07/08/13:30――朝霧芽衣・三○四

 念のためと担任に午後からも休むことを連絡しつつ、雑談しながら喫茶店の隅で食事を終えた私は、その足で鈴ノ宮邸に向かった。直前の連絡であったのにも関わらず、門の前には執事らしいスーツを着た男性が、にこやかな笑顔で待っていた。

 鈴ノ宮の敷地は広い。いわゆる豪邸と言われて想像できるほどの広さで、門から正面の屋敷までは一直線で十五メートル以上はある。向かって右側には、実に簡素な石造りの詰所があり、そちらには多くの元軍人が詰めているらしいことは、事前情報で聞いていた。

「いらっしゃいませ、朝霧芽衣様。私は当屋敷の執事をしております、哉瀬五六かなせいずむと申します」

「朝霧芽衣だ。突然の来訪、すまないな。握手は構わないか? ――ああ、手袋はしたままでいい。六六むつれには世話になっている……と言えば語弊もあるが、まあ似たようなものか」

「こちらにもいくつか、情報が流れてきています。いつ来訪していただけるのか、戦戦恐恐としながらお待ちしておりました」

「皮肉が利いているではないか」

 握手は軽く済ます。たったそれだけで実力を見抜くのは難しいが、さすがは橘の分家、哉瀬の姓を名乗り、二桁の数値を持つだけはあると納得できる情報は得られた。

「ロウ・ハークネスはどうだ?」

「ええ、よくやってくれています。主に雑用ではありますが」

「それでいい。元同僚になった上、私にはあまり興味がないことでもあるがな。鈴ノ宮の御大に面会は可能か?」

「ええ、今からご案内します」

「そうか、それはありがたい。とはいえだ、私をそんな重役扱いしないでくれと、そう思うのも事実なのだが?」

「そうでしょうか。失礼ながら、こちらとしては鷺城様やセツ様のような扱いとして受け止めていますが」

「よせ、よせ、あれらと比べられては本気で敵わん」

 だいたい刹那小夜せつなさよとはまだ逢ってもいない――そんなことを言いながら屋敷の中へ。エントランスもまた広く、立食パーティくらいなら開けそうだ。装飾は豪華というより、整っている。あと侍女が素晴らしい。なんだこのメイド服。中身つきでお持ち帰り……は、できないだろうな。

「ほう――五六、一ついいか」

「なんでしょう」

「そこにいる侍女なのだが」

 掃除の手を止めて頭を下げた侍女は、一向に頭を上げようとせず、私は左右から中央へ向かう階段を上がりながらも指で示す。

「仕事中のようだが、私の案内につけてくれんか。面会が済んだら、詰所にも顔を出したい」

「ええ、構いませんよ。手配しましょう」

「助かる。イギリスで逢った時は、雑談に花を咲かせた間柄だが、嫌そうな顔をされるようなことをした覚えはないんだがな」

 言うと、ぴくりと肩が動いたが、姿勢はそのままだ。仕事中の対応としては、それで充分か。

 階段を上がった正面の大扉をノック。中からの声に、私たちは足を踏み入れた。

清音きよね様、朝霧様をお連れしました」

「結構。――どうぞ、座って」

 執務机に座り、こちらを見る白を基調としたドレスにも似た服装の女性は、まだ若い風貌である。魔術師の類には多いのでさして気にせず、私は左側のソファへ。テーブルを挟んで向かいにはもちろん、誰もおらず、私は顔を横に向けて彼女と対峙しなくてはならない。

「用件は?」

「先にそれか」

「お互いに仲を深める必要があるとは思えないし、どうせビジネスの話でしょう」

 手元の書類を書き終えた彼女は、一通り確認してから脇に置いて手を休めた。

「それで?」

「鈴ノ宮が所持している訓練場を借りたい」

「理由は――あとね。先に条件を」

「屋外で最低五十ヤード、可能なら五百欲しいな。起伏はない方が好ましくある。現状では、だが」

「五百ヤードの距離となると砂浜くらいしかないわね」

「プライベートビーチか?」

「似たようなものよ。五十ヤードなら、野雨の端、杜松ねずの付近に一つあるわよ。そこそこ広い空地――手入れは、五六?」

「先週に草刈りを」

「なら使えるわね。あなたの名前でいい?」

「随分とあっさり許可するものだな」

「いつ?」

「土曜日に丸一日頼む」

「そう。――で、理由は?」

 話が早くて助かるが……なんというか、態度を深読みしたくなるのは私だから、だろうか。

「四人ほど育成をするつもりでな。まずは銃の扱いから、信頼性を育ませた上での行軍、接近戦闘の学習、――最終的には術式の有効活用まで見通している。なんなら、鈴ノ宮に配備してやってもいい」

「ガキが増えれば面倒も増える。最後のはメリットにならないわ」

「足手まといの必要性に異を唱えるタイプか? 優秀な人間だけで作られた部隊ほどずさんなものはない。特に元軍部の連中は往往にして、上官だとなんだのと気にするからな。そこに育成途中の若手を放り込んでみろ、まるで孫を見るような目で育成に励む。一週間もすれば、ガキを中心にまとまるものだ」

「どうして?」

「弟子を通して師が成長することを今更言うまでもないが――遊び心だな」

「そう。九ミリ?」

「そうだが……?」

「用意すると言っているのよ」

「シグのP229を五丁と、弾頭をゴムにした九ミリを五千」

「五六」

「土曜日ですね、用意しておきます」

「ふむ。察するに、組織で浮いた金でも回されたのか?」

「そうね。朝霧芽衣の名義で振りこまれた金はあるわね」

 アキラめ、なにを考えている。それともこの展開でも読んでいた? まさか、それは被害妄想の類だ。どのみち、私がここへ接触するだろうことは想像に容易い。先を見越すというのは、そういうことだ。

「よく働いてたみたいね、結構な金額よ。それをあっさり捨てるあなたも、どうかしてるけど」

「有効活用できるのならば任せよう。それと当日だが、監視をつけても構わんぞ。ただし一名にしておいてくれ」

「嫌よ、面倒臭い。使ったあとの報告は、気になったところも含めて出しなさいよ」

「そのくらいはな。ちなみに、鈴ノ宮の人材育成はどうしている?」

 五六が私の前に紅茶を置き、自然な流れで清音の手元にも同じものを置くと、その隣に立つ。真横ではなく、一歩半ほど背後へ。傍に遣える――とは、こういうことなのだと納得できる位置だ。

「侍女も含め、定期的に試験をするだけで、育成そのものは個人の裁量になっています。詰所の総責任者は、状況を見て訓練をするよう指示することもありますが、基本的にはありません」

「元からそれなりの実力を持っているからこその判断だな。他者と比較することは身近にありながらも、こっちにこいと引っ張り上げるだけの場はなしだ。もっとも、そちらの仕事内容についてまで、知っているわけではないがな」

「錬度に問題を抱えているわけじゃないのよ」

「ふむ――ちなみに、訓練の場としてはどのくらい確保してある?」

「行軍なら山ね。無人島も一つ……あれは、あなたの元所属場所から押し付けられたものだけれど」

「なるほどな。一般的な夏休みまでに、三度の訓練をして、連中には続けるかどうかを決めて貰うことになっている。先のことはまだわからんが、少なくとも三度、場を借りることになるだろう」

「そう。下手を打たなければ問題ないわよ」

「私の代わりに祈っておいてくれ。――以上か?」

「そうね……次もあるようだから、今はいいわよ」

「では頼んだ。これから詰所に顔を出してから、帰るとしよう。武装の手配に割く時間も必要なくなったのでな。手間賃はきちんと計上しておくといい。貸し借りをするつもりはないが」

「結構よ。五六」

「いや――さっきの侍女を呼んでくれ」

 私は紅茶を飲み干し、席を立って部屋を出た。その際に、妙に刺さるような視線を感じたが振り返らない。今のところは、たったそれだけの目的のためにきたと、そう思っておかれるのが一番楽だ。

 真っ直ぐ屋敷から出たところで、侍女と合流した。

「どうしたその顔は。生理か? 確かに、私の配属された高校の教室には、そういった顰め面のような冷めた視線も含めて、頼むからやってくれと口にするような馬鹿もいるが、私にはあまり効果的ではないぞ」

「その言い回し……やっぱ芽衣か」

「どうもこうも、私は私だとも。驚きの反応を見られたくなかったのか? まあいい、そんなことはどうでもいいだろう、マリーリア。随分と久しぶりの再会だ、喜ぼう」

「いや……あんたとは、あの時限りで、次はないと思ってたんだけどね」

 イギリスのカフェで知り合い、同じ東洋人ということで一時間ほど暇をつぶした間柄だ。私だとて、まさかと思ったのは事実だが、驚きが顔に出るような人生は送ってきていない。

「あれからしばらく、お前のことは随分と調べたんだがな……」

「え? なんでよ」

「お前が持つ魔術特性センスが、あまりにも飛び抜けていたからな。自覚がないのか? どういう関係者だと――ふむ、安心しろ。お前の魔術特性そのものは把握できたが、所属などは不明なままだ。それを残念だとも思ったが、私にできるのはその程度のものだな。ははは」

「あんたって……いいけどさ。私も鷺花から聞いてるよ。ちょっとだけね。だからって日本にきてるとは思わなかった」

「そんなものだろう。ちなみに、しばらくは野雨を拠点に動いているから、また顔を合わせることもある。その時はせいぜい楽しもうじゃないか」

「楽しめればいいね! 本当にね! まったく……ああ、ロウもきてたっけ。あれが芽衣と一緒ってのが、私としては納得できなかったけど」

「どうしてる?」

「パシリがいると楽でいいねって、評判だよ――あ、きた」

 詰所から出てきた小柄なアメリカ人のロウ・ハークネスは、一瞬こいつは誰なんだ、みたいな探る視線を寄越してから、私だと気付いて片手を挙げながらも、渋面のまま近づいてきた。

「――なんだ、てめえ」

「なんだ、とはご挨拶だな」

「変わったぜ、お前。なんだそりゃ――」

「ふむ、マカロから連絡はきていないようだな」

「ねえよ。連絡が取れねえって、エリィが頭を抱えてたぜ」

「そんなこともできんヤツに、私が相手をしてやる理由もないな。そうだろう、マリーリア」

「そっちの関係は知らないけど、私も同じこと言うかも。しばらく外? ちょっと待ってて、飲み物もってくるから」

「ああ、外の風の方が私には心地よいし、べつに内緒話をするつもりはないから、気を利かせなくてもいいんだがな」

「……なにがあった」

 いや、組織が解体されたのは知っているだろうに。それとも、私の変化がなにかしらの内面的なものだとでも思っているのだろうか。

「マカロの方が潔いな――組織がなくなり、部隊は解散。マカロはあっさりと、私を他人だと突き放した。賢い選択だとも、それは強者の特権ではなく、弱者の権利だ。足手まといは切られる」

「なに言ってんだメイ」

「お前はそれなりに聡い、と思っていたのだが、エリィと同じだな。マカロは私にこう言ったぞ。師匠を継ぐに値しない自分たちをお前の手で殺すのか――とな」

「――」

「あまり腑抜けた面を晒していると、自然とそうなる。正面から堂堂と、後手に回って足枷をつけて、それでも私には軽い仕事だ。師匠の面を汚さずに済む。――そうだな、一人で生きて行けないと思うのなら、マカロには連絡を取っておけ。それでもと、無様な真似をするのなら、私が殺して……ん?」

 屋敷から一人、こちらへ向かってくる人影に気付いて、私は言葉を途中で止めて振り返った。あれは……、いや、あいつは――。

「あれ? ロウさん、こちらは?」

「ん……ああ、俺の元同僚だ」

「そっか、邪魔しちゃったかな。初めまして、僕は鷹丘少止たかおかあゆむといいます。こちらには居候……に、近いのかなあ」

 困ったような表情で頬をかく男性は、年齢もそう変わらないように見える。持っている雰囲気が柔らかく、物腰もあまり強くない。表情は豊かだが――。

「ふむ」

 握手のために差し出された手に視線を落とし、再び顔を上げて、ロウを見た。

「――馬鹿か貴様は。それとも、そんなに私に殺して欲しいのか?」

「な、なんだよ」

「詰所に戻れ、ロウ・ハークネス。私の殺意がお前に向かない内にな」

 言い切り、私は吐息を足元に落として鷹丘を見る。

「すまんな。手のかかる部下だ――元、だがな」

「あはは、僕にはよくわからないけれど、そんなものなのかな」

「そういえば、貴様らに部下はいなかったか。久しぶりだな――三〇四サンマルヨン

 息を呑むようなロウの気配を完全に無視し、小さく肩を竦めたあと、彼は。

 微笑ましい相好を崩した鷹丘は、瞳を軽く閉じて吐息を落としながら――その表情を消す。そこからは悪寒が走るほどの豹変ぶり。何かが憑依したのだと錯覚しそうなほど、受ける気配が変わる。

 尋常ではない変化だ。持っていた気配が完璧に、別人のように変化する。それは殺意や闘志をむき出しにするのとは違い、本質そのものが――核が交換されるように。

「よォ」

 そして、ああ懐かしくも顔を歪めるような笑み。

 挑戦的なぎらぎらと光る強い瞳。

 口を開いて犬歯をむせるような厭らしい口元。

 人を見下したような言葉遣い。

「久しぶりだなァ、六○一」

 そこに居たのは間違いなく、かつて仕事を同じくした三○四だった。

「さすがはファースト、いや、朝霧芽衣だと褒めるところか? なァ――そこにいる野雨じゃ五万といるクズの同類とてめえを、比べるのすら烏滸がましいが」

「貴様だとて自負しているだろう? ――貴様の体躯や顔それ自体を、変化させているわけではない。かっこうは抜けたか」

「抜けるも抜けないもねェな。そんなのは俺の立場の一つでしかねェ。かっこうとはつまり、そういうモンだ」

「わかってはいる――が、やはり気に食わない態度だな。まあいい、その変化こそが貴様の核心なのだろう。楽しんでいるようにも思うが」

「そりゃァ楽しむぜ? そこの馬鹿みてェに、いつまで経っても気付きやがらねェ野郎なんぞ笑っちまう。一ヶ月以上の話を重ねて、このザマだ。東洋人の見分けがつかねェなんて言い訳が飛び出たら、俺の腹がよじれちまうぜ」

「だが、貴様にとってはあの態度がこの場では必要だった。三○四としての態度は似合わない――だろう? もっとも素直に引き出したところを見るに、人目についても問題はなさそうだな。然るに、この場所は貴様の古巣か何かか」

「――はッ、相変わらず頭の回る女だ。てめェがいなけりゃ、かつての俺も尻を捲って逃げるように姿を消さずとも良かったんだけどなァ。懸念通りだ、茅の野郎の入れ知恵も悪くはねェな」

 舌打ちをしてロウが戻る。それをお互いに見送りもしない。

 これで縁切れ――とは、いかないのだろう。それもまた、私の負債だ。入れ替わるようにして戻ってきたマリーリアの姿に、鷹丘は再び目を伏せて開く。その動作だけで気配が静まった。今度のものは硬く、いやあるいはないと言うべきか――まるで倒れたカップが中身ごと元に戻ったような感覚だが、けれど表情そのものはなかった。

 ない。

 そう、抑揚がないとでも言えばいいのか。感情の波も窺えない。

「妙な縁が合うものだ。野雨西ではまるで、貴様の後釜になったかのような気分を味わったが、お前が鷹丘である以上は四十物谷あいものやの一件だろう? 潜入はお手の物か」

「仕方がないだろう。四十物谷は闇ノ宮の付属、いうなれば私の負債だ。片付けるのを後回しにしたツケは、その時に負った」

 鷹丘は煙草に火を点け、箱を私に投げる。受け取って口に咥えたところで、マリーリアが器用にポケットから携帯用灰皿を取り出した。

「ロウじゃなくって少止がきてたんだ。珈琲だけど、どうぞ」

「――待て」

 珈琲を受け取った私は、まじまじとその表面を見る。デフォルメされた猫柄をミルクで描いてあるそれは、ひどく懐かしいものだ。

「まさか、ジェイル・キーア殿がいらっしゃるのか?」

「へえ、ほんとにわかるんだ。うんいるよ」

「やはりか! 海上演習では随分と世話になったものだ。あとで挨拶をしておこう、こちらから探す手間が省けた」

「――なんだ、なにか探ってるのか」

「情報を集めていると言ってくれ。なあに、ジークスについて少しな」

「深入りはしねえよ。私も今はフリーの狩人だ」

「ふん、似たようなものと思うのも、癪ではあるがな」

「ちなみに、つれづれ寮にも部屋を取ってある。私と……妹のぶんもな」

 事情があるみたいだなと思って、言及はしない。鷹丘がそうであるように、私もまた踏み込もうとは思わないのだ。縁が合ったら、また違うのだろうけれど。

「で、芽衣はなにしにきたの」

「ん? 四人ばかり、個人的に訓練してやろうと思って、その手配にな」

「へえ、芽衣が? なんか意外」

「そうでもねえだろ。それを言うなら、だったら鷺城は育成に向いていないと思うか?」

「あー……いや、向いてるかどうかっていうより、鷺花の場合はほら、厳しいから気おくれする感じが強いけど」

「だからどうして、アレと私を一緒にするんだ貴様らは。といっても、相手は正真正銘のガキだ。見込みはあるがな」

「どこまでだ」

「時間が許すのなら、一人で生きていける程度には。ちなみに田宮も含まれている」

「野郎か……知ってるか? あいつ、掃除の仕事をしている。もう二年近く続いているな」

「あー、うちから手配したこともあったっけ」

「根性があるな。伊達に狩人を目指していない、と言いたいところだが、まああいつでは無理だろう。望んで狩人になど、なれるものではないのが通説だ」

 ちなみに掃除とは、屍体で汚れた部屋を掃除する夜の仕事だ。いわゆる、嫌な仕事と呼ばれる分類の一つではあるけれど、なくすわけにはいかない。過酷な労働だけあって、それなりに賃金は良いが。

「私は戻る。マーリィ、カップは戻しておいてくれ。煙草は返さなくてもいい。じゃあな朝霧、どうせまた逢うことになる」

「行動範囲が重なれば、な」

 ぽん、とマリーリアの肩に手を置いてから鷹丘は再び母屋へ。あの様子だと、おそらく私の来訪に気付いて顔を見せたのだろう。律儀なのか、それとも私にあの誤魔化しが通じるかどうかを試しにきたのか――ま、いいか。

「少止とは、確か組織が一緒だったんだっけ」

「昔に仕事を一緒にしたこともある。あの頃は尖った雰囲気だったが、仕事の結果だけは出す相手だと、認めていたものだ。同時に〝かっこう〟の厄介さを痛感させられた」

「ふうん。私と逢った時は休暇だったのよね」

「似たようなものだな。まさか、仕事でお前に接触するようなことを、心配でもしていたのか?」

「あー、当時はね、いろいろと考えたから。杞憂で済んで良かったけど」

「ふむ。私はなマリーリア、お前の魔術特性がおそらく、相手に対応する……そう、本来ならありえない〝変更〟が可能なものだと察した。本質そのものが可変する特性を持つそれを、かつて教皇庁が〝静謐なる不純物セントオンリーダスト〟と呼んだそうだが」

「そうだね。一応、そうだけど……よくわかったね」

「幼少期に、戦闘の相手といえば鷺城だった時期が一年ほどあった私は、変化そのものに鈍感でな……いや、笑い話だが、鷺城のような魔術師はごろごろいると勘違いしていたのだ」

「勘違いだって気付けて良かったね……あんなのがたくさんいたら、私泣くかも」

「さすがに気付けるだろう、世を知ればな。でだ、知った矢先に、妙に懐かしいような感じがあって、しばらく悩んだ結果、そこに行きついたわけだ。なにがどう、というわけではないが、話せるか?」

「えっと……あんまし言いたくないけど、朝霧が相手だしなあ。勝手に調べそうだし」

「おおっぴらに探られるのが嫌なら、そう言ってくれ。隠れてこそこそやるとも」

「そういう問題じゃなくてね。上まで行くならともかくも、たぶん情報が落ちてない」

「ふむ」

「あのね、わかっていると思うけど他言無用で。私のフルネームは言ってなかったと思うけど、マリーリア・凪ノ宮なぎのみや・キースレイっていうのね」

「二十秒くれ」

 十一紳宮が一つ、凪ノ宮は、野雨にある鈴ノ宮と同じく魔術師の家名だ。しかし、鷺ノ宮事件以降、後継者がおらず、凪ノ宮春風というご老体が現役でいたはずである――が、その娘というのも考えにくい。となると、孫くらいなものだろう。理由はともかく、一人娘は死亡したとされていたが、生きていたわけか。

 そのことは疑問に思わない。なにしろ私も、朝霧芽衣という人間はそもそも死人であり、名乗ってはいるが、天野さちで戸籍登録もしてある。

 そしてキースレイ。

 教皇庁が除外した、生粋の魔術師であるジェイ・アーク・キースレイの血だろう。数冊の魔術書を書いており、その内容はすべて、違う魔術特性のものらしく、〝静謐なる不純物〟とは、教皇庁が彼に、皮肉を込めてつけた二つ名でもあった。繋がりはあると、その可能性だけは考慮していたが、まさか血筋だとは。

 ――つまり、鈴ノ宮は凪ノ宮ではなく、キースレイと関係を持っている。

「なるほどな」

「うっわ……本当に、二十秒で思考したよこの人。え、どこまで?」

「どこまでと言われても、鈴ノ宮とキースレイ、ないし〝楽園〟の繋がりくらいまでだ」

「なんでそこまで……」

「キースレイの所在が不明である以上、おそらく楽園が絡んでいると見るのは自然だろう? 加えて、うちの組織もまた、似たような系譜がある。ははは、私なんかが逢うには恐れ多いがな」

「変態め」

「いや、私程度を変態と呼ばれてもな――お? キーア殿! ジェイル・キーア殿!」

 つい、大きな声を出して手を振ってしまう。世話になった相手でもあるし、なにより性格が実に好ましい相手だったのだ。久しぶりの相手であるし、このくらいは許して欲しいものだと思う。

 禿頭で体格の良い男性は、おうと声を上げて私たちのいる木陰にまで歩いてきて、煙草に火を点けた。

「久しぶりだなメイ」

「はは、本当に。以前は随分と世話になりましたが、お変わりなく健在のようでなによりだ。私同様、退役されたようですね」

「ああ、無事にな」

「軍の潜水艦で港に乗り付けておいて、無事……?」

「ははは! キーア殿らしい、自分の家と一緒に移動か! 先ほど、珈琲をご馳走になった。変わらず美味い」

「きていると聞いたからな」

「そうだ、キーア殿、訊きたいことがあったのですが、先によろしいか」

「ん? どうした、珍しいな。訊きたいことは事前に調べておいて、返答を予測するのがお前のやり方だと思ったが」

「昔から朝霧ってそうなんだ……」

「何故、そこで残念そうな顔をするんだ。軍部にいた頃は、得体の知れなさを演出するために、私も手を回していただけだな。直截せずに仄めかす、そこから会話を組み立てることをよくしていた。だからまあ、キーア殿への確認ではあるか」

「言ってみろ」

「ふむ」

 マリーリアに聞かせていいものかどうか逡巡して、私は言う。

「ジークスのJについて訊きたいのですが」

「……」

「うっわ、それも知ってるんだ朝霧って。ジェイルさん、顔、かお、すげー嫌そうなのになってる」

「マーリィ、俺は嫌な時に嬉しそうな顔をするほど器用じゃない。……メイ、誰から聞いた。口の軽いケイか? それとも、大して気にしていないセツか?」

「いえ――ああ、そうか、そうだな、知らないのも無理はないか。私はなキーア殿、アイギスに聞いた。変な言い方にもなるが、当時、アイギスを喰ったのが私だからな」

 そのあたりの事情を軽く説明しておき、私の中に残滓があること、ついでにジニーが情報封鎖をしたことを伝えておいた。

「そんな面倒な事情があったのか。しかも、軍に入る前の話だろう」

「とはいえ、当時の記憶はほとんどありません。私としては、つい最近に逢った……という感覚が近い。そこで彼女のことを調べる流れで、ジークスについて」

「あれはな、言っておくがセツとアイギスの暴走の結果だ。ケイは大して気にせず、あれも経験だと言っていたがな。それなりに調べたんだろう」

「ジェイ、アイ、ケイ、セツの四名の部隊であることと、仲間内では忌避されていた――程度だが」

「忌避していたのは仲間じゃない、上だ。どんな仕事も粗く片付ける。先頭に立てば後続の仕事がない。しんがりをやれば殲滅する。狙撃任務をやれば勝手に暗殺……それに巻き込まれたのは俺とケイだ。連中と一緒にいたくなくて、海兵隊上がりが無茶をして海軍に所属したんだ俺は。それがどうだ、お前のようにジークスを探って至れば俺のところにも顔を出す。いい迷惑だ」

「ははは、それは私よりも酷い話だな。――私は、アイギスと同じ魔術特性を持っている。おそらくそれも、迎合した適性の一つだったのでしょう。キーア殿から見たアイギスは、どういう人物でしたか」

「入隊時、お互いに経歴は隠していたが、アイは――傭兵上がりでな。こと戦場における動き方については群を抜いていた。一人で生き残るのも当然だが、仲間を失わせない手法がよく目についたものだ。戦闘技能に関しては、それこそ五指に入るだろうセツが、厄介だと戦闘を回避したような相手だ。俺にはその攻防の意図すら読めない領域だったが……ただ、本人はどうであれ、誰かの世話は上手かったな。俺は聞いただけだが、一人育てていたらしい」

「なんとなく理解できるな。なにを言えばよくわからん、と言いながらも、きちんと相手をしているあたり、人が良いとも思ったものだが。ちなみに私の術式運用に関してはボロクソに言われた」

「ああ……アイなら言いそうなものだな」

「その人、朝霧の中にいるの?」

「いるというか、私が組み立てているだけ、というか……できるのはせいぜい、会話だけだ。しかも限定条件下で、いつもというわけではない。私の想像だと捉えられても、否定する言葉は持たん」

「ふうん。生きているわけじゃないんだね」

「ああ、当人も死人だと認めている。ちなみにキーア殿からの伝言は、残念ながら承ることができない。アイギスがとても嫌がったのでな。それも一興かとも思ったが、あれは自殺しかねん」

「死人が自殺か、なかなかにシュールだなそれは。だが、俺からはなにもない。俺にとってもアイは死人だ」

「キーア殿ならばそう言うのではないかと、思っていました。ただ私としては、アイギスの実力に至っていないことが残念でならないが」

「あんなのがもう一人いたら、俺は隠居だ」

 では、隠居させるように私もやらなくてはな。

 代わりを務めようとは思わない。ただ、形は違えど私はアイギスの後継だ。弟子は師を越えるもの――そんなことは、今更確認するまでもないことだ。


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