02/20/01:20――北上響生・大声を上げて

 前も、後ろも、左右も――その中で唯一、理解しているのが前であることを、北上きたかみ響生ひびきは自覚していた。

 突破しろと、教えてくれたのは〝炎神レッドファイア〟エイジェイだ。なにがどう、ではない。志の問題だ。踏み込みは前へ、重い水をかき分けてでも前へ。方法など、両手と両足が生きていればどうとでもなる。

 正直に言って、北上は背後など、ほとんど気にしていなかった。面倒なフォローは七草ハコに丸投げ。ただし、突破するのは背後にいる人間の道を作るためではある。さすがにそこまで忘れるほどの馬鹿ではない。

 テレパスで繋がった指示も、ほとんど右から左へと通り抜ける。あれから何時間経過しただとか、ほかの人間がなにをしているだとか――どうすれば突破が容易くなるかだとか、そんなことも考えない。考えただけ、動きは鈍る。

 ――は。

「ははっ」

 笑う。

 今まで堪えていた笑いが込み上げる。

 自棄になっているわけではない。気力を振り絞るために自身を高揚させるわけでもない。

「はははは! すっげえ楽しいなあ! おいハコ! 聞いてンのかてめえ!」

 テンションが上がって、堪えきれなくなっただけだ。

「うるっさい! てめえこそハイになっててっぺん回るンじゃねえよ!」

 今までがアイドリング、いうなればアップの時間。これからがようやく本調子――脇腹を刻んだ切り傷が、北上のスイッチを入れた。

「ったく、ようやくか。尻上がりなんだよケイミィ!」

「うるせえ、がなるな! 女の声ッてのはかん高くていけねえ!」

 お互いに共通言語イングリッシュを使っての、罵詈雑言。それでいて、戦闘が止まることも、油断が生じることもなく、また、お互いに見向きもしない。

 だが、テンションが上がったのならば、堪えるのではなく抑えなくてはいけない。予定していた十時間の中、半分ほどは消化したとはいえ、まだ先はある。

「――あれ? おいハコ!」

「なんだよ! 私だってBカップを目指してた時くれえあるんだぞ!」

「知らねえよ! もっと上を目指せよ! 挫折かよ!」

 言うたびに足は前へ進む。北上の間合いは両腕が伸びきって、ナイフの二十センチを足しただけ。それは正面だけでなく、背後にも及ぶ。だからだ、突っ込み過ぎて北上の背中が一瞬、妖魔に埋もれて見えなくなることもあった。

「つーか誰のためにだよ! 相手見つけてからにしろばぁか!」

「馬鹿はどっちだ! てめえが巨乳好きなんだろ!? 後ろから手ぇ回されてりゃ、小声でも聞こえるんだよクソッタレ!」

「小さいって言っただけで悪いとは言ってねえだろ! それに胸の話じゃねえ! 付け加えりゃ巨乳が好きなわけでもねえよ!」

「はいはい、じゃあ忘れ物か? ママの腹の中に置いてきた理性は、もう取りに戻れねえよ!」

「ははは! そりゃあ大変だなあ! ところでここ、どこよ?」

「知るか!」

「知っとけよ!」

「偉そうに言うな!」

 最初から答えなど、求めていない。ここであろうと、どこであろうと、べつに構わない。ただ、急に飛来した疑問が、口を衝いただけだ。会話によって呼吸が乱れることよりもむしろ、誰かがいることを確認したほうが、北上にとっては突破の可能性が上がる。

 それに。

 先陣を切っているだけでも標的になるのに、声を上げれば余計に妖魔は向かってくる。物理的な攻撃だけではない、術式のような能力も山ほど向かってくるのに――それこそ、仲間を突き抜けるよう、お構いなしの攻撃も、北上は対応して突破する。

 もっとこいと、言わんばかりの態度だ。

 面倒な役目がないのが良い。突破しろと言われ、ただ突破するだけ。なんて楽な職場だと空を仰いで笑いたくなるくらいだ。それなのに、テレパスで投げられる進行方向の指示だけには即応できるのは、いや、だからこそ――突破が役目なればこそ、聞き逃さないのか。

「踊れ踊れ舞い踊れ! 穴掘ってまた埋めてるよりゃ、よっぽどハッピーだこの野郎!」

 北上が歌う。共通言語で、リズムも構わず叫び、それに笑いながら七草が返す。

「声を上げて回れ! 吠えて叫んでまた回れ! 隣の女を抱き寄せて、隣の野郎は蹴り飛ばせ!」

「間違って野郎の尻を触っちまったら?」

「頭を掴んで穴掘って埋めろ!」

「騒げガキども! ここは荒れ果てた荒野だ! いくら叫んでも笛は鳴らねえ!」

「ただ仲間にうるせえと蹴られるだけだ!」

「蹴られたら蹴り返せ! 喧嘩のハジマリ酒を片手に観戦だ!」

 戦場には、一緒に出た覚えはない。けれど退役してからは何度かあるし、ここまでくるのに一緒だった七草は、北上の癖や性格を読みとった上で、連携がとれるようにもなった。

 高揚している自覚がある。

 大声を出して歌えば、軍属時代を思い出すが、今となっては懐かしくも楽しい想い出だ。決まった歌詞もなければ、決まったリズムもない。ただ叫んで、叫べることが己の力になる。

 余計なことを考えないで済む。ただ北上に合わせて、突破すればいい。

 七草には突破力がない。請われて一度だけ、エイジェイと北上の訓練に付き合ったこともあるが、とてもじゃなかったが追いつけなかった。

 けれど、でも。

 ――なんだてめー、上手く合わせるじゃねーか。

 上官である潦兎仔にわたずみとこと戦場を同じくした時、なにもできず、実力差を痛感した七草に、彼女はそう言った。

 ――理解力か? それとも、感覚か?

 悪くはねーよと、兎仔は笑う。お前は自分が思っているほど、無力ではないと。

 軍属時代、戦場が中心だった北上とは違い、七草は座学のため学校に通う時間の方が多かった。だからこそ、その利点を有効に使い、暇があれば兎仔に訓練を頼んでいた。

 合わせること、そして流されること、その二つの違いを徹底的に学んだ。その成果が、今の七草だ。

 笑いながら歌う、これは即興の行進曲。

 ――自分がまだ、生きていることの証だ。


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