--/--/--:--――円つみれ・原初の光景

 案外、エイジェイを発見するのには手間取った。

 一番近かった教員棟に赴いたものの不在であり、真理学科のある特殊学科棟まで足を運んだものの、最上階にはおらず、数人に訊ねてから移動していた最中、学食の隅で煙草を吸っている当人を見つけたのは、部室を出てから十五分以上経過した頃合いだ。

 しかし、面倒な手順を踏んだものの、今までの行動そのものが嫌になることはない。むしろこうした地道な作業は、白井にとって得手となるものだ。何しろ、目的に向かって躰を動かしているのだから、過程そのものが経験であり、仕事に当たる。

「エイジェイ。〝炎神〟エイジェイ――」

「ん?」

 顔を上げた、まだ若く見える当人の風貌そのものは、幼いとは感じないものの、怖いとは感じない。これなら潦兎仔の方がよっぽど感じるものがある。

 そう、思ったけれど。

「そりゃ、てめえみたいに睨んでたら教員なんてできねえだろ。状況入りすりゃ、状況に応じるのが仕事だ。ミルエナを見習えよ」

「口に出していたつもりはないが……」

「ツラに出てんだよ、未熟者」

 そう言って笑うエイジェイに対し、今度は間違いなく恐怖を感じた。

 怖い。

 血の匂いも、戦場の気配も感じないエイジェイが、それを隠していることに、その技術に対して恐ろしいと思ったのではなく――彼は。

 エイジェイは。

 今のままでも自分を軽く殺して見せることができるのだ、という純然たる事実を、言葉によって突きつけられて、怖いと感じた。

「警戒も、恫喝も、脅迫も、威圧も――必要がない、のか」

「そこまでわかったんなら、まあ並みだな。仕事なんてのは、自然体で済ませられるようにできてる。これでも一応は、五人の中の一人だからな。で、どうしたサミュエル・スーレイ。いや白井か。仕事を回して欲しいならほかを当たれよ。お前を使うくらいなら、ほかの心当たりが五万とある」

「……そうか。俺の代わりは、いくらでもあるか。そうだろうな」

 だが、それでは駄目なんだろうと呟いた白井は、対面に腰を下ろしてから申請書を差し出した。

「少尉殿から話が通っていると聞いている。申請書だ」

「へえ、あの馬鹿、きっちり数を揃えやがったか。なるようになるとは思っちゃいたが、早かったなあ」

「その中で、おそらく俺が一番弱い」

「ん? まあそりゃそうだろうな。――なんだ、どうすりゃいいってか?」

「正直に言えば、何を変えればいいのか、変わるべきなのかがわからない。エイジェイ、顧問として最初の仕事だ。面倒でなければ教えてくれ」

「その前に、お前の理由を聞かせろよ」

 書類を一瞥すらせず、口元を笑みにしつつ、エイジェイは問う。

「面白くない」

「ははっ、そりゃ理由としちゃいいな。じゃ、かつて潦が順序立てて知ったことを、軽く教えておいてやる」

「ガーヴと一緒にされたくはないが……この体たらくじゃ、仕方ないか」

「そういうことだ。いいか? 最初は死ぬまで殺そう、だ。今のお前もたぶん、ここだろう。こっから先は――死にたくない、だ。んで、その終わりに見えてくるのが殺されてもいい、となる。まあ俺なんかもそのクチだな」

「殺されてもいい……?」

「おう、当たり前のことだ。そいつは、殺されないことの自信の裏付けでもあるが、どれもこれも知ったからわかるもんじゃねえ。至ってようやく実感することだ。ま、覚えておいて損はねえな」

「よく、わからん」

「だから、そんなものだ。助言はともかく、どうするつもりだ?」

「これからか? 過去を思い出すことはできた。そこから、一つずつ俺を組み上げるだけだ。引きずられないように」

「基礎から徹底的にか」

「ああ……今の俺は、駄目らしい」

「そう思ったのか?」

「そうだ。自覚して、そう感じた。役立たずの駒は、懐かしいと思うくらいにまで放置されて埃をかぶるか、いらんと捨てられるかの、どちらかだ。戦闘しかできないのは自覚している。なら――そこで役立つしか、俺にはない」

「今のところはって付け加えろよ。思い込みは視野を狭めるぜ」

「助言、感謝する」

「だったらもう一つだ。繋ぎは俺がしてやっから、お前一度、雨天を訊ねろ。べつに真似をしろとか、教えを請えとは言わねえよ。ただ、手合わせをして学べ」

「雨天……?」

「武術家のてっぺんだ。一応、お前の同世代にいるが、間違ってもそいつとはやるな。相手にとっても、お前にとっても意味がねえ。やるのは――爺じゃなく、そいつの親父に当たる人物だ」

「ありがたく、受け取るが……何故だ?」

「どっちの意味だよ」

「俺にそこまでする理由が、わからない」

「ああ、そっちか。しょうがねえだろ――あのエンスが、頭を下げて俺に頼んだんだ。お前がてめえでどうにかしようと足掻くなら、一度だけでいいから手を貸してやってくれってな」

「親父が……」

 もちろん、頭を下げるというのが比喩なのかもしれない。それでも、あの男が誰かにものを頼むことなど、しかも自分のことでするなど、思いもしなかった。

「……付き合いが長いだけじゃ、わからないこともあるか」

「そういうことだ。逆も然りってな。――にしても」

 そこでようやく、エイジェイは書類を受け取り、煙草の箱をテーブルに放った。それを見て、白井は手を伸ばす。

「なかなか良いメンツじゃねえか。俺は集まる方に賭けてたが、面白い具合に転がったな。まあ縁が合ったのは必然的だろうが……その理由に関して把握できてんのは、お前らの中に一人としていねえだろうぜ」

「あんたはどうなんだ?」

「すべては把握してねえが、理由の見当はついてる。何をどう聞いているかは知らんが、ミルエナの〝立場〟を作ってやったのは俺だ。あいつは昔から器用なんだか不器用なんだかわからんところがあってなあ」

「そうか。深く聞くつもりはない。少尉殿が話すか、つみれが調べて教えてくれる」

「自分で調べようとは思わねえのか?」

「その対象になるのは、いつだとて俺は自分のことだ。そこまで気は回らんし、余裕もない。だから仏頂面で面倒だと、そう言って切り捨てる」

「知ってる。……連理は名前だけだな。よお、一応言っておくぜ」

「顧問としてか?」

「ん、まあそう受け取ってくれ。言わなくてもお前なら自然にそうするだろうが……しばらくの間、円の〝要求〟に対しては素直に従ってやれ」

「ああ……それは構わないが、理由まで訊いていいか?」

「お前がそうであるように、円の成長にゃそういった要素が必要不可欠だ。間に合うかどうかは、円次第だが」

「間に合う?」

「――いや、忘れろ。失言だ。どっちにせよ、弟子でもねえし、お前らの手伝いなんて俺にゃできねえからなあ。ま、せいぜい生き残れ。淘汰されるな」

「……ああ、わかった。伝えておこう」

「ところで、白井。一応これも訊いておくが、潦兎仔に関してはどうだ?」

「潦……ん、ああ、ガーヴか。いかんな、どうも名前が繋がらない。どうとは、俺自身の感覚というか、感想でいいか」

「ああ」

「今はもう手が届かない相手だ。反射的に警戒はするが、以上も以下もない。敵でも味方でも――いや、敵対はしたくないし、するつもりもないな。過去は、過去だ」

「なるほど。んじゃ、遺恨はねえと?」

「ない――が、覚えてはいる。それだけだ」

「だったら協調しろよ。わかってんだろうが、あれはなかなかやるぜ?」

「悪いが、あいつと違って今の俺には居場所がある」

 そこだなと、エイジェイは言う。

「お前と兎仔の違いがそこだ。自覚しとけよ? あいつは一人で完結しようとして、しているが、お前は居場所があるのを前提としてんだ。そこが起源だ。忘れると、どうしようもなくなって死ぬぜ」

「起源か」

 原初の光景を思い出した。

 記憶の中の最奥に埋まった光景は、黒とも赤ともつかない、吐き気を催すほどの最悪。

 死という概念が色となって散乱したその現場で、あまりにも直視に耐え難いその光景から逃れようと、白井は青を見た。

 海だ。

 目を逸らしただけで、本当なら何でも良かったのかもしれない。あるいは空でも、己の中に埋没しても、逃げられればそれでよかった。

 けれど白井は海を見た。

 遠くに広がる水平線を眺め、己の小ささを実感し、比較として海を感じたのだ。

 だから――団長は白井を拾った。

 海と共に在ることができるのだと、そんな確信を得たから。

 けれどその団長もおらず、海はもう遠い。

 それでも。

「そうだな――」

 白井は言う。

「俺が見つけた二つ目の居場所だ。前回のように、何もしないうちに無くなるなんてのは、もう御免だ。言われるがままの俺ではなく、ただ俺として、居場所を作ろうと足掻くくらいはするさ」

 まだ、居場所を守ると言えるほど大人ではないけれど。

「だからエイジェイ、水槽の中の金魚を見る気持ちで、せいぜい眺めてろ」

 それが、白井の決意表明だ。


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