10/07/11:00――円つみれ・調査結果
あれから三日が経過し、その間に上げた戦果のことを考えた円つみれは、ため息を落としたい気持ちを必死に抑えながらも、周囲に人がいない状況では、自分の出せる低い声域で、無意味にも母音を長く吐き出していた。
不甲斐ない。
正直、一日目から進展していないのが現状だ。翌日までは復元したデータを元にして、犯罪行為にならないよう調査をしてみたものの、成果はほぼなし。また義母から連絡があって説教されたのは記憶に新しく、思い出せばやはり落ち込みたくもなる。
とはいえ、義母らしいとは思うのだが、説教の内容が犯罪行為に走ったことではなく、初歩的なミスで失敗したことに対してなのだ。昨日は行動ログを改めて、対処法を組み立てつつ、レポートにして結果報告まで行い、どうにか許してもらえたが、それで一日を終わらせてしまった。
まとめた結果、今のつみれでは、届かないという現状が浮き彫りになって、その旨をサミュエル・白井に伝えようと思って、教室に顔を出したのだが存在を確認できず、だとすれば、あそこだろうと目星をつけてやってきたのだが、プレハブ棟の一階だ。
ぴたりと足を止めて、ため息がまた出そうになって止める。留める――よし、大丈夫だ。
ノックを四度、すると中から「入れ」と短く声が聞こえた。
「失礼しま……うわ暗っ」
「ほう、新しい客がくるとは思っていなかったな」
相変わらず上座にて腕を組む少尉が小さく笑う。ぺこりと会釈をしつつも、一瞥だけ投げた白井が頬杖をついているのを確認する。
「歓迎しよう、まあ座れ。どこでも構わんぞ。ここ数日は珈琲を淹れてくれる人物が顔を出しているため、なんと、私の不味い珈琲ではなく、美味しい珈琲だ。まあ飲め」
「はあ……じゃ、お邪魔します」
「それでいい、なんだ素直ではないか。ところで珈琲に砂糖やミルクが必要な人種か? いやこれは、私の知り合いにブラックでも飲めるけれど、可能な限り砂糖を入れろという女が一人いてな、その影響でふいに気付いたわけだが」
「――俺には一言もなかったが」
「なにを言っている、そもそも提言しなかっただろう? それに不味い珈琲にいくら砂糖やミルクを入れたところで、それは不味い珈琲だ」
などという会話を聞きながら、どこに座ろうかと思案したつみれだが、白井の隣を選択した。
以前は喫茶店で対面だった。だから、隣ならばどうなるんだろうと、そんな単純な好奇心だ。ちなみに右手側には上座の少尉がいる。
「あ、砂糖はいらない――です」
「そうか、それならば構わんがしかし、敬語を使う気ならば止めておけと私は言うが」
「へ? なんで?」
「つまりお前は私のことを年上であることを知っていて、敬語の対応を選択したと、私に教えることになるからだ。もちろん座席の選択でミュウと知り合いであることは既にわかっているが――なあに、警戒する必要はないとも。何故ならば、警戒すべき相手であるのならば、こんなことは口にせずに黙っているからだ」
「警戒を誘発させるために話す場合はどうする」
「ははは、それは確かに、ミュウの言う通りだな。しかしミュウも迂闊なものだ、それでは彼女を擁護しているのだと公言したも同然だぞ? ぬるいがまあ飲め、温め直しができる機材は近くにないのでな、許せ」
「それはいいけど……」
「ああ、忘れていた。私のことは少尉と、そう呼んでくれ。ちなみにこの部室の主でもある。いかんせん、部活動としては未だに動いていないため、部長と呼ばれるような立場にはない」
「わかった。あたしは円つみれ――うん、つみれでいいから」
「ほう……うむ、まあいい。ところで用事があるならば先に言っておけ。私は基本的に事務的な話よりも閑談が好きだからな?」
「あーはいはい、わかった覚えとく」
言葉数が多い相手は適当に受け流しておけ、というのは処世術だが、どういう対応をするのかと思えば、少尉はさして気にしていなかった。
「え、いいの少尉は」
「うん? 覚えておくと言質を取った以上、問題なかろう」
「そうなんだ……」
普通の相手なら、もっとちゃんと聞け、とでも言いそうなものだが――逆に、言質を取るなどと断言する方が怖いかもしれない。
「ま、いいや……でさ、白井くん」
「ああ……少尉殿のことは気にするな、構わない」
「そうなの?」
「話があるんだろう」
「あーうん」
素っ気ないというか、余計なことを言わないというか。そんなテンポにも慣れればいいなあと思いつつも、しっかりこちらを見るよう頬杖を逆にしたので、つみれも視線を合わせた。
「まず――ごめん。結果だけ言えば、今のあたしには無理だった」
「謝罪の必要はない。最初から期待はしていなかった」
ばっさり切られた。あーもう落ち込み過ぎてこのまま帰ろうかな、などと頭をよぎるが、小さな吐息と共に言葉が続いた。
「お前が行動を起こすか否か、俺にとって必要だったのはそれだけだ」
「――え?」
「訊くぞ、円つみれ。これからのお前は可能になるか?」
問われ、思考が追いつくよりも前に。
「なる」
そう答えてしまってから、あれ? と思う。反抗心があったわけでもなし、そもそも白井のことは気になっていたけれど、彼の期待に応えたいなどとは思わない。あくまでも生活の延長として、やや違う場所に足を踏み入れた、その結果が現在だ。そして、失敗を生かすのは当然であり、情報を集める行為そのものを修得しようと思っていたのも事実だが。
それは己の決意であって、誰かに伝えることなど、今まではしなかったのに。
――ま、いいか。
間違ったことも言っていないし、後悔するようなことでもない。
「共同戦線だ。少尉殿の素性を総ざらいにする――どうだ円つみれ」
そういうこと本人の前で言っちゃうんだと、口にするよりも早く、左手を差し出された。
手を見て、白井の顔を見て、――ああ。
勉強をする際の目的が見えたなと思って、その手を握り返した。
「うん、よろしく」
しかし、どういうわけか白井は僅かに目を丸くしてから、ゆっくりと手を離して、吐息を落として顔を背けた。
「え? なに?」
「……肯定するとは思わなかった」
「はははは、おいつみれ、ミュウが照れているぞ。どうだ可愛いだろう」
「あ、そうなんだ」
「意表を衝かれただけだ」
改めてつみれに顔を向けた白井は、確かにいつも通りの表情だ――が。
「つまり想定外だったと暴露したようなものだがな。まあいい、つまりだ、つみれもこの部活に所属するという喜ばしいことなんだろう?」
「え、違うし」
「なにを言っているんだ。ミュウが入るのならば、必然的につみれも一蓮托生だということだろう?」
「俺は入部していない」
「いないが、しかし私のことを調査する以上、私の傍に居ることは良い方向に傾くはずだが? なにしろ、私が漏らす情報そのものが、何よりも有用だ」
「調査対象は最初から目的情報そのものってやつね」
「その通りだ」
「――俺に何をさせたい」
「そこが勘違いだ、訂正してやろう。ミュウに何かをやらせるつもりなど、ないとも。お前たちにやらせたいことは、今後出てくるかもしれんが、さすがに今の私はこれからのことなど大して考えていないからな。まあ賑やかになって面白そうだとは思っている。それで充分だろう」
「白井くんは、足しげくここに通ってるの?」
「サミュエルでいい――ああ、少尉殿のようにミュウでも、サミュでも」
「あ、うん」
「俺は珈琲を飲みに来ているだけだ」
「そうなんだ、聞いてくれつみれ。確かに私は美味しい珈琲が飲めてうれしいのだが、いかんせん話し相手としては、ぶっきらぼうで端的なのでな、からかうくらいしかできんのだ。どう思う、これを」
「うーん……あたしの知ってる人の中でも輪をかけて変人だってのは確かだよ?」
「ミュウがか?」
「少尉が」
ミュウもだけどと、一応付け加えておく。
「うむ……それは問題だな。私が学生である以上、そこから逸脱することはないと思っていたが、なるほどな。はははは、しかし変人といえば、つみれだとてそうだろう」
「癪だが同感だ」
「え? ちょ――」
「この場につみれが居ることが証明だ」
「えー……」
「ははは、確かにな。では調査報告を聞こうか。おっと、その前に一応伝えておくが、つみれ」
「なに? あ、珈琲は美味しいよ」
「それはミュウに言っておけ。一連の流れとしては、ミュウの周辺を探っていた人物がナンバリングラインに関係する人種であることに当たりをつけた私は、さてどうしたものかと悩んでいたのならば、どういうわけか私にも調査の対象が広がった。となればだ、最初からミュウの動向を気にしていたのだろうと推察も立つ。そこからつみれ自身をどう探ったのかまでは教えないが、そこでミュウを接触させたわけだ。その結果として、こうして一緒に珈琲を飲んでいるのだから、なるほど、私の判断も悪くはなかったな」
「え、あ、う……そ、そうなんだ」
なんだろう。この場所では基本的に情報がオープンなんだろうか。
「なんだ、気にしているのか? 調べるのならば、調べられても文句は言うな。そして私もミュウ同様に、調べるのならば勝手にしろと公言して憚らない。隠すこともないからな」
「へ、へえ……」
もうその考えが変人の領域を突破しそうなのだが。
「つみれ、構わないから報告してくれ」
「あ――うん。といっても、どこから説明したらいいんだろ。あたしも初の試みって感じだったから」
「では、私が誘導してやろう。本来ならばその結果のみを口頭して、手段は隠すべきだが、まあいい。ではつみれ、――うむ、ちなみにつみれとは何だったか?」
「うあっと……あ、えーっとね」
どんな質問がくるかと身構えてやれば、これだ。本題から逸れている。
「魚のすり身なんかをさ、千切って茹でた食べ物のことだけど」
「つみれ汁というやつか。よし、今度食べに行くとしよう。うむ……何の話だった?」
「調査報告」
「それだ、それだ。ミュウの名前は知っていたんだろう? アプローチはどこからしたんだ。王道では銀行口座にアクセスして入金記録の改ざんから本人の行動を誘発させて――いや、そもそもミュウの居場所を探るわけではなかったな」
「や、似たようなもんかなー。ここ数年の入出金ログに当たりつけて、そこから探ろうとは思った手前、ログだけ見て、今のあたしには手に負えないってことがわかったから、その報告のために来たの」
「そこまで踏み込んだか……」
「なるほどな。ちなみにミュウは、どの手で誤魔化している?」
「言ってみろ」
「入出金に関連したものならば、引き落としは現在地より遠い場所を選択する。受け取りまでの手筈は省略するが、いくつかの手順が思い浮かぶな。第三者に引き落とさせ、それを郵送する流れが一番簡単でわかりやすいだろう。入金に関しても、一度外貨に変えてから、世界各地で入金させるのが一番だ。もちろん、その際に入金者の偽装も可能になるからな」
「うげ……あのさ、少尉」
「どうしたつみれ。私の珈琲が飲みたいのならば、あとで淹れてやるが」
「よせ、無駄になるだけだ」
「や、そうじゃなくて、そういうコトって、普通なの?」
「どういう意味合いかにもよるが、少なくとも私にとっては妥当な対応だな」
「俺にとっては常識として刷り込まれている」
「そこんとこが、なんかなあ……ま、いいや。順次覚えてくつもりだし、あたしはとりあえず、技術を覚えながらデータベースを組み立てようと思ってるから」
「手が必要なら呼べ」
「……いいの?」
「言っただろう、共同戦線だ。連絡先はまだ教えるつもりはない」
「なるほど、つまりそれは、自分で調べろと言っているんだな?」
「曲解するな少尉殿。調べて持っているだろうあんたから呼び出されたら面倒だ」
「ははは、先手を打たれてしまったな。まあいい――」
つみれ、と少尉は呼ぶ。
「気が向いたら顔を見せろ。遠慮はいらん。私も、しばらくこの状況に馴染んでから、どうするかを選択するとしよう」
面白い状況だ、とは思うけれど。
まだ彼女は、これから何をしようか、そんな目的までは持てていなかった。
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