08/09/11:30――前崎鬼灯・第四進化種

 VV-iP学園において混沌の坩堝、あるいは悪辣の吹き溜まりと呼ばれるのが特殊学科棟最上階に位置する三学科が並んだ一画だ。

 特殊学科とは普通学科から外れた、たとえば機械工学、経済学、医学などを総称した呼び方であり、この学園にはそれらの専攻学科が作られている。ただし高等部からの選択進路になっているため、大学部とは別になっている。もっとも大学生が受講してはいけない決まりなどないため、それこそ自由に出入りできるのだが――。

 何故、その場所を混沌や悪辣などと呼ぶのかというと、つまり喧しいからである。

 この学園の設備は最先端技術が如何なく使われており、それこそ大規模な改装などはしないものの、常時新しいものを取り入れている。そのため授業中は完全な防音室で行われ、廊下を歩いていても声は一切聞こえない。

 だがこの場所だけは、扉を閉めて授業をすることが、授業において進行を妨げることとなるため、開け放してあるのだ。

 一つは学問として曖昧なものを曖昧であると確定する――魔術学科。そもそも彼らは自己完結に他者を巻き込まず、他者の見解に対して異論は挟みながらも否定はしない。つまるところ入り口が開いていようが閉まっていようが、彼らの論議はそもそも外野の声を届かせないのである。

 二つ目は教員が教団に立たず、ペーパーのみで物事の本質を見抜く術を得ようとする――真理学科。自己ではなく他者、あるいは事象における心理ではなく真理を彼らは学ぶ。曖昧なものを、曖昧であると確定されている要素を探り出す思考を得るための彼らは、そもそも何かに集中しない。そのため、どのような気配も煩わしいとは思わないのである。

 そして三つ目、最後になるのが鬼灯ほおずき・イーク・前崎まえさきの属している蓄積学科だ。

 あらゆる知識を、あらゆる情報を、それらに一切糸目をつけずただただ己のものとするために、何もかもを蓄えて積む。それが彼らだ。その知識や情報には当然のように真理や魔術も含まれる。故に、逆を言えば開かれているからこそ――彼らは効率良く学ぶことができた。

 特殊学科は基本的に教員が決まっているのにも関わらず、蓄積学科だけは日によって変わる。もちろん、いない日もある。

 そして今日、壇上に立っていたのはやや小柄なツナギを着た男だ。

「さてと」

 その言葉で教室の雰囲気が一気に整う。他の教員が行う授業であれば、彼らはさして気にしなかっただろう。右手と左手で違う本を読みながら聞く。聞きたくなければ音楽を聴きながら何かを記す。効率を求めたある学生などは片耳から音楽、片耳から授業を聞きながら本を読んでいる――それが、彼らにとっての日常だ。

 情報はこの世に多すぎる。

 並行して物事に当たらなければ、それらを網羅できない――そのため、一学年で目指した学生も、二学年になると過半数は普通学科などに行ってしまう。

 ここは、ある意味で化け物の住処だからだ。

 けれども今日は違う。

 彼は――通称で〝炎神レッドファイア〟エイジェイと呼ばれる彼は、現役のランクA狩人なのである。

 理事長に頼まれてここで教員をしているものの、本職は別にある。依頼を受けて遂行する職業、しかも世界に五十人程度しか存在しないランクAを持っている男。

 だから彼らは、エイジェイの話を聞きたがる。

 それは単なる知識ではなく――経験に基づいた言葉だからだ。

「ま、何を話そうかちょいと考えてはいたんだが……そうだな。超能力についてでも話すか。俺の役目は何かを話すことだしな」

 椅子を引っ張り出したエイジェイは教壇の隣に腰を下ろし、足を組む。

「お前らは知ってるだろうが、超能力には分類があるだろ。大きくはESPとサイキックだが、総合してサイと呼ぶ。テレパス、プレコグニション、クレアボヤンス、パイロキネシス……ま、釈迦に説法だな。さていつも通り俺の話だ。――いや、俺たちの話になる」

 教壇の電子パネルを操作してから、煙草に火をつけてポケットから取り出した灰皿を置く。これもいつもの動作だ。

「何故、を深く考える必要はねえ。ただESPと俺たちは呼んでいる。だがそれは現象に対しての呼称だ。ESP保持者のこと、その当人を第四進化種と定義した。魔術師でもなく、呪術師でもなく、言術師でもない。ちなみにこっちは、何故と考えるべきだな。ただまあ術式と違って、ESPなんてのは人間にとっちゃ当たり前のものだぜ」

 そこにあって、当然のもの。

「あいつらは身体エネルギーを消費して現象を引き起こす。体力と精神力だ。これらは存在を確定されていながらも見えない。それを使うってんだから連中もどうかしてる。けど、どんな現象を引き起こしても、それは誰もが持っている当たり前の力が、度を超えたものでしかねえ。だからこその能力を超えたものだ。たとえば?」

「……テレパス」

 学生の一人が言った言葉に、エイジェイは頷く。

「意思のやり取りをするものだ。波長が合わなければ受信もできないが、大抵の相手には送信できる。送受信となると相性が問題になるな。接触テレパスなんかだと記憶の受け渡しも可能になるが――こいつは結局、対話だ。お前らだってしてるだろ? 言葉を使う会話だよ。同じことだ」

「サイコキネシス」

「念動力、まあESPで物体を動かすことだな。物体の移動、つまり引き寄せや引き離しも含まれる。これこそ本質的だな――真理だ。お前らだって手を使って物体を移動できるじゃねえか」

「プレコグニションは?」

「予知――ね。大層な名がついてるが、そんなのはESP保持者じゃなくたってできる。それはただの予想だ。あるいは現実を明確に分析した後に確定される現実を、あたかも未来を確定したように見せているだけだな。予想だよ。ただやり方がまるで違うが――未来を確定できる人間は存在しない」

「サイコメトリーなら……」

「物体の情報を読み取る? 人の精神を? お前らだって人の反応や身動きを見て、そのくらい察するだろ。嫌な話、好きな話、面白い話題に楽しい何か。ただそれだけだ」

「ならば念写は?」

「人を騙す時はまず己を偽るものだろうが。印象を変えるのは他人に間違えさせることだろう? ただそれが偽りではなく、エスパーの望んだ何かってだけだな」

「クレヤボヤンス――」

「それは見ることだ。お前らだって自覚して何かを見ることがあるはずだ」

「じゃあ瞬間移動なら……」

「あのな、両足を動かして前へ歩くことをしねえ人間はいないだろ? あるいは足を動かさなくたって、人は前へ進むものだ。時間と共にな。パイロキネシスだって――まあ、ありゃ術式に限りなく近いが、あんま使うヤツは知らねえよ。力そのものを押し付けるだけで、充分に脅威だ。エネルギーをエネルギーのまま、防御にも攻撃にも使うのが連中だからな」

 だからと、エイジェイは続ける。

「第四進化種と呼ぶ。人がそのまま進化した結果、得られたものだから延長線上にあるわけだ。もちろんESPも研究をしなくちゃ高みに上れない――が、まあ残念ながら俺はESP保持者とこんな会話をしたことはねえからな。仕事上、ブッキングしたり後を任せただけだ。予想はできるが」

「その予想とは?」

「魔術の座学は外へ向けられるものだ。事象や現象に対する解釈を己の中で構築しながらも、解釈それ自体は内側だが――向けられるのは外側、つまり世界に対してだ。だがまあESPに関しては、それらが全て内側に向かう。つまり、自己だ。俺が苦手意識を持ってるのもここでな――何故って、どう足掻いたって己なんて不確定なものを、てめえで俯瞰はできねえだろ。難しいっつーか、最初から矛盾を前提としていながらも、その解法がえらく深い。一つや二つの解法で解けりゃ、苦労しねえんだがな」

「努力によって開眼する可能性は?」

「ないとは言わないのが公式見解だろうが、俺はねえと言うぜ。だが状況によっては否応なく開眼する場合もある。ESP保持者は遺伝によって覚醒するらしいが、まあそれも十割じゃない。たとえば一般人に対してESP保持者が攻撃をしかけた時、それを防御する場合があるそうだ。つまり己の力でバリアを張る――と。これはいわゆるESP保持者が一般人を〝引き揚げた〟と解釈できる。もっとも、全員が全員、同じ方法で引き揚げはできないみたいだが」

「危機に応じたアドレナリンの放出だ」

「間違いじゃねえな」

「では世界的に見てESP保持者の数は少ないとの見解に対して、貴君はどう考えている?」

「ちなみに公共通信ローカルネットに出てる連中は、俺の言う第四進化種とは別物だからな。そうだなあ、今でこそ表向き、魔術師も名を聞くようにはなったが……繰り返すが連中は、人が進化した形だ。そのため、人の領域からは逸脱しない。それは技術でありながらも、そもそも技術ではなく人が有しているものだ。だからこそ暴走もするし――隠れるのも上手い。まあ隠れてるやつはそれこそ少ないぜ? 何故なら、必要がないからだ。連中は人だが超えている。今の人じゃ扱いきれない。俺も捕獲依頼を説明されたことはあるが、引き受けたいとは思えなかったな……連中は厄介だ。組織立っていない個人であり、同種に対しての歪ではあるが共感を持つ。発見はできても手出しができない、そういう連中だ。その上で答えるなら、――少ない」

「……まるで人の先を予兆しているみたいね」

「おう。だがな、進化の先にあるのが繁栄だとは限らない。それが衰退の可能性もある――が、何故と考えるのは悪くねえよ。ただこいつにも解釈が多くある」

「あなたの見解を聞きたい。真理学科担当教員殿」

「真理を掴めってか? 難しいことを言うなあ……俺の見解はその逆で簡単なんだが。ESP保持者が誕生した理由は、必要だからだ」

「誰がそれを望んだ」

「世界が、だ。もっともヤツに人間的思考能力なんぞ持ち合わせていねえが、間違いねえよ。そもそも世界が望まなけりゃ、進化なんてしねえ。ただ当事者はどうだろうな? ESP保持者に限って言うなら――」

 室内にいるのは十三人。その全員を見渡してエイジェイは笑う。苦笑だ。

「――望んで得たヤツなんていねえよ。それが当然だったヤツを除いてはな」

「生まれながらにして保持していない者もいるのか?」

「先の話とは別にか。そうだな、それを自覚的に行うのには差があるだろ。お前らにだってそれぞれ個性があるし、視力や言語能力なんかにも差がある。同じことだ」

「同じか……」

「そうだ。だからESP保持者にも、その能力によって個別に名称があるように、得手不得手が存在する。もちろん、全てを扱えるやつもいるにはいるが……その辺りは自己の解析と現象の把握能力の問題だろう。その中には世界への干渉具合も含まれる」

「世界へ?」

「おいおい、いくら自己の解析によって成り立つとはいえ、行為それ自体は世界への干渉が必須だ。たとえば――テレポートにするか。俺は見慣れてるとはいえ、現象の解釈はお前らには難しいだろう。つっても、俺はESP保持者じゃねえから予想だけどな、これも。ま、あいつらも人によって感覚が違うから何とも言えないが」

 それは、人の視覚情報が同一ではないように。

 腕の長さが違うように。

 現象が同じであっても力を使う感覚はそれぞれ違う。

「空間転移魔術に関しての考察、誰か言えるか?」

「ああ、A点とB点を繋ぎ合わせて距離を零にする手段、あるいは時間軸に干渉して同一距離を移動しながらも、現実世界での時間を飛び越す手段、大きくはこの二つに分類されるものね。だからこそ移動する物体の指向性そのものまで操作することはできない。直線を描いて飛ぶものは、転移した先でも同一の動きを見せる。決して反対側への逆移動は行われない。そんなところかしら」

「そうだな。だが瞬間移動は違う――これは人の足の延長だ。足を動かして移動せず、場所を変える。これが現実的に見た瞬間移動の現象だ。いいか? 人は存在している。それが消えることはない。どれほど気配を隠しても、消すことはできないんだ。生きている以上、人間はそこに存在している。では――そこ、とはどこのことだ?」

「ここだ」

「こことは、どこだ?」

「……世界の一点、だ」

「違うな。一点にはならない、お前たちも俺も同様に、世界に存在している。――まあ詳しくは避けるし、お前らなら考えりゃ到達できるだろう。ともかくだ、世界が拘束しているのはただ存在していろ、ということに過ぎない。存在していればどこでも良い。ならばこそ、連中の瞬間移動は存在を〝ここ〟に在ると証明する何かを利用することで、〝どこ〟を〝ここ〟と入れ替える。もちろん利用することに自覚的かどうかは、個人の感覚だから俺は何とも言えないが……存在の転換、いや違うか。変えているのは現在の位置情報であり、やはりそれも自己の情報だ。触れている対象も同時に移動する場合も、同じことだな。己の影響下に置くために、触れることで繋がりを得るんだから」

「難しいな……」

「論理的な解釈をそこに付随すりゃ、何だって難しくなっちまうもんさ。眼前で敵対してみろ、対応するのが嫌にもなるぜ」

「敵対経験が?」

「もちろんだ。あいつ鬼畜なんだよ……俺の周囲にバリア張って、水を移動させてきやがった。しかも俺、空中だぜ? どうしろと。まあどうにかしたが。物体操作系だったから周囲にあるものが全て武器だ。一番厄介なのは砂攻めだな……ありゃ苦労した。避けようにも避け切れねえ――と、まあ俺の話はどうでもいいか。何か問いは?」

「ESPと想像力に関して繋がりはありますか」

「おう一ノ瀬いちのせか。想像力とは自身が持つものだ、関係はある。特にイメージは重要だ。何故ならESPそのものは、現象として引き起こされるものの当人のイメージがなければ拡散しちまう。制御をするにはイメージが重要だろう……これは俺が当人から聞いた話だが、人の感覚を増幅したものだから、想像によって感覚それ自体をイメージしなければ、それは何もないのと同じ――らしいな。腕が四本あるものだと聞いて、何かを頭に思い浮かべるだろう? その行為と似たようなものだな」

「では文字通り、想像力で補って五感などを広げるものだと?」

「自己の解析とは何も精神的な部分だけじゃねえよ。脳からの電気信号で足、また肩、肘、手首、指先、手を広げて伸ばし掴む、そうした行為の全貌を自身の中でどう発生しているのかを掌握した後に、ソレは手を伸ばして何かを掴む。感覚を広げるのは確かだが、範囲捜索系術式なんかとは別物だ」

「なるほど、ありがとうございます」

「魔術師は同一の魔術師に対して何かしら察知できると云うが、エスパーをエスパーと特定できる何かがあるか?」

「いい質問だな不知火しらぬい。できるか否かと問われれば、できる。ただし俺がどうだと前置されればできない、と答える。何故ならエスパーは人だ。そして世界に干渉する技術を持ちながらも、基本的には自己で完結しちまってるからな。だが、たとえば状況によってはそれを察知することができる――ま、可能性の話だ。予想になるな」

「たとえば」

「たとえば戦場で単身、あたかも全てを見ていたと云わんばかりの態度に加えて服が汚れていなかった場合。エスパーは無意識に自己防衛を行うことが多い。いや、意識して行うものを無意識にできるよう訓練された連中が多いってことか。あとは間合いやら何やら、つまるところ観察力の問題になる。そして、断定はしねえ。できるのはESPを実際に使われた場合のみだ。もっとも、聞いた話じゃESP保持者は同類に対しての感知能力が高い――らしい。誰でもわかるわけではないと言っていたからな。では、それが魔術師に可能かと問われれば、さっきの返答通り俺は不可能ではないとしか答えられない。本来ならばその察知能力もまた、人が持ちえるものだからな。ただ、見せつけられたESPだって目に見えるものじゃねえ。現象を、やはり観察でそうだと判断するしかねえな」

「そうか」

「――エスパーのエネルギーが見えないと言ったな。ならばこそ行使された現象を見るしかないと」

「前崎か。そうだな――エスパー本人はともかくも、俺はそうするしかない。物を動かすならば移動でわかるし、バリアならば叩けば感じる。ただ――ああ、例外が一つあったな。これは俺が実際に見たものだが、エネルギーそれ自体は不可視だが連中が圧縮、いや凝縮すると空間が歪む。……あれを食らったのを思い出すと古傷が痛むな。右足ごと喰われたからなああれ」

「大気それ自体が、エネルギーの存在を明確化していた、と?」

「そうなるな」

「……体験談というのも考え物だな。参考になった」

「エネルギーそれ自体の保持量……容量や消費具合、または回復に至るまでの流れは、やはり個人差が?」

「そうだ鈴白。ただし、それを知るにはESPを行使して感覚を掴むしかない。休息、つまり睡眠や食事などによってエネルギー自体は回復するらしいが、その辺りは誰だとて同じだろう」

「では、体力はともかくも精神力の回復に関してはどうでしょう」

「どう、とは?」

「時間に任せる以外にも、方法はあると思いますが」

「……」

 すぐに肯定はせず、エイジェイは二本目の煙草に手を伸ばした。

「あるだろうな」

「そうですね」

「ふうん。問題になるのは体力にせよ精神力にせよ、ゲームじゃあるまいしゲージがあってわかるわけでもねえって部分だろうな。俺は保持者じゃねえから何とも言えないが、少なくとも魔力よりゃわかりにくい。あれも仕組みこそ同じようなものだが、人にとっちゃ異物みてえなもんだ。馴染んでいるとはいえ、容量の把握くらいすぐにでもできる」

「……ありがとうございます」

「ん、ESPそのものを魔術によって同一現象を引き起こせるね。明確な区分、根源的に違うものと確定できる要素は多くあるケド、現象それ自体に対して絶対的な区別はできる?」

「あのなレン、――っと悪い蒼凰そうおう

「べつに言い直さなくてもいいケド」

「そいつはお前の領分だろうが」

「あのね馬鹿、私は学生であんたは教員。返事は?」

「……はい、その通りデス。でまあ、根源的には魔力とエネルギーは別物だ。そこを除外して同一の現象に対して区別ができるかと問われりゃ、場合によってはできる、としか答えようがない」

「その場合は?」

「ESPに対して俺自身が主観になった場合だ。つまり接触テレパスや瞬間移動を俺を含めて行った場合のみ、俺は俺自身の感覚でそれを判断できる」

「それ以外はないってことね……はいお疲れ様」

「それは俺の人生に対してか? 質問に対してか?」

「疑心暗鬼になるのはよくないと思うケドね、教員殿?」

「……あー、他にあるか?」

「じゃあ一つ」

「あ? なんだ鷺城さぎしろ、お前は隣の学科だろうが」

「いちいち細かいわよねえ……はいこれプリント。聞いてたから質問があって。で、どうなのよ。答える気があるわけ? ちなみに何か文句あるかしら。聞くわよ……聞くだけ」

 学生たちに文句はなく、既に何かしらの思考に没頭している。耳だけは傾けているようだが。

「なんだ」

「最初からそう言いなさいよ。――そもそも、魔術とESPを区別するものは何かしら」

「仕組みが違うだろう」

「そういう意味ではないわよ。そんなこと、ここにいる学生なら誰でも理解してるわ。さっきレンが問うたのは、確認の意味合いでしょう? 根源的に違う要素は多くある、そこに突っ込みを入れるべきね。だからお疲れ様と言われるのよ。現役が聞いて呆れるわ」

「お前……俺を泣かしたいのか? そうなのか?」

「そんなくだらないことはしない」

「面白いケドね」

「レンも口を挟まないの。――いい? そもそも魔力は、魔術回路とセットで言われるものでしょう? では魔術回路とは一体何なのか、これを魔術師は新しい感覚器官だと捉える。これをどう解釈するかしら」

「隣でやってろ」

「つまり、その感覚器官は真新しいものだけれど、第四進化とはまるで別物の付属品であり、進化の過程における変異ではないと言いたいのね?」

「……感覚器官か。俺は元より、座学は苦手なんだがなあ」

「こらこら、教員がそういうことを言わないの」

「じゃあ次までの課題な。お前らも適当に考えておいてくれ。さてと、俺が来るのが遅かったのもあるが、もう昼だぜ。終わりにしちまおう」

 お疲れさんと言って立ち上がったエイジェイは、そのまま教室を出る。そんなことは、この学園で日常的に見られる風景だ。

 彼らは教師ではない。金で雇われた、ただの教員だ。

 定時の本鈴が鳴る。昼食の時間帯になってもこの階でのざわめきが消えることはない――ふと、意識を切り替えるための吐息を鬼灯は落とす。母親の血がみせるブロンドはそれほど長くしていないが目立ち、瞳は黒だが光が飛び込めば薄っすらと浮かぶ青色。平均的な肉付きの体躯は、鍛えられているというほどでもなく、白のシャツに赤のチェックが入ったネクタイを締めているのは外出用の服だ。

「さて、今日は学食にでも行くか」

「はい」

 独り言にも似た台詞に隣の席にいる鈴白あやめが頷いて立ち上がる。あまり感情を見せない表情を持つ小柄な少女だ。鬼灯との付き合いは長く、いわゆる幼馴染の関係になるのだが、基本的にそういった様子は見せない。

 ただ。

 行動を一緒にするだけだ。

「あ、きちょうくん。学食なら、一緒にどう、かな?」

「一ノ瀬か、俺に断る理由はない。何かあったか?」

「ちょっと……話を、したいかなって……思ったから」

 存外に人見知りをする一ノ瀬聖園みそのだが、さすがに二年も同じ教室にいれば話くらいはできるようになる。いつまで経っても鬼灯は、その服装は装飾過多ではないかと疑問を抱いているのだが、当人は気にしていないらしい。どこぞの令嬢を彷彿とさせる服装だ。

「それで?」

「うん。ESPそれ自体は定義づけが可能であると認められたけれど、望んで得た人がいないって部分が気になったから」

「……そうだな。生まれつき持っていても、必ず反発はする。特に覚醒直後はな」

「それは、予想?」

「どうだろうな。それも含まれてはいる」

 聖園と並んであるく鬼灯のやや後ろにあやめがいる。遠慮しているのではなく、それはいつもの定位置だ。場合によっては――。

「鬼灯。私は先に行って場所を確保しています。注文をどうぞ」

「ではカルボナーラを。一ノ瀬はどうする?」

「あ、えっと……いいのかな」

「気にするな。効率を考えても、拒否する理由はない。手間が大幅に増えるわけでもなし、注文を受けた厨房が一人分早くに調理を始めるだけのことだ」

「ではクラブハウスサンドを」

「諒解しました。それでは失礼します」

 二歩で距離を詰めたあやめは、視線を向けるわけでもなくそのまま追い越していく。もちろん走ってはいない、徒歩だ。

「魔術師は、それを望んで得る。そうだろう?」

「うん。途中覚醒であっても、それが望みの顕現であることに間違いはないはず。だから素直に受け止めれる人が多い。あ、でも、魔力容量に対して魔力の生成量が多い場合や、やっぱり覚醒当初は制御ができなくて暴走する場合もあるみたい」

「通過儀礼だな」

「……え?」

「暴走を経験しないESP保持者はいない、と言ったんだ。そして、それは必ず、誰かを傷つけて己を傷つける」

「……。それはつまり、指向性を持てないESPが制御し切れずに暴走した場合において、攻撃的になると?」

「攻撃的になるのは現象だけだ。結果として、傷つけることになる。それは精神的外傷にもなりうるものだからな」

「詳しい、ね」

「以前に詳しく調べたことがある。エイジェイが言っていたことはおおよそ頭に入っていた。それ以上の情報を持っているかどうか探りを入れてみたが、上手くかわされたな。さすがは現役狩人だと納得したところだ」

「エスパーのエネルギーは見えない、だっけ」

「嘘は言っていない。現実にエイジェイは見えないのだろう。だが、他の人間ならば見ることが可能かもしれない、その可能性については口にしなかった」

「何か根拠が?」

「人が進化した先ならば――たとえば威圧感、殺意、そうした意思が躰を越えて相手に感じさせることは人でも可能だ。ESPのエネルギーとはつまり、目には見えないが必ず外部へ干渉しているものだと定義できる。そこに類似性を見出すのは不自然ではなく、だから見ることにも条件が必要だ。その条件を、エイジェイは口にしなかったのでな」

「なるほど……ESPを知るには、同様に自己を知らなくては疑問も浮かばない、かな」

「その通りだ」

「では、そこにESP保持者が表向き発見できない理由があると思う……」

「それは?」

「究極的に自己――うん、本来の意味とは少し違うけど自己満足。エネルギー自体が不可視であることからも、行使に際して他者の目を欺き易い。そして何より当事者は、それを隠すべきものだと……あれ?」

「何故だ?」

 気付いたのか、と鬼灯は思いながらも当然の思考帰結だと認めている。思考を言葉として口にすれば耳に入り、それは情報整理にも似ていて、疑問点は浮かび上がるものだ。

「他者に受け入れられるものではない、と。これは客観でもわかること……」

「けれど――相手が一般人ならば、ESPで物理的に押さえつけることも可能だ。制御ができればと前置したのなら、軍隊を寄越しても……逃げ切れる」

 迎撃可能だ、と続けようとした言葉は飲み込んでおく。だが、その僅かな逡巡に聖園も気付いたのだろう、小さく口元を笑みにしてから頷いた。気遣いに感謝したのだ。

「うん……目だった動きをしなくても、うん……たとえば不思議が起きるみたいに……」

「前提を覆せ」

「……え?」

「制御ができれば――だ」

「それが人の範疇ならば、自己の把握によって制御できるものなんじゃ」

「――制御はできない」

 学生食堂は特殊学科棟には二箇所ある。三階と十五階だ。ちなみに最上階は十六階になるため、蓄積学科教室からは近い。また特殊学科は学生人数もそう多くないため、レストランが三店舗入ったこの食堂は比較的空いており、店舗で会話をしていたあやめが視線を投げたため、鬼灯は先導するように奥の六人用テーブルに腰を下ろした。

 その隣、聖園が座る。

「腕を動かす仕組みの理解、その延長なんだよ、ね」

「エネルギーは不可視なものだ。あるいは当人ならば可視かもしれない。それは己のものだからだ――が、そもそも」

「うん」

「その何かを、どのような仕組みなのか理解するのには、どうすればいい?」

「――え?」

「ソレが腕であると、足であると、そう認識するためには何をするべきだ?」

「……試すしか、ない……?」

「それを暴走と呼ぶ。エスパーならば誰しもが通る道だ。そして、その状況を意図的に引き起こせるのならば、それは制御ができていると定義できる。制御できないからこその暴走だ――自覚的に、仕組みを理解するために行うものだと思える人間は限りなく少ない。何故ならそこに感情が含まれるからだ」

「感情?」

「そうだ。一般的なものだと――誰かを傷付けたくない、という強い気持ちだ。だがそれは制御とは別部分で行われるものであり、むしろ強い感情が力を増幅させる場合もある。つまり、たった一度の暴走でそれを把握することは酷く困難だ」

「……あ、それを、誰かに教えてもらうってこと、かな」

「遠回りをしてきたが、結論を言おう」

 無表情にあやめが頼んでいた料理をテーブルに並べ、鬼灯の逆側に腰を下ろす。そのタイミングで一度、鬼灯は立ち上がった。

「ESP保持者が、人に紛れて生活する場合の九割が、それが成功している状況において必ず師事している存在がいる」

「あ……」

 鬼灯は近くにある自販機に携帯端末をかざし、飲料を購入する。聖園の紅茶、己の珈琲とあやめの緑茶を、それぞれ手に持って戻った。

「つまり――隠れる技術も、その扱い方も含めて師事できるってことは、立ち回りが同じになりやすい。だから発見できても、いわゆる関連付けがされるから、エイジェイさんも手が出せない……って言ったんだ」

「同種の人間は引き合うのは、ある種の真理だ。もっとも、俺はそれができるだけ早い段階であれと、思う」

「そう、だね。うん」

「さて話はとりあえず、ここまでだ。食事にしよう」

「あやちゃん、きちょうくん、ありがとう。いただきます」

「……まるで俺たちが拝まれているような気分になるな」

「いただきます」

 まあそんな時もあるかと、タッチパネル形式の携帯端末をテーブルの上に置いて操作しながらフォークに手を伸ばすと、あやめから妙な視線を向けられた。行儀が悪いと訴えるその目に――屈したりはしない。

「鬼灯」

「……すまん」

 言葉にされて屈した。普段から何かしら同時作業をしている鬼灯は、食事だけに集中すると何か物足りない感覚があるのだ――が、それを説明しても行儀が良くなるわけではない。

「あれ、またあやめに怒られてんの?」

「怒られてはいない。少なくとも口にはされていないからな」

「それ、否定しているのかしら……」

 髪を頭の後ろで括った少女、蒼凰そうおう連理れんりが対面に腰を下ろす――これでいつものメンバーなのだが、しかし今日は真理学科の鷺城鷺花さぎかも椅子に座った。

 知らない間柄ではない――が、それほど付き合いはなかった。鬼灯にとってはそういう相手だ。

「ってサギ、またきつねうどん?」

「……いいじゃない。好きなのよ」

「しかし珍しいな」

 これで食事だけに没頭しなくて済むと言わんばかりに、しかしさりげなく自然に鬼灯は口を開く――が、横目で見るあやめには隠しきれていない。だがあえて無視しておいた。

「そもそも学園に顔を出すこと自体が稀だと俺は思っていたが?」

「その通りよ。でも、一段落ついたから顔を出しておこうと思ってね。レンにも逢いたかったから」

「なによう、私をいじめたいだけじゃない」

「は? すまん、聞き間違いだろうな」

「そうですね」

「うん……れんちゃんはいじめる方だもん、ね」

「ちょっとあんたたち、――私をなんだと思ってるわけ? ちょっとそこ正座しなさい正座。あ、駄目だ今日は針山座布団を用意してないや」

「そういうところでしょうに……ま、あんな座学で真理が掴めるはずもないけれど、意識を少し改めたくて来たのよ。――予想通りまったく役立たなかったけれど」

「鷺城はその真理を、どのようなものだと捉えている?」

 鬼灯が問うと、あやめや聖園も意識を向けるのがわかる。それでこそ蓄積学科なのだが。

「説明だけするならば、物事のコツのようなものと言うわよ? ただそうね、今の私が知りたいのは、真理を掴む流れであって真理そのものではないのよ。何よりも真理とは、おそらくただ一点ではない。花ノ宮はなのみやはそこを見間違えてると思う……だけど、そうね」

 たとえばと、その場にいる全員を見渡してから鷺花は続ける。

「真理とは即ち、事件においてその犯人を指すものである――と、多少の誤差はあれ、あんたたちは考えているわよね」

「……そうだな。誤差はあれ、だ」

「現実において探偵役は――……いないって言おうとしたけど嫌な人の顔が頭に浮かんだから、基本的に介入しないと言い換えておくわ……なにこれ、暗示でもかけたのあの人」

「サギが暗示なんてかかるわけないじゃん」

「そう、だね……さぎちゃん、入り込む隙間がないし」

「続きを」

「ああそうね、条件反射も含めて後で考えておくわ。――で、真理を掴むのは現実にいる私なのだから、相手が空想では意味がない。それでも真理学科の授業がまるで無意味とは思っていないんだけれど……ちょっと前に、その真理を見抜くような状況を見せられたから、困っててね」

「体験談ならば俄然、興味も沸くな。それで、それはどういったものだ?」

「まず大前提――事件が発生した。まあ誰かが引き起こしたと仮定する。けれどそこは始まりではないわ」

「えっと……事件が起きないと始まらないと、思うけど」

「違うわよ。事件は結果でしかない。この世の事件と呼ばれる悉くは――事件が発生する前から既に始まっている。だから――」

 すっと瞳が細くなる。いや、俯くようにしたからそう見えたのか。故に続くのは独白に限りなく近い、思考を整理するための呟き。

「だからまずは開始を定めなくてはならない。そして結果が出れば終了が定まる――が、そこが既に間違いであって開始が定義された時点で終了は一対として完成されなくてはならない。物語が普遍的な流れを持っているのならば開始とは終了と同意義であり、終了とは開始に他ならない――となると、そもそも真理がどこにあるのか、そんな初歩的な疑問が浮かび上がる。何故と愚考を口にするよりも前に、飛躍した思考が真理を掴んだのならばそれは、終わりであると示される。けれどそれを真理と呼ぶには抵抗がある――何故ならば、真理とは本質であって物語における終了ではない。

それは流れそのものにある……が、流れが掴めれば過程、つまり開始から終了までの一連を掴めるはず。けれど彼女の真理はあくまでも要点であって、過程とはまるで別物だ。であればそれを真理と呼ぶことが間違いだと証明ができそうなものだけれど、それほどの論証を挙げたところで並べられた否定材料は全て、悉くそれが真理であると証明するものにすげ変わる。

――最初から知っている、その言葉の意味に対して私はあまりにも無自覚だった。後悔もある。けれど忘れることはできない。最初、それはつまり物語の発端、事件の発生する前、はじまり。それは僥倖であって不幸でもある――知っている。その言葉に偽りがないことを誰よりも私が自覚していた。

 知っていたのは結果だ。結果とはつまり事件そのものである――はずなのに、そうではなかった。それは終わりであり、発端であり、事件だ。過程は知らなかった。知っていることと予想できることは違う。だからそれは――そう、予想でしかない。予測したわけでも予知したわけでもない、何故ならば未来は常に不確定であり、不確定でなければ未来ではなく、確定されたものは現在と呼ばれるべきなのだから。

 知っていたのは結果だ。だが結果がわかっていれば過程も自ずと推察できる。けれどその結果とは即ち、行為でもある。行為とは人が行うものであり、事件があったのならば犯人、ないしその原因のことだ。それを知るにはまず、事件の情報が必要になる――けれど、事件が発生する前ならば、それは既に情報になっていない。感情であり、思考であり、行動だ。そして何より彼女は、当人に出逢ったことがない。

 ならば――必然だ。流れそのものを読み取って結末を受け入れたと考えるのが自然である。世界、いや世間、状況が見せる進行……けれど何故だろうか。自然であるのにも関わらず、個人ではなく流れを読んで結果を見据えたのならば――必然的にその流れ、過程も読み取れるはず。

 だが、そうではなかった。これが現実。

 故に、その結果自体がそもそも真理ではないのだと考えられる。だから逆か……違うものだと肯定できても、そうでなくては真理ではないと逆に否定してしまうのか。ともかく矛盾の解法を探らなくては――あ!」

 ぶつぶつと続けていた鷺花はようやく顔を上げて。

「いけない、うどんがのびる」

 そういって食事を再開した。

「内容はほとんど理解できなかったが、理解できないということは理解できた。難しいものだな」

「あーまあ、一人だと煮詰まるからこうして顔を出しに来たのよ。私はどちらかというと、考え出すと周囲が見えなくなるタイプだから。ま、途中で気付くけれどね。にしても――エイジェイも気付いてたわよ? 鬼灯とあやめのこと。ちょっと迂闊ね」

「……も、とはどういう意味ですか」

「え? そりゃ私やレンも気付いたって意味よ?」

「そうですか」

「鷺城はエイジェイと同じく、多くの経験を重ねているようだな」

「そうね。知識の蓄積じゃあんたたちの方が上だけど、エイジェイと同じくらいの経験は重ねてるわよ? もちろん、だからって知識が疎かになっているわけじゃないし……そうね、現実を知っていると云うべきかしら」

「そんなものか……」

「ねえれんちゃん。れんちゃんはESP見たことある?」

「ないかなあ。似たような現象ならあるけど、私はあんま外に出ないし」

「うーん……そんなに魔術と違うのかなあ」

「たぶんね」

 二人が従姉妹であることはここに居る誰もが知っている。連理の母親の妹が聖園の母親に当たる――らしい。苗字が違うのは嫁いだからではなく、夫婦別姓を名乗る理由があってこその話らしいけれど、そこまで深く鬼灯は知ろうと思わない。それに、その事情は彼女たちではなく、あくまでも彼女たちの親の事情のようであるから、不躾というものだろう。

「にしても……」

「……なんだ鷺城。俺が何か?」

「こんだけ女所帯で鬼灯は何をしてるわけ? 誰にも手出ししてないでしょう」

「俺を何だと思っているんだ……興味がないと言えば嘘になるが、そもそも手出しできる女連中だと思うか?」

「出したら潰すし」

「うーん、私はあんまり、興味ないかなあ」

「……ノーコメントです」

「興味はあるのね?」

「人並みにはな。優先順位は低い上、不確定要素が多すぎる。論理的でなくても構わないが、やはり俺自身がその気にならなければ難しいだろう」

「その気に、ね。まあいいわ、戯れに聞いただけよ。……にしても、世間じゃ夏休みだっていうのに、本当にここは変わらないわねえ」

「あれ? そういえばサギ、バイトあるんじゃなかったっけ」

「そっちは休業中よ。たまに顔は出すけれど。ちなみに今日は行くわ、気分はスコット・ハミルトンね」

「また古いナンバーだな。ブルーノートが好みか?」

「そこそこね。でもどちらかと云えばフュージョン寄りよ」

「……まあ俺は音楽をたしなむ趣味はないが。これ以上、年寄りに見られても困る」

「外見は若者だからいいじゃ……ちょっと何よ、私がどう見てもおばさんだって言いたいわけ?」

「俺は何も言っていない。鷺城が勝手に認めただけだ」

「認めてないわよ……ったく」

 食べ終わった食器はあやめが率先して片付ける。鬼灯は追加の飲料を人数分購入しつつ、携帯端末を取り出して操作を始めた。タッチパネル形式なのは、ネットに接続して操作を行い易いからであり、またノート型よりも小さく持ち運びが容易いからこその選択だ。

 現在進行形の情報は、ネットで仕入れるに限る。ただし正否の判断を己で行わなくてはならないが。

「あ、そうだ。コロンビア大学の卒業レポート、受付始まったって」

「もうそんな時期になるのか。俺は七日後のマサチューセッツ、理学部と工学部だな」

「ハーバードは去年に終わらせたっけ……?」

「コロンビアもな」

「よくそこまで、できたね……あやちゃんもだっけ」

「はい。基本的に鬼灯と同じ程度はするようにしていますから」

「まだ八月の中旬だ、時間はそれなりにある。俺は並列作業をしてしまうので、逆に時間がかかるがな」

「んー……」

「レンはどうなのよ」

「え? 私はそゆの興味ないからぜんぜん。キチョウだって、そこにあるからとりあえずやってるだけでしょ?」

「まあな。狩人認定試験のように足を運ばなくて済むからできることだ」

「そんなものかしらね」

「さて、午後からは所用がある。俺とあやめはこれで席を外す」

「そう。――ああじゃあ伝えておこうかしら」

「なんだ鷺城」

「スイが戻ってるから、暇なら顔見せくらいしておけば?」

 言われ、立ち上がった鬼灯は無言で視線を合わせる。どんな繋がりがあってその人物を知っているのかすら定かではないが、まるで友人のように言ったその人は、これまでに一言も出てこなかった名前で。

「――そうか。考えておこう」

 何かを問おうと思った鬼灯だが、そんな無難な台詞を選択した。


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