--/--/--:--――円つみれ・オワリの言葉
数日を海を過ごして陸地に上がると、陸が揺れているように感じてしまうのは仕方のないことだ。慣れているはずの白井ですら、二度三度と両足で地面を確かめるよう踏みしめていたし、つみれはどうも歩行が真っ直ぐできていないと感じた。
楽園へ顔を出すのはミルエナ、白井、つみれの三人だけだ。鷺花は仲介があるということで、後追いのかたちをとる。港からの移動手段は徒歩――そもそも、距離がそう離れていないのは確認済みで、ルートもきちんと覚えている。先導するのはつみれだ。
「あれ欲しいなあ……」
「まだ言っているのか、つみれは」
「そう言ってやるなミュウ、――私だとて欲しいとも。陸地の移動で車を所持するのが当然ならば、海の移動のために巡洋艦を一隻持つのもおかしくはあるまい」
「変な論証を固めるな馬鹿。つみれが乗ったところで、維持費を計算に入れろ。海に浮かべておくだけで使わなければ無駄になる」
つまり諦めろと続けたいのだが、つみれは不満そうに唇を尖らしながら必死に理由を考えているようだった。いっそあのまま誰かの手に渡ってしまえばいいのに、と白井も本気で思いたくなる。
とはいえミルエナは半ば冗談だ。あれば面白いだろうが、模型を作るのと同様に、どうせ途中で飽きることは目に見えている。傍にあって欲しいけれど、所持するかどうかは別問題、くらいに捉えているのが実情だ。
「だがあたしは本気だ……くそう、どうしよっかなあ」
「処置なしとは、こういうことかミュウ」
「わかったのなら、次からは態度を改善してくれ」
「ははは、それは無理な相談だな」
「俺が迂闊なのも事実だが、結果として割に合わん」
「我慢してくれ。私もこのあと、鷺城との訓練があるかと思うと気を紛らわしたくもなる――しかし、ミュウは楽園にきたことはあるのか?」
「ない」
ある程度の情報は仕入れているが、それだけだ。実際に楽園の王に逢ったことはあるが一度きりだし、当人が王と呼ばれていると知ったのも、出逢った後になる。
――ふいに、つみれが足を止めた。
「どうした?」
「うむ、まさか購入に踏み切るための理由が思いついたのではあるまいな」
「え? あ、うん、それはまだ……じゃなくて、ここじゃない? 通り過ぎるよ」
「む――」
「……結界か」
言われて、そこに屋敷があることに気付いた二人は、塀を見てから一瞥を交わす。
とんでもない結界だ。白井は雨天家の周囲にある結界にも気づいていたし、それなりに気を配っている。それでも気付けなかった――そこに何があるのかもわからなかったのだから、相当上位のものだろう。つみれがいて助かったのも事実だが、しかし。
「うむ、つみれには何故わかったのかも問題かもしれんな」
「……ああ」
おそらくつみれは、結界があったことすら気づいていない。本来ならば二人と同様に通り過ぎてもおかしくはないのに――それでも、わかった。
都合がいい、という感想が頭の中で自然と、これが円の魔術師かと入れ替えられる。
「あれって……」
入り口から中を見た全体像は、鈴ノ宮の屋敷と大差ない。どちらが模倣したのかは定かではないにせよ、その庭で。
「前崎か」
侍女服の女性と、前崎あけびが戦闘を行っていた。
否だと、白井はすぐにその見解を否定した。あれは戦闘行為とは違う。だからといって訓練でも鍛錬でもない。
金属を打ち合わせる音が続く。
侍女はスカートに沿うようにして得物である剣を展開し、二つ目のスカートを装着しているかのようだ。それらは状況に対応するものを自らの意志で示すかのよう、するりと侍女の手に収まる。
魔術師にとって常識である術式の一つでありながらも、その汎用性や利便性が高いゆえに、扱える術者の数が極端に少ないものだ。ある一定のレベル以上になると、それこそ常時展開しておけるものらしいが、白井にはまだ届かぬ頂にある。術式自体は、大きなカバンを持ち歩くのと同じ効果なのだけれど、単純であるがゆえに難しい。
だが、それにしてはおかしい。格納倉庫ならば、鞄の中身が勝手に出ることはありえない。あったとしても、逆さにして全てをぶちまける行為に等しいのに、刃物は停滞を行いながら、使われたものから消失して新しいものが補填されていく。
形状も違えば、そもそも剣と表現しにくいものまである。共通しているのはどれも刃物であるということで――その侍女と比較すれば、前崎の対応のなんと遅いことか。
やっていることは、見てわかる。
侍女が得物を手にした瞬間、それを見た前崎が右手に刃物を生成、振り下ろされる刃に向かって前崎が打ち合わせ――砕ける。それらを一連の流れとして、それほど速度を出すのでもなく、けれど淡淡とあらゆる方向から行われ、身動きしながらも戦闘の様子だけを作っていた。
前崎が押されている。
後手に回っている時点でそれは明確だ――と、この辺りで白井の認識が追いついた。
「なにしてんの、あれ」
「刃物の試験だろうな」
「ほう……」
前崎の本分は刃物の創造だ。それが戦闘レベルで可能かどうかは今まで知らなかったし、おそらくこれも戦闘と表現できないだろうが、戦闘の中では最悪の状況以外ではご法度である、刃物の打ち合わせなんてことを行っている以上、やはりテストだ。
「――入らないのか」
「あ、うん、もうちょっと待って。なんか……ちょっと、変かも」
「ほう、ならばタイミングは任せよう。あれを見ているのも悪くはない」
既に二人とも、脳内で仮想戦闘を構築している。あれを相手にした時、どのおうな手段で終わりまで至るか――。
勝つか負けるか、ではない。殺されるか否か、でもない。逃げ切れるかどうか、打倒するにしてもどのようにすれば終わるのか、そういったあらゆる可能性を内包した戦闘だ。
あるいはそれを、戦場と呼ぶのかもしれないが。
問題になるのは、あの圧倒的とも呼べる物量だろう。
千差万別――形状が示すように、十本しか展開されていない刃物はそれぞれ違う特性を持っている。それが限界だと思うほど白井は呑気ではないし、二十は軽いだろうとミルエナは読む。ただし、侍女は必ず己の手で持って扱うという条件を己に課しているように見えた。
つまり、いくら数が多くとも最大で二本だ。それでも、在庫が多い以上は物量として圧倒的と言わざるを得ない。現に前崎は、一本に対して三本で応じてようやく破壊せしめることだとてある。逆に、応じたのにも関わらず金属音がなく、すっぱりと切断されることもあるのだ。これはもはや、複数人を相手にしているも等しい。
「うむ、難しいな」
「ああ……」
「ミュウ、やはり世界は広い。そしてどうやら私は、安寧から面倒な場所へと足を踏み入れたようだ」
「今さらだ」
「む、今さらか」
「俺だとて最近まではずっと問題を放置していた。こんなことにならなければ、何もない日日を過ごしていただろうな」
「どう思う」
「俺が? べつに、なにも。今は今だ――ある人物の言葉を借りるのなら、こうなる可能性があるのならば、遅かれ早かれ、俺は似たような状況に身を委ねていただろう」
「運命論か?」
「いや、統計学の一種だ」
「――興味深いね、それ。ちょっと聞かせてよ」
首を傾げるよう顎に手を当てたつみれは、視線を右下方向に投げたまま口を開く。興味があるのかと一瞥を投げ、白井は詰まらなそうに言う。
「事件規模から個人の物語に至るまでの過去を紐解いた場合、ある特定地点で必ず収束することになる。これは俯瞰する場合であっても同様であり、縮尺そのものによって収束点は変わるが、変わるのは影響そのものであって、収束点に変化は見られない」
「しかし、収束点そのものは移動し続ける」
ふいに、背後からの声に驚いて振り向けば、コートを着た鷺花がつみれの隣に並ぶように立ち、庭を見ながら小さく苦笑した。
「縮小単位でたとえるのならば、該当個人はいつか眠ることになる。いつかは問題視しない、けれど確実に睡眠することが約束されている。それは過去の統計から見出される決定的な事実であり、それは未来においても可能性として許されたものだ――曰く、彼はいつか寝るだろうと、そんなごく当たり前の指摘が現実になる。これは可能性を限りなく正確に導き出す技術の初歩として理解されるものだけれど――時間が常に未来を現在へ塗り替える以上、概念に近しい部分にしか人は至れない。逆説的に、本来ならば届かないはずの概念位に対して、唯一、人の思考だけがそれを確定できる。降らない雨がないように、吹かない風がないように」
「――死なない人がいないように、だ。学生は、学校へ赴く。社会人は会社へ行く。狩人ならば依頼を受ける。人が生活している以上、外せない事柄は存外に多い」
「待て。その解釈が現状に該当すると――そう言いたいのか?」
「最初からそう言ってる」
「理由はなんだ」
「学校に行くのは学生だからよ。会社へ行くのは社会人だから。依頼を受けるのは狩人だから――この場にいるのが円つみれ、ミルエナ・キサラギ、サミュエル・白井であるのならば」
ここにいる理由になるのだと、鷺花は笑いもせずに断言した。
「――見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
いつしか戦闘は終わっており、思考から現実へと引き戻されると、入り口の門を開いた先ほどの侍女が、両手を前に揃えて頭を下げた。
「いらっしゃいませお客様、当館の侍女をしております、ガーネットと申します。おかえりなさいませ鷺花様、お久しぶりです」
「ただいまガーネ」
「……」
「え、なによ」
「いえ――本物の鷺花様かどうか、じっくりと観察していたところです」
「ごめんごめん、もうちょっと頻繁に帰ってくれば良かったね、うん」
「わかっていただけて何よりです。――どうぞお客様、中へ」
うむと頷いて足を進めるミルエナの隣、白井もまた一歩を踏み出そうとして違和感に気付いた。鷺花は彼らを背後から見て、腕を組んでいる。
つみれが、痛みを堪えるよう額に手を当てていたのだ。当然のように脚は動かず、けれど倒れるほどではない。
「そうだ……可能性」
ずきりと頭が痛む。
未来に起こりうることは、絶対的ではなく、あくまでも推測から成り立った、統計学にも似た可能性しかありえない。
ありえない、のだ。
どれほど現実味を帯びていても、それは可能性でしかない。
「――そう、可能性だ」
新しい声が届く。大きな玄関が開き、そこから姿を見せた白色の――ああ、なんということだろう、白としか表現できないほどの彼は、ただ白く、潔白に、何よりも白白しく、通る声を発しながらこちらへと足を踏み出す。
「可能性に可能性を重ねたところで、絵の具と同様に一層濁りを増すばかり。中の真実を薄く見通そうと思ったのならば、重ねることを辞め、ただ一縷の望みに縋るしかなく、それは可能性としてとても貧弱なものになるだろう」
威圧。
ただ、歩いているだけで呼吸を忘れるほどの純白さ。その空気に触れることを恐れたかのように、ミルエナは一歩退き、彼が見据えるつみれとの間にある己という障害物を除外させる。
「であればこそ、未来は見るものではなく創るものであると、そこに破綻が孕むことを承知の上で、人は錯誤に身を委ね迷走する――だが、現実はただの一度きり。失敗が覆る成功などありはしない。あるのは、失敗と成功があった、そんな事実だけだ」
頭痛が酷い。
視界が黒と白で点滅している。
――黒白?
赤色が混ざらない。黄色でもない、黒と白。
「経験がなければそれを評する術はない。――終わりを知らない者は、終れない」
そうして、白色は、蹲ったつみれのもとにたどり着いた。
「ようやく――と、そう評しても間違いはないのだろうね」
そうだ。
ようやく、たどり着いた。
「次は」
鷺城鷺花が言わずにおいたもの。知っていた蒼凰蓮華が口にできなかったもの。
それを、彼は言う。
エルムレス・エリュシオンは言う。
「可能性の切れ端を抱いたまま、円環に囚われない現実で逢おう」
そうして、終わりがあった。
あっけない終わりだ。そして当たり前の終わりである。
これから始まる? 否、始まることなんて何もない、あるのはただの終わりで、ここから先はただ、続くだけだ。
終わりは始まりの開始。
継続するのならば、それは終わりではないのだろうし、始まりでもない。
けれど、ここではそれが許される。
続けるための終わりが、ここにはあった。
――円つみれの魔術式とは、つまり、そういうものなのだから。
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