10/11/14:00――鷹丘少止・裏方の仕事
圧倒的だ。
五百人は収容可能な体育館を貸し切り状態にして行われている、鈴ノ宮清音の披露会。照明のほとんどが落とされ、ステージ上は明るく、そこに現れた清音は
一声だ。たったそれだけで、清音は己の強さを表現した。
ステージ上で輝ける人間に必要なのは、他者を圧倒するだけの強さだ。力強さはなにも、相手を殴ることだけではない。
ソプラノと通称で呼ばれることがあるように、清音の声色は高い。けれど思わず耳を塞ぎたくなるような煩さはなく、心地よさよりも先に鳥肌が立ち、凛とした姿そのものに魅入る結果となる。ここにいる大半は、それが歌――ないし声によって引き起こされているものだと自覚するのは、歌が終わってからになるだろう。
ただ、生身の人間が歌っている。それだけなのに、歌そのもので受ける影響が大きすぎて、根本である歌を忘れてしまう――意識から外してしまう。
魅入られるとは、そんなものだ。
少止は開始一分ほどですぐに、出入り口の横から外に出る。二重構造の出口、周回通路に出てから、ため息を一つ。
火丁は中央中列の良いポジションで聞いているだろう。体育館に来ている人間の中には、かなり厄介な人種もいるが、彼らが集まっている以上、逆にトラブルは起きないだろうけれど、一応見回りくらいはしておきたい。やはり、自分の目で確認するのが一番だ。
そう思っていたのだけれど、しかし。
「――少止?」
「なんだ、マーリィか」
今日も侍女姿のマーリィは、長い髪を後ろで括っている。屋敷よりも身動きしやすいようにしているのだろうけれど。
「清音おつきの侍女じゃねえのか」
「私は見回り。そっちは?」
「私も似たようなものだ。お前は清音の歌、聴いたことあったのか?」
「前に一度だけ、ちょっと。凄いのは知ってるから。少止は?」
「私は何度かある。一度歌いだせば二十分くらいは通しだ、しばらく時間はあるだろう。中には面倒な――ああ、野雨西の連中も数人いるし、誤魔化すのが面倒だから出てきた。見回りは、まあ、後付けの言い訳だな」
「そうなの?」
「ああ、天井に刹那がいたし、屋根の上に花ノ宮が居座ってる。この状況で何かをやろうってんなら、余程の馬鹿だ。やろうとした瞬間に潰されるだろ、心配はしてねえよ」
「よく気付くねえ」
「俺から声をかけたんだ、そのくらいはな。さすがに鷺城の位置までは把握していない」
「きてる?」
「まず間違いなく。刹那と花ノ宮が一緒に行動してて、殺し合ってねえ場合の大半は鷺城がいる時だ」
「ふうん……清音様が歌うだけなのに、かなり厳重よね」
「……お前、中入れ」
「へ? なんで?」
「いや、俺の傍を離れるな。とりあえずそれでいい」
マーリィならば聞いていると思ったが、そうでもないらしい。一度外に出てから、少止は煙草に火を点けて、一度だけ空を仰ぐように日差しの強さを感じた。
「ちょっと」
「……なんだ? ああ、灰皿か。準備いいな、お前」
「これは条件反射」
「ああそう。私は基本、ああいう暗がりって嫌いなんだよ。影が増長してるみたいでな。人がたくさんいると余計に」
学園祭ということもあって、外は騒がしい。けれどこの体育館は基本的に催し物をしない決まりになっているため、周囲を歩いている人はほとんど見かけなかった。遠く、喧騒のように祭りの気配が押し寄せてくるだけだ。
「そういえば、最近のお前は安定してるな」
「へ? ああ、うん……父さんに連絡入れて、書物全般をこっち送ってもらったから、研究してる」
「それでか、気配がキースレイに似てきたのは」
「……あのさ、嫌味とかじゃなくて、どうなのその、少止の察しの良さって」
「察しが良いと言われたことはないな。私みたいに単独で動くヤツなら、このくらいは気を配っておかないと、すぐ潰れるぜ。マーリィが気にするようなことじゃ…………おい、なんの冗談だ」
「え?」
「ジェイソンに追い掛け回される日は今日だったか? グラマンにケツを喰いつかれたような気分だぜ、おい。エイプリルフールはいつだったか教えてくれ」
「だから、なんの話よ」
ため息を一つ、右の方向に指を向ければ、そこには侍女が一人いた。
「…………え?」
「ほらみろ、マーリィだって反応に困る」
侍女服の鷺城鷺花は、軽く目を細めてマーリィを見てから、暑いわねと口を開く。
「こんな服を着てくるんじゃなかった」
「着るなよ」
「似合ってない?」
「外見だけはともかくも、中身を知ってる私としちゃ、引きつる顔を隠せそうにねえよ」
「大丈夫、いつも通りの無表情よ」
「え、え? サギ、ちょ、どしたのそれ」
「この前、芽衣がどっからか仕入れたって、山ほど服を持ってきたのよ。なぜか、私のところに。その時は泊まっていって、一晩中雑談に花を咲かせてたのはいいとして、今朝気になって見たら、中に入ってたから、意表を衝けるかと思って着てきたのよ」
「なにそれ。え、わけわかんない」
「朝霧には見せたのか?」
「見せたわよ。それはもう好感触な上に、嫉妬までされたわ。何故似合う、なんて理不尽な問い詰めもあったし」
「ああ……朝霧は目付きと体格もそうだが、どうも、そういった服は似合わないことに定評があるらしいからな」
「怯えて逃げないだけマシよ、少止はね。でもこんな服装だけでも、私だってわからないのが数人いたことに、ちょっとショックよ」
「ああ……だいたい想像はつくが、仕方ねえだろ。私だって騙す相手と誤魔化す相手くらいは区別するんだ、程度の低い連中は放っておけ」
「あら、あんたは切り捨てるの?」
「自分から前へ進もうとしてるやつの手伝いくらいが、私のできる最高ラインだ」
「紫花は?」
「……どうだろうな。しばらくは近寄らねえよ」
「あんたの体術も、イヅナが教えればいいんだろうけれど……ま、野暮ね。さあ、中に入るわよ。そろそろ清姉さんの歌も終わるでしょ」
「あ、うん……一曲目が終わったくらい?」
「そうね。なにマーリィ、聞いてないの。まあいいけれど……」
どうせすぐにわかることだと、再び中に入ると、ちょうど清音が歌い終えたところだった。
拍手はない。そもそも圧倒された観客は、拍手をする行為そのものに気付かないのだ。
ステージ袖からいつも通り、スーツの五六がお盆を片手に出てくる。清音はストローに口をつけて半分ほど飲むと、小さく微笑んで、マイクを受け取った。
「ご清聴ありがとう」
マイクを通した声色に、観客が我を取り戻す時間を与えながらも、小さく苦笑が流れた。
「ええ、その反応が見れただけでも充分よ。今回は理事長のお誘いがあってのことだけれど、以前に一度だけ、こうした場で歌ったこともあるの。どのくらい前だったかしら」
傍に控えている
「おそらく十数年前かと」
「的確な数字をぼかしたのは良いことね。実際には私がまだ学生の頃、一度だけ。今は職務もあるから、本業ではなく趣味の範囲でのこと――ああ、そう、先に言っておくけれど、誤解はしないでちょうだい。確かに五六は執事だけれど、お互いに支え合っている関係よ。執事がいないとなにもできない女に見られるのは癪なのよ。有能なのは確かだけれど」
「ありがとうございます、清音様」
「どういたしまして。さて――それからもうひとつ、謝罪をしておくわ。聴いていてわかった子も何人かいるみたいだけれど、これは私が人前で歌わない理由にも関係すること。ごめんなさいね、私の歌は」
聴かせるためのものではないと、清音は言う。
「私の歌はいつも、私自身に向けられているのよ。何かを伝えようと感情を入れても、伝える側はあなたたちじゃなく、私自身。そして、きっと私に共感することもできない。だから感想は、――凄かったと、そう表現したくなる。そこに不満はないわよ? ただ、そうだという純然たる事実」
さてと、清音は一息入れた。
「まだ時間もあるから続けても良いのだけれど……理事長と話した際に、一つだけ約束をしたのよ。それは私の我儘を通すこと。私の歌を聞きにきてくれた人には申し訳ないけれど、一曲分の時間だけ私にちょうだい。興味がないなら聞き流して結構、私が聞きたいのよ。だから」
だからと、清音は嬉しそうに笑みを浮かべ、マイク越しに、言った。
「私の娘の
動揺の気配がいくつか上がり、少止は腕を組んで壁に背中を預けたまま、軽く瞳を閉じて吐息を落とす。隣でマーリィが驚いているのもわかる――が。
「少止、エスコートなさい。あなたの妹がステージに上がるのだから」
と、やはりこちらもマイク越しに言われ、舌打ちをした。なんのお披露目だと、情報を暴露されたことに対して文句を死ぬほど思い浮かべながらも、中央の通路を歩いて行き、まだ座ったまま混乱している火丁の腕を引っ張った。
「ねえ兄さん……」
「予定調和は外れたけどな。行くぞ、お呼びだ」
「うえー……」
「嫌か?」
「かーちゃんの後っていうプレッシャーが」
「ああ、なんだそんなことか」
「なんだって、簡単に言うけどさあ」
五六に抱えられて清音がステージから降りて、ぽんぽんと火丁の頭を軽く叩いてすれ違う。五六も微笑んだまま、マイクを少止に渡した。
ステージはそこそこの高さがある。だから少止もまた、火丁を抱きかかえて軽く跳躍することで上に上がり、足から火丁を下ろした。
「あんがと」
「歌えるか?」
「どうしよ、頭真っ白。明るくて観客見えないね」
「ああ……俺は後ろで見てる。いつも通り歌え。技術を競うわけじゃないんだ、いつもみたいに火丁が思うように歌ってみろ。それだけだ」
「ん――まあ、いいけどさ」
「マイクはいるか?」
「あ、一応挨拶しとく」
度胸があるのは良いことだと思い、マイクを渡して後ろに下がった少止は、表情を作ることすら止めて、自然体でいる時の無表情のまま、腕を組んで火丁の背中越しに全体を見渡した。
何人かの、意味を込めた視線が飛んでくる。大半は、ざまあみろ、みたいなものだ。それを受け取りながら、少止は一切反応しない。
「えーっと、あ、どうも、娘です。清音さんの歌を聞きに来て、そりゃないよって感じだろうけど、一曲だけおつきあいください」
ぺこりと頭を下げて、マイクを後ろへ放り投げ、それは少止の手元に吸い込まれるようにして落ち着いた。
清音が、自分のために歌うように。
火丁はいつだって――少止のために歌うのだ。
声を上げる。
いつものように、火丁は歌う。
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