--/--/--:--――円つみれ・たった一つの許可

 厳しい戦闘になるのはわかっていた。

 防戦一方である。

 攻撃の素振りは見せるが、白井では届かないことを証明するように行い、相手の反撃をどうにか防御可能なぎりぎりなレベルにまで身体能力を落とす。そうすることで、こちらが耐久度だけが自慢であると錯覚させ、状況を長引かせる――それこそが、現状を打開するために白井が得た選択だ。

 二対一では、捕縛できない。それは戦闘が始まってすぐに理解できた。となれば、現状を打開するためには、第三者の介入が必要になる。とはいっても、ぎりぎりまで粘って、それでも何も変わらなければ、さすがに踏み込まなくてはならないが。

 ――それにしても、随分と上質な薬だ。

 軍人の行動は見慣れたものだったが、研究員の方はそうでもない。しかし、圧倒的とも思えるほどの身体能力の向上が、子供の喧嘩のような動きであっても致命傷になりうるため、先読みが難しかった。

 五感の上昇もある。小隊全員に使わせれば、指揮によっては大隊であっても壊滅可能なレベルだ。白井の知っている薬とは雲泥の差だが、問題は価格だろうと、戦闘をしながら別のところに思考を割く。それくらいの余裕はあった。

 兵隊を一人、前線で使えるようにするのには、訓練をしなくてはならないし、訓練にも金はかかる。それでも前線では消耗品の兵士だ、となれば最初から子供兵器の一人でも買った方が安上がりにもなるし、だからこそ、そんな商売が成り立っているのが現状だろう。

 夜間任務用の薬や、狙撃兵ご用達の視覚向上の薬――これらは有名過ぎて語るまでもないのだが、それにしたって金はかかるはずだ。なにしろ、効果が薄ければ意味がなく、効果が高すぎれば、今度は沈静薬も必要になる。

 あとは、持続時間の問題だ。現状で少なくとも二十分、相手は追加の薬を使っていない。

 一体いくらになるんだと、疑問を抱きたくもなるだろう。しかし、白井には、それを採算が合う値段で、どこに売りさばけばいいのかまでは思いつかないが、少なくともどこぞの軍部と癒着しているのは間違いあるまい。あるいは、これから密接なつながりを持つのかもしれないが。

 となると、つみれやミルエナの相手は軍そのものかもしれない。さすがに相手が多すぎやしないか――そんなことを思っていると、電子音が白井のポケットから響いた。

 意識を取られる――振りをする――両腕でガードした拳に乗った威力が、そのまま白井を吹き飛ばした。その背後にあるのは連中を捕獲しておいた部屋、壁は簡単なパーティションだったため、壁を壊して内部へと入ることとなった。

 計算済み、だ。

 場所の移動など、いやいや、場所の把握など、戦闘の最低条件なのだから。

「おやおやあ? 役立たずどもが、こんなところにいた。役に立たんなら捨てても構わんなあ、これは」

 やや遠くでの声に、白井はポケットに手を入れて携帯端末を取り出す。額や腕から流れる血が不快と感じないのは、慣れているからだ。

 この程度の怪我では死なないと、わかっている。

「――おい! お前」

「布佐」

 すぐに声を上げた布佐の足元に携帯端末を放る。まだ僅かに残ったガソリンに、水音が聞こえるが、防水加工は標準装備なので問題ないだろう。あとは、何かで引火しないことを祈るばかりだが、風通しも良くなったし、大丈夫。

「読み上げてくれ、目が離せん」

「え、なに、言って」

「いいから読み上げろ」

「お、おう――……? ゲスト二人、殺害許可……?」

 立ち上がって相手を見据える白井は、それを聞いて迷わず、布佐を見るために振り返った。

「間違いないか?」

「あ、ああ、間違いないけど、これ、なんだ、おい――」

 そうか、殺害許可対象だったか――ここまで引っ張って、怪我を負った甲斐はあったらしい。

「そうか」

 事情は知らん。どういう流れかも、あとでわかる。

 とにかく、この場を終わらせることができるのならば、それでいい。

「なんだ、まだやるのかあ? やれやれ、そろそろ負けを認めたらどうかね?」

「負け……? ああ、そうだな、負けか……」

 足元の何かを拾うような動作、そして、白井は。

「――は?」

 布佐の視界から白井が消えた。否だ、死角を縫う接敵術、それは。

 暗殺のための歩法。

 親父であるリック・ネイ・エンスに教わったナイフの技術。

「そんなものは知らん」

 背後からナイフを首に突き立て、切っ先は喉仏のように露出する。それはずるりと引き抜かれ、同時に腰裏の拳銃から二発が脳を撃ち抜いた。

 どれほど薬で強化しても、脳まで再生できる技術は――ない。

「貴様!」

 様子見をしていた軍人が拳銃を引き抜いて突きつけようとするよりも早く、その掌にナイフを刺した。五メートルなら二歩で近づける、充分に間合いの中だ。そのまま足の甲を砕くよう、踵を打ちつけ、相手の腕の中側に滑り込むと、顎の下から一発撃った。反動で後ろ向きに倒れようとする軍人の胸板を蹴って間合いを広げると、肋骨の隙間にもう一発だ。

 それで、状況は終了である。

 引き延ばしに二十分、殺すのに十秒。

 まったく――殺人装置とは、よく言ったものだ。

「サーヴィスし過ぎたか」

 痛みはあるが、行動に支障はない。とはいえ、問題点も多くあったので、反省は必要だろう。

 拳銃を腰に戻し、ポケットからハンカチを取り出した白井は、彼らの元に戻ったかと思うと、残っていたガソリンをしみこませてから、軽くナイフについた血を拭い、そのまま足首の鞘に戻してから、裾を一度上げるようにして隠した。

「布佐、助かった」

「あ、ああ……」

 拾い上げた携帯端末には、間違いなく殺人許可との文章がある。できればもう少し早く欲しかった連絡だ。

「殺した……のか?」

「ん? ああ、見ての通りだ。事情は知らん――怯えなくてもいい。お前たちの殺人許可は出ていない。むしろ、殺すなと言われているからな……許可が出ていたら、とっくにやってる」

 その方が話が早いだろうと、白井は苦笑して額の血を拭った。

「アンタ、何者なんだ……? 狩人か?」

「冗談はよせ。あんな面倒なものになりたがるヤツの気が知れないな」

 であればこそ、あるいはそう言いきれる白井には、なれる可能性を持っているのかもしれないのだけれど。

「言っただろう? 俺の情報は隠してない。そこらに転がってるから、暇があったら拾ってみろ――ん? ああ」

 携帯端末が着信を告げ、ポケットに戻そうとしていた手を止める。見るまでもなくわかったが、一応確認だけしてから繋げた。

「お――」

『ばぁーか!』

「――う……」

 迅速に耳から携帯端末を離した。イヤホンマイクを装着しなかった判断を褒めてやりたいくらいだ。

「耳が遠くなることはあっても、鼓膜は鍛えられんらしい」

『うっさいばーか! ったく……そっち、状況は?』

「……ゲスト二名が死亡、実働四名生存」

 よほど苦苦しい表情をしているのだろう、布佐はなんだか驚いたような、呆けたような顔を見せている。籠は相変わらず冷静を装い、利久と一条は様子を窺っている感じだ。

『損害は?』

「軽微だ、許容範囲」

『迎えを回すからしばらく待機』

「――待て。頼みがある」

『はあ? なによう』

「実働四名への制裁を、失くして欲しい」

『……それ、よく考えた結果?』

「ああ。今回の件を見逃すだけでもいい。理由はまた話す」

『しょうがないなー。その手配も考えてたし、苦労はしないんだけど……詳しくはこっちもあとで話すけど、あたしらの干渉も程度が知れてるよ?』

暗黙の諒解ルールを破ったのは連中だ。全てを丸く収めてくれ、とは言わん。ただの俺の我儘だ」

『ん、わかってるならよろし。にしても我儘とは珍しいねえ。ま、十五分くらいでそっち行くから』

「諒解だ」

 通話を切ると、吐息と共に肩の力が抜ける。殺しをするより、よっぽど疲れた気分だ。

 白井は一度場を離れ、屍体から拳銃とナイフを奪っておく。研究員の方は、特に装備がなかった。それから外に行って新しいボックス車を見つけ、先ほど奪ったキーでロックを解除。中には大した装備もなかったので、あとの調査は任せることにして、タイヤの空気だけ抜いておく。

 そして、ふらりと戻っても、連中は相変わらずだった。

「ったく……本気で縄抜けもできねえのか。そこらに転がってる瓦礫を使えば、籠ならもう少し自由度が上がるだろうに。諦めてるのか? ――まあ、どうでもいいが」

 利久が縛ってある中央のテーブルの上に、拳銃とナイフを置く。そこでふいに気付いた。

「そういえば、拳銃はまともに使ったことがなかったな?」

 だったら、このまま置いておくのも問題かと思い、弾装を引き抜いて、薬室を空にしておいた。まあ、捕縛を解くつもりはないので、使われることはないだろうけれど。

「あんたは、使い慣れてるな」

「専門は拳銃より狙撃銃だ。このグロックCは俺のじゃない、受け渡しに来た一人が所持していた。……まあ、俺が持っていたのも、たまたま知り合いに配達するモノだが」

「あんたは軍人なのか……?」

「いいや、違う。だがまあ、俺くらいの年齢でも元軍人といった連中はそれなりにいる――ああ、そうか。お前たちは、そもそも世間が狭いのか……」

 見解の齟齬があるのは、そこだろう。経験が足りていないというか、視野が狭いともいうのだけれど、見ているものが違っているような感覚が近い。

 常識が違うのだ。

 となると、違和感のないミルエナもつみれも、同類なのか、それとも理解があるのか定かではないが、まあそれは置いておこう。むしろ、説教がありそうな気がするが、受け流す準備をしておこう。

「まあ、俺の口添えもここまでだ。覚悟くらいはしておけ」

 それだけ言って、彼らに背中を向けるよう瓦礫に座っていると、十分もしない内に外で車の停止する音がした。だらんと下げた右手がいつでもナイフが抜ける位置にあるのを確認しつつも、黙ってそこにいると、やがてミルエナとつみれが顔を見せた。

「――ああ、そうだ。言い忘れていたが」

 立ち上がった白井は、一言だけ伝えておく。

「作戦行動中にお互いの名前を、それがコードであっても言うなよ。第三者がいるなら、そいつがどんな状態であれ厳禁だ」

「――おい、おい見ろ。ははは、間抜けが怪我をしているじゃないか」

「うるせえ、屍体の検分でもしてろ」

「それは私の仕事ではないが、うむ、どこかで見たことのある軍服だ。まったく、なんのプライドかは知らんが、壊滅した組織の軍服を着用するなど、正気を疑うな」

「はいはい――ん、生きてるね」

「ああ……あの程度の錬度なら、二十人揃えても問題はない。ただ、さすがに現場では対応には困ったが」

「反省してる?」

「している、と答えれば説教はなくなるか?」

「ばぁか。――で、実働四名がこれ? ガキって聞いてたけど、そんなに年齢変わらないじゃん。まあいいんだけど」

 白井の隣に立ったつみれは、テーブルの上にある装備に気付き、拳銃を白井へと投げ渡してから、ナイフを手にとった。

「今回の処理について、簡単に説明しとくね。これから杜松の管理狩人がくるから、詳細はそっちで聞いておいて。一応、こっちの落としどころは――まあ、あんたたちに依頼した馬鹿どもを釣り上げるための餌として、この馬鹿をあんたらに拉致させることにした。結果的に釣りは成功したから、つまるところ」

 作戦の一部として協力を申し出た形にしたと、つみれは言う。

「それを管理狩人にも伝えて、まあそれとなく承諾もしてたから、多少の制限があるかもだけど、大げさなことにはならないはず。――理解できた?」

「――はい」

「ん、よろし。本来なら一緒に管理狩人が来るまでここに居るのが筋なんだけど、こっちにも事情があってね。ま、逃げても無駄ってのは理解してるでしょうし」

 ナイフで転がっている籠の拘束をあっさりと外したつみれは、そのままナイフを床に落とした。

「気を付けなよ? ――次は、たぶんもうないから」

「たぶん? おい、それはないだろう」

「まったくだな。今回がとても幸運だったと言えよう。もっとも? 充分に脅しはされただろうがな。ははは、まあよく反省するといい。敵対関係でもなし、だ」

「敵にもならんだろう、こんな連中が」

「その連中に拉致られたのは誰だっけ? んで、あたしら巻き込んだの誰よ?」

「……戻るか」

「そうとも、説教の続きは後回しだ。私はあいつにだけは逢いたくない」

「まったくもう……」

 一瞥も投げず、彼らはそのまま場を去った。話したいことはもう終えたし、これ以上の情けをかける必要もない。

 ただ、ようやくこれで終わりだと、実感を得ただけだ。

 外に出ると乗用車があり、ミルエナが助手席に滑り込む。後部座席に二人が乗り込めば、運転手は田宮だ。

「よ、お疲れさん」

「なんだ田宮、運転手に鞍替えか?」

「ちげーよ。朝霧に無茶言われてやってんだよ。ほぼ自動とはいえ、無免許でマニュアル運転もしなくちゃならねえ。マジ、事故ったら笑ってやるってなんだよ」

「俺の知ったことじゃない」

 ん、と横からタオルを渡され、用意がいいなと呟きながらも血の痕を拭う。

「我慢したんだ」

「訓練と同じだ、身体制御の一環だと思えば苦でもない――が、逃がすわけにも掴まるわけにもいかなかったからな、さすがに見極めは難しかった。つみれ、どこまで釣った?」

「連中に依頼を出したのが、元嵯峨財閥の研究員で、その裏でミルエナの古巣の残党が繋がってた。米軍の一部――さすがにそっちの処理はどっかの誰かがやってるみたいだけどね」

「随分と大事になったな。巣の破壊は少尉殿が?」

「朝霧の助力もあったが……まあ、現在進行形の厄介を一つ抱え込むことになった。付き合えよミュウ」

「わかった」

 あっさりと頷いたのに対して、田宮が驚きの声を上げる。珍しい、と言われたので、お前相手には言わん台詞だと返しておく。

「独断が随分と面倒をかけたな……」

「まあ、しょうがないとは思うけどねー。謝られても困るし。――あんたらが動くと大げさになるってことが、よーくわかった」

「私まで含めるとは心外だな」

「つみれ、自分を勘定に入れておけ」

「ははっ、ツッコミが早すぎるぜ」

 運転席で田宮が大笑いだ。

「くっくっく、にしたって――随分と上手い連携だな」

「違う」

「そうとも、それは勘違いだ。確かに、ミュウと私の場が違っていたのならば、こう上手くはいかなかっただろう。そもそも私は相手に合わせることが基本だ。相手の錬度が低いともなれば、捕縛も難しい。かといってミュウには情報を引き抜く潜入などは困難だったはずだ――が、であればだ」

「もし逆なら、違う結末を迎えたはずだ。連携したわけじゃない、俺も少尉殿も、つみれの指揮に入っただけだからな」

「……ま、現実的には、どっちにせよ、指示内容が変わっただけで、落としどころは似たようなものだったでしょうけれどね」

 結構大変だったんだからと、つみれは唇を尖らせた。

「まだあたしも準備不足だったし、まだ雑務残ってるし……」

「指揮官の有無か――っと、メールだ。はは、知り合いの情報屋が掴んだってさ」

「ほう、専属か?」

「ちげーし。前からの知り合いで、俺の琴線に触れそうな情報を題名だけで打診されんの。買うか? ってな。買いませんよ――っと」

「買わんのか」

「身近なら、てめえで調べるさ。俺も、少なくともこっちの連中に追いつかれるようなことは御免なんでね」

「ん、田宮さんがまとめてるんじゃなく、前を歩いてて背中を追わせてるんだもんね。でもまあ、あたしが拉致られなくて良かったってのは総評かな?」

「うむ」

「……まあ、な」

 つみれはよく、上手く落としたと思う。もしこれがつみれの拉致だったのならば、ミルエナと白井は迷わず、おそらく何も考えずに手当たり次第に殺していた。結果的につみれを救出するためだけに動いただろう。その後の始末も、他人に任せっぱなしだ。

 ミルエナは潜入がメインであるし、白井は殺人装置だ。手綱がなければ、好き勝手にするしかない。

「だから、ミュウが拉致られたことは、ありがたかったってこと。――説教はするけど」

「それが辛いところだな……」

「つーか、どこ行くよ?」

「うむ」

 肩越しに振り返ったミルエナに対し、白井は頷く。つみれは僅かに眉をひそめてから、ひらひらと手を振った。

「フラーンデレンに向かってくれ。こういう時は飲むに限る」

「へいへい……」

 それなりに長い一日だったなあと、つみれは頬杖をついて思う。けれどまあ、こうして三人がまた揃うことになったのだ。そこが最低ライン、そして最善の結果だ。

 しかし。

 次があることを想定しておかなければ、と思っているのは、おそらくつみれだけではあるまい。

 ただ、こんな日も、まあ良いんじゃないかなーと、そんなことを思った。


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