10/21/12:00――サミュエル・異変察知、即応

 ちょっと混乱中だから、ステータス異常が治るまで放っておいてね、なんてことを言うために顔を見せたつみれは、昼食を摂るのでもなく、すぐにひらひらと手を振って去っていった。

 その姿を見送ったサミュエル・白井は一度席を立ち、改めて珈琲を淹れる。ついでにミルエナもお代わりを頼むと、携帯端末で流していたラジオをタップすることで消す。

 再び白井が席に座ってから――しばらくの間、視線も合わせずに、ただ二人は無言を貫き通した。お互いを探るのではない、もちろん心地よい沈黙ではない。単純に二人は、お互いの存在を感知していながらも、思考に没頭することで意識するのを止めたのだ。

 ――つみれの判断は正しい。

 昼食だけと区切ったところで、その時間ならば二人は察しただろう。元軍人のミルエナは間抜けではないし、元海賊の暗殺者でもある白井が細かい挙動を見落とすわけがない。ただ逆に、だからこその選択が二人に違和感を残した。

 違和を前にした人の行動はさまざまだ。そもそも、違和を認識すること自体が稀であり、そこには経験が必要になる。

 戦場での生き死にの八割は運に左右されることを、ミルエナはよく知っている。いくら早く敵を察知したところで、逃げることが許されない現場など多くあった。一発の流れ弾で死ぬ様子から、人の命など紙切れ同然だと思ったこともある。

 マストに陣取って狙撃をして命を奪っていた白井も同様だ。同じことをやられれば自分は死ぬのだと知っていた。どれほどの技術を磨いたところで、それが発揮されていても、死は常に隣にある。

 だから、運に任せないための訓練をずっとしてきた。その一つが違和の察知だ。

 違和感の所在を突き止めるのは必要だ。けれど、それはあとの行程であって、まずは気付くことが必要で、気付いたのならば足を止める。

 ――なにが?

 ここは戦場ではない。トラップの類が張り巡らされているわけでも、後続部隊がするはずの補給に対し、断絶することを狙って襲撃を行っているわけでもないのだ。足元を見て、頭上を見て、姿を隠すなんて常套は通じない。

 つまり二人の沈黙は、可能性の列挙をするための思考時間だ。

 白井は確証を得られず、推測で止まる。

 ミルエナは確証を得ながらも、だからどうしたと止まってしまう。

 無意識に伸びた手がテーブルを掻いた。何もない掌を見て、ああそうか、ここには煙草を置いていなかったのかとミルエナは思う。代わりに珈琲を手にとって一口、アルコールとは違って思考が滑り出すこともない。

 ミルエナは円つみれを知っている。

 白井もまた、知っている。

 まさかミルエナ・キサラギが懐の内側に入れる人間を、ただの一度でも調べないなんてことはありえないし、現身の術式は本来、潜入して情報を取得、ないし状況の誘導などを得意とするものだ。そうでなくとも、円つみれの救出劇とは名ばかりの事件には、ミルエナも関わっている。もちろん、白井に対しても同じことは言えるだろう。海賊から陸に上がったのは、間違いなくミルエナの作戦行動が原因なのだから。

 そして、それを白井は知っている。おそらくミルエナが関わっているだろうことは出逢ってから察することができたし、その上で円つみれがこの場にきたのならば、その関連性を疑うのは必然だ。けれど、それ以上の確証はない。

 この時点で二人の思考は違うものになる。持っている情報そのものが違うのだから当然で、重複している部分はあるにせよ、しかし、おそらくと前置したのならば結論は同一だ。

 確認する必要はない。そんなことは口を開かずとも、こうして黙してしまった時点でお互いに察してしまっている。生活は違うとはいえ、同じ穴の貉だ――このくらいのこと、考えるまでもない。

 ただし、これからどうするかは、問題だ。

「この際だ、サミュエル・スーレイ。いくつか聞いておこう」

「なんだ」

「私のことをどこまで知っている?」

「何故だ?」

「なんだ、問いを返すのは馬鹿だと教わらなかったのか。それとも――言いたくないと、言外に仄めかしてエア・リーディング機能が私に備わっているのかどうか、確認したいのか? それとも質問の意図が読み取れなかったのか」

「この場で腹の探り合いがしたいのか、少尉殿」

「今まではそうでなかったとでも?」

 否、だ。

 そんな空気が微塵も感じられなかったのならば、それこそうまくやっていた証左なのだろう。常に警戒はしていたし、一定の領域に足を踏み込まぬよう注意もしていた。そのためには、対象の情報は一切必要ないか、必要かのどちらかだ。

 そして、前者で安穏と過ごすような生活を、白井もミルエナも経験していない。

 ただ、硝煙の匂いをこの場に持ち込まないだけだ。その不文律は、ここがVV-iP学園である以上、破ることはできない強制力を持つ。

「知っていることに問題があるのか」

「あるいは、なるだろう。ただし、論争から闘争に持ち込むつもりならば、この場で問うのではなく、現場を押さえるだろうが……ただな、ミュウが今もこの場に座っていること自体、一つの不安要素であることはお前だとて自覚しているはずだろう?」

「ああ――あんたがこの場に居座っているくらいには」

「言ってくれるではないか」

「その程度は知っている、と言外に伝えたのが聞こえなかったか」

「聞こえていたからこそ、私は問うたのだ。私のことをどこまで知っている、とね」

 いよいよ、腹の探り合いの開始だ――が、白井は分が悪いことを最初から理解している。話術は不得手であるし、だからといって黙っていてはいいようにされるのは目に見えていた。正念場だとは思わないが、できる限りの情報を引出すしかない。

「知らなかったら、ここにはいない」

「そんなことはわかりきっている。しかし、いつからなのかは知りたいものだ」

「少なくともあんたよりも遅い」

「うむ、然り――まあいいだろう、それほど言及したいわけでもない。であるのならば、お互いに情報交換は必要ないと、そう受け取っても構わないな?」

「そんなものが必要だと言いたいのか」

「これからは、あるいは必要になるかもしれん。今まで一人で生きてきた私だとて、繋がりは持つ。現状のようにな」

「……」

「必要とされる変化は、往往にして順応と呼ぶ。しかし、意識した変化は進歩の一種だ。……感謝はしているとも」

「つみれに対してか」

「否、この場にいない相手に謝辞など言わん」

「そうか」

 思わず、あのミルエナ・キサラギがよく言うものだと口にしそうになって、止める。直接的な問いならまだしも、流れから口を割らせる話術に関して、白井はかなり苦手だ。そういう時は黙るに限るのだが、それが通じない相手もいる。

「俺を情報屋か何かと勘違いしているのなら、余所を当たれ」

「うむ、そんなことは思っていないとも。ミュウは――その情報を使う側だからな」

「決めつけるな」

「では違うと?」

「少なくとも情報を売った覚えはねえ」

「だろうな。何で生計を立てているのかも疑問だが――できることなら、ミュウから情報を引出しておきたいところだ」

「何故だ」

「その方が、ほかの手段と比較して楽だからに決まっているだろう」

 誰の情報かも、ミルエナは明確にしない。腹の探り合いとはいえ、日常会話から逸脱した単語を口にしたのならば、それは情報を明かしていることにもなってしまう。だから、話術というのは難しい。

 ミルエナだとて、それほど得意としているわけではない。特にこの状況では、いくら学生の身になっているとはいえ、ここにいるのはミルエナ――少尉と呼ばれる一人でしかないのだ。状況に馴染むための擬態になっているわけでもなし、誤魔化しで得られる優位性が最初からないのである。

 ただ、迂闊だった。

「ほかの手段、か――」

 たったそれだけの言葉で、白井に納得を与えてしまったのだ。

 じわり、と背中に浮かんだ汗を隠すようにミルエナは足を組んで頬杖をつく。ミルエナが考えたその手段を、白井は推測可能なレベルでの知識を得ていると、それに気付けたのは僥倖だが、この場合は納得させてしまった方が問題になる。

 仲の良い同僚にだとて、己の情報は隠す。背中を合わせる味方にだとて、警戒をする。そんなことを当たり前にしてきた二人にとって、たとえ隠すものがなくても、それは自ら明かせるのと同義ではない。

 動揺を悟られるほどの間抜けでもなければ、警戒を目に見せるほどの馬鹿でもない。ただし、敵意を顕にするような相手でもないのが現状で。

「うむ、まったく厄介な間柄だな、ミュウ」

「……ああ、確かにそうかもしれないな」

 ミルエナと白井が――というのも、当然だけれど。

 この場合は、円つみれが、なのだろう。

 二人は、いや、つみれや蒼凰連理そうおうれんりを含めた四人は決して仲間などではない。一般的には友人と呼べるかもしれないが、それは外から見てのことだろう。お互いに都合があって、寄生木のように、ここを使っているだけのこと――だから、ミルエナは繋ぎ止めるための方法を考えていた。

 何のためにと問われれば、おそらく娯楽が一番近いだろう。そんな理由で? この世にはありふれたものを、わざわざここで?

 ――そうとも。

 ミルエナは間違いなく頷くだろう。何しろ初めての娯楽なのだから。

「そのほかの手段とやらが気に入らないのはわかった。――取り残されても文句は言うな」

「ほう、その忠告には痛み入るが、取り残される可能性があるとでも言いたいのか」

「ある。あるいは俺が、かもしれないが」

「なるほど」

 白井は、つみれがそこまでのことをしたのだと、そんな予測が立てられるほど、つみれのことを知っているらしい。なるほど、確かにこのままでは取り残される。急なことだが、どうやら手段を選んでいる猶予はないようだ。

 決定的な違いがある。

 何があったのかを推測できた白井と、わからないミルエナだ。その違いは単純に、これまで歩いてきた道の違いでしかない。

 であるのならば、だ。

 ここから先の行動が重複することもない。

「――面倒なことになったもんだ」

「まったくだな」

 厭味のつもりだったんだがと言って席を立った白井は、きちんと珈琲カップを洗ってから足元の鞄を手にすると、そのまま無言でその場をあとにした。

 実際、白井はつみれに何があったのかは知らない。どういう理由で、どんな経緯で、そんなことを悟れるほどの人生経験はないし、知ったことじゃないの一言で片づけてしまえる。普段なら間違いなくそうしていただろう――ただし、仮にミルエナが似たような態度を見せたのならば、やはり放ってはおかないが。

 白井がわかったのは、つみれの変化だけだ。つまり違和感なのだが、そこから推測するに、つみれが変わったのならば――それは、術式の行使だろうと、そう思っている。もしも違うなら、これから無駄足を踏んだあと、べつの可能性を当たることになるのだが、間違っていてくれと思う反面で、納得が半ばを過ぎた頃合いだ。

 面倒なのは承知の上、厄介なのは覚悟の上――だ。

 円つみれ。

 円の魔術師の完成品。

 内世界干渉系の術式ならば何でも扱える〝外王〟の特性を所持。杜松管理を任された、捜索専門狩人イヅナの娘。どういう理由か、今まで術式の行使には至っていない。

 白井が知っているのは、大きくその程度だ。知っているというか、つみれと知り合ってから調べたのだが、実際にそこまでの情報を引き抜くのは簡単なことではないだろう。けれど白井には、それなりに知り合いがいる。

 今から向かう先も、その情報を得た相手のところだ。

 だから――必然的に。

 すれ違う。

 教師棟の一階、入り口のエントランスで、彼女と。

 鷺城鷺花と。

「――あれ」

「……」

 すぐに足を止めた鷺花、そしてすれ違って五歩ほど離れてから停止する白井。

「へえ――挨拶は、まだだったかしら?」

「悪いが、隣に引っ越し蕎麦を差し入れるほど日本に染まってはいない」

 知っている。だが、実際に顔を合わせるのは初めてだ。

 鷺城鷺花、白井の隣のルームに住んでいる女性。情報としては知っていたが、直接言葉を交わすのは初めてで――振り返り、視線を合わせるのも、これが最初になる。

 魔術師。

 それも、おそらくは最高峰の。

 そう聞いても、そうかと呟くだけだった白井も、この場で出逢ったことには考えさせられる。いや、つみれとの関係を否応なく連想させられた。

 敵意はない。そもそもサミュエル・白井はあまり敵意を向けない。――ただ、そのまま殺すだけだ。

「それにしても」

 黒に赤色を重ねたようなタイトスカートの上に、薄手のカーディガン。整った恰好をした鷺花が、小さく、自然に手を重ねるよう叩き、音が波紋のように広がった瞬間に、白井は手首に収納していた投擲用のナイフをスライドさせ、指の関節で尻部分を支えた。

 ――そうか。

 ミルエナが気付き、白井が気付かなかった一点がここにきてようやく、理解できた。

 違和感の正体。

 推測を確信へ変える要素。

 それは、術式の行使に見られる魔力波動だ。

 いや、行使だけに留まらず、それは行使可能である状況、つまり生きている状態で発生する。本来はごく微弱なものでしかなく、それを人は雰囲気と呼ぶのだけれど。

 今まさに、鷺花がそれを見せたことで、理解に及んだ。

「随分と早いわよね」

 白井の警戒も、警戒させるための動作も、その一切をしなかったかのように鷺花は言葉を続ける。けれど状況はそのままで、おそらく鷺花の術式は呼吸をする間もなく、起動可能な状態にあると白井は感じた。

「何の話だ」

「初動のこと」

 つみれのことか、それとも今の対応か。判断がつかぬことだが、問うても返事がないような気がして、白井はいつものよう、睨むような視線を向けたまま黙る。さりげなく右手をスラックスの中へ、左手でシャツのネクタイを正すような動きで手の中のナイフの位置を僅かにずらす。

 空気が振動した。――鷺花のポケットで、携帯端末が震えている。その契機に、このタイミングでの邪魔に、しかし白井は動かない。

 不文律――つまり、学園内部での争いを禁じるルールを思い出したわけではない。たったそれだけのことで、状況によっては戦闘態勢にも思えるここで、意識を逸らすものが介入したというのに、動かなかった。

 見せられた隙だったから? それとも、ただ動けなかっただけか?

 そんな自問自答に、くだらないと返答する。鷺花はタッチパネル形式の携帯端末を取り出して、表示を一瞥した。

「――じゃあ、またね」

「……ああ」

 次は、あるのだろう。そんな予感がする。目的が一緒で、鷺花が先客だったのならば、それこそ否応なく、次がくる。だから二度は御免だと、そんな返答を避けた。

 鷺花の姿が消えると、展開していた術式の構成が消える。構成といっても肌で感じるだけでは、魔力波動と変わらない。安堵をする前にエレベータの中に入り、ナイフを元に戻した。

 まったく。

 とんでもない女だ。

 胸元のポケットから手帳を取り出し、その中にあるカードを通す。番号を入力すればエレベータはそのまま地下へ。

 大書庫――姫琴雪芽が座する場において、その広大とも行く先が見えぬ迷宮とも思える本の森には、圧倒的とも呼べる威圧感よりもむしろ、月明りしか存在しない夜の森、どこからともなく狼の遠吠えが聞こえてきたような不気味さが目立つ。

 足を踏み入れるのは二度目だ。こんな不気味な場所、用事でもなければ進んで足を踏み入れようだなんて思わない。

 ここには原初がある。それを管理している人間がいる――だったら一度くらい見ておこうか。白井にとってその程度の理由であり、それほど興味もなかったが、しかし。

 円つみれの魔術を聞いたのは、ここなのだ。

「あれ、サミュエル」

 相変わらずだ。以前と何も変わらない、やや小柄とも思える女性がスーツ姿で半円形の応接テーブルに陣取り、手元を除けば白紙のページを今まさに埋めようと、見知らぬ文字をペンが自動的に記し続けている。

 これが止まることはないのを、白井は知っていた。

 停止したのならばそれは、世界そのものが停止したか、あるいは雪芽本人が死ぬか、どちらかだ。

 魔法師とは、そういうものなのだから。

「一歩遅かったね」

 遅かった? どうだろうか、そうは思わない。

「一歩合わせられた――だろうな」

「ふうん。で、どうしたの」

「円の記録が出ているかどうかの確認だ」

「うん、だったらやっぱり一歩遅かったね。さっきサギが一通り目を通して、本棚に戻しちゃったから」

「読みにきたわけじゃねえ、確認だけだ。……そうか、やはり出たか」

「そりゃもちろん、円つみれの術式がそうである以上、ここに記録は残るから。……ん? そう説明したよね?」

「いや……直接はされていない。ただそう推測はできた」

「彼女は?」

「さっき逢った、いや、すれ違った」

「サギじゃあるまいし、それだけでわかるの、あんた」

「違和を察しただけだ……本人からは何も聞いていない。立ち入るべきかどうかも、問題視していない」

「あ、そう」

 あっさりと、さっぱりと、雪芽は言い切る。興味がないと言わんばかりだが、実際にその通りだから仕方ない。白井もこれで確認が取れたのならばそれでいいと、踵を返す前にカウンターへ置かれる珈琲。視線が投げられたため、それを手に取った。

「サギがね、ちょっとサミュエルを足止めしとけって無茶な注文したから」

「それは、黙っておけばいい」

 そうではないか、と疑いかけたが、先に正解を言われてしまうと拍子抜けもいいところだ。こんな性格を、鷺花はとっくに見抜いているのだけれど。

「鷺城鷺花……か」

「知ってるんでしょ」

「直接顔を見て、確認したのは今日が初めてだ。知っているというより、聞いていた――というのが正しい」

「たとえば?」

「最初に聞いたのはこうだ。刹那小夜に遭遇しないのは、意図が介在する。花ノ宮紫陽花に出遭わないのならば、それは見つけられていない。鷺城鷺花に出逢わないことは、まだ至っていないからだ」

「あの子たち三人を比較するんだ。ちなみに――」

「初見が鷺城鷺花で、今だ。ほかはまだ知らん」

「んー、じゃあサギのこと、ほかは?」

 こいつ楽しんでいるなと思う。こんなところに閉じこもっているから、そんな娯楽しか見つからないんだと思いながらも、それを口に出せば面倒になることがわかっているからこそ、白井は黙って、小さく吐息を落とす。

 これは違う人物からだがと、珈琲を飲みながら答える。

「刹那小夜に警戒する必要はない、警戒そのものが通じないからだ。花ノ宮紫陽花に警戒は無駄だ、それを読み取るほど能動的ではない。鷺城鷺花に警戒は必須だ、それが己の技量を見せる行為に他ならない」

「あはは、ブルーらしいね」

「誰とは言っていない」

「違った? 最初のはエルムだろうけど」

「……違いはしないが、スノウは記録を読まないんじゃないのか」

「目は通さないけど、目に入ってくることはある。それは記録じゃなくて、記憶になる。あとは人となりの問題じゃないの? よくわかんないけどさ」

「そんなものか」

「うん。あとその三人、ミルエナとは繋がりあるよ」

「口の軽い女だ」

「え? そうなの? これもサギが言っとけって」

 その言葉が本当なら、どんな意図がある?

 深読みはするけれど、今の白井には読み切れない。ほんの短い言葉を交わしただけで背を向けた相手が、まさか今、ミルエナと会話をしているだなんて想像はできないし、あのミルエナ・キサラギが頼ったとも考えられなかった。

「そもそもさー、サミュエルはなんで円と一緒にいるの?」

「何故、か……どうだろうな。少尉殿――ミルエナが俺を選択したように、つみれを選択した。出逢った原因はあいつだが、そうだな、円の魔術師だと聞いて、その在り方に興味を覚えたのは確かだ」

「だから一緒にいんの?」

「教室で隣の席を見て、お前はどうして隣にいるんだと問う馬鹿がいるか?」

「あー……」

 距離感としては、そんなものだ。貸し借りをする間柄でもなければ、好んで助けようとも思わない。白井の判断基準は今までも、巻き込まれているように見えるが、実際には自分の経験になるだろうと、そんな考えに依る部分が多い。

「成長してるんだ」

「――? 成長は、おそらくしていない。俺はまだ以上を望んでいないし、現状維持なんで馬鹿げたものに身を委ねている。進歩もなければ進化もない――それが今の自己評価だ」

「必要に迫られないから?」

「おそらくは。加えるのなら……危機感がない。もちろん、命令を下す人物を待っているわけでもないが」

「ふうん? そこらへんがよくわかんないんだけど、サミュエルは今のままでいいんだよね?」

「善し悪しの問題じゃない。否応なく続く今を、ただ受け入れているだけだ。中には嫌なこともあるし、面倒だと切り捨てることもある」

「んん? ――あ、好きなことを求めない?」

「求めるために動かない、が近い」

「やっぱり。動かされることに慣れてて、自分からは動かない――動けない。だから成長もしない。進歩も進化もない。だね?」

「……ああ」

「でも今は動いてる。円が関わってたからって理由もあるけど、円に関わっているサミュエルだからっていう、自分の理由もちゃんとあるわけ。もうちょっとサミュエルは、そうやって自分のために動いた方がいいよ」

「忠告なら聞いておこう」

「そうそ、素材はいいんだから、鍛えないと。せめて戦闘レベルで頭二つくらい抜けておかないとねー、円に捨てられてもしらないよ」

「つみれは、どういう位置にある」

「経験や技術はともかくも、存在自体がもう盤面から外れかかってる」

「蒼凰蓮華のように――か」

「あるいはサギやエルムみたいに」

「だったら、言える範囲でいい、教えてくれ」

 そもそも、円つみれの扱う魔術とはどんなものなのか。

 ここで問わずにおこうと思っていたことを、白井は口にしていた。それは単純な心変わりと、きっと僅かな、焦りだったのかもしれない。


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