--/--/--:--――円つみれ・ミルエナ

 その日は、雨が降っていた。

 十月も半ばに入り、未だに暖かさは残っているものの、雨が降れば気温がやや下がり、肌寒いと感じるため、ストールを肩に引っかけた円つみれは、昼食を外で摂取してから、いつものように部室に顔を出す。あれからもう四日になるが、久しぶりだという感覚は遠く、かといって当たり前と思うこともない状況の中、ノックもせずに扉を開いた。

「ただいまー」

「うむ、つみれか。どうだ、私の淹れた不味い――」

「いらないから」

「……どうだこのつれなさ。私に対する扱いがどんどんぞんざいになっている」

「それ正解ってことでしょ。や、つみれ、久しぶり」

「連理先輩もいたんだ。ん……」

 扉を閉め、頷きを一つ。

 思わずなるほど、と声が出てしまった。

「なんだ、どうかしたか?」

「うん? 相変わらず薄暗いなって――」

 暗くもなく、明るくもない。

 薄暗い。

 これ以上に心地よい空間も、そうそうないだろう。

 眩しくもなく、不安に駆られるほどの闇があるわけでもないのだから。

「ステータス異常は直ったのか?」

「なんとかね。ただ持て余してはいるけど……あ、連理先輩もいる? お茶買ってきたんだけど」

「あんがと」

「どーぞ。邪魔じゃなかったかな」

「邪魔だとも。せっかくレンと私との――なんだつみれ、はいはいわかったわかったと言いたげな目は」

「似たようなもんじゃん。ところで、連理先輩って少尉の監視でもしてるの?」

「へ……? なんでまた」

「好きできてるわけでもないし、あたしらと一緒に行動するわけじゃないし。ただ、どっちなのかなって――危険だから監視してるのか、それとも行動を制限するために監視しているのか。もちろん、記録を取るって意味合いもありそうだけど」

「――驚いた。つみれからそんな言葉が出るなんて思ってもみなかったから」

「あれ? ……ねえ少尉、もしかして連理先輩、知らなかった?」

「うむ、そのようだ」

「おっかしいなあ、てっきり知ってるもんだとばかり。もしかして連理先輩、あんまし情報とか仕入れない?」

「そういう面倒なことはしないケド?」

「うっわ、胸張ってるし。――先輩らしいけど」

 だったらと、定位置に座ったつみれは問う。

「少尉の方では察しがついてるわけ?」

「……そういう話がしたいのか。私はどうであれ、レンが傍にいるのならば、これほど嬉しいことはない。これは感情的な話だ」

「なによつみれ。問題でもあるの?」

「うーん……引っかかり、かな。未だに全体像が上手く見通せないから、欠片を集めてる最中で。なんだろう、どうも恣意的な作られ方というか、なんというか」

「その言い方の方がわかんないんだケドね」

「にゃはは、まあなんていうか……本題に入ろうか。ミュウは今頃、親父さんに逢いに行ってるだろうから、来るにしたってもうちょいあとになるだろうし」

「なんだ、改まって。面白い話なら歓迎だが?」

「面白いかどうかはともかく、少尉の話ではあるよ? ミルエナ・キザラギのね」

「へ――」

「ほう、調べたのか、円つみれ」

「まあね。その言い方だと、つまりあたしのことは知ってたってことね? それはいいんだけど――実際、あたしの〝記録〟の中に、ちゃあんと少尉の名前も入ってたよ。使い方は馴染んだけどさ、まだどう使うべきかがわかんなくて、試行錯誤中だから、変な言い方になるかもだけど、ごめんね?」

「構わんとも。潦同様に、円がそうであることは知っているつもりだ。もちろん、今から改めて確認できるわけだが」

「それ、期待値込みの過大評価だから。たぶん」

「キサラギ? というと、マルヒトは――」

「うん、そう。あの如月の家系に、まあ、関係のある人、かな。これは私の予測だけど、かつて師事していた人が如月の家系の人で、名を継いだというか、貰ったんじゃない?」

「その問いには、改めて全てを聞いてから話そう」

 思いのほか嬉しそうに視線を投げる少尉は、不味い珈琲を一口飲んだ。

「といっても、あたしが知ってる情報なんて大したことないよ? 名前と、年齢は四十台後半で、〝見えざる干渉インヴィジブルハンド〟って組織の〝かっこう〟って部署、そのファーストナンバーである三〇一を持ってて、かっこうが托卵する意味合いを込めて、敵地へ侵入して溶け込み、情報を集めながらも隣人として生活し、状況に応じて作戦行動に移る仕事をしてたってくらいかな」

 大きな組織なら、どこでもやっているようなことだ。ただし、一般的に考えられる侵入時間は最低でも三年と長く、隣人になって敵地の中で油断を誘えるようになるまでと考えるのならば、それこそ必要な時間だろうけれど、〝かっこう〟と呼ばれていた彼らは、それこそ一ヶ月、長くて一年でそれを達成してしまう。

 つまり、敵地侵入のスペシャリストだ。ただの諜報員とは言い切れないほどの実力者である。

「あとは推測情報、ないし断片的な情報からあたしなりに組み立てただけ。術式としては〝現身〟で合ってるかな? いろいろ制限はあるみたいだけど、最低限、姿だけは完全に変えられる。つまりババァ――あ、ごめん」

「う、うむ、いいとも、うむ……ははは、ババァか。はは……」

「でも、なんであたしだったわけ?」

「……さて、どういう意味か詳しく聴きたいところだが」

「世に偶然はないけど、ミュウのことは間違いなく、縁が合った。そこが始まりで、終わりはまだわかんないけど、続いたのがあたし。連理先輩がどこなのかはわかんないけど――ミュウはともかく、もし先輩があたしのことを知っていたら、円を知っていたら、反対したと思うし、できなかったとしても介入したはず」

「知らないケドね」

「うん。……いや、先輩はもうちょっと知ってた方がいいかも。一応、あの蒼凰そうおう蓮華れんかさんの娘なんでしょ?」

「父さんのことは知らないし」

「いいんだけどさ。――でね? ミルエナ・キサラギは円の家系のことなんてわかってたはずでしょ? あたしがそうなのか、そうでないのか、その確信が得られていたかどうかはともかくとして、円に接触したことに変わりはない。しかもミュウを使って」

「心外だな。使ってはいないとも。頼んだだけだ」

「そこんとこの事情は置いといて」

「でも、そんなに気になるところ? 気まぐれでもいいと思うんだケド」

「うん、普通ならそう。ミュウも同様にね。でも、あたしは円だから――それなりに不味い。ここ数日でちょっと調べた範囲でも、あたしが完成してたってのを知ってる人間はそれなりにいるし、生き残りがいることを知ってるのだけでも、かなり多い。今までは父さんが誤魔化してたけど、少なくとも今のあたしは円だと、そう自覚しちゃってる」

「ふうん? 敵が多い?」

「ううん、そんなことはないよ。多くはないと思う。たださ、ほら、ミュウってあれじゃん。命令を聞いて動くだけの人じゃんか。その隣にあたしがいるとなれば、外から見れば少尉――ミルエナが囲ってるってことになるでしょ? そして、更には連理先輩の監視がついてる」

 この状況は、事情を知らずに情報だけ仕入れた人間にとっては、かなり危うい状況だ。

「先輩は蒼凰だし、監視していることが、そもそもミルエナを守ることにも繋がってるはず。だとすると、そのミルエナがあたしを囲ってるって状況がもう、かなり危険視されてもおかしくない状況なんだよね」

 そして、それはあたしを選んだ時点でわかりきってたことだと、唇を尖らせながらつみれは言った。

「不満か?」

「じゃないけど、なんか釈然としない。あたしに――調べて欲しいことでもあった?」

「お前を知りたかった、という理由では駄目か」

「だめ。わかるでしょ? 予想してたはず。あたしが円なら、〝現身リング〟への対処もしてある。もちろん、それが通用するかどうかはわかんないけど、さすがにリスクが大きすぎるでしょ」

「そこまでわかっていて、つみれには答えが出ていないのか?」

「……それ、ふつー聞く?」

「うむ、私は聞くとも。私は今のつみれも面白いと感じているからな」

「そお? 私はなんかこう――危ういなあって思うケド」

「連理先輩のそれ、正解……。あたしは自分ができることを知ったけど、どう使うべきかって点はまだ不安定なままだから」

 どう付き合っていくかの答えは出ていても、どう使うかは難しい。なにしろ、自分だけでなく他者に影響を与えるからだ。

「――〝現身〟の術式は、自己の構成を放棄するところから始まるんでしょ?」

「そうだ。もちろん、私は私であることに変わりはない。あくまでも外見を変化させるだけだ。マルヨン――三〇四は、私とは違い外見ではなく、気配そのものを変えるが」

「だから自己の形成そのものに着手を始めた。そのための新しい接触がミュウであって、あたしだった。何しろミュウもあたしも、そちら側とは近くて遠い」

 うむと、少尉ことミルエナは嬉しそうに頷く。

「そこまで考えられているのならば、なるほど、ステータス異常が治ったというのは、嘘ではないようだな。安心したとも。そして安心するといい。円つみれは、変わってはいない。お前は、お前のままだ」

「――……あんがと」

「なんだ、その不満そうな顔は」

「べらべらしゃべったのが、そんな確認のためだったんだって、気付いたから」

「ははは、嘘を言っているつもりはない。まあ癖のようなものだな、これは」

「性格が悪いのは知ってるケドね」

「言うではないか。しかし――良かったと、そう思っているのも事実だ。ミュウのように、いささか過去に引っ張られて昔に戻りつつあるともなれば、私も心配するが」

「あー……ここんとこ、いろいろ聞いたし、あったもんね。でも、ただ命令を待ってるってわけでもなし」

「それでは私が詰まらんではないか。もっとも、昔を思い出すのは悪くないことだ」

「だね。自分ができることを確認できる」

 それに、引きずられなければ、だが。

「このへんの話、ミュウにしてもいい?」

「その辺りの判断はつみれに任せよう。それよりレン、改めて問うが、周辺で変わったことはないな?」

「へ? ああうん、私の周りは面倒ばっかりでぜんぜん変わらないんだケド、どゆこと」

「それを私に問われても困るな」

「うん、あたしも困る」

 他人事だからだ、とは言わないものの、仏頂面をする連理も悪くないな、などと思っていると、ノックがあった。相変わらず、ミルエナの短い言葉が飛ぶ。

「――入れ」

「邪魔するぞ……あーなんだ、一人じゃねえのか」

「兎仔じゃん……」

「おめーは、なんで落ち込んでんだ。ひきこもり癖はどうなんだ? ちったあ外に出ろ。……なんだ、席は埋まってんのか」

 へえと、つみれは僅かに目を細める。空席はまだあるし、客用の席もあるのに、その上での判断だとわかった。そして同時に、そう理解させるための言動であったとも。

 意識して思考したわけではない。この程度だと、ほぼ無自覚に、自然な流れで理解できてしまう。この辺りがまだ、慣れない部分だ。

 相変わらずの潦兎仔は、なにかを考えるよう扉を閉めて視線を三人に投げたが、まあいいかと、部屋の隅に立てかけてあるパイプ椅子の一つを引っ張り、洗面台の横辺りに、テーブルから距離を置いて座ると、背もたれに右手を乗せるよう斜めに腰かけた。

「初めまして、じゃねーよな? こうしてツラを見てみりゃ、何度かすれ違ったことがある。そん時のあたしは隠れてたし、隠してたから、気取られたかどうかは知らないぞ」

「うむ、潦兎仔。名前も知っているし、こうして顔を合わせたことで私にもわかることはあるが、――なるほどと納得する部分が多いとも。しかし、今の私は学生なのでな」

 潦兎仔。

 ここ数日、管理人ことベルのところに顔を出し、どうするかを決めるための情報集めなどをしていたつみれは、古い記録に加えて、最近の情勢は教えてもらえなかったものの、人物の相関図に似たものは仕入れている。その中に、潦兎仔の名はあった。

 記憶を引っ張り出せば、ここに来た理由はともかくも、縁が合った――ないし、合っていたことはわかる。だからこそ、あの日に負傷した兎仔と顔を合わせることになったのだ。

「こっちは久しぶり、かな? 兎仔さんは元気そうだね」

「久しぶり? 円、そりゃ本気で言ってんのか?」

「ああ、うん、まあ」

 初めまして、かもしれないねと、つみれは苦笑を浮かべる。

「兎仔さんは気付いてた?」

「ベルほどじゃねーにせよ、名前を聴いた瞬間から当たりはつけてたぞ」

「……怖いなあ。あたしの知る限り、兎仔さんが今のところ一番怖いかも」

「そいつに同意はしねーぞ。つーか円は後回しだ。おいミルエナ」

「む……なんだ、私に用事か」

「用事つっても、一つだけだ。――てめー、蠍に話したのか?」

「まさか、冗談だろう。仕事の内容を話したことなど、それこそうちの大将関係くらいしかないな」

「どっちの」

「本社のだ」

「――それ、楽園の王だよね。名前までは知らないけど」

「へえ? そこらの知識もあるのかよ」

「全部じゃないけどね。その辺りの〝記録〟だって、それなりに危険性があるから、なおさら、ミルエナがあたしを引っ張った理由については疑心があるんだ」

「ミルエナがどうであれ、必然だぞ――このあたしを含めてな」

 癪に障る話だと、兎仔は吐き捨てた。

「どれもこれも、ブルーの掌の上だクソッタレ。レンさえいなけりゃ、どうとでもなる話だったんだぞ」

「私のせいにされても困るんだケド」

「お前が悪いってわけじゃねーよ。悪いのはミルエナだ」

「む……私か」

「わかってんだろーが」

「もちろん、わかっているとも。しかし、悪いというのは賛同しかねるな」

「あたしにとっちゃ悪いんだよ」

「なるほど、そういう事情か。うむ、知ったことではないなあ。ははははは」

「ちっ……」

 嫌悪? なにかしらの確執? ――いや、そういう雰囲気じゃないと、つみれは思う。ただお互いの立場について、感想を言っているだけに感じる。

 だとして、兎仔は何が気に入らないのだろう――そんな思考に没頭しそうになる己を、ひとまずは引き留める。自分が考えていることを周囲に悟られるのは失敗を招きやすい。

 なにしろ会話によって、つみれの反応そのものを引出している可能性もあるのだ。

 本当に怖いと思う部分はここだろう。結局のところ、そうやって日常会話そのものすら疑ってかかるような日常を、当たり前のように兎仔は過ごしている。とてもじゃないが、並みの神経ではやっていられない。

 両親が狩人でいる、という事実の片鱗を味わった気分だ。

「兎仔さんは、狩人になんないの?」

「やるかよ、面倒くせえ。だいたいあたしは、現在進行形で育ってる最中だぞ? 連中と一緒にされるのは御免だね」

「そうかな……変なこと言うけど、在り方はむしろ、そっちに近い気がする」

「だったら、ならなくたって同じじゃねーか。野雨にいりゃ退屈だけは無縁だしな。――学校はサボるが」

「……そういえば、兎仔さんって野雨西だっけ」

「おー、こっちの席は持ってねーな」

 しかしと、兎仔は話を変えた。

「潦と円を合わせるな――か。どうだ? 実感はあるか?」

「ぜんぜんない。ただ……それは、今の兎仔さんだからかな? とは思ってる」

「お前……なんなんだ、その理解の良さは」

「いやいや、ここんとこ必死に考えた結果よ? ここ数年間の情報が一杯だったから、大変だったし、物事は見方で大きく変わるってのを体験したよー」

「え、なに、どゆこと」

「潦と円を合わせるな――合体ではなく、顔を合わせるなとの意味の方だろう。もちろん相性などの問題もあるだろうが、円が思考を担い行動を潦が行う二人一組。言葉を交わすことなく手足のように動ける状況が作れたのならば、なるほど、脅威だろう」

「あー……脅威になるの、それ」

「人にとっては充分にな。つーかレン、お前はその辺り、変わらずかよ。いい加減にしねーと、手ぇ回して鷺城か朝霧のところにブチ込むぞ」

「ちょっと、冗談でもやめて欲しいんだケド」

 睨むように兎仔を見た連理は、無意識に両手で自分の体を抱きしめる。ことん、とミルエナがカップを置いた音に、びくりと躰を震わせるほどで、よくよく見れば顔色も少し悪くなっていた。よほど嫌らしい。

「レン、怯え過ぎではないか? ははは、可愛らしいな」

「この前、ロシアの山奥で雪の中を死ぬかと何度も思うような行軍したのを思い出してるだけ……あの二人んとこ行くくらいなら、仕事した方がマシ」

「ま、どうでもいいか。円、もうちっと安定したら遊ぶぞ。楽しみにしとけ。それとミルエナは、そろそろ腹ン中のもんを外に出せ」

「わかっているとも。好んで招いた状況ではないにせよ、私はコレを仕事にしないと、最初から決めている」

「金を貰うのだけが仕事じゃねーぞ」

「ははは、これは一本取られたな」

 ひょいと立ち上がった兎仔は、パイプ椅子を畳んで元の位置に戻してから、窓をあけて外に身を投げた。

「――荒事になる前に、荒事に対処できるようにしとくんだな」

 それが捨て台詞だ。

 案外、面倒見がいいんだなと思いながらも、だったらそれは、兎仔の仕事なのか否なのか、今のつみれには判断がつかなかった。


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