02/19/00:15――五木忍・その刀の担い手は

 袴装束に袖を通すのは何年ぶりになるだろうか。

 スーツとは違った意味で身が引き締まる。奪う者の、討伐する者の覚悟と共に締められた躰が、普段は糸目のようになっていて見えない双眸を自然と開かせ、五木忍はそれと共に昔の罪を思い出す。

 かつて己が、己の意志を持って人を殺したこと。

 結果的には良かったのかもしれない。忍たちは解放され、今を生きれるようになった。もしも忍がそれを選択していなかったら、妹も妻も生きてはいなかっただろう。だから間違いではなかったし、後悔もしていない。

 だから、それは罪だ。

 罪の意識にはそもそも反省や後悔などはない。罪を犯した上で、己を省みた時に間違いであると否定できたのならば、そこに反省や後悔が生まれるものだ。人が生きるのに、本来は間違いがない。ただ失敗があるだけだ。それでも、その上で間違いだと認めたのならば――それは、きっと道から外れた行為なのだろう。

 だから忍が刀を手に取らなくなったのは、罪の意識ではない。それは区切りであり、いわば専門を変えることであり、二つのものを並列したくはなかったからで、それこそ意識の問題であり忍の選択だ。やはり間違いではない。

 ――それでも、体力は維持し続けましたが。

 いやそうでなくとも、友人たちは口をそろえて言うだろう。たとえ刀を持たずとも、お前は五木一透流の忍なのだと。

 今、忍の手には刀がない。それでも袴装束を着たのは、異常なほどの妖魔の発生から世界の状況を察したからだ。

 総力戦になる。

 妖魔と人とが、天敵と天敵が争うことになる。

 そこから逃げることはできない――と。

 自室を見渡してから、何も持たずに居間に出ると妻である二ノ葉にのはが巫女装束で待っていた。これも彼女の戦闘服で、腰の裏には武装と呼ぶにはあまりにも貧弱な小太刀が佩かれている。

「――昔を思い出しますね、二ノ葉」

「はい」

 十五か十六歳、その頃まではこの格好が見慣れていた。けれど倍以上の時間を洋服で過ごして来たため、懐かしくも思う。けれど今は懐古に身を浸している場合ではない。

「出ます」

「どこへ?」

「まだわかりません。けれど、この場にいても状況が悪くなるばかりです」

「急がずに」

「わかっています。急いてはことを仕損じます」

 表に出た忍はその緊急性を肌で感じる。それは二ノ葉も同様であり、顔色が変わって渋面を浮かべた。

「なんてこと……」

 あちこちに妖魔の気配を感じる。十や二十という数ではなく、かつて草去そうこと呼ばれていた妖魔の巣窟ですらこれほどの数を見ることはできなかったのに、今は。

 驚きと、確信が入り混じった冷静の中、忍はこれからの行動を思考する。このまま殺されるつもりはないが、総戦力戦ならばいずれにせよ戦闘に終わりが見えない。妖魔と違って人は休憩をしなければ長時間戦闘は不可能だ。ならばまず、その領域を確保すべきだろうがしかし、二人だけでは何もできない。それなりに人数を揃える必要はある――が。

 ――それは私の役目ではない。

 役割を知ったのは刀を手にしなくなってからだ。その役割から外れたことをどれだけしようにも、ただ空回りして無駄な労力を消費することになる。あるいは本来の流れを止める結果にすらなりうるのが現実だ。社会的な仕組みも同じであり、世界も同じ。

 ここは二人で抜けるしかない、ないが。

 何を目的とすべきなのかがわからない。

 そんな思考を二秒と経たずして行った忍は、二ノ葉を一瞥する――そこへ。

「道標が必要か」

 暗闇に溶け込むようなマントで身を包んだ少年と、同じ色をした珍しいチャイナドレスに身を包んだ少女がいた。気配はなかったのだから、出現したと表現するべきか。

 五木裏生りき――つまり忍の息子と、隣にいるのは橘よんだ。

「なら僕が示そう」

「裏生……」

「時間がないから手早く済ませる。今から二人はVV-iP学園に向かって欲しい。移動は徒歩になるし難しいだろうけれど、父さんと母さんなら問題ないはずだ。そうあって欲しい。なにせ僕の両親なのだから」

「それは構いませんが、何故です」

「理由は行けばわかるから。敷地内に入れば自然と結果は出てくる。――お願いだ。ただそれだけを考えて行動して欲しい。誰かを助けるなんて真似は、しないでくれ。たった一歩の時間ですら、これからは致命傷になりうる」

 マントの袖口から流れる動作で取り出したのはタロットにも似たカードだ。けれど既存のものとは違い、黒色ではあるものの模様はどういう意味が込められているのか幾何学的なものだった。

 あろうことかそのカードに手首までを入れる――入った。ゆっくりと引き抜かれるのは一振りの刀だ。

「預かっていたものを、返しに来た。父さんには必要だろうから」

「しかしそれは……」

「僕は預かった、と以前も伝えたはずだ。これは、五木が一振り百日紅(さるすべり)は父さんのものだ。僕のものではない」

 冷たいとも思える平坦な言葉は感情が読み取れない。同時にその表情も能面のようで――けれど、息子の感情がわからないような父親ではない。

 真摯、実直。

 まるで、そうであってくれと祈っているような率直な感情だ。

「――わかりました」

「僕は聖園みその舞枝為まえな叔母さんのところへ。他にやることもある。矢面に立つのは基本的に僕たちの世代だ。だから父さんたちは、ただ己たちが生き残ることだけを考えてくれ。――頼んだよ」

「はい」

「裏生、聖園と舞枝為をお願いね」

「わかってる。母さんも気をつけて。いこう四」

「……うん」

 背を向けると彼らの前の空間が波紋を立てるように揺らぐ。それがどのようなものなのかはともかくも、移動するための何かだろうことは察せられるがしかし、行こうとした裏生は迷うように動きを止めた。

「これは――伝えるべきかどうか、迷ったけれど」

「教えてください裏生」

「……暁さんが舞台から除外された」

 生きている間にはもう逢えないだろうと、裏生は背を向けたまま言う。

「翔花さんも、暁さんも、誰に強制されるのでもなく蓮華さんの意志を慮るかたちで、それを望んだ。詳しくは落ち着いた時に、蓮華さんに聞いてくれ」

「それは――暁は」

 忍の友人は。

「己の道を往ったのですね?」

「そうだ」

 だから父さんもと、続きは言わずに波紋の中に消えた。

「忍さん?」

「――いえ、問題ありません。久しぶりに握った刀が、あまりにも」

 重いと思い込んでいたのに、あまりにも手に馴染みすぎて、それが逆に違和感となっていたのだ。

九尾ここのお様、よろしくお願いします。……――往きましょう二ノ葉、できるだけ早く学園まで」

「直線距離を考えながら、でも妖魔との戦闘を極力避けるように」

 頷いた二人は走り出す。少しでも距離を稼ぐために。


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