレがどんな時間を重ねたのかが重要だし」
「――ふふ」
それほど年齢が変わらない相手で、この反応は珍しいなと、声を小さく立てて笑うリーレを見る。失礼、と言いながらも笑いが堪えきれないらしく、口元に手を当てて躰を揺らしていた。
大笑いはしない。それもまた、気品の良さであり――それこそが、イザミの言うところの、積み重ねた時間だ。
「ふう――ああ、笑ってしまいました。そのような反応をされる方は、いなかったもので」
「そう?」
「ええ。私自身を見てくれる方はいらっしゃいましたが、興味がないと言われたのは初めてです。ふふ……本当ならば悲しむべきなのですが、無関心とは違うようでしたので」
「まあね。――ちょっと立つよ」
座ったばかりだけどと、言いながら立ち上がったイザミは、テーブルからやや離れ、左手を柄の上へ置く。
「どうかなされましたか?」
「すぐわかる」
そう言って十秒後、ごんごんと強めのノックが二度したかと思えば、そのまま扉は開く。
「ねーさん!」
そして、勢いよく飛び込んできた小柄な少女が、リーレの胸へ飛び込んだ。
「オリナ! 危ないわ、紅茶を飲んでいたらこぼしていましたよ」
「わはは、すまんのう。――ファブ! 外で控えておれ」
「はっ、承知いたしました」
先ほど逢ったばかりのファブはイザミへと一瞥を投げるが、当人はそれに気付きながらも、視線を少女から外してはいなかった。
扉が閉まっても、それは変わらない。
「どうしたの、急に。予定はなかったでしょう?」
「うむ、事情の説明など、いろいろあってのう。イザミといったか」
「そう」
「私は第二王女、オリナじゃ。姉はリーレ、第一王女じゃが、執務は私が行っておる」
「へえ……何故か、一応聞いておくけど?」
「執務なんぞ面倒なこと、姉さんにはやらしておけん。どうせ象徴として在るだけじゃからのう」
座ったらどうじゃと、名残惜しげだがリーレから離れた少女は、笑いながら隣の椅子に座る。その間にリーレは新しい紅茶を淹れていた。
「姉さんも聞いてくれ」
「大丈夫よ」
「うむ。イザミをここへ入学させ、姉さんと同室にしたのは私の一存じゃ。いろいろと思うところがあってのう」
「手の届く範囲に、あるいは目の届く範囲に置いておきたい?」
「そうじゃ」
「違うでしょ。あんたの場合は〝糸が届く範囲〟だ」
「む……お主、まさか気付いておったのか! 私はお主の得物を見ても半信半疑だったぞ」
「だろうね」
ちらりと、出入り口を一瞥したのに気付いたのか、紅茶を持ってきたリーレが口を開く。
「大丈夫ですよ」
「知ってる。符術を埋め込んで、人が内部にいる限り、扉が閉まった状態なら防音処理が施される術式があるんでしょ。ただし、火事や殺人、暗殺なんかの危険ワードだけは、特定の声量以上で発した場合、外に漏れる」
「姉さん、勘違いするでない。誰も説明なんぞしておらん。それに聞いてくれ、オフレコじゃがこやつ、あのオレグに何もさせず戦闘を終わらせおった。わははは!」
「そうでしたか……」
「ま、ファブでも無理じゃろ。戯れに問うが、オレグに生きる道はあったか?」
「あったよ」
「そうか、そうか。まだ伸び白があるんじゃのう。しかし、何故私に気付いた?」
「質問ばっかね。いいけどさ……」
「確かに、イザミさんは警戒なさっていますね」
「そりゃもちろん、ええと、オリナだっけか。警戒するなって方が無理でしょ、それ。なにかまでは説明する気ないけど」
「ふうむ、なるほどなあ。では目的を話すつもりもないのじゃな?」
「言えば、協力してくれる?」
「応、とは言えんのう。確かにお飾りじゃが、私も一応は王女じゃ。そう簡単に市井の者の言うことを聞いてはおれん。ここに来るのだって、あくまでも一学生として所属しているからこそ、ファブを連れてくる条件で、姉に逢いにこれるのじゃ」
「ふうん? そっちの事情には、あんまり興味ないなあ。けどまあ――いざとなったら、理由を開示して、協力を取り付けるかもしれない。きっと話しても問題はないし、その方は展開は早いんだろうけど――早ければ良いって問題でもないから」
「なるほど、お主は過程に楽しみを求める性質じゃな」
「一つの目的に向かって走る姿は美しいけど、それだけしかない人は見苦しいってこと、知ってるから」
「聞けば聞くほど、真新しい人種じゃのう」
「そうかもしれないね。ところで、騎士証を得るためには最短二年って話だけど、例外はないのね?」
「ないのう」
「ふうん。んー……オリナもリーレも王女だから、一応言っておいた方がいいかもしれないけど、あたしはね、一つの街に留まるのは最長で半年って決めてるの」
「目的を達成できなかったケースは?」
「あはは、やっぱ気付くか。追い出された、身の危険を感じた、逃走した、そういった理由を除けばないよ。あたしの過去っていうか、旅の話なら同室のリーレ相手にしてあげるから、また今度ね」
「ぬぬっ……いかん、いかんぞ。これは何としても、私も学校に――いや駄目だ、公務がある。そして私がボイコットすれば、姉さんに仕事が回されるやもしれん。それはいかん、いかんがしかし……!」
「いや確かに、話としては面白いかもしれないけど、そこまで食いつくとこか……?」
「よし! わかった、待っておれ。すぐに会話の記録媒体を運ばせる! 溜めておいたお小遣いも奮発してやろうではないか! 良いか姉さん、会話の始めにはきちんと作動させよ!」
「はいはい、わかりました。騎士団詰所の尋問用を流用しちゃ駄目よ」
「何故ばれた……いや、せんとも。うむ」
「オリナ、公務はもう?」
「うむ、今日のものはキャンセルしておいたとも。夕食は一緒にできるぞ」
「そうですか。では、そちらの案内と、規則について、少し話しておきたいのですが、よろしかったですか?」
なんて。
笑顔でこちらの会話をまとめられたのだから、なかなかうまい女だ、と思わなくもなかった。
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