09/24/13:50――サミュエル・いつもの仕事
基本的に準備するものなど、ない――というより、準備は向こうがしてくれているので、白井としてはこの身一つで動けばいいだけのことだ。
あちこちを乗り継ぎ、徒歩も含めてしばらくかけて、追手などの警戒とアリバイ作りを含めてあちこち移動してから、
鈴ノ宮には元軍人が大勢いる。ほとんどが退役した人間であり、年齢としては若くて三十歳くらいなものだろう。そんな中に若輩の白井が混ざることは、本来ありえないことでもあるのだが、日本に来てからはよく駒として使われる立場なので、大して気にしてはいない。
工作員は、何も考えなくていい。ただ、与えられた仕事をすればいいだけのことだ。
だから、珍しく二台の輸送ヘリが飛び、白井の乗るものが背後についた状態での飛行に対しても、特に疑問を投げかけようとは思わなかった。
乗り込む際に渡されたバッグの中を開いて着替えを行うのが手順だ。今日は外に飛ぶようだが、国内での仕事も着替える場所がバンの裏になるだけで、やることは変わらない。
まずはおむつ、その上にスウェットのような躰に張り付く薄手のインナーを上下で装着。更に作業用の服を着て完成だ。今まで着ていた服は鞄の中に放り込んでおく。ほかにも二人ほど男がいるけれど、視線など気にしない。着替えが終わったら椅子に深く腰掛け、瞳を閉じて腕を組む。
余計なことを言われないよう、聞かれないようにする態度としては、これが一番いい。眠らずとも、こうしているだけで休まるし、面倒がないのだ。外向きには、集中しているようにも映る。
孤立しているのはなにも、学園の中だけではない――というよりも、人付き合いは苦手ではないものの、疲れるからやらない、というのが白井の選択だ。それに加えて、自分が駒という自覚が、余計なことをさせない。
「――サミュ」
かけられた声に二秒ほど間を置き、意識してゆっくりと目を開くと、移動中だというのに直立したままの男が、軽く肩を竦めて見せた。
「変わらんな。ほれ、仕事道具だ」
「ああ……キーア殿か」
俺を引き抜いた以来か、と言おうとして止める。どうであれ、話を弾ませようとは思わない。相手がどう対応するかで、会話をすることもあるが。
ジェイル・キーア。鈴ノ宮には比較的長くいる、主に海方面に強い男だ。いわゆる鈴ノ宮を紹介してくれたのが彼で、だからこそ今の白井がいるのだけれど、繋がりがあるわけではない。何しろ、三年ぶりくらいなのだから。
渡された大きめのケースを受け取り、膝の上に乗せて中身の確認をしておく。入っているのは、白井が愛用している狙撃銃が分解されたまま収納されていた。
「キーアさん、彼はスペシャルで?」
「ん? ああ……」
「――使い捨ての駒に情を入れるな」
肯定しそうな雰囲気があったため、短く吐き捨てた白井はケースを閉め、横に置いた。顔を上げれば、問いを投げた男が訝しげな視線を送っているが無視だ。
「終わりなら放っておいてくれ」
「本当に変わらんな、お前は」
そっけない態度にも慣れているのか、ジェイルは対面に腰を下ろして苦笑した。
「すまんな、こいつは無駄口を叩かない――ある意味では優秀な兵士だ。放っておいても気を悪くはしないし、嫌味は素通りするが話はできる。誤解は、されやすいがな。サミュ、任務情報を口頭する」
「ああ……」
「これからベルギーで人物Xの護送が行われる。全体目的は人物Xを確保することだ。事前情報では三両編成、人物Xは中央車両にいると思われる。護衛は各車両に四名、中央のみ三名の配置だ。運転手も含まれている」
一般的な護送車両の配置だ。もっとも、だからこそ効率的とも言えるけれど。
「プランAの説明に入る。まず第一狙撃隊が前車両のエンジンを破壊、次いで中央車両のタイヤ破壊、そして後の車両のガソリンタンクを抜いて爆破を目的とする。所定要因が人物Xの確保、その際のバックアップがお前の仕事だ。外に出た護衛は全員殺せ。一発も撃たせるな。通常弾、および徹甲弾が用意されている」
視線を合わせ、黙ったまま、白井は頷きもしない。
「プランBは第一狙撃が失敗した場合だ。所定要因が手榴弾を使い足止め、車両の破壊をお前がやれ。人物Xの保護は最優先のまま変わらずだ。その後の行動はプランAと変化なし。ただし、射距離が変化することと、徹甲弾と通常弾の変化には気を配れ」
となれば、白井はバックアップだ。メインではない。それをありがたいとも、残念だとも思わないが、失敗が許されないのは同じことだ。
「最後、プランCは――車両の停止が狙撃距離内で不可能だった場合、現地の人間が強襲する。狙撃位置の移動と確保、その後の行動はアドリブになる。人物Xの優先度は――最低ラインだ、できれば確保してくれ。護衛の殺害が最優先だ。以上、質問は?」
「支給弾薬の数は?」
「
「……豪勢なもんだ」
「現地の情報では晴天だ、気楽に行け」
「諒解」
応じ、白井はやはり瞳を瞑る。
まずは頭の中で三つのプランを再確認し、それが終わったらあとは休憩のようなものだ。現場入りもしていないのに、あれこれ想定するのは無駄になる。
足を使わない、こうした移動時間の白井は、あまり物事を考えない。意識こそ外を向いているが、ぼうっとしているのと変わらないのだが――ふいに。
「――キーア殿、どうでもいい質問だ」
「なんだ、どうでもいいのか」
「ああ、VV-iP学園に少尉と呼ばれる女が一人いるが、既知か?」
「学園に? いや……」
「そうか、ならいい」
「なんだトラブルでもあったのか」
「耳に入ってきたから疑問だっただけだ。知らないならそれでいい、仕事中にする質問じゃなかった。忘れてくれ」
それからは一言も交わさず、ベルギーの国内に足を踏み入れた。現地では既に車両の確保がされており、移動にはさして時間を要さない。
第一狙撃隊の位置はもっとも狙撃に適した位置に陣取り、そこから百五十ヤードほど離れた位置に白井は配置された。いつものように通信機を耳につけ、狙撃銃を組み立ててからマウントされた照準器に視線を落とす。
標的までの距離はおよそ九百ヤード、白井にとっては必中距離。風は西から五キロメートルとほぼ無風状態で、湿度は低く、コンディションは良い。状況の変化に伴う猶予時間が短いため、バイポッドと電子機器でのバックアップはなし。屋上からの撃ち下ろしであるため、伏射を選択。腹に敷いた薄いマットは、快適性よりもむしろ、白井の痕跡を残さないためでもある。
愛用の狙撃銃にもトラブルはなし。試射も終了していて、調整も終わった。あとは標的を待つだけ――そんな状況でうつ伏せで寝転んだまま、白井は携帯ゲーム機で遊んでいる。内容はパズルゲームだ。
何を悠長な、と思うかもしれないが、こうした狙撃任務に関しては、待ち時間で退屈を持て余す。それこそ退屈だからぼうっとしていれば、状況への対応が遅れるのだが、こうして暇潰し要因を持っていれば、緊張もほぐれるし、暇潰しにもなって良いのである。もちろん、観測手がつくような仕事や、標的を待たない仕事ではやらないけれど。
しかし。
『標的の移動を確認』
全ラインに通達される言葉が無線機から耳に入れば、途中だろうが何だろうが携帯ゲーム機を放り投げ、狙撃体制に入る。移動確認から二十分だろうが六十分だろうが、ここからは集中する時間だ。
狙撃銃を構えた白井がまずやることは、腕時計を見ることだ。表示は日本時刻だが、きちんと読み取れるかどうかで己の緊張度合を確認する。大丈夫、問題ない。いつも通りにやるだけだ。
軽く照準器を覗きこんで、第一狙撃隊が配置した風読み用の紐を確認してコンディションに変化がないことを知る。それから狙撃地点を見て狙撃銃の方向を固定、視線を外してから大きく息を吐く。
自分の役目は、第一狙撃隊のバックアップでもある。メインではないにせよ仕事は用意され、歯車の一つとして現場には組み込まれた。
緊張はある。けれど、落ち着いていた。
歯車とは、一つだけ欠けても上手く回らない。どんな役目にせよ、それが仕事ならば、それを遂行することだけを考える。余計なことはいい、状況に対応することだけに身を任せるのが白井のやり方だ。緊張していても鼓動が極端に高くなることはないが、じわりと背中に汗を感じる程度で、それを逆に集中していると捉える。
『誘導成功。ポイントアルファまで推定十五分』
十五分――これを、白井は短いと捉えて通常弾の入った弾装をつける。
ステアー社が手掛けたスナイパーライフル、SSG-31。二〇三一年に新たに開発されたもので、弾装は五発、7.62ミリを基本仕様とする、ありふれたライフルだが、使い込んだ代物は白井の右腕どころか、己そのものといった感覚がある。
己の得物に全感覚を乗せる。
もちろん今回は狙撃銃であるし、これが一番馴染んでいるのは確かだが、たとえナイフだろうが拳銃だろうが、白井は得物を扱う場合、必ずこの工程を行う。一見すれば躰を委ねるような感覚に近いが、やや差異はあるのだろう。ただ、一体化するような感覚は間違いではない。
意識するのは呼吸だ。平時よりもやや早くなっている呼吸をまず、長く伸ばすようにする。だがこの時に、躰の力が抜けないようにしつつ、照準器を覗き込めば、呼吸に合わせて上下する光景がそのまま、己の視覚そのものと共感した。
『――目視確認。これより状況を開始する』
無線から届く声よりも早く、視界の中に車が三台見えている。特装車かどうかはわからないが、装甲がなかなか硬いタイプだ。
その内の前一台が、急停止を行った。第一狙撃の徹甲弾がエンジンを抜いたのだ。
続く二台目は足を、そして三台目に着弾した瞬間、視界の中で着弾位置を確認していた白井は――狙撃銃は――すぐさま一発目を薬室に装填した。
やや顔を逸らすようにしてのボルトアクション。護衛対象を最優先として思考する輸送隊はまず、対象を外に出して安全を確保しようと、前の車両と後ろの車両から姿を見せる――が、遅い。
空白はほんの数秒、三台目が四人を車内に押し込めたまま爆発炎上した。
呼吸を止めれば視界が停止し、照準合わせはそもそも狙撃銃の役目だ、迷わず一発目を撃ち込む。優先順位は姿だけで推測した指揮官。こういう輸送の場合でも、無線で通達する誰かの存在はあっても、現場指揮が必ず存在し、彼の言葉が優先されるため、可能な限り素早く殺しておいた方が手早い。
ボルトアクションであるため、僅かに間が空く。そして狙撃とは、一発目こそ有利に働くものの、二発目からは警戒されやすい――だから。
迷わず、弾装を徹甲弾に変更、薬莢の排出を音で確認してから照準器を覗きこみ、車のドアを壁にしていた一人を撃ち抜く。立て続けに三発目もそのまま撃って一台目、車内にいた一人に直撃されたら、再び通常弾へ変えた。
中央車両から護衛を引きずり出すために姿を見せた相手を抜く――そして、次に飛び出したのは人物X、物陰にいた男が飛び出して拳銃を三発撃って人物を確保、手榴弾を車の中に放り込んで――。
『対象確保!』
――爆発、炎上、出てきた残りを狙撃し、白井の仕事は終了だ。
呼吸に合わせて視界が上下に動く。
『作戦終了――』
薬室に入り込んだ弾丸はそこにあり、意志を込めたのならばいつでも標的に向かって飛来する。
『撤収準備』
それが、狙撃銃の仕事だ。
『――ぃ、おいサミュ! サミュ! 状況終了! 聞こえるなら返事をしろ、状況終了! 撤収準備だ!』
「――……うるさいな」
『おい聞こえてるぞサミュ!』
「すまん、百二十秒で済む」
『ったく、すぐに回収が向かうから――』
キーアの言葉を聞きながら、大きく息を吸って、大きく吐く。安定しない視覚が、照準器を覗き込めば解決すると言っているようで、その誘惑を振り払いながら、べったりと張り付いたように動かない右腕を、顔を使って強引にトリガーから引き離す。
軽く目を閉じて、わざと呼吸を乱すよう浅く早く繰り返し、狙撃銃はそのままに上半身を軽く起こし、離れた右手を使って狙撃銃を支えたままの左腕を離し、二十秒ほど座り込む。
「……面倒な野郎だな、俺は」
どの仕事でも、そうだ。
得物に全感覚を乗せてしまうが故に、己と得物との境界線が曖昧になる。時計を見れば作戦時間は十分弱、たったそれだけの時間でも、こうして元に戻るには面倒な手順が必要だ。
自分を中心に、手足の延長として扱うのが一般的だ。
けれど、白井の場合は、己自身が得物になってしまう。
ケースの中に分解して収納、マットを丸くしてゴムバンドで一緒にすれば、三十秒もかからずに撤退準備は完了だ。もちろん、空薬莢もすべて拾っている。
ローターの音に仰げば、ヘリから縄梯子が吊るされた。通過する際に掴んで乗り、片腕でとっとと登ってしまう。手を貸そうとしていた男はその様子を見て、ぼんやりとしていた。
「どいてくれ、乗り込めない。それと移動を開始していい」
内部に入って扉を閉めないと、ローターの音がうるさく、大きな声を出さないと伝わらない。けれど間近で言ったのでわかったのか、彼は頷いて場所を空けた。
中に入ると、待機していた一人が扉を閉めてくれた。それに一瞥を投げ、空いている場所に腰をおろし、ケースを隣に置いて、やはり白井は瞑目する。
物足りない感覚があった。己の一部だったものが喪失した感覚だ。一時間もすれば消えてなくなるが、仕事の後はいつもそうだ、そういうふうに言い聞かせて平時へ戻ることを意図して己に教え込む。
「――おい」
やはり二秒の間を置いて目を開けば、男がタブレットを持って立っていた。それを受け取ろうとするが、男は手を離さない。
「……なんだ?」
「良い仕事だった。正直、お前を見縊ってたよ」
「そうか」
「素っ気ないな」
今度こそ受け取り、タブレットに表示された内容に記入を行う。サミュエル・白井の名と、使用弾丸の数、仕事に費やしたおおよその時間、任務内容の詳細は狙撃であること、使用した得物の名称、消費弾丸の内訳。それらを手早く入力して、立ったままだった男に返す。
「お前、この仕事は長いのか?」
「キーア殿に拾われたのは三年前くらいだ」
「その割にはいい腕じゃねえか。基本の射撃距離は?」
「戻ってデータを洗えよ。当時に申請はしているし、仕事後の報告もチェックに引っかかったことはない」
「なんだ、人と話すのは苦手か?」
「いや、帰るまでが仕事だと思っているだけだ」
「仕事熱心なことで」
「そんなんじゃない」
ただ、人殺しに良いも悪いも、腕があるもないも、そんな付属するものは関係ないと思っているだけだ。
「あんたは、俺に何を望んでいるんだ」
「若い野郎が仕事をしてるんだ、どんな野郎か興味はある。今回、第一狙撃隊に配備された狙撃手も、初陣の若い女だったしな」
言いながら、男はケースを挟むよう近くに腰を下ろした。
「そういう俺も、ここじゃ新人だ。どの程度が違反になるのかは知らないからな、そこを探る意味合いもある」
「そうか」
「俺はシルヴァンだ」
「悪いが人の名前はなかなか憶えない」
「そうかい」
「――あんた、日本で外を出歩くか?」
「ああ……それなりに、だが。どうかしたか?」
「餡子の匂いがする、と言われたことはあるか」
「いや――ないな。同業者相手にも言われたことはない」
「……だろうな」
そもそも、こうした仕事帰りならばともかくも、シャワーを浴びて着替えてしまえば、硝煙の匂いも火薬の匂いもなくなる。ましてや日本における生活で、自室での銃整備もしていないのだから、ガンオイルの香りだとて遠いものだ。
「なんなんだ?」
「大した意味はない」
やはり、白井は瞳を閉じる。
確かに同業者は雰囲気だけでわかることもある。けれどそれは会話や態度を見てのことであり、初見で判断できるものではない。ましてや開口一番、すぐにそれを断定するなど、愚者の行為だ。
それでも、彼女は見抜いた。
何故……というよりも、一体なんだろうか、あれは。素性もそうだが、行動も謎すぎる。
――自分は機械仕掛けの人形だ、と思う。
特に仕事中は、与えられた任務内容だけを確実に遂行する。むしろ、それすらも意識せずにただ行う。
こうなってしまったのは、いつからだろう。
拾われた五年前――それ以前も、こんなものだったような気がする。
――お前は。
だから、言われたのだ。
――お前は理想的な。
理想的な、殺人装置だと。
「――? なにを笑ってる」
「俺が? ああ、そうか、笑っているのか。いやなに、鈴ノ宮は良いものを拾ったんだろうと、そう思っただけだ」
「……」
任務に余計な感情を持ち込まない。作戦に疑問を示さない。ただ、やれと言われたことだけをやる。
使い捨ての駒の、最高条件だ。
「危ういと思ったなら好奇心を捨てろ」
そこで、話は終いだ。
鈴ノ宮の邸宅で、ちらりと、第一狙撃を行った女を見た。自分と同様にまだ若い女だ。
――だからどうしたと、その時は、それだけの判断だった。
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