02/20/15:10――田宮正和・失ったもの

 保健室に再び顔を出したのは、ようやく動けるようになったからで、どちらかといえば田宮にとっては、仲間の顔を見るための行動であったが、中に入ると既に、浅間ららは立ちあがって歩いていた。

「――あ、田宮」

「おう。なんだ、もう動いていいのかよ。吹雪さんは、いねえみたいだが」

「うん。迎えがくるまで、部屋からは絶対に出るなって言われて」

「僕は、ベッドから降りるなと言われた」

「私もよ」

 なんだ、起きてたのかと振り向けば、仕切りのカーテンが開かれ、戌井皐月と佐原泰造が上半身を起こした状態でこちらを見ていた。その光景を、どこかほっとしたように、田宮は僅かに目を細めるが、すぐに首を振る。感傷に浸る時間は、もう終わったのだ。

「――良くやった。お前たちのお蔭で、今の学園が在る。誇れ。足手まといだったと悔しがるのは後回しでいい。それでも、生き残った俺たちが得た成果は、今、ここにある。間違いなく、俺たちは胸を張って言えばいい。――この選択が失敗ではなかったと」

 起きてから、何人かと話をして得た結論を、そのまま言葉にして田宮は彼らに言う。

「足りないものもあった。何もできなかった事実もある。だがな、それでも俺たちはもがいて生きた。生きようとした。そして、まだ生きている。それは一つの成果だ――受け取れよ、お前ら。それが、朝霧からの言葉で、それ以外の人たちも、そう言ってくれた」

 しばらく、沈黙が続いた。田宮は彼らに背を向け、戸棚にある薬品を目で追う。誰だとて、見られたくない姿はあるだろうという配慮だ。というか、田宮自身もそうだったのだから、安心して涙くらいは出よう。

 それから再び振り向いた田宮は、そんな痕跡を気にしないように笑う。

「で、お前らこれからどうするよ」

「田宮はどうすんの――っていうか、田宮は大丈夫?」

「まあ……慣れるのに、少し時間はかかるぜ。つーか、そりゃお前らもだろ。確認し合って……は、いないか。こうしてツラを合わせるまで、俺もわからなかったしな。吹雪さんも、これといって言わなかっただろう」

 あの人は、自分でわかることは、強く言わないだろうから。

「佐原、お前は自分の制御が利かないだろ。厳密には、身体強化の度を越してる。右の拳を軽く当てただけで、ベッドが破壊できることを確認したから、常に緊張してるな」

「……そうだ」

「戌井は感覚の凝縮だな。たまに距離感がつかめなくなったりするだろ? 術式の弊害だな……置換術式を無理に使ったから、距離そのものを置き換える術式であるが故に、その距離を掴めない。日常生活にそれほど困難はなさそうだが……術式の使用には制限がかかる。ま、佐原も〝制限〟を外部から押し付ければ、生活には問題ないだろうぜ」

「よくわかるわね」

「わかるようになっちまったんだよ。で――浅間、お前は右目が消えたな」

「……見た目、変わってる?」

「いや、見た目は正常そのものだ。お前も目を使い過ぎた代償だろ……利き目の右を使い過ぎたような感じか。それと、気付いてないかもしれんが、嗅覚と味覚の一部に欠損もある」

「うげ……しょうがないかあ、無茶したもんなあ。ちなみに、田宮は?」

「俺は――痛みと、恐怖を失った」

 ある意味で、田宮の欠損は致命的だ。

「物事に対して恐怖を覚えない。どれほどの窮地でも、危機感がない。その上、何をしても躰が痛みを感じないんだ。もし次に、致命傷を負っても、俺はそれを酷い傷だと認識することはできても、痛みを感じない。死への恐怖もない」

 それでも、悲観することはなく笑う。

「つっても、あくまでも現状の話だ。何かを切欠に戻るかもしれねえし、そうじゃねえかも。しばらくは休めってのも、正解だろうぜ」

 そうは言うが、悲観的ではないにせよ、田宮は元に戻るなんて思っていない。ただの一般論を口にしただけだ。

「たぶん、朝霧もあとで顔を合わせることになる。ここから先どうするか、よく考えて、結論を出しておけよ。こうなっちまった以上、今までと同じにはならない。それでも続けるのか、それとも違う道を選ぶのかは、個人の自由だ。俺たちと同様に、朝霧も変わったはずだからな。俺からは、以上だ――おっと、忘れてた。鈴ノ宮の人たちがこっちにきた時、たぶん説教があるだろうから、覚悟はしておけってさ」

 ははは、と笑いながら田宮は保健室をあとにした。今のところ、これ以上の言葉はない。疵の舐め合いなんて柄じゃないし、そうでなくとも、田宮は彼らの前に在りたいから。

 けれどさして間を置くこともなく、浅間が後ろをついてきた。

「田宮」

「ん?」

「ちょっと術式使ってみたいから、付き合ってよ」

「そりゃいいけど、俺、今休めって言わなかったっけ?」

「聞いてたけど、まだ自分の躰を確認してな――っとと」

 呆れたように肩を竦めてから、ふらりと倒れそうになる浅間に手を貸す。

「慣れるまで時間はかかるだろ」

「わかってるって。ただ……右目、確かに見えないんだけど、なんかこう、違うんだって。なんだろ」

「それを確かめたいってか。誰もいなさそうな、講堂にでも行こうぜ」

「うん。……え、なに、ここって私、身の危険を感じるところ?」

「あんな状況でつり橋効果でもあったとか言うなら、ここは笑うところだな。危機的状況で子孫を残したくなったなら、講堂じゃなく、本当に人気のないところに誘うさ」

「むう……」

「唸ってんじゃねえよ」

「変わんないなあ、と思って」

「そうでもねえよ」

「そっかな。――でも、朝霧さんの訓練は続けて受けるつもりでしょ?」

「まあ、な。……一人前の条件って、知ってるか?」

「えっと」

 なんだろうか。一人で生きていけること? それとも、誰かに認められること? いずれにせよ、そんなものは個人差があって、一概にどう、というラインはないと思う。思うが、そのラインを問うているのだから、何かしらの答えがあっても良さそうなものだ。

「そいつはな、誰かを一人前に育て上げることだ」

「――んん? 今、納得しかけたけど、でもそれって矛盾っていうか」

「矛盾じゃねえよ、時間が長いってだけだ。一人前だと言われたら、そこが始まりだ。一人前だと言えるようになって、ようやく終わる。――終わるって言い方も、変だけどな」

 その前段階だろ、と田宮は言いながら外へ出る。手こそ繋いではいないが、ずっと意識はしていた。片目だけ――というのは、案外、バランスを崩しやすいのだ。

「大前提。確かに修羅場をくぐった、死地を越えた。一人でってわけじゃねえけど、そんな俺が誰かにどう教えりゃいい? 馬鹿言ってんじゃねえってのが結論だ」

「だから、朝霧さんに?」

「あいつが俺に、一人前だと――言わなかったからな」

「鈴ノ宮さんの説教も待ってる」

「そういうことだ。つーか、俺に付き合う必要はないぞ」

「んー、そこは譲れないし」

「いいけどな。こいつは俺の予想だが、あの二人はこれ以上無理だぜ」

「――無理、かな?」

「お前、昨日と同じ現場がもう一度くるとして、耐えられるか? 苦痛ってのは、一度覚えちまうと、だったら耐えなくてもいいと、そうやって折れやすくなる」

「一人なら、折れるかもね」

「へえ?」

「田宮はどうなの」

「そん時にならねえと、わかんね」

 お前が隣にいるのなら、それもいいか――なんて言葉は、決して伝えない。そうとも、臆病なのではない。ポリシーの話だ。うん。

「お前、魔力制御できるよな」

「え? そりゃ……ある程度は」

「俺がそうだったからって、お前もそうだとは限らないが、まずは三割程度でやってみろ。いつも通りじゃなく、あえて制限してな。ま……一応の安全策ってやつだ」

「諒解。講堂まで歩くのも、私が慣れるまでの時間ってこと?」

「あー、そういう気遣いは黙って受け取っておけよ。気付いても胸に秘めておけ。あと、俺のテレパスにちょっとノイズが混じるから、その対応――つーか、人が増えてきたから、見ておきたかったんだよ」

「あっそ――お、朝霧さん!」

「ん? おお、なんだ、浅間か。田宮とデートなら、場所を選べと助言をやろう。もう動けるようになったか。ふむ」

 田宮たちよりも先に講堂へ入ろうとしていたらしい芽衣が振り返り、足を止めた。やや駆け足になって二人は距離を詰める。

「ちょっと術式を使ってみたくて、講堂まで」

「なるほどな。気が急いている――とは、言わないでやろう。田宮から聞いただろうが、よく生き残ったな浅間。感謝している」

「うん、ありがとう。私は朝霧さんの訓練、まだ受けたいから、お願いします」

「なんだ、早い返答だな。まあいい、そう言うだろうとは思っていたからな」

 言いながら中に入り、内部通路を経由して講堂へ。体育館とは違って、ステージ以外はほぼ座席で埋まっている。暗い屋内だが、人の気配はなかった。

「足元には気をつけろ、浅間。片目が見えないだけで、バランスは崩れる。同様に、慣れても疲労には気を配ることだな」

「諒解」

「……朝霧。予想していたと言っていたな。だったら」

「そうだな。おそらく、佐原と戌井は――無理だろう」

「田宮もそう言ってたけど、理由はなんなの?」

「簡単に言っちまえば、心が折れてるんだよ。保守的、とでも言えばいいのかね。進む先が変わってきてる」

「なかなかに慧眼だな。私も同様の印象を受けた――といっても、まだ顔は合わせていないので、性格から予想を立てたと言うべきだろう。そして、箍が外れる状況を好まないのは誰だとて同じだ。違うのは、その状況への態度になる。お前たちのように、次は余裕を持ちたいと考えるか――それとも、そうならないように尽力するか、あるいはそうなった時に治療する技術を得たりと、選択肢はほかにもある。それに気付いただけ、私の訓練の成果もあったものだ」

「それが教育ってか。そういや、教育学が専攻だとか言ってたもんな」

「へえ……あんまり実感はないけど、そうなんだ」

「実感がない、それもまた私への評価だ。何しろ私の教育とは、そういうものだからな。ふむ……エッダシッド教授もいたが、まだ私に顔は見せないらしい」

「よくは知らないけど」

「こちらのことだとも。浅間、〝格納倉庫ガレージ〟の術式を知っているか?」

「え……と」

「ふむ。そうだな、私は訓練重視で座学は行っていなかったので、知らなくても当然か。であれば、まずは基礎からだが……展開式からとなると、やや時間がかかるな。飲み込みの速度も問題になる。――任せたぞ田宮」

「だから、俺は魔術師じゃねえっての」

「基礎理論くらい知っているだろう?」

「そりゃ……知っては、いるが」

 そんなもの、知っているだけで、何もわからないのと同じだ。

「一通りは教えておけ、暇な時間はあるだろうからな。とりあえず、今は私の狙撃銃を貸すが――鈴ノ宮がこちらへ合流すれば、その中にお前の荷物もあるだろう」

「諒解。夜じゃないから、それほど暗くもないか」

 手渡された狙撃銃を片手に、ふらりと倒れそうになりながらも、ぎこちない動きで浅間は左側で構える。立射の姿勢だが、やはりどこか安定せず、しっくりこない。狙うものがないからか、それとも左だからか。

 それを見て、なるほどと頷いたのは奇しくも、田宮と芽衣は同時だった。

「ほう」

「……なんだよ」

「いや、お前も成長したなと思っただけだ。浅間、右目は見えていないな?」

 うん、と頷きながら左目を閉じれば、暗闇に閉ざされる。距離感が上手く掴めないのも当然で、平面的にしか見えない光景は、やはり狙撃手としては致命的と言わざるを得ない。

 だから、それでも自分は狙撃手として可能なのだろうかと、真っ先に確認したかったのだが――。

「浅間、目を瞑れ」

「はっ」

 条件反射だ。少し強い口調で言われただけで、それが芽衣の言葉であると、なんの迷いもなくしたがってしまう。

「狙撃銃をいつものように右手で構えろ。それはお前の得物ではないが、形状は同一だ。違いがあるとすれば、手入れの癖くらいなものだろう。なあに、どうせ弾は込められていないから安心しろ」

 言われるがままに、左手から右手へ。立射とはいえ構えれば、いつも通り。肩に当たるストックの感覚、トリガーに触れる指、感覚の延長として存在する相棒。

「目を瞑ったまま、照準器を仮定して覗きこめ。……それでいい。浅間、両目を開け」

「――っ」

 ぱちり、と目を開いた浅間は驚愕によって発生する身動きを、強引に押さえ込んだ。結果として身震いのような動作を、躰に力を入れて固定し、そこからようやく、肩の力をもう一度抜いた。

「んん……」

 見えている。

 見えなかった右目が、照準器越しに見えている。それは左目で見える光景と、ほぼ同一だ。幾度か、違う位置に狙いをつけるものの、差異は発見できず、また照準器から目を離すと、やはり右目は見えない。

 ただ――魔力が消費されている、という実感はあった。

「そのまま聞け浅間」

「はい」

「いいか? ステージの壁に狙いをつけてみろ。壁にはカーテンがかかっている」

「見えます。直線距離、十六ヤード」

「標的はその千ヤード先だ。――狙え」

 そう命じられれば、狙うしかない。

 想像力だ。見えなくてもいい、木の葉で隠れたその先を、情報によって確定して想像し、どうなっているかを術式によって確定するのは、いつも浅間が長距離射撃でやっていたことで。

 やろうと、そう思った直後には既に、千ヤード先が、見えていた。

 早すぎる。術式を使おうと魔力を動かしただけで、一連の流れが一気にスキップしてしまった感覚だ。そしてほぼ同時に、見えていたはずの左目がぼんやりと景色を曖昧にする。まるでフィルタがかかったように、くすんでしまった。

 ずきりと、頭痛がした。

「照準器から目を離せ」

「――……ん、ん」

 瞬きをして確認するが、照準器から目を離した途端に左目は視力を回復し、右目はやはり見えなくなった。

「質問は?」

「――何故、こうなってしまったのか……いや、これも昨夜が原因なんだろうけど」

「ふむ。まあ座れ」

 適当な椅子に座るよう指示した芽衣は、受け取った狙撃銃を分解してしまい、背もたれに肘を乗せるよう、体重を預けた。

「田宮は既に、いくつかの想定を済ませているところだろう。瞬間的な思考能力に関しては、私の授業も役立っていると考えれば、なかなか感慨深い。いいか、一概に魔術品と呼ぶが、実際には三つの区分がある。一つは魔術素材――これは、宝石などの触媒も含まれるものだ。鉱石、草木、形状はさまざまだ。それを加工したり、また魔術的な要素が含まれるものを、魔術品と呼ぶ。これにはもちろん、魔術書なども含まれるな。そして、魔力を通して何かしらの効果を発揮しつつ、それが戦闘に関わるものを、魔術武装と呼ぶ。私が持つ刃物もその一つだ」

「私のこれは魔術補助……でも、術式そのものを物品として扱うからこその、魔術品よね」

「魔術品、魔術武装などの製作工程に関しては……ふむ、詳しく聞きたければ田宮に訊ねろ。鷺城でもいいが、捕まらんだろうから、ほかの魔術師でも信頼できる相手なら構わん。どうであれ、お前の目は既に、魔術品になっている」

「酷使のし過ぎ、なのかな」

「それも当たりだが、やや違う。お前がほぼ無意識に、長時間の術式使用に耐えられるよう、肉体そのものを改造したのが現実だ。こと照準動作における術式の稼働を、お前は右目に組み込んだ。それは照準器を覗き込めば、ほぼ自動的に作動して、また本来の瞳とはまったく役割が違うため、負荷が少ない」

「だから――普段は、見えない」

「機能を上書きしたのか、それとも消して造ったのかまでは、わからんがな。前例はある。たとえば〝極赤色宝玉クロゥディア〟や〝真理眼キルサイト〟もそうだ。聞き覚えはないかもしれんがな。だから――浅間、お前のその右目を奪って、適切な処置をして誰かの目に植えれば、同様の機能が移譲される。気を付けておけ」

 といっても、欲する人間はいないだろうがと、芽衣は笑う。

「いいか、失ったものがあれば、必ずどこかに得たものがある。だが、まっとうに――当たり前に、自分が思う自分でいたいのならば、得るために失うな。わかっているな田宮」

「そいつは、ラルさんから随分と前に教えられてる」

「っていうか、そんなことが、可能なの……?」

「可能だ。少なくとも――五神なんて呼ばれてる連中は、そうやって生きてきた、らしい」

「事実だとも。確かに、短い私の人生を振り返れば、失って得てきた。だがな、それは結果論だ。意図したものではない。だが連中は最初から、失うことを前提にして得てきた。……ふむ、お前たち、今は休んで夜に備えておけ」

「なにか、あるのか?」

「ああ。おそらく、世界最高峰。――あの五神の継承が行われる。全員ではないようだがな。もっとも」

 見たところで、理解できるとは思わんがと、芽衣は自分に言い聞かせるようにして付け加えた。


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