02/19/00:05――蒼凰蓮華・オワリの始め

 彼らは空を見上げている。

 独り、あるいは一人。傍に誰がいるわけでもなく、ただその時刻に外へ出ており、あるいは室内から外に出て足を止め、上空を仰いだ。

 既に慣れ親しんだ紅月がそこに在る。

 雲よりも低く、今では毎日のよう雨の日であっても出現し、今にも地表に激突しそうなほど巨大なそれは人の精神に悪い影響を与えるのと同時に、夜の街を照らしながら莫大な威圧感を与えていた。

 いつから紅月はそこに在ったのだろうか――。

 彼は二○一一年十一月十四日を思い出す。複雑な因縁と原因が交じり合って発生した因果の落としどころとして選ばれた東京が壊滅した日、その時に初めて紅月はその姿を見せた。

 けれどその時はまだ小さく、目視できる人間が少なすぎた。時刻も夜半を過ぎた辺りにだけ、しかも常時ではなくたまに発生する程度であり、紅月の存在を事前に知っている者でなければ発見することはできなかった。

 だから明確に、多くの者が認識できるようになったのは――そう。

 彼女は二○二六年八月十一日を思い出す。あの日の夜、一人の友人を失い――夏なのにも関わらず雪が降り、空には真月と呼ばれる黄色の月よりも大きな紅月を見た。

 その日は世界が紅色に照らされ、白色の雪が幻想的な色合いを見せていた。けれどその雪は積もらず、また掌で掬っても消えてしまう儚さを抱いていて、忘れられるはずがないその光景を思い出すたびに、寂寥に胸が締め付けられる。

 紅月の発生に因果を見出せたのはいつだっただろうか。

 彼は二○四一年十月十七日に発生した鷺ノ宮事件を思い出す。

 たった一人の少女を世に放つためだけに仕組まれた鷺ノ宮一家惨殺事件は、今でも多くの謎を残したまま迷宮入りになっている。だがあの日、世界を照らすとの言葉では足りないほどの大きさになった紅月が、空という視界全体を覆いつくしていた。

 折り返し地点があるとするのならば、そこなのだろう。

 彼女が関わって来た多くの事件、二○五七年以降の物語には紅月がつきものだった。毎日のように巻き込まれ、首を突っ込んだ夜には必ずそこに存在し――そして二○五八年には、それが常時となって。

 限られた人しか出歩かなかった二十三時以降ではなく、十九時には発生するようになり、一般人ですらその姿を――吐き気を催すほど重苦しい紅月を、見ることとなった。

 彼はそれが加速であることを知っていた。

 物語に起承転結があり、結そのものが起なのはこの世の常――ならば、理由の如何を問わずしても、紅月の大きさや発生時間の差異は物語のような一連の流れに該当するのだと思い、ずっと気にし続けてきた。

 紅月が魔力の塊であることを彼らは知っている。

 呼吸すら意識せねば行えないような威圧感は紅月が大きくなるに従い強くなり、おぞましくもある魔力の濃度はまるで水中にいるような圧迫感を抱かせられる。それは個人が持つ魔力とは違い強すぎ、そして自然界にあるものとは根本から異なっている、人に対してひどく強制力のあるものだ。

 かつて夜に降った雪によって魔法師が多く発生したのならば。

 この紅月は人に魔術師としての覚醒を誘う。

 強制的に第七器官と呼ばれる魔術回路に息吹を与え、肉体構造を変えてしまうほど強烈な変革を一方的に行う。だからこそ今では魔術などと口にしても、受け入れられる人間が大勢いた。

 必要だったのだろう。

 そうだ、紅月が誰の意志で行われているかなど今さら口にしなくても彼らは理解しているが――魔術師の存在が、これからには必須なのだ。

 彼らは一様に瞳を閉じる。中には吐息を落とす者もいた。

 流れがあるならば終わりが来る。川の水が海へと至るように――起は結へ向けて動き、終わらなければ始まりがない。

 何のために、か。

 始めようとするから終わらせたいのか、それとも終わらせたからこそ始まってしまうのか。

 それを理解している者も、していない者も、そこに必ず終わりがあることを認めている。

 瞳を閉じたのは回想するためではない。意識を集中したいわけでもなく、ただ、それが必要になると一切疑っていない決断からの行為だ。

 かちこちと、どこかにある古びた時計が音を立て、そこに連動した歯車が噛み合う。

 いや、噛み合った歯車がようやく、最後の回転を見せた。

 かちりと、歯車が動き。

「――」

 夜の街に本当の暗闇が訪れた。

 先に瞳を閉じて暗闇に慣れていた彼らはゆっくりと瞳を開き、空を仰いで紅月が消失したことを認める。

 それは終わりの合図であり。

 それは始まりの合図である。

 彼らは本物の静寂を知る。物音がなく、灯りもなく、ともすれば己すら見失いそうなほどの孤独の中、しかしそれを懐かしい友人のように受け止めた。

 受け止められるからこそ、彼らは気付いたのかもしれない。

「始めようか」

 それは、あくまでも彼らの中の一人が落とした独白で。

 違う者が別の場所で、声を聞いたわけでもないのに答える。

「終わらせるか」

「もうやれることはねーし」

「後はやるしかない」

 静寂から一転、ぞくりと背筋を走り抜けるような悪寒と共に大地が揺れた。

 縦揺れから横揺れへ――その日。

 世界規模で地震が発生した。


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