空歴424年

10/11/16:30――イザミ・騎士制度

 ええー、なんて。

 否定的とも不満とも聞こえる、それなりに大きな女声が響いたことに、受付をしていた男性はやや顔を顰めると、苦笑いに似た表情を作った。こういう手合いは一年に一度、いるかいないかで、いうなればそんなことは、彼らにとって常識だ。

「なんで!」

「お前……どこの田舎モンだよ」

 勢いよくテーブルを叩き、身を乗り出した少女はやや幼い顔つきではあるものの、垢抜けているとは言わないが、それほど田舎者には見えない。地方の村から出てきたと言われても、まあ、納得できなくはないレベルではあるが――と、そこで彼の思考はいったん止まる。

「あのな、イウェリア王国では、帯剣できるのは騎士階級と決まってるんだ。旅人であっても例外じゃねえぜ」

「うっわ。あーそれは困った。どうしよ」

「どうしよってな……」

 そんなことを言われても、業務内容には含まれない。

「中に用事があるだけなら、得物をこっちで預かるぜ。ちなみに、隠し持って中に入るのはいいが、使った時には牢獄行きになるから気をつけな」

「ううーん」

 となれば選択肢は一つしかないなと、少女はあっさりと決断を下す。熟考が不要だとは言わないが、即決即断は状況に応じて必要だ。それで失敗してきたことも、それなりにあるのだが、そんなことは気にしない性格なのである。

「じゃ、騎士になるためにはどうすればいい?」

「なろうと思って――あ、いや、そうじゃねえか。王国の中にはいくつかの騎士学校が存在するから、そこを卒業すりゃいい」

「どんくらい時間かかる?」

「はあ? そりゃ……俺の知ってる限りだと、最短で」

「――二年」

 ふいに、彼は後からの声に反応して振り向くと、腰にロングソードを提げた男がいた。背が高く、少女の頭が胸部あたりだ。

「第三騎士殿!」

「ああ、立つな、そのままでいい。で? どうしたんだって?」

 髭のおじさん……いや、おじさんは酷いので、お兄さんの方がいいのかなあと、少女は顔を上げる前に腰のものを確認してから、視線を合わせる。

「得物を持つには、騎士にならなくちゃいけないんでしょ? だから、どうすればなれるのかって聞いてたとこ」

「ほう……」

 あ、まずい見抜かれた、と少女は思いながらも、どうにか表情は変えない。こうした話術は苦手だし、隠しきろうとも思っていないので良いのだが、好ましい状況とは思えないでいる。

 街と外との境界線に設置された門の横にある受付窓口のような小屋に、少女たちはいて、その後ろでは軽いチェックだけで素通りする人たちが、出入りをしていた。騎士証がどのようなものかも知らないが、何かあるのだろう。だからといって強引に抜けるには、デメリットが多い。その判断から、少女はこうして警告に従って、話をしているわけだ。

「お嬢ちゃん、腕に覚えはあるのか?」

「え、もしかして、おじさん倒せば騎士証貰えるの?」

「おじ……!」

「まあ待て、いい、いい。俺の娘だってそのくらいだ、充分におじさんじゃないか」

「そりゃそうかもしれませんが……おい、お前ちょっと、怖いもの知らず過ぎるぞ」

「そっかなあ」

「実際には倒しても騎士証はやれん。――が、仮にもしも、そうだとしたら?」

「やるよ」

「お前ね、この人が……」

 どんな人か知らないから、と続けようとした男は止める。少女は薄く笑っているが、それは笑顔ではない。瞳は真剣そのもので、どこか嬉しそうに――挑むように。ともすれば挑発的と思えるような、笑み。

「お嬢ちゃん、騎士になりたいのか?」

「今のところ、それしか道がないかな。あ、やるならちゃんと小盾を持ってきてよ? そうじゃないと、退屈だろうし」

「――。少し待ってろ」

 ほんとに盾を持ってくるつもりかなあ、なんて思っていると、急に受付の男が顔を近づけてきた。

「あのな」

「え、うん、なに」

「あの人は多くの騎士を統括する、近衛騎士の一人でな。すげー人なんだぞ」

「って言われても、よくわかんない」

 かなり厄介な手合いであることはわかる。視線の動かし方や、体幹の強さ。空間把握の〝面〟を主体としつつ、線と点が入り乱れるような戦い方が想定できる手合いだ。過去、少女が戦った中にもそれなりにいたが、群を抜いているんじゃないか、とすら思う。

 年齢と共に積み重なった経験が、個人を作っているという象徴のような人物だ。

 ――なんて。

 そこまで見抜けたことを、わざわざ教えてやる義理もなし。

「騎士って、どんななの?」

「どんなってな……ま、騎士ってのは一つの階級だ。なりたいやつは山ほどいるし、こう言っちゃなんだが、そう難しくはねえ。学校に通って、それなりの成績を修めればな。ただ、騎士を仕事にするとなると、それなりに難しい。それこそ一握りってやつだ」

「お兄さんは?」

「俺は、許可証だけ持ってる――群騎士、と呼ばれる類だ。こうやって受付の仕事くらいはできるが、いつもやってるわけじゃねえ。いわゆる、武装が許されるレベルってやつだ」

「あたしも、それでいいんだけどなあ」

「――なにしにきたんだ?」

「えっとね、人探し。本当にいるかどうかもわかんないけどね」

「へえ……ま、お前の目的にとやかく言いはしねえよ。けど、第三騎士殿に挑むってのは無茶が過ぎる」

「あははは。んで、騎士ってのはどんなのがあるの?」

「仕事のほうか? 本当に知らないんだな……まあいい。まず、一番上に王騎士。現在は三名のみで、国王直属の騎士だ。一人は夫人、もう一人は娘さんについている。で、次が近衛騎士」

「さっきの人ね」

「そうだ。この街は大きく七つのエリアに区分され、それぞれを統括する立場にあるのが、近衛騎士だ。つまり、七人いる。その下は一気に数を増やして、街騎士――それぞれの待ちの治安を守るための騎士で、単純に騎士団と呼ばれる。ここの出入り口だと、第三騎士団だな。で、最下位の俺みたいなのが、群騎士。どこにも所属しない、肩書だけってやつ」

「わかりやすく、あんがと」

「あとは従騎士ってのもある。こいつは公式ってわけじゃねえが、学校を卒業した騎士がより一層強くなるために、師事を請う場合だな。いわゆる師弟関係か」

「ふんふん……お兄さん、誰かになにかを教えるの、向いてると思う」

「そりゃ、ありがとさん。あと、大雑把に騎士全体に、等級がある。具体例は省くが、騎士団と群騎士の中で、一等から九等まで。ああ、こいつは余所の国でも、大抵は通じるぜ」

「――おう」

 すまんなと言う第三騎士に対し、暇潰し程度ですよと男は肩を竦めた。敬意は払っているようだが、それほど畏まらない態度だ。これも一つの人望の形か。

「おい……と、そういえば名前を聞いてなかったな」

「おじさんは?」

「……第三騎士、オレグだ」

「あたしはイザミ」

「ファミリーネームは?」

「いるの、それ」

「まあいい。得物を俺に寄越してこい」

「いいけど……あ、いろいろあんがとね、お兄さん」

「へいへい」

 腰から引き抜いた刀を、屋内から出てきたオレグに差し出すと、それを受け取った当人は僅かに反応したが、こっちだと言って歩き始める。

「――あのさ」

「なんだ?」

「最初に言っておくけど、拉致や監禁、罠の類は覚悟しといてね」

「やりゃしねえし、事情も今から説明する。……覚悟って、なんのだ?」

「あたしが大暴れした時の、覚悟」

「そりゃ怖い。――冗談じゃないところがな。今、最寄りの闘技場で騎士学校の卒業試験が行われている。一応、勝ち抜き戦を前提としているが、あくまでも学校で得たものの成果を発表する場だ。だからといって負けりゃいいってわけじゃねえが」

「そこに行って乱入?」

「乱入はするな。横槍を俺が入れただけだ。一丁前に俺に挑んだその技量、見せてもらう」

「メリットは?」

「俺が騎士学校への推薦状を書いてやる。学費はこっち持ちで、最短二年コースだ」

「んー」

 二年では、長すぎる。もちろん、学校に通っている間にイザミの目的が達せられたのならば、それで構わないが。

「それ以上を求めるなら、本気で見せてもらわなけりゃ提示もできん。お前がそうであるように、俺も警戒してるからな」

「あはは、こんな小娘に?」

 笑いながら言うと、立ち止まって振り返った男は、しょうがねえなあ、といった顔でため息をつき、顔を――というより、髭を無骨な手で撫でた。

「得体が知れねえんだよ。たとえばこの得物、曲刀のくせに長い。その上この重量だ」

「一応、これは〝信用〟して言っておくけど」

「一部を強調すんな。で、なんだ」

「無理に引き抜こうとすると、その子機嫌悪くなるから、気を付けてね」

「は?」

「そのままの意味。それと、見せろって言われて素直に見せるとは思わないでね」

「……その口が、闘技場の上で叩けるなら大したもんだ」

「へーい。でも、横槍入れられるの?」

「問題ねえよ。従騎士を、第三騎士になる前からずっと断り続けた俺が、良い拾いものをしたから、試してみたい。そう上に言ったら、一発オーケイだぜ? ははは、俺は面倒だから断ってるだけなんだがなあ」

「それは違うでしょ。説明はしないけど」

 単に、教えるのが苦手というわけではなく、あまりにもトリッキーな、あるいは独学の中から自分に合わせた戦闘方法や思考法を得てしまっているがゆえに、誰かに教えることが極端に難しくなってしまっているのだ。

「お前……それ、本気で言ってんのか?」

「え? いやあ、ハッタリ半分だと思ってくれてていいよ。ギャンブラーの鉄則だし」

 人に逢って、人を見たら。

 ――積み重ねてきた時間を見抜け。

 そう教えてくれた父親は、俺はそれで失敗したと、笑いながら言っていた。その失敗が母親の時だったらしいので、それが失敗なのかどうか半信半疑だったが、教訓にはなっている。

「人通り、結構多いね。挨拶も多い」

「俺は放任主義なんだよ――ああ、この第三区は俺の管轄になってる」

「放任っていうか、逆に上手く〝混ぜた〟って印象かも。小さな一つの街が、この区画だけで完成してる。これは素直に、凄いと思うけど」

「――おい、お前、どういう素性だ……?」

「それをこれから見るんでしょ」

 どちらかといえば、歓楽街に近いのかもしれない。どこに区切りがあるのかはわからないが、大きな施設の建物が多く、だからこそ商売が発展し、行商ではなく住みつく商売人が多くなる――が、しかし、商売だけが全てではないのが、上手さだ。

 イザミが旅を続けてきて見てきた中では、上位に入るバランスだ。

 案内されたのは円形の闘技場だ。受付では全てをオレグに任せて、控室へ案内される。そこで待っていたのは、小柄だが妙に偉そうな態度の、ショートソードを腰に提げた男だった。

「おう、来たか」

「おいおい……王騎士殿が、わざわざツラ見せとは、こりゃ一体どういうことですかね」

「嫌味な敬語はよせよ、オレグ。お前が辞退すっから、同期の俺が姫さん専属の王騎士になったんだろーが」

「お前、喜んでなっただろ……」

「まあな。だからお相子だろ? ――で、そいつか?」

「そうだ。得物はどうする?」

「ん……そこらの棒切れでいいよ」

「棒切れってなあ、おい」

「どれでも同じってこと。自分の得物以外は扱える自信がないってことなんだけど?」

 金属製の刃物が無造作に突き刺さっている箱がある。刃も潰れているが、だからといって刀を望もうとも思わない。

「あ、これでいい。これ」

 ショートソード――王騎士が持っているものと同じくらいの長さの木剣があり、イザミはそれを自ら手にする。その背中を見た王騎士は、壁に背中を預けたまま、軽く指で鍔を押し上げた。

 ミヤコは気付いていて、気にしない素振りで振り返る。

「いいよね、これで」

「お前がそれでいいんならな……」

「ん。あたしはイザミ。そっちの兄さんは?」

「――ちょっと待て。俺がおじさんで、なんでこいつが兄さんなんだ?」

「え……髭のせい」

「ひげっ!?」

「ははは、そりゃ言えてる。俺はファブだ。本当にそれで戦えるのか?」

「今からやるのが戦闘ならね」

 手にした木剣をどうしようかと考え、そのまま腰の裏に差しておく。どうせ一時しのぎだ、両手を空けておきたい方を優先する。

「言うねえ。ここで俺とやったらどうよ?」

「ああ、オレグがあえて言わなかったの、言うんだ」

「さん、をつけろ」

「はいはい、オレグさん」

「俺は呼び捨てでいいぜ、馬鹿にされてる感じはねえし、面白いから問題ねえ。で? どうなんだイザミ」

「んー、どこで、終らせる?」

「は?」

「あんまり強いことは言わないけど――」

 そもそも、イザミ・楠木という少女の生き方は。

「――あたしが負ける時って、あたしが死ぬ時だけよ?」

「……」

「じゃあ殺し合いになるなあ」

 沈黙を選択したオレグに、冗談とも思えない返答をしたファブ。どちらが賢いかは、この際関係がない。

「ならないよ。あたしはそんなことで殺さないもの」

「負ける時は、俺が死ぬ時だと言ってもか?」

「そうなら逃げればいいじゃん」

「まったくだ。はははは! ――おいオレグ、こいつやばいぞ。マジで。キャッチあんどリリースな物件だこれ」

 笑った直後、真剣な顔で言う。指をイザミに突きつけながら。

「まずいのか?」

「まずくはねえよ。ただ、やばい。生き方が尋常じゃねえ、想像の領域も至らん。危険度は低いし、なにかの問題に発生したところで、小規模で済む。そこらへんはお前も感じたんじゃねえか? こいつは、どこに行っても、一人で生きていけられる人種だ」

「本人を目の前に、好き勝手言うなあ……」

「――だからこそ、今から見るんだろ」

「それがオレグの判断なら、いいさ。事情は軽く説明しといたし、スカウトや騎士やら、関係者だけだ。帰ってもいいって言ったんだが、うちの姫さんも残るって。帰ったのは誰もいねえ」

「そりゃいい。じゃ、行ってくる。おいイザミ」

「はいはいっと」

 ファブの隣を横切る際に、軽く視線を合わせる。合図でも、意図の交換でもない、探り合いに似たそれだ。

 足元が土の闘技場は、それほど広くは作られていない。せいぜいが二十五メートル程度の円形だ。それを囲うようにして観客席があり、一番高い位置に王座。対面にある出入り口は、本来ならば対戦相手が出てくるのだろう。二人は並ぶようにして中央付近まで入っていき、オレグは片手を挙げた。

「第三騎士、オレグ・ティーアルだ。――いきなりの横槍、すまない。こいつは騎士になりたいらしく、俺がどの学校へ推薦すべきか、悩んでいてな。そこでだ、少なくとも戦闘能力だけでも見て判断したい、とのことで、この場を作らせてもらった。第二王女殿も、ご協力に感謝する」

 王座に座っている女性――いや、少女とそう変わらないだろう。それなりに豪華な衣服を着て座って、こちらを見下ろしている。

「……」

 視線が合う。

そこにきてようやく、イザミは無意識に左手でなにもない左の腰付近で宙を掻く。口元が笑みの形になるのは、嬉しさと武者震いを隠すためだ。じわりと浮いた背中の汗に気付かれるような生き方はしていない。

 ――強い、とか。

 弱いとか、技術とか、そういうものではないのだ。

「誰でもいい! こいつと手合わせしたい者はいるか?」

 オレグの声が右から左へ流れる。その状況に気付き、肩の力を抜くように吐息して意識を逸らす――が、やはり逸らしきれない。

 獣だ。

 あの場にいるのは、豪華な服を着た王女などではない。少なくともイザミにはそう感じた。

「自分がやります!」

 対戦相手はすぐに出てきた。躰が隠れる程度の盾と直剣を持つ騎士だ。手甲や足甲もしており、それと比較すればオレグやファブは軽装に当たる。

「よし。では始める」

「はい! ――よろしく頼む」

「あ、うん。こちらこそ、先に謝っとく。ごめんね」

「……?」

 距離は五歩、イザミは腰裏から木剣を手に取り、自然体のまま。

「始め!」

 やや離れたオレグの合図と共に相手が左の盾で躰を隠し、右の剣を――躰を開くよう、やや外側に振って構える。それを、どこかぼうっとしたまま、イザミは見た。

 いつまでそうしていただろうか。もう我慢がならん、といった様子で相手が攻撃を仕掛けてくる。最初の一撃は牽制、続けて本命。踏み込みからの剣筋は綺麗で、整った、誰かに教わった型をそのまま使っている印象を受けた。

 するりと横を抜けるようにして回避したイザミは、その動作を利用して観客席の半分ほどを、ぐるりと見渡す。真剣に観察しているのは、せいぜい二割。残りは余興のような感覚で視線を飛ばしてくる。特に楽しそうなのが王座にいる第二王女なのだが、そこからはずっと意識が逸れない。

 ――さすがに、いないかな。

 いたとしても隠しているのだろう。ここで発見できれば、ちょっと無茶をすれば用事は済んだのだが、それほど都合の良い現実はない。あったとしても、逆に裏を疑っていただろう。だから、残念という気持ちは浮かばなかった。

 続く攻撃を回避しながら逆側の観客席へ――と、そこへ。

「〝疾走の蒼〟」

 言術の発動を決定づける言葉が放たれた。

 肩口を切りつける動きを回避した途端、ぴたりと剣は途中で停止して真横へ。上半身を反らすようにして回避すれば、真正面の位置で剣が停止した。変動する剣筋、それでいて言術の追加による速度の上昇――けれど、でも。

 そこから突くには、腕を引くか、足で踏み込むしかない。しかし、それが連携されている以上、選択は常に後者だ。

 踏み込まれる右足を、イザミの左足が軽く叩いて外側へ払う。たったそれだけで踏み込みの位置が代わり、突きの動きは踏み込みの足が向く先、つまりイザミの横を抜ける。

 あまり長くやるつもりはない。だからイザミもまた、反らした躰を元に戻す動きで前へ。ひょいと右から左に持ち替えた木剣を持ったまま、ふらりと揺れるようにして騎士の背後へ。その際、左に持った木剣が相手の首へ当たり、けれど握り込んでいなかった木剣はイザミの手を離れ、そのまま宙で横回転して、落ちる。

 背中合わせ、その状態で真正面に見えるのは、第二王女だ。

 ――やっぱり、怖いね。

 それは、強さの証明でもある。

「――っと」

 追撃はあるのかと思って躰を回転させれば、突きの動作を終えた相手は、首へと盾を持つ左手を当て、それから地面に落ちた木剣に視線を向けた。

 油断はしていない。そして、舐められたと頭に血が昇ることもない。何故なら、純然たる事実がそこにはあるからだ。

「……自分の負けです」

「いいのか?」

「はい、第三騎士殿。――自分は生かされました」

「そうか。ご苦労」

「は、無様を晒しました! 失礼します!」

 第二王女へ、オレグへ、観客へと礼をした相手は、僅かに迷ったようだったが、最後にはイザミへ頭を下げて控室へ走って向かった。それを見送り、ゆっくりとイザミは木剣を拾う。

「あいつは三等騎士だ」

「へえ、情報ありがと」

 だからこそ、負けを潔く認めたのだろう。仮にこれが偶然であっても、自分の全力を出し切れなかった結果でも、現実は現実だと飲み込んだのだ。そういった精神は、イザミも嫌いではなかった。

「悪いけど、今のレベルだと話にならない」

「……」

「筋はいいんだけどね、本気にはなれないかな。それはたぶん、オレグさんでも同じだけど……ファブとはもっとやりたくない。さすがに仕える人が傍にいるんじゃ、死にもの狂いになるだろうし」

「お前ね、聞こえてるぞ」

「知ってる。でも、油断とか慢心じゃないんだよね。あたしの生き方だから」

「手の内は明かさない、か?」

「違う。あたしはこうやって、生きているだけで、臨戦態勢なの。始めと言って構える以前に、〝こう〟だから」

 不意打ちも、上手くやらないといけない――そう言いながら、後ろから飛んできた、というかファブが投擲したナイフを、振り向きもせずに左手で掴む。怪我をしないよう、親指と残り四本で挟むかたちだ。

「はい、あげる」

「おう……」

 余計な真似すんなと、オレグはファブを睨むが、当人はひどく渋面していた。

「魔術師はどうだ?」

「あー、対応が乱暴だってよく言われてる」

「ますます、お前がわかんくなってきたな」

「――第三騎士!」

 声が上がった。それだけで、周囲はシンと静まり返る。

「はっ!」

 ほかでもない、第二王女自ら発声したのだ。国家ならば、これは無視できない。

「興が乗った。ここであったことは口外厳禁とする。お主、相手をしてみよ」

「それがお望みとあらば」

「よかろ。ファブ、お主はちょいとこっちへ来い。それと第三騎士、負けてもとやかくは言わん。全力でそやつの実力を引出せ。良いな?」

「はっ、承知いたしました!」

「繰り返すが、口外厳禁だ。――すまぬな、私の我儘じゃが、付き合ってもらおうぞ。小娘も構わんな?」

「ん……不敬罪ってあるのかな? わかりました」

「ほう、良い度胸じゃの」

「どうも」

 軽く頭だけ下げておくに留めた。礼儀は知っているが、そもそもイザミは旅人で風来坊だ。畏まることはしない。

 にやにやと笑いながら、小盾を持ったファブが、それをオレグへと渡す。

「――厄介なことになったじゃねえか。なあ?」

「うるせえ」

「第三騎士! 小娘の得物は返せ。使わせて構わん」

 頷き、オレグは未だに手にしていた刀を、イザミへ。

「現状、今だけの特例だ。わかっているな?」

「はあい。例外ってのは、一度作ると横行するらしいけど、まあそれは知ったことじゃないから、いいけどね」

 刀を受け取ったイザミは、それを左の腰へ差して佩いた。袴装束と呼ばれる衣服、その裾にある――紋様。

 彼女は、武術家と呼ばれる人種だ。

「一応聞いておくけど、オレグさんの得物は消耗品?」

「特注だが、壊れることも想定してる」

「そか。じゃ、安心かな」

 大勢の目の前で、実力を晒す場合、それを回避すべきなのが一般的だ。手の内を隠すのは旅人の必須科目。けれど、逆に隠さないでいることのメリットもある。

 強者は、ただ存在するだけでいい。けれど、強さを示さなければ、油断や慢心として捉えられることもある。そして畏怖とは、真の実力を見せてこそ発生するものだ。

 ――良い機会だと思おう。

 実力を白日の、と言っては過言になるが、この場で晒すことで、イザミの目的は達成しやすくなるのなら、それもまた必要だ。見られても、対策された上で凌駕すればいいし、それができなくとも、奥の手は持っている。

「六割くらい……かな」

 たぶん、そこが限度だ。

 十歩の距離で対峙しつつ、木剣を捨てる。いつの間にか王座の横にまで移動したファブが、左手を上げた。

「――始めろ!」

 直後、踏み込もうとしたオレグは、その行為を本能的に止めた。それは、正しくもあり、間違いでもある。これが実戦であったのならば、構わず踏み込むべきだった。つまりこの時点で、勝機を失ったといえよう。――相手の空気に飲まれてしまったのだ。

 イザミは右足を前へと出し、今にも飛びかからんとした姿勢で留め、上半身を捻る構えをとった。顔は正面のまま、左の指が鍔を押し上げ、右手が柄に触れる。

 違う意味で、闘技場内部は静けさに包まれた。

 呼吸を忘れるほどの静謐さに似た気配。それは圧迫と呼べるものであり、直後に思い出した呼吸をすれば、誰もが息が上がってしまっているような、威圧。

 そう、圧だ。

 じりっと僅かに後退してしまうような、存在感。

「〝鈴蘭の陣〟」

 言術特有の強化、円形を主体とした術式紋様が六つほど展開する。本来ならば固定化されるそれは、ふわふわと揺れ動くよう、オレグの躰を移動していた。符術で誤魔化さない純粋な言術の同時展開――それが、オレグの得意とする言術だ。

 一呼吸を意識して行う。

 本能的に、全力を出さなくてはならないと思っている。いるが、けれど――それができないことを、オレグはよく知っていた。

 呼吸を停止、踏み込みの動作。攻撃の起点となるそれを、確かにオレグは行ったし、その瞬間に十歩の距離をいつの間にか詰めていた、イザミの姿が視界に捉えられたのは、言術によって視力を強化していたからだろう。

 ぬるりと、表面を撫でるような滑らかな動き。オレグから見て正面から右――つまり、ロングソードを持つ側の横を抜けるかたち。オレグはそれに対応できない。

 できるはずがない。

 機先を封じられた形での先手でありながら、言術で強化していなくては追えないほどの速度。防御も間に合わず、攻撃もできず、さりとて間合いを外すタイミングすらなかった。

 ただ。

 ただ、己の背後で鍔鳴りの音が静かに、小さく、冷たく聞こえた。

「――守る対象がいないと、本気になれない?」

 ぎくりとして振り返った瞬間、ソードの鍔から先が地面に落ち、構えていた盾が砕けた。

 オレグは、その際にも、一切の衝撃――というか、負荷を感じない。それどころか、いつ抜いたのかが、わからなかった。

 イザミは左手で柄を押さえるような恰好でこちらを見ており、やや呆れ顔だ。

「それとも、守るものがない、あたしの強さ?」

「……さあ、な」

「ご苦労、第三騎士。もうよいぞ」

「は」

「そちらの小娘は、しばし控室にて待っていろ」

「はあい。……やっぱダメだなあ」

 在り方が違うと、拮抗した戦闘は無理だ。いや――戦闘に対する志の在り方というよりもむしろ、生きるために何をしてきたのか、その一点が問題なのだろう。

 ただ、決してイザミは戦闘愛狂者ベルセルクではない。

 何故なら、きちんと相手を選ぶからだ。

 ……その言い訳は、果たして正しいのかどうか、非常に疑問だが。


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