02/19/00:20――朝霧芽衣・渦中の守り手
現場に入ったら現場だけを見ろ――それは元軍人の
物事には優先順位がある。けれど、目的と行動の優先順位は別物として捉えなくてはならない。本拠地を落とすことを目的とするのならば、行動の優先順位は目の前の塹壕を越えることだ。越えなければ到達できない。その境界線をきっちりとわけながら、塹壕を越えるための行動を起こしつつも、越えてからどう目的を達するか――その思考をしなくてはならない。
「ふむ」
だからこそ冷静に、状況を分析する。
左の手首から先を微妙に揺らして、特定の振動を与えると腕時計に薄いバックライトが灯る。夜間任務用でもあるため表面は光の反射を抑制し、かつバックライトもごくごく僅かな発光だ。月もない夜のため目を凝らしても見えるか見えないかわからない程度のものであるが、元狙撃兵である芽衣には読み取れた。とはいっても確認するのは、日付が変わってすぐのことだと、そんな感想でしかない。
芽衣がこの場所、何故VV-iP学園の運動場などにいるかというと、今夜に仕事が入っていた――わけではない。ただ何とはなしに今日は探りを入れられるだろう、そんな予感と共に足を向けただけだ。
――それから。
良い夜だと思っていたら日付が変わる頃に紅月が消失し、地震が発生した。建物の中に侵入するのは避けた方が良いだろうと思っていた矢先――が、今になる。
なんとまあ簡潔な話である。難しいものが一切ない、ただの日常の流れだ。芽衣にとっては珍しい話ではない。
まあ。
「なんというか、美味い餌として扱われるのも含めてなんだが」
どうしてこう、トラブルを呼び込むのが得意なのだろうと思う。いや得意ではなくトラブルが芽衣を好んでいるというか、何というか――もっとも、そんな韜晦で現状が全て説明できるわけでもなく、芽衣の瞳は真剣そのものだ。
運動場を埋め尽くすほどの妖魔に囲まれているのだから、これを冗談などでは済ませられない。それでも余裕があるのは、妖魔たちが本能から人間を喰らうのが証明しているように、彼らが本能的にこちらを攻撃して良いのかどうかを見極めている最中だからである。
下位、特に第五位の最下位の妖魔たちは本能しか持たない。その行動は常に人を喰らう、天敵を殺すためだけに動く――と捉えられがちだが、そこに間違いはないものの、つまるところ本能が備わっているのだ。ただただ殺戮をする人形ではない。
だから芽衣は堂堂としている。一度でも怯んでしまえば、喰える相手だと認識されて襲われるのは目に見えている――とはいえ、このままでは時間の問題で、五分としない内に妖魔は襲ってくるだろう。数の利はあちらにあるし、そもそも本能なのだから、様子見という停滞の行為よりも喰いたい気持ちが勝るはず。
――覚悟は決まっているが、どうしたものか。
最早、選択肢は二つしかない。ここで死ぬか、生きるかだ。後者を選択するのはどの戦場でも同じことで、どのような状況でも芽衣は変わらない。この日本に赴任してからは久しくそうした気持ちを抱かなかったが、危機的状況に追い込まれれば自然とわきでる――が、それは目的だ。行動ではない。
生き残るためにどうするかが問題だ。目の前の妖魔を殲滅する? 確かにそれならば達成できるが、しかし間違いなく無理難題だ。殲滅などできない。芽衣は数百の妖魔を一挙に討伐できるだけの技術を有していないし――誰だってそうだ――それらを相手に体力が持続する自信もない。
「そういえば地震か」
それも問題の一つだ。断続的に続いている地震はおそらく、もっと酷くなる。これはいわば変異化――東京事変から続いてきた異常の続きであり、その異常が始まったのか終わったのかはともかくも、今までの正常が異常に置き換わるのだという確信がある。
結界を張って防御に徹する? それも一つの選択だろうが、それこそ先が見えない。行動を自ら制限するのは愚の骨頂――ならば、前へ行くしかない。
「考えるよりも前に行動しろ、とはいえこれはどうしたものか」
このような状況ならば、VV-iP学園という場所そのものが何かしらの意味を持つはず、と考えるのは自然だが、まだ芽衣はその意味まで掴んでいない。いや掴もうと思って調べるためにここへ来たのだ。それが遅かっただけである。
増援は期待できない。そもそも携帯端末は既に不通であるし、約束があったわけでもない。けれど増援がなければ対処できないのもまた事実だ。
――八方塞か。
私らしいなと思った芽衣の口には自嘲に似た笑み。意識して行われるのは〝
刃渡りは四十センチほど、やや歪曲したそのナイフを表現する言葉は無骨で事足りる。刀身は厚く、握りはやや太く、銀光と共に馴染んだ重量は慣れ親しんだそれだ。刀身の背には両方とも、ExeEmillion No.3の刻印が刻まれていた。
術式ごと魔力を喰う特性を持つ、三番目に創られたナイフ。これは妖魔という存在密度に対して、最大効力を発揮できる武器だ。
妖魔の姿は黒の塊にしか見えず、紅色の双眸はこちらの姿を視認するためだけに発生したものだ。躰のどこかに核を持っているが、そのサイズはおよそ三センチほど――らいし。躰のどこかにあるのは事実だが、どこにあるかもわからず、おそらく一般人には見抜くこともできない。ましてや弱点なのだから、妖魔も隠すだろう。
核を中心にして発生した密度。そう、霧のようなものが集合してできた存在とでも考えればわかりやすいか。いくら腕らしき部分を切断して消滅させようとも、核に存在が、その密度が、力が宿っていればそこから再び構築される。もちろんそれを続けたのならば、核が供給する力が消失するわけで、最終的には討伐できるだろうが、何百回繰り返せばいいのかもわからない。
だから――その存在ごと、その妖力ごと喰ってしまえばいい。
このナイフにはそれができる。
――決め手に欠けるわよ。
かつて鷺城鷺花に言われた言葉が頭をよぎる。それは芽衣が守りを前提とした攻撃、武術家ならば後の先と呼ばれる戦闘方法を得意としていたからだ。今もそれは変わらないが、相手が妖魔となれば話は違う。決め手はあるのだ、そのナイフがある限りは――芽衣が動ける限りは、問題ない。
膝を軽く曲げ、上半身を倒しながらも顔は前へ。どこぞのグラビアで見かけるような姿勢だが、左手は腰付近に――右手は下へ。ナイフの切っ先は裏と地面に向けられるそれを見て、挑発ではないことは一目瞭然だ。
異質な構えが、周囲の空気を沈下させる。絶対的にも思える自信と態度が、数えるほど億劫な戦場を駆け抜けてきた経験を窺わせ、だからこそ発生した敵意に一匹の妖魔が飛び込んできた。
距離は四メートルとない。だが左側から来たそれに対し、踏み込むことで爪のような大振りの攻撃を回避して右手のナイフを振るい、同じ体勢で落ち着く――否。
右と左の場所が、逆になっているか。
粒子のようにして妖魔は消える。たった一撃、それだけで討伐できた。もちろんナイフへの魔力供給を行っているため、消費といえば消費だが、それを一つの行動として捉えたのならば微微たる消耗でしかない。
消耗は、少ない。だが貯蓄は思った以上にある。
繰り返すがナイフは魔力を、妖力を喰う。見た目で消失していようとも、間違いなくナイフはそれを己のものにしようと喰っている――ならば、その妖力はどこに蓄積されるのか。順当に考えればそれはナイフそのものであるし、間違いではない。問題はそのナイフの在り方だ。
稀代の工匠エミリオンが創り出した三番目のコンセプトは、その携帯性、いやいや形態性にある。装備をしていながらも、装備をしない前提――そこに在るのにも関わらず、ないという物質が創れるかどうかという試み。その結果が魔術回路としてのナイフの存在だ。
三番目のナイフは、物質ではなく〝組み立て〟と呼ばれる魔術そのものとして、存在している。芽衣の躰にある魔術回路に三番目のナイフそのものが組み込まれており、逆に言えば組み立ての魔術式を扱わなければナイフは決して具現しない。
いわば、それは設計図なのである。
三番目のナイフの設計図は魔術回路という形をとって芽衣の内部にあり、そこからナイフは構築される――つまり、両手に持つナイフは本体であって本体ではない。壊れれば次を創ることができるのに、世界に顕現するのは二つのみ。つまるところエミリオンは二本しか三番目のナイフを創っていない。だから二つ以上は不可能となる――それが魔術回路であり実際に組み立てられたナイフそのものに合致する。
喰う――とは、消化することでもある。けれど排泄物の中に消化されないものが混ざるように、必ずしも消化するために食べるわけではない。人の欲求として考えるのならば、空腹を満たすために食すと呼ばれる仕組みが発生しているのだ。
妖力を喰う、それが仕組みだ。何かを満たすなどといった理由は必要ない。
魔力や妖力はそもそも個人によって違う。世の中には他者の魔力を利用して術式を行使できる者もいるらしいが、少なくとも芽衣にはできない。それは他人が躰を動かすエネルギーを己のものにするのと同様に、ひどく難しいものだ。他人がいくら鼓動で血を全身に巡らせていても、それは他人の行動であり、芽衣の鼓動とはまるで関係がないのである。ただし自然界における魔力は人という器から外れているため、術陣などによる補強で利用も可能だが、それは己の魔力があってこその補助であり、指向性を持たせにくいという難点も持つ。
とにかくそれは異物――なのである。
喰った妖力はナイフに蓄積される。そしてナイフとは、芽衣自身が持つ魔術回路であり、回路とは即ち芽衣だ。
芽衣が――喰っているのである。異物を、ナイフによって消滅させた妖魔のぶんだけ、蓄えてしまっている。貯蓄だ。それは自然に排出されるが、別の用途によって強制的に排出することはできない。
だがそれでも、今は戦闘を行うほかない。各個撃破の戦術も、地の利を生かした戦術も今は無意味だ。
対応し続けるしかない。
「――ふむ」
極端に冷静へ誘われる。感覚が鋭利になり、しかし相手を突き刺すような熱意はない。感情そのものに蓋をするかのよう、その半面で理性が大きく展開する。
芽衣はこうした戦場で冷たくなる方だ。冷酷とは少し違うが、理性的になりすぎてしまう。熱くはならない――そうやって、今まで戦場から帰還してきた。それは現状でも同じであり、そうありたい。
「では相手をしてやろう」
鼓動の音まで理性的に把握する。
ああけれど、どうしてだろう。窮地に立てば立つほどに、唇の端が吊りあがるのは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます