08/09/21:00――前崎鬼灯・鍵の回収

 待ち合わせの場所は清水寺が目視できる範囲であり、人のいない場所。時刻は二十一時になろうとしている頃、二十三時から翌日の四時まで外出が禁止された日本において、この時刻にはそもそも人が外に出ることの方が珍しい。だが指定は指定だ、取引を前提にして無難な場所を選択したのは鬼灯である。

「なあ……こういう仕事ってのは、多いのか?」

「いや、基本的には師匠の手助けに近いものばかりだ。今回のようなケースは初めてになる」

「にしては対応が早いっつーか慣れてるふうじゃねえか」

「そうでもない。ただ俺もあやめも知識は蓄えているため、経験にできることをありがたいと思っているし、慣れていなくても平常心を忘れないよう訓練されている。心の揺れ動きはESPに直接影響を与える場合が多いからな。田宮も覚えておくといい」

「おう。ついでに聞くけど、待ち合わせをここにした理由はなんだ? 指定が曖昧過ぎるし、ここじゃねえかもしれないだろ」

「曖昧な指定しかしてきてない事実がある以上、あとは推察できる。俺たちはあくまでも指定された位置に留まっていろと言われているだけだ。つまり相手側はそれだけでこちらを察知できると考えるのが自然ではないか? 時刻も厳密に設定されているわけではない。あちらがどのような対処をしているかもわからないのならば、俺たちは俺たちが知らされた情報の範囲内で行動すべきだ。これらを前提として今の行動に何か問題があるか?」

「……わかった。愚問っつーか、よくそこまで考えれるよな」

「考えることを止めたら、そこで足も止まる。それに――俺もあやめも、周囲の警戒を怠っているわけではない。もしも場所が違っても良いよう、他者の動きをそれなりに追ってはいる。もちろん完全ではないし、相手に感付かれる可能性も考慮してのことだ」

「なるほどなあ……けど、俺はちょっと怖いぜ。あと一時間もすりゃ、いわゆる夜の世界ってやつだろ? 俺はこんな状況で、あの時間を経験したことはねえんだ」

「妖魔への対応を懸念しているのか?」

「そうだよ。連中は殴ったってダメージにならねえ。それこそ見える限り全てを潰すくれえでないと倒せないんだろ?」

「だからこそのESPだ。武術家はもっと効率の良い殺し方を知っているようだが、まだ教授されてはいない」

「やってみなきゃわからねえってのも、危険だと思うけどな」

「それでも、経験しなくてはわからないままだ。どちらを選択するかは自由だが、選択できることをありがたいと思った方がいい。一度目が既に選択できない可能性だとて存在する。ならば俺は、選択できる今に経験しておこうと考える」

「余裕がある時に、か……だったら」

「鬼灯」

 いつも通りの己を呼ぶ言葉に視線を合わせる。そこに込められた意味を理解して頷きを一つした。

「――散れ。田宮を頼む」

「はい」

「お――」

 腕を掴んだあやめはそのまま移動を始める。ESPで身体強化をしているため、田宮の両足が浮いて完全に運搬の様相を呈していたが――その姿が消えた頃、ようやく鬼灯の感知範囲にもその人物が入ってきた。

 隠れず、迷わず、一直線に歩いて来ている。やや早い速度であったため、すぐに顔が見えた――その、笑いを貼り付けたような顔がわかる。

 感知範囲が狭いのも考え物だなと思いながら鬼灯はその男から視線を逸らさない。そもそも視界に映る範囲ならば、視力で見ればいいだけの話だ。見えない部分の範囲をESPによって感知しているのに、その距離が狭ければこうしてすぐに見えてしまう。もちろん、戦闘などでは役立つだろうが、こうした状況に鬼灯は不向きだ。

「よう鬼灯。悪ィね、もうちっと時間がかかりそうだ」

「……そうか」

 合言葉を決めているわけでもない待ち合わせ。つまりこの相手がどのような人物なのかを鬼灯たちは知らない――だからこその、警戒だ。

「ま、俺の役目は捜すことで、それ以降は領分じゃねえ」

 笑っている。

 にやにやと笑っているのに、不快感はない。ないが、それでもどこかちぐはぐ――歪に感じる。

「楽しいのか?」

「そりゃもちろん、楽しいよ。本当の意味での現役を目の当たりにすりゃ、いろいろ思うこともあるしね。何より鬼灯は面白い」

「面白味のない人間だと言われたことはある」

「現場慣れしているよう見せかけるための努力を怠らないんなら、そりゃ面白いぜ」

「趣味が悪いと言われたことは?」

「残念ながらないよ。――これは俺の趣味じゃあない」

 そうかと、頷くものの鬼灯には実際にどうすればいいのかがわからない。誰だと問うのは簡単だが、それではこちらが相手を知らないことを伝えてしまう。かといって外堀から埋めて目的のものを聞き出そうにも、最初の一歩をどうすべきかが定まらなかった。

「と、まあこんくらいにしとくか。俺の弟子世代にこれ以上踏み込むのも野暮だな。悪い悪い」

 そうして、相手はそんな鬼灯の心の動きを知っていたかのように身を引く。あっさりと、拘泥など最初からしていなかったように――視線を逸らした。

 逸らした先に、あやめたちがいることを鬼灯は知っていて、そして今ようやく、彼も知っているのだと鬼灯も気付いた。

「イヅナだよ」

「……は?」

「だから俺の名前。イヅナだ」

「あ、ああ。……ん? それは、あのランクB狩人〈管狐の使役者イヅナ〉か?」

「あれ? 俺は先輩たちと違って目立たないように生きてるつもりなんだけど」

 そもそも、狩人の現役時代は短い。最高難関と呼ばれる試験を合格できるのが、おおよそ二十八歳と言われていながらも、その仕事の困難さより精神を病み、また体力の維持が困難になるのが三十代後半と言われている。

 長くて十年、それが狩人の現役だ。もちろんその十年間の仕事で一生を遊んで暮らすだけの金を得ることは可能だが――だからこそ、そのランク付けに含まれる意味は強い。

 ランクB。それは、専門を持つ狩人の限界点と呼ばれている。最低をランクFとして依頼成功数や実力そのものの評価で、のし上がる狩人の現状でもっとも多いとされるのが、銃器の所持を認められるランクEだ。鬼灯が知っている限りでランクAは世界で五十人程度、ランクSは十三人、最高峰のランクSSは三人、いや、今は二人になってしまったのか。

 そうしてみると、ランクBの人物は世界でも二百人前後いるため把握はしていない――が、イヅナだけは別だった。

 聞いたことがあるのだ。あのエイジェイが授業で何気なく言っていた。内容は狩人におけるランク付けの形骸化――だっただろうか。

 ともかく。

「あの、捜索専門狩人のイヅナ――なのか」

「そう言われることもあるね」

「……そうか」

 テレパスであやめに来るように伝えながら、意識して呼吸をすることで鬼灯は強張っていた躰を整える。

 ――百パーセント。

 かつてエイジェイが言った。

「人物の捜索がどれだけ困難かは、お前らもよく知ってるだろ。知ってる人間じゃなく知らない人間を探し出す――と。俺だってできるが、まあ唯一の後輩でイヅナってのが専門にしててな、その成功率の話だ。野郎は、知らない人間を知ることが得意なんだよ。知らない相手を探すのが困難なら、知っておけばいいって話だ。最悪、依頼を受けてすぐに知ってしまえばいい。そりゃ多少は時間がかかるけど、俺とイヅナじゃ勝負にならねえ。知ってるか? ランクB以上は、高ランク狩人の認定がないとなれねえんだよ。一般的にはランクBになりたいなら、Bの狩人二名以上の認定が必要になる。Aだと三名、Sだと一名だ。んで、後輩っつーこともあって厳しい目で見てだ、四年くれえ前からAになれって言ってんのに、色の良い返事がこねえ。専門を持ってちゃAにはなれねえだろってさ。そこを加味しても充分なのに、野郎はどういうつもりなんだか……」

 顔に刻まれていた苦笑には、どことはなく諦めに似たものが浮かんでいた。しょうがねえと――それはエイジェイが認めていることの裏返しであり、決してできの悪い後輩を見るような目ではなかったし、むしろ困惑のようにも感じ取れた。

 後輩でも同業者である以上、敵対することもありうる。

 その時に果たして――どうなるのか、そんな気持ちを抱いていたように感じたのは、きっと鬼灯だけではない。

「ん? どしたよ、あっさり認めたじゃない」

「――エイジェイから、あなたの話は聞いている。嘘吐きだから気をつけろ、とも言っていたな」

「おいおい、俺は嘘なんか言わないっての。ほとんど誤魔化しだぜ? アブ先輩も余計なこと言うなあ……」

「あぶ?」

「通称だよ。先輩は〈唯一無二の志アブソリュートジャスティス〉だから、アブ。まあ頭文字をとってエイジェイってのを自称してるみたいだけど、俺は昔っからアブ先輩だからね。そっか、じゃあVV-iP学園に通ってるんだ。ふうん……おっと、来たね。そっちが鈴白ちゃんで、こっちが田宮の小僧と」

「ども――って初見で小僧かよ」

「……」

「なるほどね。面白いなあ……自覚する者と無自覚な者、それと小僧って組み合わせか」

「何の話だ?」

「感情の話。それと立場や存在のカタチ。眠り姫はまだ手こずってるかな? ま、その内に来るだろ、落ち着いて待とうか。同種がこれだけいるなら、特異性もはっきりしてるし捜すまでもねえだろ」

「遠距離テレパスは通じない」

「扱いは眠り姫のが上だから、強制伝達も可能だよ。それは最悪の場合だろうけどね。それより悪いね、ちょっと小僧に話がある」

「俺? だから小僧ってやめてくれよ」

「ラルさんから話を聞いているから、小僧で充分だ。弟子入りを断られてるって話」

「――なんで」

「なんでって同じ狩人だしね」

「そうなのか……」

「そこで納得するな田宮。世にどれだけの狩人がいるかを考えた上で、同業者のコミュニケーションがどのように行われるのかもだ。同じ狩人だけで知っているのなら、その話はそれこそこの世の全狩人が知っていることになるだろう」

「あ、ああ。言われてみりゃそうだよな。でも嘘じゃなく同業は同業なんだな?」

「まあね。知り合いってのも嘘じゃないし、その話を知ってるって前提で可能性を考慮すれば結論はいくつか出るじゃないか。その内のどれかが当たりだよ」

「……食えない男だな」

「それはいつも言われる。まあでも小僧、難しいぜ。俺だって弟子にはさんざん蹴飛ばしてきたけどな、ラルさんはどっちかってと過保護だ。しかも自覚してる。俺みたいに訓練中に死んでもその程度だったと認められないんだよなあ。ま、俺の弟子はまだ生きてるけどね。やれやれだ」

「その程度だったって、あんた――」

「真に受けるな田宮。それが本気なのか冗談なのか、その区別は本人以外につけられない。もっとも本気だったとしてもだ、田宮がどう捉えるかは知らないが当たり前のことだ。現場で死ぬのも訓練中に死ぬのも大差はない。どの程度の無茶にもよるけれどな」

「嫌なやつだなあ前崎、そう注釈を入れるなよ。でもまあ田宮の心意気ってのも嫌いじゃねえし、一つだけいいことを教えておいてやる」

「なんだよ」

「ラルさんを説得したいなら、――ラルさんの前で嘘を吐け」

「……は?」

「なんだっていいぜ? それこそ、それが嘘とわかるような嘘でいい。たとえば、次に逢う時にだな、自分は男装した女なんだ、と明らかな嘘を言ってみろ。――それが口にできたら、ラルさんもそれなりに認めてくれるさ」

「なんだそりゃ」

「……それは」

「おっと前崎、それから鈴白も余計な注釈はするなよ? ま、したって同じだけどな」

 言ってみろ、に続いて口にできたら、ときた。つまりその前提は、嘘をその人物の前では吐けないとなる。おそらくは術式的な何かだろうと鬼灯は当たりをつけるが、どのような仕組みであれ今ここで嘘の吐き方は思いつかない。だからこそ、これを伝えても同じ結果が生まれるだろう。

 けれど。

「一ついいかイヅナ」

「いいよ、なんだ? 俺は呼び捨てだろうがなんだろうが気にしないぜ」

「お前は、嘘が吐けるのか?」

「もちろん。俺はラルさんと出逢った最初の頃からずっと、誤魔化し続けてるからね」

「……聞き方を間違えれば酷く悪い人間に聞こえますが、それも織り込み済みですか」

「疑り深いねえ鈴白は。けど正解だ――と、来たぞ眠り姫が」

 どさり、と音がしたのは着地のもの。木の上から落ちてきた彼女は、意識を失っている朱色の柄つきの着物を両腕で抱えていた。

「――間に合ってるねえ」

 妙に間延びした声だが、普段見せている今にも眠りそうなとろんとした瞳はなく、凍えるような冷たさを帯びた瞳がその場にいる全員を射抜いた。

 逃がし屋稼業を生活にしている転寝午睡は、荷物運びをしている。誰かを逃がすことだけではない――物品の運搬もそこには含まれており、また仕事の領域は日本に留まらない。

「あのクソ親父が余計な注文つけたからさあ、ちょっと手間取っちゃってねえ」

「無事で何よりだ。ここからは俺と鈴白――それと田宮が引き継ぐ。それでいいんだな?」

「そうだねえ。私も野雨に戻るけど、ここまでだねえ。んぅ、めんど」

 荷物である女性は小柄ではあるものの、長い髪が少し邪魔だ。それでも傷付けるわけにはいかないため、丁寧に鬼灯が両手で抱えた。

「午睡さん、追っ手は?」

「びみょ」

「――俺が視る限り、辿られてはねえな。確認だけは怠るなよ?」

「わかっている」

「余計なお世話だったな……じゃあ眠り姫、ちょいと後始末をしてくる。適当だけどな」

「お願いねえ。私もまだ用事が残ってるけどお」

 田宮の腕を右手で引っ張り、左手を鬼灯の肩に乗せたあやめが頷きを一つ。

「では、行きます」

「確かに引き受けた」

「――え?」

 田宮が感じたのは、周囲の景色が変わった――その視覚情報だけだった。

「はあ!?」

「大きな声を出すな田宮。ただの瞬間移動だ」

 夜の心地よい風が、日中の暑さを僅かに孕みながら抜けていく。その場所はどこかのビルの屋上であり、それほどの広さがあるわけでもない。手すりがある時点で利用されているのは明確だが、おそらくは何かの会社なのだろう。ぐるりと周囲を見渡しても、同じようなビルが乱立している。

「ここ……どこなんだ?」

「――長野県です。細かい場所指定ができるほど周辺地形を知りませんでしたので、座標指定で行いました。声を出しても構いませんが大声は極力控えるように。鬼灯」

「ああ、尾行確認も含めて少し時間を置く。あやめは休め」

 備え付けのベンチに彼女を――荷物を寝かせた鬼灯は腕を組み、軽く瞳を閉じる。

 鬼灯のESPは水のような柔軟さを持つものであり、その形状は多岐に渡る。今回のように周囲の状況を探る場合は己を中心とした球体をイメージし、それを拡大することで感知範囲とする――が、返ってくる情報は触覚に限りなく近い。

「おい前崎? なんかざわっとしたぞ」

「それが探られる感覚だ、覚えておくといい」

 瞳を開いた鬼灯は、それでも三百メートルほどの球体を維持したままでいる。数箇所を経由して足を止め、追撃を探るのは常套だ――と、鬼灯の知識にはあった。

「――それとあやめ、お前はもう少し消耗を顔に出してくれ。無茶をして欲しくはない」

「はい。では腰を落ち着かせて休みます」

「長野……京都からこんな長距離の瞬間移動かよ。しかも自分だけじゃねえ、含めて四人を運んで――かなり疲労してんじゃねえのか?」

「想定の範囲内です。まだ己の足で歩けますから」

「……そうか。こりゃ本当に、俺は足手まといっつーか体験するだけかよ」

「気にするな。誰もが最初はこんなものだ。それと、最初なのは俺たちも同じだからな」

 だからこそ、どうしてと疑問を抱く。

「あやめ」

「はい、どうぞ」

「この状況を望んで引き受けたのかと問われれば否だが、流れに乗ってここに居ること自体は否定できない。また俺自身が否定的であるかと問われれば、それも否だろう。つまり俯瞰して極論にしたのならば、やはり、望んでここに居るとなる。ここまでは間違いないな?」

「はい。一連の流れに乗った形ですが、私たちの判断が除外されたわけではありません」

「俺たちのすべきことは、この彼女……鍵を、俺たちの住居に運ぶこと」

「そうです」

「そこに、このような尾行確認は運搬作業として含まれるが、追っ手を撒いたり追撃への対処は指示されていない――その上で改めて問う。俺たちは、このような仕事をするのは初めてだな?」

「はい」

「すまない。あやめ、現状の所見を聴かせてくれ」

「全ての疑問が彼女、鍵がどのようなものなのか、その一つに集約するとしても、ですか」

「ああ。思考整理もしたい」

「はい。……まず、現状での追撃はないと断定はできませんが、そもそも戦闘を前提の作戦ではありません。私たちはただの運搬だけを頼まれました。可能性ならば考えられたのにも関わらず、田宮さんの同行を許可した時点で、戦闘などありえないと断定できるだけの要素を師匠は持っていたはずです」

「続けてくれ」

「しかし状況が示している通り、鍵は――所持品は少なく、それこそ衣類のみとも見て取れます。まるで自室での就寝中にさらわれたかのような姿です。当人の許可がない可能性もあるでしょう。寝ているのではなく半ば意識を失っているようですから」

「着物に関しての知識はどうだ?」

「小袖の単衣、赤を基調として装飾は蝶。おそらく付け下げと呼ばれる和装でしょう。就寝時の衣類としては否定的ですが、あるいは着替えさせたと考慮する必要もあるかと。家紋もなく鍵当人の身分を証明できるものではないかと」

「ではイヅナと午睡さんの役目に関しては」

「私たちに鍵を渡すこと、イヅナさんは捜し出すこと。それ以降に関しての情報はありません。推測の領域から逸脱したいのならば、いたずらに並び立てる愚行は避けるべきでしょう」

「……なるほどな」

「納得するのかよ前崎……」

「俺の考えから大きく外れてはいない。結果だけを見ればわからないことだらけ、疑問しかここにはなく、それを解決するには時間が必要だと改めて認識できた。それと、俺のことは鬼灯でいい。他の連中はキチョウとも呼ぶ」

「そりゃ構わねえけど、姓は嫌いなのか?」

「どちらかと言えば名で呼ばれた方がしっくりくる。前崎の家系は商人で、親父も兄貴も店舗を持っているが、俺はその道を選ばなかった。そのため前崎と呼ばれると、どうしてもそちらを思い浮かべるからな。こちら側では名の通った商人らしい」

「そんなもんか。じゃあとりあえず、あー……キチョウで」

「慣れないなら、べつに姓でもいい。あくまでも俺の見解だ」

「だったら合わせるようにしてみるさ。これから、顔を合わせる機会もあるだろうし」

「ありがたいことだ」

「――鬼灯、メイリスさんは何と?」

「今日は親父の会社に泊まりだそうだ。了承は既に得ている、問題ない。田宮もすまんが今日はうちで休んでいってくれ」

「ああ、そりゃいいけどな」

「あやめ」

「はい。鍵が目を覚ます前に戻りましょう。鬼灯」

「尾行は確認できない。午睡さんとイヅナが何かしらの手を打っていると信じておこう。今のところは」

「では――」

「あやめ」

 再び抱きかかえながら、鬼灯は言葉だけでなく視線を向ける。二秒ほど間があってから、あやめは僅かに視線を逸らした。

「けれど……」

「構うな。あやめだけに負担させたくはない」

「……」

「あやめ」

「わかりました」

 渋っていたあやめだが、二度目の言葉に頷きを返す。鬼灯としてはそこまで気遣わなくても良いと思うのだが――どうしてか、あやめは鬼灯の負担を減らすために己が無理をする。それは俺のものだと鬼灯が言っても、そうですかと頷くだけでやはり、さりげなく鬼灯が気付く範囲で負担を持って行く。

 何故なのか、その理由も薄っすらと気付いてはいるが、こうして強く言えばあやめは断らない。それを利用しているようでいい気分ではないけれど、負担を押し付けるよりはマシだ。

「なんだよ?」

「気にするな」

 周囲に広がっていたESPを戻し、荷物を抱き上げた鬼灯は肩に置かれた小さな手を意識しながら、あやめのESPを意識する。

 エネルギーは目に見えないが、ESP保持者同士ならばある程度の感知は可能だ。

 力の強い鬼灯に比べ、繊細な制御はあやめの得意とするところ。その中でも特徴的なのが、――〝変化〟だ。

 たとえばESPを腕として捉えて殴り、持つ。足にして蹴り、浮く。田宮のイメージのように弾丸にしたり、細い針にしたりと、そうした変化を素早く精密に行う。それはもちろん鬼灯だとて可能にしたが、あやめのそれは鬼灯を軽く上回っている。

 何よりも、だ。

 あやめのESPは、他人の波長に合わせることができる。

 本来は固有であるはずの波長は、計測それ自体が難しいのにも関わらず、あやめのそれは精密な分析と共に同じくすることが可能だ。だから鬼灯は、あやめが波長を合わせてくれれば――あやめのエネルギーを利用して力を発揮することもできる。

 今回は、その逆だ。

 鬼灯のエネルギーを使わせることで、瞬間移動をさせる。もちろん全てではなく、おそらく折半になるだろうが――そもそもエネルギーの所持量ならば、あやめを軽く越しているのが鬼灯だ、全てを使っても構わないのだが、あやめがそれを赦さないだろう。

 折半である。

 半分だ。

 それもまた、お互いの有り方なのかもしれない。

 今回は場所がわかっている。だからこそ玄関に立っている自身を自覚した時、鬼灯はすぐに靴を脱いで足を動かした。

「――お、と」

 瞬間移動の完了は、自覚することにある。移動自体は力に頼るが、それを決めるのは己だ。そこが違う風景であれ同一であれ、それを認識しなければ完了しない。極論を言えば、先ほどまでいた場所を強く認識し続ければ、瞬間移動はその時点で完了となり、移動できない結果となってしまう。

 もっとも無自覚な者は周囲の――田宮ならば鬼灯やあやめの認識に引っ張られることになり、移動後に違う景色を見てから移動したのだと意識するため、それは無機物同様に邪魔になるものではない。云うなれば紐の先についた的屋のおもちゃと同じだ。引っ張ればついてくる。

 玄関からすぐのリビング、ソファに彼女を寝かして、僅かに肩から力を抜いた。そして再び周囲の察知を開始する。念のためだ。

「田宮は座っていろ」

「……悪い。なんかちょっと酔ったっつーか、なんだこれ」

「移動酔いは珍しくない。三半規管が揺れたんだろう、すぐ慣れる。珈琲でも飲むか?」

「おう」

「鬼灯」

「頼む」

 キッチンへ入って珈琲を落とす準備をしつつ、あやめは短距離の瞬間移動で自室に一度戻った。周囲を察知しているため行動がわかるのだが、あやめが田宮と彼女の二人が使う客間を二つ、それぞれ準備しに行くことは先ほどの一言でわかっている。

 テレパスなど使わなくとも、それくらいはできてしまうほどに、二人の付き合いは長い。もう十年にもなるのだから――その時間、ほぼずっと一緒にいるのだから当たり前だろう。

 ――しかし。

 お湯を沸かすのも面倒だったので、パイロキネシスの要領であっさりと沸騰させてしまう。そうやって作業時間を短くしながらも、鬼灯はどうして彼女が鍵などと呼ばれているのかを考えていた。

 もちろんわからない。わからないが、それでも。

 ――こちらのESPに対して何かしらの反応はなかったか。

 意識を失っていても、人には守るべきものがある。記憶であったり、無意識と呼ばれるものでもあったりするのだが、瞬間移動や周囲察知などに関しては一切の抵抗をしなかった。

 本来、そうしたものに限らず、攻撃ではないESPに関しては巻き込まれる他者の意識が存外に重要だ。田宮であっても瞬間移動に否定的であり、現場の景色から己の存在を強く考えていたのならば、巻き込んで一緒に移動することはできなかった。

 正面から承諾を取らなくてはならない、などという制限はさすがにないが、それこそ人の意識の話だ。それらを自覚して操作できるような人種は既にどこかが壊れている。そしてESPとは、そんな曖昧なものが進化した先にあるものだ。

 相手を殴ることは簡単だ。

 相手の感情を読み取るのならば表情や言葉を聴けばいい。

 けれど、相手が何を考えているのかなど、究極的にはわからないのである。

 ――だからこその疑問だ。

 熟は、彼女がESP保持者で自覚はないと言った。けれど自覚がなければ使えないとはイコールにならない。ならば防衛手段くらい無意識に組み立てていて不思議はないと思っていたのだが、ただ本当に意識が起きていない可能性もある。

「――戻りました」

「構うな、あやめも休め」

「鬼灯も」

 三人分の珈琲を持ち、それぞれに渡してから鬼灯も腰を下ろす。対面のソファにあやめを中心にした位置だ。

「田宮、あまり緊張するな。お前から見て彼女はどうだ?」

「おう……綺麗な娘だな。大和撫子ってこういうのなのか? キチョウの逆位置みてえな。それ、天然なんだよな?」

「ああ、ハーフだからな。母がイギリス人だ」

「野郎にこう言うのも変だけど、綺麗なもんだぜ。それとこの服、汚れ一つないし――なんつーか、俗な言い方だが高そうじゃないか。いいとこのお嬢さんって感じ」

「名家の出生である可能性か……お家騒動の最中に身元不明などという落ちが待っていないことを祈ろう。もっとも、午睡さんも師匠もその辺りは口を開きそうにないが……そういえば田宮、午睡さんの所在地については?」

「いや知らない……あ、もしかして以前に俺が出逢った時の話か? 確かつれづれ寮の関係で……朝霧のこと知ってたっけ?」

「ああ、まだ一度しか逢ったことはない。それとつれづれ寮は確か個人の経営する寮だったはずだな」

「はい。記憶には、野雨西とVV-iP学園へ通う学生が使う寮です。例外もあるようですが、聖園(みその)さんも一時期利用していたと聞きました」

「……その辺りの繋がりも整理すべきか。どうにも関連付けが多すぎる。それも見越していたのならば癪だ。とりあえず、折を見てつれづれ寮を訪ねてみるか。午睡さんの所在だけでもそれとなく聞いておきたい」

「聖園さんにも一言必要かもしれません」

「問題が起きそうならば、そうしよう。話が少し逸れたが、何か質問はあるか?」

「あーそうだな……ESPを使うと疲労するだろ。これってどうすりゃいい?」

「走れば疲れるのと同じだ。田宮は今までESPなどろくに使ってこなかっただろう?」

「おう。使わない方がいいと思ってたからな」

「それは一般生活を送ることに対しては正しい選択だ。いや、良い選択と言うべきだな。俺たちも普段は使わず、外に出る時も使わないように心がけている。他人の目というやつは、察知が難しいからな。俺たちが察知できない位置から監視されていることなど、現実には多くある」

「やっぱ、そうなんだよなあ」

「だから室内、自宅などでは見ての通りかなりの頻度で使っている。もちろん、ここに目がないわけではないが――それでも、俺たちのようなエスパーは多少の危険を前提にしても、使わなければ馴染まないんだ。体力や精神力とエネルギーは深い部分で繋がってはいるが、イコールではない。ESPの行使とはエネルギーを操作することでもある。個人差があるため使うしかないが……最初の内は倒れるまで使え、と俺は師匠に教わった」

「倒れるまでって……」

「小さく細かい制御を継続するタイプが一番良いだろう。――そうだ、あれは俺が持っていたか?」

「はい」

「となるとあの辺りにしまってあるはずだ。……ああ、あったな。もう俺には必要ない、田宮に渡しておこう」

 腕を伸ばして掴み、引き寄せる感覚。対象が無機物であればコントロールをするのは鬼灯自身だ。

「それなりに重量があるからな」

「おう――お、本当に重いな」

 それは一辺を二十センチほどにした黒色の立方体だ。

「なんだこれ……ぐにゃぐにゃしてるぞ」

「柔軟性を含まなければ強度が保てない。田宮の力がどれくらい強いかは知らないが、少なくとも今の俺が全力でぶつけても壊せないから、気兼ねなくやるといい」

「これを、壊せってことか?」

「そうだな――あまり攻撃的にならない方がいい。それは可能なものだが、常にそうあれと考えると視界が狭くなる。まずは」

 田宮の手から離れたそれが、ふわりと空中に浮く。

「浮かせること、これの継続だ。それに飽きたら引っ張る」

 対角に力を入れ、浮かせたまま制御をすれば僅かに立方体が伸びる。おそらく両手で物理的に引っ張っても、形が変わることはないだろう。

「次になるとお手玉だな」

 背後の空間に移動させてESPを解除して落下させ、落下点で拾い上げて再び上空へ放り投げる。

「これを縦方向から横方向まで自由にやれるようになれば、基本の中でも初歩と呼ばれる部類はだいたいできる」

 再び手に戻して田宮に渡すと、難しい顔をしてそれを睨む。

「まずは浮かせたままで、限界を知る――ってとこか」

「ああ、それを最初にやるといい。うちの内部ならば好きに使って構わない、客間の用意もしてある。俺たちがいる以上は最悪の事態にはならないだろう、何なら――」

「鬼灯」

 あやめに呼ばれるまでもなく、その事態を察知した。

 ――ひらり、ひらり。

 蝶が舞っている。

 室内灯をつけているのにも関わらず、緑色の発光をした蝶が――幻想をその場にもたらしたかのように、ふわりと。

 ふわり。

 現実に戻った鬼灯が立ち上がり、続こうとしたあやめを制止する意味も込めてソファごと背後の空間に移動させて距離を取る。

 ――蝶だ。

 鬼灯がそれを再認識した途端、彼女の着物の柄から色とりどりの蝶が飛び出した。その数は九つと把握した直後、その内の一匹が鬼灯の指先に触れた。

「――」

 それは、淡い青色の蝶だった。


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