02/19/00:35――祠堂みこ・戦線離脱、違う場へ

 祠堂しどうみこは己が攻撃力も防御力も持たないことを自覚していた。

 そもそも戦闘が得意ではない。いや不得手だ。いくら実家が五木の分家であり、それなりに体術を仕込まれているとはいえ、せいぜいが大学生の柔道部の県大会レベル止まり。その程度で妖魔を妥当できるはずもないし、一匹ならば逃げることも可能だろうけれど、しかし道を切り開くことはできまい。

 諦めてはいない。ただここから先を選ぼうと思って決断したのが、肉体を捨てることだった――それだけのことだ。

 自殺志願者ではない。ただ現状で自分にできることが少なく、生きる道がそれしかなかったのもある意味で正しいが、何よりも自分がそれを望んでいるのが一番強い理由になるのだろう。

 ――僕は満足してしまった。

 かつて傍にいた少女が己のことを忘れたあの時、あの瞬間、すべての物事に納得し満足してしまっていた。それ以上を求めず、それ以下がない満たされていた心は、前向きにも後ろ向きにもならず、ただ現状を受け止めるだけの人形のようになってしまった。何がどうであれ、満ち足りているのだから、他は何もいらなかったのである。

 それは今でも同じことで、まるで隠居した好好爺のように、一日という時間をどう過ごしても、充実したものとして受け止められるのだ。真新しさなど求めず、同じ繰り返しの一日を望み、それが偽りの平穏であったところで満ち足りている祠堂にとっては、暢気なものだった。

 心配だから動く。助けたいから守る。関係があるから影響を受ける――そうした当たり前のことも、当たり前として受け取っていないふうでもある。だから。

 あるいは、己が壊れているのかもしれない。

 室内から見える外には妖魔が埋め尽くしており、逃げ場はもはやない。それこそ今すぐにでも彼らは乗り込んで来そうで、そうでなくとも窮地であることは変わらないのに、当たり前な危機感が浮かばないのである。どうでもいいと諦め捨てているわけではないのにだ。

 ただ――嫌だなと思うことがあった。

 一人は嫌だ。

 彼女が、きずな弧湖ここと一緒に居た時間が多いからか、それは強く思う。一人暮らしが嫌なわけでもないが、それは外に人がいるという日常があってこその一人で、孤独ではない。誰もいない漆黒の海に己だけが漂うというのは、心底から否定したい。だからこそ、そんな孤独を長い間、当たり前のように感じていた彼女を、一人にはしたくないとも思う。そして、それはイコールで祠堂がここで肉体を捨てることにもなる。

 それでいいと思った。

「それで、よろしいのですか」

 先ほど、いつの間にか玄関も開けずに来訪したゴシックと呼ばれる服装を着た小柄な少女は、直立していても己より大きな大剣を背負ったまま、大剣の鞘の先端を擦るように祠堂の前にまでくると、しばらく沈黙した後にそう言った。

 だから祠堂は答える。

「暴言は斯くも暴れるが如く。虚言は奇しくも虚ろへと至り、甘言は悉く刃を持つ。進言は真に進み通じ、格言は曰く一句こそ言の葉とす。信ずるは人の言であればこそ、語とは吾の放った言となれば、而して我ら言霊とは如何にして世を界とするか」

 それはかつて、彼女――如月きさらぎ寝狐ねこから聴いた言葉で。

「故に己とは、杯を片手にし俯瞰を赦される。即ち観測こそ望みなれば」

「それは祠堂の望みなのですね?」

「ああ僕の望みだ」

 妖魔が未だに侵入して来ないのは、ここに彼女――レイン・B・アンブレラがいるからだろう。踏み込みきれないほどの存在がここに在り、妖魔はそれを感じ取っているのか。

「流されているのかもしれないが、まさかレイン殿、僕の見送りに来たわけじゃないな?」

「それも一つの理由ですよ。本来なら小夜が来てもよさそうなものですが、それなりに忙しいようなので。物語の主役がどのような判断をするのか、さすがに誰も見ていないのでは心もとないでしょう」

「主役とは言ったものだな。僕がか? 女性なんだけどな」

「ヒーローと言っているわけではありませんから」

「僕はただ翻弄されていただけだ。魔導書に、人に、状況に、ずっと振り回されていた。主役だなんておこがましい」

「それでも、祠堂がいなければ始まらず終わりもしなかった物語です。そうであればこそ、その選択を知りたがる人物は多くいますから」

 そんなものか、と祠堂は呟く。実感もそうない上、観察者が観察されては嘲笑のまとだ。

「――レイン殿、弧湖はどうしている?」

「あそこの病院、裏病棟は基本的にわけありの人間しか入れません。今のところ妖魔に発見されてはいないようですが、時間の問題でしょう。ただ、さてどんな事情なのかはともかくも、朧月おぼろづき無花果いちじくがいますから」

「ん……ああ、確かまだ高校一年の」

「ご存知なら話は早い。一途、あるいは向こう見ずと言われてはいますが戦力にはなるでしょう。それなりに重要人物も他にいますから、守りきるだろうと考えています。私が手出しをする問題でもありませんから」

「そうか。いや、結果的に命を落とすのであっても、僕が手出しすべきではないのはわかっている。問いの意味は、そうした自己確認の意味合いがあった。それだけだ」

「――肉体を棄てることを、躊躇わないのですか」

 二度と現実には戻れない、そうした意味をきちんと考えているのか。

「ニャンコでさえ、他者の意志があったこともありますが、十年以上は肉体が維持されていました。いつでも戻れるように、と」

「だが寝狐殿は戻らないことを選択した。……あの時、聞いたよ。彼が亡くなる際に」

 寝狐の友人だったエグゼ・エミリオンが命を落とす時に本人から聞いた。エミリオンは寝狐が孤独でいることを嫌い、誰かを傍にやりたかったらしい。結果的にとはいえ、その役目を祠堂に担わされたこととなる――が、ただの一度も祠堂は強制されなかったし、その選択は己が掴んだものなのだから、文句を言う筋合いもない。

 むしろ、感謝しているくらいだ。

 満ち足りてしまった己にも、そんな場所を提供してくれていたのだから。

「Rabbit――狩人の非公式依頼統括所の仕事も、本来ならば寝狐殿がやるべきことじゃなかったと聴いている。今の僕にはその意味がわかるし、僕もそのつもりはない。実際に鷺城殿が手がけた通信装置の役割だとて、半ば自動化されているし、僕や寝狐殿がいなくても彼女ならばできたはずだ。時間はかかったかもしれないけれど」

「上手いように使われただけですよ」

「そうであっても、僕は誰かといたい。いやそれよりも、僕はここで死にたくはない。消去法はあまり好きではないが、まあ――僕は幸運な方だと思う。現状でもこうして、暢気に会話ができているしな」

「そうでもないですよ。渦中は混沌としたものですが、そこそこ死に物狂いになれば生き残れますから」

「つまり、敢えて危険を買って出ているのが現役になるのか」

 向こう側――ネットワークの内部、形而界と呼ばれる寝狐の住処に行けばすぐにでもわかる。人と人との縁、事象や物事の因果関係などで織り成すネットワークだ。現実における公共通信などのネットも含まれていたが、今は意味消失している。事実上、二度と構築されることはないだろう。

 だが。

「どうやら寝狐殿も忙しいらしくてな」

 まさか妖魔が作り出すネットワークがあるとは思ってもみなかった。だが現実として発生しているらしく、最適化――整理整頓が大変らしい。行けば顎で使われる上、かなりの無茶を投げられるのでそれはそれで回避したいが、そういうわけにもいくまい。

「経路が使えるのならば、私もレィルもそちらに顔を出すことは可能そうですね」

「今までもレイン殿はあまり来なかっただろう。むしろ遊び半分で顔を見せるレィルをどうにかして欲しいものだ。僕はともかくも寝狐さんが嫌っている……まああれで嫌悪までには至っていないのだから、それなりに好ましく思ってもいるんだろうが」

「あの子は何かと遊び歩いているから――ああでも、頻度は低くなるでしょうね。レィルにも役目ができましたから」

「役目?」

「その内にわかりますよ。……観測することと記録することは違います」

「そうだな。僕には観測して、せいぜい記憶することで精一杯だ。だから記録は領分じゃあない」

「観測するだけ。それでよろしいのですか?」

「おかしなことを聞くんだな。それができれば充分だろう」

「満ち足りているのですね」

「――ああ。きっと僕は、そこを失敗したのかもしれないな。一度でも、僕は満足してしまったから先を失ってしまった。後悔なんだろうな。かつて刹那が言っていたことも、こうなってみればよくわかる」

「彼女の警告はわかりにくいですが、真実ですから」

「軽視していたつもりはなかったんだ。けれど、やはりそうなのかもしれない。流されるがままの僕に対して選択を迫った刹那の方は、じれったかっただろうな」

「どうでしょうか。小夜は基本的に、好きにしろと言うタイプです」

「そうかもしれないな」

 祠堂もどちらかといえば他人には干渉しない――いや、しなくなったが、それでも小夜とは違う。好きにしろと勝手にしろは別物で、小夜が前者で祠堂が後者だ。

「観測者としては、それでよろしいかと」

「――口には出していないだろう?」

「まあそうですが、なんとはなしに」

「察しがいいことも悪くはないが、困ることもありそうだな。だがレイン殿もそれなりに、やることがあるんだろう? 僕はもうしばらくしたら行くから、お前ももう行くといい」

「屍体を見られたくはない、と?」

「……そうか。前例が寝狐殿だからな、それは勘違いだ」

「勘違い?」

「僕のこれは術式だ。魔法ではなく魔術だからな。寝狐殿の場合は事故に巻き込まれたというか、母君の意図する部分もあって強引に行われたようだが――」

 それもまた、ある意味で助けると云う行為に近いらしいけれど。

「僕は躰ごと形而界に行っている。それを証明するように、僕の縁は向こう側に行った時に繋がりを持たない。おそらく鷺城殿も可能だろうが、実行できない何かしらの理由を持っているのだろうと推測している」

「存在ごと、消えるのですか」

「それとも少し違う。存在律(レゾン)は心ノ宮の領分だったはずだが、人の存在が固定されている以上、僕は世界に存在していることになる。だから」

「――形而界も、世界の内側にあると?」

「その辺りの関係は推察するしかないし、あの場所へ〝世界の意志プログラムコード〟が干渉しているとも思えないが、ともかく存在はしているらしい。ただ、肉体という器があちら側とこちら側に移動するようなものだ」

「寿命は適用されないのですか」

「形而界はネットワークによって作り出されている世界だ。このままの肉体ではあちら側に適応しない。最初は精神体のようなものがあちら側に行くように感じていたのだが、寝狐殿と話をしていて違うのではと思い至った。ここ一ヶ月ほどで試行錯誤をした結果、僕は躰そのものを分解して再構築する手順を踏んでいることに気付いてな」

「なるほど。躰そのものを術式によって形而界に対応させているのですね?」

「そうだ。鷺城殿に忠告される以前から考えてはいたのだが……まだ、どのように対応させているかまでは解明されていない。なに、時間ならこれから多くある。いくらでもな」

「ならば前提を違えることになりそうですね。――つまり祠堂は、戻れるのですね?」

「戻るつもりはない。……戻れるはずがない、と言った方がいいか」

「何故ですか」

「僕は現状、現実界と形而界に存在することができている。これが不安定であることは説明するまでもなく、レイン殿ならわかるだろう?」

「ええ。世の中に都合の良い設定は多くありませんから」

「一日を二十四時間と定義した場合、僕が形而界にいられる時間は現時点で十六時間、そして現実界にいられるのは九時間だ。最初の内は逆で形而界にいられる時間は極端に少なかったが」

「つまり、あちら側に適応する躰を保とうとするのならば、現実で稼動可能な肉体を消失していく、と?」

「そうなる。今から僕がしようとしているのは、まさに形而界に適応することに他ならない。経路が確保されるかどうかは未確認なのは、まあやってみないとわからないからだ。それでも僕の躰が……存在が形而界に適応、そうだな、癒着すると考えればわかりやすいか。そうなってしまえば戻ることはないな」

「では、ある意味で私の言は正しかったのですね」

「いずれにせよ僕がここからいなくなるのだから、結果としては正しい。お互いに問答をしているわけではないのだから、正誤などさしたる問題ではないだろう」

「そうでもありませんよ。気付けば、問題ではないでしょうけれど」

「慎重なことだな。――ん、なんだ、刹那はまたあちこちに顔を出しているのか」

「わかるのですか?」

「術式を稼動させても、すぐに向こう側へ行くわけではないからな。レイン殿、刹那とは一体どのような存在なのだ? レイン殿が僕を物語の主役だと言った。それを頷いて受け取るのならば、刹那は」

「あの子は」

 少しだけ言葉を濁すが、伏せた目はすぐに上がる。

「基本的に、物語の主役にはなれません。ああいえ、絶対的とも云えるかもしれませんね」

「絶対とは大きく出たな」

「探偵の出番は事件が起きてからです。目的はそれを解決することにある。それが現在進行形であっても、起きたものは既に過去なのですから、確定されている過去を探るだけで済む――と、この流れはよろしいでしょうか」

「わかりやすいな、鷺城殿の説明よりもよっぽど理解できる」

「サギは説明ではなく、思考を口にしているだけですから。いえその頻度が高いということです。特に長い説明は」

「そうなのか……ひどく難解だった覚えがあるものだが、それで?」

「小夜は探偵にはなれません」

「なれない、とは、どういう意味だ?」

「文字通りです。もしも小夜が主役になったら――と、我ながら矛盾しているとわかっていて口にしますが、ともかく、そうなってしまった場合をトレースしたのならば、第一に事件が起きません」

「――は?」

「事件とは、必ず起因があります。何かしらの事情があって事件に発展する、つまり予期が必ずあります。いわば事前に準備があってこその事件ですが、実際に人は事件が起きるまでわかりません。祠堂もそうだったでしょう」

「ああ、経験した身だ。染みている」

「ここからが問題なのですが――」

 問題なのか、と呆れ気味に言うとレインは問題です、と強く頷いた。

「まず第一に、小夜は事件が発生する前からそれが事件になることを知っています」

「……待て。それはつまりだな、何かしらの因子……準備が行われている段階から、それが事件に発展すると見越しているわけで、あーなんだ、その」

「祭りにも準備は必要でしょう? そういうことです……と、以前に小夜が言っていました。云うなれば、準備から既に事件なのだそうです」

「だが僕の場合もそうだが、事件は起きた」

「そうですね。わかるからこそ、小夜は手出しをしませんから。もしも手出しが可能ならば、事件など起きませんよ。起きる前から解決しています。それどころか、実際に発生した事件の落としどころまでわかるそうですから」

「……」

「ああ、もちろん人の感情は別として捉えていますし、未来は不確定などで確実ではありませんが、そもそも事件の発生意図が読めれば、どのように落ちるかも自然とわかるものでしょう? ――本質を見抜くのです」

「そうか、そういうことか。もしも小夜が主役であっても――」

「一時間もすれば全てが終わります。それはもう、物語とは呼べませんから」

「なるほど、慧眼か」

 それに耳も良い、と言って祠堂は笑う。その態度に眉をひそめたレインはしかし、すぐに呆れたように肩を竦めた。

「なあ刹那」

「――ンだよ、つまらねーな。気付いてたのか」

「小夜、もうよろしいのですか?」

「よろしいも何もねーよ。さすがに祠堂にゃ干渉してるからな、オレが来ねーわけにゃいかねーだろ。時間を作って来たんだ。面倒だったから橘の九番目と四十物谷の花刀を、六六と一緒に鈴ノ宮に捨ててきたところ」

「つれづれ寮にいても、鈴ノ宮でも同じことか」

「あー? なんだてめー、もう七割がた引っ張られてんじゃねーか」

「向こうに行っている、と言ってくれ。引っ張られているわけではない」

 だが、それでもあっさりと見抜かれては苦笑するしかない。今までの話題ではないが、どうしてわかるのかを解明したい気分だ。

 同じことじゃねーか、と小夜は煙草に火を点ける。いや香草巻きか。

「まあオレが関わった連中、全員に顔を出してるわけじゃねーけどな」

「ならば、後でサギの尻を蹴飛ばしておいてください。自発的に動くでしょうけれど、あれはお節介があった方が面白いですから」

「そのつもりだぜ。けどその前にレイン、ベルが呼んでた。たぶんレィルが遊んでるから捕まえろって話だろ」

「またあの子は……」

「なんだ、レィルは生身を持っても変わらないのか」

「お前もだろ。弧湖はいねーんだ、その言葉遣いはいらねーだろ。服も女みてーなワンピースじゃねーか」

「女性型の服装は、理に適っていると認めたからな。口調は名残……いや、違うか。僕がただ忘れたくないだけだろう。いつか忘れた時、変わるかもしれないが」

「女女しいじゃねーか」

「僕は女だ」

「ま、それもそうか。感情で動く辺りもな」

「そうでもないと思うが……」

「――さて、代わりが来たので私は行きます。またお逢いしましょう祠堂」

「ああ、楽しみにしている」

 それがあるかどうかはわからないが、お約束のようなものだ。

「おうレイン、送ってやるぜ?」

「結構です。アンブレラ、行きますよ……戦闘起動ではありません、落ち込まない。空間転移術式を展開。まったく、話を聴いていたなら少しは流れを読んで――」

 ふわりと、踏み出しの一歩でレインの姿が消える。小夜はどっかりと対面のソファに腰を下ろし、あいつも大変だなと呟いた。

「あの大剣、思考が限定されてんだよ。さすがに機能上、付け加えられなかったらしい」

「会話はできていたようだが?」

「単語でのやり取りくれーはオレでもできるぜ。ありゃ形は違うが魔術品……あー、サギの言葉を借りるなら術式武装だ。コンセプトが違うんだと」

「僕としてはあれを振り回しているレイン殿が想像できないな」

「いや、それは幸運だと思っとけよ。あいつの場合、あれだけの重量……あー全長はだいたい一八○センチ、重量は八八キログラムだ」

「そうなのか? 重いとは思ったが、レイン殿は重そうにしないからわからなかったが、少し驚いたな」

「これなんかだと――」

 ふと、焦点が結ばれる位置にいつの間にかナイフがあった。小夜が突きつけているそれは、それほど近くないけれども、充分に脅威を感じる。いつの間に、と素直に驚いたのだが。

「――この程度の速度なら、レインもできるだろーぜ」

「……うん?」

「だからこの程度の速度を、あの大剣で出せるんだよ。バターナイフじゃねーっつーの」

「ああ、それは確かに、なるほど。幸運だな」

 今の速度ですら意識できなかったのだ。実際に見ていたらいつの間にか斬られ――いや潰されていたかもしれない。

 小さく笑う己がどこか遠い。掌を見れば向こう側が透けていて、形而界に八割がた移動しているのが自覚できる。

「どうやら猶予期間も終わりが近いらしい」

「祠堂、……ニャンコを頼む」

「それは――」

「頼む。なんだかんだと言いながら、あいつは他者との繋がりを求める。わかってるだろ? Rabbitを創設した理由は、確かに状況を都合よくまわすためのものでもあるが、ニャンコは承諾している」

「……面倒だとこぼしてはいるが、嫌ってはいないからな」

「そういうことだ。……レインもレィルも多少の干渉はするが、正直に言って祠堂の選択はオレにとっても助かる。ニャンコを一人にはしたくねーし、だからってオレらが傍にいられるってわけでもねーしな。あいつは余計なお世話だと言うだろうが、これもオレの依頼だ。いや」

 オレたちの依頼だなと、小夜は苦笑した。

「――わかった。その依頼、僕が引き受けよう」

「ああ、頼むぜ」

 さあ行こうかと、祠堂は目を瞑る。たったそれだけのことで、香草の香りが消えた。現実から切り離される感覚と、密着する感覚が同時に押し寄せたような酩酊を覚えながら、祠堂は思う。

 ――約束をしよう。

 満ち足りた己でも、そのくらいの依頼は引き受けられる。だから。

 いつか、己が死ぬまで、観測のついでに傍に居る女性を見ていよう。なあに、難しいことではない。今までざっと十八年くらい、そうやって生きて来たのだから。


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