--/--/--:--――円つみれ・封印の数
魔術師としての円つみれが扱う術式を、当人はまだ把握しきれていなかった。
自分の持つ思考回路、指揮官としての能力などは、あくまでも円の家系が行っていた肉体改造の一環だろう。厳密には脳改造とでも呼べばいいのだろうけれど、無数の選択の中から取捨する思考能力そのものは、たとえば雨天と呼ばれる武術家が、あらゆる得物を扱いながらも、どの家名よりも上回っている事実から、本質的には無数の選択から有効的な一手を導く思考回路を持ち合わせており、であるのならば無手であることこそ至上とするだろうことから、同様のものだと想定はできる。
つまり術式に頼らずとも可能である、と証明されているようなものであり、術式であったところで常時展開型の、いわば付加価値としての存在でしかないのだと推測が立った。だとすれば、無自覚に周囲を振り回すことかと問われれば、あくまでもそれは現状の理解から進む先を見出すのであって、相手の感情や思考、意識までを操作しているのではないのだから、やはり術式ではなく人心掌握の一種だと思われる。
魔術の莫大な基礎知識を参照しながら考えてみれば、確かに〝記録〟に関連する術式も多くあるが、そもそも、つみれは自身が魔術師である自覚がなく、術式を行使している、といった実感が一切ないのだから、現状では使われていないと考えるのが普通だ。
それでも、魔術師ではないと否定できないのは、円が魔術師の家系であることだろう。こればかりは、決定的なのだ。
魔術師は、確実とは言わずとも遺伝する。魔術そのものへの適性とでも呼べばいいのだろうか、そうしたものが遺伝子と共に子へと伝わるのは常識的で、だとするのならば、小さな術式くらいなら、つみれも使えておかしくはない。けれど、どう使うかを理解していながらも、使おうとしてもできないのは、さて、どういうことだろうか。
そこで思い至ったのが、義父が作った封印だ。
「つまり、封印が一つとは限らない、と」
それが安直な疑問であることを理解しながらも、否定はできず、かといって簡単には確認ができない問題であることも理解していたつみれは、自宅のソファで食後の紅茶を飲みほしてから、サーバルームへ移動した。
自身の把握は急務だと思っている。ミルエナも動きやすくなっただろうし、白井は白井で自己を見つめなおして、新しく出発しようとしていた。このまま安穏としていれば、白井に置いていかれるのは目に見えているのだから、つみれも成長しなくては、隣に立つことすら難しくなる。どういうわけか、それは嫌だと素直に言えた。
既に立ち上がっている端末に視線を投げてから、椅子に座ろうとしたつみれは、ふいに気付いて背もたれに手を当ててから、視線をやや上へ向ける。
「AI、……マンションのメインサーバのAIにコールして」
室内AIの設定で、いちいち返答させないようにしているため、できるかどうか問いを投げても無駄だ。できないならエラーを伝えるのでべつに構わない――そう思っていると、すぐに室内スピーカから声が漏れた。
『はい、こちら全館統合AIです』
「あ、シェルジュ?」
『そうです、つみれ様。七日と八時間ぶりになりますね。どうかなさいましたか?』
「えっと……本題もあったんだけど、その前に一個いいかな」
『なんでしょう』
「シェルジュってAIなのに、会話も成立するし、ほぼストレスを感じないんだけど、それもプログラムなんだよね?」
『はい、もちろんそうです。簡単に説明しますと、マニュアルではないフランクな会話を心掛けることから、対応そのものを有機化されやすいようにしています』
「相手の言葉、つまりあたしの言葉から、適切な返答を無数の対応表から選んでるわけじゃなく?」
『あるいは、それに近しいものですが、単語や言葉の内容そのものよりも、会話と呼ばれる流れに対して、一定の学習をしていることが最善の解答に近しいかと思われます』
「なるほどー」
言葉の前後ではなく、会話の前後を読む。人の思考回路そのものが真似できないのならば、可能な限りそれに近づけるため、学習は必須だが、そう簡単なことではあるまい。
「あ、ごめん本題ね。ベルさんの部屋にあった投影システム、うちでもできるって話を聞いたんだけど」
『はい、可能です。機材そのものは設置されておりますので』
「使用の設定、やってくんないかな?」
『はい、構いませんよ。以前に主様より、打診がありましたら許可をするようにと、伝えられております』
「予想されてたかあ……じゃあ、うちのサーバをメインで、行使権限はAIに与えておいてくれる? AIには、声の位置から、あたしのいる部屋に投影するって感じで」
『諒解しました。それでは六十秒ほどいただきます』
「うん、お願いねー」
リビングに戻って紅茶のカップを片付けていると、完了の報告があった。さすがにシェルジュもAIなだけあって、無駄な長話をするつもりはないらしく、何か御用がありましたらと一言を添えて、通話は切断される。
「AI、システム投影」
言うと、すぐに映像が投影された。陽も落ちた時間であるため、見にくいことはないが、日中はどうなのだろうと首を傾げながらも、手元のコンソールを叩いて設定画面を呼び出し、画面そのものを引き寄せてぱたぱたと簡単に設定をしておく。
さすがに現状では無茶ができない。半自動的に情報を収集するAIの組み立てや、該当監視カメラのネットワークや、警察のNシステムなどにバックドアを作り、簡単にアクセスする手段を作るのも難しいわけだ。
とりあえず、部室など外で作業を行う場合に、自宅サーバを経由させるラインの拡張はやっておこうと、キーを叩いてプログラムを呼び出し、作業を行っていると、四十分ほど経過した頃に、来客を告げるチャイム。そのままキーを叩いて玄関口カメラの映像を見れば、義父の姿があった。
「だからなんでチャイムをいちいち……」
いいんだけど、面倒だなあと思いながらロックを解除すると、ようと気軽な声を放ち
「悪いな、つみれ。随分と遅くなっちまった――って、投影システムなんかうちにあったっけ?」
「あーこれ、ベルさんが仕込んであったんだって。使っていいって言ってたから」
「……あん時のメンテだろうなあ」
「おかえり、義父さん」
「おう、ただいま」
どさりと、つみれの隣に腰を下ろした慶次郎は、肩と首をぐるぐると回した。
「お疲れみたいね」
「いろいろと仕事が舞い込んでてなあ、面倒だったんであらかた片付けちまった。それより、つみれはどうだ?」
「うん。あちこちで、敬語が変だって言われた」
「あー……」
そりゃしょうがねえだろ、みたいな顔をされた。
「そうじゃなくて、馴染んでるか?」
「うん、まだ大事には至ってないかな。ねえ、最初に聞いとくけど、あたしの術式そのものを、べつの手段で封印とかしてないよね?」
「ん? してないよ。俺が封じていたのは、わかってるだろうけど、特定の思考回路そのものだからな。もちろん、封印されている間は術式が稼働しない可能性も考慮はしてたが……なんだ、術式が使えないことが不満か?」
「不満っていうより、疑問。どうもはっきりしないんだよね」
「悪いがその辺りは、俺も断定できねえな。いくつかの推測は立ってるが、聞かせられる段階じゃねえし、むしろ聞かせて欲しいくらいだ。けど、そうだな、この先にたぶん、鷺城鷺花って女に逢うことになるだろうから、そいつに聞いてみな」
「え、誰それ」
「この世で二番目に魔術に詳しいヤツ。年齢もつみれとそう変わらねえな、そういえば」
「そんな人がいるんだ……その人、ベルさんより詳しいの?」
「ベル先輩だって、魔術のことなら鷺城に聞けって言うよ、たぶんね。何しろ――いや、まあ、逢ってみりゃわかることか」
「ふうん?」
「適当な返事だな……よし。もしも鷺城に逢って会話ができたとしよう。つーか、これに関しては断言しても構わないんだけどな。そしたら、会話の終わり際に、こう訊いてみろ。――今まで話してた術式を、全部使えるかどうかってな」
「……うん、覚えておく」
「おざなりな返答かと思えば作業中っつーか、組み立て中だったか。通信ライン系だな?」
「うん、そう。マニュアルの参照が簡単になったから、応用は駄目になるかと思ったけど、そーでもないみたい」
「そりゃ、そうなるようちゃんと仕向けたからな」
「ん……――え? 今なんて?」
振り向くが、既に慶次郎は立ち上がってキッチンへ向かっていた。
「紅茶もらうぞー」
「それはいいけど……もー」
「不満そうな顔するなって。事情を知ってるから、俺も結衣(ゆい)もそれなりに予防線くらい張っておくよ」
「……あんまし思い出せてないんだけど、あたしを拾った時に一騒動あったらしいじゃん」
「騒動? あー、騒動っつーか、隠蔽に困ったというか、娘が増えるってことなんだから、どの家でも似たようなことはあるだろ」
「じゃあ――そもそも」
つみれは手を止めて、完成したプログラムを仮想展開し、返ってくるデータの参照に映りながら、冷めた紅茶に手を伸ばして飲み干し、隣にきた慶次郎から温かい紅茶を注がれるのを見て、問う。
「なんであたしだったの?」
「そりゃ、前に言った通り、俺と結衣との間にゃ子供がいなかったし――ま、実際な? 狩人の両親に生まれたガキってのは、微妙な立場なんだよ」
「あたしだってそうじゃない」
「つみれは最初っから、半分以上こっち側だろ。社長令嬢みたいにゃいかないんだぜ。何しろ世論としちゃ嫌われ者だ。隠し通すにも難しいとなりゃ、どう育ったって良い方に転がるとは思えねえ。遺伝的に有用だとも思えねえしなあ」
「探してた……わけじゃ、ないんだよね?」
「もちろん、押し付けられたんでもねえよ。むしろ、嬉嬉として裏から手回しして状況を整えたくらいだ。わかんねえとは思うけど、娘がいるってだけで、俺は――たぶん結衣も、助かってる」
「そこらへんは心配してないんだけどさ」
「まあ俺から言えることがあるなら、お前らがコゲラを名乗ったお蔭で、多少はやりやすくなったってところか」
「え、そうなの?」
「単純に、俺を目当てにしてつみれを拉致する可能性が極端に低くなるだろ」
それはどうなのだろうか、と思考してすぐに、そんな危険性を孕んだまま呑気に生活していたかと思うと、鳥肌が立って身震いを一度した。
「わーお……」
「結局、そういう世界なんだよ。もっとも――人質なんてものを取る連中の末路は、こっちじゃ嫌ってほど知らされてる。それでもやる馬鹿はいるし、方法もあるにはあるんだけどな」
「それって、対処しといた方がいい?」
「手を打っておけ、とは言わないぜ。ただまあ、そうなった時にどうしようもねえと、両手を上げるのと、どっちがいい?」
「……やっとく」
そんな言われ方をすれば、やらずにいる選択などない。なんというか、本当に捻くれた言い方だ。
「性格悪いって、義父さん言われたことない?」
「ほとんどねえな。お前らしいって言われたことはある――ああ、そういや、つみれを拾ってから、変わったなって言われたことあったなあ。誤魔化しきれてねえって、ぎくりとしたもんだけど」
「じゃあ、変わらないなって言われると安心するんだ」
「そりゃもちろんそうだ。つっても、アブ先輩とベル先輩くらいなもんだけどな」
「……ね、義父さんや義母さんと、ベルさんを比べるのも変だけどさ。もしかして、今の立場ってのは――できることを積み重ねた結果なの? いや、結果でしかないの?」
「よく考えた上での結論なら、そうだと俺は答えてやるよ。求めて得るものも、求めてなくても得られるものも、全部集めて今の〝立場〟だ。積み重ねた結果でもあるし、勝手に重なった結果でもある。先を考える前に、今できることをしろって言うだろ? それと同じだよ」
できることをしていたから、今という結果を得ているんだと、慶次郎は笑いながら言った。顔を見れば、そんな立場ですら、明日には誰かに譲ってやると言いたげだ。
「まあいいや……街頭監視カメラ、いや、気象衛星にでもアクセスポイント作ってみていい?」
「んー、失敗しないと覚えない部分もあるからなあ。間借りしたいだけならともかくも、独自のアクセス作ると面倒だぜ。とりあえずは俺のアクセスコードやるよ。解析してからにしな」
「それはそれで、なんか子供扱いっていうか……」
「んじゃいらねえか?」
「いらないって意地を張る方が子供っぽいじゃん。もらっとく」
「マニュアルはねえから、適当に使って覚えろよ。えーっと……面倒だな、どうするか。外からうちにアクセスする経路は作ってあるんだよな?」
「うん」
「んじゃ――おいシェルジュ、見てんだろ? まず、以前に俺が交わした条件の解除だ」
『――以前と申しますと』
「つみれに関係すること」
『はい。それでは、イヅナ様の条件の中から、つみれ様がいらっしゃる以上はマンション内部での呼び出し、およびイヅナ様に仕事の要求をする場合における、優先度S指定の条件を解除させていただきます』
「おー」
「……簡単に言うと、仕事しませんからねってことだね、それ」
「そういうことだ。俺の作った走査プログラムに、気象衛星に割り込んで現在地情報を取得する感じのやつ、あったろ。名前なんだっけ?」
『〝オレンジジュース〟です』
「おう、それそれ。うちを経由してのアクセス全般に使用許可出しておいてくれ。一応、つみれが使うことになったから、暇があったら使用時のログ残しておいてくれ」
『諒解しました』
なんでオレンジジュースなのと問うと、どの喫茶店でも定番メニューで入っているくらい、意識せずとも簡単にできるからと返答があった。どうかしてる。
「つっても、試すなよ? コードは走らせるなら、仮想上にしとけ。あとこれ、結衣には内緒だぞ」
「すぐばれると思うけど……」
「そこに美学があるんだよ。――まあ、安心した。馴染んでるみたいだな。齟齬がなけりゃ問題ねえ」
「あるにはあるよ? 最初はだいぶ混乱してたし、今もまだ不透明な部分がある」
「たとえば?」
「ここのところ、寝て見る夢が、水の中で水面の揺らぎを観測してるような、よくわかんない感じがして」
「――」
慶次郎は瞳を伏せるようにして、五秒ほど黙った。シン、と部屋の中どころか家中が静まり返ってしまい、逆に言えばその張りつめたような空気は、変わっていないはずの室温すら下げてしまったような錯覚を、あやめは確実なものとして感じて息を飲む。
けれど、あくまでも五秒だ。時計の針が五度、音を立てたのが聞こえるくらい、つみれも緊張はしていた。
「ん――お? ああ、悪い。そんなつもりもなかったんだ。ついな」
「つい……?」
「仕事で考える時の癖みたいなもんだ。ちょっと集中するとこうなっちまう――この家じゃ、見せないようにしてたんだけどなあ。外で見かけたときの俺はそんな感じだし」
「それ、よく考えてるってこと?」
「そういうことだ。あのな……実際に円の家系について、詳細情報そのものは、存在していない。研究資料も何もかも、すべてがつみれ、お前の中にあると考えてもいいくらいだ」
「うん……それが、どうかしたの」
「たとえば、
「できるけど――ええと、魔術師協会に所属する十一の宮の字がつく家名を揃えたものの総称ってのが、一般的な見解で、本来は東京事変に際して被害を留めるための、言の葉を使った結界そのものだよね。古い情報だけど」
「それを知ってる人間だけで、五十人はいかねえんだけどなあ」
けれど、つみれは知っている。そこが問題なのかとつみれも気づき、頷いた。
「危険であることは理解してるつもりだけど、あたしの両親は、その知ってる人間に含まれ――ないと、そういうこと?」
「うん、だとして?」
「誰かに教えてもらった……第三者の介入がある」
「その通り。そして、五十人の中に――そう簡単に情報を漏らすやつは、片手で数えられるくらいしかいないわけだ。大抵の人間は口を噤むし、知っていることしか話さないなんて流儀を持ってたりもする。……まあ、たぶんあの人だろうとは思うけど」
「え? なに、もう当たりつけてんじゃん」
「顔は広い方だからな。それにたぶん、その夢ってのは蓄積された情報そのものを取り入れるために行われる処理そのものだ。そっちも心当たりはあるけど……しかし、口を割るとは思えない」
「そうだと、頷かない?」
「いや、そこは頷いて問題はない。いいかつみれ、問題となるのは、どうやって円の家系の人間が彼らを知っていたか――ないし、どうやって協力を取り付けたのかだ。過去を調べるってのはそういうことだろ」
「……過去、か。でもそれは、終わったこととは限らない」
「まあ、そこらは俺が調べておくし、何かしらあるようなら手は打っておく。親の役目だ」
「あんがと」
「ただし、教えねえからな?」
「……あんがとー」
わかってはいたけれど、改めて確認されると複雑な心情だ。
「あ、そうだ。なごから誘われてるから、次の休みはうちにいないから」
「ん? ああ、
含みがある言い方だなあ、とは思うものの、どうせ話してくれないのはわかっている。諦めの吐息を切っ掛けに、つみれは立ち上がった。
「ちょっと躰動かしたいんだけど、義父さん付き合ってくれない?」
「おう、いいぜ」
どうなのだろうか。
今は慶次郎の庇護下にあるけれど、それをまだ強く実感したことはない。だから、煩わしいのか、好ましいのかの判断もつかないのが現状だ。
つまるところ、今のつみれは、慶次郎の気遣いすら、まだわかっていないのである。
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