05/23/22:30――リウラクタ・サギシロ先生

 一口に雨と言っても、度合がある。幸運というべきか、夜になって降り始めた今回の雨は石畳を跳ねる程度のものであって、傘が一つあればどうにかなるレベルだった。

 普段から魔術師であることを隠していないリウだが、雨が邪魔だから術式でどうにかしよう、とは思わない。だから傘を一つ手に持って外を歩くのだが、クロなんかに言わせると、何故だろうと疑問を抱く部分らしい。リウとしては、使うまでもない、との判断なのだが。

 まだ日付が変わる前の時間だが、もう夜も深い。ミヤコも訓練疲れで、そうでなくとも眠る時間ではあるが、リウにとってはまだ活動時間だ。そう思って単身酒場に足を運ぶと、ハンターたちがそれなりにいて、酒を飲んでいた。

 おう、と声がかかるのに軽く返す。昨夜のことはさして問題になってなかったし、あえて言及する必要もない。カウンターで果物の飲料を頼んでから、入り口付近の隅のテーブル席に移動した。

「先生、どしたの」

 呼び出しなんて珍しいと言いながら対面に腰を下ろすと、どうやらサギシロは酒を飲んでいるらしく、アルコールの匂いがした。

 師匠であることを隠しているわけではないが、こういう場では先生と呼ぶようにしている。リウもサギシロも、それほど気にしてはいないのだけれど、念のためだ。

「頼まれてたもの」

「え? ――あ、もしかして半年も前に私が言ってたやつ?」

「そう。物品自体はともかくも、そろそろいいかと思って」

 かつてはこの物言いに不信感を抱いたものだが、今では少しだけ理解できるようになった。

 そろそろいいとの判断には、二つの意味がある。一つは単純にリウの力量の問題だ。扱えないものを渡したところで、労力そのものが無駄――いや、無駄とは言い過ぎだが、似たようなものだろう。そしてもう一つが、対価だ。

 リウとサギシロの間には、金銭のやり取りが一切ない。そもそも元服を迎えていない孤児のリウが資金を所持しているのかと問われれば、肯定だろう。孤児院はマーリィが院長代行をしているよう、ノザメエリアの行政である魔術研究所の支援があって経営されている。そのため、食事以外の娯楽用としてのお小遣いは支払われるのだが、たとえば一般家庭で仕事を手伝うように、十歳近くになれば、孤児たちは意欲的に仕事をし始める。もちろん正式なものではないし、足元を見られる場合もあるが、賃金が支払われるのは事実だ。

 リウの仕事というのは、魔術研究所の手伝いだ。内容は多くあるが、大きくは研究員の実験代行になるのか。実は学校に布陣した〝除外〟の意図を持つ術陣もその一つで、いろいろ差し引いたとしても、しばらく生活に困らないくらいは持っていたりもする。

 しかし、そういった事情を除外しても、サギシロは金で取引を、基本的にはしない。どういう計算をしているのかはわからないが、サギシロの要求に対して一定の働きをすると、その均衡を見て、取引が成立するようだ。たとえば、ミヤコに基礎体術を教えたように。

 じゃあ面倒だから自分で買えばいいのでは、とも思うだろう。魔術品は高額ではあるが、しかし、ノザメエリアにもオトガイ商店の露店が出ているので入手はそう難しくはない。だが、そこはそれ、金があっても師弟関係は買えないというか。

「はいこれ」

「あ、うん――ん?」

 頼んでいたのは、半月ほど前から考えている記録関係のもので、魔術品にできるだけ詰め込もうなんて安直な考えだったのだが、一つは求めていた円形の宝石に似た姿のもので、次に置かれたのは薔薇の形をしたイヤリングだった。

「正式な手順を踏まないで調べた場合における防衛動作だけ除外してあるから、壊さないようになさい」

「え、なにそれ。いや調べるけどさ、説明はなし?」

「以前に私が使っていた魔術品の複製。今のリウなら、仕組みを理解するくらいはできるでしょうから、安心はしておきなさい」

「はあい……ん、〝よどの織〟」

 すぐにでも分析したい気持ちを抑え、素早く隔離のための術式で囲ってから、さりげなく自分の影の中に収納しておく。今日もまた、圧縮睡眠術式に頼りそうだ。

 それにしても、明確な返答はなかったが、こんな場所に呼び出すなんて珍しい。酒のつまみになっているサイコロ状の肉を一瞥してから、同じものを二つ店主に頼む。公共の場で一緒に食事――というと語弊はあるが、こうして腰を落ち着けるのは初めてだ。物品の受け渡しにしても、サギシロの住む隔離された隠居か、魔術研究所に持っている自室のどちらかだった。

 理由は? 普段と違うルーチンで動く場合には、果たしてどんな理由があるのかと二十秒ほど思考した結果、ああと、結論に至る。

「院長と待ち合わせなら、外そうか?」

「べつにいいわよ、気にしないから」

 だとすれば、そのつもりで呼んだのだろう。外れていなかったことの安堵を見抜かれ、視線を投げられただけで意図がわかり、リウは誤魔化すように肩を竦めた。そこへ、やれやれ雨だと言いながら、エイジェイが姿を見せる。

「お、辿ってはみたが、下手を掴まずに済んだみたいだな。よお、サギシロ先生」

「――先生はもう止めなさい」

 そうだったと、夕方と変わらない姿でやってきたエイジェイは、酒を適当に注文してから、リウの隣に座り、どういうわけか頭をぐりぐりと撫でた。

「んじゃ、サギでいいか?」

「あら、逢ったの」

「そりゃ逢うだろ、踏襲に含まれてる。それともあれか? 俺みたいなのがよく見つけたなって方か? はは、それなら頷くしかねえな」

「あーもう、なんで撫でてんの。上機嫌じゃない」

「そりゃ帰郷だ、いろいろ思うことはあるさ」

「引き寄せたわけでもなく、引き寄せられただけの結果でも?」

「――相変わらず厳しい物言いだぜ。浮かんだ反論が全部言い訳でしかねえし」

 ウエイトレスが運んできた酒を手にして、一口。たったそれだけで口元に笑みが浮かぶ。懐かしい味とまでは言わずとも、帰ってきたのだと実感できる。

「踏襲って?」

「あちこち回って、熟練者に面通しするんだよ。簡単に言っちまえば、サギみてえなのを見つけて、今代のエイジェイだってことを覚えてもらう感じか」

「へえ……深く訊くつもりはないんだけど、たとえば?」

「ちょいと前に、〝雷神〟ベルに逢ってきた。サギは知り合いなんだろ?」

「そうね。五神の中でもベルとマーデは古くから知り合いよ。なにか言ってた、あの女」

「いや、まだ生きてんのかと笑ってたくれえだ。俺としちゃ、なにも言ってねえのに、サギとの関係を見抜かれた方が驚きだ」

「初歩じゃない。縁を手繰るまでもないわよ、そんなの。――リウ」

「うえっ? あ、えっとね……」

 ちょっと待ってと言うと、冷めた視線が返ってきた。なんだようと口を尖らせながらも思考を巡らす。

「出ている結果の考察に時間をかけるんじゃないの。即応なさい」

「炎神エイジェイの存在が生まれる場所の問題かな――」

 急かされたので、思考しながら口を開く。結論がまだ出ていない状況での、思考過程でもあるが、なんとかするしかない。

「三番目の大陸は火属性そのものが強いけれど、そもそも火気が強いエイジェイが生まれるには、逆に適さない。なら、どの場所が適するかと考えた場合に、火を強める風、つまり四番目の大陸の可能性が高い……のかな。だとすれば、いや、だからこそ、四番目で至るのなら、そこに先生の介在が大前提となる……とか?」

「エイジェイ」

「もっと単純シンプルだろ。少なくともベルに出逢うために縁を合わせるのなら、サギには出逢っていないと不可能に近い――って俺は読んだけどな。網を張ってるとは思えねえし」

 どうなんだと視線を向けるが、サギシロは酒を傾け、何を待っているんだと自問したのちに、ああと気付いて口を開く。

「どっちも正解。それ以前に、私が影響を与えられる人種を特定できるだけの技量と、影響そのものを選別できるだけの目があるってだけ」

「院長は?」

「俺に振るな。そこまで到達しちゃいねえっての――ただまあ、認められはしたけどな」

「ふうん。よくわかんないけど、あれだ。私としては、実に個人的だけど、ちゃんとリィちゃんとこ行ってきたのかどうかが問題なんだけどね?」

「お前もまたそういう……性格悪くなったんじゃねえかリウ、サギの影響か?」

「あら――私の性格のどこが悪いって?」

 言われ、はてと首を傾げ、エイジェイとリウはお互いに視線を合わせて頷いた。

「否定できる部分が見つからないが、それはそれとして」

「うん、悪くないって立証できそうにないから、横に置いて。――逢ってきたの? 私らはなんだかんだでリィちゃんの味方だから、ちゃんとしないとちょう怒るよ?」

「うるせえな、さっきちゃんと逢ってきた」

「うん。で?」

「話はしてきた。これっきりじゃねえし、ガキに心配される謂われはねえよ」

 話をした、というよりも、――泣かれた。号泣だ。読みかけの本どころか、本棚を一つ倒す勢いで投げられる本という名の凶器を回避しつつも、傷つかないように受け止めて床に置き、更には捕縛系の術式を使って逃げられないよう封殺しにかかるものだから、あっさり解除できるものの、本当にそれをやっていいのかどうか、かなり悩んだ。

 そしてようやく、泣き疲れて、少しだけ話をして、マーリィが眠ったからこちらへ来たのだ。さすがにこのまま放置して、あたかも逃げ出すよう街を出るわけにはいかない。そうでなくとも久しぶりの帰郷だ、しばらくは留まっていたい気持ちもある。

「孤児院の朝食は持ち回りか?」

「近所の奥様方に頼む場合もあるけど、基本的にはそう。私だけは毎朝必ず顔を出してるけど?」

「そうか。そっちにも顔は出すつもりだってことだ」

「ふうん、べつにいいけど……あ、そうだ。あんまし邪魔しても悪いから行くけど、その前にいっこ聞いておく。院長は、カミトリの眷属って知ってる? ちょっと調べたけど、たぶん神鳳――だと思うんだけど」

「……状況は」

 がりがりと頭を掻いたエイジェイは、やや視線を逸らすようにして問う。サギシロは黙秘を貫くような態度だ。

「昨夜――」

 ほかの客に視線を向けるような行動もなく、軽く足を叩くようにして術式を作動、漏れた声が〝言葉〟として捉えられないよう、簡単なノイズを含ませるための場を作った上で、リウは続けた。

「――たぶん、第二位くらいに該当する人型の妖魔に出逢って、よろしく言っておいてくれって言われた」

「なにやってんだよお前は……一人でか?」

「あーミヤコがいたから、それ以上は踏み込まなかったんだけどね。一応このことは、誰にも言ってない」

「そのあたりの判断は、いいんだけどな。ハンターに止められなかったのかよ」

「子供の悪戯なんだから、こっそりやったに決まってんじゃん」

「……おい、おいサギ、なあ」

「私はこの子の保護者じゃないわよ」

「私の保護者って、名目上は院長のはずだけどね」

「俺のせいかよ! ったく――」

「で、神鳳の眷属ってなにか知ってる? 言えないことなら、もう行くけど」

 それとも、と言ってリウは続けた。

「師匠の前だから言えない?」

「私は構わないわよ」

「だよねー。というか、たぶん、師匠のことだよねー……何がどうってわけじゃないけど、なんで呼ばれてるとか、まったく知らないけど、師匠のことでしょこれ。なんで私がよろしくされたのか知らないけど、一応伝えたからね」

「はいはい。ミヤコには?」

「ちゃんと教えた……っていうか、見せただけ。まだ今頃、試してるんじゃない?」

「そう」

 おし、と言って立ち上がる。代金は大目にラミル銀貨を一枚置き、大きく伸びをしてから手を振った。

「んじゃ、もう行くね」

「私の部屋を使ってもいいわよ」

「えー……怖いからいいや。研究所の空き部屋にしとく」

 んじゃね、と言ってあっさりと身を翻す。あのまま留まっていたら、新鮮な情報を仕入れられただろうけれど、さすがに炎神とあのサギシロとの会話では、今のリウには身に余ってしまう。その判断を二人は褒めるだろうけれど、さすがにそこまで悟れるほど、リウは経験を重ねてはいなかった。

 途中、夜行性だからか、歩いていた黒猫のメイと合流して肩に乗せ、魔術研究所に足を踏み入れる。出入りに関してはフリーだが、入出の記録は魔術的に行われているのは知っているし、そもそも目当ては犯罪ではない。そのまま二階に上がって書庫へ赴き、起きていた研究員と軽く話をしてから、その奥にある、外部の人間でも使える研究室の一つに足を踏み入れた。

 中は十畳ほどの広さしかなく、調度品は足の長いテーブルと椅子が三つだけだ。主な用途は書庫の本を持ち込み、読みながら知識を蓄えることで、一応は書庫側にもスペースはあるのだけれど、こちらの方が外部からの干渉が少ないのである。加えて、この部屋の中なら術式を使っても問題はないのだ。

 メイが飛び降りてテーブルの上に乗り、リウは椅子を引いて座ってから、影の中から薔薇のカタチをしたイヤリングを取り出す。続けて言葉をいくつか放ち、術式で部屋全体を覆った。効能としては隔離に近いが、ノックなど、乱入者以外の順序立てた来訪には気付くよう細工はしておく。

 場を作るというよりはむしろ、場を整える意味合いが強い。何しろここはリウの拠点ではないからだ。

「ここで良いのか、主様よ」

「うん、創作じゃなくて分析が主体だから」

 魔術の研究など、そもそも人に見せるものではない。技術そのものが見えてしまうからだが、そうでなくともリウの性質からして、できるだけ隠しておきたいものだ。こればかりは徹底しているし、ミヤコにすら見せたことはない。けれど、研究をしなくても良い、なんてことは口が裂けても言えないわけで。

 危険を伴う創造術式の構築などは、この魔術研究所にある師匠の自室か、あるいは師匠の隠れ家で行っている。それ以外は、基本的にはここのフリースペースだ。拠点を持ちたいと強く思ったことはまだ、一度もない。

「で、なんじゃそれは」

「師匠からの受け取りもの。ほら、半年くらい前に宝石を頼んでおいたじゃない」

「うむ、覚えておる。あれじゃろう、主様が安易な発想で、魔術品に記録を詰めればどうだろうと思いついて、頼んだのう」

「安易な発想って言わないでよ、自覚してんだから……で、さっき受け取ってきたんだけど、ついでにくれたの。調べるのはこれから。付き合ってよね」

「無論だとも」

「ん。まずは外周から――この魔術品の〝役目〟の調査ね」

「こうした調査の〝記録〟の取り方も課題じゃの」

「わかってるっての」

 魔術品の使用は、簡単だ。魔力を使ってやればいい。ただそれだけで、何かしらの効果を示す。たとえそれが、本来の動作でなくとも――だ。

「うわ、あっさり弾かれた。あれだ、正式な手順を踏まない場合における防御動作を排除してあるとか言ってたけど、本当にそこだけって、どうなの」

「あの者の常套手段じゃろうに、今更なにを言っておる。見たところ逸れたようじゃが?」

「表面を撫でたって感じ。でも」

「手順を踏まねば使えんのはともかくとして、品定めはできたようじゃの。どんな具合だ」

「そのまんま、これ補助記録。内部構造がどうなっているのかはわからないけど、薔薇の形にしているのは、多重構造そのものを術式的に組みやすくするために、物品そのものにも形状を作らせてるみたい」

 言いながら、テーブルを覆うほどの術陣を一つ、二つと重ねていく。メイは座したまま、それらの術式の効果を確認しつつ、それらが成す効果を想定した。

「――さあってと」

 二十六枚の術陣が重なって、止まる。リウが魔術師である以上、定型にはめた言葉を放たずとも、術式は使える。こんな研究に、いちいち言葉など出す暇があるなら、即座に対応すべきだ。

 だったら何故、言葉を中心にして術式を使うのか? ――それは、今話すべきことではない。

「今からありったけの手順でこの魔術品にアクセスする」

「うむ。解読鍵の作成じゃな」

 この魔術品には、いわゆる無数の結界が張られている状態で、内部にまでアクセスできないでいる。どうやって記録をしているのか? 保存形式は? などといったものは、内部にアクセスしてからでないとわからない。

 だから、あらゆる手法を使い、どういう結界が存在するのかを調べなくてはならない。調べ、そして中に至るまでの道筋を解読し、一つの鍵にしてしまえば、基本的にはワンアクションで内部が参照できるようになる。

 やるのは初めてだが、そのくらいの手順は理解できていた。

「師匠の術式反応をそのまま展開式にして出力するから、メイの方で私たちが使ってる基本の展開式に変更して」

「変更した先はどうする」

「もちろん解析する。同時進行で解読鍵まで製作しちゃえればいいんだけど、たぶん師匠の魔術品ってことを考えるなら、その余裕はない」

「妾も目を通そう」

「え、なに当たり前のこと言ってんの。――やるよ」

 その考えが甘いことに気付いたのは、一手目だった。

 数秒後である。厳密には二秒後。

 ありったけの手順でアクセスするなんて豪語しておいて、一つだけ。さきほど魔力を流した時の反応から、受け流すための術式が組み込まれているのを察していたため、まずはそれを解除しようと、受け流さないようにするための術式を作った。

 なるほど、実に正しい流れだ。なにからやるべきかと悩んだのなら、知りうる情報を前提にして動く。自然な流れとも言えよう。

「う、うむ……」

 手を止めたリウに対して、メイが僅かに視線を逸らすようにして、言う。それも仕方ないだろう。ワンアクションに対して魔術品が反応した結果、部屋を展開式が四重になるほどに埋め尽くしたのだから。

 一つの動作で、それだけ多くのものが引出せたと考えれば前向きになるだろうか。ちなみに、未確認生物を棒でつついてみた、というのが現状に近いのだが。

「さすがに予想外じゃったのう」

「うん。過剰反応じゃない? って脳内で聞いたら、この程度でなに言ってるのって師匠の言葉が返ってきた」

「うむ、言いそうなものだ」

 どうすべきかなーと、おおよそ九つの対応が混ざり合っているのを見ながら、考える。リウの展開式は円形を基礎とした重なりによって表現されるもので、それ自体はなにも問題はないし、わかるのだけれど、これらをいちいち解析していては、時間が圧倒的に足りない。

 おそらく、その手順で行えば、人生が終わるはずだ。

「メイ、方法を変えるわ」

「その方が建設的じゃの。で、どうする」

「展開式の変更はなし。こっちは師匠の術式反応をそのまま出力する」

「なるほど、数か」

「それと種類」

 話が早くて助かる。ほぼ一心同体のようなものなので、こと魔術研究においては全てを話さなくとも伝わる場合が多い。

「ナンバリングは一からお願い。対応の中で、数が多いものと少ないものをチョイス。それと、特に多かった対応がどれか、気にしておいて」

「あとで焼き魚じゃ。頭つきの」

「役割を終えてから報酬を求めなさいっての」

 そう言って、自分の呼吸を確認してからリウは作業に入った。手を貸せと言っておきながら、リウは全て自分で判断する。術式を使って壁をこじ開けようとしながら、出てくる反応が部屋中に広がるのを目視して、それらの枚数と特徴を記憶するのに二秒を費やして次へ。そんな作業を一時間ほどぶっ通しでやったあと、手を止めた。

 リウが可能とする手段が尽きたのではない。

 影から水と容器を取り出し、注いだものはメイへやる。それから十五分ほどはお互いに黙っていたが、うむとメイが頷いた時点でちょうどリウの思考もまとまった。

「重複なしじゃ。どう見る?」

「え? あーうん」

「なんじゃ、気のない返事じゃの。なにを考えておった」

「最初に言った通り、本来はこの時点でもう、師匠の仕掛けた防衛動作が起きてるわけだけど……抽出した展開式の隙間を、なんとなく見てる限りこれ、単純な爆破みたいなんだよね」

「単純ではなかろう……」

「うん。結果だけ見れば爆破だけど、そこに至るまでの過程はめっちゃ複雑そう。だからそれ、どういうものなのかなーとか考えててさ、うん」

「ほう……ならば、現段階での考察はできているようじゃの」

「メイってさ、猫の癖に頭の回転は早いよね」

「よいか主様よ、素早く動く鼠を掴まえるのに――」

「掴まえたことないじゃん」

「……」

「……で?」

「うむ……まあ、あれじゃ……主様の血の影響じゃろうて」

「はいはい、私と同じ結論に至ってなくても、一心同体だから探るような真似も、隠すような真似も不要だし――どっかの誰かが耳を立ててるなら、話はべつだけど」

 指の先で容器を弾くと、残っていた水が波紋を立てる。どうやら、エイジェイの介入はないようだ。一時間も経てば会話も終わるだろうと懸念していたが、それほど暇ではないのか。

「反射と反転」

「うむ。付け加えるのならば、転換じゃろ」

 まったく同じ術式の反応がなかった――それはつまり、リウ自身が行った術式に重複がなかったことを示している。けれど、同一の動作を繰り返しても出てくる結果はべつになるだろう。

 反射と、反転。

 こちらがアクセスするために使った術式から、その対極に位置する術式を――あるいは防御に適応するものを――選択して、防衛行動をとる。これが反転と称される現象に近く、またその際に、こちらの術式そのものを飲み込み、混合しながら反射しているわけだ。

転換コンバートね――」

 それは、鍵そのものに近い。本来は右から左へと何かを流動させた場合、違う形にして保存する経緯そのものを、転換と呼ぶ。これは実に簡単な――と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、難易度は低く、術式の基礎に近いため、利用者もまた多い。

 けれど、そうではないのだ。

「魔術回路そのものの変更」

「あるいは、魔術特性センスの変更じゃの」

 それは、〝魔術ルール〟の特性以外では、ほとんど考えられない部類の所業だ。もちろん可能か不可能かで問われれば、そうした人物も存在するだろうけれど、それこそ大陸中……否、世界中を探して五人いるか否かだ。魔術特性が重複することはあっても、自分のものを変更できるともなると、いうなれば自身を文字通り壊して作り直すのと同じだから。

「これが一つ目の鍵ってことを除けば、まあ進展したね」

「うむ……言いたいことは嫌というほどわかる」

 あと何個あるのかも考えたくはないが、今ここでわかるのはこの程度であるし、これ以上ともなると、やはりサギシロの研究室を借りた方が良さそうだ。

「なんとなくだけどね、たぶんこの中に入ってる記録は、私が思ってるものとは少し違う」

「主様がなにを考えてのことかは知らんが、おそらくこの内部に溜まっておるのは、術式の記録じゃろうな。妾は術陣を好むが――主様が言の葉を使って定型にはめて、カテゴライズを行うのと同様に、そうした術式情報が入っておると妾は考えておる」

「どうして?」

「主様の見解が先じゃろ。――どちらでも同じか。こちらの介入による反応そのものが、内部に蓄積された記録から参照されたものじゃろ」

「つまりこれ、本来は魔術品というより、魔術武装に近いのよね」

「――思考補助」

「たぶん」

「だとすると、一品では足らん。魔術武装は戦闘で使える個人特有のものじゃろう。妾ならば、記録を圧縮した物品では満足せん。可能ならば記録を参照するための、本来の役目での行動補助をつける」

「たとえば――そう、状況の情報収集から、的確な術式を用意するためのもの」

「ふむ。状況か」

「属性そのものに起因させて、適合する術式を引き抜く――とか」

「それが独自の一生命体であるのならば、まだしも、そこまでの汎用性が利くとは――む」

「ん」

 立ち上がる動作と共に、魔術品を含めたすべてをテーブルから落とし、影の中へ。そうして振り向けば、扉についた窓の外側に、干渉をしてきた人物がいた。

 誰かと思えば、サギシロだ。ちょいちょいと手招きをしたかと思えば、すぐに身を翻す。だからメイを抱き寄せて肩に乗せたリウは、そのあとを追い、一階にあるサギシロの研究室に足を踏み入れた。

 扉が閉まる。たったそれだけで外界とは隔離され、空間が固着した。ここはサギシロの場だ、その程度の軽い術式はしかけてある。その上、一度扉を開けば内部に溜まった魔力波動などの痕跡が、半ば自動的に洗浄されるのだから大したものだ。効能としては簡単だが、これまた過程となると複雑になる。

 実際、こういった場を仕切る、場を作るといった行為はリウの不得手とするところだ。もっとほかに研究することがある、なんて言い訳じみたものもあるのだけれど、後回しにしているのは事実でもあった。

「――で、どしたの師匠」

「まだ早いのだけれど」

 今を除いて機会がないからと、灯りを点けたサギシロは窓際に立ち、己の影に手を入れた。途端、そこに三つの術陣が浮かぶ。読み取ることはできないが、それだけ厳重な封印が施されていることくらいはわかる。

 そうして、ソレは姿を見せた。

「――」

 なんだこれは、と驚きが飛来する。サギシロの躰よりも大きいとすら思えるほどの大剣だ。そう、大剣の姿を作っている――両刃の線対称。刃の根元には宝玉が埋め込まれ、掴み手はアンバランスとすら思えるほど細い。

 重量だけで、どれほどになるのだろう。刃こそついているが、これでは押しつぶす武器に限りなく近い。攻城兵器ではあるまいし。

 ――魔術武装でなければ、だが。

「アンブレラ、代理管理者権限よりコールワン。起動アテンション自己走査スキャニング開始」

 その言葉には、何もない。術式の作動すらなく、魔力の流れすらなく、ただ言葉を放っただけで、その宝石はまるで意思があるように、返答を文字にして表現する。右から左へと流れるのは、リウたちがいつも使っている共通言語だ。

〝自己走査を開始。終了予定時刻、八十分六秒。主様、いない? まだ? 退屈〟

「今まで寝てたんでしょうに……リウ」

「あ、うん、――え?」

 言われ、頷き、そして遅く気付いた。

「それ――」

「座りなさい」

 一歩を踏み出そうとした機先を封じられ、自分の行動を確認してから、肩の力をゆっくりと抜くようにして、リウは椅子へ座った。

 気が逸っている。だが仕方ない。

 なぜって、その大剣の表面に刻まれている刻印は――。

「ExeEmillion No.Ende」

 エンデ。

 それが終わりを示すことくらい、リウだって知っている。

「正式名称は、属性起因型術式含有大剣」

 刻印をサギシロが撫でる。愛おしそうに、可愛がるように。

「師匠」

「もう随分と前に創られた、エグゼエミリオンの名を冠した刃物は、五本。今でも間違いなく現存している。先に言っておくけれど、あんたとの関係は一切ない」

「む……」

 リウラクタ・エミリオン。

 自分の名にもそれがあって、同じく創造系術式に偏っていることに、一切の関係がないと断言されて、はいそうですかと頷けるほど、リウは彼女を盲信してはいない。……いないが、それがたぶん事実なんだろうな、ということはわかるし、あるいはそうでなくても言えないことなんだろうと推察はできてしまう。

「と、断言するのは少し違うのだけれど、まあないようなものよ。偶然ではないけれど」

「むー……」

 なんだか、思考を改めて言葉にされたような気分だ。

「良いかの。主様は目先にとらわれているようじゃが、属性起因型と言ったな?」

「あ、うん、だいじょぶ。落ち着いてる。――その可能性に当たったのは、ついさっきなんだけどね」

「当たってるわよ。当時、私があれを創った時に、この大剣を参考にしたもの――照れるな。いいから黙って作業なさい」

 文字が再び流れてきたが、途中で消える。本当に意思があるようだ。

「影複具現魔術を応用しても、管理者の概念そのものが術式構築できないと無理よ」

「なんでそう、私の思考を先読みして封じ込めるかな……成長を阻害してる!」

「無駄な時間を省いてやってるだけ、ありがたいと思いなさい」

「サギ、できれば妾には言葉で説明して欲しいものじゃが」

「言葉通りよ。この大剣――ないし、制御ではなく統括をするこの子、アンブレラは、周辺から属性情報を読み取って、術式を取捨選択することができる。術式含有と呼ばれるものは、いわゆる〝流用アクセス〟や〝複写ピクト〟に限りなく近い。リウ、差異は?」

「そこに〝吸収アブソート〟を引用しなかったことがちょっと引っかかるけど――差異というか、たぶんその大剣、所持者が一切の魔力を所持していなかったとしても、使用できるんじゃない? そういう意味で、魔術武装とは違う」

「魔力の蓄積か? それとも奪取するのか、流用も考えられるのう」

「可能性は多いけど、結果だけは想定できる。誰かが使った術式そのものを含有、つまり蓄えておいて、それを属性状況を起因にして発動させる。その上で――たぶん、その大剣は、刃物として完成しているってこと」

 それに、たぶん。

「で――話したってことは、さすがに直接触れての調査が駄目ってことでしょ?」

「そういうことよ。そこまでの時間はないし、今のリウじゃ至れない。何故なら、これを〝理解〟できたのなら、――私のように、これを創れるということだから」

「……」

 そう断言されてしまえば、腰を上げるわけにもいかない。

「五本。これがそうであるように、ほかの刃物にも刻印はある。今から形状と特性を説明するから聞きなさい」

「いいの? エミリオン――って単語だけは、以前に目にしたことがある。さすがに古い紙だったから、ほとんど掠れてはいたんだけど」

「そこに自身との繋がりを求めるのは必然よ。そして、そういう意図があったのかもしれない」

「かもしれない、ね。――師匠、私が拾われた時にはもうこの名だったのは、間違いないんだよね?」

「ないわよ。私が名付けたわけでもないし、拾った人間がつけたわけでもない」

「うん、ありがと。ここからは、ただの情報として聞くから」

「そう。まず一番目、これは耐久性を重視したものよ。受ける、流す、弾く、そういった受けとして使われる、唯一刃物の形状をしていないものだといっても過言ではないでしょうね。先端が尖ってるだけで――まあ、それでも刃物ではあるか。言っておくけれど、私が壊そうとした場合、腕の一本は覚悟しなきゃ駄目でしょうね」

「うん」

「二番目は投擲専用スローイングナイフ。これは、オリジナルを所持している限り、無限に複製可能なものになってる」

「あー……最初が耐久度重視、次に術式の組み込みって流れかな」

 だとしたら次はなんだろう。完成品が次へ向けてのステップならば、次に? リウだったら――。

「三番目は、やや大振りのナイフ。これには〝組み立てアセンブリ〟の魔術回路が含まれてる」

「うっわー……え、飛び過ぎ――じゃ、ないか、うん」

「……形態そのものの変更じゃの」

「完璧に組み立ての術式を扱う人間が所持するか、所持した人間がそうなるかよ。これの特性は、それがどんな魔力であれ、喰うことができる」

「――待って。あ、ごめん、待たなくていいや」

「そうね。相手の魔力を喰ったところで、自身のものと互換性がなければ歯車が合わない。致死にもなりうるけれど……それは所持者の特性と錬度次第ね」

「こういう質問には答えてくれるんだよね、うん、私なにも言ってないけど」

「さすがに三番目の所持者だけは、簡単に見つからないからね……私も把握できていないし。ああ、前に言ったわよね、殺し合いをして術式の精度を上げたとか」

「覚えてる。――あ、メイは知らないか。使い魔になったの、その頃だったし」

「うむ」

「殺さない殺し合いをして競っただけよ。その相手が、三番目の所持者だっただけ。……面倒なことを思いだしたわ、続けるわよ」

「うん、なにが面倒なのか知らないけどね」

「でしょうね。四番目は、やや大振りのナイフ。ナックルガード……柄に指を守る円形をつけたタイプの形状で、わかるわよね?」

「わかる。あんまり見ないけど、あれって握りの補助よりもむしろ、指の守りに近いのかなーと思ってる」

「そうね。ナイフを持って殴ることは想定していないでしょうし。で――四番目は、条件付きだけれど、法則を切断する」

 途端、いくつもの疑問から派生する思考が頭一杯に広がり、軽く右手を出して続く言葉を制止してから、左手で肩に乗ったメイの背中に触れる。繋がりを強く持ち、思考を同調させ、お互いに落ち着くまで九十秒ほど費やした。

「――可能かどうかはべつにして。いや、結果として完成していて、師匠が断言する以上それは可能なんだろうけれど、製作者の意図として、目的はそれだったのね? つまり……四番目を創るために、以前の三本を製作した。五本目は、ラストナンバーだったとしても、それは以上がないという意味でしかない」

「その通りよ。集大成という意味合いでは、あるいは間違いかもしれないけれどね」

「残り四本の所在を、師匠は知ってる?」

「この大陸にはないわね」

 触れてみたい、という衝動を抑える。話はこれで終わりだと言わんばかりの態度にも、さすがに文句が言えない。何故なら、ここまで話してくれたことが、褒美のようなものだからだ。知らないで終わる可能性のほうが、たぶん高かった。

 けれど。

 この大陸にないのならば――求めなくては。

 どうしたって、リウラクタ・エミリオンには、圧倒的なまでに、時間が足りていないのだから。


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