--/--/--:--――円つみれ・逆手順
訓練開始から二時間。
参加人数は、特別部隊の五人を除外すれば侍女八名、詰所二十名で死亡扱いとされたのが十二名。中立扱いの人間が救助隊と称して弾薬の補給などで動いたのが既に三度――その間の制約もあるにはあるのだが、全体の流れとしては早い、その一言に尽きる。
ちなみに死亡扱いの十二名の内訳は、侍女三人に野郎九人だ。彼らは最初、お互いの失敗を反省会として話し合っていたが、今は山を下りた駐車場を使って走ったり、トレーニングをしたりと、躰を動かしていた。
そこの仮設テントの中、マリーリア・凪ノ宮・キースレイは無線が発信する信号から全体の動きを示すディスプレイを見ながら、手書きで進行をメモしていた。これはあとで清音に提出するし、参加者以外にも配布されることになる。つまり本部統括の役目だ。
もちろん、マーリィだけではない。術式で全体把握をしている侍女もいるし、侍女長と詰所の部隊長もこちらで状況を見ていた。この間、鈴ノ宮邸はほぼ無防備な状態にもなるのだが、そこはそれ、そもそも鈴ノ宮において防御など最初から必要はないのである。
そんな中、ふらりとやってきたのはジェイ・アーク・キースレイだ。欠伸を噛みしめながらの来訪だが、時刻はもう十時を過ぎている。そういえば昼用の物資は届いているのだろうかと、侍女長に確認だけしておいた。
「おはよ。やってるな」
「父さん、もう陽は随分高くなってる。どうしたの」
「暇だったんだよ」
「母さんは?」
「
どんな感じだと、隣のパイプ椅子に座ったジェイは、そのまま流れる作業で重なった紙をぺらぺらと下の方から順番に目を通していく。
「え、読める?」
「軍の進行表と変わらんだろ。知ってるんじゃないのか? 俺、一応は大佐扱いで軍部にいたんだからな。こういう訓練の記録も読み慣れてる――が、珍しいな。昼までに終わらせないといけない事情でもあんのか」
「まさか。交戦数は過去の事例の中に一つ二つはあるレベルだけど、被害数はちょっと稀かな。父さんはどう見る?」
「てっきり、既に交戦中の現場に増援が送り込まれた結果かと、そう感じていたところだ。心の準備もできないまま、状況に押されて現場入りすると、よくこうなる」
「ああ、右も左もわからないってやつ?」
「いや――」
最新のものまで読み終えてから、もう一度開始から紙をめくる。
「右と左しかわからねえんだよ。ともすれば、自分たちだけ孤立したような錯覚を受ける。攻められる側にしてみりゃ、孤立していることに自覚できるが、攻めてる側はそうでもねえ」
そういえば演習記録でも、たまにこういう事態があったなとジェイは思い出す。過去の戦場記録も含めて、それらを読んで評価するのも一つの仕事だった。
「連中は目に見える、今の状況に対応しなくちゃならねえ。銃撃戦が始まれば、対応しねえって選択肢が抜け落ちる。それを判断できる部隊長がいるとも限らん。俺はまず突破して落ち着けと教えてきたし、サギなんかは眼前を意識する前に第三者の存在を常に気に留めろ――と教えてたが、まあ実戦できるのは槍の連中くらいなもんだな。トコなんかはそれを学習するだけのために、十回以上は翌日動けなくなる日があったくらいだ」
「兎仔が……? 私、一応サギのこと知ってるつもりだけど、そんななんだ」
「あいつ、基本は口で言うだけだろ」
「そう。厳しいこと言うけどね」
「それが育成のための訓練なら、話はべつってことだ――と」
三度目を読み終えたジェイは、ようやく視線をリアルタイム進行のディスプレイを見てから、マーリィの手元に視線を落とした。
「G1が戦場を作ってるな。誰だ?」
「その前に――これができる知り合い、いる?」
「この程度の芸当なら兎仔にだってできるぜ。何が起きてるのか理解してるか?」
「同士討ちの演出じゃないの、これ」
「ん……ああ、そういう見え方か」
「違う?」
「当たってる。ただそれは、結果な。あとでじっくり読み返せばわかるから言っちまうと、こいつは挟撃を〝攻撃〟として使い、攪乱を〝防御〟として使う簡単な意図だ。その中で、連中は戦闘を行っているに過ぎない」
「G1が、戦術としての攻撃と防御を行っている領域に、ほかが引っ張られてる?」
「繰り返すが、連中に自覚はねえよ。いや、わかっていたところで対応できねえ。戦闘の最中に、元凶がG1だから手を組みましょうって言って承諾する馬鹿はいねえだろ。それよか目の前の敵を一人減らす方が先だ。そのあとで充分に間に合う――と、思わせるのは、そもそもG1、いやゴルフ部隊の戦果そのものが少ないからだろうな」
「そうだね。二人……くらいかな?」
「それも、騙し討ちに近い」
「今、ほぼ乱戦状態に突入してて、補給そのものも届くかどうかわからない状況だけど、G1は何を狙ってると思う?」
質問ばかりだなと苦笑したジェイは、煙草を取り出して席を立ち、風下になる逆側の椅子に腰かけた。
「さすがに狙いまでは――まだ、わからん。ただ、もう二時間なんだろ? 多少の休憩を挟んでいたところで、運動量が多すぎだ。フォローする連中もいないとなりゃ、そろそろ落ちる……が、ゴルフは除外されねえんだな」
「スペシャルなの」
「ふうん?」
「父さんが現場入りしてたら、どうする?」
「乱暴な手を使わない前提なら、逆手順だな」
「――逆手順?」
魔術の研究において、その単語はよく出てくる。本来ならAからDまでを流して一つの結果を作る場合、逆手順を踏むことで、Dから始めてAを作ることが可能となり、それが理解と汎用性を促す結果になるからだ。
けれど、だったらこの場合は?
「挟撃と攪乱、その基本戦術を逆に使う。いわゆる騙し討ちを、正常なものへ戻す作業だ。その動きが一つでもあれば、追撃と撤退なんていう根本的な思考に気付いて、一時でも足を止めれば冷静さが復帰する」
「だったら、現状のG1は、状況そのものを作ってからは、その因子を潰して回ってるってこと……か」
さすがに現状では詳しく読み返せない。進行記録というのは、文字通りリアルタイムなのだ。ジェイに言われなくては気付けなかったことも多い。
「まあ心配すんな、こんなのは下手な部類だろ。当事者にしたって、試してる――くらいな心意気だと、俺は思うぜ」
「いやあの、それなりに翻弄されて除外されてんのがいるんだけどね?」
「そりゃ錬度っつーより、状況の問題だ。指揮官もいねえなら、現場で判断するしかない。けど、海兵隊じゃ現場の兵に判断させるな――なんて言葉もある。兵は兵らしく、言われたことをやっとけって意味だが」
「……魔術師じゃない顔の父さん、初めて見たかも」
「馬鹿、いつだってマリーリアの前じゃ親父の顔をしてんだろうが。それに、俺だって家に引きこもってばかりじゃない――風華は知らんけどな。で、誰だよコイツ」
「つみれ」
「……は?」
「だから、円つみれ。ゴルフの残りは、芽衣が訓練を見てやってる四人」
「――そういうことか」
どうして、フォセと鷺花の訓練の場に円つみれがいたのか、これではっきりした。
もう一度、記録をざっと見直せば、すんなりと理解できる。
「ったく……」
「え、なによ」
「経験が足りてねえって話だ。人を動かすことも、場を作ることも含めてな。この程度じゃ、それこそ意図を読める駒が必要だ。……ま、これを作戦じゃなく策として捉えるのなら、話はまた違うのかもしれねえが」
可変する状況を大きく囲うのは良い。しかし、囲いの中で作った状況に対し、維持をするために可変を是正するようにして動くのは、未熟な証拠だ。
これが作戦ならば、まあいいだろう。けれどその場合、自身が動かなければ状況を作れていない、と証明することにほかならないが。
これが策ならば、まだ結果は出ていないことになる。何故ならば、策とは布石を打つために動き回るのであって、状況が動き出したらあとは結果が出るまでほぼ何もしなくても進むのだから。
「もうちょいゴルフを上手く使えるといいんだが、それだけの思考もないか。先読みが甘いな……となると」
「狙いはたぶん、わかるよ?」
「言ってくれ」
「つみれの同僚に、サミュエル・白井とミルエナ・キサラギがいる。それぞれべつ部隊に配属されてるから」
「ああ、あえて仲間を外しておいて、動向を探りながらも潰す一手か。しかし、それだったら尚更、意識し過ぎだろ……」
「――あ」
「どうした」
「C5……サミュエルが被弾した。つみれも近くにいたけど」
「たぶん、それも騙し討ちだ。真正面から堂堂とってスタイルじゃねえのは、イヅナの影響もあるんだろ。上手く嵌れば、混乱に落とすことはできるし、深読みに誘うことも可能だ」
「……父さんってべつに、策士ってわけじゃないよね?」
「ねえよ。ただ、蓮華を知ってるだけ」
「蓮華さんはなあ、そういう話まったくしてくれないし、過去の記録は読んだけど、それだけじゃわからないことも多いし、連理もそういうのまったくだし――あれ、G1被弾だ」
「逆手を取られたんだよ」
おう、と背後からの声になあにとマーリィは応じる。部隊長は無線機を片手に、どうやらゴルフ部隊はこれ以上の継続を困難だと判断して降りる、とのこと。下山を指示したらしい。すぐに戦死扱いの記録を取り、注釈を入れておく。
「さて、こっからどうなると思う?」
「え? つみれがいなくなったなら、正常化するんじゃないの?」
「馬鹿――円が引っ張ってた領域がなくなりゃ、地引網を途中で手放すのと同じだ。引き継げる頭があるヤツがいねえなら、こっからの記録は忙しくなるぜ」
「そう――うっわ!」
一気に二人脱落したのを見て、やや書く手を早める。それを横目に見ながらも二本目の煙草に火を点けようとしたジェイは、狙撃銃を肩に提げて降りてきた白井に声をかける。
「サミュエル!」
なんだ、と言わんばかりの視線が向けられるが、軽く手招きをすると近づいてきた。
「なんだ」
「円の思考は読めたか?」
「いや」
不躾な問いだったが、白井はさして気にすることなく首を横に振った。
「狙いが俺か、少尉殿か――それも、結果が出るまでわからなかった」
「なるほどな。だから、そのつもりで単独行動か」
「部隊員としての仕事はしている。その上で対処しただけだ」
「逆だったら?」
「可能性は低い、おそらく俺にくるだろうと思っていたし、少尉殿も同様の考えだろう」
「言葉を交わしたのか」
「いや、べつ部隊の敵と呑気に会話をする必要はない。ただ、少なくとも俺が意識しているのならば、少尉殿も同様だと考えた」
「だとして、そうじゃなかったら?」
「つみれの一人勝ちで、俺の訓練不足。それだけだ」
もっとも、現状であっても足りないと感じているのは確かだ。なにしろ、自分を餌にしてつみれを誘き出しはしたものの、倒されたのは実際で、その隙にミルエナがつみれを潰したに過ぎない。
考えられる限り、本来ならば白井とミルエナが生存してつみれだけを逆に潰せたのならば、最高の戦果だったろう。
「なるほどな」
「……なんだ」
「着弾は左脇、お前は左利き。ペイントの広がりからして至近となりゃ、接近を許したのかと思ってな」
「許した覚えはない、――隙間を抜けられただけだ。それは俺の隙であって、少尉殿の隙じゃない」
「作ったのか?」
「俺がそれほど器用に見えるなら、眼科に行った方がいい。それか薬局に行って、船酔い防止の薬を一ダース買っておけ」
「ペンキ屋の知り合いはいねえな」
「そうか」
ちらりとマーリィを一瞥した白井は、そのまま詰まらなそうに隣へ移った。
「クライン」
「あ? 部隊長って呼べよクソガキ。で、なんだ?」
「右利きで、直立した時に少し右に傾く近視野郎に言っておいてくれ。――てめえの相棒を雑に扱い過ぎだってな」
「ん、ああ……」
狙撃銃を突き出すように返却した白井に代わるよう、やや急ぎ足でつみれがテントにきた。被弾位置は右鎖骨付近の裏側だ。
「進行記録ある?」
そっちだと、ジィズ・クラインが指すと、ようやくつみれはこっちに気付き、やや照れたような笑みを浮かべた。
「キースレイさん、いたんだ。っていうか、マーリィさんが記録してたんだね。ごめん、経過見られないかな」
「今すぐ反省会か?」
「内部で行動中に、俯瞰して全体を把握しきれないってわかったのは、今回の収穫の一つ」
「ほれ」
紙を渡すと、すぐにつみれは読み始める。その表情は真剣そのもので、遅れてやってきたほかの部隊仲間には視線すら投げなかった。
「――この記録、複写してもいい?」
「いいわよー。どうせあとで、プリントして配布するから」
一気に六人ほど減った戦場を見て、余裕ができたからマーリィが返答をすると、頷きが一つ。
「外部に出していい?」
「巻き込める相手が選べるのならご自由に」
「ん」
ダッシュでジープまで荷物を取りにいくと、またダッシュで帰ってくる。あれではダウンにならない。運動後にスプリントをしているようなものだ。
「まだ余力があるじゃねえか……」
「んー、うん、どうなんだろ、うん」
完全に聴き流し体制でタッチパネル形式の携帯端末に小型カメラを接続して撮影に入る。今時の市販品ならそれなりの解像度のカメラが付属しているのだが、使い勝手を考えた際に、専門とする人間は邪魔だと感じることが多い。そのためこうして、別途用意するのが主流だ。
もっとも、その考え方はどちらかといえば狩人に近いのだけれど。
自分が被弾した場まで撮影が終わると、今度は片手用のキーボードを取り付けた。どちらかといえばテンキーに近いものだが、画面にタッチするよりも作業ははかどる。しかも自分の手に合わせた自作品が見てとれたジェイは苦笑の顔だ。
「作ったのかよ」
「んー、普通は作るっしょ」
「いや普通じゃねえし。誰に送ってんだ?」
「蓮華さん」
「――」
「ずっと考えてたんだよね、蓮華さんならどうするか……で、結果として想像できなかったから、あとでちょっと指してもらおうかと思って」
向こうからの反応があったのか、しばらくキーを叩いていたつみれは、数分の時間をおいてふいに、顔を上げた。
「――え? なんの話だっけ」
「大した話はしてねえよ」
「そっか。それならいいけど……ミュウとミルエナの連携を見落としたのは失敗だったなあ。うん、それだけ意志の疎通ができてるってことで、それはそれで良いとしといても――」
手元の端末に視線を落としたつみれは、口の端を僅かに歪めた。
「――戦場を動かしていた、なんて口が裂けても言えない結果か」
「そうだな」
「銃の練習もした方がいいかなあ……っていうか、こんな慌ただしいとは思わなかったよ」
「待て。……まさかお前、今回が初めての戦場入りなんて言わないだろうな」
「え、そうだけど」
呆れた。
初陣の戦果としては、間違いなく良い部類に入る。加えて、白井やミルエナはこうした経験があるだろうし、なかったとしても対応できる人種だ。
上出来だ、と口に出さないのは、本人がそう思っていないのがわかるからだ。そうでなければ、次は上手くやれと良好な言葉を続けたいくらい。
ただ、抱え込み過ぎだと思うのは、間違いではないはず。このままではいずれ潰れ――。
「つみれ、飲め」
「あんがと」
いつの間にか近づいてきていた白井が、飲料と携帯食料を渡す。それから椅子に座るよう視線で示した。
――なんだ。
一人じゃないなら、潰れることもないか。仮に潰れたとしても、その時は一蓮托生だ。
「ははは、いかんなあ、つみれがいなくなったと知ったとたんにこのザマだ、気が抜けてはままならんな、うむ」
「楽しそうじゃん」
「そうとも! ははは、してやられたなミュウ。どうだ、後手に回されるのをどうにか解消しなくてはいかんだろう?」
「考えているところだ」
「うむ、ならばいい――む、なんだ、キースレイ大佐殿ではないか。言っておくがここは軍部の居残り訓練場でもなければ、退役軍人が始めるアンティークショップとも違うが、知っているか?」
「うるせえぞミルエナ。つーか、少尉ってお前だったのかよ」
「あ、それだ。ミュウもそろそろ、その少尉殿っていうのやめたら?」
「人の名前は面倒だ……」
「そう言わないの。ミルエナで覚えなおせばいいじゃん」
「それもそうだな。私としてはミュウを余所と違う扱いになって久しいわけだ、ミルエナと呼んで貰って構わんぞ。ははは、それとも照れいるのか? まったく可愛くないからやめ――」
「少し喧しいな……」
言葉を遮るように手を振った白井が投げた模擬短剣を、外側に弾くようにしてから、巻きつけるよう手元に落とす。
「わかった、わかった。ミルエナでいいんだろう……間違えても文句は言うな」
「うむ、いいとも。しかしだ、ナイフを投げられた私がむしろ、白旗を上げる流れのような気がしなくもないがな。まあいい、それでジャックは何をしてるんだ?」
「娘に逢いにきただけだ」
「はて、こういう時にどういう反応をすべきだろうな」
「ペンキ屋に知り合いはいないそうだ」
「難しいな……」
「マリーリア、こいつら馬鹿だろ」
「さあ、私も付き合いがあるわけじゃないし。芽衣とは遊ぶけどね」
「ははは、そう言うな。問うてはみたが、それほど私の中で重要ではないと気付いただけだとも」
「ミルエナはとりあえず、補給と装備返してきなさいって」
「うむ」
テンション高いと面倒だねえ、と言いながら、ようやくつみれは携帯端末を手荷物の中に戻した。
「あー……こんなに動いたの久しぶりだあ。義父さんと遊んだ時くらいかも」
「疲れているか」
「うん、疲れてる。だから――」
立ち上がったつみれは、携帯食料を口に入れて、言う。
「やろうか」
「ああ」
まるで、そうするのが当たり前のように。
その言葉を望んでいたかのように、白井は立ち上がった。
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