08/09/17:10――前崎鬼灯・転寝の棲家
その場所を山奥と呼ぶのに鬼灯は抵抗がない。だが車道はある上に車で五分もしない距離にマーケットもあるのだから、それほど田舎であるわけではなかった――が、それでも、その場所の周囲にある住宅は実に少ない。
山の中腹にあるそこには、三連棟のビニルハウスが二つある。傍にある家もコンクリート作りの事務所扱いだが、鬼灯たちの師匠はそこに住み花の育成をしながら生計を立てていた。
通り抜ける風の音が、どこか俗世と隔絶したような雰囲気を持つ。遠くで聞こえる電車の音がどうにか繋がりを持っているものの、まるで時間が停止したような錯覚を周囲を囲んでいる木木に覆われた土地が作り出していた。
そのハウスの屋根、白髪が目立つ七十近い老人が外の景色を見ていた。さすがにハウスの上ともなると木木よりも高い位置から眺められるため、街中を随分と見下ろせる。背中には山があり、山頂付近には自然歩道も完備されてはいるが、夕刻のこの時間に歩いている人間はいないだろう。
「――師匠!」
「聞こえてる」
鬼灯たちが到着したのは十七時を過ぎた頃、さすがに夏も盛りであるため周囲は明るい。
「よお、すまないなあ」
三メートルはある高さからひょいと飛び降りた
「ご無沙汰しています」
「相変わらず堅苦しいな、あやめ」
「性分ですから」
「知ってる。――そっち、問題はないか?」
「能力に関しては特に。日ごろの訓練も欠かしていないからな。それよりも師匠、仕事は大丈夫なのか? 残っているようなら今からでも手伝うが……」
「いや構うな。この時期は冷房室しか花は咲かないし、いくら手潅水でも俺が一日やりゃあ終わる。ま、今日も昼からは暑くてハウスの中で仕事なんぞしなかった」
「なお更、仕事は溜まるだろう」
「いいや、採花量は少ないから植え替えも一区切りだ。構うなって言ったろう?」
「……わかった。そこまで言うならこれ以上はとやかく口を出さないでおく。それよりも、一人か?
「ああ、昨日に顔は見たな。今日は仕事を一つ頼んである、その内に顔を見るだろう」
熟の子供である午睡、それから夢見は鬼灯たちにとっての姉弟子であり兄弟子だ。今でもまだ繋がりはある。特に兄弟子は同じ学園に通っているため、学科こそ違うがいつでも逢える。
「珈琲でも飲むか?」
「いや結構だ」
「なら――見せろ」
直後、周囲にある小石という小石が全て鬼灯の顔付近まで上がった。ふわりと宙に浮いたあやめは、その内の一つに足をついて停止する。
がちり、と音が立った。
無数の小石のうちの二十個ほどが動き出す。それは円を描いて他の石にぶつかると停止し、ぶつかった側の石が他の石をめがけて動く。だからこそあやめは、身動きしなくてもいい。ただ足の裏の石が変わるだけの話だ。
「介入してみろあやめ」
「はい」
音の数が極端に減った。他の石に当たろうとしても軌道が寸前で逸れ、それは違う石に向けられるものの、同じ結果を辿る。ざっと見て音は七つほどしかしない。
その光景を見ていた熟は頷きを一つ。
「よし、あやめは落とせ。鬼灯、石は割るな」
押し上げる力と押し潰す力がぶつかり合い、空気が軋み停止する。だが小石は小刻みに揺れていた。
平面で力をぶつけ合っているのではない。そうしてしまえばきっと小石などあっさりと割れてしまうだろう。彼らは石を握るように、つまり拳同士で力の押し合いをしているに過ぎない。
そして、石が一つも落ちないのを見た熟は、そこまでだと言って止めさせた。
「……ま、俺が言うまでもないがパワーなら鬼灯だがコントロールならあやめだな。以降、ここから先についてはお前らの判断に任せる。苦手を克服するか、苦手をそのままで底上げをするか、己が思う通りにやってみろ。問題があるようなら俺のところにこい。――お前らは、もう一人前だ」
「諒解だ」
「ありがとうございます」
試験とも言えない試験が終わって、けれど鬼灯とあやめは視線を熟ではなくハウスの内部へと向けていた。
そこに誰かがいる。
気付いたのは――最初からとあやめは言うし、鬼灯は試験の最中にと答えるだろう。
「おう、挨拶しろ。兄弟子と姉弟子だ」
「うっす。――どうも」
頭を軽く下げたのは、短髪でまだ若い風貌の青年だ。いや、鬼灯やあやめと同じくらいの年の頃なのだから、その表現もいささか語弊があるか。
「
「――」
これからどうなるのか、そんな吹雪快の言葉が鬼灯の頭に浮かんだ。
芽衣はこのことを予期していたのかどうかも定かではないが、確かに縁は合ったのだ。今ここに、あるいは先ほど。
こちらが後なのか――それとも、こちらが繋がったからあちらも繋がったのか。
鶏が先か、卵が先か。
いやそうであったとしても、関係は確かにここにあった。
「ん、すまん。前崎鬼灯だ」
「鈴白あやめです」
「話でもしてろ。とりあえず珈琲だ」
自分が飲みたいのだろう、歩きながら熟は自宅へ向かう。
高齢の部類に入るかどうかはともかくも、既に熟のESPは弱くなっている。瞬間移動一つでも疲れるらしく滅多に使おうとはしない――が、それでも鬼灯が知る限り、熟はエスパーとしてかなり高位にいる。
力が強ければ良いわけではない。鬼灯はそう教わった。実際に能力をぶつけてみても、熟はあっさりと鬼灯を封殺できるだろう。特殊なわけではない、同じ力でも、扱い方が違うだけだ。
「田宮、見たところESPは馴染んでいるようだが、まさか独学か? そうであれば稀なケースだが」
「あー、まあ基本的には独学っつーか、今まで俺みてえなのが他にいるなんて知らなかったぜ。けど、以前に知り合った人が、制御……まあ隠すことだけは教えてくれた」
「ちなみにその人物は?」
「狩人だよ。だから俺も狩人になろうと思って、その人に師事したかったんだけど……事情があってさ。隠したままで良いなんて考えてたら午睡さんが攻撃をしかけてきて、対応しなきゃならねえよな。あっちは遊び、俺は本気。んで、文字通り遊ばれたよ。だから――いや」
田宮は迷っていた。
このまま独学で進むことも考えてはいたのだ。
「そうだな。ほんでも朝霧が、師事した方が飛躍的に成長できるっつーから……」
「朝霧芽衣とは、どのような知り合いですか」
「ん? 基本的には同じ学校で同じ教室ってだけだ……なんか、あったのか?」
「いいえ」
「そ、そうか……」
「俺とあやめはVV-iP学園に通っている。同い年になるだろう、あまり気負わずにいてくれ。熟は兄弟子などとはいったが、それもあまり気にするな」
「わかった。その方が俺も楽だぜ」
「しかし、午睡さんに遊ばれたのか?」
「おう。マジひでえのな……後で聞いたら朝霧の差し金とか言ってたし。俺で遊ぶなっつーの」
「気に入られたと好意的に解釈すべきだな」
「それが一番の問題だろ……俺、そっちの学園で軍式訓練も受けてるんだよ。その教官が朝霧の同僚とか言ってたし、逃げれる気がしねえ」
「好奇心か?」
「何がだよ」
「その道を選択した理由だ」
「ああ、そいつは違うな。必要だからだよ。――俺は生来より、どうも諦めるってことを知らねえみたいなのさ」
「どちらだ?」
「……? えっと、何がだ」
「諦めたくないのか、それとも諦めるつもりがないのか」
「どう違うんだよ」
「許容範囲の問題だ。理由がどうであれ諦めるつもりがない人間は、目標を抱きその先を見る。だが諦めたくない人間は、――諦めを知っている」
「あー……前者だな。俺はきっと諦めたくねえ。少なくともそいつが、俺自身に向けられるなら」
「そうか」
「俺の話ばっかだな。――そっち二人は、熟さんとこ長いのか?」
「ああ、物心ついた頃から来ている。もっとも師事とはいえ、師匠にはESPを使う場所を提供してもらっているようなものだ。ESPは使ってこそ理解できるものだと覚えておくといい」
「諒解で――ん、げふん。わかった」
「陸軍式は癖になると抜けないと言うが事実か?」
「まだそんなに経ってねえから、何とも言わない。ただあれだ、まあ
「そうか。状況に応じてそれが引き出されることを考えるに、馴染み深いからこそ忘れられないと考えるのが道理か。となればその状況そのものに必要な因子は上官の存在か? たとえば退役した場合における元軍人の立ち位置……やはり上官とは、退役しても上官扱いになってしまうものか?」
「いや俺に言うなよ」
「……それもそうだな。すまん、軍人の規律に関しては思うところがあったから、つい疑問を口にしてしまった。相手を間違えたな」
「いいけどさ。……あれ? えっと鈴白さん、どこいった?」
「ああ、師匠の手伝いにでも行ったんだろう。見ろ」
「お……本当だ」
「ほれ飲め田宮」
「どもっす」
鬼灯はあやめから受け取る。砂糖もミルクも入れずに一口、どこかの店のオリジナルブレンドらしいが、ここに来るといつも飲んでいるように思う。
「師匠、カフェインの摂取には気をつけろ。慣れているとはいえ一日に十杯も飲むなよ」
「大きなお世話だ。せいぜい七杯くらいなもんだからな」
「似たようなものです」
「それより俺たちを呼んだのはこれだけか?」
「いや――仕事を頼もう、そう思ってな」
「詳細を」
「さっき
「……それは田宮も、と受け取って構わないんだな?」
「は?」
「そうだ。ただし弟弟子だ、全力で守れ。いいな?」
「もちろんだ」
「はい」
「……うっす」
「詳細を話す。俺が午睡に頼んだのは、ある人物を逃がすこと。発見したのは別の人間だが、現地で合流すればわかるはずだ。お前たちは彼女を引き取って、足跡を消すためにここまで運んでもらう――だが、俺のところに来る必要はない。鬼灯の家に置け」
「……そう言うからには、俺の親には話が通っているんだな?」
「ああ、お前の親父と母親には話を通してある。年齢は……一つ下になるのか。VV-iP学園の理事長には許可も貰ってあるから、鬼灯とあやめは彼女から離れないようにしてくれ。おそらくまだ、彼女は自身がESP保持者であることを自覚していない」
「暴走の危険性がある、そういうことか?」
「それは――ない」
「無自覚に力を使うことがない、という意味なら頷くが?」
「いいや、彼女は自覚して使わないが無自覚で力を行使する。それも、完全なる制御のもとで特定の現象を発揮する――はずだ。俺はそれを知ってはいるが、彼女本人を知らない」
「……あやめ」
「はい。師匠、私は構いませんが日常生活は可能なのでしょうか」
「いや――その辺りは、予想になるが」
知っているが、当人を知らない。
その言葉が意味するところは、力そのものを知ってはいるものの当人と顔を合わせたことがない――となると、これは捜索条件に該当する。
熟は、そのESP自体を探していた。そして鬼灯たちは探されたのではなく、頼んだ。そこから導き出される答えは。
「……いいか?」
あやめが引き取り場所を聞き終わったタイミングで鬼灯は口を開く。会話は聞いていなかったが、引き継いだあやめは承知しているため、後で聞かされることだろう。
「師匠、彼女の能力を教えろ」
「駄目だ」
「理由は? 俺たちはまだ引き受けるとは言っていない。師匠に恩はあるが、仕事と私情は別物だ」
「確定できない」
「だから、どうした。隠すことが真意ならば、俺たちに頼むのはお門違いだ。それに――師匠本人が介入できない、あるいはしない理由まで訊いてもいいんだが?」
「俺を信じられないか」
「仕事と私情は別物だと言ったはずだ。以前の仕事でも同様の受け答えをしたはずだが、今回は答えられないのか?」
「……はあ、わかったわかった。俺の負けだ。だが俺にも理由はある。彼女の能力は教えられないが……彼女は〝鍵〟だ」
「それは文字通り扉を開くという意味か? それとも、物事の中心にあるべきものだと言いたいのか」
「どちらもだ。だがそれ以上は言えない……今のお前たちには言えない。俺だって眉唾ものだと思っていたくらいだ。さっき午睡の連絡を聞くまではな。そして俺が動けない理由は、そう難しいことじゃない。単に、もう俺の世代では物事を牽引できないと判断したまでのことだ。いつだって新しい世代が、新しい道を切り開いていくものだからな」
「つまり俺たちの持つESPとは毛色が違うのか?」
「確認は任せる」
「言えない、か……」
「なあ、話について行けねえし知識もそう多くねえんだけどさ」
「ん、ああ。ESPと総合されてはいるが、個人の持つ波長はそれなりに特有で他者のものとは違う場合もある。現象それ自体が変わらない、あるいは変わってしまう場合もあるな。得意なものが違うのも一つの理由になる。たとえばESPを印象によって扱う場合は、その印象に個人差が出るだろう。聞いているかどうかは知らないが午睡さんは、それこそ全てを手の延長として捉えて扱うことに長けている」
「……その印象ってのは、悪いことか?」
「いいや、定着意識を持つのは悪くない。だが拘泥すると他を捨てることになるため、注意が必要だ。それ以外できない、ではあまりにも簡単過ぎる。それに師事する前に抑制できているのなら、定着意識を持っていてもおかしくはないことだ。もっとも午睡さんは逆手にとって強味にしているんだが……田宮はどのようなイメージを持っている?」
「――弾丸、だ」
「だそうだ師匠」
「弾丸なあ……どうであれ相性がある。下手に変える必要性はないが、変えようって気持ちは大事だ。これから自宅やここで、できるだけESPを使うようにしろ。それだけでだいぶ違う」
「うっす」
「鬼灯、あやめ」
「はい」
「わかっている。引き受けよう」
「田宮も、現場の空気を少し感じておけ。余計なことをする必要はない」
「できそうにねえけど」
「――では京都へ向かいましょう。公共交通機関が動いている内に距離を稼いでおきます。鬼灯はメイリスさんに連絡を入れておいてください」
「ああ。ではな師匠、無事に終わることを祈っておいてくれ」
さて、問題はメイリスがどのような反応を寄越すかだ。わがままを言うようであれば何かしらの対価が必要になるだろう、そんな想像ができたため複雑な表情で鬼灯は携帯端末を耳に当てた。
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