10/20/10:30――円つみれ・電子戦闘技術

 そもそも、まどかつみれは暇を実感したことはあっても、持てました覚えはまるっきりなかった。なにしろ携帯端末が一つあれば、プログラムは組み立てられる。

 情報処理学科の窓側から二列目、後ろから三番目の机に向かい、開いているのはノート型端末だ。ちなみにこれは授業で使う持ち運び用であり、プレハブ棟にある部室に置いているものとは違う、いわば本来の意味でのサブ端末になる。一応は授業用だが、無線で学内ネットワークには接続していない。

 ふんふんと鼻歌交じりにキーボードを叩いている。白の画面に浮かぶ黒の文字がスクロールしていくが、そもそもつみれは市販のOSを使っておらず、独自OSを基盤にしているため、プログラムの製作もまた、独自コードを利用している。とはいえ、独自といっても一般的な路線から外れることはなく、単に同じ仕組みのものを、つみれの癖に合わせたソフトというだけのことだ。

「つーみれ」

「ぐえ……」

 後ろからチョークを決めてきた同じ情報処理学科の女性、心ノ宮しんのみやこころの悪戯に対し、それでも動かす手を止めず、視線はディスプレイを見ている。まだ切りがよくないのだ、と心の中で言い訳しておいた。

 確かにつみれは度が過ぎている方ではあるが、情報処理学科の学生たちは、大抵似たようなものだ。暇があれば端末を開いて作業をしている。とはいえ、だからといってお互いに会話もしないわけではない。

 ちなみに心ノ宮こころは、情報処理学科の首席だ。かなりの電子技術を保有しているのは自他共に認めるが、実際にはほとんど顔を出さない学生会長の佐々咲さささき七八ななやの方が上らしい。つみれはどうか? と問われても、いかんせん、つみれは誰かと比較して楽しむ趣味はないので、知らない。

「こころ、締まってる。太くて柔らかい腕が」

「んんー? なにか言ったのかしらねえ」

「ぐえっ、ぎぶぎぶ……」

 まったく、と言いながらこころは隣の席に回った。髪の長い、やや長身の女性でスタイルも悪くはないのだが、食事制限をよくしているのは、つみれも知っている。

「つみれは痩せてるわよねえ」

「そお? 特に体型維持は気にしてないけど、こころと違ってちゃあんと運動してるから」

「ほんと、そういうとこ卒ないから嫌んなっちゃう……というか、相変わらず何してるのかさっぱりわからないのが、また気に食わないのよねえ」

「んー、ちょっとネットワーク関係の課題があってね。自宅にある据置との通信速度は問題ないんだけど、大量のデータ交換が行われる際にちょっち問題がでてきて、見直してる最中ってとこ」

「……見るからに手直しじゃなく、最初から組み立ててるように見えるけど?」

「新システム導入間際って感じ」

「あんたね……パッチ当てるだけならまだしも」

「だーいじょうぶだって。そういうのがやりやすいよう、この端末使ってるわけだし」

「オリジナルのOSだっけ? 普段の授業はどうしてるのよ」

「うん? 市販のOSそのものがソフトとして入ってるから、起動してやれば問題ないよ」

「仮想展開?」

「じゃなく、ソフトとして起動する形。なんていうかなあ、仮想OSっていうよりは、文章作成ソフトを立ち上げるのと似たような感覚。アプリケーションの一種ってのも間違いじゃないし……」

「ふうん? 一度使ってみたいとは思うけれど、でも、澱みないわね。まだ導入部分?」

「んや、まだ中盤。あたしの場合、頭の中で先にコード組むから、それを端末に出力するだけだし。それよか、どったの?」

「つみれのことだから、もう中休みになったのを知らずに作業してるんじゃないかと思って」

「ふうん? あ、ほんとだ。いつの間に」

 一度手を止めて顔を上げると、確かに教員の姿がない。それを確認しただけで、すぐ作業に戻った。

「もうちょいで切りつくからー」

「それ、どのくらいよ」

「四十分くらい……?」

「ちょっとじゃないわよ、べつにいいけれど。それよりも、この前一緒に連れてた男子はなんなの?」

「へ? なんなのって……」

「あの目付きの悪い、怖そうな男子。そうじゃなくたって、つみれが男連れなんて珍しいから、結構話題にもなったのよ」

「聞いてないからそれは知らないけど、珍しいかな? あたしだって男子と話さないわけじゃないんだけど」

「そお? 女子も含めての話だけれど、つみれは行動する時、基本的に一人でやるの、自覚してる?」

「してない。そっかなあ……」

 けれど、言われてみれば確かに、そうなのかもしれない。女子同士、よく一緒に居る光景というのを見ることはあっても、今まで自分がそんなことをしただろうかと問えば、確かに少ないのは事実だ。待ち合わせをするにしても外だし、話をしたらさようなら、という形式が多い。

 無駄だとか、邪魔だとか思うのではなく――ただ、そういう付き合いをしてきたのだ。

 となれば、今のつみれは変わったのだろうか。

「うーん……」

 ぴたり、と動いていた手が止まる。

「まあ、あの人は友達ってところ。付き合いはまだ短いけど」

「なあんか、事情がありそうな言葉。まあいいわ、私はそれほど気にしているわけではないし。興味本位よ。作業、いいの?」

「あー、うん、あとで」

 保存しておいて表示を消す。画面は白色のままだ。

「――そういえば、後期課題として出されたシステムハック、試した?」

「え、そんなの出されたっけ」

「そのための授業を今やってんでしょうが……」

 半目で睨まれたが、聞いていなかったのは仕方ない。単位も試験もないため、必須課題ではないものの、一つの指針としての課題は出される。情報処理学科の場合は、教員などが学内サーバ上に構築したセキュリティを突破し、特定データを引き抜く実技試験だ。

「こころはやった? 難易度高め?」

「今回は教員じゃなく、真理学科の現役狩人、あの〝炎神レッドファイア〟エイジェイが暇つぶしに作ったって話よ、ちゃんと聞いてなさいよ。私は触れたけれど、まだ突破できてないわ」

「暇つぶしってことは、本気じゃないってことかあ……」

「そういうことね」

「ターゲットのアドレス、教えて?」

 ボタン一つで無線LANで学内ネットワークに接続し、学生番号を入力してログインする。

「え、今から? 休みはもう残り十五分しかないわよ?」

「試すだけだし」

 ぱたぱたとキーを打てば画面は三分割される。左上には赤文字の警告、右には黒文字で分析情報、そして左下には青字でコマンド入力だ。自宅のように大きいディスプレイでなくとも、こうして分割するのがつみれにとっては一番やりやすい。

「いつもの情報処理学科用のサーバじゃなく、学内ネットワークにある、レッドファイア名義の固有サーバの六番データへのアクセスね」

「ほほう……」

 などと言いながらも、伝えられたサーバを見つけて六番目にアクセスをすると、大抵はそうであるように、ユーザー名とパスワードを要求する認証用の窓が開く。セオリーでは、この二つの情報を探し出し、正規のものを入力する手法を選択するのだが、情報処理学科に所属している人間の多くは、そもそも、入力を求めるサインそのものが罠になっているのだと考えるし、それを必要とせず内部に侵入することが、電子技術の本質だ。

 ハッキングとは、セキュリティを破って内部に侵入し、情報を抜くこと。クラッキングとは、情報そのものを壊してしまうことを指す。

 前者は、痕跡を残さず見つからなければオーケー、というのが、彼らの流儀だ。

「――見てていい?」

「いいよ。見られて盗まれるようなやり方を、見られるような場所でやるなってのが教訓だし」

 一度、パスワードの要求をキャンセルして消してしまう。表示したまま行うには画面が小さすぎる。十四インチ程度のワイド画面では仕方ない。

「でも、説明はしないかんね?」

「されても嫌よ」

「はあい」

 では始めだ――短いコマンドを三つほどだし、まずは正規アクセスを行いながらも、別方向からアプローチを開始。途端に画面の右側には文字が一気に流れ始める。それを目で追いながら、入り口付近の構造を読み取りつつ、罠となっている意図した隙間から相手の思考を知り、防御に対して攻撃のコマンドを打ち込む。

 大前提としては、防衛している壁を壊すこと。そこには誤魔化すことも含まれるが、それは小さな点であればあるほど好ましい。大きければ大きいほど、相手に反応させてしまうし、痕跡を消すのが面倒になる。

 ――この手の構造は初見かなあ。

 となれば、つみれと同様に独自プログラムを走らせている可能性がある。相手の癖が顕著にみられる反面、何が起こるのか予想もつかなくなるのが難点だ。

「――うっわ」

 最初の警告が生じた辺りで、見物が二人ばかり増えていたが、つみれは気にしない。

 アタックをしかけた直後、こちらを排除する動きで新しいプログラムが走り出した。それに対してデコイを投げつつ時間稼ぎをしながらも、その動きに対して最適なプログラムを走らせ、同時に相手側のプログラムが稼働した経路を逆算、停止信号を含めた調査ウイルスをそこへ仕込む。

 ――これ、電子警察とおんなじ対応じゃん。

 こちらの居場所を掴むのではなく、アクセスした場所を特定し穴を塞ぎつつ、こちらの補足と追尾を行うプログラムだ。それがわかった時点で正規アクセスを消去、そこからダミーデコイを一気に八種類分散させ、規定行動を行わせるプログラムを発射。これはつい数日前の反省を生かして創り上げたものだ。

 別方向からアプローチしていた入り口に切り替えつつ、仕込んだ調査ウイルスが返す内部情報の容量を確認、――ここから一気に作業が増える。

 現状では既に内部への侵入ができているが、内部データベースの中から特定情報を引き抜くため、情報の選別、解析などを行わなくてはならない。ここでダミー情報を引き抜けば、二度と同じ手は使えないだろうし、この前のように引っかかるのは御免だ。同じ失敗を二度やるとかなり落ち込むのは経験している。

 さらには特定情報の捜索、余計なものの排除などを行いながら、向こうから強制ログアウトを食らわないように退路の確保、そして調査そのものを邪魔するプログラムに対する防御も行わなくてはならず、さすがにこれらを一挙に解決するプログラムなど、組み立てられるわけがない。

 現状を示す右側の表示が加速するのと同時に、つみれの思考そのものも加速する。適時、対応可能なプログラムを考えて打ち込みながら、それらが効果なくエラーを吐き出すのを左上で見つつ、もっとも重要なのは、エイジェイが作り出したセキュリティを含むプログラム群の構造情報を理解することだ。

 そして、ただしく現状を示す言葉があるとしたのならば。

 ――全部対応されてんだけど!

 その一言に尽きる。

 反応速度がかなりあることから、相手がコマンドを打っているのではなく、つみれがやっていることなど想定内だと言わんばかりに、防御系プログラム群がAIの自動判定で対応しているに過ぎない。

 いたちごっこならば、速度で上回った方が勝ちだ。

 AIそのものが一つならば、そこにウイルスを打ち込めば動作の邪魔は可能だが、打ち込もうとしたウイルスをそのまま反射され、こちら側に浸食しようとする前に停止コードを打ち込み、だったら相手のプログラムコードの隙間を狙ってやれば、狙おうとした隙間が瞬間的に消えて壁になる。

 まずい、と思った時点で情報の引き抜きに主点を置いた。選別や解析が終わったところで、情報量はまだかなりのものだ。それらをすべて引き抜くにも時間が足りないが、ないよりはマシ。次を考えれば、必要にもなるだろう。

 ――でも諦めないけどね!

 しかし、五分の一ほど内部データを引き抜いた時点で、つみれの侵入は失敗に終わり、右側に流れていた文字列がぴたりと停止して強制ログアウト。一応、用意しておいた穴から戻されたのだが、負けは負けだ。

「あー……くっそう」

 この程度しかできないのが、実情だ。となれば、サミュエル・白井との共同戦線では、まだ役立たずと似たようなものでしかない。

「失敗したあ……」

「どこまで行ったのよ。まったく読めないんだけれど」

「うん? んー、どうだろ……って、はいはい、散った散った」

 十人くらいになっていたギャラリーを手で振って散らすが、あまり効果はなかった。自分ではない誰かの行うアタックには、誰もが興味津津なのだろう。それはよくわかる、つみれだってそうだ。

「結果的に言えば負けかなあ。裏ワザに近い保険は打ったけど……」

 引き抜いた情報に対して復元プログラムを走らせつつ、両手を頭の後ろで組む。二分ほどそうしていると、先ほど消したはずのログイン認証画面の窓が、ぽんと出現した。

「――お」

 きた、と思うと自動的にアスタリスクでマスキングされた文字がユーザー名とパスワードの部分に記される。それを見てにやり、と笑ったつみれが実行キーを押すと、コングラチュレイションの文字が画面に広がり、消えた。

「よしっ」

 ハッキングに対して、それが成功・失敗に関わらず、情報処理学科の全員がアタックするように仕向けられたものならば、必ず復元の動作を行うはずだと睨んだが、どうやら正解だったらしい。その動作に触発されるよう動き出すウイルスプログラムを、作業の最中に打ち込んでおいたのだ。

 復元動作とは、正常に戻す行為だ。そして、アタックを仕掛けている状態が異常になる。つまり、復元とは、本来はどういう形だったのかを示すものであり――外部の補強とは、内部が手薄になることでもある。

 つみれが作ったウイルスは、本来はアンチウイルスソフトが常時監視を行い、定期的にチェックする動作そのものに対し、チェックした情報を調査するものだ。そして、調査に指向性を持たせてやれば、目的だけを引き抜ける。

 だからこれは、エイジェイの作ったAIがオールチェックを行い、状態をグリーンだと確認する作業そのものを逆に利用するウイルスだ。取得した情報を、学内ネットワークを経由して、正規のラインでつみれの元に届けたのならば、結果こうなる。

「いえーい……ほらこころ、ハイタッチ」

「あんたの手、私の豊満な胸に向かってるわよ……」

「自分で豊満とか言うかなあ、ふつー」

 まあいっか、と全ログを保存して復元データの閲覧を始めたところ、メールが一通届く。開いてみれば、後期課題の成功の旨と、つみれの所属がきちんと記されており、それが情報処理学科の教員データベースにきちんと登録されたとの通知だった。

「ちょっと卑怯だったけど及第点ってとこかな……」

 本当なら、あそこで押されずに突破しておきたかった、と思う。その点については反省して、可能な技術を会得すべきだ。

「呆れた。中休みで終わらせるなんてね」

「あたしも成功すると思わなかった。保険が利いただけって感じ」

 やや消化不足、悪い勝ち方だなと思う。たまたま、運が良かったから、そんなふうに済ませたくなる気持ちを押し込めて、ここからは反省会だ。引き抜いた破損データを復元しても、すべてダミーデータだったのならば、偽物を掴まされたのと同じ。

 行動ログをざっと流しながら、どういうセキュリティを組んでいたのかを探り、あとで自分なりに組み立てておくまでが作業だ。頬杖をついて、ぱたぱたとのんびりキーを打つ。

「なあに、不満そう」

「結果には文句ないけど、あたしの技術としては不満かなあ……うしっ、今日はサボる!」

 オフラインに設定してから、ノート型端末を閉じたつみれは、電源コードを引き抜いて鞄の中にしまい、それを肩に提げて立ち上がった。

「はいはい、ほどほどにね」

「あとはよろしく!」

「なにをよ……」

 何人かが嫉妬に似た視線を投げてくるが、ひらりとかわすようにして廊下に出ると、ちょうど教員が入れ違いで入るところだった。

「サボりっス!」

「いちいち宣言しなくてもいい……が、誰か俺の代わりに教壇に立たんか? なあおい、詰まらん授業なんかよりも、独自で磨いた方がよっぽどタメにゃなる」

「教員の給料くれるならやるよ?」

「はは、言いやがるクソッタレめ。おう、暇があったらエイジェイがツラ見せろと言ってたぞ。てめえのアタックログは回されたが、目を通すのはあとだ。面倒起こしても、俺のせいにすんなよ」

「はあい」

 彼らは教師ではなく、教員だ。学生には授業を行うだけで、教育をするわけではない。つまり、こんな対応もスタンダードである。むしろ、学生とこうして話すだけマシな部類だ。

 しかし、あの現役狩人が? 何を考えてのことかは知らないが、両親以外の狩人と接点などないし、これは良い機会かもしれないと足を向けるが、しかし、今どこにいるのかがわからない。

 思わず携帯端末を取り出して――そこで、気付く。

 つい先日に、ナンバリングラインの調査員を休職する旨の通知を出し、受領されたばかりだ。アクセス権は持っているが、あくまでも莫大な情報にアクセスする一般権限だけで、調査員権限ではない。

 それに、そもそも独自の情報データベースを構築しようと決意してのことだ。こうして簡単に頼るのは、なにか違う気がすると思って、スカートのポケットに滑り込ませた。白色のワイシャツに黄色が混じったやや派手なネクタイ、という恰好は、いつも似たような服装をしている白井と合うかなー、などと思っての選択だ。

 さすがに十月も下旬に入ったため、長袖である。鞄の中には薄手の羽織も入っているので、夕刻になっても大丈夫だろう。――冷たい雨さえなければ。

「えっと、確か真理学科だったから……教員棟が、最上階のどっちかか」

 近い方にしようと最上階に向かうと、特殊学科棟の混沌の坩堝がある。魔術学科、真理学科、そして蓄積学科の一画は出入り口が常に開け放たれており、授業中でも雑談などが平然と行われながら、また教員も授業を行っている。本当に聞いているのかどうかもあやしいのだが、この場では、これが通常運行だ。

 つまり、気にしたら負けである。

「――ん?」

 よおと、真理学科から出てきたのは、この場に似合わないつなぎ姿の、やや小柄な男性だ。といっても、つみれよりはちょっと高いのだが――。

「円つみれじゃねえか。どうしたよ」

「なんであたしのこと知ってんの。じゃなくって、あのう、エイジェイさんいる?」

「はは、俺がそのエイジェイだ。こっちはプリント配っただけだし、ちょっと付き合えよ。下の食堂行こうぜ」

「はあ……」

 これが、現役狩人なのか。なんだか、そこらにいる軟派な男性とそう変わらないような気がする。

「話つっても、さっきのアタックに関してなー。ちょうど見てたんだ、セオリー通りかと思いきや、面白い反応をしたから、ちょい気になってな」

「そうっスか……うーん」

「なんだよ?」

「あ、いえ、エイジェイさんから見れば、あたしのアタックなんて遊びみたいなものじゃないのかなーとか」

「ははは、まあガキ……ってか、未熟な頃を思い出す程度にはな」

 さすがに授業中の時間であるため、食堂は空いていて、窓際のテーブル席に陣取った。つみれの選択したミルクティはエイジェイの奢りだ。

「で? 感想はどうよ」

「これから反省会っス。思い通りになるとは思ってなかったけど、保険が利いただけで、なんか自力でやったって感じもないから」

「そうでもねえだろ。アタック後のセルフチェックそのものにウイルスを仕込んだ手際は見事なもんだぜ? チェックに際した情報取得の反応だけを選別して、ダミー情報ならそのままに、本命を掴めば一時的に保存させといて、オールチェック後に学内サーバ内での〝平時〟になった途端、隙間を縫って転送だ。そこらの対策もしておいたんだがなあ……一般レベルで」

「どうもっス」

「……いや、なんだその話し方は」

「あー、敬語ってやつが苦手なんすよ、あたし」

「いいけどな。けどお前、ほどほどにしとけよ?」

「ん? なにがっスか?」

「犯罪に手を染めるのは自己責任だが、自分の身は省みろって話だ」

「――へ?」

「あのな? お前の対応があまりにも実戦慣れしてんだよ。電子警察への対応、デコイの使い方に痕跡の消去、退路の確保、その上でウイルスの多様性だ。ハッキングなんてのは想像力の争いだけどな、つまりそいつは経験があればこそ積み重なる。……ま、さすがにお前には、そこを目的として俺が組み上げた――ってことは、通じなかったみてえだな」

 気付いたら違う対応をしていたか、すぐに顔を見せに来ると、エイジェイは笑いながら炭酸飲料を飲んだ。中身はレモンスカッシュだ。

「本当はもうちっと早くに、顔だけは見ておこうと思ってたんだけどな」

「え、あたしなんかしたっスか」

「なんだよ、慶次郎から聞いてねえのか? あの馬鹿、そういうところには無頓着っつーか、家庭に仕事を持ち込まないだけ優秀っつーか……」

「うえ、義父さんと知り合いなんすか」

「あいつも現役、俺も現役。険悪な関係じゃねえよ? 同業者だけど、あいつは専門アリで俺は違う。けど、電子戦技術は慶次郎の仕込みじゃねえんだろ」

「そうっス。やり方は多少教えてもらったけど、ほとんど義母さんの仕込みだから」

「やっぱりなあ……慶次郎は本当、人に教えるのが向いてねえから」

 しょうがねえ、と笑うエイジェイは、改めて大人なのだと実感させられる。軟派な男などと思ったのは大間違いだ。

 わかっていて、認めている。そして理解もしている。

 義父のことも、そしてつみれのことも。

「あのー、質問なんすけど」

「おう、なんだ?」

「あのセキュリティ、所用時間はどんくらいなんすか?」

「片手間でやったから、二十分くらいか? 俺は昔、公爵位のセキュリティ見て、鼻で笑ったっきり試してねえから知らないけど、世界基準で言えば遅い方じゃないのか? まあ、お前らレベルってことなら、丁度いいだろうと思ったんだが」

 どうよ、と問われるが、ううむ、と唸るしかできない。それが現実だ。

「それに、落ち込むことはねえぜ? あのセキュリティは、壊そうと思ってアタックする側に対して、過敏なくれえ反応するようにAIを設定してあるからな。どうであれ、お前のやり方は、あのセキュリティに関して言えば、正しかったってことだ」

「けど、対応しきれなかったんすよ……」

「反省か?」

「うん。これから時間かけて、解析情報からあのセキュリティを可能な限り自分で構築してみようって思ってたとこで」

「ははは、サーバ内にあるデータごと複製する技術ってのもあるんだけどな? さすがにそりゃ狩人になって、電子戦専門になるくれえじゃないと、難しいぜ。何しろ複製することに対しても、相手は反応するからなあ」

「え、じゃあどうやんの?」

「相手の防衛行動に対して、同一のアタックを仕掛けてループさせるのが一番簡単だろ。延延と戦わせといて、その間に全部ひっくるめて複製しちまえばいい。ちなみに、難しいってのは複製の行為そのものな」

「それって、サーバごと?」

「極論を言えばな。面倒ったらありゃしねえよ。そんなことをするくらいなら、内部に侵入して該当端末から内部へアクセスした方がよっぽど楽だ」

「犯罪じゃないすか」

「まあそうだな。それと、今日のことは忘れるなよ? 今、お前が抱いてる感覚そのものはたぶん、情報を掴まされた時と同じだ」

「掴まされる……?」

「そうだ。ま、軽くな。いいか、情報ってのには用意されていたものと、隠されているものの二種類が大半だ。つっても、隠されているものを抜くってのが基本だろ。けどま、その情報の信憑性ってのは、証明が難しい」

 特に人物を探る時はなと、エイジェイは意味深に笑った。

「その情報ってのはな、偽物じゃあない。しかし、本物でもねえんだよ」

「誤情報とも違うんすか?」

「違うね。何しろ、本人はうんと頷く以外には証明ができねえモンだぜ? 賢い相手なら、そういう情報を落としておく。んで、それを拾わせるわけだ。四苦八苦して掴んだ情報だからこそ、そりゃ正解だと思うだろ? けど、そうじゃねえ――その見極めは経験でしか埋められねえが、今回の課題もその一つだ」

「そんな意図まで……けど、なんであたしなんすか?」

「そりゃお前、慶次郎の関連でツラ合わせようと思ってたところだったからな」

「……あの、変なこと聞いていいっスか」

「なんだ?」

「エイジェイさんは、なんで狩人になったんすか?」

「そりゃまた、どうして」

「や……両親のことも含め、いまいちよくわかんなくて。あの人たちは教えてくんないから、せめて訊ねるにしても、事前知識は必要かなって」

「ああ、そりゃそうか、高ランク狩人と会話するなんてこと、滅多にねえしなあ。けどま、答えは至ってシンプルだ。それしかなかったからだよ。狩人の大半はそうだし、少なくとも俺や慶次郎はその類だ」

「それしかないって……」

「ん、まあ、言い方は悪いけどな。もちろん、俺と慶次郎は発端が違うし、こいつは結局のところ俺の話になるが、いいか?」

「ういっス」

「……お前ね、やっぱ変だぞその反応。慶次郎そっくりだ」

 半目になって言われるが、しかし、確かに義父もたまーに義母と会話をしている最中に、こんな言葉遣いになっていたかもしれない。

「円、狩人認定試験の合格者数って知ってるか?」

「あ――うん。日本だけで言えば、受験者が数千人っているのに、合格者は多くて十人くらいってのは昔調べたけど」

「どうしてか、わかるか?」

「えっ……と、試験が難しいからじゃないんすか」

「そうじゃねえよ。そりゃお前らからすりゃ、そう思うかもしれねえけどな、そもそも試験ってのは何だ」

「……――あ、もしかして、選別ってことっスか?」

「そういうことだ。大勢の中から適性のあるヤツを選び出す。俺みたいな高ランク狩人は尊敬や畏怖と同時に、恨まれることもあるから、逆に大きい声で言えちまうけどな、いくら勉強しても、努力しても、適性がなきゃ受からねえ」

「その適性が、それしかないってことに繋がる……?」

「ま、近い。これでも俺は認定試験の試験官なんかもやるから、余計にわかるんだけどな。たとえば円、何かをしようと――目的を抱いたとしよう。すると、目的のために必要な手段ってのを考えて、その技術を身に着けようとする。この流れにおかしいところはあるか?」

「ないっス」

 実際、今のつみれがそういう状況だ。

「つまり、試験の受験者の大半は、狩人になりたいって目的を抱いて、手段を考え、技術を身に着けて試験に挑むわけだ」

「まあ、そうっスね」

「――それがいけねえ」

「……は?」

「それじゃいつまで経っても合格はしねえんだよ。現役狩人の誰でも、そう答えるだろうぜ。なろうと思ってなれるもんじゃねえ。何しろ狩人は資格じゃなく、生き様だってな」

「って言われても、いまいちぴんとこないというか……」

「つまりだ、狩人ってのは職業じゃなくて、生き方なんだよ。たとえば会社員が自宅に帰った時、仕事のことを四六時中考えてると思うか?」

「そりゃ人によるだろうけど、まあ、家族があれば家族のことを考えるだろうし……」

「だよな? 長期休暇にでもなりゃ、じゃあ子供を連れて遊びに出ようってのは、まあ一般的な思考だ。その際には、普通に楽しんで、たとえば連休の最終日になれば、また明日から仕事かと、そう思ったりもするわけ」

「うん」

「狩人になれた連中はな、そういう普通が、ねえんだよ。むしろ――抱けないっつーか」

 欠陥なんだと、エイジェイは言う。

「便利だしとっておくか。面倒だがしょうがねえ。これも荷物になるのか――そんなツラでふらりと姿を見せる馬鹿だけが、認定証なんて、価値すらねえもんを所持できる。誇り? 存在証明? いやいや違うだろ、俺らはそこらにいる夜盗と似たようなもんだ。命を対価にする馬鹿共だ。俺たちはこういう生き方をしてるんじゃない、こういう生き方しかできねえ人種なんだ。クソッタレと毒づきながら泥水をすするよりゃ、金になる方がマシだろ? 狩人なんて、そんな程度でいい」

 むしろ、その程度に考えられるからこそ、認定証を持っているのだと、気軽な様子でエイジェイは言った。

「だから、まあ、これしかなかったって最初の答えになるわけだ」

「仕事じゃなくて生き方……か」

「つっても、言っちまえば狩人の生き方に合わせられるような人間なら、問題はねえんだけどな。四六時中情報は入ってくるし、依頼を受けていない時だって俺らは仕事中みたいなもんだ。恨みは買うし、トラブルに巻き込まれるしな」

「じゃあ、義父さんがあたしのために休んでた時期は……」

「ははは、そこらへんは心配すんなよ。そりゃ慶次郎の選択だ。ま、立場を守って維持するために必要なことは最低限やってたし、この俺に頭まで下げたんだ、そんくれえの覚悟だったんだから、嬉しく思え」

「むう……」

「――ただし、俺はちっと違う」

「へ?」

「なろうと思ってなったわけじゃないのは確かだが――俺は最初から、つまり物心ついたくらいの時から、ずっと、狩人になるために生きてきた。変な言い方をしちまえば、結局のところ俺は、その頃から、認定証を持っていないだけで、狩人だったってことだ」

「……物心って、今のあたしよりずっと前?」

「小学校に通ってた記憶はあるけどなあ、そんくれえだろ」

 英才教育だぜと、面白そうにエイジェイは笑う。

「そういう生き方しかできねえのも、本質が違う。もう俺にとっちゃ、狩人の生き方が当たり前なんだ。ほかの生き方ってのができねえ。考えて、わかることはできるけどな」

「……」

「難しいことはねえよ。この学園にある授業を全部、教壇に立って教えることができて、教員の研究室に行けば最先端のことを二時間でも話し合える。それがこの俺、〝炎神レッドファイア〟エイジェイってことだ」

 そこで、話は終わりになった。

 なんともはや、よくわからない話である。


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