08/25/10:00――鷺城鷺花・夜の王、白の蛇

 なんでこんなことになったのだろうか。

 場所はロシアの北部。風がやや落ち着いた頃合いを見計らっての行軍をしている三つの影の内訳は、鷺城鷺花、朝霧芽衣、そして蒼凰そうおう連理れんりの三名である。普通に歩けば膝どころか腰まで埋まるだろうと推測されるほど積もった雪の上を、少しも足を沈めることなく歩けるのは、もちろん術式なのだが、厳密には連理だけ法式を使っていた。

「さ……さぶ……」

「だらしないわよ」

「ふむ。いや待て鷺城、私としてはこちらの方が良い。何しろヘリから降りた途端、寒い寒いと喚いていただろう。どうもうるさくて適わん、こいつ後ろから刺せば静かになるかなといろいろ考えていたのだが」

「刺せばよかったのに」

「時宜を逸したから仕方ない。ともあれだ、うるさいよりはこの方が良いだろう」

「それもそうねえ」

「なんだ、不機嫌だな。さっき大声で行軍の掛け声を歌ったのがそんなに利いたか?」

「いや馬鹿だなって基本無視してたから。そうじゃなくて、この状況、どう考えても私が保護者の立ち位置でしょう」

「そうか? 私は世話を任せるつもりはないが」

「直情型の戦闘狂愛者ベルセルクがなに言ってんのよ」

「ははは、それは否定できんか。まだ状況の機微には疎い。お前と比べればな。なかなか、難しいものだ」

「あんたの馴染む速度も大概だけどね」

「もともと用意されていた場所に潜り込んだだけだ、私の評価ではないな。それに最近はよく時間を持て余す。今回のような仕事はありがたい話だ」

「あら、学生を数人、訓練してるんじゃないの?」

「それもたまに、だ。ああそうだ、暇なので最近はあちこちの情報を探ってるんだが」

「厳密には探りを入れてる」

「ふむ、お見通しか」

「いや爺さんが言ってた。いっそのこと情報封鎖してやりゃこっちの面倒が減るって」

「ははは、アキラには世話になっている。その延長だと諦めてもらおう」

「ま、いいんじゃない。爺さんも暇そうにしてたし」

「それでだ鷺城、改めての確認だが、兎仔の面倒を一時期見ていたそうだな?」

「どこまで突っ込んでんの?」

「〝槍〟に関しては一通り」

「そう。確かに、間違いなく、面倒は見てたわよ」

「あのフェイの後継者なのだろう。いやなに、以前は答えずとも良いと言ったが、ほぼ確証は得られているし、何よりもあのフェイと顔を合わせることがあってな」

「ふうん?」

「どうも――理解できん」

 結構なペースで歩きながらも芽衣は腕を組む。行軍だと聞いていたので軍服かと錯覚するような作業着スタイルだが、鷺花のようにコートも着てはいない。といっても、鷺花のコートも戦闘衣であって防寒具ではないのだが。

 その中で、連理だけがきっちり顔も隠すような防寒具を着込んでいる。この辺りが実戦経験の差だろう。ちなみに二人は我慢しているのではなく、対処しているだけだ。

「立ち回りはともかく、アレ――フェイならばあっさり越えられるだろうに」

「兎仔なら?」

「そうだ。過大評価をするつもりはないが、私にとって潦兎仔とはそういう存在だ。無論、兎仔に負けるつもりはない。兎仔が私に敬意を払ってくれていることも自覚している。それを踏まえた上で、どうも――つり合いが取れていないように思えて仕方がないのだ。極論を言えばアレはいらんだろう」

「……」

「む、なんだその心底から呆れたような、心外だと言わんばかりの顔は」

「いや、私もかつて同じこと言ったなあ、と」

 言うと、芽衣もまた似たような顔をした。

「フェイに関してはあまり考えたくはないわね。確かに総技術レベルで凌駕してるかと問われれば、もちろん肯定する気はないけれど、当人を前にするとどうも……本気で潰したくなるもの」

「ふむ?」

「――呑気なのよ。それこそ、状況を理解していない」

「ああ、なるほどな。お前は能天気な相手が嫌いか」

「わかっていなきゃいけない立場の人間が無自覚ってのに耐えられなかっただけ」

「仕掛けたか?」

「や、セツに止められた」

「なんだ詰まらん。いや待て、そこだ。兎仔は何故――……まあ理由があるのだろうが」

「そうね、あるんでしょう」

「一応、私には隠している……というよりも改めて言わないでいる、というのが正しいだろう。私も追及するつもりもないがな。だから私からそれを訊くわけにもいかんだろう」

「そんなに兎仔のことが気になる?」

「ふむ。そう問われるといささか疑問だがな。――あいつは面白い。いろいろな意味で」

「見込みがあるってことなら同感ね。それより、一応確認しておくけれど、何のためにここに来たかはわかってるのよね?」

「ああ、一通りは聞いている。だが、あくまでもエルム殿の代理は鷺城で、私は護衛という立ち位置から動かないつもりだ。本来ならベルがここに居てもおかしくはないのだが、まあ頼まれたのでな」

「それならいいのよ。とっとと終わらせたいものね」

「そうだな。……まあ、鷺城や蒼凰の護衛というのも、必要ないと思うが」

 ちらりと、歯をかちかち鳴らしている連理を一瞥する。

「訂正しておいが方がいいか?」

「いいわよ別に。実戦慣れしてないのは知ってるから。この箱入り」

「……ふむ、言いかえす気力もないか。無理せず式を使えばいいだろう」

「いやこの子、二つの式を同時展開するの苦手だから駄目。しかも効力が別となるとこのザマよ」

「容量の問題か?」

「違う。要領の方」

「不器用なのか」

「う、う、うるっさい……なあ」

「まったく呆れたものだな。なるほど箱入りか、頷ける話だ」

「というか顔見知りだったっけ?」

「ああ、ブルー……蓮華殿に逢いに行った時、顔だけはお互いに知っている。まあ私も噂の範囲でいろいろとな。もっとも、蒼凰――連理の方はどうか知らんが」

 もう一度視線を投げると、親を殺さんばかりの勢いで睨まれた。まったく怖くなかったので肩を竦めて受け流す。銃口を向けられ、トリガーを絞られたのでそれを回避しつつ笑っているような環境にいた芽衣が、まさか視線だけで怖いなどとは思うまい。

「研究の方は捗ってる?」

「それなりに、だな。今までやっていなかったことを、始めたのだ。調子良くいくのも最初の内だけだろう。とかく――そこらに戦場でも転がっていればいいのだが、日本ではそういうわけにもいかん」

「芽衣はどっちかっていうと、実戦で伸びるタイプだしね……」

「何を言う。これでもじっと座って本を読むのが好きなくらいに落ち着いた女だとも。暇つぶしには読書とストレッチ、これは欠かせん」

「今は仮住まいだっけ」

「そうだ、あちこちを転転としている。といっても野雨市内からそう外れることはないが。私もあまり鈴ノ宮に顔を出すわけにもいかんのでな」

「それで捗ってない、と」

「できることが限られると言ってくれ」

「……で?」

「なんだその問いは」

「妙に厭らしい笑いを浮かべてる理由なんだけど?」

「ふむ。――なあに、察している通りだ。久しぶりにお前と戦りたい」

「本来なら芽衣だって訓練を見てやる側でしょうに」

「ほう、そう言うのなら、近く場を整えるつもりがあると捉えて構わんな?」

「まったく……っと、その前に、アイギスとはどうなのよ」

「うん? 彼女なら相変わらず、私の中だとも。いかんせん〝逢う〟条件が未だわからん。仕組みはそれなりに理解しつつあるが」

「彼女の〝心象操作〟についてはどこまで?」

「アレは、組み立ての領域だが彼女ほど扱うのは難しいだろう」

「つまり、自分の中に彼女が居る仕組みについてはわかってるのね?」

「真っ先にそこを解明しなくては、おちおち寝てもいられん。鷺城はどう解釈しているんだ?」

「そうやって私から情報を引出そうってこと?」

「なんだ、それは私の台詞だろう。当事者の私からの方が信憑性の高い情報になるはずだが」

「……」

「…………がちがち歯の音がうるさいな。ガソリンでもかけて火を入れるか?」

「見苦しいったらありゃしないわよね」

 二人してため息を一つ。

「心象操作は、操作系術式の中でも組み立てに限りなく近い、つまり創造系魔術に分類されることもあるのよ」

「創造系? あくまでも心象操作は対象、己を含めた相手の記憶から過去の特定領域、ないし区分を限定的に展開する――いわば、記憶の中から一点を抜き出すものではないのか?」

「……ちょっと休憩入れましょうか。さすがに連理が限界だろうし」

「ふむ、構わんが。ビバークでもするか?」

「必要ないわよ。ん……と、そうねえ」

 心象操作から具現までの流れを踏襲して術陣を展開し、三人を収める範囲にて術式を完成させる。

 ぱんと手を叩けば、真っ白な銀世界が山の中の風景に切り替わった。厳密には田舎の風景なのだろう。区切られた足元には土が露出しており、傍には小さな小屋が半分ほどだけ見えている。

 そして、椅子代わりの丸太が二つと大きめの石が一つ。

「――ふむ」

 頷いた芽衣は腕を組み、足で軽く感触を確かめてから丸太に腰を下ろす。鷺花はとっくに石に座り、面倒そうに術式で形を椅子へと変化させた。

「ほら、レンも座りなさい。環境補正も術式でしてるから、そんなに寒くないでしょ」

「うあい……」

「まったく、大した手荷物もなくよく来る気になったわね。こうなることくらい予想できたでしょ? 酒の一つも用意しておきなさいよ」

「だって……サギも持ってないじゃん」

「持ってるわよ」

 影から取り出したスコッチのボトルに口をつける。

「あ、朝霧だって――」

「私も用意してあるが?」

 事前に分解しておいた酒をそのまま〝構築〟してから、喉に流し込むのを見て、腰を下ろした連理は口を尖らせた。

「誰も言ってくれないし」

「おい、おい鷺城、言っていいか」

「どうぞ」

「連理、お前の首の上についているのは飾りか? 男を誘惑するためだけに化粧をするくらいなら、少しは中身を動かしたらどうだ?」

「うっさい」

「まあ冗談は――ふむ、冗談でもないが鷺城、これが心象操作か?」

「そうよ。懐かしいでしょ」

「ああ。私とお前が殺し合っていた頃、反省会はいつもここだったな」

「え? なにそれ」

「聞いての通りだ。そっちの小屋が私の自作でな、そこで生活していた。こっちには母屋があるが、基本的に師匠しか使っていなかったからな」

「ふうん……思い出の場所?」

「さっきから口の中で血の味がずっとするから酒で流している」

「そう? じゃ、選択間違ったかしら」

「いや構わん。それで、これはお前の心象か?」

「展開したのはそうよ。けれど、芽衣の心象で細部は補強してある」

「……二十秒くれ」

「はいはい。で、なにぼうっとしてるの連理は。寒いなら火でも熾しなさいよ。適当に」

「あ、そっか……だ、だいじょぶだよね?」

「あのねえ、状況把握くらいしなさいよ。私が使ってる術式を調査すれば簡単じゃないの」

「そうだけど……なんか嫌だなあ、もう。私が子供みたい」

「子供よ。ただまあ、レンの場合はそのくらいが良いとは思うけれど、ね」

「そっかな?」

「ええ。なんだかんだ言ってあんた、――知ってしまったら見過ごせない人間だから」

「……、否定も肯定もしないケド、サギは違うん?」

「まあ、そうね、私も肯定も否定もしないわよ」

 それでも、必要なら見限ることも見捨てることもできるし、してきた。

「――つまりだ」

 二十秒の集中思考で結論を得た芽衣が顔を上げる。

「心象操作が私の知りうる限りの情報で構成されていた場合、という前提を起こすが、となるとこれはお前の中に記憶を因子に心象を引き起こし、幻覚……いや、投影した。それはつまり具現だが、限りなく錯覚に近い。たとえば精神統一を行う場合、都合悪く見られたくないものがある場合などでも利用価値はあるが、少なくともメリットとしてはあまりないと考えられる部類だろう。その上で、私の心象にも干渉して引出した――が、あくまでもそれは具現段階ではなく、補強、私の意志で見ている範囲の細部を私が己で修正している――ということだな?」

「レンもこれくらい考えなさいよね」

「う……」

「じゃ、一応聞いておこうか。芽衣の心象を具現した可能性は?」

「ない、と断言できるまでの証左はないと、一応の結論は出た。おそらく物理的なものは組み立て……いや構築か何かの術式だろう。だが本命はこっちだ」

「ふうん? 続けて」

「人の記憶再現を行う場合、抽象的な心象を具体化するにあたって必要なのはまず、物理的に周囲を囲むところからだ。似たような光景を創り出せば、自然と記憶が補正をする――つまり、私と鷺城が見ているこの状況と、連理の見ている状況が違……」

「ふえ? なによメイ」

「……なるほど、断言できなかった理由はそこか。私では連理の見ている光景を、見ることはできない。鷺城、確認を忘れていた」

「なに?」

「この状況、心象操作の術式の発展系だと捉えたが、実際にはどうなんだ?」

「延長上ではあるわよ。間違いなく――そうね、心象具現になる」

「心象操作の場合、他者に干渉したところで、それが外部に発露することはない。つまり術者が他者の操作を行った場合でも、それを実感するのは他者でしかなく、それを術者が感じることはまず不可能だ。――術者が同じ心象にならない限りは。私はそう聴いているが?」

「そうね。基本的にはその通りよ」

「だとして、私の感覚が間違っていないのならば、私の心象に対して何かしらの干渉をしたとは思えないが」

「それも間違いじゃない。けれど足りない」

「ふむ。……では、こういうのはどうだ。この状況を展開した時点で私の心象、いや記憶から呼び起こしたそれを、つまり干渉によって引き起こすのではなく、結果として出て来た心象を合致させる。そうすれば心象の元が鷺城から私に移っていてもおかしくはない」

「――よろしい、及第点ね。厳密には私の記憶の中に、最初から朝霧芽衣という個人が存在することを前提にした心象具現だから、最初から〝共通認識〟を鍵にして現実を補強する意味合いで、芽衣の心象を引出したのよ。あくまでも認識の問題だから術式で干渉されたことに無自覚でも、まあ、仕方ない。敵意も出してないし、結果までの流れを見れば自然なことだから。アイギスは既に死んでいて心象として芽衣の中に存在する。だから、その心象風景の中で同居が可能。けれど今ここには私がいて、既に芽衣もいるわけ」

「現存する二人が同じ場にいるのだから、同じ人間が見た光景を再現するのは難しくはない、そういうことか」

「そういうこと。こんなの、あくまでも周囲の景色を変えただけで、実物を変換したわけじゃないから、簡単なものよ。それでも耐熱の術式なんかは組み込んで、いわゆる結界にはしたけれど」

「なるほどな、勉強になった」

「しかし、アイギスは結構教えてるのね」

「なあに、当人に言わせれば外の情報を得られないから退屈だとは言っているが、それでも感じる限りの範囲で、私は彼女のレベルにまで追いついていないからな」

「でしょうね。セツが言ってたもの――アイギスは厄介だって」

「私にはまだ、それを言わせるだけのものがないな……」

「何が足りないか自覚してるわよね?」

「完全に、とは断言しないがな。どうであれ前進するためには鷺城、手合わせを頼みたいんだが?」

「仕事が滞りなく済んだらね。爺さんが手すきになったお蔭で、日本の元狩人育成施設の敷地を自由に使えそうだから、もうほかの連中には声をかけてあるのよ。……ま、今だと日本にいる人間の方が多いし」

「〝槍〟は――ふむ、五木に橘、茅(ちがや)に兎仔、それから佐々さささき七八だったか。メイリスもそうだが、ほかには?」

「なあに、調べたんじゃないの?」

「一通りと言っただろう。外堀――人数よりもむしろ、その役目を考えるのが先だ。違うか?」

「違わないけれど、槍の連中に言ってやりたいわね」

 誰が居るか、よりもその役目の方が重要なのは、それが組織である以上は当然のことだ。そして、何をするのかがわかれば、人数も人選もおぼろげに見えてくる。ただし、それには踏み込みが必要だ。

 たぶん、鷺花を知っているから、そしてエルムと顔を合わせたからあえて芽衣は踏み込まなかったのだろう。必要ならば、その時に探れるという確信も得られていたから。

「ケイオスもそうよ」

「――なに? あのケイオス・フラックリン大佐か?」

「そう」

「ああ、ヤツとはよく酒を飲んだものだが、なるほどな。彼女や刹那とは同僚……まあ、キーア殿も含めて、そうであることは最近聞いたが」

「最近はケイオスと兎仔、メイリスのコンビはそこそこだったわよ。ほかの子は駄目、話しにもならない」

「ふむ、まあ実際に私もこちら側に立ってみれば、同感と言わざるを得んな。茅のことは評価しているが、単騎であることが前提だ。そして単騎ならば、残念だが相手にならん」

「あんたは茅に入れ込んでるみたいだしねえ……ま、いいけど。先に言った三人が現役でかつ、第一世代。ほかのが第二世代ってことになるのよ。前はいつだったかな? ま、ともかく思い立ったら吉日ってやつで、そろそろ揉んでやろうかなと」

「なるほどな。では私も参加するが――さて、どうしたものかな」

「何を悩むのよ」

「どうやれば効果的に鷺城と戦闘ができるのかを考えているだけだ。まさか、口が裂けても私が訓練してやるとは言えないからな。私ができるレベルは遊びの範囲だけで、――後は殺すだけだ。お前のように、殺されない相手でなければ生きられんし訓練にもならん」

「物騒ねえ」

「鷺城だとて似たようなものだろう」

「そうね。ちょっと前にセツとウィルを相手に似たようなことやったし」

「――げ。サギって馬鹿じゃないの?」

「レン相手じゃちょっとできないけど、試してみる?」

「い、いやだ」

「なんだ、詰まらん。やってみればそれなりに楽しいものだがな。まあ、鷺城よりもよっぽど躰を動かさないようだが……皮下脂肪には気をつけろ。胸にばかり脂肪が集まると思ったら大間違いだ」

「うっさい!」

「ははは、なんだ図星か。――とはいえ、今の鷺城は以前ほどの恐さはないが、渋面になるほどには厄介な相手だ」

「そうなの? 私から見ればずっと怖いんだケド」

「たとえば鷺城、お前は武術家ではない。そうだな?」

「まあ雨天は名乗ってないわよ。そのつもりもない。私は魔術師だから」

「では問おう。久我山茅の糸術、そのレベルにどこまで至っている?」

「さあ……厳密にはわからないけれど、技術だけなら半歩劣るくらいかしら。もちろんおそらくは、だけれどね」

「軍隊にいたアドバンテージは躰を作っていたことだ。それがこうにもメリットにならんと示されれば渋面にもなる。なんにせよ厄介なのは思考面だがな。そういうことだ」

「ぜんぜんわかんないケド」

「……おい鷺城」

「そうよねえ」

「まだ何も言ってないが」

「だから、レンはそういう子だから――怖いってことでしょ」

「……」

「え? 何言ってんの。冗談じゃないんだケド。一緒にしないで」

「どうも、いかんな。この呑気な顔を見てると本気で逃げたくなる」

「じゃ、そろそろ休憩も終わりにしましょ。目的地はもう遠くないし」

「いや、もう眼前だろう」

「――え? そうなの?」

「すぐそこ、だ。私のために時間を与えてくれたことには感謝しているがな」

「え? ええ? 私! 私のための時間は!?」

「今やっただろう」

「その通り」

「もう嫌だ! なにこの頭おかしい人ら信じられないんだケド! ――うわ寒っ!」

 そこから一キロも軽く歩いた距離で立ち止まり、二人はお互いに目配せをする。震えている連理はあえて無視だ。

 一歩、前へ出た芽衣が視線を足元に落とす。

「……深いな」

 そう言った直後、足元から先にある一角がおよそ二メートル四方で雪が分解されて穴が空く。とはいえ、深さはまだ五十センチほどだ。

「鷺城、間違いないな?」

「いいわよ」

「では連理も入れ」

 どゆことですかと言いたげな視線があったため、その四角形の中に腕を掴んで引っ張る。そうして、芽衣は足を叩きつけた。

 雪の移動――転移術式を利用した穴掘りだ。分解したものは芽衣の中に貯蓄されてしまうため、あくまでも移動を前提としたものであり、大した労力はない。だが二十回ほど続けた結果として、五十メートルほど土を退けた形になる。

「ここまでか。鷺城、ここの封印解除は任せてもいいのか?」

「まあ……私の役目でしょうね」

 でもと、僅かに鷺花は目を細める。

「封印機構には触れない方が良さそうね。念のためよ芽衣」

「ああ」

 連理の腕を掴んだまま、言いたいことがわかって鷺花の肩にもう片方の手を置くと、周囲の景色だけが瞬間的に切り替わった。ぽんと腰を叩かれた芽衣は、もう良いの合図だと確認して両手を離す。

 広さは二メートルほどしかなく、周囲はやや暗い。足元に視線を落とせばやや急こう配の階段であることはわかるが。

「――懲罰房を思い出すな」

「あそこほど湿度は高くないでしょう?」

「雰囲気が似ていると言っているんだ。ふむ、温度は十三度以上あるな。空気が薄くもなし――」

「進まないの?」

「馬鹿を言うな連理、まだ確認中だ。どこのクソナードだ、お前は」

「芽衣」

「一度目は二時方向三千ヤード、次に三時方向千ヤード、九時方向千ヤードから六時方向六万ヤードで私の探知は切れた。複雑な手順の転移装置だ。少なくともあの場所が始まりじゃなく、中心でもないことは把握した」

「ん、それならそれでいいわよ」

「いや待て。鷺城はどこまで読めた」

「今はイラクまで。さて行きましょうか――と、レンは帰りを任せるからそのつもりで。私じゃ封印解除しちゃいそうだし」

「あーい」

「どうする?」

「じゃ、とりあえず芽衣に任せるわよ。私はまだ解析中。一応気は遣っておくから、いいけれどね」

「今のところは安全そうだがな」

「トラップはないと考えて構わないわよ。ただ」

「わかっている」

 先頭に立った芽衣が軽く壁を叩くと、道を照らすよう左右に灯りがついた。炎ではない、術式で火の形を作ったただの灯りだ。実際に触れてみても熱くはない。

「少し調べて構わんか?」

「いいわよ。ペースは芽衣が作りなさい。ほら、連理は真ん中に入って」

「うん……いいケド」

「ふむ……足跡が残っているな。しかし、ほとんどないも同じか。少なくとも誰かが通ったことのある通路、とだけはわかるが……鷺城、転移装置の条件付けは複雑か?」

「複雑とも単純とも」

「……まあいい。先は長そうだ、余計な体力は使うなよ連理」

「はいはい」

「しかし、本当に経験が足りないな。拘りでもあるのか?」

「んー……引きこもりなのは自覚してるケド、なんていうか、私はあんまり実践しない方が良さそうな気がしてるから」

「気がする、か。それでも仕事をいくつかしてるんだろう?」

「ちょっとだけ。生活に困らないくらいに。父さんも心配するし」

「心配? あの蒼凰蓮華が? ……なるほどな。お前は蓮華殿について詳しく調べてあるか?」

「してない。面倒だし、父さんだし」

「それも正解か」

 まるで巨大な岩盤を裁断したかのような階段を奥へ奥へと歩きながら、わざと足音を立てるようにして芽衣は何度か足場と、構造を把握する。反響する音や足裏から返る硬さ、こういう場所では視界に頼らない方がいい。

「メイはぴりぴりしてるね」

「うん? ああ、そう感じるか。そうだな、警戒はしている。背後は任せてあるから気楽なものだ。狙撃時における背中ほど無防備なものはないからな」

「そういえば狙撃兵だったとか言ってたっけ? 聞いたような気もするケド」

「元、だがな。それに名は売れていない」

「そうねえ、限りなく無名だったものね。メイリスとは違って」

「ふうん? メイリスってあのやたらと長い名前の人?」

「なんだ知ってるのか。メイファル・イーク・リスコットンだ」

「知ってる知ってる。てか見たことある。対物狙撃のトップランカーだってなんかで見た」

「いいように使われる旗印だがな」

「え? なにそれ」

「狙撃兵全体に対して、凄腕がいると示し上昇志向を誘発するただの旗印だ。もっともデータは改ざんなく事実だがな」

「そのデータ、覚えてる?」

「私は知んない」

「アンチ・マテリアルでの公式記録は三二○七ヤード装甲車撃破、ワンヒットキル十一秒五連続射撃。――私なら神に祈れとやる前に言うがな」

「それって、偶然じゃないとできないってこと?」

「いや、そのくらい高度な技術レベルだということだ。私でも狙撃を前提とするなら千五百が平均だろう。狙撃兵でメイリスの名を知らんヤツはモグリだ」

「条件が揃えば芽衣だってできるでしょ?」

「そんな条件が揃うくらいなら別の手段でもっと効率化した制圧を提言する」

「見世物になる気はない、と」

「……サギとの付き合いも微妙だケド、メイも大概おかしい」

「鷺城と同類にされるのは御免だがな……。さて、もう三十メートルは下がったな。気圧が変化していないのは環境対応型の術式か何かか」

 それにしてもと、小さく芽衣は苦笑を落とす。

「――むせ返るような魔力波動シグナルだな。先ほどから落ち着かん」

「人の放てる魔力じゃないわよね。まあそれもそうか」

 何故なら。

「今から逢う相手は――夜の王、幻想種の最たる存在なんだから」

 そのために、三人はここへ赴いたのだ。

 しばらく無言で歩くと広間に出た。まずは芽衣が足を止め、横に並んだ時点で連理を片手で制止する。そして、鷺花が前へ出た。

 かなり広い広間だ。過ぎる、と言ってもいい。暗さは単純に灯りがないだけでなく、渦巻く魔力の奔流が空気そのものを濃くしており、呼吸をするのも難しいほどの中、三人は嫌な顔一つしない。

 玉座がある。

 誰かがいる。

 魔力はそこから放たれている。

 いや、ただそこに在るだけで魔力が漏れているだけだ。こんなもの、彼にとっては空気でしかない。呼吸と一緒に吐き出されたものが溜まっているだけだ。

「初めまして、と言うべきかしら。名も知らぬ王よ」

「――名はない」

 しわがれた声。強くもないその声が空気をびりびりと揺らすような錯覚があるほどに存在感を持って放たれる。一礼して鷺花がさらに近づくと、壁を這うようにして灯りがついた。

 玉座に。

 やや小柄な老人が頬杖をつくようにして座っていた。

「さて、まず言っておくが、歓迎する若き者よ。どうであれここへ至った〝人間〟に対して危害を加えぬよう私は私に制約を課している」

「そう……私たちもそのつもりはないわ。対話をしに来たのよ」

「ふむ……」

「まず一つ、いいかしら」

「言ってみるといい」

「ここ百年で、何人とこうして会話を持ったのか――いえ、ごめんなさい、そうじゃないわね。隠す必要も韜晦もいらない。それが直感であれ確信を得られたのならばそれを口にするのが礼儀。――雨天静、ならびに雨天暁がここへ来てあなたと話をしたわね?」

「そうだ。名を訊こう、若き者たちよ」

「鷺城鷺花。交渉にきた」

「朝霧芽衣だ。私は護衛の立ち位置で、口を挟む権利はない」

「蒼凰連理。記録をするためにいる」

「そうか……私の名は、ない。こちらの問いに答えてもらおう。どうやってここへ来た?」

「縁を手繰って」

「ほう、それはここに私がいることを知った上でと捉えて構わないか?」

「いいえ、知らなかったわ。ただ、そのための準備を以前よりしていたことは事実よ」

「その準備とは何だ」

「縁を繋げること――情報を明かしましょう。最初に接触したのはアルレール、王の薬指。彼は準備段階より前に接触があった」

「そうか……人に紛れるのではなく、人に触れたか」

「唯一、アルレールだけが血を別けた、たった一人の存在は私の近くにいる」

「――なに? あいつが……血を? ははは、それはどういう風の吹き回しだ。しかしこの場にはいないようだが、何故だ?」

「そのまま伝えるわよ」

 ここへ来る前に刹那小夜と交わした言葉を思い出すと、場違いにも苦笑したくなったがそこは抑えて。

「〝筋が通らねーだろ。アイツに逢うなら、アルがオレを紹介すんのが道理じゃねーか。だから必要ねーよ〟……と、いうことよ」

「なるほど、ははは、なるほどなあ。確かにそれは筋が通らん」

「いいかしら」

「ああ、続けろ」

「アルレールから繋いで王の親指、フォトと繋がりを作った。彼女は人を見下している傾向が強いけれど、だからこそ人を無視できない。私は顔を合わせたことはないけれど、その必要はなかった。私の――私たちの、いいえ、人間の誰かが接触した事実があるのならば、それでいい。同様に王の中指であるケンネスもよ。そうやって、王の知り合いと知り合うことで、間接的に王と知り合えれば――縁は合う。後は手段と、目的を持てばこうして発見できる」

 とはいえと、鷺花は言う。

「暁は私の父よ。そうした繋がりも影響していたんでしょうね」

「気配が似ていると思えば、そういうことか。まだ生きているのか?」

「ええ。――ただし、紅月が堕ちた時にどうかはわからない」

「それは世界の変容を指してのことか」

「そうよ。あなたにとってはもう何度目かの、破壊と創造」

「やはり近いか」

「そのために、逢いにきた」

 一歩、鷺花は前へ出る。

「今回、幾人かが主導になって変えようとしている。破壊の形、創造の先をある程度制御するつもりで動いている」

「ほう、今までそうした人間はいなかったようだが?」

「そうでしょうね。何しろ〝世界の意志プログラムコード〟そのものが動くならば、人には否定する力がない。――けれど、否定はできなくてもそれを受け入れ、違う形に導くことはできると、それをこの時代に示した存在がいた」

「誰だ」

「あなたと同様に名はない。いいえ、呼ぶ人間の数だけ名前を持っていた。彼女はただ自分が手にしたあらゆるものを譲渡するだけの存在だったけれど、だからこそ、可能性と譲渡するかのように、行動によって示し――世界に、消されたわ」

「そうか、やはり人は面白い。成長は変わらず私に感情を与えてくれる……短命なのがもったいないほどに。否、短命だからこそか。では問おう、何をしようとしている」

「世界を七つに分割する」

「――なに?」

「ただしくは八つ。けれど基本は七つ……何故、一つ増えたのかは後にするわ。呪術では世界の理を五つ、つまり木火土金水で捉えるのだけれど魔術では地水火風天冥雷で分割する。それを、世界そのものに該当させようと動いている」

「続けろ」

「破壊は受け入れる、人は抗い生き残る。それは大前提として、結果が見えなければわからない。もちろん手は尽くしている。それでも破壊は受け入れるしかない。その際に、いわゆる島を七つにしてしまう。しるし……いいえ、柱を作ってそこに吸収、合致されやすい環境をこちら側で制御する」

「……私に、その柱になれと?」

「交渉の目的だけを問うのならば、そうよ」

 重苦しい沈黙が発生した。二人は視線を逸らさず、瞬きもしない。ほんの十数秒のことだったが、その間に芽衣は呼吸を忘れるほどで、連理はそっと芽衣の衣服の裾を掴んでいる。

 怖いのだ。

 ただ、沈黙が怖い。

 けれど――彼は、笑っていた。

「くっくっく……ははは、そうか。私を使うか」

「言い方が悪いわ」

「七つ、もう決まっているのか?」

「地はビヒモス、水は百眼、風は神鳳、天は五木、冥はベルゼブブ、それだけは決まってる」

「なら私はどうなる」

「――雷を」

「そうか」

 知っている名なのか、知らないのか、頷きを二度。

「成れば、どうなる」

「意識はそのままに、存在は変わる。龍を模したカタチとなり、雷を具現する存在となり、人のカタチをとることも可能な、象徴となる。もちろん、それなりの制約がかかるでしょうね」

「ここから出られるのだろう? しばらくぶりの外だ、姿カタチなど構いはしない……が、それは王としての私の消失を意味しているな?」

「そうよ」

「そうか。ならば、私の指に説明くらいしておかなければな。いいだろう、承諾しよう」

「そう。なら、少し布陣させてもらうわよ」

「構わん……が」

「ああ、いいのよ、好きに解除しても」

「その時に必要なのだろう?」

「ええ、必要になる。けれど、あなたが気変わりしたのならば、強制しても意味はない。その時はその時で、――どうにかするしかないでしょうね」

「代わりを立てるか?」

「それじゃ間に合わない」

「……そうか。相応の覚悟があるようだな」

「最悪の時でなくとも責任を負う覚悟ならば常に」

「――待て。七つ、いや八つ目について聞いていない」

「ああそうだったわね。――八つ目は封印。この二人は違うけれど、私を含めた数人は因果追放者と通称される……老化がひどく遅いのよ。そうした存在は歴史、あるいは環境に大きな影響を与えかねない。そうした意味合いでの隔離を八つ目に担わせる。――大陸を浮かせるつもりだ、と聞いているわ」

「それが八つ目か」

「そう。触れられない領域になるとは思うけれどね」

「よくわかった。作業を許可しよう」

「ありがとう」

 ふうと吐息して左右を見た鷺花が術陣をいくつか展開をする。それを一瞥した芽衣は組んでいた腕をほどき、半歩だけ前へ出た。

「すまない。口を挟まないと言った矢先に申し訳ないが、問いを投げても構わないだろうか、王よ」

「構わん。なんだ朝霧芽衣」

「何故なのか、知りたい」

 まずそう言った芽衣は、視線を合わせる。

「貴君は座ったまま動こうとせず、こう言っては何だが見る限り老人のようだ。いつからそうなのかは知らないが――貴君は、今の貴君は、立ち上がれないのではないか?」

「そうだ。今の私はこうして上半身を動かすくらいならばともかくも、立ち上がることはできん」

「――衰弱なのだろう。そして、貴君の食事とは人の血……も、含めてか。いわゆる血肉と捉えているが、ともあれ食事を摂取していないからこその結果だと私は考えた」

「その通りだ」

「差し支えなければ何故か、教えていただけないだろうか」

「そうだな……諦観の一種だと私は捉えている。気まぐれに指を斬り落とし、三人が生まれた時に、私は動かないことを選んだ。動くことを放棄した……というべきか。なに、見ての通り私の魔力は過剰だ。そして死は遠い。ケンネスのこともある、生み出した私にも責はあろう。本質的にはどうでもいいと、そう思ってしまったのが原因だ」

「……そうか。返答、感謝する」

「気にするな、当然の疑問だ。お主も同様に、それだけ観察しているなら嫌な気にもならん。もっとも、だからこそ、蒼凰連理ほど怖くはないがな」

「なに、怯えて――否、呆れているところだ。特に害はない。今のところはな」

「――さて、ひとまずはこのくらいかしら」

 ぱんぱんと裾を払うようにして鷺花は作業を終える。

「内容の説明は必要?」

「否だ、必要ない」

「そう。じゃあ――ん? ちょっと待って」

 ふいに、蠢きを感じた。身の内側から? そう思って瞳を閉じるが違う、それは。

「――そう。このために私についてきたのね」

「なんだ?」

「ちょっと失礼するわよ」

 影の中に手を入れて、それを表に出す。途端、それは――広間を埋め尽くすかのような白の蛇は身を表し、ちろりと赤い舌を出すとその顔を彼の前に持っていった。

「――」

 瞬間的に力の入った肩から芽衣は意識して脱力させる。それを感じ取った鷺花が苦笑して軽く手を振った。

「お前……まだ生きていたのか」

「形代になって、ちょっと前に私が預かっていたのよ。ここに残して行くわ、知り合いみたいだから」

「ああ、古い、古い友だとも」

「あなたにしてみればもう、それほど時間はないと思うけれど、それでも良き時間を過ごせるよう祈っているわ」

「――鷺城鷺花、すまんな」

「いいえ、いいのよ。謝罪も感謝も受け取れないわ。そちらの事情を知って使っているんだから……ね。さあ、帰るわよ二人とも。レンはその記録、後で提出だからね」

「……うあい」

 これで八割がた手配は整った。

 後は、終わりまで――加速するだけだ。


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