08/08/07:00――安堂暮葉・痛みの叱責

 睡眠時間が短くても、さほど支障がないのは、規則正しい生活を心がけているからこそ、である。日頃から短時間睡眠をしているわけではなく、たまには規則から外れても体調が悪くならないのは、日常的な管理の証拠だと、暮葉は思っている。

 結局、響生が返ってから二時間ほどの睡眠をとった暮葉は、一時間ほど外を走っていた。これは日頃からやっている体力維持で、元軍人にとっては普遍的な行動でもある。それ自体は問題なく――○七○○時になれば、準備を整えた二人と、両親が乗ったワゴンが到着する。

「おう、出荷は任せろ」

「それはいいが、暮葉、お前に客だ」

「は?」

 だしぬけにそう言われ、一瞬だけ動きが停まる。頼んだぞと、肩に手を置いて去る父親を見るが、それ以上はなし。母親はやや難しい顔をしていたが、一年の二人に挨拶をしていたあたり、ここにはいない一人のことが、既に情報として渡っている可能性を示唆していて。

 後部から降りてきた、小柄な少女の姿を見た暮葉は、二歩ほど近づきながら、背筋が伸びた。一本の芯を入れられたような緊張感と、躰を一気に冷やすような恐怖。両手を真横につけた姿勢で直立する――。

「おー」

「お久しぶりであります、兎仔とこ軍曹殿! 安堂暮葉一等兵であります!」

 大きな声に、背後で驚きの気配があるが、そんなことは気にしていない。元――であるとはいえ、上官がわざわざ、こんなところへ足を運んだ現実が、暮葉にとって混乱の極みでもある。

「元気そうだな」

 言いながら、近づいてきた動作の流れで、彼女の右足が動く――というか、動いたと認識した直後には既に、暮葉は頬に回し蹴りを一発食らっていた。意図しないものだ、口の中が切れた。頬への衝撃で首が横に振れるが、顎を引いていたため、脳震盪には至らない。ちかちかと点滅する視界の中、それでもと両足は大地を噛み、倒れるのだけは回避する。

「――どうして蹴られたかわかるか?」

「わかりません、マァム」

「あたしは言ったぞ、安堂。問題があるようならあたしに言え。お前の問題なら、どんなことであれ、面倒だとは思わない。あたしが関わるようなもんじゃなけりゃ、その時はお前に任せる――覚えてねーか」

「いえっ、一言一句、覚えているのであります!」

「だったら、先に連絡すんのが筋じゃねーのか」

「弁明はありません」

「ったく……」

 ため息を落としながら、兎仔は煙草に火を点けた。

「鷺城から連絡がなけりゃ、この程度じゃ済まさなかったぞ。――甘すぎだぞ、お前は」

「はっ」

「お前が腕を折った馬鹿は、途中で狩人に捕獲。そのまま狩人専用留置所に放り投げられ、殺処分になるまでに、いくつかの〝貸し〟を使って、途中で確保した。その片手間に事情を調べれば、お前以上の甘ちゃんだ。頭にきたんで、七日で治すよう軍病院に入れて、そのまま海兵隊に入れてやった。死にそうな駒だが、まあなんとかなるだろ」

「そう……で、ありますか」

「不満か?」

「いいえ、ありません、マァム。適切な手配、ありがとうございます。自分にはできないことであります」

「そうだ。お前にゃできねーことだ。だから、あたしに言えと、そう伝えた。いいか? もう一度言う。――お前に問題があるようなら、あたしに言え」

「はっ、諒解しました、軍曹殿!」

「ん。それとお前、たるんでるから、五日後の十三日、○七三○時に学園へ行って北上と合流しろ」

「五日後、十三日○七三○時、学園にて北上と合流、諒解しました」

「変わらねーなあ、お前は」

「そうでしょうか」

「てめえのことなら、とっとと済ます。面倒は率先して片付けた方が良いと思ってる。だが、そこに他人の動きが絡むと、途端に受動的だ。相手が動くまで待つ。後手をあえて選択し――その上で、相手が行動した時には、相手の〝退路〟まで用意してやる甘さ。変わってねーよ」

「恐縮です……」

「褒めてねーだろ。まあいい、あたしが言いたいのは、だいたいそんなところだ」

「わざわざ、ありがとうございます、兎仔軍曹殿」

「いいさ。ここ一年で片をつけて、あたしもこっちにくる。その時には顔を見せるから、ちっとはマシなツラを見せろ」

「はっ」

「邪魔したな」

 直立不動で、徒歩のまま去って行く兎仔の背中を見送った暮葉は、やがて箱に入った花を持ってきた父親に、どけと言われてから、我に返る。

 二箱を一つ、それを十個車に詰めれば、あとは運ぶだけ。肩の力を抜くようにして全身を弛緩させてから、運転席に乗り込んだ暮葉は、後部座席に二人を乗せた。

「悪かったな――」

 自動運転システムで行先設定をしてから、ため息と共に言う。

「驚いただろう」

「あ、や、確かにそうだけど」

「本当に軍人だったんだ、安堂先輩……てっきり冗談かと」

「俺はそういう冗談は言わない」

「知ってる」

「顔、痛くないっすか? 大丈夫?」

「ああ――痛みはあるが、情けないな。軍曹殿に手を上げさせちまった己のことを思えば、足りないくらいだ」

「……へ? 手を、上げさせたって、どういうことですか」

「暴力を振るう方が悪いってのは、日本人の悪い考え方だ。言ってわからなけりゃ殴るしかないのが軍部だが――事実、相談しなかった俺が悪い。殴られて当然だ。痛みは戒め、傷は俺の不出来の象徴。無茶を言う上官じゃないのは、戦場でいろいろ教わった俺が一番良く知ってる。陣二の始末も、させちまったしな……」

「あ――そっか」

「暗くなる必要はない、俺とあいつとの問題だ。ま、少し寂しく感じるかもしれないが、仕方のないことだと思ってくれ。昨夜は眠れてないんだろ、出荷が終わったら寝ろ」

「はーい。あのさ、暮葉先輩」

「なんだ、姫野」

「部活は続けるの?」

「辞める理由はないが、何故だ」

「いや……だって、波多野先輩が目的だったんじゃないのかなって」

「逆だ。あいつの目的が俺だった。部活動は続けるさ、嫌でやってるわけじゃない。次からは、こういうトラブルは事前に言うか、知らないところでやるから安心しとけ」

「ぬう……」

「それはそれで、なんか嫌な感じもしますけどね」

「巻き込めってか? 俺は、お前らを巻き込んで解決できる自信なんてない。たかが一年軍部にいたくらいで、特別視されたくはないもんだな」

「なんで軍だったんですか?」

 まあ――話しておいても、良いかと、思う。半ば巻き込んだ形なのだ、説明義務はそれこそ、いくらでもある。

「話したろ、波多野家とうちで、ちょっとしたゴタゴタがあってな。中三の頃か、どうも面倒な動きがありそうだったし、陣二と俺が同い年ってこともあって、両親は俺を使おうと考えていたんだ――いや、使うってのは、表現が悪いが」

「同い年だから共感を持ちやすい……とか?」

「喜多村の見解はある意味で当たってる。俺はそれが嫌で、自衛隊にでも入ってやろうと思っていたんだ。一年くらいで終わるだろうと――言っちゃ悪いが、そんな面倒をやるくらいなら、失踪しちまった方が良いと思うのが、俺なんだよ」

 全部を放り投げて、消えて、その頃はもう戻らなくても構わないとすら思っていた。

「んで、学園にエイジェイが教員でいるだろ、ランクA狩人の。そういう知り合いはいなかったら、俺は学園に行って、エイジェイを探して打診したんだ。事情まで深く説明せずとも、どうやら知っていたらしくてな――」

「知ってたんすか!?」

「ああ。で、俺は知らないし知りたくもない。自衛隊に入る手続きなんかを教えてくれと、そう聞いたわけだ。もちろん、一年くらいで辞めるってことも。そしたら、直接紹介してやるよと言われて、移動の手配までされて、到着した先が米軍基地だ。そのまま本国――と、アメリカに飛んで、そのまま海兵隊訓練宿舎に入れられたわけ」

「なんて強引な……」

「まったくだよ。でも先輩、そのまま入ったんですよね」

「エイジェイの考えることは、俺みたいな一般人にはわからねえからな」

「生活はどうだったんですか、軍って」

「起きて、飯食って、走って、穴掘って、埋めて、飯食って、寝る。だいたいこんなもんだ。サンディエゴで三ヶ月の基礎訓練を終えて、一等兵の階級を与えられた俺は、戦艦を居住区にして三ヶ月、そこそこの休暇と、いわゆる補佐的な訓練を続け、その後に戦地へ投入された。兎仔軍曹殿と知り合ったのは、その時だ」

「――え? 半年で、もう?」

「そうだ。それまでは、クアンティコの訓練場に行ったり、いろいろだ。あとの半年のことは、あまり話したくはないし、聞いても共感は得られないな。九ヶ月続ければ上等兵に昇進するのが常だったが、俺はその前にこっちへ戻った」

 だが――それでも。

「まあ、除隊したところで、海兵隊員であることは間違いないんだけどな……それもまた、面倒なことだ。昨夜に渡された荷物の中にあったナイフ、ありゃ大昔から海兵隊が使ってるナイフなんだよ。俺らは単純に、七インチと呼んでたが、正式には1219C2だったかな……海兵隊の、勲章よりも大事なナイフだよ。ま、俺は勲章なんぞ持ってないが」

 暮葉のいた組織では、必ずナイフとタグを一緒に埋葬した。勲章は誇りだが、ナイフは魂だという言葉もあったくらいだ。

「んで、戻ってみりゃ解決してて、俺は予定通りに学園へ入り、今に至る。お前らだって、まさか俺が元軍人だなんて、考えもしなかっただろ」

「そりゃまあ、そうですけど」

「だから、それでいいんだよ――」

 俺に関わろうとするなと、付け加えそうになって、止める。関わるか否かではないのだ。人とは、どう関わっていくかが重要なのだから。

「俺自身、あえて明かそうとはしないが、隠しているわけでもない。気を遣わなくてもいいから、知りたいなら聞け。答えるとは限らないが」

 出荷場につくと、車は自動的に停止する。暮葉が先に降りて後ろの扉を開ければ、すぐに職員が対応してくれるのはいつものことで。

「おはよう、安堂」

「おはようございます、朝倉さん。以前に話していた通り、二人ほどいるんで」

「また暇な時期を選んだもんだ。出荷数が少ないから、こっちも余裕はあるが。そっちは二人の追加で回せるのか?」

「はは、部活動ですから、それほど忙しくはありませんって。じゃあよろしくお願いします。喜多村、姫野、こっちの朝倉さんに案内してもらうといい。十五分くらいを目安に」

 といっても、入り口から荷物をおろしつつ、荷台に乗せながらぐるりと見渡せば、それだけで一望できる、そう広くはない場だ。荷物も少ないので、冷房部屋も稼働させていないだろう。バラの出荷などが始まれば、動くが。

 さて。

 面倒だが、合宿中は暮葉が主導権を握ってやらなくてはならないが、そういうのは不向きだという自覚もある。となれば選択肢として安易なのは、OGの二人を呼んでみるというのだが――そこには、いささかの躊躇があった。

 というか、女が四人も揃った状態で、主導権を握れるとは決して思えない。どちらか片方だけ? いやまさか、どうせ連絡が行って、どうして呼ばないんだと文句を言われることは目に見えている。

 だとすれば、やはり、現状のまま進めるのが一番かもしれない。しれないが。

「面倒なことに変わりなし、か……」

 荷物を運び終え、車の扉を閉めた暮葉は、職員用の喫煙スペースへ向けて、足を動かした。


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