--/--/--:--――円つみれ・イヅナに騙されて
訓練の場として鈴ノ宮を使うことに抵抗はなく、演習の経過記録を渡すとのこともあって鈴ノ宮に足を向けたサミュエル・白井は、詰所でジェイル・キーアと談笑している男に声をかけられた。
見た覚えのない顔なのは間違いがない。雰囲気は明るく、むしろ軽薄とすら取れるような態度で、礼儀を気にしない白井は、あたかも知り合いのように声をかけられても問題はなかったが、しかし、何故自分に声をかけたのかは疑問として抱いた。
「よ、サミュエル。こっち来いよ、ははは、何を仏頂面してんだ。こりゃジェイルが扱いに困るってのも頷ける話だぜ」
「……なにか用か」
「用がねえなら話かけんなってか? いやいや、下を訓練で使おうってんだろ? 俺が先約入れちまったから、悪いが観客に徹してくれよ」
「それはいいが……誰だ? 俺の知り合いじゃないなら、ミルエナの知り合いか」
「は? 俺のこと知らねえの? おい、おいジェイル、ジェーイル、珈琲淹れてないで聞けよ」
「なんだクソッタレ」
「サミュエルに俺のこと話してねえの?」
「当たり前だ」
そうなのかと言いながら、男はにやにやと笑いながら立ち上がり、行こうぜと白井を地下へ誘った。その途中、詰所の野郎から――シルヴァンだ――目的の資料を受け取る。
「どうであれ俺は構わないが……」
人の話を聞かない手合いには慣れている。それどころか、自分の都合だけ押し付けるなんて人物も過去にはいたが、コツは耐えることと、聞き流すことだ。都合の良い部分だけ拾っておけば、大した問題にはならない。何故なら、そうした人物の多くは、自分が話していることの内容をあまり記憶していないからだ。
しかし、そういう手合いではないように思う。
「俺に何用だ? 様子見をされる覚えもないが」
「そうか? いやまあ、すぐばれるだろうから先に言っちまうと、俺はイヅナだ。知ってんだろ?」
「イヅナ……? ちょっと待て」
つみれから聞いたのか、それともミルエナが言っていたのか。なんだか聞き覚えのある名前だ。
「すまん、名前を覚えるのが苦手でな。……ああ、そうか、確かつみれの義父だったか? あとミルエナが酷く嫌っていたのを覚えている」
「ほかに情報は?」
「捜索専門狩人……というくらいか。俺を気にしているのはつみれの関係か?」
「お前の存在そのものだろ」
言いながらも、イヅナはくつくつと笑っている。
地下に到着するとその場は相変わらずで、先にきていた男がこちらに気付くと、肩を揺らすようにして笑った。
「はは、父兄参観にしちゃあ立場が逆じゃねえか? おいクソ師匠、呼び出しもせず待ち構えといた私に何かねえのかよ?」
「馬鹿言ってんじゃねえ、お前の行動を先読みして俺がこうして赴いてやったんだろ。サミュエルは確かに観戦だ、その方が気分が盛り上がるだろうってサーヴィスだぜ」
「――鷺城にでも頼まれたのか」
白井がそう口を挟むと、僅かに男、鷹丘少止が反応した。どちらかといえば渋面に近い。
「へえ……そこらにまで頭が回るのか。つーか少止、反応してんじゃねえよ。下手だな」
「つみれの影響もある」
「あんたと一緒にするな。まあいい……俺は少止だ、鷹丘少止(たかおかあゆむ)」
「そうか」
こちらのことを知っているなら、余計な説明が不要で楽だと思って頷き、壁に背を預けるようにして白井は動きを止めた。
「最近、よく俺のことを知っている人間に逢う。何が狙いかは知らないが、そういうことなんだろう。何をするつもりだ?」
「おう、それだ。何するんだ少止」
「わかってて聞くなよクソッタレ。――私が師匠に挑む、そういう話だ」
直後、空気の変化に白井は右手をぴくりと動かすが、それに気付いたイヅナが背中をこちらに見せながらも、手をひらひらと振る。
「気にするな――ま、たぶんな。口外は厳禁、手出し無用。いいな?」
「……ああ。自己防衛くらいはしよう」
自分も変わったものだと、白井は思う。感覚の一割程度は常に空気と共感しており、周囲の察知に余念がなくなった。戦闘に入るためのスイッチが常時入っているような感覚に、けれど疲労はない。馴染んでいるというか、上手く馴染ませることができた――というのが近いのか。
術式の反応は一つ、少止から放たれているものだ。
攻撃に入る前に気付く。
明りがあるとはいえ、暗さが目立つこの地下空間において、――少止の影が、何よりも濃く彩っていることに。
だが、対するイヅナに術式反応が一切ないのは、どういうことか。
「そういや、少止が術式を俺に使うのは初めてだっけなあ。基礎教えた頃にゃ、てめえは魔術師じゃねえって、使わなかったもんだが」
少止は言葉に対して反応しない。ただ、己の影をゆらゆらと揺らしながら、両手をだらんと下げた自然体のまま、イヅナから視線をそらしてはいなかった。
そこから始まった戦闘は、白井にとって目を見張るものであり、警戒をすることすら忘れてしまうような――言い換えれば、戦闘と呼べるものですらなく、それは。
それは、素人の喧嘩に似ていた。
蹴りを一つとっても、一本の線を意識した回し蹴りや、重心を利用した足払いなど、そういったものではない。イヅナはただ、足の裏を叩きつけるようにしているだけで、それらがどういうわけか、吸い込まれるように少止に当たる。
拳は握らない。いや、握ることもあるが、当ててはいない。だったら掌底なのかと問われれば否で、ほとんどが肘や肩などを中心に攻撃をしている。そして、何よりも行動そのものが異質だった。
速くない。強くない。ただ、攻撃が避けられていないだけだ。
決して、少止が弱いわけではないのだろう。おそらく、白井が少止と対峙して戦闘に入ったのならば、少なくとも今の白井にはどちらが最後まで立っているかが想像できないほど、レベルは高い。事前情報で狩人だと聞いていなくとも、そのくらいはわかる。
だったらイヅナは?
正直に言おう、内心を吐露しよう。
速さは上回っている。攻撃手段も白井の方が多いだろうし、力比べでもせいぜい互角――少止と違って、勝てる要素があると思えた。
あとになって気付けば、それはただ思わされているだけのことで、結局のところそこも含めて騙されていただけなのだが――それでも。
それでも、勝てる要素があっても、敵わないのだと情報を総合して白井の中の経験がそう判断した。
直感する。
圧倒しているイヅナはまだ、戦闘なんてものを行っていないと。
喧嘩? 確かにそう見えるが、そういう問題ではない。おそらく、素人の喧嘩を演出しているわけでもないのだ。
遊んでいる。
それだけの実力差があるのか――。
そう判断してしまう白井を責められはしない。何しろ、相手を騙すことだけに専念しているイヅナが、戦闘そのものを台無しにする動作を基準にしているだなんて、誰が想像できようか。
逆に、少止の動きはわかった。念入りなフェイク、偽装、そこから相手の反応を窺う、いわゆる騙すための動作を白井は、すべてとは言わずとも読み取れた。おそらく、対峙していたのならば、もっと多くを知ることができただろう。だから、少止の動きそのものも、なるほど騙して相手を混乱させる手合いかと、理解できた。
つみれに似ている、と。
そう思えてからようやく、本当の意味で、イヅナには手が届かないことがわかった。
騙そうとしても、騙し返されている現実を、ようやく受け入れられたのだ。
術式を多用したところで、その手数を上回る予測。その上で、自分の領域に引っ張り込むための手段。それは技術であり、経験だ。
――そうして。
最初で最後、イヅナの右の掌が少止の腹部に吸い込まれた。
「――!」
呆然とする。
一撃、その姿だけ見れば美しく、左足を踏み込んで躰を右側に捻り、その捻りを開放する動きで右の掌底を突き出した攻撃。その速度は瞬きの間に行われ、けれど下半身は踏み込みのまま停止している。速度を売りにしている白井ですら、速すぎると――認識が追いつくのが終わってからだったと、忸怩を噛みしめたくらいだ。
そして、何よりその効果。
あろうことか少止はそのまま宙に浮き、床から近い位置を二十メートルも吹き飛ばされて尻をつき、跳ね起きる動作で両足がつき、そのまま転がって停止したのが、三十を越えたあたりだ。
動かない。
いや、動けない。
背後に自分で飛ぶ真似はできなかったはずだ。何しろ、一撃を受けた瞬間、両足はもう宙に浮いていたし、背後に飛ぶことができるのは、せいぜい五メートル前後であり、それ以上の衝撃は緩和できない。
評価は。
「だらしねえなあ」
汗一つ掻かないイヅナは頭を掻き、こちらを見た。
「つみれにゃ、基本的に何も教えてねえけど、どうよあれ。俺の癖とかついちゃってるって聞いてんだけど?」
「あ、ああ……いや」
そうでもない、と言うしかない。現状を見れば、つみれなど、真似事ですらないように思えてしまう。
「――あんたは化け物か」
「おいおい、俺なんかが化け物だったら、俺より上にいる連中はどうなんだよ。それに、師とは言われてるけど、少止にゃほとんど教えてねえんだぜ? 加えて、俺だって鷺花ちゃんには手も足も出ないからな、覚えとけよ」
「手合わせしたいものだ」
「いいぜ?」
気軽に、イヅナは言う。
「まだ少止も立ちあがらないし、こいよ」
「そうか」
ならば胸を借りるとしよう。
壁から背を離しながら、手にした資料を床に落とす。そして、ため息で隠しながら息を吐いた。
術式の制限はないのならば、隠密性も上がる。共感の割り振りはナイフ三、空気七、その上で白井は、全感覚を意識下において踏み込みを行った――いつもの行動だ。
いつもの、暗殺の技術。
まずはここから始める。特に状況指定がなければ、これが最速を叩き出せると理解しているからだ。
妨害はなかった。
イヅナの背中が見える。
見えたと思った直後には既に振り上げられた左手が首に突き立てる動きをとっていて、それをすべて意識できているのならば、上手く馴染めていると思う。速度に衰えは感じなかった。
ナイフが当たる――そんな確信。
そうだ、確信を抱いた。確実に手ごたえがあるだろうと、意識した。
「――っ」
まずい。
そう思うのと同時にもう、白井は息を思い切り吸いながら、右手で左の手首を叩くよう強引な制動を行いながら、足をもつれさせるように横の壁に向かって転がった。
呼吸が荒い、腰を低くしたまま立ち上がるものの、腕の筋を痛めたのかナイフが床に落ちる。
イヅナから僅かに視線を切るようにして少止を見た白井は、よくこんなのを相手にして、あそこまで持ったものだと、そんな感想を抱いた。
冗談ではない――。
イヅナは、何もしていない。いや、してはいたのだろうけれど、攻撃的な意図は一切なかった。
「お、立ったなら続けるか?」
その声は、白井ではなく少止に向けられていて、安堵をした自分に舌打ちを一つ。
情けない。
違和感、まずいと思えたのは、ナイフが当たる残る一センチの地点でのことだ。
二秒である。
一センチの移動にかかる時間は、一秒に満たない。それこそ高速移動を加算させたところで、刹那と、そう表現しても問題ないはずなのに、しかし。
二秒、かかった。
おそらく、イヅナが前かがみになったが故に、距離が長くなり、到達時間が伸びた――と、冷静に考えれば、それだけのことだ。
それだけのことを再現するのに、どれほどの技量が必要だろう。
たとえば、ナイフを突き立てる瞬間に倒れたのならば、すぐに違う行動を選択しただろう。そのタイミングが早ければ早いほどに白井の行動は選択を増やしたし、遅ければ突き刺さっていたはずだ。
二秒経過しなくては理解できなかった現実がある。つまり、イヅナはこちらのナイフ速度に合わせて、やや前傾するように間合いを外してきたのだ。もちろん、前傾したのだから、直線距離が増加しただけで、回避行動にはならない。
では何故?
一センチ。
そして、白井の速度。
それを加味した上で、回避だろうが迎撃だろうが、その距離でも、どうとでも対応できるタイミングであった――そんな事実だ。
だから、白井は追撃を恐れた。反撃を避けた。以上の対応を見たくなかった。それ故に逃げるよう、こうして転がって距離を空けたわけなのだが。
少止は挑む。まだ足りないとばかりに。
化け物だ、と改めて思いながら、ナイフを拾って足首に戻す。
良い経験になったと言えるほどに相手のことは理解できないが、しかし、それ以上に己の未熟さに情けなくなる。
どうすればいいのか。
いや、どうしたいのか。
白井は未だに、その答えを見つけてはいない――。
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