--/--/--:--――円つみれ・藪をつついた結果

 ため息を吐く暇すらない状況を、戦場と呼ぶのだが、そんな懐かしい感覚に身を委ねながらもミルエナ・キサラギはある事情から、完全に防戦一方だった。

 油断するな、という戒めはこういうところにも繋がってくる――つまり、情報を盗みたいのならば、誰かが盗んだところへ、その誰かさんがマヌケ面して出てくるのを待って襲撃し、漁夫の利を得る可能性だ。また同時に、情報を盗まれた事実から、その流出を防ぐための襲撃もある。

 さて、どちらかはわからないが、住宅街の一画で、まだ夜にもなっていないのに、銃撃戦が勃発したのである――いや、銃撃戦とはいえ、ミルエナは一発も外では放っていないのだけれど。

 対応しようにも、転がして腕や足を折ったりするのがせいぜいで、殺すこともできない……いや、むしろ今はもう、つみれや白井が素直にミルエナだと認める、いつもの姿では、戦闘ができないのだ。

 もとより研究員の姿では運動に支障をきたす。動き回るだけなら、今の姿の方がよっぽどマシだ。しかし、かといって相手の姿に変わろうにも、ここでは目立ち過ぎる。変身可能だと教えて回る潜入捜査官はいまい。

 相手を殺せるのならば、話は別なのだが、それでも街頭監視カメラはいつだって正常運行だ。映像を消そうにも、消そうとした記録は残ると教えたのはほかでもないミルエナであるし、そんなところまで他人任せにはしたくない。

 だったらどうするべきか?

 そもそも――今回の拉致に関して、いや彼らの研究に関して米軍のある部署が関わっていることは、屋内の情報で知り得ていた。

 研究と呼ばれるものには必ず資金が必要になる。となれば出資者がいると考えるのは当然で、出資者は最初から研究の成果を希望する者だ。その存在は疑っていなかったし、軍部であるのも知って、ある意味で納得もした。人体改造、特に薬の開発を中心に行って、内部を変換することを研究していたのだから、まあ軍部と繋がっていてもおかしくはない。

 ただ――その軍部が、自分の古巣と関係していることを知ったのは、つい先ほどだ。

 見知った軍服が紛れていたのである。

 それが指揮官なのか兵隊なのかはわからないが、間違いなく、かつてミルエナが所属していた〝見えざる干渉インヴィジブルハンド〟の残党だ。一応解体されてはいるが、残党がいてもおかしくはないし、そもそも一枚岩ではなかった。

 これらの情報をつみれに送ろうにも、持っているのは耳にかけるタイプの、電話機能を追求した携帯端末だけだ。口頭で説明するには時間がかかるし、つみれに対応できたとしても、状況には追いつかないだろう。

 となれば自分で打開するしかないのだが、逃げ場が封じられているのは経験でわかる。突破しようにも、戦闘ができない。

 そして現状は、逃げようとしたミルエナの封鎖を第一の目的としており、準備が済み次第、囲んで殺すか――捕獲するつもりだろう。

 今の行動にも、時間制限がある。

「どうしたものか、とも言ってられんのだが……」

 ぼそり、と苦笑交じりに呟いて、携帯端末を耳に引っかけた。コールは六回、それをひどく遅く感じる。

『おう』

「藪を突いたら、古巣の馬鹿が顔を見せた。不手際だぞ」

 電話先の、かつての上司――名古屋に支部を持ち、日本の〝見えざる干渉〟を把握、管理する立場にあった大佐は、面倒そうに言う。

『殺せよ』

「……無茶を言う。十人には満たないが、それに等しい相手に、私一人でか」

『んなこた知るか。ただ、馬鹿をすれば殺されるって立場だろ、軍人なんか』

「わかった当てにならん。くたばれ」

 無駄な時間を使ってしまった。これならつみれに連絡した方がマシだったかもしれない。

 携帯端末をポケットに入れ、どうしたもんかなーと本気で悩みながら躰をほぐす意味合いで深い呼吸をした直後、ひょいと――どこからともなく、彼女はミルエナの隣に降り立った。

「ふむ」

「――朝霧か」

 もちろん、驚いたとも。驚かない人間はいない――だが、油断を殺したミルエナは、驚きよりも先に状況へ対応することを、考えるよりも早く選択してしまう。故に、その驚きが表に出ることはなかった。まあ敵がきて死ぬかとは思ったが、勘違いで良かった。

 増援だ。

 来たのは朝霧芽衣。

 かつては同じ古巣の、人間だった。

「間抜けの目をくぐるのはそう難しくはないだろうに。どうだ、この私ですらあっさりと中心である貴様の場所までたどり着いたが?」

「無茶を言うな……今の私では難しい問題だ。それより、どうしてきた」

「ふむ……誤魔化すのは看過できんが、まあいい。なあに、私はただ助力を請われたのでここまで来ただけだ。ちなみに車の運転は田宮にやらせた。学校――野雨西高等学校から一直線だ、感謝が欲しいものだな」

「誰にだ?」

「何を馬鹿げたことを言っている、つみれに決まっているだろう」

「……なに? つみれは、こんなことも予測し、把握していたのか?」

「いや、移動中に聞いた限りでは、貴様の抜いた情報からの見解だったそうだが、送信していないのか」

「そういうことか」

 送信はしていない。したのは、潜入する前のことだ。しかし、その一本のラインを確立してしまったから、中で情報を抜いたタッチパネル形式の携帯端末が、抜いた傍からつみれはそれを閲覧し、情報を取得したのだ。もちろん、ミルエナには一言もなく。

「まったく、手癖が悪い」

「貴様が小賢しい手を打つのを見越されただけだろう」

「あちらはどうだ?」

「てんやわんやだ。知りうる限り、あちこちに連絡して手を打って、片っ端から情報を集めているらしい。どれだけ想定しているんだと、私は笑うしかなかったが」

「ちなみに、どうやって朝霧は動かされたんだ?」

「ふむ……ありていに言えば、金の動きだな。以前、アキラから〝見えざる干渉〟の解体に際して、いざという時の裏金が余ったと押し付けられたことがある。それを前金報酬として、私は組織残党が発生した場合、限りなく優先して壊滅することを、まあ約束と言えば大げさだが、一緒に押し付けられたわけだ。もちろんほかに理由もあるが」

「先ほど、大佐は何も言わなかったが――なんだ、そんな経緯があったのか」

「そうとも。しかし、それはあくまでも私とアキラとの間で行われたことで、それこそ話半分だ。今回の件だとて、私が動かずとも沈静化するのは目に見えている」

「だろうな」

「しかしだ、それを盾にとったつみれは、金の動きを突きつけて、動いてくれと言った。つまり、限りなく優先しなければならない状況がここにあると、私の中の優先順位を押し上げたわけだ。――知っている、と暗に匂わせてな」

 そんなことをしなくても良かったのだがと、芽衣は苦笑した。

「知人としてではなく、私がここへ朝霧芽衣としてこれたのは、気遣いだろう」

「否だ、それは違う。つみれはただ、順序を立てただけだ。どうであれ、朝霧芽衣を顎で使う立場になく、取引を持ちかけなければ動いてももらえない――そういった証明、保険をかけた」

「……ふむ。そういう捉え方もあるか」

「つみれは殊の外、視線を気にする」

「自己の立場か。まったく、恐ろしいやつだ」

 それが楽しくもあると、芽衣は言って組んでいた腕を外した。

「さて、つみれからの伝言だ。そろそろ住民の撤去が済む。さすがにカメラまでは制圧できないだろうが、オーダーは全滅だ。殺して構わん。連中の姿を拝んだ時点で裏は暴かれた。今頃本国――ふむ、違うか。米国でも蜂の巣をつついたような有様のはずだ」

「殺害と言われてもな――」

「ちなみに、私は手を貸すだけだ。そういう約束をきちんと取り付けてある――が、まあ聞け、あるいは朗報かもしれん」

「朝霧に化けろと言うのなら、お断りだが?」

 そもそも、芽衣のような相手では変われないのをミルエナは知っている。何しろ彼女は、ミルエナのような存在を想定して、常時展開型(リアルタイムセル)の術式か何かで防御しているからだ。

「そうではない。――責任は取ってやるから動け、だそうだ」

「――……理解した上で、か」

「それでも動かないようなら、二度と使ってやんねー、と言っていた」

 それは、とても、困ることだと、わかっていての追加なのだから、性質が悪い。

「見たところ、戦闘行為に特化しているその姿で、何を迷う必要がある?」

「……わかるのか」

「以前の私ならば、わからんかっただろうな。正直なところ、私でもどうか、といったレベルだ」

「さすがに、いくら戦闘をしないとはいえ、そこまでは隠しきれんか。この際だから言ってしまうが、その通りだ。私が保持する器は二つ――詳しくは省くが、この姿は確かに戦闘に特化しているとも言えよう」

「だろうな」

「しかし、しかしだ。どうであれ戦闘行為をすると、この躰の持ち主に、どういうわけか知られることになっていてな……制限は一つ。それが確定した時点で、私は彼女に逢わなくてはならん」

「それが誰だ、とは聞かんが、随分と嫌っているのだな」

「――まさか。私自身は好ましい人物だと思っている。だが、それに費やす時間を思えば、嫌にもなろう。何しろ、どこにいるかもわからん相手に、逢わなくてはならんのだ」

「以前にもあるのか?」

「一度で懲りた。軍での仕事を投げ出して二年、それでようやく尻尾を掴んだと思ったら、近くに来たから顔を出したんだと、相手から近づいてきてくれた結果だったとは、落ち込みもするし、二度は嫌だとも思う」

「それらを、可能性の一つとして考慮しつつ、責任は負うと言ったつみれに対して、貴様はどうするつもりだ?」

 まったく――本当に、嫌なことを言ってくれる。

「――知りたい、と私に言うのならば、拒絶する言葉など持ってはいない。私が始めたことで、私はつみれを好ましく思っているからな」

 つなぎの前面を半分ほど開き、腰に手を伸ばして拳銃を引き抜く。

「ふむ、P229ではないか。軍部で使っていたものだな?」

「これがなかなかに馴染む。――しかし、やろうと思った決意を覆すつもりはないが」

 この状況。

 笑えるではないか。

「かつての、シックスオーワンと」

「貴様、スリーオーワンが揃っての仕事だ。なるほど、確かに笑える話だな、これは。貴様は同僚とこうした仕事は?」

「ないな」

「では教えてやろう。こういう時は迷わず賭けだ。つまり――」

「――どちらがより多くの戦果を挙げるか」

「負けた方は買った方に酒を奢る」

「決まりだ」

 ミルエナは拳をだし、それに対して芽衣もまた自分の拳を軽くぶつけた。

 さあ、戦闘の始まりだ。

 狂った狼と呼ばれた彼女の躰で、存分に食い散らかそうじゃないか。

 喉笛を狙う狼に制裁を。

 鋭くも強い牙に敬意を。

 スティーク・ゲヘント・レルドと呼ばれた彼女の戦闘を、ミルエナはここで再現する。

 戦場において、あらゆる障害を打ち払った、百戦錬磨の――狂狼を。

 ただ、ミルエナが嫌うにはほかの理由もある。それはつまり、この躰で戦闘を行おうと決意したのならば、その結果に至るまでの過程を、ミルエナは理解できないのだ。

 何をしているのかが、わからない。わからないから、使いようがない。すべて躰が動くままに、制御を捨てて任せるだけ。

 それだけで、ただ、圧倒した。

 本来ならば思考しなくては戦闘など組み立てられない。自分に何ができるのかを理解しなければ、行動できないはずだ――が、そもそも理解が追いつかない。何ができるかもわからず、ただ結果だけを示される。

 ミルエナができるのは、スイッチを入れることだけだ。相手を発見し、状況を見て、スイッチを入れてすべては躰任せ。

 十分と少しの時間で、六人を殺したミルエナは、そのまま芽衣と合流する。結果はイーブン、敵が放った弾丸の数は総合して二発だけ、という結果だった。

 達成感? はは、そんなもの、あるはずがない。

 ただ、終わっただけだ。

 それでもミルエナという存在は偽る。自らが行ったように振舞う。

 そういうふうに、染みついていた。

 こっちだと促されたのでついていくと、五人乗りの乗用車があった。乗り込めば、運転席で退屈そうにしていたのは田宮だ。

「――ひっでえ有様だ」

 ああはなりたくねえなと、失笑混じりに言う。見えなくても、ESPを使って状況だけは把握していたらしい。

「ともあれ、ご苦労さん。どうすんだ?」

「ミルエナ、どうする」

「私としては、つみれと合流したいんだが……場所を聞いていなかったな」

「ふむ。田宮、野雨に戻れ。私は適当に降りるが、目的地は久我山の旅館だ。つみれを拾ったあと、今日は一日運転手だと思え」

「へいへい……ま、しょうがねえな。あとで浅間なんかに追求されるのは御免だぜ、俺は」

「私としては、途中で放り出されても構わんが?」

「そう言うなよ、少尉殿――いや、ミルエナさん。俺だって右も左もわからねえ状態で引っ張り出されたが、だからこそどうなってんのか、興味はあるんだぜ。だから願ったり叶ったりだ」

「なんだ、田宮は調べていないのか?」

「おいおい、昨日の今日ならまだしも、現在進行形なんだろ。さすがに今の俺じゃ無理だ。一緒にすんな。――出すぜ。つーか、アレ、あのままでいいのかよ」

「ふむ、なんだ田宮。ここでも掃除の仕事をしたいのか?」

「さすがに俺だって、仕事が増えたと喜びはしねえし、何より管轄が違うだろ。俺は野雨で登録してあるしな。そうじゃなく、後始末とか引き継ぎとか」

「それならば心配あるまい。つみれが今頃、手配をしているはずだ。いや、もう済ませてある方が現実的だな」

「……やれやれ、少しつみれに逢うのが怖くなったな」

「諦めろ」

 諦めはしないけれど、少し頼り過ぎだ。いや――分野も違うし、任せたのだから良い仕事をしたと褒めてもいいくらいだが、その仕事を増やしたのはミルエナであり、白井だ。となれば、憂さ晴らしくらいには付き合わないとつり合いがとれない。

 ましてや、責任を取ってくれると言ったのだ。その点も、今から考えると陰鬱である。

「そうだ朝霧、大容量のデータが送信できる端末はあるか?」

「む?」

 助手席に座った芽衣は、バックミラー越しに一度、後部座席のミルエナを見る。

「私の携帯端末なら不可能ではないが」

「仕事を増やすようで情けないが、抜いた情報をつみれに送っておきたい。まあ、あらかた把握してはいるだろうがな」

 ポケットに入れていた、既に記録装置に成り果てた携帯端末をコードと一緒に渡すと、まあ構わんがと言って芽衣は自分の携帯端末を経由して、つみれへの送信を始めた。

「ちなみに、人身売買の方か?」

「いや――人体の生成ではなく、既存の人体を改造する方の薬だ」

 よくある話だと芽衣は笑う。確かに、子供をさらって教育して売り飛ばす死の商人と比べれば、いわゆる楽な仕事な部類だ。どこにでも転がっている、そんな商売。

 ただ、彼らは選ぶ相手を間違えた。取った手段を失敗した。

 それだけの話だ。


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