--/--/--:--――円つみれ・連続した頭痛

 合流した白井は血こそ止まっていたものの、服がぼろぼろだったので、着替えるかと問うと、そうするか、なんて面倒そうな返事があり、そのまま白井の住居へ赴くことになった。

 ぼろぼろのアパートかと思いきや、つみれが住んでいるところとは比較できないけれど、一般的なマンションだった。それでも充分に驚きだ。

「え、ここ?」

「そうだ」

「すごくふつーのとこに住んでんだねえ」

「……? 鈴ノ宮の斡旋だ、俺が選んだわけじゃない」

「ふうん」

 もちろん、隣の部屋には鷺城鷺花が住んでいる事実など、白井は言わない。聞かれれば答えるが、進んで話すほど人が良くはないのだ。

「入ってろ、すぐ着替える」

「うん――あ、中も結構広いけど、掃除してない?」

「使っていないだけだ」

 二階もあるそれなりに広いリビングは、ものが何も置いていない。じゃあダイニングキッチンはと顔を出すものの、使われた痕跡が一切なく、薄く埃があるような状況だった。さすがに廊下は綺麗であるし、掃除の形跡があるのだが。

「これはこれで酷い……」

「――なにか言ったか?」

「なんでほかの部屋使わないのって――うっわ」

 着替えに関しては特に興味はないし、もうズボンは変えているのでそれはそれでいいのだが、いわゆるここが白井の自室なのだろう。開いている扉から中を見れば、大きなダブルベッドが鎮座し、ほかは本棚で埋め尽くされている。今も開いているクローゼットは、同じタイプの服が並んでおり、ネクタイだけやや種類が豊富だった。種類というよりも、色の違いなのだろうが。

 それと、ベッドの上にはハンモックがある。さすがに掃除はされているようだが。

「この部屋しか使ってないの?」

「ああ。広すぎて最初は戸惑ったが、こんなもんだ」

 ベッドの脇にある小さなテーブルにはノート型端末が一つ。その周辺に積んである本は読みかけのものも含め、電子技術関連のものが大半だ。寝ながら作業している白井を想像すると、なんだか妙な気分になる。

「それよりも」

 着替えを終え、ベッドに放り投げていた刀を手にした白井が振り返る。

「どこへ行くのかも聞いていないが、任せてもいいのか?」

「あ、うん、場所は教えてもらってるから大丈夫」

「なら行こう」

「わかった」

 少し名残惜しくもあったが、今回で終わりというわけでもないだろう。並んでマンションを出てからは徒歩だ。その間に、蓮華から聞いた信じられない話をしても、白井は顎に手を当てて考える素振りをするくらいで、大してショックを受けていないようだった。

「事実かな」

「……いずれにせよ現実であることに変わりはない。俺はただ、今がどうであっても構わん。これからどう対応すべきかを考慮した方が堅実だ」

「本当、さっぱりしてるなあ」

「そうでもない。しかし、有益な情報が確認できるとはいえ、たらいまわしは否めないな」

「そだねえ。これから行く先は咲真さんっていうんだけど、知ってる?」

「槍の朧月なら、名前くらいは知っているが」

「あまり偏見を先に持ちたくはないんだけどね、ほら、蓮華さんや暁さんの友人ってことは、それなりにあれだ、なんていうか、特徴あるだろうし……」

「そんなものか……?」

「うん、そんなもん。心配はしてないんだけどね。ただ、本当に大丈夫かなあって」

「行けばわかる」

「そりゃそーだけど……そっち、残って大丈夫だった?」

「俺が――ん、ああ、雨天か。問題ない。次は改めて、鍛錬してくれと頼んでおいた」

「あれだけの目に遭っておいて……」

「あれとこれとはべつの話だ」

 どうだろう、被害だけみれば似たようなものじゃないかと思うが、そんなこんなで到着だ。

 住宅街の一角にある、やや周囲と違った家だ。一階はガレージになっているらしく、シャッターが下りていて出入り口がない。備え付けの外階段をのぼった先に玄関だ。おそらく、元はアパートかなにかだったのだろう。

 インターホンを押すと、しばらくして彼女が顔を出した。

「ほう、スケジュールも合わせん客が来たから追い返そうかと思えば、何だつみれではないかね」

「――あたしのこと、知ってるんすか?」

「この私が知らなければ、一体誰が知っているというのだ。ははは、冗談としては笑えるがね、いかんせん面白みに欠けているのも事実だとも」

 カーディガンを羽織った部屋着なのはいい。女性らしい躰のラインも頷ける――が、その印象を覆すような、偏光型のスポーツサングラスをかけていた。ちぐはぐだと思えてしまうのは、その言葉遣いと、女性にしてはやや低いように感じる声があるからか。

「そちらは噂のサミュエル・白井かね。私の住居に顔を出した理由については……ふむ、まあいいだろう、構わん入りたまえ。はっはっは、もてなすようなものは何もないがな」

 豪快な人だな、とちょっと内心で引いたものの、白井は大した反応もせずについてくる。まあいいか、なんて思って案内されたリビングは、なんだか接客用の応接間のようで――また、というべきか。

 ここにも、先客がいた。

「あれ、つみれじゃない」

「風華さん……鈴ノ宮で挨拶した以来っスね」

「どうしたの、こんなとこに」

「えっとね」

「まあ待ちたまえよ。二人はそちらに座れ、風華の隣だ。それと風華、詰まらんことを問うな。推理して楽しむ時間を失くそうなどと、その手には乗らん。――とはいえ、わかりきっていることではあるがね。どれ、珈琲くらいは出してやろう。最愛の旦那が出ているのでインスタントだがな」

「珍し。咲真、機嫌いいじゃん」

「長いこと顔を見せなかった女がなにを言う。ガキの頃と比べられても適わんな、はっはっは」

「……」

「つみれ、人を指さないの。ちなみに私は、学生の頃からの知り合い。こっちに戻ってきてなかったから、随分と逢ってなかったんだけどね」

「そうなんすか――あ、どもっス」

 すぐに戻ってきた咲真から珈琲を受け取り、彼女はデスクチェアへ腰かけてこちらを見る。だが、会話が始まる前に白井が軽く手を挙げて制した。

「一つ訊きたい」

「なにかね? 私の言葉を遮るとは良い度胸だが、そんな褒め言葉でも求めているのなら、筋違いだがな」

「――見えているのか?」

「え、なにそれ」

 つみれが振り向くのを気配で感じながらも、白井はただ咲真を見る。

「ほう、何故そう思う」

「先ほどから探られている感覚はある。嫌なものではない、捉えられているだけだ――が、そこに含まれるはずの視線を感じない」

「さすがは狙撃兵か、よくわかっている。風華もいることだ、構わんだろう」

 苦笑しながら、流れる動作で咲真はサングラスを外し、デスクの上に置いた。

「――」

「へえ、これまた珍し。咲真、見せるようになったんだ? っていうか、私も初めてみたけどさ」

 幾何学的な紋様が両目を繋げるよう描かれている。そして瞼は、閉じられたままだ。

「わかるかね、サミュエル」

「……封印の一種だろう」

「その通りだ。私にはこれが必要でな。しかし、だからといって見えていないわけではないのだが……それは、あとにしておこう。まずはつみれ、そちらの用件を聞こうか」

「こっちもその前に、いいっスか。あたしのこと知ってるんすか?」

「知っているとも! はっはっは、この私が知らぬのであれば、さすがに足元が疎かだと言われると思うがね。以前はナンバリングラインを利用していただろう? あれの製作者であり、統括主はこの私――朧月咲真だとも。ちなみに貴様たちは、咲真さんと呼ぶがいい」

「そう、なんすか……お世話になったっス」

「構わんよ、大した干渉をしたわけではない」

「どもっス。で――さっきまで蓮華さんとこ、その前は暁さんとこに居て、翔花さんからもいろいろ話を聞いて、これを預かってきたんすけど」

「ふむ……ああ、私にはそもそも受け取る権利がないのでな、わざわざ渡さなくてもいい。しかし、だからといって確認しないのでは愚者の行為だ。どれサミュエル、抜いて見せろ」

「やり方も知らん」

「ゆっくり引き抜け、見よう見まねで構わん」

「それでいいのなら」

 言われた通りゆっくりと、膝に乗せた刀の鍔を押し上げて引き抜く。刀身は半分ほどまで、残りは鞘に残ったまま。表面に刻まれた紋様と、その赤黒の色彩に白井は目を細めた。

「うむ、もういいとも。――懐かしい、とすら思わんが、確かに私の関係だ。その話は聞いたのかね?」

「うっス、一通り。ミュウにも話してあるんすよ」

「ならば、私から話せることは大してないのだがな――なんだサミュエル、そんなことより私の目について教えろとの催促かね?」

「わかるか」

「わかるとも。理解が及んでいるのか否かまでは察せないがな。風華、構わんかね?」

「それ、私のことじゃないし……あ、もしかして桔梗のことと繋げるつもり?」

「そのつもりだが?」

「んー、べつにいいけどね、私はもう清算してるし。口を挟むつもりはないけど、聞いているからそのつもりで」

「いいかね?」

 問われ、興味があったつみれも、一つ頷いて先を促した。

「これは私自身が刻んだものだ。武術家――否、呪術の領分ではこれを束縛の刻印ル・レギィと呼ぶ。本来は捕虜などに使う拘束を前提とした術式の一つだがね。さて、どこまで話すべきかは迷いどころだが、暁に蓮華とくれば、隠すことがそもそもナンセンスだ。昔話になるため、可能な限り短くしようではないか」

「いいんすか?」

「そういう流れを作られた以上、下手に拒否してもすぐに知られることになる。まあこればかりは、蓮華との付き合いが長いぶん、否応なくわかってしまうのだがね。――かつて、それこそ小学生の頃か、私は今の旦那と出逢い、そして別れた。その時に何があったのかは省くが、本来は旦那が持っていたものを、私は背負うこととなる」

 それは。

「魔法師としての業だ」

「――魔法!?」

「なんだ知らんのか。ふむ……まあいい、そこからだ。というか蓮華は何も話していないのかね」

「聞いてないっス……誤魔化されたのか、話せなかったのは、わからないんすけど……」

「ほう、では私の説明領域そのものを確保していた、ということかね。気が利くとは思えんなあ、あの野郎のことだから余計にな。そもそも、魔法とは何だ」

「言葉通りの意味合いなら」

 つみれだとて、そのくらいの想定はしている。

「魔術が、技術であるように、魔法は法則っス」

「そうとも。法則の内側に魔術があるように、魔法とはそもそも法則を指す。その法則を担う人間を、魔法師と呼ぶわけだ。術式と違って法式は発展がない、ただそれだけで完結してしまっている。一つしかなく――捨てることもできん。付き合い方はそれぞれだがな」

「発展もなく、捨てることもできない……単一能力と捉えていいっスか」

「大雑把には構わんよ。法式には大きく二種類にわけられる。常時展開型リアルタイム・セルと、特定限定型ピンポイント・ファイルだ。常時の方は言わずもがな、だろうな。限定の場合は、ある特定状況下のみに効力を発揮するタイプだ。――そうとも、私の場合は前者に該当する」

「……? 一人一つなら、そもそも咲真さん、背負うことになったっていうのは」

「ははは、私の場合はやや特殊な状況下におかれていたからな、致し方あるまい。だからこそ、旦那は制御して付き合えていたが、私はこうして両目を塞ぐことで対処するしかなかった。――私はな、〈意味名の使役ネイムトゥ・ロジック〉と呼ばれる魔法師だ」

 そんな二つ名は、聞いたことがない。一度制止して湖に潜ろうとも思ったが、それよりも先に話の続きを促した。

「世界という器に存在する、あらゆる〝意味〟を私は担う。意味とは存在の確定であり、いわば名と同様のものだ。武術家の流儀で言うのならば、特定状況にならなければ明かすことが許されない、普段は隠しているいみななのだろう――が、先も言った通り、制御ができん。そのため私は、視界が開けていると片っ端から意味そのものを確定し受け入れてしまうのでな、こうして瞳を閉じることでフィルタを一枚噛ませ、意識して意味を選別できるようにしている」

「あらゆる意味っスか……でも、意味なんてものは、いろいろと変化するものっスよね。それらをすべて一人で――」

「まあ待て。理解が早いのは結構だが、そうではない。法式そのものを個人が保有するのは確かだが、背負っているのが一人とは限らん。たとえば〝意味〟に関しては三名だ。私が意味を固定し、そして意味を消す者がいる。私は経験していないが、かつて旦那が遭遇してな、まあ厄介な話なのは――サミュエル、わかるだろう」

「ああ……終わりのないイタチごっこだ。固定、つまり生産に対する消失。一つの対象に生産と消失が重ね合えば、行為そのものの〝意味〟をお互いに上書きを始める」

「その通りだとも。――野雨市に唯一存在する封印指定区域、蒼の草原はその結果、内部法則が歪んだ。では、どうやって終わらせる? それが三人目だ――意味を、含有する。生産も消失も、それらをすべて含めて有ると、そう定義することで、二つの愚かな争いを沈静化することが可能だ。こうやって魔法師は、一人の存在が確定できると、二人目や三人目が確実なものとして想定できる」

「――それは、未来に対して過去があるのと同じっスか」

「いいところを突くが、甘い。そこに現在を含めなければな。……ふむ、思ったよりも私の話はすぐに終わってしまったわけだが、ここで一つ問おう。いや二つか。いいかね? 魔法師の発生は東京事変以降、爆発的に増えたのだが、これは何故だ? そして関連するのだが、そもそも魔法師とは、何故存在するのかね?」

 翔花のようにわかっていての誘導ではなく、蓮華のように当然のような確認でもない、その問いはいわゆる挑戦だ。

 何故?

 魔法師とは、世界の法則を担っている。いや、あるいは一部といっても良いのだろう、それは決して捨てることも、諦めることもできないものだ。

 しかし――先ほどから疑問ではあったのだが、魔法師の必要性とはなんだろうか。

 魔術と違って、当人の意志などお構いなしだ。半ば強制的に背負わせている。

 つまり、居なくては困る……ということか。

 ――誰が?

 いや、この場合は何が、だ。

 ふいに、言葉が口を衝く。

「鷺ノ宮……」

「ほう、そこに繋がるのかね」

「え――あ、もしかして、〝世界の意志〟に接触していた鷺ノ宮は」

「魔法師だ」

「世界って器が用意した、いわゆる実働が魔法師なんすね……でも、どうして爆発的に増えた? 増えなければならなかったのは確かで」

「魔法師が法式を使うのは、決して意図したものではないがね、担っている法式は元来、世界が所持していたものであり、器の中に在るものだ」

「あ――それは、つまり、世界法則ルールオブワールドそのものを、魔法師は担うことで、強化してる……?」

「そうであるのならば?」

「そうか、東京事変! あの時に世界規模で変異を引き起こそうとした世界の意志は、世界の器そのものがリセットしなくてはならないほど弱まっている事実に対する、一つの選択だったんすね……」

「なるほど、そこまで導き出せるだけの知識を有しているのならば問題あるまい。ハジマリの五人は知っているな?」

「うっス」

「内、三人は魔法師だ。もちろん、連中が最初の魔法師であるわけではないが、東京事変以前に居た魔法師であることに違いはない――が、わかっているとは思うがそう数がいるわけでもないのが実情だ。むしろ少ないことは喜ばしくもあるんだが……まあいい」

 目を瞑ったまま、サングラスをひょいと手に取ってかける。

「どうだ、風華。鷺ノ宮事件をどこまで覚えている」

「忘れたことなんてないよ……」

「だろうな。まず――事件の核心、鷺ノ宮邸で何が起きたのかは、言うまでもないな?」

「世界の意志の介入っスね」

「そうだ。その干渉は酷く強いものだ、東京事変という前例がある以上、より強く出てくるのは常道だろう。――久我山くがやま桔梗ききょうの話をしてやる」

「……桔梗はね、私とは幼馴染なのね」

「紫月さんの、お兄さんすか?」

「そうとも――はは、聞いているかね? 紫月は私専属のメイドをしていたのだ、羨ましいだろう。強制したことはないがね。そうした関係もあって、私と風華、紫月と桔梗はそれなりに付き合いがあったのだ」

「……あー、落ち込むわー」

「なんだ、どうした風華。何を落ち込む必要がある」

「いや、あの頃の私ってめっちゃガキだったなあって……」

「それもまた仕方のないことだろうに。正真正銘、子供だったのだからな。――久我山桔梗は魔法師であるが故に、久我山を継いではいなかった」

「待って。……そもそも、世界の意志の介入は、魔法師にとって、どんな影響があったんすか?」

「そうだな……強く自覚させられた、というのが近いかもしれん。活性化したのは事実だ。だから桔梗のような被害も出た」

 つみれは無意識に姿勢を正す。あまり楽しい話ではないのは、わかりきっていたことだ。それでも聞かせてくれるのならば、こちらも相応の態度でなければ。

「世界の記録、あるいは原初の書ツァイヒング

「――っ」

 頭痛がした。

 今日はこればかりだが、先ほどまで落ち着いていたのに、その単語が頭痛を呼び覚ます。

「ある魔法師が世界の記録を補助として記している。いわばバックアップだが――いかんせん、情報は莫大だ。背負って間もないその魔法師の補助として、更にもう一人のバックアップがついた――それが、桔梗だ」

「……補助の補助、なんすね」

「ああ。だから、言ってしまえばメインの魔法師が確定すれば、もう必要はなくなる。理由は知らんがね。桔梗は、世界の記録そのものを、脳内に蓄積していた」

「え――」

「一時的に少量ならば、忘れることもできよう。だが、鷺ノ宮事件では莫大な記録が一気に生じた。――桔梗はな、すぐにもう己が久我山桔梗であることすら、忘却したよ。いや、そうではないか……記録の中には、己という存在も確かに、記されていたのだからな」

「……そうね。結局、私のミスで――というか、最終的には私が殺したようなものか。半ば錯乱した私を拾ってくれたのが、楽園なの」

「そうだったんすね。でも――疑問なんすけど、どうして楽園は介入したんすか?」

「どうだ風華、聞いているか」

「んー、直接聞いたわけじゃないけど、少なくとも私を助けるためじゃないし……世界規模の騒乱を野雨市内だけで終わらせようって状況に、呑気に観戦するほど馬鹿じゃなかった、っていうのが近いと思うけどね」

「……実際に、ほかにもいろいろあったんすよね、当時は」

「そうだな、それなりにあった。私の夫が戻ってこれたのも、鷺ノ宮事件当時だったからな。これは逆に、世界の意志が強く出てきていたからこそ、それに紛れるようにして使えた手だが――私がやったのではなく、むしろ楽園の王の手際だろうな。もっとも、あやつだとて、ただ道を示しただけなのだが」

「譲渡……では、ないんすよね」

「私のこれは、いわゆる事故だ。かつて、つまり小学生の頃に出逢った旦那は、その時に少し面倒なことになって――消えた。消えた先は知らん、とここでは言っておこう。特に問題にはならん」

「あの、旦那さんの名前は、なんていうんすか?」

数知一二三かずちひふみだ」

「え……それって、確か、橘の分家の」

「そうとも、分家だとも。――はは、本家も含め、分家も全員、蓮華にいいように使われたがね。一二三が戻ってこれたのは、代わりに消えていった三四五みよこの決断が強い」

「代わりっスか」

存在律レゾンだ」

「――まさか、旦那さんのために、その三四五さんって人が、存在律そのものを有していた? それを、入れ替えた!?」

「ほう、知っているのかね」

「あ、うっス。心ノ宮しんのみやの同世代と、ちょっと話したこともあるんで」

「そうかね。――彼女は代替品としての自覚があった。己が人形であることも納得済みでそこに在り、一二三のために終わらせた。人としてだ、決して人形であったわけではない――と、いや、詮無いことを言ったな。忘れろ」

「どもっス。あたしとしても、当事者じゃないんで、なんとも……」

「最終的には蓮華が何かをしたらしいが、アレのしたことを把握できている人間なんぞ、そうはいまい。心当たりはあるが、口を割るとは思えんからな。あとになって調べても、せいぜい橘を上手く利用した、といった辺りの情報を得ただけだ」

「――野雨には、橘の屋敷があったみたいっスね」

「鷺ノ宮事件当時に、アブ……エイジェイが潰している。それが蓮華の一手なのかどうかまでは、知らんがな。当時、誰がいたかわかるかね?」

「橘はれいと、なな。分家は五六いずむ、三四五、六六むつれ……敬称略っス」

「ははは、気を遣わんでも聞いてはおらんだろうに。私が知りうる限り、その五人を利用して門を開いた。世界の意志への直通だ――そこで、何かをした。おそらく、桔梗の持っていた記録を利用したのだろうと推察はしている」

「なにをしたか、までは……」

「手に余る情報は得ないように心掛けている。それに、どうせ理解はできまい。私は盤上の駒だ、外側にはいないからな。――魔法師だとて、それは変わらんよ」

「そうなんすか……」

「興味があれば調べればいい。あくまでも、これは私の判断だからな。しかし、円つみれ、貴様は何故こんなことに興味を持った」

「え? あ、野雨って場所が気になったんで」

「野雨か……この場を整えたのは、ハジマリの五人の一人なんだがな。まったく呆れる――己が短いことを知りながらも、短時間でここまで敷いたのだから、呆れを通り越して崇拝したくなるくらいだ」

「どんな人だったんすか?」

「それは私の口から言えることではないな。――ああ、その刀は忍に渡しておいてくれたまえ。なあに、今日の午後ならば予定に……ふむ、まあ予定など、どうとでもなる。学園へ行って理事長室をノックするんだな」

 なあに安心しろと、咲真は笑った。

「お遣いはこれで終いだとも。そもそも、その刀は、壊れていても忍が所持すべきものなのだからな」


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