--/--/--:--――円つみれ・直接対決
「今の――じゃなくて」
ゆっくりと白井は立ち上がり、のんびりとつみれは腕を天へ突き出すように躰をほぐしながら言う。
「かつてのミュウを見てみたいな」
「――今の、ならばいつでも見れるからか」
「そゆこと」
「ギャラリーが多い」
「困る?」
「いいや」
「ならいいじゃん」
その通りだ――。
つみれの足が停止し、振り向く。その動作の隙間を縫って接敵、低姿勢から立ち上がるようにして背後、その首筋にブーツから引き抜いたナイフを。
――なに?
いつもの動き、いつもの動作。いつも――というよりは、既に馴染んだ一連の動き。澱みもなく、染みついた、変えようのないその行動を起こしてナイフを軽く振りかぶった瞬間、気付いた。
ずれている。
位置が違う。
このまま振り下ろしても肩に向かうだけだ、そう思った瞬間にぴたりとナイフを持った手は停止し、その時には既につみれの背中が動いており、的は完全に外れていた。
まずい、と思う。
一撃目が決まらなかった相手は往往にして、反撃されるのが常だ。離れた方が良い、その判断は正しい。何しろ白井の行動は一撃必殺を念頭にした、暗殺に似たナイフ技術なのだから。
離れようとしてつんのめる、抵抗が生じた。何が起きているのかを探るよりも早く、一瞬の硬直を迷わずほどくようにして、白井は躰が倒れるに任せる。肩越しに振り向こうとしていた、つみれの肘が半円を描くように宙を切った。
柔道でも使う技術だ。人は、倒れようとする自分を、支えようと力を入れる癖がある。だから、重心が背後に倒れた時は軽く肩を押してやり、すると人は躰を前へと動かすから、無防備な顔の横から攻撃できる、というわけだ。
では原因は?
つみれが回転の支点にした足が、白井のブーツの隅を踏んでいるのだ。
直接足を踏んではいない。外周に近い本当に隅であったため、つみれの回転運動で離れる。白井は背中が地面につく前に右肩を当てるような回転で姿勢を正そうとする前に、腹筋に思い切り力を入れて上半身を起こす。
追撃の蹴りは、それで回避できた。
右手が地面につく、そのままつみれの軸足を蹴るが既につみれが飛んでおり、強引に制御して停止させれば、つみれが再び着地する。止めなければ踏まれていたのは確実だ。
勢いを復帰させて蹴ろうにも、つみれは一歩退いている。
――足りないな。
立ち上がる動作を、つみれは見送る。一度背を向けたのに、踏み込んでこない。それが白井の誘いだと気付いていたからだ。
「ははは、楽しそうじゃないかミュウ!」
僅かにつみれが踏み込みの気配、それに応じるよう白井は正面から行く――が、気配だけ。やや前のめりになった重心が、ふらりと横に逸れる。だが、その方向ならば白井の狙い通り、踏み込みの際に蹴り飛ばした小石が向かっていた。
どちらかは、わからない。
最初からそのつもりだったのか、あるいは小石に気付いたのか――そして正解は前者だ――横移動を見せたつみれは、一歩を踏み出しもせず停止している。上半身だけの誘い、それに気付いたところで接敵までは一秒を切っている現状、どうしようもない。
たぶん、つみれは何かをしている。だが、それが何なのかがわからない。
地面を蹴って、予定通りに真横へ移動するが、つみれはそれに合わせるよう躰を動かしている。
――背中。
逆だ。
こちらを見ていると思ったのに、背中を見せた。
横移動からその背中に――向かおうとする己を制御して、そのまま大きく距離を空けた白井は、真横に手を伸ばして背後付近からミルエナが投げた自動拳銃を手に取った。
「ペイントだ」
「……わかっている」
逡巡してから、白井はなにか思考している様子のつみれを視界に収めながら、停止していた呼吸を復帰させて答えた。
「どうした?」
「切り替えたかっただけだ。……いや、違うか」
意識だけは切らさずに深呼吸を一つ。
「たったこれだけのことで、俺が問題としていたものを解決されたことに、ミルエナはどう思う」
「簡単に五文字で言ってやろう。クソッタレ、だ」
まったくの同感だったので、初弾を装填する。
そして、踏み込んだ白井は――結果的にそのまま、地面に転がされてから、立ち上がる。つみれはほとんど何もしていない。接敵時に足を引っかけられたわけでもなく、自ら転んだような形だ。
確認したのである。
――やっぱりか。
つみれは最初の接敵時には既に、白井の癖を見抜いていた。いや、癖というよりも反射に限りなく近いかもしれない。
暗殺技術というのは、基本的に形が決まっている。もちろん汎用性はあるし、状況に合わせて変わるものだが、基本は一撃必殺だ。それは白井の躰に染みついており、狙いを決めるよりも前に躰が動く。
習性だ。
攻め気を感じたら、それを逆に利用して攻める。
守る気ならば、それを突破して殺す。
右足を上げるためには膝、太もも、股関節を使って上げ、足首を進行方向に向けて踏み出すためには、力をやや前方に投げて――などと、考えて歩く人間がいないのと同様に。
白井はそれを、意識するまでもなく行っていた。
それをつみれに利用されたのだ。
意識していない部分に変化があった。
踏み込みの際、小石があったのならば、その大きさによっては避けるだろう。本当に小さければそのまま踏みつける。
そこに、小石のようつみれの足があったら?
それを意識して、認識していれば踏んだだろう。あるいは蹴り飛ばしてほかの行動に移ったかもしれない。しかし、認識していながらも無意識だったのならば、それは小石と同じ扱いになってしまう。
その結果として、踏み込みの位置がずれる。
何よりも面倒なのは、そんな布石を残しながらも、つみれの行動そのものは、白井の予定や予想とは違うものになっていることだ。むしろ、無意識部分の操作のために、あえてつみれ自身を意識させるような行動になっている――というのが近いか。
意表を衝く、というよりも。
本筋となる攻撃の一手を隠しているか、誤魔化しているのに近い。
何故か?
それは簡単だ、白井でも答えが出る。
役目の違い――簡単に言ってしまえば、本格的な戦闘の領域における、戦力としたのならば、技術も経験も白井が上回っているのは、少なくともミルエナと白井、そしてつみれは知っている。
だからこそ、その領域は作ろうとしない。作った時点でつみれの敗北は決定しているからだ。
しかし、どうすればいい?
白井は防戦に回りながら、思考を止めない。身動きを封じ、枷を作るつもりで体力を温存しながら、長期戦を見通すつもりで、攻撃に出ず防御へと専念しながら考える。
今、つみれは攻撃に出てきた。
間違いなく、白井が今、まさに、戦闘の領域ならば自分が勝ると、それを確認したからだろう。確認し、つみれも認めていることを理解し、だからこそ、戦闘の領域にしてやってもいいとばかりに、攻撃をしている。
乗ることは可能だ、すぐにでもできる。けれど、乗ってしまえば――つみれはまた違う姿を見せ、先ほどのように手玉に取られる可能性があった。
可能性だ。
まだ確定はしていないが、同じ失敗をするのは馬鹿のすることだ。
――習性を封じるか?
躰の行動をすべて意識下に置けば、それはできる。できるが、今までと同じ速度は出せない。夜笠夜重と戦闘訓練をした時だとて、思考よりも先に躰が動いていた実感がある。そうでなくては速度を出せないし、速度に合わせる思考を持ち合わせていたのならば、今こうして防御に回ってはいない。
だとしても、これも一つの課題だとしたのならば、やらなくてはならない。
呼吸を感じる。その上で、全身細胞末端までを意識下に置くために、感覚に委ねるのではなく意識そのものに躰を委ね、共感する。そして――。
踏み出そうとしたら、ばたんとつみれが地面に倒れた。なんだ意表を衝いて何かするのかと思えば、仰向けになって呼吸を荒げている。
「あーもーむりー」
「……」
そういえば。
「ハードワークか……」
訓練後に更に躰を動かしていたんだなと、白井は肩の力を抜き、拳銃をミルエナに投げて渡す。白井にとっては余裕があっても、つみれは初めてのことだったろうし、体力に差があるのはわかりきっていたことだ。
物足りないが仕方ないと思い、水を取りに行く。
「ミュウ」
「なんだ、ミルエナ」
「無意識か?」
「そうだ」
「いつ気付かれた」
「初手だ――と、思う。ミルエナ、俺はつみれのために、何をしてやれる?」
問うと、ミルエナは肩を竦めるだけで、返事はしなかった。
こうして手合わせをしても、日ごろの生活の中にだとて、つみれの影響は多くある。依存しているつもりもないが、新しい発見を提示されるのは、間違いなく白井からではなく、つみれからだろう。
まだ、白井はそれを返す何かを手にしていない。
今はただ、疲労したつみれに水を渡すくらいが、せいぜいだ――。
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