01/11/15:00――ラフィ・旅人の女

 ラフィ。

 孤児だった彼がそう呼ばれるようになったのは、普段から当たり障りのない笑みを浮かべていたからだ。あまり角を立てない付き合いは裏路地の生活において面倒がなく、強者には逆らわず弱者には好印象を与えることで影の薄い立ち位置を作れば、さほど労力を費やさずとも最低限の食事は可能であるし、一般から見れば貧相だろうけれども不満を口にしたことはなかった。

 そもそも、孤児たちが集まる裏路地は生活がひどく困難だ。食料を手に入れるには表から盗みや騙しを行うか施しを受けるしかなく、そもそも彼らは仕事に就くことすらできない。もちろん中にはしない人種もいるが。

 だが、今のラフィの顔に浮かんでいる笑みは――苦笑だった。

 周囲に散らばっている機械の残骸。既に逃げてしまった人の姿はここになく、終わってしまった小さな戦場にラフィが残っているだけだ。大地に痕跡があるわけでもなく、たまり場にしていた街の隅にある広場はこれからも使えるだろうが、だからこそ逆に何が起きたのかは経過を見ていなければわからなかっただろう。

 簡単に言ってしまえば、ラフィはすべてを台無しにした。普段ならば笑みで適当に付き合っていた裏路地の孤児たちを、年齢も問わずしてすべてを一人で駆逐してしまったのだから表現としては正しいだろう。

 ――どうしちまったんだ、俺は。

 原因はある。つい数日前に初めてラフィは一方的な施しを受けた。いらないと否定しても相手にされなかったのだが、随分と高価な金貨を一枚置いていったのだ。たったそれだけのことなのに、ラフィは揺らいだ。

 何よりも相手にされなかったことが、逆鱗に触れた。上から向けられる視線に対して、何もできなかった己を悔しく思った。だから、つい。

 つい、動いてしまった。普段ならば気にしないのに。

「これからどうするかな……」

 ここの頂点として君臨するのは簡単だが、それでは何も変わらない。お山の大将程度ではアレは自分の相手などしてくれないだろう。ああそうか、彼女がどのような人物なのかを探るのも手か。だとすれば探る方法を探さなければ。

 薄い緑のツナギを着た、男性にしてはやや小柄なラフィは、耳が隠れる程度の髪を面倒そうによける。目に入るほど長くしているのは切るのが面倒なのもあるけれど、影を薄くしようとした結果だ。ただし長すぎるのも逆に印象付けてしまうため、そこはナイフを使って適度に切ってはいる。

「――面白いわね」

 さてと腰に手を当てたところで、その声は届いた。方向は正面、誰だと意識を向けてようやく、ほんの五歩ほどの距離に女性の姿を認識する。彼女は腰をかがめて地面に落ちた部品の欠片に手を伸ばしているところで、それなりに長い髪で顔は隠れていて見えないものの身なりは良い方だった。

 そしてこちらを見る顔は綺麗で整っているが、ラフィの記憶にはないものだ。

「人の転機に立ち会うのも縁ね。クロを引きずってるのかしら……ふうん、そこそこの術式ね」

「――なんだ、お前は」

 その姿があまりにも異質過ぎて、笑みを忘れる。今まではある特定の場所でしか見せなかった素が表に出てしまっていた。

「私は旅人よ。ただし君が今思いついたような旅人とは違うわ」

 それにしても面白いと彼女は破片探しピースメイクを続ける。妙な女だなとラフィは肩を竦めた。

「その旅人が何だ? こんなところにいるよりも、表通りを歩いた方がいい」

「あら忠告してくれるの? ありがと。たまたま見かけたから観察してただけで、すぐにそうするわよ」

「そうしろ」

「それで君は、どうしてこんなことをしたの? 騒ぎの様子じゃ普段からこんなことはしてないみたいだったし、日常的に行われているようでもない。それにこの破片……見たことないけど、表通りを闊歩してた妙なでかい機械よね?」

「――何を言っているんだお前は」

 一気に相手が疑わしくなり、半歩ほど退いたラフィの判断は正しい。

「アンカー・アタッチメントを知らないのか?」

「知らないわよ。ん、ああそうか、こういう場合は都合が良いってわけか……なるほど。私はね、旅人だけれど別の大陸から来たのよ。広意義での旅人って意味ね。この大陸に来てまだ一日も経過していないから、詳しくは知らない。良ければ聞かせてくれない?」

「信じられない。だいたいどうして俺が」

「余計なことを話しても大丈夫そうだから。表通りの人間にはあまり吹聴できないでしょう? 大陸間移動は海で隔たれている以上、実質不可能に近い――これがどの大陸でも一般的な認識だから。余計な面倒を起こしたくないってのはわかるでしょう?」

「……なんで俺なんだ」

「都合が良いから。それよりも最初の質問は? どうしてこんなことをしたのか」

 どうして答えなければいけないんだと言おうとして、それでは同じような受け答えが続くだけかと判断したラフィは、高さが十五メートルはある手近な誘雷柱に背を預けた。

「どうしてだと思う?」

「なあに、推察を許してくれるの。でもまあ――確認のためでしょうね」

「なんだと?」

「力を振るう理由はいくつかある。普段はしないのに行った、それに状況から顔見知りが相手だったことはわかる。重要なのは君が騙していなかったことね。正面から堂堂と対峙してこの結果を得たのも見ていたし被害の状況から、まあ大したことをしていないのもわかる。魔力の残滓がひどく落ち着いてるのも一因よ。そして」

 そこで言葉を区切った彼女は一瞥を投げてくるが、すぐに背中を向けて視線をあちこちに飛ばし始めた。

「人は壁に当たると周囲を壊したくなるのよ。自覚的にではなく、ほとんど無自覚にだけれどね。そのつもりはなくとも、周囲を巻き込んで壊してしまう。君の場合はこの逆で、壁が見えたから――その壁を乗り越えるために周囲を壊した。でもこれって、被害は確かにそう見えるかもしれないけど、結局は君の立場を壊したに過ぎない。君自身の手でね」

 だから、確認だと彼女は言う。

「どんな力でも自らが振るうのならば、結果を得るのは自分だけよ。何かをしようとした時に、迷わず踏み出すのは蛮勇って言うの。まずは望みではなくて、自分には何ができるのかを確認する。その行為そのものね」

 なるほどなと思う。どこから見ていたのかはともかくも、ラフィの行動からそこまで予測できる彼女は只者ではない。だが尚更疑問に思うのは、そこまで察しているのならばわざわざ確認の問いを投げる必要はないと――そう口を開こうとして、しかし。

「で、雷系の術式を使うのね」

 あっさりと手の内を読まれた。

「特に精密な制御を評価できるわ。ああいった指向性を持たせるのは私になかった試みだし勉強になった。私なんてせいぜい電磁場や凝縮して接合に使う程度だし」

「――お前は」

 それはきっと好奇心だったのだろう。目にも見えない静電気に限りなく近い雷を操作しての行為を見破られたことには驚いたが、それ以上にどうして知ったのか――どのような技術を持っていて見抜いたのか、それが気になった。

 そんな人間は、近くにいなかったから。

 いやそもそも、自分以外にもアンカー・アタッチメントを使わずに出歩いている人間がいることに、最初から異常性を見出すべきだったのか。

 組んでいた腕をほどいて背中を外した直後。

「あ、ちょっと離れた方がいいかも」

 その忠告が終わるか否かの時点で誘雷柱に雷が一つ落ちた。誘導しつつ、直撃を受けたら拡散する仕組みになってはいるものの、轟音まではかき消せずとっさにラフィは耳を覆う。街中への落雷はひと月に一度くらいはあるものの、こんな間近で見たのは随分と久しぶりだ。

 ったくこらえ性のない、と呟かれた言葉は聞こえなかった。

「――そこで何をしている」

 広場の入り口付近から堂堂とした足取りで男らしき人物が来た。体をボディスーツで覆い、ヘルメットで顔も隠しているため口元しか露出していない。また全身からは大小のケーブルが出ており、それは隣を歩く二メートル強はある人型の機械と繋がっており、男性の動きに同調するように動いている。

 その機械の胸元付近には、勲章のような模様が描かれていた。

「答えろ」

 エリア警備ではなく、統合管理部の人間だとわかる。ここ、アルケミ工匠街を統括している部署の治安維持担当だ。さてどうしたものかと思っていると、彼女は首を傾げながら近づいていく。なんだか面倒なことになりそうだ――が、お手並みを拝見といこう。

「ここは、何かをしてはいけない場所なのかしら?」

「いいや、そうではない。だが内容によっては取り調べを受けてもらう」

「なるほど。それは自己申告で構わないのかしら。だとすれば私はここで何が起きていたのかを調べていたとしか答えられない」

「何故だ?」

「その問いが私の自己申告に対してのものならば、街に入ってすぐの広場に小さな残骸が散らばっていれば、それが何かを調べることで少なくともこの場で何が起きていたのかを知ることができ、それは私の好奇心を埋める行為に当たるから」

「では、問題を起こしていないと?」

「それが街の規則に基づいた違反、という意味ならば肯定はできない。もしもこの街に、私が自己申告した内容が違反となる規則が定められていたのならば、私はそれを知らずに行動したことになるわ」

「……」

「逆に問うけれど、答えろと言ったそちらには、ここで私が何をしていて、何が起きていたのかを知らないと捉えて構わないのね? そして一見して私が問題を起こしているように見えたと、そう受け取っても?」

「……そうではない、そうではないが」

「ないが、何かしらの問題が起きていたのならば対処する必要がある――そう言うのならば、まずはどのような問題がここで発生していたのかを明確にしてから問うて。すべてが私の自己申告に過ぎないのならば、あなたが下す判断のすべては私の証言に左右されることになる。それはまるで信憑性がなく、だからこそ逆に拒否権が発生すると考えるのはおかしいかしら?」

「いや……」

「見ての通り私に抵抗する意志は一切ない。それでも取り調べたいならどうぞ、質問を重ねなさいな。ただ――ああ、ごめんなさいね。もしもあなたが私を心配して来てくれたのならば、謝罪と感謝を」

 咳払いが一つ。男はしばらく黙した後、そうだなと続けた。

「私の早とちりだったようだ、すまない。ここは仕事もできない孤児が集まってよく悪さをしている。あまり長く留まると余計な面倒が起きるかもしれない」

「そう、忠告をありがとう。ご苦労様」

「うむ」

 男はラフィに向き合い、何かを言おうと口を開くが頭を振って去った。こちらが一般的ではないのを見抜いたのか、それとも彼女の言葉に反論が浮かばなかったのかは定かではないが、普段ならば問答無用で鎮圧もするような人間だ、この結果は行幸と言えよう。

 いや、彼女の話術を見事と言うべきか。最後に逃げ道を示す辺りも申し分ない。

「弁が立つな」

「ん? そりゃま、どの大陸でも同じようなやり取りが一度は必ずあるから。違う街に行けば違う規則があるのも当然――と、君はそんな経験もないか。ところで、あの男とリンクしてた機械がさっき言ってたアンカー・アタッチメントってやつ?」

「本当に知らないんだな……」

「だから、そう言ってるじゃない。詳しい人とか知らない? 本当に街に入ったばかりで何もわからないから、慣れた人がいると助かるんだけど」

「……俺だってそんなに詳しくない。ただアルケミストなら知り合いが一人いる」

「知らない単語のオンパレードね」

「案内してやってもいい」

「そう、対価の要求はある?」

 問われ、ラフィは一度噤む。

 ――やっぱり普通じゃないな、こいつ。

 もしもラフィが案内人ならば金額を問うだろう。けれどそうではないのだと察した上で、何かしらの取引があることを前提として彼女は会話をしていたらしい。無償で何かを行う人間には見えなかったのか、あるいは対価を求めることを当然だと思っているのか。

「ああ、そうじゃなく、単純に君ならこう言えばあっさり通じるかなと思っただけよ。金よりも欲しい情報がある人間にも、もちろん金で動く人間でも、こう問い返せばだいたい対応が見て取れる。外れても害はないし」

「ハッタリか」

「処世術よ。けれど案内は必要ない。こちらが提示する三つの質問に答えてくれるなら」

「一つなら」

「三つよ」

「……答えるかどうかはともかく、内容を教えろ」

「そう難しいことじゃないわよ。話の続き、アンカー・アタッチメントを含んだこの街についてのこと」

 そんなことでいいのかと、ため息が一つ。

「アンカー・アタッチメントはAAダブルと呼んでいる。この大陸は落雷が多いからな、鋼鉄の機械は誘雷の役割を果たす」

「ああ、基本はそこなのね。落雷に対して人を守るものか。アルケミストは製作者?」

「操作は一般人でも可能だが、製作となると技術が要る。そうした人物はアルケミストとして指定されて、統合管理部が保護しているんだ。ここは国家じゃないからな、そうした部署が必要らしい」

「でも、それだけじゃないわよね。ただ落雷から身を守るためなら、あんな大げさな仕組みはいらない。あれじゃ戦闘用よ」

「アタック・アンカー・アタッチメント。俺たちはもうAAと言えばあれだが、厳密にはAAAトリプルになる。感覚を掴むのが面倒らしいが、扱いなれれば躰と同じらしい。この街じゃ専用の大会もある」

「それは、AAを戦わせるってこと?」

「性能試験みたいなものだが、扱う人材の確保にも一役買ってるんじゃないかと俺は思ってる。さっきの野郎みたいな治安維持や、エリア警備に引き抜かれれば食うに困らないからな。もちろん、製作者は金がいるし名が売れれば買い手もつく」

「利権が絡むのは厄介ねえ」

 何が厄介なんだと問うと、利権の数がそのまま力になるからと彼女は言った。

「コネクションがあるだけで椅子に座ってれば金が入る仕組みなんてのは、本当に簡単なのよ。作るのも、壊すのもね。国家なんかじゃありふれてて退屈すら覚えるわよ」

「……嫌な思い出でもあるのか」

「そうでもないけれどね。これは一つ目の質問の流れだけれど、表通りをあまり人が歩いていないのはどうして?」

「この天候で街を歩くにはAAがいる。それを煩わしいと思う人間がほとんどだ。電子ネットワーク上で逢えばいいし、今頃は就業時間だから余計に人通りも少ない」

「電子ネットワーク、ね」

 それは未知のものだが、概念そのものは理解できている。さすがに何をどうしているかは――ま、興味が出たら調べよう、といった程度の興味だが。その素っ気ない反応に訝しみながらも、ラフィは言葉を続ける。

「移動は短時間で済ますのが、この街ではほとんど――」

 言ってから気付く。どうやらラフィはそれなりに緊張しており、彼女に意識を向けていたらしい。そのために周囲の状況把握を疎かにしていて。

「まずい――」

 その時間を、忘れていた。

「おい、手近な建物に逃げるからついてこい」

「待って。何が起きるのかを先に説明してよ」

「そんな時間はない……忘れてた俺が悪いが、陽が陰る時間だ」

「ん? それって空を移動する大陸が来るってこと?」

「知ってるなら話は早い。この街ではその間、数分は誰も外に出ようとしない。かなり危険だからだ」

「どうなるか知ってるの?」

「いや――」

「あ、そう。じゃあ後で迎えに来て」

 あっさりと、走り出そうとしていたラフィから退くようにして彼女は足を止めた。

「おい」

「何があるのかを知りたいから、置いていっていいわよ」

「馬鹿野郎、そんなわけにはいくか。どうなるかもわからないのに、何をどう対処するかの目途もつかず、そんなのは自殺行為だ」

「ふうん……その言葉からするに、知ってるのね?」

「……」

「経験したことがなくちゃ、そこまで言えないもの。つまり君は一人だけなら、なんとかできる状況が訪れるってことかしら。私は気にしなくていいから、じゃあ自分の身だけ守ってて頂戴な」

「お前な……はいそうですか、と頷けるか」

「結構入れ込むのねえ。見知らぬ他人なら切り捨てればいいだけでしょ?」

「俺の好奇心が、ここでお前がいなくなれば後に引きずると言っているんだ」

「そう。でも会話での時間稼ぎは有効的ね。ほら見えてきたわ。時間は……もう夕方じゃない」

「ちっ――」

 浮遊大陸が移動する時間、一気に人の気配がなくなった街でその現象は起きる。周囲が暗くなったかと思った直後、まばゆく照らすのは雷光。ただし空から落ちてくる落雷とは違い、各地に設置してある誘雷柱をつなぎ合せるように紫電が発生し、あちこちから上空へ、つまり浮遊大陸へと立ち昇った。

 体内磁場にまで干渉するほどの巨大な電磁場だ。生身でなくとも引きちぎられるような圧倒的な暴力と、一斉に溶かすほど巨大な雷があちこちから放出される。そのために誘雷柱の位置を決定しているし、屋内にはそもそも雷を通さない素材などを使っているために被害が少ないが、それでも年に一度はこの現象に家が潰されることもあった。

 その地獄の最中で。

「へえー。あからさまに浮遊大陸が干渉してるの初めて見たわ」

 気楽な声を上げた彼女は足で地面を軽く叩き、出現した魔術陣の上に四つほど違う色と構成の術陣を頭から足元へ落とすようにして重ねた。それから視線を空へ向けたまま、ちょいちょいと手招きをする。

「自分に向かう雷を術式操作して回避してるんでしょ? 面倒だから入っちゃいなさい」

「……」

 どうなっているのかと術式を展開したまま飛ぶように傍に寄れば、その際にラフィの使っていた雷系術式は無力化されてしまった。驚いたが外部の雷もまた内部には入ってこないようだ。

 ――どうなってる。

 魔力波動シグナルは感じる。足元にある術陣は術式の内容そのものなのだと推測はできるが、ラフィには読み取れない。魔力の流れから効果を探ろうかとも思うが、足元に留まっているばかりで流れそのものが停滞しているようにも感じた。

「この街じゃ術式は珍しいの?」

 空を見上げたままの問いに、そうでもないとラフィは答える。

「珍しくはないが扱う人間はほとんどいない。魔物に対してもAAで充分だ。吸血種ヴァンパイア屍喰鬼グールがほとんどだからな」

「じゃあ魔術師なんかは異端扱いされてるんじゃないの?」

「そんなことはない。魔術師もいるし認められている。この街を作ったと言われている〝魔女〟も魔術師だったそうだからな」

「――魔女?」

 振り向く気配があったので足元から視線を上げると、妙に鋭い瞳がこちらを射抜いていた。

「そう言われている。俺が聞いた限りでは今でも生きていて歳をとらない、それでいて人に干渉しない存在だそうだ。誰でも知っているし、出逢ったことのある人もそれなりにいるそうだが、どんな人物かと問うと一様に普通の人だと答えるそうで、実態が掴めていない――と、まあすべて伝聞だ。俺も詳しくは知らない」

「……そう」

 魔女ね、と言ってから彼女は苦笑して雰囲気を和らげた。

「ところでこの現象、どういうものだと思う?」

「俺は、自然現象だと思っている。何かしら雷を集めるような因子があの大陸にあるのだろう、と。誘雷柱が雷を集めるのと同じようなものだ」

「それなら自然現象じゃないでしょう。人の手で作られたんだから」

「だが地中に含まれる鉱石なんかも、集まれば雷を誘導する。浮遊している原理はともかくも、そうしたものが含まれていないとは否定できないだろう?」

「それはそうだけど、……どうかしらね」

「必然的に集めているとでも言いたげだな」

「この世には必然しかないわよ。偶発的に思える現象にも必ず理屈があって整然としている。ただそれを知っているか、知らないかの差がそこに生まれるだけだわ。だからってわけじゃないけど、私には必要があるから集めている……補給しているようにも感じるわね。もちろん、本当のところは調べてみないとわからないけれど」

「……お前は、そうしたことを知るために旅をしているのか?」

「まあそうね。私は世界の仕組みを知りたいのよ」

「世界か」

 それは、この街の裏路地でしか行動しないラフィにとっては現実感のない言葉だ。

「それは手の届く範囲、ではないのか?」

「目に見える範囲とも言うわね。それが現実世界と呼ばれるもので、己で確認できないけれど器として確立している方を幻想世界と呼ぶ。魔術師はそこに内世界と外世界を加えるんだけれど、これは肉体の内側か外側かを決定づけてるだけ。だから私は、自分の足で歩いてみることで、幻想世界を経験によって現実世界にしているのよ」

「なるほどな。つまりは確認作業のようなものか」

「そう言われると、まあそうなんだけど……」

「出身はどこなんだ?」

「四番目よ」

「長いのか」

「んー、四年と少しかしら。まだまだね」

 その言葉が空虚に感じるのは、彼女が丈の長いワンピースにセーターのようなものを肩に羽織っている格好だからか。そのくせ、言葉の端に見える実感を伴った経験がちぐはぐに受け取れてしまう。

 嘘は言っていないと、現段階でラフィは思う。だが、そうだとするのならば、それはそれで問題のような気がしてならない。

「――ああ、つい最近までは二人で旅をしていたのよ?」

「そうなのか」

「接近戦闘系の子でね」

 それならバランスもとれると納得してすぐに。

「さすがに私が指南役じゃ程度が知れるから、本格的な師匠を見つけさせて置いてきたわ」

 さらりと上から目線の言葉に、ますます疑問は深まった。

「どういう関係なんだ?」

「そうねえ、幼馴染かしら。もっとも指南なんてしたことないわよ? 見ての通り、私は戦闘なんてしないもの」

「しないで、旅などできないだろう」

「そうでもないわよ?」

 意味深な笑みを浮かべる頃、ようやく端から陽光が戻ってくる。以前はひどく長く感じたこの時間も、安全圏で会話をしていればすぐだ。まったく、底が知れない技術である。

「っと、まだ出ない方がいいわ」

「……? 雷は残留しない。むしろ大陸が通った後は比較的、雷の気配も遠くなる」

「いいから。安心なさい、ほんの数秒後だから」

 どういうことだと問うと、返事の前に術陣が更に二つほど追加されて重なった。

「退屈していた時に新しいおもちゃが見つかれば、遊んでみるものでしょう?」

 直後、遠くで金属を叩くようなコーン、という音が聞こえた。なんだと耳を澄ましてすぐに、落雷が真上に直撃してドーム状の結界を発見する――いや、最初からそこにあったのだ。ただ強烈な落雷によって表面を紫電が走り、明確になっただけである。

 周囲の廃墟を巻き込み、彼らを中心にして巨大なクレーターを作るほどの落雷はしかし、内部にいる二人には一切の傷を負わせることはない。受け流したのではなく受け止めたように感じたが、ラフィにはその術式がどのようなものかを把握することが困難で、あっけにとられてしまう。

「さて、ちょっと目立ったから誰かに見られた可能性もある。だから二つ目の質問をしようかしら」

「……なんだ」

「この街にはオトガイが店舗を構えているはずだけれど、知っているかしら」

 どうしてお前がそれを知っている、と問おうとしたがやめた。たぶん、返答はない。

「ここでは表向き、その看板を出してはいない」

「そのあたりの事情については、詳しく聞くつもりはないのよ。どこにいるとか、何をしているとかは聞かないから、その人物の名前を教えてくれる?」

「その質問と、最後の質問には答える。だからその前に、お前の名を明かせ」

「……ま、そうよね。知り合いみたいだし、オトガイの店主にも伝えておきなさい。私の名はリウラクタよ」

「わかった。ニムラにはそう伝えておく」

「ニムラか。適材適所というか――いや、忘れてちょうだい。じゃあ最後の質問よ。〝魔女〟はどこにいる?」

「正確には、わからない。だが噂程度なら、街を出て北に行った場所の森……通称、迷いの森にいると、昔から聞かされている。うかつに近づくな、とも」

「そう、ありがとう。もう行くわ。あんたも、人が集まる前にとっとと消えた方が身のためよ」

「そうだな。お前みたいなのに絡まれる前に、逃げるさ」

 いい皮肉じゃない、と彼女は笑った。ラフィが見たのは、その笑顔が最初で最後だった。


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