07/22/19:00――朝霧芽衣・遅い独り立ち
「というわけで、寮を出ていくことになった」
「ぜんぜん説明になってない」
「理由は聞きたくないから、いらないかなあ」
「漫画じゃあるまいし、かくかくしかじかで通じると思ったら大間違いだ。今時の会社なら、報告書と口頭報告を一緒にやらせる」
「手続きはすぐにできるよ」
夕食の席、一様に全員が揃っていたため、終わり際に口を開いたのだが、それぞれ反応が違っていて、なかなかに面白いなと、私は一つ頷いた。
目を据わらせた花刀はともかくも、九は耳を塞ぐような態度であるし、転寝は最初から興味がなく、好きにすればいいと顔に描いてあるくらいだ。その上、六六は対応が早すぎる。
「ここに常識人はいないのか……――ん? どうした貴様ら」
「ユメ」
「さんざん酒を飲んだあとに、酒の有毒性について語る馬鹿はいないって言いたいんだろ」
「いやそうじゃなくて……お前が言うなって」
「俺は花刀さんと違って、自分があたかも常識人のように振舞ったりはしない。それなら、酒場についてから下戸なんだと、正直に明かす野郎の方が好感が持てる」
「……? えっと」
「花刀は馬鹿だなー」
「なによ、じゃあ
「わかんない。最初から、わかろうとしてないだけ、私のが賢いじゃん」
酷い論法だが、納得してしまいそうになった。
「ふむ。ともかく、そういうことだ。花刀と九は、どうせ学校で顔を合わせることもあるだろうがな」
「部屋が埋まりそうなら連絡するよ」
「好きにしてくれ。しかし、褒め言葉がまだないな。鷹丘とは違って、事前にこうして通達したわけだが」
「――
驚いたように声を上げた九が私を見る。今にも立ち上がりそうな気配に、私は椅子に肘を置いて、やや見下ろすような視線を向けた。
「貴様もあれか、鷹丘が見つけられないと騒ぐくちか。逢いたいと願うだけで、ろくに技術を磨かないからそうなる。六六、九番目はこんなものか」
「七姉さんや四姉さんとは、少し違うからね」
「答えになっていないが……まあいい。どうせ
「知らねえよ。何度も言いたくはないが、俺は一線を退いて長い」
「それでも、私が寮を去ることを、予期していたはずだが?」
「……さあな」
「ふむ。――九、いくら待っても返答はない。その程度のことは、自分で調べろ」
「……」
「まったく……組織に属しているだけで、人は弱くなるものだな。痛感したとも。ちなみに鷹丘もやっているだろうが、以前に渡した連絡先は消すので、そのつもりでいるんだな。つまらんことに巻き込みたくもない」
「そうしてくれりゃ、俺も呑気に酒が飲める」
「徹底しているな」
「褒められても嬉しくはねえな。姉貴の愚痴に付き合う俺の身にもなれ。壁に向かって話していろと言っても、聞きやしねえ。近くに教会もないときた」
ライザーはどういうわけか、しばらく仕事もしないで引きこもる、と言って姿を消した。あれがなにを考えているかは知らないが、私や鷺城を相手に隠れ切れるとでも思っているのだろうか。もっとも、仕事さえなければ、そうそう捕まえようとは思わないが。
「六六」
「うん、なにかな」
「――」
そうか、ここか。名前を呼んだだけで納得するような鷺城と違う部分は。いや、そのあたりは鷺城が特殊なのだろうけれど、しかし、どうなのだろう。わざわざ説明しなくても良いと思う部分と、説明せずとも理解される怖さが同居していて、果たしてどちらが良いのかと考えたら、さすがに悩む。
喜ばしいと、誇るべきなんだろうが……。
「芽衣くん?」
「おっと、すまん。わかっていても問うのは、話術の一つだと思い直したところだ。一応確認だけしておくが、六六、まさかお前の〝身内〟に私は該当していないだろうな?」
「ははは、いくら寮住まいだとはいえ、全員が全員、そうだというわけではないよ。言い方は悪いけれど、僕の方から願い下げだ」
「それならば良い」
本気でこれは思っているのだが、私との繋がりを持っているがゆえに、妙なトラブルに巻き込みたくはない。意図して巻き込むのならばともかくも、いらん足枷は面倒だ。
食事を終えて部屋に戻った私は、テーブルの上に置きっぱなしになっているノート型端末を起動し、独自のホワイトツール――消去プログラムを走らせる。細分化してからの削除なので、やや時間はかかるが、そこそこ復元性は削れるものだ。
ネットの世界に、完璧なんて言葉はない。完全に防げることなど、なにもないのだ。どこまでそれを困難にするか、の勝負である。
――現実と、そう変わらんか。
そう思って苦笑した私は、庭側の窓を開ける。風を通したかったわけではない――来訪者に、道を作ってやるためだ。
手がかかる。見えた指は一瞬、ふわりと浮くようにして足から入ってきたのは、転寝だ。特に約束も、雰囲気も出てはいなかったが。
「お前か」
「少しな」
中に入って、吐息を小さく落とす。
「田宮の小僧を見てるらしいな」
「不安材料でもあったか?」
「少し調べた。あいつのESPは一度も暴走していない」
「――ほう」
「幼少期、精神の安定から感情の制御が過ぎる場合、安全装置の作成が半自動的に行われた結果だと俺は睨む。余計な世話だ、右から左で構わない。生かしたいなら、暴走させろ」
「経験させておいて損はないと、そういうわけだな?」
「気絶させれば抑え込める場合がほとんどだ。お前なら、ESP封じも術式で構築できるんじゃないか?」
「ライザーより当てになる」
「当てにはするな」
「どうやれば暴走の道ができる?」
「簡単に言えば、田宮が構築している安全装置を一度壊せばいい。肉体的に追い込むより、特に第三者を利用しての精神攻撃が有用だ。繋がりが強ければ強いほど、身内への感情が外側に向きやすい」
「簡単に言えば怒らせろ、か。暴走させた以降は、考えているか?」
「俺なら全部遮断させて意識を失う安全装置を作る」
「――ふむ。転寝、それは貴様の経験からくる言葉だな?」
「確信があるなら、わざわざ確認をとるな。――昔の話だ」
「そうだな。特定の少数以外は、もう名前すらあがらないだろう」
「有名になろうとは、していなかった」
「それでもお前は、いや、お前たちは野雨で生活している」
「よせ。何を言われようとも、戻るつもりはない」
「では聞き流してくれ。お前と同様に、余計なことを言ったらしい」
「ふん。――アサギリファイルの件は片付きそうか」
「調べたのか?」
「言わなかったか? 芹沢とは繋がりがある。空き部屋が多くなれば、中身だったがらくたが、一体どこに行ったのかを気にするくらい、俺にだってできる」
なるほど。やはり、こういった目端が利くあたりも含めて、前線から退いてしまった転寝を惜しむ声が上がっているわけか。言っているのは狩人や、私のような人種だけのような気もするけれど、実際に評価には値する。これを立ち回りが上手いと表現すべきなのだろう。
「ふむ」
腕を組むと、胸ポケットに煙草の箱が当たったため、私は先に火を点けると、転寝へ放り投げる。
「確かに私は、アサギリファイルの所持者だが――いかんせん、ファイルにまつわるやり取りに関しては、ほぼ無知の状態でな。野雨にきてから、ある程度は調べさせてもらった」
「その繋がりで俺か」
「記録はうちの上官が集めていてな。足を使わずとも、条件と引き換えに読めば情報は仕入れられた。ただし、お前たちのことは自力で調べることになったがな」
手元の煙草に目を落とした転寝だったが、久しぶりだと言わんばかりの態度で煙草に火を点けた。
「鷹丘少止、
紫煙が天井に向けて吐き出される。
「――俺が全体補助、前衛は二人。暗殺は花楓、陽動は少止が上手かった。今もまだ生きてる情報網は、その頃に作ったものだ。どの仕事が駄目で、どの仕事ならできるか、その見極めは全て、事前の情報に左右されることを学んだのも、あの頃だ」
かつて私が、鷺城と戦ったように、違うかたちではあるものの、彼らも経験を積んだのだろう。
「アサギリファイルの情報を掴んだのも、その頃だ。滅多なことじゃ口外できねえと、そう思ったのも確かで、お前の名前を聞いた時はそれなりに驚いたもんだ」
「ならば、そのあとになるのか」
「時系列に並べれば、そうなるな。知っているんだろう?」
「ああ」
ESPの暴走――死者はいないものの、おおよそ一キロメートル四方に及んだ大規模破壊。人の力はこうまで荒荒しいものかと、思ったものだ。
「花楓が周辺被害を減らして、少止が俺を抑え込んだ。――間抜けは俺だけだな。朝霧、それでも俺は、あそこまでの暴走を誰かに引き起こして欲しくはないと、そう願うことくらいはある」
「たまには、その願いのために、多少の助言くらいはする――か」
「そういうことだ」
「――はは。私としては、こういう会話をまともにしたかったものだが」
「少止とでもしてろ」
「所属は違えど、あれは同じ組織の人間だったからな。そういうわけにもいかん。あいつは視野が広いが――それでも、自分のためではあるまい」
「よくわかってるじゃねえか。……これから、どうするんだ?」
「生活自体を変えるつもりはない。ただ、仕事も含めていろいろとあるのでな。学校はこれから夏休みだ。連中を本腰入れて鍛えるには丁度良い」
「エスパーは稀少だ。なにかあったら、前崎鬼灯を頼れ」
「覚えておこう」
「ちなみに、フルネームを知ってるか?」
「ん?」
「鬼灯・イーク・前崎。あのメイファル・イーク・リスコットンが母親だ」
「ははははは!」
あの対物馬鹿が母親とは、なるほど、面白い。これは一度、逢っておく必要があるな――もちろん、メイファルにだ。
どうやら、またやることが増えたようだ。それもまた良し。
とりあえずは、夜のうちに今度の訓練の手筈でも整えておこう。これからは本格的なものが開始できる。
残った足枷はあと一つだけ。
肩の荷が下りるのは、もう少しだけ、先の話になりそうだ。
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