02/20/23:00――円つみれ・戦闘レベル

 その瞬間、円つみれはテーブルを叩くようにして左手を出した。移動せずとも飲めるよう置いてあった珈琲の器に波紋が立ち、サミュエル・白井はそれを横目で見ながらも、その上に左手を重ねた。最後に、ミルエナ・キサラギが手を置く。

 つみれの分析術式は内世界干渉系。本来なら自身にしか見ることのできない光景を、同じ室内の一番後ろで腕を組む、コートを羽織った鷺城鷺花が中継して投影しているが、それでは間に合わないとの判断で、白井がその術式に共感しつつ、ミルエナが実行に移すことで、映像につみれが見ている光景が重なった。

 叩きつけるような雨の中、映っているのは刹那小夜、花ノ宮紫陽花、そして潦兎仔。対するは〝雷神トゥール〟ベル、ただ一人。断続的に閃く雷光が周囲を照らしていながらも、眩しくも発光する小夜の金色の髪が、異質なものとして混ざり合っていた。

「なんだ、これは」

 その様子を見て、ミルエナがまず感じたのが、気持ち悪さだ。生理的な嫌悪、理性で封じることができない、ともすれば胃液を吐きだしてしまいそうな感情を、肉体の動きとして抑え込む。簡単に言えば、吐き気の我慢だ。

 混ざり合っている。

 なにかが、混ざっている。

「――術式領域の展開」

「そう」

「待て。戦闘準備段階だという認識で構わんのか、この有様が」

 淡い色付けをされているものの、ミルエナの知っている戦闘準備とはわけが違う。何しろ、お互いの領域を広げて押し合うのでも、せめぎ合うのでも、ぶつかるのでもなく、絵の具のように色を変えることもなく、ただ三種が混ざり合っているのだ。

 牽制ですらない。

 ただ、動きやすいように、足場を整えた行為だ。――おおよそ、二キロの範囲に渡って。

 先ほど、あっさりと高度な戦術によって先代のフェイに足をつかせた兎仔が、額に浮かぶ汗を隠しきれていないのがわかる。呼吸一つ、歯ぎしり一つ、たったそれだけの集中力を欠けば、自分の場所すら喪失しかねない戦場だ。

 切断術式そのものが、効力を失くしたように使えなくなった佐々咲七八をイヅナが、コンシスをマーデが引っ張って遠方へ。ただし、イヅナは放り投げるようにしただけで、ふらふらと内部を歩いている。

 つみれの術式があってようやく、イヅナの異常性が、その本質が理解できた。

 何がどうと、細かい説明など必要ない。ただイヅナは、周囲にある全てを、誤魔化すのでもなく、騙すのでもなく、受け流しているだけだ。傍目に見れば、イヅナという個人を周囲の空気が避けて流れているようにさえ映る。

 ついには、周囲に紫電が走り回った。我慢の限界だとばかりに、己の領域を作るために兎仔が六発の銃弾を周囲に放つ。そのうちの一つが、真っ直ぐ、ベルの方へと向かい、当人は煙草を口にしながら、ひょいと回避した。

「――っ!」

 がたん、とテーブルに膝をぶつけたつみれは、寒さに震える己の躰を自覚した。ため息と共に、鷺花は忍へ連絡をして暖房を少し強めるよう要請する。

 言葉がない、とばかりにミルエナは強く歯を噛みしめる。今の一発を、果たして何人が理解できただろうか。

 銃弾の飛来は直線的だ。回避することは容易い。けれど紫電は、弾丸など簡単に絡め取ることが可能――それなのにも関わらず、弾丸はベルへ向かった。

 何をしたかまで、把握できてはいない。けれど確かに、小夜と紫陽花は、弾丸を届かせたのだ。物理的な、ただの弾を。

 ベルは必要ないと思って、対処しなかったのではない。対処したが、それに二人が対抗して見せた。

 まだ戦闘が本格化されていないのにも関わらず、煙草を吸うついでで行われるお互いの牽制にも似た遊び。たった一つの現象だけで震えがくる領域の中で、彼らは今、立っているのだ。

 今でなければならない理由を、本当の意味で今、理解できた。

 周囲の損害を気にしなくて良い、こんな事態でなくては――本気など、出せるはずがない。

 直後、周囲に渦巻いていた領域が一気に消えた。こちらの認識が外れたのかと、術者当人であるつみれが疑問に思ったくらいの静けさは、二秒の間を置いて別の色へと変化した。それは混ざり合い、濃くなり、闇を広げていく。

 ただ――そんな中、ベルの左目だけが赤色に光っていた。

 そうだ。

 それは極赤色宝玉クロゥディア。それはただ赤色よりも赤く、朱色よりも朱で、紅色よりも紅と謳われる〝赫〟の名を冠した唯一の魔術品。

 その魔術品は、九つの特性を持つ。元来は単一の特性にしか適合できないはずの、それ故に魔術品と呼ばれる理屈を完全に覆した作品の一つ。分析、封印、解法、解放、構築、拡大、減少、凝縮、呼応、因果の九つを担う。いや、扱うというべきか。

 魔術分析、魔力封印、魔術解法、魔力解放、魔術構築、魔術拡大、魔力現象、魔力凝縮、魔力呼応、魔術因果――いずれにせよ、そのただ一つでも使用したのならば街一つが消し飛ぶほどの威力を持つとされる。また使用者には相応の負荷がかかることになり、扱えば死ぬとすら――言われていた。

 それを、ベルは持っている。使っている。使える場が整っている。

 けれど、その中の何が効果を発揮したかまではわからないが、平らになった場を小夜と紫陽花は再び支配した。

「――は、は」

 鼓動が煩い。呼吸が上がっている。

 まだ――始まっていないというのに。

「理解力が高いのも考えものね」

 突如として放たれた、いつもの声で肩に力が入る。けれど、それも一瞬のことで、すぐに力を抜くための吐息が口からもれた。

「鷺花さん……」

「落ち着きなさい。あれだけ拮抗していて、手数が多い人種がぶつかり合うのだから、一瞬で戦闘が終わるなんてことはないわよ」

「鷺城。聞かせてくれ鷺城――お前は、あの場をどう見る」

「私が使う〝竜王の玉座シジマ〟なら上書きはできるけれど、あれだけの魔力が呼応している空間には必要ないでしょうね。わざわざ自分で作らなくても、他人が勝手に作ってくれるなら、好都合よ。イヅナとはまた違うけれど、私にとっては特定術式がワンアクションで済む」

 やれやれと思いながら近づき、勝手に珈琲をカップへ注いだ。

「つみれ、これだけの情報があるなら、平面投影よりもむしろ、立体投影を意識して構築した方がいいわよ。じゃないと見逃しが酷くなる」

 映像に飲まれることも、なくなるわよ――なんて簡単に言ってくれるが、一朝一夕でできるものではない。そもそも、平面からの立体起こしだなんてのは、小学校の図画工作レベルであるし、それを術式で構築しようにも上手くいかず、意味消失してしまう。

『――トコ』

 音声が届く。ほかの教室はともかくも、この場に鷺城鷺花がいる以上は、すべての通信がオンラインだ。彼らの交わしている会話のすべてを聞けることが、学園防衛の対価にもなっている。

 だから、映像についてはこれ以上、鷺花は手出しできない。

『死ぬ気で生き残れ。んで、死にそうになったら逃げろ。逃げられなくても諦めるな』

『……おー』

 ぐるりと肩を回した小夜が、煙草を捨てる。紫陽花が服の裾を払う。――ベルが、紅色の瞳で見る。

 そうして、一歩を踏み出した小夜の右腕が千切れ飛んだ。

「――っ」

 つみれが思わず息を呑むタイミングで、紫陽花の姿が消えた。回転しつつ飛んでいく腕が途中で消えたかと思えば、小夜の腕は元通りに復帰している。接敵はその小夜が最初、腕を伸ばせば届きそうな距離から二番目の刻印がある〝複製〟の特性を持った投擲専用スローイングナイフが四本、片手から投擲された。

 落雷があった。けれどそれは、なにを避雷針にしたのか、誘雷したのか、小夜とベルの周囲の地盤へと吸い込まれ、ナイフはベルの眼前でぴたりと静止している。

 位置が変わった。〝置換リプレイス〟に似た術式を空間転移ステップで行ったのか、ナイフの前、ベルの前には紫陽花がいて――否だ。

 ベルがいなかった。そこに居たのは小夜だ。

 ――シン、と静まり返る。

 その時には既に、四番目の刃物が振り下ろされたあと。ざわりと空気が波立った頃には、耳が痛いほどの甲高い音色が戦場を響き渡り、四本のナイフが地面に落ちてから、消えた。

 揃って、二人は左側を見る。視界にベルを捉える。雷属性の術式による高速移動に加え、左目のクロゥディアによる術式操作。置換の術式なんぞ使わなくても、居場所を変えることくらいはできると、言いたげな態度だ。

 ずきりと、つみれは頭痛を感じて顔を顰めた。

 何手、だろう。

 今の攻防を成功させ、完成するまでに、一体何手を要したというのだ。

「私が見えた限りで、ベルの行動はざっと八十六手。セツとウィルはその倍以上を要したわね。つみれ、無理をすると途中で集中が切れるから、ほどほどになさい。安全装置が落ちてからでは遅いのよ」

「うあい……」

「戦闘はね、高難度、複雑化すればするほどに、結果そのものは非常にシンプルになりがちなのよ。たとえばベルの八十六手の中、小夜の腕が切られるまでに五十二手ほど重ねたけれど、あなたちじゃ理解はできない。ただ、腕が切られた結果を目にすることができる。といっても、あれは小夜がベルの二手を封じるために斬らせたんだけど、接敵する時間は稼げても、それ以上は踏み込めなかったわね」

 正直に言ってしまえば、レベルが高すぎてわからない。対峙するベルが、いくら魔術武装を所持しているとはいえ、ただ平凡な一般人が成り上がったなどと、想像すらできなかった。

 けれど、それは純然たる事実。

 適性などなかった。ただ、適応しただけだ。

「――天敵」

 一瞬、ぽつりと呟かれた鷺花の言葉がわからなかった。一瞥を投げれば、鷺花は珈琲を片手に、映像を睨んでいる。

「強者の天敵は弱者。結局のところベルは――弱者のまま、至った。だから私も、セツもウィルも、勝てないでしょうね」

「それ、理解してるんだよね?」

「してるわよ? だから、セツもウィルと一緒に挑んでるし――そう、挑んでいる。ベルに、あるいは可能性に……と」

『――少止』

 イヅナの視線に呼応するように、鷺花は術式を操作する。展開済みの術式に対して、上書きするのでも消去するのでもなく、〝変える〟なんて行為を選択できることが、もう化物の領域だ。

『少止、これが俺だ。俺とはイヅナだ。んで、イヅナとは――どうも、キツネになっちまうらしい。おい少止、正直な話だ』

 もう、誤魔化しはなく、素直に彼は、苦笑いを浮かべながら、凄惨たる戦場の最中、その行く末を見守りながら、言う。

『俺が見えるのは、せいぜい五割ってところだ。――はは、こんなことを言うとベル先輩にゃ怒られるかもしれねえが、甘く見積もって五割と言っとくか。それでも、俺はこの場に居られる。越えることも、挑むこともできねえが、少なくとも退くことはなく、逃げることもしない。さすがに対等だ、なんて口にはできねえけどな』

 少止と、また呼びかける。

『――どうする? 俺が〝こう〟なるのには、それなりに時間を要したが、先代のキツネから教わったのは、たかだか二年だ。お前が望むなら、教えてやろうって気にはなった。だから、あとはお前が選べ。よく考えて結論を出せ。この光景を、最期まで見届けてからな』

 ひらひらと手を振る仕草が合図になって、鷺花は直通の術式を切った。

『……悪いね、鷺花ちゃん』

「いいのよ。私としても、五神とキツネは共に在って欲しいもの」

『ははっ、更に言うなら〝J〟もか?』

「その通り」

『水を掌で掬っても、少しは残るってことね。諒解。そろそろ兎仔ちゃんは難しそうかな? でも、俺が手を出すと遺恨が残りそうで嫌だな……おっと、じゃあ、つみれに無茶すんなって言っといて』

「鷺ノ宮事件当時の自分に、同じこと言えるの、あんた」

『あー……じゃ、言わなくていいや』

 それきり、言葉は届かなくなる。つみれに言わせれば、義父さんに言われたくはない台詞ナンバーワンだ。おかげで、少しだけ肩の力が抜けたので、感謝すべきかもしれないが、言ってやるものか。

 鷺花が、ぽつりと言う。

 もう兎仔は限界だ、と。


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